第398話 クリア報酬(3)
「あの、杏子、これは……」
「このまま」
「え」
「もう少し、このままでいて」
そう言われた僕は、ベッドの上で杏子に抱きしめられるがままであった。
どうしてこうなったか、と言えば、会いに来た矢先にこうなったとしか言いようがない。
通路で出会った天道君に、杏子が目覚めたことを聞いて、余計なことは何も考えずにそのまま真っ直ぐ見舞いに向かった。
本当に目を覚ました彼女と一言二言、言葉を交わしたらそのまま、というワケだ。
「……」
そしてしばしの間、無言の時が流れて行く。
正直、気まずいというより苦しい。どこがと言えば、寝間着の薄着である杏子に思いっきり抱きしめられて密着しているのだ。みんな、もっと僕の理性を褒め称えてくれてもいいと思う。
「小太郎」
「うん」
いよいよか、と杏子が切り出し僕も覚悟を決める。
「ウチが聞くまで、何も言わないで」
「……うん」
何のこと、と素知らぬ顔で問い返すほど鈍感ではないつもりだ。
こういうの、女の子は鋭いって言うし……多分、杏子は僕の顔を見た瞬間に、メイちゃんと一線超えたことに気づいているのだろう。
「ごめん、もうちょっと寝るわ」
「まだゆっくり休んでいた方がいいよ。あの魔人化、明らかに限界超えた力使ってたし」
「次もう同じことできるか分かんねー」
「あんな無理しなくてもいいように、なればいいんだけどね」
ようやく杏子が熱い抱擁を解いてくれたので、僕はベッドから立ち上がる。
とりあえず、今日のところは休息優先だ。悩ましい話は、後回しにすればいい。僕らにはもう、命がけで戦わねばならない敵など、いなくなったのだから。
さて、これで生き残ったクラスメイトは全員無事に目覚めた。
突如として始まった白嶺学園二年七組ダンジョンサバイバルは、天道龍一、桃川小太郎、蒼真桜、姫野愛莉、双葉芽衣子、蘭堂杏子。以上出席番号順、男子2名、女子4名の合計6名が残ったこととなる。
「たったの6人か……」
食堂に全員集合すると、あまりの人数の少なさに思わず口から漏れてしまう。
幼女レム、桃子、リベルタ、と人外メンバーもいるが、それでもセントラルタワー攻略前と比べて、すっかり寂しくなってしまった。
「俺らの中で死んだのは、中嶋とキナコだけ。アイツらを相手に、これだけの犠牲で済んだのはマシだろう」
まだ包帯が外せない天道君の言葉は酷い言い草のように思えるかもしれないが、実際その通りではある。下手すれば全滅、勝てても何人犠牲になるか。
誰も死なないよう最大限の努力と準備はしたけれど、それは決して無傷の勝利を約束するものではない。勇者も賢者も、結局は僕らの想像を超えた力を発揮してきたし……それを、言ってみれば不意打ちのみで命を落とした二人だけで済んだのは、不幸中の幸いと言わざるを得ない。
「これでようやく、僕らの敵はいなくなった。ダンジョンサバイバルもお終い————だけど、元の世界に帰れるワケじゃないからね」
餌はあくまで三人が安全な場所に脱出できるというだけ。元の世界に帰す、とは約束されていない。
僕としては正直、帰れるとは思えない。
ここはオーバーテクノロジーな古代遺跡の最深部。そこまで至っても、元の世界へ帰る、すなわち別な世界へと渡る手段については、全く可能性の欠片も見当たらなかった。
少なくとも、古代文明の時代においても気軽に海外旅行へ行く感覚で異世界へ渡れるような状況にはなかったことは間違いない。
帰還方法を探すのは、正しく雲を掴む様なものとなるだろう。
「もし今すぐ帰れるとしても、喜んで帰る奴なんてここには一人もいないと僕は思ってるよ」
「えー、帰れるなら帰ればよくね?」
「杏子のそういう素直なとこ好き」
