第389話 巨人殺しの剣
ダークリライト。と、小太郎が呼んだリライトの暴走形態は、その全身を非常に強力な闇精霊が憑りついている状態であると、杏子は一目で理解できた。
『精霊傀儡』の上位互換、というのも超えた、正に人と精霊の一体化。魔人と呼ぶに相応しい。
魔人と化した者の力がどれほどのものかというのは、リライト自身が示した。勇者に真っ向勝負ができるほどの圧倒的な力。
それが今、杏子に必要なものだ。
「————『魔人化・土精霊』」
自然と浮かんだ名を杏子は無意識に口にしていた。
強いオレンジ色の輝きに包まれた今の杏子が感じられるのは、ただ周囲に渦巻く土精霊達の大いなる力。彼らがどこからやって来るのかは分からない。ここが特別な場所なのか、ただ地下深くだから、大地の精霊がいるのは当然なのか。
理由も理屈も考える必要はない。杏子はただ、無尽蔵に湧き出てくるように感じる土精霊の強い気配を、ただありのままに受け入れるだけ。
そうして次々と現れた土精霊は渦を巻くように杏子の下へと集う。最初は微精霊のほのかな光は、加速度的に密度を増してより強く、より大きく輝く。竜巻のような勢いと化して杏子の全身を包み込んだ————その直後、眩い輝きと共に弾ける。
そして、そこに立つのは土精霊の魔人と化した蘭堂杏子の姿があった。
「ま、マジか……杏子もこの土壇場で覚醒するとは」
姿を変えた、いや、それ以上に強烈な魔力の気配を放つ杏子に、小太郎も絶句した。
翻る純白の羽衣。光り輝く黄金と七色の宝石。沸き立つマグマで描かれた魔法陣。そこにある何もかもが、一瞬前とは異なっている。
硬質な大広間の床を溶かし、大きな円形魔法陣がマグマによって刻み込まれている。『魔人化・土精霊』を発動させるためのものであることは一目瞭然。同時に、この魔法陣によって強大な土精霊を呼び込んでいることを、目に見えなくともそこから湧き上がって来る大きな魔力の気配で小太郎は察した。
だが最も注目するべきなのは足元の溶岩陣よりも、それを舞台として中央に立つ杏子。
見慣れた白嶺学園の女子制服は跡形もなく、その身を包み込むのは純白の衣。フワリと浮かぶ羽衣に、ゆったりした法衣のような衣装だ。白一色の装束を美しい黄金の装身具と、色とりどりに煌めく宝石がその身を飾る。
しかし、大きく開かれた胸元に、剥き出しの肩。深いスリットから露わとなる生足。純白の衣装から覗く褐色の柔肌が、何よりも艶めかしく輝いて見えた。
それは神聖な巫女のようでもあり、華麗な姫君のようでもあり、魔性の淫魔のようでもあった。
『魔人化・土精霊』:最上級の憑依精霊術。地母神の御子よ、大地を讃えよ————
天職『土魔術師』の神から新たに授けられた力の証でもある、その魔法の情報が杏子の脳裏に刻み込まれる。
だがその情報を読み込み理解する暇も余裕もありはしない。
杏子はその身に満ちる強大な精霊の力を、ただ強烈な一念をもって制御する。
「頼む……守ってくれ……」
祈り、願う。今の杏子にできる精一杯。
けれど、それでいい。これより他に方法はないのだ。
リライトの暴走を見て、杏子は気が付いた。どうしてリライトは蒼真悠斗だけを狙っていたのか。
勇者に対する憎悪。あまりにも強力な怒りと憎しみが、明確に討つべき敵を定めていた。
そうでなければ、憑りついた闇精霊は好き勝手に暴れ回ったに違いない。精霊には人のように明確な自我はない。彼らは自由で、あるがままに振舞うのみ。
その精霊を従え、導き、その力を束ねるためには、強力な意思の力が必要なのだ。自分が精霊にどうして欲しいのか、それが精霊へと伝わらなければ望む通りの力は発揮されない。
つまりダークリライトは、それほど大量の闇精霊を呼び込み、その憎悪を彼らに余すところなく伝えきったが故に、辿り着けた境地である。
だがその激しい感情は、相棒たるキナコの死という悲劇によって起こされたもの。杏子にはとても、あの瞬間のリライトほどの強烈な意思を示すことは出来ない。
だからこそ、一心に祈る。
リライトのような憎悪ではなく、大切な人を守りたいという愛を願う。
