第388話 エレメントマスター
「うわっ、マジかよクソ……ホントに飛ばしやがった」
信じ難いほどの短絡的な行動だ。
もう一回やり直すだって? そんなの通るか。クソ女神がそんな慈悲深いワケないだろうが。
ここまでお膳立てしてチートも知識も与えた上に、勇者育成の使命失敗させた無能に、もう一回チャンスなんざ与えるワケないだろうが。どう考えても新しい次の賢者を用意する方がマシだ。
しかし、だがしかし……真の愚か者は、ダメだと分かり切っていてもやるから愚かなのだ。真実や真意は関係ない。ただ自分にとって最も都合がいい希望と言う名の甘えた願望に死んでも縋りつくものだ。
そして小鳥遊の愚かな選択は、困ったことに今この場においては僕らに対してこの上なく有効に作用してしまった。
「あ、諦めなさい、小鳥! やり直しなんて、出来るはずがないでしょう!」
「うるさい、うるさい、うるさぁい! お前らのせいだ、全部、お前らが悪いんだからな!!」
桜ちゃんの至極真っ当な呼びかけに、小鳥遊は癇癪を起したクソガキのように喚き散らす。
本当は自分でも、もうどうしようもない失敗を犯して取り返しなどつかないことは分かっているだろう。
それでもこの追い詰められた状況に耐えかね、ただ目の前にいる僕らという憎い敵への怒りを燃やすことで、現実逃避をしているのだ。
冗談じゃない。お前の幼稚な八つ当たりに巻き込まれて心中だなんて、絶対に御免だ。
「小太郎くん、あれはちょっとまずいよ」
「うん、分かってる」
分かっているけれど、参った、どうしよう。
こっちは唯一無二の人質を失い、小鳥遊は古代兵器の巨大ロボを今まさに大暴れさせようとしている。
そして今の僕に残された戦力は、メイちゃんと桜ちゃんの二人だけ。姫野は戦力外。
「スモーク!」
叫びながら、僕は煙玉を投げつける。
ひとまずここは退くしかない。少なくとも、今にもビームでもぶっ放してきそうな巨大ロボこと大守護天使『ギガ・ミカエラ』の射線から逃げなくては、対処のしようもない。
大丈夫だ、きっとまだ何とかなる。小鳥遊は破れかぶれで暴走しており、頭は回っていない。大守護天使も見るからに半壊状態で、何とか稼働しているといった様子。どこか内部の中枢部品にダメージを通すことが出来れば、止めることも不可能ではないはずだ。
だがその前に、まずはこの場を逃れて身を隠さなくては、
「逃がすかよ、お前ら全員ここで————死ねぇ!!」
濛々と広がって行く煙幕の向こう側で、一際に眩い光が瞬く。
それは神々しいほどに美しい蒼白に輝く光。それを発するのは、やはり大守護天使の額にあった、やけに目立つ大きな蒼い第三の瞳に違いない。
「小太郎くん!」
あっ、と思った瞬間に僕の体はメイちゃんの大きく柔らかい体に包まれていて、
「————『聖天結界』、全開っ!!」
桜ちゃんの切羽詰まった声と、眩い白い光が駆け抜け、
キィン————
やけに透き通った音が響いた瞬間、途轍もない衝撃と灼熱が僕らを襲った。
「ぁあ……が……」
思わず叫び声を上げているはずなのに、自分の声も聞こえない。轟々という破滅的な音だけが鼓膜を破らんばかりに響き渡り、自分が立っているのか、倒れているのか、それとも吹っ飛んでいるのかも分からないほど前後不覚となる。
それでも、ただ僕を強く抱きしめてくれるメイちゃんの感触だけが、まだ自分が生きているのだと思えるただ一つの証。
意識だけは失わぬよう、僕は必死にその温もりにしがみつき……どれだけ時間が経ったのだろう。
実時間にすれば僅か数秒。けれど永劫の責め苦を受けるかのような感覚に、生きた心地はあまりしない。
けれど、ぼんやりしている暇などない。自分にちゃんと手足があることを確認してから、僕は何が起こったかを知るために、固く瞑っていた目を開く。
「桜ちゃん!?」
まず目に入ったのは、シュウシュウと真っ白い蒸気をその身から上げている桜ちゃんの姿だ。
よく見れば彼女を中心として、僕らを内に収めたドーム状の淡い光の結界が残っている。どうやら『聖天結界(オラクルフィ―ルド)』を張って、僕らを守ってくれたようだ。
けれど、それも今まさに限界を迎えた。
ガシャァアアアアアアアアアアアン!
