第400話 水の聖者
小鳥遊の陰謀によってダンジョンから追放された『水魔術師』下川淳之介。
放り出された先は灼熱のアヴドラン大砂漠。その古代都市の旧跡にて、彼は一人の少女と出会った。
ラティーファ・サラディナ。部族間抗争に敗れ、僅かな生き残り300名を連れて、この熱砂の果てで滅び行く運命にあった少女である。
何の因果か、二人の出会いは消え去るはずだった部族の未来を繋いだ。そしてまた、この砂漠をたった一人で生き抜くことはできなかったであろう、下川にとっても命を繋ぐ奇跡の出会い。
300人分の飲み水どころか、風呂に入れるほど大量の水を顕現させられる『水魔術師』下川は、救世主同然にサラディナ部族へと迎え入れられ、彼らの遥かなる旅路へと同行することとなった。
「————やべぇ、突っ込んでくるぞ! 気をつけろラティ!」
雲一つない晴天に猛獣の咆哮が響く中、下川が負けじと叫ぶ。
けたたましい怒りの声と共に砂煙を上げて猛進してくるのは、一体の大きな牛。
ダンドラム、と呼ばれる岩の甲殻を纏った、草食ながらも激しい気性のバイソン型モンスターであることを、すでに下川は知っている。
この過酷な砂漠の環境において、問題なく食用できる貴重な存在だ。サラディナ部族は魔物の生き血を啜って水分を取って来たのである。
そんな大切な獲物であるダンドラムだが、今ここで大暴れしているのは、稀に見るほど巨大化した獰猛な個体である。
黒々とした荒い岩石甲殻を纏った姿は装甲車か、世紀末仕様の改造トラックを彷彿とさせる。怒り狂ってデスロードを驀進する大型ダンドラムを前に、静かに剣を構えるのは若き部族の長、ラティーファであった。
「————『赤熱一閃』」
口にする武技の名は静かに。けれど振るう剣は激しく。
俄かに赤熱化した刀身から、轟々と火炎が噴き出し、その勢いでもって飛び出すような急加速でラティーファが駆ける。
荒れる猛獣と炎の剣士、互いの交差は一瞬。
ズドォオオオオオオオオオオオン————
横腹から激しい爆炎を噴いて、ダンドラムの巨躯がドっと砂の大地へと倒れ伏す。
ラティーファは振り向くことなく、静かに火と熱の消え去った刀身を鞘へと納めた。すでに、自分の仕事は終わっていると心得て。
「今だっ! トドメを刺せ!」
「うぉおおおおお、コイツは大物だぞーっ!」
横っ腹に強烈な火属性攻撃と斬撃を喰らっても尚、強靭な生命力を持つモンスターは足掻き続ける。しかし、起き上がって体勢を整えることは決して許さぬとばかりに、部族の戦士達が次々と槍を突き立て、獲物を完全に仕留め切る。
彼らに任せておけば問題ない。すでに決着はついたと安堵して、下川はラティーファの元へと向かった。
「いやー、やっぱ凄ぇな、ラティの剣は」
「そんな、私の剣などまだまだ……『炎剣術士』として、父上には遠く及んでいない」
炎を纏ってドッカンドッカン爆発するド派手な火炎の剣技を、実に羨ましいと男のロマンを隠し切れないキラキラした目で下川が言えば、ラティーファは努めて平静を装って謙虚な答えを返す。幸い、彼女の口元がムズムズと笑みを形作ろうとしていることに、下川が気づくことはなかった。
「怪我はしてないか?」
「ああ、問題ない、ただのカスリ傷さ」
「カスリ傷でも、傷は傷だろ」
ダンドラムとすれ違った時に、甲殻の棘にでも引っ掛けたのか、ラティーファの腕には薄っすらと擦過傷が残っていた。
そのかすかに赤らんでいる腕を下川は迷うことなく取った。
「あっ……」
「ったく、綺麗な肌に傷跡が残ったらどうすんだよ」
こんな褐色美少女をキズモノにするなどとんでもない、と本気で思っている下川は一切の躊躇なく自身の水魔法を行使する。
「————『薬効聖水』」
下川が患部に手を翳すと、淡い水色の輝きが灯り、ドロリとした粘液上の液体が滴り落ちる。それはスライムのようにグネグネと動き、ラティーファの腕へ纏わりつく。
『薬効聖水』:過酷な砂漠の旅路を行く中で、下川が習得した水属性治癒魔法。元々はリポーションを作ろうとしていたが、あまりにも材料不足のため、少ない素材でできる限り治癒力のある回復薬を作ろうと四苦八苦している中、もう自分の水だけで回復できるようになったことに気づき、見事に治癒魔法として完成した。その治癒力は学園塔で作ったリポーションと同等。ポーションには即効性と治癒力には劣るものの、あらゆる傷に効く万能な効果を誇る。
