第39話 ケルベロス
レベルアップを果たし、装備も整えた俺達は、これまでにも増してダンジョン攻略がはかどった。相変わらず現れ続けるスケルトン小隊は、奥へ進むごとにその数を増してくるが、今の俺達をそれだけで止めることなどできはしない。隊員スケルトンが全て隊長クラスにまで強くなっていれば、もう少し苦戦するかもしれないが。
しかしながら、俺達が敵の弱さに慣れるほど慢心する前に、そこへ辿り着いた。
「ここは、どう見てもボス部屋じゃないか」
一際大きな扉、否、それは最早、門といって良い大きさだ。レイナの家はかなりの金持ちで、立派なお屋敷に住んでいるが、そこの正門と同じくらいには大きい。つまり、開けば大型トラックでも余裕で通れるだけの幅と高さがあるってこと。
「ボスもスケルトンだといいのですけど」
「どんな魔物が住みついているかは、入ってみなきゃ分からないわね」
ゲームじゃないんだから、そんなに分かりやすく関連性があるとも限らない。でも、確かにここで登場するのがデカいスケルトンのボスであれば、対処は楽なので大歓迎だが。
「どの道、倒さなければ先へは進めないのだろう。ならば、自分達の力を信じて、押しとおるまで」
「うん、今の私達なら、大丈夫だよ!」
「小鳥も応援するからね!」
できる限りの準備はした。気力、体力、共に充実し、コンディションもばっちり。
「よし、それじゃあ……行くぞっ!」
意を決して、俺達は重厚な門扉を押し開き、ボス部屋へと足を踏み入れた。
「――っ!?」
部屋へ入ったその瞬間、凄まじい気配を感じた。元の世界でも、感覚が研ぎ澄まされている時なら人の気配というのは何となく察することはできたが……これほど強大な気配を感じたのは初めてだ。感じたというより、叩きつけられている、というべきか。
どうやら、この部屋の主は隠れる気はないらしい。
プロ野球の試合ができるドームほどもある、大きな円形の空間だ。薄暗く、奥まで見通せなかったが、ひとりでに壁際に等間隔で設置されていた松明に、一斉に火が付いた。
「ひゃあっ!? な、なにアレ……大きい……」
「ああ、これは、とんでもない大物だぞ……」
前衛として、俺の両隣に立つ夏川さんと明日那が、同じように息を呑む。無論、俺も二人と同じく、炎の灯りに照らされて浮かび上がった、ボスの巨躯を見て驚愕していた。
「……ケルベロス」
ボスは、そうとしか言いようのない姿をしていた。ドーベルマンのようにしなやかで引き締まった肉体でありながら、その身は象ほどもある。燃えるような真っ赤な毛皮は、これまで散々、倒してきた赤犬とよく似た色合いであることを思えば、奴らの進化系なのだろうか。
そして最大の特徴は、三つの頭。狼のような鋭く獰猛な顔が三つ並び、舌を垂らして荒い息遣いで睨みつけてくる様は、地球に伝わる『地獄の番犬』そのままの姿であった。
「兄さん、この魔物は、今までの相手と格が違いすぎますよ」
「分かってる。けど、コイツを倒さなきゃ先には進めない……日本には、帰れないんだ」
あの鎧熊を超えるほど強大な魔物を前に、恐れる気持ちはある。敵わないかもしれないという恐怖。誰かが犠牲になるかもしれない恐怖。何より、自分が死ぬ恐怖。
でも、一歩も退く気はない。
「ええ、そうね、その通りよ、悠斗君。みんな、覚悟を決めましょう」
委員長の言葉に、全員が力強く頷く。
「見た目からして、アイツは赤犬と同じだ。けど、大きさが桁違いだから、突進だけで蹴散らされないよう注意だ。桜と委員長、二人の防御魔法で止めてくれれば、俺達が隙を突く」
「はい、兄さん」
「足止めだけで、狙わせてくれればいいがな。小鳥、奴の火力は見えそうか?」
「えっと、えっとね……スッゴイ炎をブワーって吐き出せるから、みんな、注意してね! 多分、本気になったら三つの頭も全部、火を吹くかも!」
「火炎放射を抑えるなら、私の氷が一番ね。少し攻撃の手数が減るかも知れないけど、私はみんなの防御を固めるわ」
「それなら、私達が頑張らないとね!」
「ああ、いつも通りでいこう。攻撃は前衛に任せて、後衛はサポートに徹してくれ」
さて、ケルベロスの方も空腹が限界といった感じで、のっそりと体を起こして動き始めるようだ。凶悪に血走った六つの目が、美味しい獲物であろう俺達に突き刺さる。
悪いが、この場にいる一人たりとも、お前なんかに食われてやるつもりはない。必ず、全員で生き残る。
