第390話 ラブデス
小鳥遊の最終兵器、大守護天使によって完全に詰んでいた。
けれど、それを覚醒した杏子と、使えないと思っていたメイちゃんの奥義によって、見事に盤面をひっくり返した。
縦一文字に真っ二つにされた大守護天使はバチバチと膨大なスパークを散らして崩れ落ち、今度こそ動き出すことはない。再び巡って来た勝機。これを逃すなんて嘘だろう。
僕には大守護天使を倒す手札はなかった。だが全て尽きたわけじゃない。
小鳥遊、最後の最後に残ったお前を殺すための手札を、まだ僕は握っている。
「これで終わりだ。ケリをつけるぞ、小鳥遊」
「舐めんじゃねぇぞ桃川ぁ! テメぇをぶっ殺すだけなら、小鳥一人で十分なん————」
「————『影矢』」
漆黒の矢が『聖天結界』の表面で弾けた。
下級攻撃魔法に過ぎないが、闇属性の鏃は聖なる光の結界を僅かながら、けれど確かに傷を穿つ。
弾けた光の魔力が小さな破片となってキラキラと散ってゆく向こう側で、小鳥遊が驚きと怒りに表情を歪ませるのが見えた。撃たれてから気づくとは、馬鹿め。
「姫野ぉおおおおおおお!!」
「たぁかぁなぁしぃいいいいいいいいいいいいい!!」
遥か僕の後方から、怒りの絶叫を上げて『影矢』を放つのは、今この場において最後に残ったクラスメイト、姫野愛莉だ。
眷属『淫魔』という天職とは異なる特殊な能力者である姫野だが……正直、戦力としては二軍どころか三軍レベルだ。サシで戦えば僕でも倒せる、今や最弱筆頭候補。
なので基本的に彼女を戦闘要員としては数えず、戦場においては最低限の治癒魔法を使える衛生兵として、そして平時においては我がエントランス工房に勤務する忠実無比な熟練工として働いてもらっていた。
今回の最終決戦においても、姫野はずっと下がらせて倒れた仲間達の介抱にあたらせている。
最も安全な最後方に陣取るが故に、激戦の末に最後まで生き残る可能性が最も高いのは至極当然であろう。だから、僕だって想定していたに決まっている。
勇者を倒し、いよいよ小鳥遊を追い詰めた最終局面において、僕と姫野の二人しか残らないという場面を。
そしてその状況下においては最早、姫野を後方の介護要員にしておけるはずもない。貧弱な『呪術師』である僕が最前線に立っているんだぞ。お前も当然、戦闘要員として戦うんだよ!
そのための力を、ちゃんと準備しておいて良かっただろう?
「————『影矢』! 『影矢』! 『影矢』ぁあああ!!」
二の矢、三の矢、と数えるまでもなく闇属性下級攻撃魔法『影矢』が連発されて小鳥遊を襲う。
次々と光の結界で弾ける闇の矢は、着実にその防御力を削り取っている。
その攻撃の源は、姫野が握りしめた一本の杖だ。
一番小型の杖であるタクトで、長さは30センチほど。プラスチックのような質感で、黒とピンクが螺旋状の柄を形成し、その先端には淡いピンクダイアのようなハート形の結晶が埋め込まれた、矢印みたいな形状の黒い穂先となっている。全体的には矢のような形だが、そのポップな色合いとハート結晶付きの鏃から、まるで魔法少女アニメの玩具のような印象だ。
けれどこのチープな形のタクトこそ、姫野専用の魔法装備なのである。
『プリムタクト・ラブ&ダブルピース』:淫魔の力が宿る小杖。愛を求めよ。されば力は与えられん。
コイツの出どころは、ゴーマ王宮の宝物庫だ。
オーマのことだから、コレが魔法の杖であることは把握していたのだろう。けれど淫魔専用装備らしき特性から、ゴーマには誰も使い手がいなかった。だから綺麗な宝物の一つとして納めていたのだろう。
お陰様で、ゴーマの汚らわしい手垢がつくことなく、綺麗な状態で入手することができた。流石はオーマ様、宝物の保管にも抜かりがないね。全部ありがたく、僕がいただいておきました。
そんなワケで、意図せずゲットした掘り出し物だ。僕の謎鑑定スキル『埋葬神学』が働いたお陰で、とりあえず淫魔用装備と判明したことで、姫野が持つに至ったのだ。
さぁ、今こそ淫魔の真なる力を解き放つ時だ!
