第397話 クリア報酬(2)
「こんないっぱい強化できるんならっ、もっと早くエッチしてれば良かったぁああああああああああああああああああああああああああ!!」
一体、僕が我慢していたのは何だったのか。
やっぱ童貞野郎の方が弱ぇんじゃねぇかよ。さっさと大人の階段登れば良かったんだ。
これだけの強化魔法の数々を授かっていれば、もうメイちゃん一人で勇者ぶち殺せたんじゃないのか。淫紋ブーストで勇者ソロ討伐余裕でした。
「……いや、やめよう」
もう済んだことだ。悔しいが、悔いても仕方がないことはある。
それに、実際に経験したことで僕は理解した。分からされたと言ってもいい。これが最近流行りの分からせか。
「女で身を持ち崩す奴の気持ちが分かったよ」
あんなの経験したら我慢できるはずがない。いや、そうと分かっていて自制をしていたワケだけど、僕の妄想を遥かに超える衝撃的な初体験だったのだ。
やはりAVとエロ同人だけで分かった気になるものではない。これが本物なんだね。こんなの永遠に溺れるわ……メイちゃんの谷間に沈んで、二度と上がって来れなくなるわぁ……
「だから、これで良かったんだ————なぁ、小鳥遊?」
静かな夜の湖面のように、漆黒を映す大きな円形魔法陣へと、僕はそう語り掛けた。
『黒魔女の煉獄炉』は、今もまだ回り続けている。取り込まれた小鳥遊はとっくに分解されて肉体は消え去っているが、錬成はいまだ終わらない。
「うーん、この感じだと……また素材集めしないとダメかも」
小鳥遊を素材にして、何を作るのか。何が出来るのか。
それは錬成している僕にも分からない。
けれど、何を素材として欲しているのかは何となく理解できる。これはきっと人の与り知らない、神のレシピなのだろう。
ならば女神様の忠実な信徒である僕は、ただ導かれるがままに従うのみ。
時間はあるし、仲間もいる。後で材料を集めに行こう。
「じゃあな、小鳥遊。次に会う時は、今度こそみんなに貢献できる立派なアイテムになるんだぞ」
白い円柱が立ち並ぶ、古代神殿様式の大浴場は白い湯気に満ちている。
美しい天使を模った像が担ぎ上げている水瓶から、湯が滝のように流れ巨大な湯船へと注がれていた。
瀟洒な造りの湯船を独占するのは、双葉芽衣子。母性の塊のように豊かな肉体を誇るその姿は、さながら地上に舞い降りた豊穣の女神が如く。とても狂戦士という強大にして凶悪な力が宿るとは思えない艶姿に声をかけたのは、
「双葉ちゃん」
「あっ、姫ちゃんも来たんだ」
姫野愛莉。クラスでただ一人残った、元からの友人である。
「……なんか色っぽくなってる」
「ふふ、そうかな? そうかも」
並みの男ならそれだけで卒倒しそうな、艶やかな微笑みと圧倒的な肉感の裸体。けれどそれを直視するのは『淫魔』姫野。
晴れて大人の女性となった友人を素直に祝福すべく、堂々と芽衣子の隣に並んで座る。
二人が並べば、残酷なまでのスタイル格差が明らかとなり、どちらが淫魔なのか分からないほどだが……愛莉は努めて、気にしないようにした。世の中、上を見てもキリがないのだ。
「ありがとう」
「いいって、双葉ちゃんのためだもん」
友人の献身的な協力に謝意を述べれば、なんてことないように愛莉は返す。
芽衣子は嘘を吐いていた。
小太郎が目を覚ました時、姫野もとっくに起きていた。
戦いの後、最初に復活したのは桃子で、彼女がこの高級居住エリアへと全員を搬送したのは本当のこと。そして芽衣子が目覚め、直後に愛莉もすぐに目覚めた。
友人同士の二人が顔を合わせれば、まずは互いの無事を喜び合い————そしてすぐ、芽衣子は愛莉に頼んだ。
「私が小太郎くんの初めてを貰う。お願い、姫ちゃん、協力して」
「えっ、それ男視点の台詞じゃあ————」
「協力して」
細かいことなどどうでもいい。学園では平穏に、ダンジョンでは苦楽を共にしてきた、かけがえのない親友の頼みである。まして燃え上がるような色恋沙汰となれば、ここで力にならねば女が廃るというものだ。
「まぁ、邪魔が入らなくて何よりだったね」
「蘭堂さん、本当に限界まで消耗していたけれど……でも、どうしても心配だったから」
姫野の役目は万が一、蘭堂杏子が目を覚ました時の足止めである。
芽衣子と杏子。この二人が桃川小太郎を巡る恋のライバル関係にあることは、公然の秘密であった。知らぬ者はおらず、かといって公に口にする者はいなかった。それを口にしてしまえば、戦争になることは火を見るよりも明らか。
委員長は当事者三人を除いた全員を集めて、絶対にこの件については冗談でも口にしないようにと厳命していた。恋愛禁止ルールは、いまだ有効だったのだ。
けれど、ダンジョン攻略が終われば話は別。