けたたましい音を立てて、粉々に『聖天結界(オラクルフィ―ルド)』が砕け散る。キラキラ輝く破片を撒き散らしながら、桜ちゃんはついに力を失ったようにその場に倒れ伏した。
「うわっ、熱っつ!」
思わず伸ばした手を引っ込めてしまうほどの高熱が、桜ちゃんに宿っている。伊達に蒸気を吹いているワケではないようだ。
恐らく『聖天結界(オラクルフィ―ルド)』だけで、攻撃の熱量全てを防ぎきることができなかったのだろう。それでも目に見えて火傷を負ったように見えないのは、生身への直接的なダメージそのものは何とか防いだのだと思われる。
「やっぱ魔力切れか。でも体の方も限界だな」
とりあえず取り出したリポーションをぶっかけて、呼吸と脈拍を確認。桜ちゃんは静かに眠っているように見えるが、ゆすったところで起きることはないだろう。
限界以上まで『聖天結界(オラクルフィ―ルド)』を行使し、すっかり魔力を使い果たしたようだ。そしてこれまでにない出力で展開させたことで、肉体にも相応の負荷もかかったことだろう。
致命的な一撃を見事に防いでくれたが……桜ちゃんはもう、戦うことはできない。
「良かった、小太郎くん……無事だね」
「うわっ、メイちゃんは無事じゃないでしょ!?」
振り向き見れば、桜ちゃんと同じように蒸気を上げるメイちゃんの姿があった。
片手に握った『ザガンズ・プライド』を杖のようについて、明らかに息も上がっている。巨人の剣と我が身を盾にして、僕を守り切ってくれたのはいいけれど……
「はぁあああ? 何でまだ生きてんだよお前らは。無駄に粘ってんじゃねぇ、さっさと消し飛んでろよ」
不機嫌な小鳥遊の声が響く。大守護天使の一撃を凌いだものの、事態は何も好転していない。
見れば、いつの間にか小鳥遊は大守護天使の胸元、半開きのコックピットみたいな場所へと移動していた。
剥き出しではあるが、見るからに『聖天結界』が機能しており、一発撃ち込んだところで仕留められそうもない。怒り狂っているくせに、無駄に自分の安全確保だけには余念のない奴だ。
けれど注目すべきはそこではない。
「くそっ、やっぱまだ撃てるんじゃないかよ……」
大守護天使の額に輝く蒼い目は、明滅を繰り返して如何にも魔力を再チャージしていますといった様子である。半壊したロボに、無理を押して攻撃させたら自壊、なんてことにはならなかったようだ。
間髪入れずに連射できないだけマシだが、多少のクールタイムを経て撃ち続けられるなら、絶望的な状況であることに変わりはない。
見たところ、大守護天使にまだガタが来た様子は見えない。コイツはあと何発ビームを撃てる?
こっちは脇に転がっている巨人レムを動かしても、次の一発を凌ぎきれるかどうかも分からない。あれほどの威力だ、巨人レムでも直撃すれば消し飛ばされそう。
まずい、どうする。手札がほとんど尽きている。倒れた桜ちゃんを回収しなきゃいけないし、メイちゃんだってまだ戦えるというだけで、次に撃たれて生身で耐えられるはずがない。
というか僕だけほとんど無傷ではあるけど、同じく直撃されれば一瞬で蒸発する。その上さらに、大守護天使による攻撃ならば『痛み返し』で小鳥遊の道連れさえできない可能性が高い。
あ、やばい、これもしかして……詰んだ?
