第392話 呪神ルインヒルデ
「————我が御子、桃川小太郎」
「ルインヒルデ、様……?」
他に僕をこう呼ぶ者などいるはずがない。
目の前に現れた徘徊型裏ボスモンスターこと『彷徨う狂戦士』。その正体がルインヒルデ様だと一瞬で察したが、理解できるのはそこまでだった。
「な、なんで……?」
「名を変え、姿を変えようとも、その愚かしさは変えようがない。白き神の残滓が現れるならば、黒き神々が降り立つは自明の理。ちょうど、我に相応しき器もあった」
はぁ、なるほど。神降臨はやはり反則で、それをやったからこっちも神降臨で対抗できるみたいなことか。
女神エルシオンは自身を模った巨大石像を依り代に現れた。そして我らが呪いの神ルインヒルデ様は、この『彷徨う狂戦士』を依り代にして降臨なさったというワケか。
なんだよルインヒルデ様、たまには分かりやすい説明もできるんじゃあないですか。
「我は常に、伝えるべきを伝えるのみ」
「あっ、リアルで心読むのは止めてください……」
神様時空ならド無礼かましても惨殺されるくらいで済むけど、現実でやると死んでしまいます、やめてください。
「桃川小太郎、そなたはただ、見ていれば良い。これよりは神域、人の身で立ち入ること許されぬ領域よ」
勿論ですとも、矮小なクソザコ人間など、神々の争いに首など突っ込みませんよ。
というか、動くに動けないし。
「ふむ、忌まわしい戒めが、まだそなたを縛っておるか。実に、不愉快————」
言いながら、ルインヒルデ様はおもむろに両手で兜を掴む。
ガコッ、と重い金属音と共にゆっくりと凶悪な髑髏の兜は外れてゆき、その下にある本物の髑髏の顔が露わに————
「は?」
翻るのは艶やかな長い黒髪。雪のように白い肌。
そしてゾっとするほどに鋭く、怜悧な眼差しを向ける、真紅に輝く瞳。
これぞ正しく女神に相応しい美貌、と賞賛するより他はない美女の顔が兜の下から現れた。
「ルインヒルデ、様……?」
本日、二度目の確認。
そりゃそうだ、僕の知っているルインヒルデ様は、まんまテンプレ死神デザインの禍々しい白骨髑髏そのものなのだから。美女がどうとか以前に、そもそも性別すら判別できないお姿だった。
「如何にも、我こそ呪神ルインヒルデ。器が良い故、今ばかりはかつての姿を取り戻しておる」
マジですか、元はこんな超絶美女だったんですか。僕、蒼真桜より美人な人を初めて見ましたよ。多分、この記録を超えることは二度とないだろう。
「姿形など、如何様にも変えられると、すでにそなたは知っている。だが、今はこの姿の方が相応しかろう」
そういえば、ルインヒルデ様のお声も麗しい女性の声音として聞こえる。いつもは老若男女も判然としない、何とも言いようのない不思議な声なのだが……声も本来のものに戻ったということか。
そんなことを考えている内に、倒れる僕の前へと静かにしゃがみ込んでくる。
ゴツいガントレットに包まれた両手が、そっと僕の体を起こし、顎に指をかけて上を向かせると————えっ、ちょ、近い、近くないですかルイン————
「んんっ!?」
熱烈な口づけの衝撃が、全身を駆け巡る。
燃え盛る炎のような熱さを唇に感じる。けれど体は甘く蕩ける様に脱力し、一切抵抗する気力は失われている。これを拒むなどとんでもない。あるがまま、ただ受け入れるのみ————んんっ、まずい、これ魅了みたいなのかかってそうな気がする!
