第391話 神話再生
「————んあ?」
間の抜けた声と共に目が覚め、
「はぁっ!?」
次の瞬間には、自分がどんな状況にあったかを思い出す。
なんだ、僕は確かに小鳥遊に向けてナイフを振り下ろしてトドメを刺し……いや、刺す直前のことだった。
リンゴンリンゴンと教会の鐘の音みたいなのが響きながら、いきなり視界が真っ白になって、そのまま気絶した。そうとしか思えない、記憶と感覚の途切れ具合だ。
「な、なんだ……どうなっているんだ」
僕の手には、握りしめた樋口のバタフライナイフがある。そのギラつく刃に、返り血は一筋もついてはおらず、綺麗なものだ。
そして目の前には、小鳥遊小鳥の姿はない。
まるでいきなり転移で飛ばされてしまったかのような感覚だが、どうやらそういうワケでもないようだ。
「ひとまず、みんなは無事で良かったけど……」
チラと後ろを確認すれば、倒れたメイちゃんと杏子、それからついに力を使い果たした姫野も気を失ったように転がっている。ちゃんと姫野が陣取る後方までメイちゃんと杏子がいるのを見る限り、桃子は二人の搬送を済ませたようだが、本人の姿は見当たらなかった。
警戒して身を潜めているのか。レムと違ってアイツは僕の使い魔じゃないから、直接やり取りできないから————
「————レムとのリンクも途切れてる!」
レムを行使している間は、感覚的な繋がりがあるのでリアルタイムで把握できる。その感覚が失われていることに今頃気づき、ついでに巨人レムの巨体も綺麗さっぱり消え去っていることも、目の前に何もないことで把握する。
僕が気を失った一瞬の間に、強制的に解除されてしまったということだろうか。
「くそ、何だかよく分からないけど、小鳥遊はどこに————」
「————ふふ、ここだよ」
僕の独り言に応えるように、小鳥遊の耳障りな甲高い声音が響き渡る。
ついさっきまでの、追い詰められてひっくり返った声ではない。学園塔で僕を嵌めた時と同じ、自分の絶対的優位を確信した、どこまでも舐め腐った弾む様な声である。
「くそっ、逃げるつもりか、小鳥遊ぃ!」
声の方を向けば、確かにそこに小鳥遊はいた。
場所は天送門の真正面。いまだぼんやりと白い輝きを宿す、見上げるほど高い天送門の前に、小鳥遊は堂々と立っていた。
「逃げる? あはは、もう逃げる必要なんてないよ」
その背に天使の翼はなく、『聖天結界』の守りも失われている。無力な生身が曝け出されているにも関わらず、小鳥遊は緩んだ笑みを浮かべた。
刹那、僕の背筋にゾクゾクと、言いようのない危機感が、いや、恐怖が伝った。
「だって、神様が助けてくれたんだから」
「……は?」
動いた。
小鳥遊ではない。その遥か頭上に聳え立つ、巨大な女神像、その背に生える翼が。そう、ただの石像のはずの神が、動いたのだ。
「う、嘘だろ……」
ゆっくりと、巨大な白翼が広がって行く。その身から神々しい蒼白の輝きを放ちながら。
あの光は間違いなく、『勇者』が発していたのと全く同じモノ。あるいは、こちらが本家本元と言うべきか。
加速度的にその神の光は輝きを増してゆき、あっという間に薄暗い大広間を眩しく照らし上げて行く。さながら、これぞ神の威光とでも言わんばかりに。
そして閉じられていた双眸が、開く。
「……女神エルシオン」
救いの祈りを捧げた少女の下に、神は降臨した。
ふ、ふざけるな……なんだよソレ。最後の最後は神頼みで、本当に神降臨する馬鹿があるかっ!?