「ざっけんなよぉ、クソザコのドブスがぁ! テメェみてぇなカースト最底辺のゴミクズがっ、天使の小鳥に楯突いてんじゃねぇえ!!」
「うるせぇ死ねぇ、この腹黒裏切り女がぁ! 私はアンタみたいな女が一番嫌いなのよぉ、てか元から大嫌いだっての、反吐が出るわクソアマがよぉ!!」
全く互角の罵倒を叫びながら、小鳥遊と姫野の二人がぶつかり合う。
そうだ姫野、その鬱屈した感情を全て吐き出せ。その恨み、怒り、負の感情の全てが、闇の力となるのだから。
「よくも裏切ってくれたなぁ、小鳥遊ぃ……お前のっ、お前のせいで陽真くんが死んだんだろうがぁあああああああああああああああっ!!」
涙の叫びと共に、『影矢』が、いいや、中級攻撃魔法である『黒影槍』と化して漆黒の槍が放たれた。
姫野自身は闇属性魔法を習得しているワケではない。この攻撃が出来るのは、淫魔の小杖によるものだ。
そしてこの『プリムタクト・ラブ&ダブルピース』の力を使うために必要なのは、ただの魔力ではない。淫魔の力、すなわち自ら吸精して得た力なのである。
昨晩の姫野は、中嶋から空っぽになるまで搾り取っている。
姫野の力のためだけに中嶋を生贄に捧げるのは、僕としても心苦しい。でも中嶋自身が、姫野への見返りとしてその精力を捧げるならば、お互い合意の上での行為となる。
剣崎をモノにできず死んでしまったのは残念極まりないけれど、君の残した力で、きっと姫野が無念を晴らしてくれるよ。
「くっ、ぐぅうううう……ひ、姫野如きがぁ……」
一段階上の闇属性攻撃を受けて。さらに大きく『聖天結界』が欠ける。その衝撃に小鳥遊も冷や汗を流して焦りの表情が浮かぶ。
姫野が掲げる『プリムタクト・ラブ&ダブルピース』のハート結晶が、妖しい輝きを放つと共に、闇属性攻撃魔法の魔法陣が浮かび上がる。その大きさと魔力の気配から、より威力の増した『黒影槍』が放たれるだろうことは明らかだ。
「ぁあああああっ、ウゼぇっ、止まってろやぁ!」
この感覚、また性懲りもなく『神聖言語「拒絶の言葉」』を発動させたな。
「ううっ!?」
そこで姫野の攻撃も止まる。かなり間合いをとっているが、それでも届くようだ。
実力最底辺の姫野は当然、『精霊傀儡』なんて習得できているはずもない。神聖言語を喰らえば成すすべなく固まってしまう。
だから、ここは僕の出番だ。
「行け、レム」
「グゴゴゴゴ……ゴォオアアアアアアアアアアアアアアッ!」
大守護天使によって転がされていた巨人レムが、再び動き出す。
杏子とメイちゃんのアシスト用として残していたのもそうだけど、本来はこのタイミングで動かすために、追撃されて全損のリスクを冒してでも解除せず残しておいたのだ。
「あっ、おい、動くな! 動くんじゃねぇ、止まれ! 止まれ……止まれよぉおおおおおおおおおおおおおおおお!」
そこで、立ち上がりかけたレムの動きが止まる。巨人の体は精霊や悪霊で操作しているワケではないので、神聖言語で止まってしまうのは、セントラルタワー正門前での戦いですでに判明している。
けれど神聖言語の原理が魔力干渉であるならば、デカい奴を止めるためにはそれ相応の力が必要となるだろう。発動さえさせれば、全てが無条件で停止するような概念系の効果じゃないことは、もう分かっているんだ。
要するに、この土壇場で巨人レムを抑え込むのは、キツいだろう小鳥遊?