「————『岩山巨盾』」
絶望感で本当に目の前が真っ暗になってきた、と錯覚しそうな勢いで僕らの目の前に一挙に巨大な岩の壁が突き立った。この見事な土属性魔法を行使できる者など、二年七組には一人しかいない。
「杏子!」
「ふぅ、はぁ……小太郎、ちょっと下がってろ」
下がっていたはずの杏子が、再び前線へと復帰してきた。
だが明らかに息が上がっており、その足取りも重い。クラスメイトVS勇者の戦いには参加しなかった杏子は、その分だけ多少は魔力回復が出来てはいるが、それでも万全には程遠い。
気持ちは嬉しいけれど、正直なところ半端な魔力で出張って来られても、形勢逆転できる力があるとは……
「心配すんなって。たまにはウチらに頼れよ」
「もう十分頼ってるよ。それより、無理をしたってこの状況は————」
「アイツの攻撃はウチが何とかする。おい双葉、時間稼いでやるから、必殺技を一発ぶち込めるか?」
「十秒あれば、アレを斬れるよ」
「任せろ」
覚悟の決まった二人のやり取りに、僕は全く口を挟むことは出来なかった。
メイちゃんがそっと僕を後ろに下がらせる。悔しいけれど、杏子の言う通りにするしかないようだ。
「ごめん、今の僕にはもうアレをどうにかする手段も考えもない。杏子とメイちゃんに、全て任せるよ」
杏子がこれから何をするのか、どうやってあのクソ強ビームを防ごうとしているのか、全く見当もつかないけれど……出来る限りのサポートはできるよう構えておこう。
巨人レムはまだその場に伏せさせ、僕は『無道一式』を握りしめる。レムとありったけの肉塊をぶつければ、あの巨大ロボだって多少怯ませることはできる。
逆にいえば、それしかできない。この窮地を打破するためには、もうこの二人の力に賭けるしかないのだ。
「おう、そこで見とけよ、ウチの大活躍」
「うん、任せてよ、小太郎くん」
力強く応えてくれる二人の姿を、僕は「神のご加護がありますように」と祈りを込めて見つめ返した。
「逃がすかよ、お前ら全員ここで————死ねぇ!!」
小鳥の絶叫と共に放たれた、大守護天使のビームを杏子は見ていた。
それはヤマタノオロチのブレスや、勇者の必殺剣に匹敵する途轍もない超威力。多少の距離があったとて、射線上に入れば何が起こったのか分からないまま一瞬で蒸発しただろう。
そう杏子が理解した時には、すでに破滅の光線は過ぎ去っていた。
「小太郎……」
灼熱によって煙る蒸気の向こうで、芽衣子に守られた小太郎と、倒れた桜の姿を見て、ひとまず凌いだことに安堵する。
「はぁあああ? 何でまだ生きてんだよお前らは。無駄に粘ってんじゃねぇ、さっさと消し飛んでろよ」
しかし状況は変わらず絶望的。次にもう一発撃たれれば、それでお終いだ。
「ちょ、ちょっと、蘭堂さん!? 何する気よ、ここでジっとしてないと!」
おもむろに立ち上がった杏子を、後方で治療に当たっていた愛莉が慌てて止めた。
この場には倒れた龍一、休眠状態に入ったリベルタ、そして二人を回収してきた桃子。それから勇者との戦いには参戦しなかった杏子と愛莉が残っている。
上へと通じる階段を背に、大広間の端にあるここを簡易陣地としてあるが、大守護天使のビームの余波はここにも届き、その恐ろしい熱風で煽られている。
外傷こそないものの、半分も魔力が回復していない杏子が無茶をやらかそうとするのを、愛莉が止めるのは当然の行動であった。
「うるせぇ、姫野」
「そんな状態で出て行って、何が出来るってのよ!」
「今行かなきゃ、全員やられるだけじゃん」