「الارضمجوهراتالحمايةروحمرآة————」
口から紡がれる詠唱は、土精霊が杏子の意思に応えた証。だが自分ではそれを口ずさんでいることさえ認識できていない。
強大な土精霊を宿したことで、意識が朦朧としている。自分と精霊、その境界線が曖昧になってゆく。何もかも忘れてしまい、大いなる力のうねりにただその身も心も委ねて、消えてしまいそうになる感覚。恐怖はない。むしろ心地よさすらある。これは消滅ではなく解放だ。
このまま溶けて、何もかも一つになってしまいたい————その根源的な欲求を、愛の力によって杏子は跳ね除け、自我を押し通す。
「無駄だよ無駄ぁ! もう何したって無駄なんだよぉ! 次こそ、お前ら全員まとめて消し飛べぇええええええええええええええ!」
突き立つ大岩の盾の向こうで、小鳥の絶叫と共に再び滅びの光が瞬く。
大守護天使の額より放たれる光線は、先と全く同じ絶大な威力をもって解き放たれた。
キィン————
絶大な破壊力と相反する済んだ音色が響く。その瞬間には、すでに大広間を揺るがす衝撃と熱波が駆け抜けているはずだった。
視認すれば失明せんほどの輝きを放つ光線。その矛先は、虹色に輝くまた別の輝きによって遮られた。
「————『七天宝鏡』」
それは、ただの岩であるはずだった。
無理を押して発動させた『岩山巨盾』は、巨大な岩の盾となってそそり立っていた。
頑強極まる岩の大盾はしかし、大天使の発する光を前にあえなく溶けだし、1秒と持たずに貫かれ、爆散する。事実、赤々と熱され溶岩化した岩は次の瞬間には飛沫のように四方八方へ散った。
だがしかし、飛散した大岩の内より現れたのは、巨大な……あまりにも巨大な宝石であった。
「宝石の盾……?」
見たままの感想が小太郎の口から漏れる。
断崖絶壁の一角をそのまま持って来たかのようにそそり立っていた『岩山巨盾』、それとほぼ同等サイズの巨大宝石。美しい虹色に煌めく、綺麗な卵型のそれは宝玉と呼ぶべきか。
見上げるほどに大きな七色の宝玉は、精緻な文様が刻み込まれた黄金で縁取りされている。これが掌サイズで持ち手もついていたならば、確かに手鏡のようにも見えたかもしれない。
けれどそれは、人間が身だしなみを整えるために自らを映し出すための道具ではない。これはきっと、女神を映すための鏡。小太郎は一目見て、不思議とそう確信できた。
「なっ、なんだよコレぇ……ふざけんな、なに防いでんだよ、こんなもんさっさとぶち破れよこのポンコツがぁ!」
見たことのない防御魔法によって、必殺の光線が防がれていることに小鳥が激昂する。
杏子の『七天宝鏡』は、極大のビームを見事に正面から受け止めている。激しい閃光を散らしながら、光線が幾筋にも分かたれて四方へ散らしているようだ。
だが完全にその威力の全てを防ぎきっているわけではない。その神々しい宝玉の煌めきは、ジワジワと失われてゆき、ついにはひび割れも走り始めていた。
「そうだ、このまま押し切れ! 邪魔な奴らみんな消して、蒼真君と、小鳥の勇者様とやり直すんだからっ!!」
途切れることなく放たれ続ける光線を前に、『七天宝鏡』の限界が見え始める。その輝きは半ば以上失われており、あと数秒の後には砕け散る運命を小太郎にも小鳥にも予感させた。
「ありがとう、蘭堂さん」
その生死の境を跨ごうとする時間の中、万感の思いで芽衣子は感謝の言葉を口にした。
魔法や精霊のことなど全く分からない芽衣子だが、杏子がどれほどの無理を押してこの僅かな時間を守り切ったのかは、はっきりと理解できている。彼女の強い気持ちが、この絶望的な状況を打破するチャンスをくれた。
小太郎ではなく、杏子が暗闇を照らす光を灯してくれたのだ。ならば、後は自分が希望への道を切り開くのみ。
大天使の光線が放たれてより、実時間にして約8秒。そして『七天宝鏡』はいまだ健在で、あと数秒は優に持つ。
10秒守り切る。杏子がその約束を果たした瞬間、新たなる光が突き立つ。
「『ザガンズ・プライド』、最大刀身解放」
両手持ちで上段に構えた巨人の剣を、芽衣子は最大まで刃を伸ばす。