「く、喰らえよぉ……私と陽真くんの、力の結晶ぉ————『黒影槍』っ!」
「ぴゃあっ!?」
素で焦った情けない悲鳴が小鳥遊から漏れる。
レムを止めることに集中し過ぎた結果、遠くに陣取る姫野への魔力干渉が緩んだか。あるいは、レムと姫野の二人同時に完全停止させるのが出力限界なのか。
どうであれ姫野は自由を取り戻し、攻撃を再開させる。
「お、お前もぉ……止まっとけよぉ!!」
いよいよ追い詰められて小鳥遊もなけなしの根性を振り絞ったか。姫野に『神聖言語』の効果をかけつつ、今にも襲い掛からんとする巨人レムも食い止め続けることに成功した。
けれど、やはりここが能力の限界のようだ。血走った目つきで姫野を睨む小鳥遊は、その鼻から一筋の血が流れていた。
鼻血出すほどの能力行使とは、さらに負荷をかければ脳が弾けるんじゃないのか。思うものの、悠長にそれを狙う暇はなさそうだ。
「そのまま、動くんじゃあねぇぞ、姫野ぉ……」
小鳥遊はついに自らブラスターを抜き、構える。
正門前で本性現わした時に使っていたのとは、違うやつだ。ハンドガンタイプではあるが、銃身はゴツいコンペンセイターみたいなので伸びてるし、下部にはレーザーサイトっぽいパーツもくっついている。拡張パーツでフルカスタムしたような外観だ。相当カッコいいじゃないか、小鳥遊のくせに生意気だぞ。
そうして無防備に姿を晒す姫野を殺すには十分過ぎる威力を持つ凶器は、今にもトリガーが引かれそう。
さて、ここまで黙って成り行きを見守っているだけな雰囲気の僕も、動くとしよう。ようやく準備完了だ。
「まずはブスから死ねぇ!」
「————『聖天結界』」
甲高い音を立ててブラスターより放たれた光弾は、同じ青白い輝きの結界によってあえなく射線を遮られた。
ああ、別に桜ちゃんがこの土壇場で奇跡の復活を果たしたワケじゃない。この『聖天結界』は、僕が張ったのだ。
「なっ、な、なんで……なんでお前が『聖天結界』を使えんだよぉ!?」
「いやぁ、天使の翼を背負うなんて、素面じゃ恥ずかしいねぇ」
聖天級兵装『ガーディアンウイング』展開。僕の背中からは、正に天使のようなと形容するべき、美しい純白の翼が生え出している。
勿論、僕がクソ女神エルシオンなぞに宗派変えをしたワケではない。僕の信仰は呪神ルインヒルデ様にのみ捧られるのだ。そしてウチの教義には『使えるモノはなんでも使う』ってのがある。コイツを手に入れた時に、僕がそう定めた。
「まさか、その翼は明日那ちゃんの————」
「ひゃははぁ! こんないい装備、脳筋バカの剣崎には勿体ねぇよなぁ!」
「なんでお前がソレを使える!? 使用許可は明日那ちゃんしか認証されないはずなのに……」
そうそう、流石は進んだ古代文明の装備品。ただの銃にだって使用者認証のロック機能があるのだ。中でも特別な『ガーディアンウイング』は、より厳重な使用制限がかけられている。
ただ鹵獲するだけで、その素晴らしい性能を使うことは出来ない。
剣崎明日那はセントラルタワーの支配者、アルビオン臨時総督たる小鳥遊小鳥から正式に使用許可を得て、コイツを得意げに使って、愚かにもメイちゃんへと戦いを挑んだ。そして剣崎は狂戦士の力を前に無様な敗北を喫し、ついにその命を落とすことになったのだが————メイちゃんは、剣崎の首を折って殺した。バラバラの八つ裂きでもなく、骨すら残らず消滅したワケでもない。
だから、残っているのだ。剣崎明日那の死体丸ごと。そしてアイツの背にある『ガーディアンウイング』も。