だから、白い光の女神様、俺に『勇者』としての力を、みんなを守るための力を、貸してくれ――
ケルベロスとの死闘が続いている。
「はぁ……はぁ……あと、もう少しだ……」
大きく鋭い牙や爪が幾度もかすり、全身切り傷だらけな上に、時折ぶっ放される火炎放射によって、火傷まで負っている。それでも、常に直撃だけは避け続けたことと、絶妙のタイミングで飛んでくる桜の『癒しの輝き』のお蔭で、まだ致命傷には至らない。まだ動ける、まだ、戦える……だが、俺も、みんなも、消耗が激しい。その分、ケルベロスにもダメージが入っている。奴の全身も、俺と明日那と夏川さんの斬撃が幾重にも刻み込まれ、血塗れになっている。三つの首はどれも息が荒く、疲労の色を隠し切れていない。
ここまで、どうにかこうにか、上手く立ち回って来れた。まだ誰も倒れてはいない。しかし、油断はできない。俺達も集中して戦い続けるにはギリギリだし、何より、ケルベロスは正しく手負いの獣というべき状況だ。
「――蒼真君! 気を付けて、ボスの魔力が高まってるよ!」
警告を発したのは、やはり小鳥遊さんだった。彼女は『魔力解析』によって、相手の魔法発動なども、何となく察せられる。この能力のお陰で、俺達はケルベロスが火炎放射を放つのを事前に察知し、防御や回避を成功させることができた。
だから、小鳥遊さんが声を上げたということは、炎を吐くのとはまた違った『何か』をケルベロスが行おうとしている予兆に他ならない。俺も何となく、奴が纏う気配……魔力の気配、とでもいうべき強い力の流れ、みたいなものが薄らと感じ取ることができた。
「まずい、みんな一旦、下がれ!」
疲労していながらも、明日那と夏川さんはそれぞれの移動強化武技を切らすことなく行使し続け、素早く離脱。前衛が一足飛びに距離をとったと同時に、ケルベロスは大きくのけ反るような格好で、一際に巨大な咆哮を上げた。
「――ォオオオオンっ!」
その瞬間、ケルベロスの赤い毛皮が黒に染まった。全身に墨を被ったように、真っ黒。だが、燃え盛るような赤い瞳だけが、ギラギラと狂暴に輝いていた。
これは、ヤバい――直感的に、ただそう思った。
「みんな、危ない! 火がっ――」
小鳥遊さんの警告をかき消すように、三つの頭は同時に炎を吹き出した。まるで、ここまで自分を追い込んだ俺達に対する、怒りそのものを吐き出すかのように。
「くっ、滅茶苦茶に撃ってくる」
「これじゃあ、近づけないよっ!」
ケルベロスは怒りのままに轟々と火炎を吐き出す。狙いも何もなく、視界に入る全てを紅蓮に染めるように、全方位にまき散らされる。夏川さんの言う通り、目の前に二重、三重となって立ち上る炎の壁を前に、俺達は接近できない。
「ガァアアアアウ!」
攻撃するどころか、炎にまかれて退路さえ失いかけていた俺達を無視して、ケルベロスがついに動き出す。無論、ケルベロスは自ら吐いた炎で焼けたりはしない。燃え盛る火の海を悠々と突っ切っていく。
向かう先は、前衛の誰でもなく、その後ろ。しまった、奴の狙いは後衛だ。
「委員長!」
「分かってる――『氷壁』っ!」
後衛に向かって突進を仕掛けるケルベロスを遮るのは、委員長が最後に覚えた氷属性の範囲防御魔法『氷壁』だ。個人を守る『氷盾』とはそもそも作り出す氷の壁の大きさが桁違い。ケルベロスくらいの大型モンスターの動きさえ止めるほどの、何メートルもの巨大な氷の壁が瞬時に現れる。
実際、この魔法のお蔭でケルベロスが後衛に狙いを定めた時も、凌いだのだ。
「ガアアッ!」
しかし、怒り狂って漆黒に染まったケルベロスを、止めきることはできない。勢いよく目の前に立ちはだかる氷の壁に体当たりをかますと、バキバキと大きな亀裂が縦横に走り、今にも崩れそうなほど。
完全に邪魔な障害物を破戒すべく、ケルベロスは左右の首から轟々と火炎放射を吐きかけると、両の前足を振り上げ、圧し掛かるように壁を叩いた。
「きゃああああああああああっ!」
小鳥遊さんの悲痛な叫びと同時に、委員長の『氷壁』は粉砕される。ケルベロスを阻むものは、もう何もない。
いまだに轟々と周囲で燃え盛る炎の壁が、俺達前衛にケルベロスの追撃を許さない。ほんの十数メートル先なのに、灼熱の迷宮となって俺達の接近を阻む。もう一刻の猶予もないというのに。
くそ、頼む、間に合ってくれ。俺が駆け付けるまで、あともう少し、持ちこたえてくれ!