ギラ・ゴグマのザガンが愛剣として振るい続けたからこそ、巨人化状態の時と同様のサイズまで剣を巨大化させることが出来るのが、『ザガンズ・プライド』が宿す特別な能力である。
普段の戦闘では最大刀身まで伸ばすことは滅多にない。伸ばしても振るった瞬間、遠い間合いまで斬撃を届かせたい時くらい。そもそも人の身である芽衣子に、巨人の剣は大きすぎるのだから。
しかし、今はその巨人の剣を人のままで構える。
柄を握り、構えを保持するだけでも凄まじい力を要する巨大な剣を芽衣子は振り上げた。シンプルな両刃の直剣は、刃こぼれ一つなく強靭にして鋭利な切れ味を誇るように鋼の煌めきを放つ。
天を衝くかの如く堂々と振り上げた巨大な剣へと、その瞬間に落雷が落ちたように強烈な光が瞬く。
それは大天使の放つ光線の青白さとも、杏子が掲げる宝玉の七色とも、異なる輝き。呪われたように禍々しい、赤黒い雷光となって『ザガンズ・プライド』を輝かせた。
「メイちゃん、その技はまさか————」
ビームを防ぐ手段がない、と小太郎は諦めたが故に、知ってはいても選択肢に浮かばなかった。けれど杏子は自分が時間を稼ぐ覚悟を決めたからこそ、ソレを選ぶことができた。
小太郎も杏子も、ここまで生き残ったクラスメイトの全員が知っている。
芽衣子はゴーマ王国攻略戦において、一人で最強のギラ・ゴグマ、ザガンを討ち取った。人が巨人を殺す、伝説的な偉業。
ならばその偉業を成し遂げた者に、狂戦士の神は何を授けるのか。
そう、芽衣子はザガンという巨人殺しをもって、新たな力を授かっている。
だがしかし、その力を揮うことはなかった。威力は絶大なれど、それを放つにはあまりにも隙が大きく、長すぎる。
怒涛の攻撃を仕掛けるモンスターは勿論、剣崎明日那や蒼真悠斗のような剣の使い手が相手となれば、とてもそんな大技を繰り出す隙などあるはずがない。
その力を解き放つために必要な時間は、実に10秒。正確に構え、体内の魔力を鋭く練り上げるのに全ての集中力を要する。技を放つその瞬間まで、動けず、見えず、完全に無防備な状態を晒すこととなってしまうのだ。
そんなもの、刹那の間に生死が決まる死闘の中でなど、とても使い物にならない……はずだった。
けれど、仲間がその時間を生み出した。あまりにも致命的な隙を埋めてくれた。
これは自分一人の力ではない。仲間がくれた奇跡の10秒をもって放つ、起死回生の必殺技。
広大な大広間、その遥か高い天井に届かんばかりにそそり立つ、黒き雷光を纏った巨人の剣は、さながら勇者が女神より授かった『聖天に輝く勇者の剣』に匹敵する、巨大な光の刃と化していた。
かくて再び巨人を殺すべく、剣は振り下ろされる。
「————『巨人殺し』」
『巨人殺し』:七つの試練が一つ、巨人殺しを成し遂げた者に与えられる奥義。
漆黒の剣閃が、縦一文字に振るわれた。広間そのものを両断するかの如く巨大な一閃が、光線を放ち続ける大守護天使を襲う。
「はっ、なにコレ————」
白き女神の威光を真っ向から否定するかのような、禍々しい赤黒い斬撃が頭上から迫り来るのを、小鳥は茫然と眺めることしかできなかった。
どの道、召喚陣から身動きが取れない上半身のみの大守護天使には、回避のしようなどない。勿論、小鳥が乗り込んだコックピットブロックでのマニュアル操作など生きてはいないし、可能であったとしても操縦法など知る由もない。
古代においても強力な兵器であった大守護天使は、蘇った現代においてはただの大きな固定砲台に過ぎないのだ。それでも強大にして頑強な古の人型兵器は、ちっぽけな生身の人間を相手にするには、あまりにも過剰な存在。
その性能だけは知っている小鳥は、万に一つも敗北はありえないと確信していた。
けれど小鳥は知らなかった。ただの人間が、巨人を殺す一撃を持つことを。
『狂戦士』双葉芽衣子が、意図せずとも乗り越えた神の試練によって得た奥義は————『巨人殺し』の名に違わず、機械の巨人を殺す。
ギャリィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイインッ!!
