第396話 クリア報酬(1)
「ん、うぅん……」
ぼんやりと意識が戻って来る。気怠い体と靄のように纏わりつく眠気に、覚めかけた目を再び閉じてしまいそうになるけれど、
「おはよう、小太郎くん」
「んあっ……メイちゃん……?」
おはようございます。
覗き込むように彼女の柔らかな微笑み顔があったものだから、反射的に挨拶を返しながら、僕の意識は夢の世界から覚醒へと傾き始めた。
「具合はどう? 痛いところはない?」
「あー、どうせ魔力切れしただけだから、別に怪我とかは大丈夫……っていうか、ここどこ?」
ようやくマトモに思考が回って来たことで、色々と気が付いてくる。
小鳥遊を錬成で始末した後、ついに僕の魔力も限界を迎えてその場で倒れた。そして目覚めた時には、こうしてベッドの上にいたわけで。
薄灯りに照らされた室内は、隠し砦の一室と似た感じはあるけれど、別物だと一目で分かる程度には異なる内装をしていた。隠し砦の方は兵舎も兼ねているから武骨な感じしたけれど、こっちはちょっとお高いホテルみたいな雰囲気。
少なくとも隠し砦を隅々まで把握している僕でも見覚えがないということは、あそこに戻ったというワケではないだろう。
「ここはまだセントラルタワーの最下層だよ。多分、小鳥遊が住んでいたエリアだと思う」
「なるほど、アイツの居住エリアがすぐ傍にあるに決まってるよね」
蒼真悠斗を監禁して、イチャラブ同棲生活を送っていた場所だ。色恋に現を抜かしてくれていたお陰で、本当に助かったよ。
小鳥遊の能力でガチれば、僕らのタワー攻略も勇者と賢者との最終決戦も勝ち目はなかっただろう。
「みんなは」
「残っているみんなは無事だよ。まだぐっすり眠ってる」
「メイちゃんは大丈夫なの?」
「私もついさっき起きたところなの。もう十分、休ませてもらったから平気だよ」
確かに強がりではないようで、メイちゃんの顔色はすこぶる良い。流石は狂戦士、回復力も凄まじい。
「そっか、それなら良かった。というか、それじゃあ誰がここにみんなを運んでくれたの?」
「桃子ちゃんが一人で頑張ってくれたみたい」
なんだと、桃子、死んだはずでは……確かに小鳥遊の『フォースエッジ』で真っ二つになって実体化していた体は一度消滅していたぞ。
『侍女』という使い魔である桃子に死の概念はないけれど、復活するには術者が再召喚しなければ、現れることは出来ない。
「アイツ、天道君が気絶してても勝手に出て来れるのか……どこまで自由なんだ」
「ふふ、桃子ちゃんのお陰だね」
まぁ、目覚めたら煉獄炉の前から、ってのは寝覚めが悪い。みんなも天送門広場の硬い床の上にごろごろ寝転がったままでは、体も休まらないだろう。
上等な質感のベッドに寝かせてくれたことは、素直に桃子に感謝である。
「その桃子は?」
「今は天道君のお部屋にいるよ」
「悪戯でもしてんのかな」
「そっとしておいてあげようよ」
僕としても、今のコンディションで小うるさい桃子の相手はしたくないかな。主従水入らずで、ゆっくりしているといいさ。
「天送門に異常は?」
「何もないよ。戦いの跡がそのまま」
それはそうだろう。万が一にでも小鳥遊が再び神の奇跡で蘇り復讐を開始していれば、こんな呑気に目覚めていられない。
でも心配だから、すぐにあの天送門広場には監視をつけておかなければ。
「『双影』……はまだちょっとキツいかも」
「小太郎くん、無理したらダメだよ」
「いやぁ、ここはちょっと無理してでも呼ばないといけないから————来い、レム」
何時間かの仮眠で回復したなけなしの魔力を振り絞って、まず呼び出すのはレムだ。
ベッドから手を翳せば、すぐにドロドロと混沌が渦巻き、中から真っ白い幼女の姿が現れる。
「れぇーむぅー」
「レム、おいで」
僕が呼べば、ベッドの上にレムがよちよち上がって来る。
「よくやってくれた、レム。ありがとう」
「はい、あるじ」
ギュッと抱きしめて、勝利の味を嚙みしめる。