「ああっ!? 桜ちゃん、逃げて! 狙われるっ!」
小鳥遊さんの呼びかけに、俺の背筋が凍る。さらに炎の向こうで、一際に大きく息を吸い込むケルベロスの真ん中の頭を見て、嫌な予感は確信に変わる。
「桜ぁーっ!」
ケルベロスは、これまでの戦いでは一度も見せなかった、灼熱の火炎を一点に圧縮させたよような、大きな火球を放ってみせた。速い。撃ち出された火の玉は、直後に着弾。この高い広間の天井に届かんばかりにまで、巨大な火柱が立ち上った。
「さ、桜……そんな……」
嘘だろ、とは言えなかった。あれほどの威力の火球だ。ほんのちょっと狙いが逸れただけで、助かるようなモノじゃない。そして、桜が持つ防御魔法は、光の壁を一枚展開させる『光盾』だけ。あんな大爆発を、光の盾だけで防げるはずがない。
「桜ちゃん! 桜ちゃーん!」
「ダメよ、小鳥! それ以上は危険だわ!」
炎の向こうから、委員長と小鳥遊さんの声が聞こえてくる。桜と二人とで、後衛も左右に散開していたのは幸いだった……そう、素直に思えない自分が腹立たしい。
いいや、違う、そうじゃない。そういうことじゃない。
「ゆ、許さない……」
今は、自分の不甲斐なさ、己の無力を、嘆く時ではないだろう。
「絶対に、許さない――」
最愛の妹を失った悲しみに、泣く時でもない。
「――お前だけは、絶対に許さないっ!」
そう、今はただ、仇を討つべき時。だって、俺は兄貴なんだから。
『光の聖剣』:白き神より勇者に授けられる、唯一無二の聖剣。
ソレが脳裏に浮かび上がると同時、握った『聖騎士の剣』が、俄かに光を放つ。思い出す。この感覚は、俺が勇者に目覚めた時と同じもの。
ああ、そうだ、そうだった……これが、俺に与えられた、勇者だけが持つ『固有スキル』なんだ。
「はぁあああああああああっ!」
眩しいほどに光り輝く白銀の剣を振るう。すると、あれだけで俺の行く手を阻んだ炎の壁が、あまりにあっけなく切り払われる。
これで、道は切り開かれた。
「ゴォアアアっ!」
俺の気配を鋭く察知したのか。ケルベロスの三つ首は俺へと向き直り、牙を剥いて威嚇の声を上げる。いや、威嚇というより、もうすでに攻撃態勢に入っているが。
人間の体など容易く押し潰せそうなほどに、野太い獣の腕が飛んでくる。その勢いと、備えた鋭い爪。直撃すれば一たまりもない恐るべき凶器だが――遅い。
「はあっ!」
身を捻ってかわすと同時に、一閃を叩き込む。武技で切りつけても毛皮と僅かな肉にしか裂けなかった強靭なケルベロスの肉体だが、今は熱したバターのように光の刃があっさりと通っていく。
「ギョォオアアアアっ!?」
一刀のもとに、ケルベロスの前足を切り飛ばした。これまでにない、苦しげな絶叫をあげる。流石にこんなモンスターでも、足を一本失うのは痛いか。
だが、この程度では終わらせない。この『光の聖剣』もいつまでもつか分からない。一気に畳み掛ける。
「うぉおおおお――『三裂閃』っ!」
切り飛ばした足と同じ側にある頭を、まずは斬り伏せる。ほとんど同時に刻み込まれた三連撃は、舌を裂き、鼻先を切り、目元を抉った。この頭はもう使い物にはならないだろうが、トドメは必要だ。眉間に『一穿』を叩き込み、完全に沈黙させる。
「――ガアっ!」
流石に二つもの武技を叩き込むだけの時間をかければ、残った頭が反撃に動く。真ん中の頭が大口を開けて噛みついてくる。単純だが、最短距離で一撃必殺の牙を見舞う、有効な反撃行動であった。
「『反撃』」
人間など丸飲みにできそうなほどに巨大なアギトが閉ざされる瞬間を見切り、剣で弾く。横薙ぎに振るったカウンターに、真ん中の首は思い切り殴られたように頭を揺らす。
「コォオオオ――ゴォアアアっ!」
残った首は、噛みつきではなく火球を放とうとしていた。大きく息を吸い込む、分かりやすい予備動作だ。どうやら、即座に撃ち出すためか、桜に放ったものよりも一回りは小さい。多少、威力は劣るだろうが、人間一人を丸焼きにするには十分すぎる火力だ。
けれど、俺は引かない。この程度、捌けないようでは、この化け物を殺すには足りない。
「『反射』」