生き残ったクラスメイト達は天送門まで辿り着き、そして裏切りの賢者の陰謀さえ乗り越えて、ついに自由を手にしたのだ。
ここまで来れば、もう歯止めは効かない。
小太郎とて、体の関係を拒否し続ける最大の理由を失った。
そして何より、芽衣子自身が限界だった。
「おめでとう」
「ありがと、姫ちゃん」
「一応聞いておくけど、桃川君、潰れて死んだりしてないよね?」
「そっ、そんなコトにはならないよっ!」
「いやぁ、この体格差で上手くいくのかと、経験豊富な私でも未知数だったから」
「小太郎くんは、その……ふふっ……」
「えっ、なになに、何よぉ?」
「ええぇ、何でもないって。別に普通、普通だよ」
「いや絶対なんかあるでしょ。教えてよ、ここだけの話、絶対秘密にするからさ————」
そうして女同士の猥談に花を咲かせる二人の姿は、過酷なダンジョンを踏破した冒険者ではなく、どこまでも普通の女子高生のようだった。
「んっ……ここは……」
見知らぬ部屋で、桜は目を覚ました。
直後に自分が戦いの最中にあったことを思い出し、俄かに体が臨戦態勢に入るが、
「おはよー、桜ちゃん」
見知った顔が、いつもの小生意気な表情で視界に割り込んで来て、戦意は散った。
「桃川……」
この男が日向ぼっこする野良猫のように呑気な顔を晒している以上、もう戦いの時は終わっている。自分でも不思議と、桜は小太郎の顔色一つで何よりも如実に、自分達の勝利を確信したのだった。
「顔が近い。退きなさい、不愉快です」
「開口一番ド無礼発言とは、流石だよ桜ちゃん」
しっしっ、と羽虫を追い払うように顔を覗き込んでくる小太郎を押し退け、桜はベッドから起き上がる。
体調は、お世辞にも万全とは言えない。相当な疲労感が蓄積されており、何より魔力の消耗が明確に分かる。ひとまず昏睡状態から回復できたという程度で、万全には程遠い状態だと察した。
勿論そんな体調にあることは、とっくにこの賢しい呪術師は見抜いているだろう。
「無理はしない方がいいよ。やっぱ『聖天結界』がシールドブレイクすると、凄い反動あるみたいだし」
「……どうやら、そのようですね」
「ありがとね、僕達を守ってくれて」
「別に、貴方のためではありません。クラスのためですから」
脳裏に蘇るのは、大守護天使と小鳥遊が呼んでいた巨大なロボット兵器から照射された破滅的な閃光を、考える間もなくただ必死で防ごうとしたこと。眩しい光に包まれ、全身が焼き尽くされるような灼熱を感じ、そこで桜の感覚は全て途絶えた。
あれは正しく死の感覚。
もしかすれば、この桃川小太郎は自分を迎えに来た天使なのかもしれない————だとしたら、自ら地獄へ落ちる気構えだが。
「終わったのですね」
「うん、終わったよ」
「小鳥は」
「死んだ。僕が呪い殺した」
当たり前のことを聞いてしまった。彼女を殺さねば、戦いは終わらない。
万が一、小鳥を取り逃すような結末になっていれば、小太郎はさっさと桜を叩き起こして、次の戦いの準備を始めているだろう。
「酷い女だ、あんなに必死に庇ってたくせに、死んだと聞いても涙一つ流さないんだね」
「皆を騙し、裏切り、最悪の敵であった者になど、かける慈悲は持ち合わせてはいません」
平然と言い切ったが、本心は小太郎の嫌味の通りだと気づいてしまった。
大切なクラスの友人であるはずだった。確かに小鳥遊小鳥は自分達との友情全てを裏切り、自ら敵となることを選んだが————それでも、かつて友であった事実に変わりはない。
ならば彼女が死に、最早その悪事も陰謀もなくなったならば、素直にその死を悼むのが人の心というものではないだろうか。少なくとも、自分にはそんな人として当たり前の情緒があると思っていたが……不思議と、この胸に込み上げる気持ちは何もなかった。
「相変わらず、正義の断罪に迷いがないねぇ」
「そうでもありませんよ。これも、貴方なんぞと馴れ合ってしまったせいでしょうか」
「うわ、流れるように僕のせいにしてるよこの女」
「認めると言ったのです。貴方の言う通り、どうやら私は小鳥の死を悼んで涙を流せるような情などない、酷い女であったのだと」
自分は変わってしまったのだろうか。正しいことを、自分の正義を、一切の迷いなく貫いて来たが……信じるに足る正義とは、一体どこにあるのだろうか。
「成長したね、桜ちゃん。死んでもそんなコト言わなそうだったのに」
「これが成長などと、思いたくはないですね」
小太郎に影響されたなど、断じて認めたくはない。あくまで、自分で気づいた変化なのだ。
「ありがとうございました」
だから、今の桜は素直に礼を言うこともできた。
素直に頭を下げた桜に対し、小太郎は狐に化かされたような顔をする。それから皮肉の一つでも言ってやろうかと喉まで出かかったが、それを飲みこんだ。
