第403話 光と闇の精霊術士
「————くん」
声が聞こえる。
遠くから、俺を呼ぶ声が消える。
「————葉山くん」
「ハッ!?」
として、俺は飛び起きようとするが、体が動かなかった。まるで鎖で縛られているみたいに、冷たく重い感覚。
けれどこの体を縛るものなんて何もない。ただ俺の体に、起き上がるほどの力すら入らないということだけ。
「も、桃川……?」
「おはよー、葉山くん」
開いた視界には、桃川の顔が逆さまに映る。なんだ、俺は膝枕でもされてんのか?
上からジっと見つめて来る猫みたいな眼差しに、安心感とかすかにドキリとする相反した感情が……いや、何を意識してんだよ俺は。
「あれ、そういえば、俺……」
何してたんだっけ?
このクソ重たい倦怠感は魔力切れの症状だ。ここ最近は特訓頑張ってるから、馴染み深いものになりつつあるが、起きれないほど消耗しきっているのはおかしい。そこまでハードな特訓は翌日の予定に影響するからやらない……というか、違う、もう戦いは始まっている!
「自分が何をしていたか、覚えてないの?」
「俺はキナコを助けるために……それから、天送門のとこで……」
少しずつ、霞がかっていた記憶が蘇って来る。
忘れられるはずがない。ソレはついさっき、俺がぶっ倒れる寸前まで起こっていたこと。いいや、すでに起きてしまったことなのだ。
「キナコが、斬られて……俺は蒼真を……」
「そうだよ、君は蒼真悠斗と戦った。精霊術士の真の力を使ってね」
全身が総毛立つほど、おぞましい最悪の記憶が蘇る。
不気味なほどに眩しく輝く青白い光と、土砂降りのように降り注いでくる真っ赤な色。鮮やかな蒼と紅のコントラストが、何故だか白と黒のモノクロ一色にしか見えなくなって————そして俺は、蒼真を、殺そうとした。
「ごめんね、僕の力が足りないばっかりに、蒼真悠斗の命まで届かなかった」
再び目の前が真っ暗になりそうな気分だが、何故だろう、桃川の言葉が耳に響けば不思議と落ち着いて来る。現実を、受け入れられたのだろうか。
到底、受け入れることなどできない悲劇を。俺はもう、認めてしまったのか。
キナコを失ったという、最悪の現実を。
「……何で、桃川が謝んだよ」
「当然だよ、僕が弱いのが悪い」
「違うだろ……俺が、全部、俺のせいだろが……」
俺が弱かった。俺の力が足りなかった。
取り戻せたと思った。手が届いたと思った。
奇跡は起こった————そう、俺はカラアゲを差し出したあの瞬間に、馬鹿みたいに信じ切っちまったんだよ。
「ごめん、キナコ……助けてやれなくて……」
堰を切ったように、涙が溢れて来た。
だって、もう誤魔化せない。怒りを燃やして、憎悪に沈んで、我を忘れて戦う相手はもう目の前にはいない。立ち上がる力すら失った今の俺には、八つ当たりで暴れて現実逃避することはもうできないんだから。
ただただ突き付けられる、自分の無力が原因で招いてしまった残酷な結末を。
どうしようもなくて、忘れることも、無かったことにもできなくて。今の俺はもう、失ったもののあまりの大きさに、泣くことしかできない。
「き、キナコぉ……うわぁああああああああああああああああああ————」
俺は泣いた。ガキみたいにワンワン泣き叫んで。
桃川が見てるとか、関係なくただ泣いた。それしかできないから。キナコに何もしてやれなかった俺は、やっぱり何もできないから。
悲しくて、辛くて、押し潰されそうだ。
「大丈夫。大丈夫だよ、葉山くん。もう終わったことだから」