あまりの理不尽に怒りが沸騰しそうになる傍らで、僕の本能と理性が冷静に訴えかける。
アレは本物の女神エルシオンではない。天送門の巨大女神像を依り代として、現世に姿を現した化身のようなものだ。
けれど、神が直々にその力でもって操る存在だ。そこらのボスモンスターとは比べ物にならない。あのヤマタノオロチでさえ、神の化身と並べば格落ちだ。
メイちゃんや天道君のように、鋭い第六感で敵の正体や危機を瞬時に察することなど出来ない僕だけど、それでも一瞬で理解できてしまう。コイツの宿す絶大な力を。
勝てない。僕が、ではなく、どんな人間でも、どれほど強い英雄だろうと、勝ち目がない。そう本能的に理解させられる上に、僕の脳裏にはまざまざとその証明も刻まれる。
『女神エルシオンの化身』:ょうあhlらlrフあ。クshdふぁえいあをあlんじゃぅh、づ案sxjぁhdク青土hf乱bkじぇあbhy。ィkrbh馬fkbらkbrはf、は、hdふぁkぁか。アkは、bd、fhだmfっばkじゃ————
反応したはずの『埋葬神学』がバグった。
いつも曖昧なフレーバーテキストだけれど、日本語表記がブレたことは一度もない。常に正しく表示してくれるはずの鑑定スキルが正常に機能していないのは、相手がそれほど隔絶した存在だからだろう。あるいは、神の正体を人間が真に理解することはできないのかもしれない。
「そう、これが神様。小鳥を選んでくれた、女神エルシオン様だよ」
祈るように両手を組んで言い放つ小鳥遊の頭上で、翼を広げた神の化身が動き出す。
それと同時に、キラキラと白い輝きを放つ光の羽根が雪のように舞い散る。あらゆる影の存在を許さぬよう、広間の中はさらに煌々と照らし出される。
「頭が高いぞ、桃川ぁ————跪け」
「ぐうっ!?」
その一言が耳に届いた瞬間、僕は押し潰される。
重力がいきなり何倍にもなったような、あるいは見えない幾つもの腕で抑え込まれたように。うつ伏せに倒れ込み、身動きは全くとれない。完全に神聖言語の効果だ。
「くっ、『精霊傀儡』……」
慌てて再度、対策スキルの『精霊傀儡』を発動させるが、
「う、動かない……どういうことだ、闇精霊は確かに宿っているはずなのに」
発動は成功しており、僕の体の隅々に行き渡った闇精霊の気配も感じる。
しかし、どれほど念じても僕の体は動かない。
「無駄だよ桃川。神様の前なんだから、精霊なんて下等な魔法生物如きが自由に動けるワケないでしょ」
「お前はその下等生物に動かれて死にそうだったじゃん」
「黙れっ!」
ズゥン、と僕にかかる荷重が増す。おのれ小鳥遊、僕が突っ込まずにはいられない発言で巧妙な罠を仕掛けるとは。
しかし、小鳥遊の『神聖言語』では精霊は止められないが、神の化身がいる状態での『神聖言語』だと止まるということは、その効果が強化されていると見るべきだろう。
具体的には干渉できる魔力の質が増えたといったところ。属性相性が悪そうな闇精霊でもこのザマだから、マジでもう支配できない魔力は存在しないのかもしれない。正しく神の如き万能な力。ああ、公式チートなんざクソ喰えらえだよ。
「ぐぅうう……くっ、クソゲーぇ……」
「あっはっはっは! やっぱり、最後は神様に愛された小鳥が勝つんだよ! 桃川も、クラスの奴らも、ただの雑魚、踏み台、生贄! 格下の劣等種共がよぉ、小鳥に勝てるなんて思い上がってんじゃねぇ!!」
こんな奴を選ぶ無能人事みたいな神など、こっちから願い下げだっての。
ちくしょうめ、今まで散々、勇者と賢者にチートさせまくった挙句、それでも負けそうになったから神が現れるなんざ、マジでクソゲーもいいところだ。こんなん発売翌日には買い取り拒否の10円で投げ売りされるレベル。
まずい、頭の中に浮かび上がるのはそんな罵倒ばっかりで、この状況を打破するための手段が何一つ思い浮かばない。
なにせ相手は、本物の神なのだ。その存在と力に、隙というものが存在しない。
タワー攻略開始時点の、全員勢揃いで万全の状態だったとしても、コイツ一体いるだけで完全に詰んでいる。
だというのに、僕にはもう生身の小鳥遊をぶち殺すのが精いっぱいな程度の手札しか残されていない。ここから僕一人で、神の化身を倒す方法などあるはずがないだろう。
「勇者を失った時点で、もう負けてるじゃないか」
「おい桃川、口に気をつけろよ」
「クソ女神が本当にお前なんざ助けるために力を貸すかよ。ソイツ、絶対にアホ賢者が負けて悔しいから、腹いせに僕らを消しにきただけだろ」
お、そのウザいニヤニヤ笑いが消えたな?