「ああ、すまぬ。この顔に魔性が宿っていたことなど、とうに忘れておった。だが、よくぞ見抜いた。呪術師たる者、常に惑わす側でおらねばな」
気が付いた時には、ルインヒルデ様の顔は離れ、雲野郎の罠もかくやというほど甘美な口づけの感触は消えていた。
それと同時に、僕を押し潰すようにかかっていた神聖言語の圧力も。
「あっ、なんか動ける……ありがとうございます、ルインヒルデ様」
今のキスでクソ女神の干渉力を防いでくれたのだろう。やはり神には神でしか対抗できないということか。
あまりにもあっけなく絶対的な拘束が解かれたことで、力の差を超えた、存在の格の違いを認識する。本当に、今この場において出来ることは何もないようだ。ただの人間に過ぎない僕も、小鳥遊も。
「う、嘘、嘘だよ……なんなのよアイツ、なんで女神様の力が通じないの……」
僕とルインヒルデ様が熱いキスを交わしている間も、ずーっと小鳥遊は無駄な努力をしていたようだ。
女神エルシオンの干渉力で同じように止めようと思ったのだろう。まぁ、何だかよく分からんイレギュラーが現れれば、とりあえず拘束するだろう。
けれど、その全てが通用しない。当然だ、ここにいるのは人間でも魔物でもなく、同じ神様なのだから。
「これより、人の世の理を正す」
立ち上がったルインヒルデ様は、再び天送門に立つエルシオンと相対する。
動けるようになったとはいえ、僕に出来ることは何もない。だから、しっかりと立ってこの目でその姿を、僕が信じる女神の姿を見届ける。
「その先は、そなたら人が決めること。だが————」
そしてルインヒルデ様は、一度だけ僕の方を振り向き、その神々しい美貌で真っ直ぐに見つけて言った。否、命じた。
「我が御子、桃川小太郎。忌まわしき白き女神の使徒を、呪い殺せ」
「はい。神命、しかと承りました」
僕の返事をどこか満足そうに聞き届けて、ついにルインヒルデ様は神の化身を討つべく一歩を踏み出した。
「と、止まれ、止まれっ……止まれよぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
無駄な悪足掻きを小鳥遊が叫んでいる中、ルインヒルデ様は悠々と歩みを進めながら、その手に握る大剣を構えた。
メイちゃんの振るう呪いの武器『八つ裂き牛魔刀』と同じ、けれど比較にならないほどに濃密で、禍々しく渦巻く黒と赤のオーラを纏った大剣だ。
あの四角い鉈のような刀身をした大剣は、一体どれほど強烈な呪いの武器なのだろう。それも、アレで本物ではなく偽物。想像を絶するね。
「模造なれど、我が父の振るいし、呪いの刃。エルシオン、貴様を斬るにこれより相応しいものはない」
「クソ、クソォ、止まらねぇなら、そのまま————消えされぇええええええええええ!!」
俄かに眩い閃光が瞬く。一つではなく、無数に。
大広間いっぱいに舞い踊る光の羽根がギラギラと輝き、灼熱の白光を収束させてゆく。360度、全方位から隙間なく放たれるオールレンジビーム攻撃だ。
それに加えて、エルシオンの女神像には本命と思しき攻撃動作に入っている。
広げた巨大な白翼には蒼い魔力ラインが幾何学模様のように走り、特大のビームを放つための魔法陣として機能し始めている。
さらに天高く掲げた両手が振り上げた剣を握りしめる様に動けば、そこに巨大な光の剣が現れる。あの刀身の輝きは間違いない、蒼真悠斗が繰り出した最大の必殺技、『聖天に輝く勇者の剣』だ。
およそ人智を超えた、正しく神の化身に相応しい圧倒的な攻撃。これら全てを一身に受けて、無事でいられる者などこの世に一人も存在しないだろう。
けれど、ここにいるのはこの世の者ではない。
刮目して見よ。そして恐れ慄け。小鳥遊、お前の目の前におわす方こそ、呪神ルインヒルデ様なるぞ。
「今一度、思い出すがよい。これぞ魔王の剣————」
目が眩むほどの光量を発して全方位から迫り来る無数の光線。その只中にあって、ルインヒルデ様は呟いた台詞を置き去りにして、漆黒の風と化して駆け抜ける。
回避の隙間などない、網の目のように張り巡らせたビームの嵐を、真っ直ぐに突き進む。何十もの光線が命中しているはずなのだが、影を撃ったかのように全てが虚しく通り抜けていく。
黒い残像を引きながら、瞬く間にエルシオン像の立つ天送門まで間合いを詰める。
そこで放たれるのは、広げた翼から発せられた極大の光線。その数、実に四本。
巨大な光の柱が前方の空間全てを塗りつぶすように、一陣の影となって迫るルインヒルデ様へと放たれ、怒涛のように飲みこんでいく。