頭を撫でながら、桃川が何かを語り掛けてくれる。馬鹿みたいに泣き喚いている俺には、何を言っているのか分からなかったけれど、
「そんなに自分を責めないで。君はやった。よくやったんだ」
母親の子守唄を聞く赤ん坊は、きっとこんな風に聞こえているんだろう。
「だから安心して、もう少しお休み————」
「……また寝てたのか、俺は」
いや、それとも夢だったのか。それにしては、ハッキリと現実感の湧く夢なのだが。
少なくとも、本当に散々に泣いて喚いて大泣きに泣いた気分で、ようやく気持ちが落ち着いているのは事実である。いや、思い出したら今すぐでも泣けそうなのだが、あんまりいつまでもメソメソしているワケにはいかねぇからな。
「ったく、夢の中で桃川に泣きつくなんてな」
どんだけ頼り切ってんだ。真の心の支えかよ。
実際、桃川に頼りに頼ってここまで来たわけで、そういうとこは否定しきれないんだが……だからといって、甘えるのは違うだろ。ママじゃねぇんだぞ。同級生の男子だぞ。
「————夢じゃないよ」
「うおおっ!?」
いきなり耳元で囁かれて、俺は文字通りに飛び上がって驚いた。
「桃川いんのかよ!?」
なんかめっちゃ恥ずかしい独り言聞かれた! と思ったが、右を見ても左を見ても、あの堂々とした小さな姿は見当たらない。
ま、まさか、ついに幻聴が……俺はそこまで飢えていたとでも言うのか……
「ここにいるよー」
幻聴なんかじゃない。確かに、また桃川の声が届いた。すぐ近く。肩が触れ合うような距離に————
「————も、桃川?」
「おはよう、葉山くん」
右を向けば、確かにそこには桃川の笑顔があった。
あるにはある。いるにはいる。だがしかし、これは……
「桃川、なんか小さくね?」
「僕は元々小さいよ。クラスで一番小さいよ」
「いや背の順ってレベルじゃねぇほど小せぇぞっ!?」
小さい桃川が、俺の右肩に立っていた。
なんだお前、妖精さんのサイズだろ。身長20センチって。
ちくしょう、可愛いじゃねぇか。反則だろがその小ささは。
「妖精分身とか、そういう新技か?」
「いいや、僕はオリジナルの分身ではないよ。僕は君のモノ。だから、君に名前をつけて欲しいな」
「は、はぁ……?」
小さい桃川は、真面目に作戦説明している時の真剣な表情で、俺を真っ直ぐ見つめてそう言った。言ったけど、言ってることがよく分からん。
ダメだぞお前、簡単に男に君のモノとか言ったら。それ絶対勘違いするやつだからな。男ってのは、ドキドキしたらすぐ勘違いすんだからよぉ!
「僕は闇の精霊だよ」
「なんだって!? 闇の精霊って……お前が……?」
「そうだよ。僕を呼んだ心当たり、あるでしょ?」
悪戯な野良猫の微笑みが、正しく俺の心を射抜く。いや変な意味じゃなくて、心当たり的な意味で。
「もしかして、お前があの時、俺に力をくれた……」
思い出す。憎悪に駆られた俺が、如何にして蒼真と戦ったか。
妙な感じだ。自分自身でやったことに間違いないし、あの時あの瞬間、俺は俺自身の憎悪と殺意のみに突き動かされて戦っていた。真っ暗な暗闇の中で、ただ一人だけ白く輝いて見える蒼真悠斗に向かって、襲い掛かったのだ。他の事は、何も見えなかったし、聞こえない。
俺は蒼真を殺すことだけに囚われて、クラスメイトの仲間がいたことも、ベニヲ達の存在すら忘れて、ひたすら暴れていた————ということを、他人事のように、どこか映像記録でも見せられたような感じで俺は認識している。
「そう怖がらないで。アレは君が僕の力を受け入れたからこそ。負の感情は闇の領域。ただの人間が抱ける以上に、その感情を増幅させて、力とする」