すっかりいつも通り、といった杏子の気怠い雰囲気に安心感を覚えるね。ギクシャクするのは辛いから。
「当然、帰れるはずがないでしょう。失った者を取り戻すまでは」
すっかりヤル気の桜ちゃんが言う。
そう、小鳥遊がアホみたいに脳死でバンバン追放しちゃうもんだから、ダンジョンからどことも知れぬ場所へと転移されたクラスメイト達が結構いる。
まずは下川。
僕と杏子が学園塔から消えた後、小鳥遊疑惑を追及しすぎたせいで消された、と思われる。まったく、君のスタンスは決して間違ってはいないけれど、あの時点では相手の方が優勢だ。疑いを持っている、ことそのものを悟らせないで行動するのがベストだったね。
小鳥遊を炉に足止めする、死んだクラスメイト達の中に下川もいたけど、僕は彼が死んだとは思ってないよ。でも小鳥遊は絶対死んでると思っているから、死者面子に含めただけの演出である。
着の身着のまま飛ばされた下川は、再びサバイバル環境に晒されると厳しいスタートとなるけれど、彼の水魔法があれば十分に生き延びる目があるはずだ。下川の実力と運に望みをかけよう。
次に飛ばされたのは山田。
本性現わした小鳥遊へ、いの一番に襲い掛かった勇士だが……やはり短慮に過ぎた。君が残っていれば、最後の戦いも犠牲を出さずに済んだかもしれなかった。
そんな山田は下川よりも、遥かに生存力が高い。まず『重戦士』の優れたステータスは、サラマンダー級のモンスターか、人間の生存そのものが困難な環境でもなければ、まず死ぬことはない。
そしてあの時の山田はしっかりと装備に身を包んでいる。ザガン相手にズタボロにされたせいで、元々の装備は壊れたけど、玉座の間でのインターバルで予備を再装備させている。物資の入った鞄も一応は持っているし、再び別なダンジョンサバイバルがいきなり始まってもスタートダッシュ切れるだけの能力と装備がある。
それから、山田の直後に飛ばされた上田と芳崎さんのコンビ。
あれは二人一緒に同じ場所へ飛ばされたのか、それともバラバラになったのかは分からないが、それでも山田と同じく再装備を済ませている。よほどの悪環境と不運に見舞われない限りは、問題なく生き延びられるはずだ。
そして最後の追放者となってしまった、葉山君。
蒼真悠斗の舐めた配慮のお陰様で、恐らくベニヲ・コユキ・アオイ、の三人も葉山君と同じ場所へと飛んでいるはず。もしバラけたら……みんなは強く野生の世界を生きてくれ。
ともかく、葉山君は目下一番心配である。なにせダークリライトで力を暴走させた挙句に、なんか勇者のチートスキルで封印喰らって放り出されたのだ。
飛んだ直後にゴーマの一匹でもエンカウントすればお終いだ。まず間違いなく、葉山君は魔力切れでぶっ倒れている。ベニヲ達が守ってくれなければ、あらゆる危険に晒されてしまう。
葉山君はもう、彼の幸運に祈るばかりである。でもここぞという時の運を彼は持っている方だと思うから……無事だと信じたい。
「勿論、蒼真悠斗は一番最後だから」
「……ただの嫌がらせで言っているワケではない、と思いたいのですが?」
睨みつけるように言う桜ちゃんだけど、ヒステリー起こして叫んでこないのが成長の証だと思っておくよ。
「当たり前じゃん。飛んだ先は正規の脱出先で、アストリア王国の王都シグルーンにある神殿だ。唯一、身の安全が保障された場所なんだから」
委員長と夏川さんも無事だろう。
どうもクソ女神の支配が及んでいそうな怪しさ満点の王国ではあるが……本物の勇者様たる蒼真悠斗が一緒にくっついているから、安易に処刑されたりはしないだろう。
どうせお前のことだ、たとえ委員長と夏川さんの二人が自分を裏切ったと思っていたとしても、自分の手で殺すことはできないだろう?