目前に迫った灼熱の火球を、斬る。個体ではない炎を切り裂く、というのは妙な話かもしれないが、この『光の聖剣』は一振りで炎の壁を払ってのけたのだ。ならば、火の玉だって切り裂けない道理はない。
俺を避けるように二つに別たれた火の玉の残骸が、斜め後ろの左右で爆発するのを感じながら、俺は一足飛びに頭へと斬りかかる。『反撃』で弾いた真ん中の頭を踏みつけて、火球を放った残り火が口元から零れる頭部を狙って、光の剣を振り抜く。
輝く刃は鼻先から入り、そのまま真っ直ぐ上へ駆け抜け、眉間の辺りまで深々と切り裂く。
「あと、一つ!」
振り向き見れば、二つの頭を潰されたというのに、まだまだ元気で牙を剥く最後の頭がある。再び、俺をかみ殺そうと大口を開けて迫って来るが、チロチロと口元から炎が漏れているのは――なるほど、そのまま火炎放射を放ちつつ、食らいつこうという魂胆か。
流石に炎を浴び続けられれば「『反撃』」でも「『反射』」
でも捌き切れない。回避しかない、が、この間合いからあまり離れたくはない。もう一度アタックを仕掛けるだけの体力と魔力が、俺にはなさそうだ。情けないが、この肉体はもう限界だとでもいうように、ギシギシと軋みを上げ始めている。
攻撃できるのは、あと一回が限度。回避に徹して、隙を窺った上で、攻撃を仕掛けるには、あまりに余力がなさすぎる。ならば、このまま決めてやる。
「はあっ!」
その場を飛びあがると、足のすぐ下を紅蓮の奔流が駆け抜けていく。跳躍の判断が一瞬遅れていれば、丸焼きだった。しかし、焼死の危険性は変わらず。ケルベロスはジャンプして避けた俺を冷静に捉え、そのまま火炎放射を放ちながら、射線を上へ向けて今度こそ俺を消し炭にしようと動き出していた。
「うぉおおおおおおおおおお――」
炎の渦が迫るその瞬間、俺は虚空を蹴って、前へ飛んだ。すでに『空脚』は習得している。僅かだが、確かに空中で移動する術が、俺にはある。
空中でステップを一つ刻めば、もう、そこにはケルベロスに残った最後の頭、その付け根となる首元へ辿り着いていた。
「――『刹那一閃』っ!」
振るった『聖騎士の剣』に宿る白い光が、さらに眩しく、神々しく、輝いた。それは『一閃』でもなく、『三裂閃』でもない、新たな武技。放つ輝きは、それそのものが新たなる光の刃となって、敵を切り裂く。
さながら、光輝く巨大な剣となったかのような『聖騎士の剣』を、俺は目の前にあるケルベロスの首筋へ力の限り叩き込んだ。
弾ける光の奔流に、頭が真っ白になりそう――だが、どうにか俺は、着地を決めた。
そこで、全ての力を使い切ったかのように、刀身に宿った白光が消え去る。同時に、全身を襲う重苦しい疲労感。重い、体が重い。今にも、倒れてしまいそうなほど。
「ふっ、はぁ……」
大きな溜息のような深呼吸をしてから、ようやく俺の体は、振り向けるだけの活力が戻った。
「……やったぞ、桜」
そこには、ケルベロスの巨躯が横たわっていた。左右の頭は無残に切り裂かれ、真ん中の頭に至っては、完全に首が落ちていた。死んだことは、一目瞭然。
しかし、凄惨な死に様を晒すモンスターの死体は、すぐに光へと変わる。倒した怨敵の姿を前にしながらも、何らかの感想を抱くよりも先に、いっそ機械的ともいえる吸収が始まってしまった。これまでで最大の輝きと量を発する光の粒子は、やはり瞬く間に俺の体へと吸い込まれ……そして、後にはコアだけが残される。恐るべきモンスターの名残は、どこにも見えなかった。
ああ、終わったんだ、これで。俺は、桜の仇を――
「――本当に、兄さんは無茶ばかり、するんですから」
「なっ……さ、桜……なのか」
聞こえたその声は、幻聴でも構わない。そう、心から思った。
「すみません、心配をかけてしまいました……兄さん、私は無事ですよ」
いまだ残る炎と黒煙の内から、大きな白い光球が現れる。燃え盛る火も煙も全くよせつけない、美しくも不思議な光りの球の中に、見覚えのある人影がボンヤリと浮かび上がって見えた。
「『聖天結界』という、聖女の固有スキル、らしいです」
理由なんて、何でも良かった。俺はただ、そこに、輝く光の向こうに、桜の無事な姿があるだけで、十分だった。
第四章はこれで完結です。