それでも勇者を殺すには足りなかったけどね、と小さい桃川が溜息を吐く。
正直、説明を聞いてもあんまりよく分からんが、とにかく闇精霊のスゲー力で俺は暴走していたような状態らしい。
「そうか……ありがとな」
「へぇ、感謝するんだ、この僕に」
「当たり前だろ。俺だけじゃあ、蒼真相手に何も出来なかった。あんだけスゲー力でやり合ったんだ、お陰で少しはカッコついたよ」
それに暴走する闇の俺が一人で蒼真を引き付けていたお陰で、桃川が策を打つ猶予も出来たはず。あの時、下手に俺を止めようとしてくれなくて助かった。暴走状態だと、相手が誰かも分からずぶっ飛ばしてしまうだろう。
勝手に暴れただけのどうしようもない俺だけど、それでもアイツなら上手く活用してくれたはず。そう思えば、あの戦いにも価値があったと思える。
「それに、アイツらも無事だったみたいだしな」
すぐ傍で、寄り添い合うように眠っているベニヲとコユキとアオイの姿を確認して、心の底から安堵する。
俺は確かにキナコを失ったが、大切なもの全てを失ったワケじゃない。
「だから、ありがとう。俺に力を貸してくれて」
「ふふん、どういたしまして」
ドヤ顔で平らな胸を逸らす姿は、本物の桃川そのもの。フィギュアみたいな小ささのせいで、なんだか余計に可愛く見えて来る。
「それで、僕の名前は決まったかい?」
「えっ、ああ……っていうか、そもそも何で闇精霊が桃川の姿してんだ?」
なんか当たり前のように会話してきたけど、そこが最大の謎である。
俺が今まで見たことある闇精霊は、微精霊だけ。勿論、他の奴らと同じ小っちゃい棒人間みたいな感じで、これといって違いがあるようには思えなかった。
しかし闇精霊桃川。コイツは今まで見て来た精霊とは何もかもが違う。サイズは別としても、完全な人間の姿をしていることもそうだし、これほど流暢に喋っているのも初めてだ。というか絶対、俺よりコイツの方が頭良いだろ。
「ほら、僕は君の右腕に宿っているからね。この腕、今はもう完全に同化しているけれど……元々はオリジナル、桃川小太郎という男のモノだろう」
桃川小太郎という男、って言い方に間違っているとこなど何一つないのだが、違和感を覚えるのは何故だろう。
「神代の呪術で形成されたこの右腕は、僕みたいな闇精霊にとっては絶好の依り代になる」
「確かにな、この右手には自然と闇精霊が集まって来るし」
「そう、そうやって集まりに集まった闇精霊が、こうして僕という存在にまで昇華したのさ。ならば当然、僕の存在の基礎となるのは、この右腕。姿形に思考や記憶は、この腕を作った呪術師のものが反映される」
「はぁ……桃川の右腕から生まれたから、桃川に似てるってことか」
「うん、似てる、っていう程度だね。オリジナルは随分と呪術の深淵まで踏み込んじゃってるせいか、闇精霊の僕でも全く読み取れない不明な領域が多すぎて————残念だけど、オリジナルと全く同じ知識と経験は引き継げてはいないから。その辺はあまり期待しないで欲しいかな」
「いやいや、十分だって。俺こんなにちゃんと精霊から話聞いたことなかったし」
なんか今まで曖昧だった精霊に対する知識も、これでなんか教えてもらえそうだ。やっぱ凄ぇよ桃川は。
「だから、生まれたばかりの闇精霊である僕に、君が名前を付けて欲しいのさ————貴方の子供よ!」
「ぐわぁああ! その言い方はやめろぉーっ!!」
確かにコイツは桃川から生まれたことになるけれど! 俺は関係ねぇ! 認知はするから許してくれぇ!!