「どんな小さな傷でも、絶対に俺が治してやるから、必ず言えよな」
「はっ、はい……ありがとうございます、聖者様……」
真剣な表情で真っ直ぐに見つめられて、そんなことを言われたラティーファは、今度こそ表情を繕うことが出来ずに、真っ赤になった顔を背けて誤魔化すことしかできなかった。
「なぁ、その聖者様ってのも、止めて欲しいんだけど」
「うっ、しかし、その……実際に、皆に水をお恵みくださるだけでなく、癒しの御業まで施していただいているのです」
ただでさえ砂漠のど真ん中で無尽蔵に水を放出する下川の存在は、水の神が遣わした使者として崇められているのだ。その上さらに、新たに習得した治癒魔法で、分け隔てなく傷を癒して回るその姿に、さらなる奇跡を部族の人々が感じるには十分過ぎた。
そしてついた呼び名が、『水の聖者様』である。
もっとも下川としては、ラティーファを筆頭に優秀な前衛天職持ちが揃った戦士達だけで砂漠の魔物との戦闘では事足りているので、自分にできる仕事をやって必要性をアピールするのに必死になっているだけだったのだが。
水出して回復だけしているなんて、そんなの風呂を沸かせる姫野と同じ。小太郎がいたら、自分でも思いもよらぬ仕事を用意して、徹底的にこき使われているに決まっている。
「でも、俺はラティには、名前で呼んで欲しいんだよ」
「っ!?」
弾かれたように、体ごと背を向けるラティの反応に、流石に馴れ馴れしいこと言い過ぎたか、と下川は瞬時に後悔した。
自分の力がたまたま一番必要だっただけで、どこぞの王子様が如く恭しい態度で接してくれるラティに、欲が出過ぎてしまったかと。
「そ、それでは……ジュノ、と呼んでも、よろしいか……?」
ジュノって誰、と思ったが、そういえば異世界人に正確に『下川淳之介』と発音してくれと求めるのは酷な話かと気づいた。
あるいは彼女は正確に『ジュンノスケ』と発音しているつもりなのかもしれないが、都合よく働いてくれている異世界言語理解の翻訳によって、自分には『ジュノ』と聞こえているのかもしれない。
原因はともかく、この呼び方は悪くない。正直、下川にはあまり自分の名前にこだわりはない。今時、ダサいと思っているほど。
その点、ジュノの愛称は異世界ネームらしくもあり、元の名前に基づいたいい響きだと納得できた。
「おう、それじゃあ俺のことは、ジュノって呼んでくれ!」
そうして嬉しそうに笑う水の聖者と、乙女の表情ではにかむうら若き少女。二人の姿を、ダンドラムを仕留めた戦士達はどこまでも真剣な表情で見つめながら、お互いに顔を合わせて頷き合った。
「ああ、良かった。どうやら聖者様はラティーファ様を見初められたようだ」
「素晴らしい、これで我らサラディナ部族に、水の神のご加護が」
「すぐにでも婚礼の儀を」
「待て待て、聖者様との婚儀だぞ。こんな何もかも不足した状態では、満足な宴も催せない」
「うむ、一刻も早く安住の地を得なければ」
「それも、あともう少しの辛抱よ。アヴドランの神々と、祖霊の導きに感謝を————」
すでにして外堀が埋められ始めていることを、下川だけがまだ知らなかった。
なだらかな砂丘が無限に続くと錯覚しそうな場所を歩き続け、一ヶ月ほどだろうか。
魔物を狩り、点在するオアシスの恵みなどで日々の糧を得ながら、一人の脱落者も出さずにサラディナの旅路は、ついに終わりの時を迎えようとしていた。
「————おおっ、アレが『終わりの谷』かぁ!」
吹き荒ぶ砂嵐を抜けると、不意に開けた視界の先にソレが見えた。
砂丘の向こう側に、険しく聳え立つ断崖絶壁と、雲を突き抜けるほどに巨大な三角形の山影が映る。
この先、とても人間では踏み込めないような地形であるが、そそり立つ絶壁には一か所だけ、誂えたように切り開かれた谷間があった。
「間違いない、ここが『終わりの谷』だ……我々はついに、地の果てまで辿り着いたのか」
観光気分で素直な歓声を上げる下川の隣で、ラティーファは神妙な表情で終着点を眺めているようだった。