本当に、最後の最後までレムは活躍しっぱなしだった。分身よりも僕の意を汲んで、戦闘も支援も幅広くこなしてくれた。
「うん、よく頑張ったね、レムちゃん」
えらいえらい、とレムの銀髪頭をメイちゃんがナデナデする。
うーん、こうしているとちょっと親子っぽいかも。まぁ、メイちゃんは色んな意味で母性の塊みたいな女の子だし。一方僕に父性はあるのだろうか。
「レム、悪いけど天送門広場を見張ってくれ」
「はい」
「僕の分身が出せたら、すぐ交代させるから」
「まかせて」
コックリと頷いて、レムはトコトコ歩いて部屋を出て行った。
ここから天送門広場までの戻り方は分かるのだろうか。まぁ、桃子でもここを発見できたのだから、すぐそこなのだろう。それにレムはお利口さんだから。はじめてのおつかいから、監視任務に強行偵察、戦闘まで何でもこなせる。レムに任せておけば大丈夫だ。
「もう少し、眠る?」
「ううん、なんか目が覚めちゃったし。このまま寝ちゃうのも落ち着かないから」
起きてしまえば、気になることは次々と出て来る。やりたいこと、やらなければならないこと、色々だ。
「そっか……じゃあ、先にお風呂でも入る?」
「えっ、風呂あるの?」
「あるよ」
まぁ、こんな内装の整った室内があるのだから、風呂場くらいあるか。そうでなきゃ小鳥遊が自分の生活空間に選ぶはずがない。
恐らくここは、アルビオン政庁に務めるお偉いさんのための宿泊施設といったところだろう。快適に過ごすための設備が、何から何まで揃っているに違いない。
それなら、ありがたくその恩恵に与らせてもらおう。正直、あんな激戦を経た後にそのまま寝たせいで、体がなんかベタベタして気持ち悪い感じするし。
ここは早いところ一風呂浴びて、さっぱりしたいところ————
「————湯加減はどう、小太郎くん?」
「あっ、い、いいんじゃないかなぁ……」
どうしてこうなった。
確かに僕は今、風呂には入っている。
でもメイちゃんも一緒に入っている。
なんでだ。
「あの……」
「なぁに?」
「ち、近くない……?」
「ふふっ」
全く質問の答えになっていないが、微笑みの圧に屈して僕はそれ以上なにも言えない。
白い神殿のような内装の大浴場は大層豪華な造りであるが、そんなもんより広大な湯船の隅で浸かる僕の隣に、ぴったり寄り添うようにあるメイちゃんの豊満な肉体に視線が吸い寄せられて仕方がない。
「ちゃんと水着だから大丈夫だよ」
とは、僕が大浴場に入ったと同時に登場したメイちゃんが言った台詞。
一体、なにが大丈夫なのだろうか。水着だから何だってんだよ。全く肌を隠す気もない、挑発的な白ビキニ姿に、僕は男の尊厳を保つのに精一杯だった。
あれれ、おかしいぞ、僕に水着は無いんですけどぉ?
かといって、目の前に降臨された豊穣の女神が如き裸体を前に、僕は一人で入りたいからとお断りの言葉を切り出す無礼など出来るはずもなく。ただただ硬くタオルを股間の前で握りしめ、無様なブラインド体勢を維持するのに務めるだけ。
何が湯舟の中にタオルを入れちゃいけないだよ。あるだろうが、どうしても隠さなきゃならねぇ時がよぉ! テレビの温泉リポートだとガチガチに巻いてるからいいだろ、許されねぇだろポロリは!
頭の中でイキった台詞を叫び、体は股間だけがイキり、唯一の装備であるタオルを頭の上に置いて温泉マナーを厳守する僕は、不自然な体育座りみたいな恰好を取ることで誤魔化すことに必死だった。
「そろそろ出よっか」
「……うん」
先に上がってくれれば、と小賢しいタイミングを見計らって体育座りを堅持する僕だったが、次の瞬間にはザブーンと水揚げされてしまった。
幼児を湯舟から出してやるように、両脇抱えて上げられてしまう。なんだこれ、男の尊厳破壊か。
それでも最後の尊厳を死守する僕を嘲笑うかのように、メイちゃんはそのまま抱きかかえて下ろしてくれない。完全にお姫様抱っこのスタイルで、僕に逃げ場はない。
「あの、メイちゃん……」
「小太郎くん」
「あっ、はい」
「もう、いいよね」
何が?