いやぁ、コレの使用認証が、本人の意思ではなく、肉体の方で認証確認している形式で助かったよ。本人の体があれば、生きていようが死んでいようが、どっちでもいい。
小鳥遊からは、僕がそのまま『ガーディアンウイング』を使っていると思っているだろうし、そう見えるだろう。でも実は違う。
僕が背負っているのは、空間魔法をかけた学生鞄。『ガーディアンウイング』を背負っているのは、剣崎明日那の死体だ。
本人の死体を『屍人形』で操れば、まさか『ガーディアンウイング』も使えるようになるとは、僕も驚きだった。天道君達がヤマタノオロチの再討伐に挑んでいる状況下でも、物は試しと実験した甲斐があるってもんだよ。
そしてこれが、小鳥遊を守る『聖天結界』を破るためにとっておいた、切り札だ。
「おい小鳥遊ぃ、『聖天結界』同士をぶつけたことあるかぁ!?」
「くっ、来るな……来るなぁあああああああああ!」
無駄だ、『聖天結界』の硬さはお前が一番よく知っているだろう。闇属性でも何でもない、ブラスターの光弾じゃあ何発撃ち込んでもコイツは破れない。
無意味にブラスターを連射してくる中を、僕は真正面から突き進む。
「行って、桃川君! 私も残り、全部つぎ込んでぶちかますからぁ————」
チラっと振り返り見れば、さらに大きな魔法陣をタクトの先から展開させている姫野の姿がある。
鬼気迫る表情を浮かべた本気の姫野。その瞳は濃いピンク色に輝き、側頭部からはニョキっと角が生えていた。
眷属『淫魔』として覚醒したか。強い魔力の気配が、僕の背中を押すように駆け抜けていった。
「————『愛夜黒槍』ぁあああああああああああ!!」
黒と桃の入り混じった妖しい輝きを放つ、巨大な槍の穂先が姫野より放たれる。
キラキラ輝くピンク色の尾を引きながら、ギラつく穂先が真っ直ぐに小鳥遊へと向かって飛翔する。
「ぁああああああああああああああっ!?」
炸裂した姫野渾身の一撃は、ついに小鳥遊の『聖天結界』に大きな亀裂を刻み付けた。
ビキビキと走る亀裂と無数のヒビ。だが完全に破砕するには至らない。放っておけば修復もされて元の木阿弥だが……もう小鳥遊にそんな時間は残されていない。
「やっ、やめろ、やめろぉ……」
割れかけた結界の向こうで、すぐ目の前まで迫った僕に慄く小鳥遊。いいね、そういう顔が見たかったんだ。
思わず浮かんで来る笑みと共に、僕は一振りの刃を抜く。
樋口のナイフ。恨みの宿るギラついた刃を、僕は振りかぶる。
「やめろぉ、桃川ぁああああああああああああああああああっ!!」
ガシャァアアアアアアアアアアアン!
衝突。粉々に『聖天結界』が砕け散る。
蒼真悠斗が『天の星盾』で桜ちゃんの『聖天結界』を割った相殺現象と、全く同じことが起こった。
僕の『聖天結界』は死体の剣崎を操ることで無理矢理に起動させているので、非常に出力が不安定だ。けれど小鳥遊の『聖天結界』は、姫野の猛攻によって傷ついていた。
僕の結界だけでは届かなかったけれど、姫野の力によって相殺しきれるほどにまで減衰させることが出来たのだ。最後の最後まで、仲間の力が必要だった。
小鳥遊、クラス全員を裏切ったお前にはない力だ。
「これで終わりだ、小鳥遊ぃ————」
そうして、僕はナイフを振り下ろす。
結界が砕け散り、もう何も守るものが無くなった無力な少女でしかない小鳥遊小鳥の胸元へ。
恨み、怒り、全ての思いを込めた呪いの刃が、その心臓を、
リーン、ゴーン
音が聞こえた。
リーン、ゴーン
遥か遠くから響き渡ってくるような鐘の音色。
それと、祈りの言葉だ。
「————助けて、神様」
それを聞き届けた瞬間、僕の視界は真っ白に————