「いいってことよ。僕らもう友達じゃん?」
「勘違いしないでください。貴方に友情など感じていませんから。これはあくまで、役目を果たしたことへの感謝と労いの言葉に過ぎませんからね」
「一瞬でも君に心を許した僕が馬鹿だったよ……」
やっぱ皮肉で煽り倒せばよかったと心底後悔する小太郎であった。
「それでも、私の感謝は本物ですよ。桃川小太郎、貴方の力がなければ、私達はここまで来れなかった」
「……まぁ、桜ちゃんがようやく僕の力を認めてくれただけ、良かったとしておくよ」
どちらともなく、二人は握手を交わした。契約を果たしたことを、確かめるかのように。
「貴方の力を見込んで、頼みがあります」
「飛んでったお兄ちゃんを探しに行きたいって?」
やれやれ、と溜息を吐きながら、これ見よがしなジト目で桜を見つめる。
「勿論、共に飛ばされてしまった涼子と美波も探し出さねばなりませんから」
「いいよ、そんな取ってつけたような理由言わなくても」
「桃川だけに任せていたら、涼子と美波しか連れ帰って来ないでしょう。だから、私が兄さんも探せるよう、お願いしているのです」
ちっ、スルー力も成長してやがる、と舌打ちしながら小太郎は首をひねって唸る。
悩んでいるような素振りをしているくせに、自分でも答えはとっくに出ているだろうに、と桜は見抜いているが。
「しょうがないにゃあ」
渋々といったように口を尖らせるが、やはり小太郎は承諾した。
「となると、天送門を開けないか試さないといけないし、色々と準備が必要になるよ」
「また、すぐ忙しくなりますね」
ゴールまで辿り着いたとしても、ここが空間ごと歪んで広がった、広大なダンジョンであることに変わりはない。この環境で繁殖、繁栄をした野生のモンスター達は、女神の使徒が消えたことになど全く関わらず、今日もその強靭な生命を謳歌しているのだ。
「とりあえず、桜ちゃんも回復しないことには何も出来ないんだから、ゆっくり休んでおいてよね。またお見舞いに来るから」
「次はちゃんとレムも連れて来なさい」
「母親面厄介ファン……」
どこまでも失礼な捨て台詞を残して、小太郎は退室して行く。
桜はそんな小太郎の言葉を聞いて、日常に戻って来た実感を覚えて自然と微笑んでいたが————直後に、やっぱり奴の余計な一言は腹立つなと思い直し、不機嫌顔でベッドに再び寝転ぶのであった。
「————やぁ、天道君も桜ちゃんのお見舞いかい?」
捨て台詞を残して退室した矢先、僕は天道君とばったり出くわした。
「まぁな、そんなところだ」
「まだ寝ていた方が良かったんじゃないの?」
「桃子がうるせぇからよ」
ウンザリしたように言う天道君の全身は、包帯でグルグル巻きになっている。見た目的にも、実質的にも重傷者だ。
幾ら防御していたとはいえ、勇者様の必殺技をその身で受け止めたんだから。
「戦いは終わったよ」
天道君はついさっき目覚めたのだろう。
一番酷い負傷を負っていたから、まだ目が覚めるには数日を要するだろうと思っていたけれど、もう起きて動き回るとは。流石は王様、メイちゃんに匹敵するタフネスだ。
「ああ、聞いてる。やったな、桃川」
「友情、努力、勝利!」
「ふん、小鳥遊の墓前で聞かせてやれ」
残念ながら、アイツの墓は用意できそうもないけどね。安らかにあの世へ旅立つには、まだ早すぎる。
「すまねぇ、手間をかけさせちまった」
「土壇場で蒼真悠斗を庇ったこと?」
確かに天道君が止めに入らなければ、両腕を切断されて致命的な隙を晒した勇者をそのまま仕留めることが出来た。直後に『神判の腕』を発動させたせいで、あわや逆転されかけたワケだけど、
「気にしないでよ、それも織り込み済みで僕らは手を組んだんだから。メイちゃんを守ってくれて、ありがとね」
「俺の失態だ。あんなもんでチャラにしたとは思っちゃいねぇよ」
「ふふん、それじゃあまた色々と協力してもらおうかな。桜ちゃんのワガママで、すぐにまた忙しくなりそうだから」
「俺はいいが、あんまりリベルタに荷運びばっかりさせんなよ」
「適材適所って大事なことだと思うの」
リベルタも順当に自前の魔力を消耗しただけだから、すっかり元気である。
倒すべき強敵がいなくても、あの空輸能力は唯一無二。またよろしくお願いしますね、リベルタ運輸さん。
「張り切るのはいいが……お前もこれから大変じゃねぇのか?」
「そりゃあ、やりたいコトがいっぱい————」
「蘭堂が起きたぞ」
その一言で、僕は一瞬で固まる。
いや、その、何もやましいことはないんですけどぉ……
「頼むから、もうクラスで殺し合いは勘弁してくれよな」
ポンと僕の肩を叩いてから、天道君は桜ちゃんの部屋へと向かって行った。




