第404話 勇者召喚
「————ああ、ようやくお目覚めくださいましたね、勇者様」
目が覚めると同時に、蒼真悠斗は耳をくすぐるような少女の優しい声音を聞いた。
薄ぼんやりとした視界が徐々に戻って来ると、声の主である少女の姿が鮮明に映る。
美しい少女だ。
サラサラと流れるようなプラチナブロンドの長髪に、静かに輝くエメラルドグリーンの瞳。精巧な人形のように白皙の美貌を誇る。
少女が身に纏うのは純白の法衣。そして全身から薄っすらと発せられる、淡い蒼白の輝き。
卓越した美貌に、文字通りに光り輝く彼女の姿は、正に『聖女』の名に相応しい。
「き、君は……?」
かすれた声だが、それでも確かに悠斗は質問を口にできた。
彼の言葉に少女は嬉しそうに微笑むと、居住まいを正してから名乗りを上げる。
「私の名は、サリスティアーネ・ゴッドランド・アストリア。このアストリア王国の第二王女にして、パンドラ聖教の『聖女』にございます」
「……サリ、ス……」
「はい、私のことはサリスとお呼びください、勇者様」
喉がつかえて長い名前を言うこともできなかったが、そんなことを気にも留めずにサリスは言う。
「勇者様、貴方のお体はまだ癒えておりません。今はどうか、もう少しお休みくださいませ」
麗しい声音はまるで子守歌のように、再度の眠りへと誘う。
体の具合など、とうに察している。今こうして目覚めたのも何かの偶然に過ぎず、自分の体は更なる休息を求めていた。
そのまま再び意識を手放そうとする本能を制して、悠斗はゆっくりと深呼吸をする。
「————『蒼功波動』」
発動させるのは、光のオーラを纏う強化系スキル。
体は消耗しているが、それでも随分と眠っていたお陰か、魔力そのものはある程度まで回復しているようだ。あとは自らの意思さえあれば、勇者のスキルを行使することができる。
さながら治癒魔法がかけられたかのように、悠斗の全身を青白いオーラがゆっくりと包み込んで行く。
「すぅ……はぁ……」
オーラで肉体を活性化させながら、さらに蒼真流の基礎的な呼吸法を意識的に強く繰り返し、安定させてゆく。
目覚めた以上、まだ呑気に眠っているワケにはいかない。
自分には今すぐにでも、確かめねばならないことがあると、悠斗は思い出していた。
「ああ、勇者様、そのようなご無理をなさってはいけません」
「……いいんだ。俺は大丈夫だ、サリス」
多少の力が戻った体で起き上がりながら、困惑した表情を浮かべるサリスに平気だと手をあげる。
チラと周囲を見渡せば、美しい白い神殿のような一室にいることが分かる。自分を寝かせていたせいか、照明はうす暗いものの、大きな円柱や壁面から天上に至るまで精緻な装飾が施されているのが見える。
ここもまたダンジョンの一角であるかのような錯覚を覚えるが、ここは確かに普段から人が出入りしているだろう雰囲気が感じられた。ただ綺麗な状態に維持されているだけの古代遺跡とは違う。
見知らぬ場所で目覚めたばかりの悠斗にとって、この目の前の少女に聞きたいことは山ほどある。けれど、それら全てを後回しにして、真っ先に聞かねばならないことはもう決まっていた。
「俺と一緒に、女の子が二人いたはずだ。彼女達は無事なのか?」
嘘も誤魔化しも許さない、と真剣にサリスを見つめて悠斗は聞いた。
覚えている最後の記憶は、自分の背中を刺した夏川美波と、正面から抱きしめるように氷の封印魔法を自分諸共に発動させた委員長、如月涼子の姿だ。
力の限界だと、自分でも理解できてしまった。完膚なきまでの敗北。
あれほど強大な勇者の力を揮いながらも————俺は負けた。蒼真悠斗は、はっきりとそう覚えていたのだ。
「はい、キサラギ・リョウコ様とナツカワ・ミナミ様、お二人ともご無事ですよ。それほど心配なさるとは、とても大切な方達なのですね」
「そうか、良かった……二人は俺の、大切な仲間だ」
ひとまず、自分と同じように助かっていると分かって安堵する。
それにはっきりフルネームを口にしたことから、勘違いということもあり得ない。
「もう誰一人、失いたくない……失うわけには、いかないんだ……」
「ご安心ください。お二人は勇者様ほど深手は負っておりませんので。今は王城にて、丁重にもてなしております」
「すぐに二人と会えるか?」
「夜中ですので、ご就寝かと。お急ぎの事情があれば、すぐにでもお呼び致しますが」
「いや、それなら朝になってからでいいよ」
「はい。勇者様がお目覚めになったと聞けば、お喜びになるでしょう」
委員長と美波、二人の無事と居場所も確定しているならば、焦って今すぐ呼び出す必要はないだろう。
夜明けまでの時間があるならば、その間に聞くべきことを聞いておこうと悠斗は切り替えた。
「まずは、俺達を助けてくれたようで、ありがとう」
「いえ、私達は当然のことを成しただけですから」
どのような思惑があれ、こうして無事に目覚めることが出来るよう看病してくれたことに違いはない。円滑なコミュニケーションを図るために、まずは謝意を示した。