「そんな不安そうな顔するなよ。ここまで来た俺達の力を信じろって」
何の根拠もない楽観論。それでも、ラティーファの顔を見て何も言わないわけにはいかないと、下川はそう口にした。
しかし、あながちただの空元気というワケでもない。過ごした期間は僅か一ヶ月。されどお互いに命を預け合い過酷な旅を共にした、これまでのダンジョンサバイバルに勝るとも劣らない濃密な経験をしてきたのだ。
みんなの顔も名前もすっかり覚えた。頼れる強さも知っている。そして自分もまた、水魔術師として旅の中で確かな成長を果たしている。
多少の困難があろうとも、それを乗り越えて行ける自信を持つには十分な経験を下川は積んだのだった。
「ああ、そうだな……行こう、ここが我らの希望の地だ」
『終わりの谷』。アヴドラン大砂漠に住まう部族の間で、そこは地の果てと同義の意味を持つ。
それは実際に大砂漠の西の果てという立地だが、そもそも誰も足を踏み入れない砂漠の隅など、名前すら付けられないただの未開地になるのが自然である。それでも古来より、この場所が『終わりの谷』と全ての部族において伝わっているのは、かつてそこが最も栄えた伝説の都があるからである。
終わり、が意味するのは砂漠の果てにあるという立地のことではない。その都がもう、誰一人として住むことが出来ない滅び去った場所、という意味での終わりなのである。
「なるほど、こりゃあとんでもない規模の古代都市だべ……」
そんな『終わりの谷』の由来をすでに聞かされていた下川は、いざ谷間へと踏み入った時に、見上げるほどに巨大な門と、門番の如く左右に鎮座する崩れかけの巨大石像を見て、そのスケールの大きさに圧倒された。
似たような感じの遺跡、エジプトの神殿にあったような気がする……と思ったが、よく見ればその様式は全く異なる。
緩やかに波打つような、独特な曲線的なデザインの柱が突き立ち、巨大石像はどちらも鎧兜を纏った騎士のような姿をしている。
「あのダンジョンとも、微妙に違うような感じがすんなぁ」
ダンジョンにあった建築様式は、もっと西洋風というかギリシア神殿風だったと覚えている。もっとも、エリアによっては文化が全く異なるような建物もあったので、どれが本来の古代文明の様式なのかは断定しきれないが。
「こんだけデケぇ古代遺跡なら、流石にあるだろ————」
ラティーファには根拠のない発言で元気づけたものの、下川もいざ谷を進み始めたところにまで来ると、水魔術師の神に祈りを捧げたい気持ちになった。
何故、滅び去った都の跡『終わりの谷』をラティーファ達は目指して来たのか。
それは勿論、遥かなる栄華を誇った古代人と同じ場所に骨を埋めたい、などという死に場所を求めてのことでは断じてない。
ここには追放された一族が生き残るための、ただ一つの希望があるのだ。
果たしてそれは、
「あ、あった……本当に……」
それを見つけた瞬間、ラティーファは驚愕に目を見開く。
そして下川は、今や懐かしさすら覚える白い輝きに、天に祈りが届いたと内心ガッツポーズ。
「うぉおおおおお、やった、ダンジョンだぁ!」
あれほど抜け出したいと思っていたダンジョンを見つけて、これほど喜ぶことになるとは、皮肉なことである。
ほとんど更地となった都市の旧跡。その一角に、ダンジョンの入口である巨大な転移魔法陣が白い輝きを放ち続けていた。
「————やりました、ラティーファ様」
「ダンジョンの内部は、伝承の通りに緑豊かな森が広がっております」
「ひとまず、手ごろな獲物を狩って来ましたよ!」
「そうか、危険な偵察、ご苦労。よくやってくれた」
最初の偵察部隊が無事に帰還し、伝え聞く通りのダンジョンの様子であったことが報告された。
この砂と岩しかない地の果てだが、ダンジョンの中は緑豊かな大地が広がっている。
すなわち、ダンジョン内に限っては砂漠では決して手に入らない獲物や資源が大量に存在しているのだ。勿論、古代遺跡のダンジョンである性質上、伝説級の古代の遺物というお宝も。
これらを独占できれば、どれほど豊かな財を築けるだろうか。
かつて大きな部族の中には、伝承を信じて『終わりの谷』のダンジョンを手にするべく大々的に人を送って開拓を試みたことがある。一度や二度ではなく、歴史上、幾らでも。