「場所が分かってりゃあ、一番探しやすいだろ」
「向こうは僕らのことを知っている。探るのは僕らだけで、奴らにこっちを探られるのは絶対に避けたい」
アストリア王国は敵国だと仮定すべきだ。
クラスごと異世界転移されるあの時、介入してきたのだ。口先では転移は事故で、手助けするために天職を授かる魔法陣を教えたが————全てクソ女神の勇者育成計画のための舞台作りに過ぎなかったのだ。
エルシオンの意思に従っているのか、知らずに利用されているのか、それは今の時点では断定しきれないが、どちらであってもクソ女神の以降に沿うよう動く王国なのは事実である。
そんな国、信用できるはずがない。場合によっては、お前らもゴーマ王国と同じ末路を辿らせてやるからな。
「だから、王国を探るのは慎重に。天道君、くれぐれもいきなり殴り込みに行ったりしないでよね」
「するか」
どうだろう、ちょっとでも気に食わないことあったら、リベルタに乗ってカチコミかけに行きそうだから。桃子もストッパーとして期待できないし。
「そういうワケで、最優先は他の飛ばされたクラスメイト達の捜索と救出だよ」
「でも、みんなは本当にどこに行っちゃったか分からないよね」
「流石に手がかり、無さすぎるんじゃない?」
メイちゃんと姫野が至極真っ当なことを言う。
そう、困ったことに手がかりはマジで一切ないのである。
この異世界が地球と同じ面積があり、陸地限定でランダムに転移したと仮定しても、ちょっとどうやって探していいか分からんレベルの難易度だ。
「手がかりは、時間が経てば見つかると思う。今の僕らみたいに、ダンジョンの奥地に引き篭もらない限りは」
彼らの能力からして、再びサバイバル状態で放り出されたなら、まず最初の行動方針はやはり人里を目指すことだろう。
すっかり快適なダンジョン生活に慣れ切った昨今であるが、この生活環境を成立させるためには僕レベルの錬成術がある上に、生きた古代遺跡の恩恵も必要なのだ。異世界にダンジョンが幾つあるのかは知らないが、ここと同レベルの規模の古代遺跡がそうそうあるとは考え難い。
天職の力をもって無事に人里まで辿り着いたなら、そこから先はサバイバル能力ではなくコミュニケーション能力次第である。ようやく人間社会で生きていける。
「みんな天職持ちの実力者だ。このモンスターがいる剣と魔法の世界で、あれだけの力があれば目立つはずだよ」
「まぁ、一端の兵士にはなれるだろな」
騎士として名を上げる、あるいは冒険者という存在があってもおかしくない。
少なくともリベルタの証言によって、古代のアルビオン時代の人間は、元々の僕らと同じく何も特別な能力など持たない存在だ。
そこに武技や魔法の才能があり、さらに天職を授かればより強力な力を得る、という。
天職は誰もが授かれるものではない。一部の限られた者にのみ与えられ、その資格を持たない者が無理に得ようとすれば……僕が最初に見た死体である高島君と同じ末路というワケだ。
恐らくはこの時代に生きる人間も、変わりはないはず。ならばすでに天職を授かり、その力を磨いて来た彼らの力は十分に強力だ。
「喧嘩してなきゃいいけどな。マリとか結構、すぐ手ぇ出る方だし」
「一緒にいるのも上田君だしね」
それが人間社会の怖いところだ。郷に入っては郷に従え。いい言葉だけれど、自分の常識から考えれば不条理な法を敷く社会である可能性だってあるのだ。女性は顔を出すことも許されないルールだってあるんだし。
そういうのと真っ向から反発してしまった場合、残念ながらお尋ね者、アウトロー路線一直線である。
嫌だよ僕は、懸賞金ウン億ゴールドと記されたクラスメイトの似顔絵が、酒場に張られているのを見るのは。
「みんなが無事にやって行けるかどうかは、祈るしかないね。だから僕らは、まずは彼らを探しにいけるだけの準備を整えないといけない」
「だからまた俺らをこき使おうってだけの話だろ」
「ふふん、みんなで一緒に頑張ろう?」
僕が協力を呼びかければ、にこやかな笑顔を向けてくれるのはメイちゃん一人だけであった。
おい、このダンジョン攻略を果たしたカリスマリーダーに向かってその態度はないんじゃないの?