耳をつんざく轟音は、振り下ろされた巨剣が鋼鉄の脳天を叩き割る響き。
堅牢な頭部装甲は僅かに斬撃を食い止めたが、次の瞬間には膨大な火花と閃光を撒き散らしながら断ち切られる。
その時には、すでに光線を発する額も通り過ぎている。神々しく輝く発射口となる蒼い宝玉も真っ二つになり、破滅の光を照射する機能を瞬時に失う。
砲口を失った固定砲台など、後はもうただの金属オブジェに過ぎない。
額を通り、顔面を割り、首から胸上まで一刀両断。小鳥が乗り込む胸元は、元々パイロットが乗り込むコックピットブロックであるせいか、より堅い守りが施されている。
それによって、真上からの縦一文字に切り裂いていた斬撃が、そこでかすかに逸れる。何が起こっているのか理解できていない小鳥のすぐ真横を通り抜け————脳天から腰まで真っ二つに切り裂かれた大守護天使は、ギギギと不吉な金属の悲鳴を上げて、ゆっくりと左右へと分かたれ始めた。
「わっ、あっ、あぁ……わぁあああああああああああああああああああっ!?」
大守護天使が崩壊を始めて、小鳥はようやく何が起きたのか理解が追いつく。無論、その時になっては全てが手遅れ。
『巨人殺し』は、すでに大守護天使を殺した。賢者が頼った最後の秘密兵器、鋼鉄の機械天使は全ての機能を停止させ、狂戦士の刃の前に倒れる。
「うわぁああああ! そんな、嘘っ、やだ、小鳥の大守護天使が————」
悲鳴は、切り裂かれた断面から次々と上がり始めるスパークと爆音によって、かき消されてゆく。大守護天使を呼び出した床に描かれた召喚陣も不安定化しているのか、激しい明滅を繰り返しながら今にも消えそうな様子だ。
崩れ行く大守護天使と、断続的に上がる爆発によって小鳥の姿が閃光と爆煙に隠れる。その行く末を見届けることなく、小太郎は慌てて動き出した。
「メイちゃん!」
奥義を繰り出した直後に、芽衣子の体はフラつき、そのまま後ろへと倒れ込んで行く。
「うぉーっ!」
ギリギリで駆け寄った小太郎が芽衣子の体を受け止めることに成功。本物の小太郎は強化学ランのお陰で、貧弱な腕力でも芽衣子の大きな体を支えられるくらいのパワーは出せる。
無様に潰されることなく、ゆっくりと芽衣子を床へと寝かせた。
「ごめんね、小太郎くん……私も、もう限界、みたい……」
「いいんだよ、アイツを倒せた。流石メイちゃんだ、ありがとう。後は僕に任せて、ゆっくり休んで」
その言葉を聞き届けて、芽衣子は微笑みながら意識を手放した。
タワー攻略の連戦にヤマタノオロチ再討伐と激闘続きで、勇者との戦闘では『ベルセルクX』も服用しているのだ。その上さらに『巨人殺し』まで放てば、体力と魔力、そして精魂尽き果てるのも無理はない。
倒れた芽衣子を見届けて、小太郎は今の今まで無理を押して戦い続けていたのだと気づかされた。やはり無意識の内に、芽衣子の力に頼っていたことが悔やまれた。
「おーい、小太郎……ウチも限界なんだけどぉ」
「杏子も、ありがとう。あっ、もう変身解けてる」
気が付けば、その場に座り込んだ杏子が、倒れた芽衣子を抱える小太郎をジト目で睨んでいた。
その姿はいつもの見慣れた制服姿であり、無防備なミニスカートから覗く豹柄が目に眩しい。
「スゲー頑張ったんだから、終わったら……覚悟、しとけよな……」
「か、覚悟って……」
何の、と問い返すよりも前に、杏子も魔力切れによる深い昏睡状態へと陥った。魔力の枯渇に加えて、初めての魔人化による身体的な負荷もある。しばらくの間は、決して目を覚まさないだろうことは、間違いない。
小太郎はついに倒れた芽衣子と杏子、最も頼れる二人の少女を後に、崩れ落ちた大守護天使へと向かう。
「————も、もぉ、かぁわぁあああああああああ!」
怨嗟の呼び声と共に、『聖天結界』の輝きを纏った小鳥が潰れかけのコックピットから飛びし出して来た。
明滅する白翼を羽ばたかせて、怒りと屈辱に顔を歪ませた小鳥は、目の前に立つ呪術師を睨みつける。
「これで終わりだ。ケリをつけるぞ、小鳥遊」