なんて問い返したところで、きっと返事はないだろう。
真っ直ぐに僕を見下ろしてくる彼女の目は、ベルセルク✕を服用した時よりもギラギラと強烈な闘志の光で輝いている。こうなった時のメイちゃんを止められる奴はいない。勇者だってぶん殴って突き進むだろう。
そうして本当にメイちゃんは僕を抱えたまま突き進む。大浴場を出て、脱衣所もそのまま抜け、元来た通路を進み、ベッドルームへ帰って来る。
そして僕は優しくベッドの上へと寝かせられ、
「やっと、ここまで来れたね」
感無量と言ったような声音だけれど、今の僕はすぐ目の前にある風呂上りで艶やかに濡れた暴力的なスタイルのボディを見上げて、硬直するだけ。
「終わったよ、小太郎くん、もう全部、終わった」
熱を帯びた彼女の手が、そっと僕の頬を撫でて行く。ちょっとくすぐったい。
「ここがゴール。ダンジョンの奥底」
熱い手は頬から首筋へ。それから薄い胸板を通って、臍の下へ。
「勇者は倒した。賢者も殺した。もう、ここに敵は一人もいない」
そうして僕を守る最後の砦、最終防衛線である腰元にかかっているだけのタオルは、風に吹かれるようにあっけなく飛んで行った。
「だから、もういい……もう、いいよね……」
真っ直ぐ降りて来る彼女の顔。密着する身体。
その誰よりも大きな胸が、僕の小さな胸元全てを包み込むように————ああ、ダメだ、これはもうダメだ。熱い、溶ける、心も体も、何もかも————
「小太郎くん、大好きだよ」
『淫紋』:精と魔の相転移。愛は一種の呪いでもあり、性交はそれを成す儀式として遥か古より続く、最古の術式。通じ、交わり、溶け合う。二つで一つ、結んだ絆は二度と解けはしない。愛故に、人は強くなれる。どこまでも恐ろしく、冷酷に。たとえ世界の全てを捧げても、ただ一人、愛する人のために。
『淫門降魔の儀』:リリ・ララ・リリトゥ。淫魔の固有魔法を再現した房中術。快楽と共に、愛と力を交わす。
『約束の乙女に賭けて』:一途な愛を示す契約呪印。愛を誓ったただ一人のために描かれた淫紋は、より純粋に洗練された効果を発揮する。しかし一度その誓いを破れば、その効力は全て失われる。誘惑があればこそ、その誓約に力が宿る。されど誘惑は抗いがたく。かの魔王とて、それを捨てることは出来なかったのだから。
『女神に誓う純潔』:一途な愛を示す契約呪印。愛を誓ったただ一人のために描かれた淫紋は、より純粋に洗練された効果を発揮する。しかし一度その誓いを破れば、その効力は全て失われる。永遠の愛を誓う女王は、それを制約ではなく欲望と断じた。ただ一つであっても、心から欲し求めれば、それは己が欲なのだ。
『剣を握る力を』:黒魔法淫魔術式の下級強化魔法。淫紋に宿る魔力によって、身体能力を僅かに高める。
『高く杖を掲げよ』:黒魔法淫魔術式の下級強化魔法。淫紋に宿る魔力によって、術式演算力を僅かに高める。
『大剣を振るう剛力を』:黒魔法淫魔術式の中級強化魔法。淫紋に宿る魔力によって、身体能力を高め、生命力も上がる。
『天高く理を詠え』:黒魔法淫魔術式の中級強化魔法。淫紋に宿る魔力によって、術式演算力を高め、魔力効率を上げる。
『死地へ赴く戦士に贈る』:黒魔法淫魔術式の上級強化魔法。淫紋に宿る魔力によって、身体能力を大きく高め、生命力を大幅に上昇させる。戦場を駆ける戦士に、愛の祝福があらんことを。
『深淵に臨む魔術師へ贈る』:黒魔法淫魔術式の上級強化魔法。淫紋に宿る魔力によって、術式演算力を大きく高め、魔力効率を大幅に上昇させる。暗闇を進む魔術師に、愛の道標が灯りますように。
『女神の口づけ』:黒魔法淫魔術式の奥義————
まるで、夢から醒めたような感覚だ。
ベッドを抜け出し、もう一回風呂に入って、ただ呆然とのぼせる寸前まで浸かってからようやく上がり————戦場跡たる天送門広場へと一人戻ってから、ようやく自分が現実世界に帰って来た実感を得た。
「……」
頭の中にあるのは、時間感覚を失うほどに熱く濃い初めての体験の記憶と、次々に刻まれてゆく加護の証。
今になって、ようやく思い出す。そういえば、初めてメイちゃんで見抜きしてしまった時、一瞬だけ『淫紋』が脳裏に浮かんでいたと。刹那的な快楽のせいでその時の記憶に留まることなく吹っ飛んじゃったけど。
なんで今更、思い出すのかな。
どうして今になって、こんな力を授かったのか。
はっきりと僕の脳内に明示された、『淫紋』を筆頭とした新呪術の数々。夢でも幻でも、ルインヒルデ様のジョークでもない。確かに存在する呪術師としての新たな力。
エルシオンの石像さえ砕け散って消え去った、ただの巨大門となった天送門だけがど真ん中に突き立つ虚しい景色を眺めながら、僕は悔いた。
「こんないっぱい強化できるんならっ、もっと早くエッチしてれば良かったぁああああああああああああああああああああああああああ!!」