「色々と聞きたいことがあるんだが、いいかな」
「勿論でございます。見知らぬ場所で目覚め、不安も多い事でしょう。ですが、まずご安心ください。ここに貴方の敵は、一人たりともおりません」
「それなら、いいんだけどな」
聖女の名に違わぬ慈しみの溢れる笑みのサリスに、悠斗はかすかな苦笑を浮かべてそう応えるだけに留めた。
本当に敵がいないかどうかは、これから自分で確かめなければならないのだから。
「ここはアストリア王国の王都シグルーン、という場所で間違いないか?」
「はい、その通りです。ここはアストリア王城であり、勇者様は治療のためにこの医療宮へ。お二人は客間へとご案内しております」
どうやら本当に天送門で脱出したようだと、自分の予感が的中した。
委員長によって氷の封印に閉ざされた後は、外の様子を知覚することは当然のことながらできない。あの場で気を失ったも同然だが、その後どうなったのかは、何となく察しがついていた。
勝負の行方。誰が生き残り、誰が死んだのか。
「俺の腕を治してくれたのは、君なのかい?」
すでに身を起こした時点で気づいたが、悠斗は自分の両腕が当たり前のように元通りになっていることに、内心驚いていた。
勝負の最終局面で、親友たる龍一によって無慈悲に両断されたことははっきり覚えている。
それでもと諦めることなく『神判の腕』を発動させたが、あれは腕を治すものではなく、あくまで一時的に腕を形成して戦えるようにするためのものということは分かっている。あのスキルが解除されたなら、再び両腕を失った状態に戻ると思っていたが、
「私は少しばかり治癒魔法を使ったに過ぎません。ここまで綺麗に元通りになったのは、勇者様のお力によるものにございます」
詳しい説明を聞けば、自分の両腕は確かに欠損していた。
しかし切り飛ばされた両腕は、悠斗のすぐ傍らにあったという。
間違いなく本人の腕ということで、すぐに切断面を繋ぐよう処置を行い————『聖女』サリスの治癒魔法と、『勇者』の超人的な回復力によって、完全に元通りとなった。
「ただし、勇者様のお体はまだまだ万全とは言えません。よほど激しい戦いだったのでしょう。自らの限界を超えた力を使ったのだと、肉体の深い損傷具合を見て私は確信しております」
「……確かに、俺の身に余る力を使ったよ」
龍一と芽衣子の最強タッグに、ほとんど手も足も出ずに完封されていた。それをひっくり返したのは勇者の固有スキルの力だ。
そこからさらに小太郎を筆頭に、桜、委員長、美波、とクラスメイト達が加わった。再び追い詰められた戦況も、さらなる固有スキルの力によって凌いだ。
本来の自分の実力であれば、龍一と芽衣子の二人を相手にそのまま負けて終わるだけのものだった。小太郎に手札を一枚も切らせることなく、何もできずに敗北。
それを、そこまで彼らを追い詰めたのは、もう自分の持てる力を大きく超えた、女神エルシオンの力である。
「それでも俺を倒したのか……負けたよ、どうしようもなく……」
「私には、一体どのような戦いがあったのかは存じません。ですが、勇者様がご無事で本当に良かった」
「ああ、そうだ、どうして俺が勇者だと————いや、君達がどういう立場で、どういう考えを持っているのか、一から説明してくれないか」
気になることだけを点々と質問していても埒が明かない。まずは相手の基本的な情報が分からなければ、対等な会話の土俵にも上がれないだろう。
白嶺学園二年七組の異世界召喚。そしてそれに介入したアストリア王国。その思惑と関係を、第二王女と名乗るサリス本人から聞きたい。そうして、悠斗はひとまず静かに事情を聞くこととした。
「そうですね、まずは————」
そもそも事の発端となった、クラスの異世界召喚。
「この世界では遥か昔から起こりうる、事故なのです。勇者様は長らくダンジョン探索をなされたので、すでにお分かりかと思いますが……ダンジョンは古代文明の遺跡です。それも、いまだに当時の力を残し、様々な機能が生き続けている場所」
サリスの主張によれば、異世界召喚は自分達の力では止めようもない事故である。
かつてはこの世界そのもので極稀に起こりうる、巨大な魔力による自然現象に過ぎなかったが、優れた魔法文明を築き上げた古代においては、それを人為的に起こせるほどにまで発展した。
「その古代遺跡の機能によって、俺達のように召喚される者がいると」
しかし古代文明の崩壊と共に、現代では及びもつかない様々な魔法機能、装置は暴走。次元崩壊を起こして世界各地でダンジョンを形成し、そして本来の自然現象よりも遥かに大規模な異世界転移事故が起こりやすくなってしまった。というのが、この世界の現状である。
「本当に、不運な事故であると言わざるを得ません————ですが、私達もそうだと分かっているからこそ、異世界転移事故の発生が判明し次第、少しでも助けになるよう介入しております」
「それが最初に天職の魔法陣を教えた放送、というワケか」