みんなのヤル気はともかく、クラスメイト捜索&救出の方針に反対する者は一人もいなかった。これでようやく僕らも外の世界へ行ける。
ここでのダンジョン生活も、あともう少しかな————
「こんにちは、妖精さん。先日はどうも、ありがとうございました」
パンパンと二礼二拍手一礼で、真の妖精広場にある妖精さん像に、僕はお供え物と共にお参りをした。
今日も噴水の上で不動の万歳ポーズを貫く妖精さん像は、もう僕に向けて一撃必殺レーザーを撃ち込んでくることはない。
ここはセントラルタワー一階フロアにある、あの攻略不能であった妖精広場だ。
小鳥遊が死んでアルビオン総督がいなくなったので、再びこのセントラルタワーの支配権は軍事権を握る天道将軍閣下の元へと戻って来た。
この妖精広場の迎撃モードをオンにしておくのは危険すぎるので、真っ先に解除。そして晴れて、最下層の天送門広場と一階エントランスフロアとの直通転移が開通というワケだ。
彷徨う狂戦士はここから、小鳥遊の封鎖権限を破って、僕の元へと降りて来た。何故か妖精さん像と一緒に転移してきたが、あれに秘密があるのだろうか。
タワーの権限じゃなくて、妖精そのものに頼んで転移してもらった、とか。呪術の奥義である『告死の妖精蝶』は名前的にも効果的にも妖精由来の力だ。ルインヒルデ様が妖精と何かしらの関わりを持っているのは間違いないだろう。
僕が信仰するのは唯一神ルインヒルデ様だけど、過激な一神教徒ではない。だから同格の神様として祀るのに問題はない。八百万の精神である。
「ここに神社でも建てようかな」
突破不可能の最凶ギミック付きではあるものの、なんかもう精神的に妖精広場という場所に安心感を覚えるんだよね。本物の加護を宿した真・妖精さん像もあることだし、ここを妖精神社として奉ってもいいかもしれない。
なんて事を考えていると、背後で転移の光が瞬いた。
「あっ、杏子」
一人で現れたらしい杏子は、真っ直ぐに僕の元まで歩いて来ると、
「小太郎」
いきなり抱きしめられた。
「んんっ————」
いきなりキスもされた。熱烈なヤツを。
抵抗するなどとんでもない。僕はただあるがまま、求められるがままに受け入れる。
「————好きだぞ、小太郎」
「僕も好きだよ、杏子」
その言葉に嘘偽りはない。
けれど当然、僕には求められるわけだ。双葉芽衣子と蘭堂杏子。こんな僕を愛してくれた、二人の魅力的な女性のどちらを選ぶのか。
ダンジョン攻略中は恋愛禁止ルールを盾に、答えを先延ばしすることができた。僕自身も、一線を越えることを耐えることが出来た。どうやら無駄な努力ではあったようだけど、それでも結局、耐えきったのだ。
けれど、もうあの頃には戻れない。僕はもう、その先へと進んでしまったのだから。
「双葉に先越されちまったけど……そんなもんで、ウチが諦めると思うなよ」
「うん」
「だから————」
スルっと実に自然な流れで、僕の着ていた学ランが脱がされた。いつの間にかボタンが外され、あっ、と気づいた時にはシャツがまくられる。
「えっ、ここでするの……?」
「いいじゃん、ここでこういうコト、したかったでしょ小太郎も」
イエス、アイアム。
「でも噴水前のど真ん中はちょっと」
「しょーがねーなー」
なんかつい恥ずかしさが勝って女々しいことを言ってしまった僕を抱えて、杏子が妖精胡桃の木陰へと歩く。
柔らかい芝生の上に仰向けに寝転ぶと、杏子はその場で流れるような動きで制服を脱ぎ去った。
燦燦と日が照っているような明るさの妖精広場で、そのヒョウ柄下着に包まれた褐色の肉体を惜しげもなく晒す彼女の姿に、僕は思わず視線を逸らしてしまう。
逸らした視界の端に、不動のはずの妖精さん像が一瞬、こちらをチラ見しているように見えたのは、果たして気のせいか。
「双葉に負ける気はねぇからな」
そう言ってギラギラ輝く瞳の杏子に迫られると、もう僕は本当に何も考えられなくなってしまった。