「未来永劫、汝に許しの時は来ぬ。遥か古にて、世界の選択はとうに成された。無間の果てへ、消え去るがいい」
歌うような声と共に、光に満ちた空間に闇が爆ぜる。
四本もの極大光線が重なる純白の怒涛を、漆黒の瀑布が押し退け、貫く。
巨大なビームを真正面から打ち破り、ルインヒルデ様が飛んだ。まるで一瞬の内に滝を登り詰めたような勢いで宙へと舞った時には、呪いの大剣は振り上げられている。
その瞬間を待ち構えていたかのように、エルシオン像が高々と掲げていた、最後にして最強の一撃が振り下ろされる。
勇者を超えた女神の『聖天に輝く勇者の剣』は、その絶大な輝きでもってルインヒルデという呪われた影をかき消すように、
「神魔を滅す黒き凪————『無命首断』」
刹那、暗転。
視界が闇に閉ざされる寸前、僕が最後に見たのは、ポーンと綺麗な弧を描いて首が飛んで行くエルシオン像の姿であった。
クソ女神、ざまぁ。
「————戻った」
再び視界を取り戻したと同時に、そう呟く。
終わった、ではなく、戻った。そう感じたのは、すでに人智を超えた神の気配というものが、綺麗さっぱり消え去ったからだろう。
「ありがとうございました、ルインヒルデ様」
まずは心を込めて、感謝の祈りを捧げ奉る。
見上げれば、変わらずに聳え立つ天送門。けれど、その門には転移の輝きは消え失せおり、そして何より————女神エルシオンの石像は、粉々に砕け散って消滅していた。
まるで始めから、そこには何もなかったかのように。綺麗さっぱり消え去っている。浄化って、こういうことを言うのか。
「あー、痛てて……そういえば、二発も撃たれちゃったっけ」
まさかのルインヒルデ様ご本人登場に、女神の口づけまでサービスしてもらったお陰で、すっかり忘れていた痛みを、今頃になって思い出す。
手早くリポーションを患部に振りかけて、処置は完了。
さて、神の奇跡によって最後の窮地を乗り越えたんだ。いい加減、終わりにしよう。
「おい、小鳥遊」
「……」
女神エルシオンの化身が消え去り、小鳥遊は茫然と天送門の前で立ち尽くしている。
信じられないだろうな。祈りが通じて神様が助けてくれたと思ったら、別な神が現れて奇跡は全部無かったことにされたのだから。
エルシオンとルインヒルデ、二柱の女神が等価交換のように現れては消えて行ったのだから、戦況は単純に逆戻り。つまり、小鳥遊にはもう何も残されていない。
哀れだね。信じた神の救いもなくなったと、わざわざ見せつけられたんだ。さっきと同じ状況に戻っただけとはいえ、その心はすっかり折れてしまっただろう。
「なにボーっとしてるんだよ」
呆然自失とした表情で、エルシオン像の立っていた天送門を見上げたり、俯いたり、キョロキョロしているだけの小鳥遊へ、僕は踏み出す。
治療も終えたからね、僕の準備は完了だ。
「まだ、戦いは終わってないぞ?」
さぁ、構えろよ小鳥遊。お前にも、まだ最後の悪足掻きをする力くらいは、残っているだろうが。
「あぁ……」
近づく僕の存在に、ようやく気付いたように虚ろな視線を向ける。
見開かれた目の縁に、ジワリと涙が浮かぶ。
そういえば、泣き真似はお前の得意技だったな。いいね、最後は自前のスキルに頼ろうってか。
じゃあ見せてみろよ、この僕が手心を加えたくなるほど、無様で哀れな泣き様を。
「や……あっ……やぁああああああああああああああああっ!!」
小鳥遊が癇癪を起したクソガキのように泣き叫ぶと、再びその背に天使の翼と、聖なる光の結界が輝いた。
流石に正規装備しているだけあって、しっかり『ガーディアンウイング』の機能が回復したか。
こっちは認証を誤魔化して強引に動かしていた弊害か、結界が一度弾けたら再展開できなくなっちゃったのに。ちっ、剣崎め、死んでも使えない奴。
「いいぃっ、やぁあああああああああああああああああああああああああああ!!」
輝く『聖天結界』に守られて、小鳥遊がブラスターを抜く。アイツに残された、最後のマトモな攻撃手段でもある。
エルシオンが退場した今、僕を撃ち殺せば自分もそのまま死ぬのは避けられないというのに。もう後先考えてもいられないか。
実際、僕一人を殺すには、あのカスタムブラスターは十分すぎる威力を誇っている。当たればの話だけどね。
「助けろ、横道」
『無道一式』を振るい、適当に肉塊を呼び出す。ゴーマ王国民を喰らったお陰で、ゴーマ肉にはまだまだ在庫がある。
直線的な射撃でしかないブラスターを防ぐのは、この肉盾だけで事足りる。
「さっきの言葉、そのまま返すよ————楽に死ねると思うなよ、小鳥遊」