「はい、それが私達『パンドラ聖教』の活動の一つです」
天職を授けて、ダンジョンを生き抜く力を。魔法陣の羅針盤で、進むべき道を示す。
「だが、脱出できるのが三人までというなんて……まるで、俺達に殺し合いをしろと言っているようなものじゃないか」
「ダンジョンにいる方達に、私達が伝えられることは多くありません。確実に伝えるべき情報を選んだ結果なのです」
教室の崩壊が始まるまでの時間は僅か数分。天職の魔法陣を伝えるだけで精一杯だ。
その後は魔法陣を通してメールのように情報を送ることも出来るが、ダンジョン内にいる者へ、どれだけの内容が伝わるかは、送る側では分からないそうだ。モンスター情報などに大きな個人差があるのは、そのためだ。
「天送門で脱出できる人数を最初に教えるか否か、これはいまだに私達の間でも議論のあることですが……」
過去にこれを伝えなかった結果、最後の天送門で凄絶な殺し合いが起こったことがある、とサリスは言った。
「やはり俺達の他にも、今までこんなことに巻き込まれたクラスが……」
「基本的に彼らの生存は絶望的です。一人だけでも生き残れば幸い。天送門へと辿り着くのは、それほどまでに過酷な道のりとなります」
そんなことは、言われるまでもない。
しかしだからこそ、サリスの言い分も理解できてしまう。
確かに天送門の脱出人数が最後の最後に判明したならば、果たして自分は犠牲者を抑えることが出来ただろうか。
「いいや、出来るはずがないな……俺なんかに、結局こんな結末になってしまったんだから……」
「勇者様、申し訳ありません。やはり、今はまだこの話をするにはお辛いのでは」
「いや、気にしないでくれ」
それでも、と今更ながら。いいや、今だからこそ思ってしまう。
最初からクラス全員が協力できていれば、と。ヤマタノオロチを討伐した時のように一致団結できれば、一人の犠牲者を出さずに乗り越えることだって出来たはずなのだ。
けれど自分と小太郎が手を携えて、ダンジョンを出ることはついになかった。すでに決着はついてしまったのだから。
「俺達のような転移事故は、どれくらいの頻度で起こるものなんだ?」
「おおよそ数十年に一度です。あくまで、こちらで発見できるものだけですが」
「この国に、その生き残りは?」
「お一人だけ」
「……日本には、帰れなかったのか」
「ええ、その方はパンドラ聖教の司祭となりました。今回の事故で、勇者様方へ放送を伝えたのが、その司祭です」
今となってはもう、あまり覚えていないが、男の声であった。まさか、あの男が自分達の先輩であったとは。
「彼とも、明日には顔を合わせることになるかと。故郷のお話には、その時にでも」
「そうか、確かにその人にも聞きたいことは色々とあるからな。そうさせてもらうよ」
恐らく同じ日本人だという司祭に、会えるのならば話はその時でいいだろう。もっとも、一番知りたい元の世界への帰還方法が無いだろうことは、彼の存在が証明してしまっているが。
「他にお聞きしたいことは?」
「ああ、そうだな……」
なんだかんだで、初めて出た外の世界である。このアストリアがどんな国なのか、どんな人々がいるのか。気になることは沢山あるが、今は帰還方法に次いで、聞くべきことがあった。
「……君達は『勇者』の俺に、何をさせたいんだ?」
勇者様。勇者様。まるで本当に、世界の救世主でも呼んでいるかのような態度だ。
救い主を必要とするならば、当然そこには倒すべき悪が存在しているということでもある。
「はい、私達には勇者様の助けが必要なのです」
サリスは堂に入った動きで両手を組んで、祈る。
「今この世界は少しずつ、邪悪な闇に浸食されつつあります————そこへ『勇者』を遣わせていただき、光の女神エルシオンに感謝の祈りを捧げます」
祈りを終えて、その美しい煌めく翡翠の瞳を真っ直ぐに悠斗へ向けて、サリスは言い切った。
「勇者様、どうか私達の世界をお救いください」
「————世界を救え、か」
すでにサリスは退室し、再び休息を取るべく俺はベッドに横たわる。
仰々しい神殿造り、その広間のど真ん中に豪華な祭壇のような巨大ベッドに寝転がっているのは、なんとも落ち着かない。妖精広場の芝生でごろ寝している方が、よほど気が休まる。
それでも堂々とベッドで仰向けになっていると、自然と苦笑いが浮かんだ。
「クラスメイト一人も救えない俺に、世界なんて救えるワケがないだろう」
サリスが嘘を言っているのかどうか、俺にはまだ分からない。
上手な嘘は、真実を混ぜているという。実際、事実だと思われる要素は幾つもあった。
ダンジョンが古代遺跡の力によるものは本当だし、俺達があの放送に従って天職を授かったのも、進んだ先に天送門という脱出口があったのも本当のことではあった。
だからと言って、サリス達が名乗るパンドラ聖教、あるいはアストリア王国が、本当に自分達を哀れな転移事故の被害者と思って、出来得る限りの救いの手を差し伸べたと言うのだろうか?