「いやしかし、俺はペットの名前付けんのは得意だけどよ……」
子供の名前なんて初めてつけるぜ。いや子供じゃないけど。
そうだ、要するにコイツは桃子ちゃんと同じような存在なんだ。たまたま桃川の姿形をもって誕生した使い魔。人間そっくりの姿をした使い魔といえば、レムちゃんも同様だ。
何も俺だけが持つ、特別なものじゃない。前例がしっかりあるし、これまで一緒に接して来た経験もあるのだから、そう身構える必要もないだろう。
「うーん……」
だからといって、桃子みたいなのはちょっと。闇精霊の闇太郎とか、黒桃川とか。なんか酷いあだ名みたいで嫌だしな。
改めて、俺の右肩に留まっている闇精霊を眺める。
顔は完全に桃川。髪型も。あっ、でもなんか目の色は赤いな? カラコン入れたみたいでカッコいいじゃねぇか。
で、着ている服は白嶺学園の制服ではない。魔法使いの爺さんが来てるような全身すっぽり覆うような真っ黒いローブにその身を包んでいる。死神のような衣装とも言えるか。
闇精霊なんだし、黒い恰好してるのは当たり前だよな。
この見た目と衣装を鑑みて、コイツに相応しい名前は……
「よし、お前の名前は『桃影』だ!」
「ありがとう、僕の名前は『桃影』」
ほとんど勢いでつけたが、思ったよりも真面目にお礼をされてしまった。
「さて、それじゃあ晴れて僕の名前も決まったし、そろそろ本題に入ろうか?」
「これからどうするか、ってこと?」
当然のことながら、俺は天送門に叩き込まれてどこかへと飛ばされてしまったようだ。
ザザーン、ザザーン、と寄せては返す波の音が聞こえる時点でお察しだが、ここは砂浜である。
如何にも南の島といったイメージに合致する、キラキラ輝く様な青い海と綺麗な白い砂浜が延々と続く、何とも素敵なビーチ。
しかしここには観光客も海水浴客もいなければ、海の家の一軒も建ってはいない。
今ここにある人工物らしきモノは、ゴロゴロと転がる崩れた遺跡の破片ばかり。折れた円柱が点々と埋もれるように俺達の周囲に立っていた。
これ、どっからどう見ても無人島なんじゃあ……
「いいや、もっと大切な、君にとって一番大切なことさ」
「おいおい、これから無人島サバイバル開始かもしれねーってのに、それより大事なことあんのかよ?」
「すぐに分かるよ。その左手に聞いてごらん」
微笑んでそう言った桃川、もとい闇精霊桃影は、俺の右肩にどっかりと座り込んだ。
いや、左手にって言われても、
「————うおっ、なんじゃコリャぁ!?」
俺の左手は切断されて移植手術なんかされてないので、何の変哲もない生身の腕があるだけのはずだった。けれど、今になって気づく。
俺の左腕、なんか白く光ってんだけど。
「なっ、なにコレぇ……なんか白い、鎖みたいな模様で光って……ってか石ぃ! なんか石ついてるぅ!?」
よくよく見れば、白く光っているのはダイヤモンドのような結晶だった。
ソレが左手の甲に、埋め込まれるようにくっついていた。
「勇者の第三固有スキル、『白の秘石』だよ」
「あっ、そう言えば、蒼真がこのスキルを使って……」
ペンダントのように白い鎖に繋がれた宝玉を出すと、闇の攻撃が悉く無効化されていた。そしてソレが俺の左腕に巻き付くと、急速に力を失い……
「暴走した闇の力を抑え込めるほど、強力な封印術さ。まったく忌々しいね」
そうだ、やっぱりコイツを喰らって俺は負けたのだ。この後の記憶が、プッツリと途切れてしまっている。
「けど、今はそんな抑えられてる感じはしねぇな」
「勇者スキルとしての効力は失っているからね」
「そうなのか、なら安心……できねぇよ。何で消えてねぇんだ」
ずっと残ってるとか怖いんだけど。これが勇者スキルを喰らっちまった後遺症なのか。
「ふふ、それを消すなんてとんでもない。すぐ分かるよ、どうしてソレが君の左手に残り続けているのか」
「はぁ、もったいぶった言い方しやがって」
俺、こういう簡単な問題だから的なやつ、すぐ解けたためしがないんだよな。こう言う奴は
大体、簡単とか言いながら引っ掛け問題でニヤニヤしながら見てるもんだ。
こんな左手と一体化しちまった気持ち悪いペンダントを見て、一体何がすぐ分かるって————
「————あ?」
俺は見た。馬鹿正直に、言われた通りによく見たんだ。
左手の甲に埋め込まれた、白く輝く結晶を。
そしたら、見えた。
「キナコ……?」
「良かったね、葉山くん。大切なモノ、ちゃんと取り戻せたよ」