本当は自分でも、その可能性を考えていたんじゃないのか。いつでも神様チートで助けに入れるっていうなら、そもそも勇者が負ける前に介入していたはずだ。
女神の目的であるらしい勇者育成計画が完全に破綻した後になって登場ということは、それを今更なんとかしようって気がないからだろう。
「おい、どうした、笑えよ小鳥遊」
「……この期に及んで、挑発なんかしたって無駄だぞ桃川。女神様の加護がある限り小鳥は守られる。そして、時間稼ぎも意味はない。お前がくたばるのを、女神エルシオンは必ず最後まで見届ける」
クソが、時間制限もないのかよ。
もう僕にできることなんて、口先だけで時間稼ぎするくらいだってのに。神の化身なんてとんでもねぇ存在が、なんでいつまでも現界し続けられるんだ。ずっといたら、ありがたみも薄れるだろうが。
もしかすれば数分くらいしか存在できないんじゃないかと淡い希望を抱いていたが……小鳥遊に焦った様子は欠片もない。いつまでも、のんびり僕を相手にマウントトークをかましていられる、といった雰囲気だ。
「そう、だからこの積もりに積もったお前への恨みを、ゆっくりと晴らす時間はあるって————コトぉ!」
「ぐあぁっ!」
小鳥遊の手元で閃光が瞬くと、僕の肩口に鋭い痛みが走る。
撃たれた。くそ、奴はまだブラスラーを握っている。
「おおぉー、凄い! やっぱり凄いよ女神様のご加護は! どう桃川、小鳥は痛くない、なぁーんにも痛くないよぉ?」
小鳥遊は上機嫌に高笑いを上げながら、これ見よがしにブラスターを振りかざす。
「自慢の呪術、『痛み返し』だっけ? ほらほら、どうしたの、喰らった痛み、返してみろよぉ!!」
「ぁああああああああああああ!」
さらにもう一発。灼熱が僕の体を駆け抜けていく。
熱い。痛い。
けれど、これでも強化学ランの防御があるから、まだ叫び声を上げる程度で済んでいるのだ。コイツの守りが剥がれたら、今度こそ僕は一発喰らえば即死する。
「ぐっ、ううぅ……道連れも、させないってか、クソがぁ……」
これまで例外なく、僕へのダメージを100%相手に与えていた最後の手段、初期呪術『痛み返し』さえ、この女神エルシオンの前では通用しなくなっていた。
ああ、そうか、僕の『痛み返し』も『神聖言語』と同じように相手の魔力に直接干渉するような原理で働いていたのだろう。
神の化身がいれば、その干渉力さえ封じることができる。だから、本当にどうしようもない時、どんな相手でも道連れにするこの呪いすらも、届かない。
「きゃはは、ただ撃ってるだけじゃ芸がないよね。折角、女神様のお力を借りられるんだから、出来ること全部試してみないと」
ブラスターを一旦収めた小鳥遊は、わざとらしく「うーん」などと唸りながら、苦痛に呻く僕を見下し薄ら笑いを浮かべている。
「あっ、安心してよ、貧弱な桃川がすぐに死んだりしないよう、ちゃーんと手加減はしてあげるから————楽に死ねると思うなよ」
『下へ参りまーす』
恐るべき女神の力が僕へと降りかかろうとした瞬間、そんな声が響いた。それは絶体絶命の土壇場にあって、とても似つかわしくはない呑気な声音。
幼い女の子の声だ。
聞いたことは一度もない。知らない声。
『下へ参りまーす』
セントラルタワーの館内放送なのだろうか。広間一杯に木霊する無邪気なアナウンスが再び響くと、僕の前に青白い魔法陣が浮かび上がる。
「なっ、なんで直通転移が!? 完全に封鎖しているはず、一体誰がここまで飛んでこれるってのよっ!」
小鳥遊としても想定外だったのか、そんなことを叫んでいる。
直通転移……そりゃ元々は大勢の古代人が利用していた施設だ。直通エレベーターのように、ここへと通じる転移魔法があるのは当然だろうが、小鳥遊がその利用を封じているのは、僕も知っている。
一応、探せるだけ探し回ったりもしたけれど、当然そんなものはない。恐らく、それと思しき場所は、あの攻略不能と判断した、生きた妖精広場だと思うのだが————そんなところから、この場へやって来る者など、いるはずがない。
僕らは残ったクラスメイト全員でやって来た。今更もう、一人も残っていない。黒幕たる小鳥遊小鳥を止められる者は、もう誰も残っていない。
じゃあ一体、誰が来るって言うんだ?
『とうちゃーく!』
輝く転移の光の中で、二つの人影が現れる。
一つは僕が想像した通り、妖精広場の妖精像であった。
本物の幼女サイズで、背中には妖精らしい二対の羽が生えている。見た目は確かに石像そのものだが、まるで生きているかのように身動きしており、その小さな口から可愛らしい声を紡いでいる。
『ばいばーい!』
そして妖精さん像は、もう用は済んだとばかりに転移の光が収まって行くと共に消えて行った。多分、また元の妖精広場へと戻ったのだろう。
そしてこの場には、もう一つの人影だけが残された。
「なっ、な……なんで……どうしてここに……」
現れたその姿に、小鳥遊も、そして僕も絶句する。
『コォオオオ……』
深く、それでいて重苦しい呼吸音。
それを発するのは、大きく禍々しい、漆黒の鎧兜。
僕はソレを知っている。間違いない、コイツは、
『彷徨う狂戦士』:それは、黒き悪夢の具現。その名を呼んではならない。その名を書いてはならない。その名を聞いてはならない。その名を知ってはならない。その者は、神をも恐れぬが故に————禁断の力、その一端を僅かに発現した模倣品に過ぎないが、人類に恐怖を思い起こすには十分に過ぎた。どれほど力を欲しようとも、それに手を出すべきではなかった。後悔は遥か時の彼方。残された狂戦士は、ただ彷徨い続け————今、再び神の前に立ち塞がる。
脳裏に再び浮かび上がる、『埋葬神学』の鑑定結果。
そんなものを読み返さなくても、一目見て分かる。コイツを見間違うはずもないし、忘れられるはずもない。
この古代都市アルビオンが滅びる原因になったと思われる、謎の存在は、
「っ!」
ゆっくりと、倒れ伏す僕の方へと振り向いた。
そして、その悪魔の王が如き凶悪な髑髏の兜は、僕を見下ろしながらこう言った。
「————我が御子、桃川小太郎」