しかし、それらが一度として成功したことはない。辿り着いた者は、多少はいただろう。帰って来た者の記録も残っている。
けれど最終的に『終わりの谷』の開拓は全く進まず、あえなく失敗に終わっていた。
それも当然、ここはあまりにも部族が暮らす土地から遠すぎる。
そしてダンジョンの中には幾ら潤沢な資源と財宝が眠っているとはいえ、モンスターが跳梁跋扈する危険地帯。常に安全、安定的に収穫ができるとは限らない。
遥かなる遠い地でダンジョンアタックを繰り返せば、いつか取り返しのつかない犠牲が出て、探索も攻略もままならない状況に陥るのは当然の帰結であろう。
「皆の者、今日までこの若輩者の長に過ぎない私を信じ、よくぞついて来てくれた————これより、ここが、この場所こそが我々の新たなる故郷となるのだ!」
それでも、抗争に敗れ追放されたサラディナ部族には、もうここしか希望はなかった。自分達が生き延びるに足る資源と、敵対部族の苛烈な追撃を逃れられる場所は、『終わりの谷』しかありえない。
自分達も無謀な先人達と同様の運命を迎えるかもしれない。むしろ、そうなる可能性の方が遥かに高い。
それでも、諦めきれなかった。希望を捨てきれなかった。
その灯し続けた希望の火は、今や真っ赤に燃え盛る大きな炎と化している。
「奇跡は起こった。我々の前に、水の聖者ジュノ様が現れたのだ」
「……」
そうやって神輿みたいに担ぎ上げるのは勘弁して欲しい、と思いはするものの、ついに目的地へと辿り着き、達成感で滂沱の涙を流して喜ぶ人々に向かって、勇ましい演説をするラティーファの邪魔をするワケにはいかない。
下川は彼女の隣で、精一杯に厳かな表情を維持して、少しでもありがたみが増すよう棒立ちするのが、今この場でのお仕事であった。
「そして伝承通り、ここには本物のダンジョンがある! 誰も見たことがないほど、緑豊かな広大な地がゲートの向こう側には広がっている!」
へぇ、ダンジョン入口の転移魔法陣のこと、ゲートって言うんだ、などと他人事のような感想を思い浮かべながら、下川は自分の仕事に集中。神妙な顔で、ラティーファの言葉に相槌を打つ。
「信じよ、我らサラディナ部族は蘇る。いいや、これから始まるのだ」
バッと手を掲げて叫ぶラティーファは、どこまでも凛々しく、美しい。
カリスマってこういうことを言うんだべ、と呑気に下川は頭の中で、ラティーファと小太郎を並べて理想のリーダー像について思いを巡らせる。
やはり人の上に立つ者は、カリスマ的な魅力を備えているか、人を容赦なく道具扱いして使い倒せるサイコ野郎でもなければ務まらないんだな、と。容姿も能力も普通で、進学校にいるくせにイキって不良の真似事していた、凡庸な自分では到底無理な立場だと改めて実感した。
「我らには水の神の加護がついている! 必ずやサラディナは、あの憎きゼアル共を討ち滅ぼし、アヴドランの正統なる支配者として君臨するのだ!!」
「えっ」
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
下川が素で漏らしてしまった言葉は、天を衝くほどの大歓声によってあえなくかき消された。
「今ばかりの、僅かな栄華を精々楽しんでいるがいい。ゼアルよ、我らの報復からは決して逃れられんぞ。同胞達よ、決して屈辱を忘れるな。復讐の時まで、怒りの炎を燃やせ、恨みの刃を研ぎ澄ませ」
「……」
ちょっと待ってくれ、なんか思っていたのと違う。
これからダンジョンの収穫をちょこちょこ得ながら、慎ましくここで暮らしていければそれでいい。できれば、褐色美少女のお嫁さんも出来るといいな、なんて呑気な考えでいたのだが、
「掟破りの大罪を犯したゼアルを決して許すな! 我らの手で報復を! 我らの手に、アヴドランの栄光をっ!!」
凄まじい熱気と熱狂に包まれる中で、下川はまずい連中の仲間に加わってしまったかと後悔しかけたが、
「ま、まぁ、何とかなるべ」
そこで楽観視して考えることを止めてしまうのが、常に最悪の危機管理に備える小太郎との決定的な違いであることに、下川が気づくことはなかった。