「そうして、俺を利用するつもりなのか。小鳥遊さんのように」
俺は正気を取り戻した。いや、元から正気じゃなかったのかもしれない。
小鳥遊さんが死んで、『イデアコード』を中心とした洗脳魔法の効果が切れたのは事実だ。けれど、きっと俺は彼女の洗脳によって操られていただけじゃない。
俺自身が、そうあって欲しいと望んだのだ。全ての元凶は、あの邪悪な呪術師の仕業であって欲しい。アイツを殺しさえすれば、全てが、失ったモノさえ取り戻せるような気がして。
「馬鹿だな……本当に、馬鹿だったよ俺は……」
ああ、桃川、お前の言う通りだ。
俺は勇者になれない。
そうだ、俺なんかが勇者になんて、なれるはずがなかった。仲間の力を信じることもせず、自分だけで何とかしようと空回って。
そうやって俺は、何人失ってきた。何人も失って来たからこそ、どんどん辛い現実から目を逸らしたくなっていたんじゃないのか。
けれどいい加減、それも終わる時が来た。桃川が、アイツが率いて来たクラスメイト達が、俺の目を覚ましたのだ。
「小鳥遊さん、俺は君を恨むべきなんだろう」
よくも騙したな、と。
けれど俺にはそんなことを言う資格などないだろう。セントラルタワーの入口で、追い詰められた彼女を助けたのは俺だ。俺が彼女を生かした。
俺が余計なことをしなければ、せめてあの時点で終われた。あれ以上の犠牲を重ねることはなかったというのに。
彼女を生かしたのは俺で、最後の最後まで彼女を守ろうとしたのも俺だ。そんな俺が今更、何と言って小鳥遊さんを責められる。自分で選んだ道だろう。
何より、彼女に裁きを下すべきなのは俺なんかではない。
小鳥遊さんは、もうすでに裁かれた。呪術師の手によって。
それがどんな最期なのかは、分からない。けれど、彼女が無残に呪い殺されたことだけは、何故か分かるのだ。
小鳥遊さんは、死ぬべくして死んだ。クラスメイト達を死に追いやった黒幕で、彼女の死は喜ぶべきことだろう。桃川達は、『賢者』の陰謀についに打ち勝ったと。
「でも小鳥遊さん、俺は感謝するよ。君のお陰で————」
この神殿、この祭壇。美しいサリスの一挙一動、一言一句。
その全てが、
「————もう二度と、誰かに操られることはなさそうだ」
『賢者』小鳥遊小鳥と全く同じ、洗脳効果を持っている。
サリスは、パンドラ聖教は、アストリア王国は、全て『勇者』を意のままに操ろうとしている。
それだけはハッキリと分かるんだ。
「女神エルシオン、絶対に俺はお前の『勇者』になんかならない」
何故なら、俺は勇者ではないから。勇者になれない、ただの男だ。
「とても俺が言えたことではないが、それでも……」
自分の力の限界を知った。
自分の信じた正義が、誤っていたことを知った。
自分の犯した罪の深さを、ようやく思い知った。
「……桜を頼む、桃川」
願わずにはいられない。祈らずにはいられない。『呪術師』桃川小太郎に。
アイツだけが、桜達、生き残ったクラスメイトを導ける。勇者を利用しようと、平気で俺達日本人を召喚しては犠牲にしてきたサリス達のような巨大な勢力が存在する、この危険な異世界で。
「委員長と夏川さんは、俺が何とかする」
考えろ、蒼真悠斗。
もう間違うな。敵を見誤るな。誰を信じ、誰を守るか。
「勇者じゃなくたって、それでも俺には、守りたい仲間がいるんだ」
そのためなら、俺は自分の正義だって捨て去ろう。綺麗事はもう言わない。やれることは何でもする、使えるモノは何でも使う。どんな汚い手だって。
そう、あの呪術師のように————