絶体絶命なのは見ての通りだが、立ち上がり一歩を踏み出した杏子の足取りはすでにしてフラついている。いまだ魔力欠乏の症状が抜けきっていないのは明らかだ。
「でも、だからって……」
「姫野、アンタは自分の仕事に集中してろ。小鳥遊のデッカいガラクタ野郎は、ウチと双葉が何とかしてきてやっから」
「ほ、ホントに何とかなるのぉ……? あれ桃川君だって諦めた顔してるけど」
「だから、ウチが行くんだっての」
どいつもこいつも、あれだけ忌み嫌っていた蒼真桜でさえ、小太郎に頼っている。みんなで寄ってたかって、桃川小太郎という、同じクラスメイトに過ぎないたった一人の少年を頼りにしている。
最初は自分もそうだった。
使えない土魔術師の力。天道龍一とジュリマリの二人にくっついて、ただ一緒に守ってもらうだけの立場。けれど、小太郎がその力の使い方を教えてくれた。
気が付けば、随分と強くなったものだ。自在に土魔法を操り、色んなことが出来るようになった。蘭堂杏子は誰もが認める、魔術師クラスのエース級。
そこまで至って、ようやく杏子は気が付いた。こんなに強くなっても、まだ小太郎に頼ってばかりいることに。
ヤマタノオロチ討伐。ゴーマ王国攻略。そして最後のダンジョン攻略となるセントラルタワーと、その最深部で待つ勇者と賢者のラストバトル。
絶望的なまでに強大な敵へ挑めるのは、小太郎がその道を示してくれるから。それは暗闇の中に輝く、たった一つの灯火のように。
小さく、けれど何よりも明るく輝き、導いてくれる希望の光。
その光が潰えそうになるならば、
「————『岩山巨盾』」
多少の回復をしてもなお、心許ない魔力を費やして、杏子は上級防御魔法を張った。
大守護天使はその上半身が生えている魔法陣からは動けない。射線を自ら変えることができないなら、ただ真正面だけ塞いでおけばいい。
少ない魔力だからこそ、僅かほども無駄にせず精密な魔力操作と構築で、最低限のサイズに、最高の密度で大岩の盾を作り出す。しかし、これ一枚であのビームを防げるとは思っていない。これは下準備に過ぎず、ついでに小鳥からの目隠しになればそれで良い。
「杏子!」
「ふぅ、はぁ……小太郎、ちょっと下がってろ」
消費した魔力で、息が切れる。気を抜けば、再び膝を屈してしまいそう。
「心配すんなって。たまにはウチらに頼れよ」
「もう十分頼ってるよ。それより、無理をしたってこの状況は————」
純粋に心配の言葉をかける小太郎だが、今欲しいのはそんな台詞ではない。
「アイツの攻撃はウチが何とかする。おい双葉、時間稼いでやるから、必殺技を一発ぶち込めるか?」
「十秒あれば、アレを斬れるよ」
杏子の意図を、芽衣子は即座に察してくれた。共に同じ気持ちを抱いているからこそ。
芽衣子はこれから杏子がどうやってビームを防ぐのかは、全く知らない。ぶっつけ本番、試したことも、試そうと思ったことすら一度もない。
だが方法などどうでも良い。芽衣子は信じたのだ。
杏子は必ず、破滅の光線に晒されても、芽衣子が攻撃するための十秒間を守り切ると。
そして杏子は知っている。芽衣子には十秒あれば、あの巨大な機械天使をぶった切ることもできる、とっておきの刃を持っていることは。
「任せろ」
だから、後は自分との戦いだ。
何が何でも、十秒守る。小太郎の導きはない。希望の灯火が照らしてくれない未知の暗闇を、自ら一歩を踏み出す。
「ごめん、今の僕にはもうアレをどうにかする手段も考えもない。杏子とメイちゃんに、全て任せるよ」
「おう、そこで見とけよ、ウチの大活躍」
「うん、任せてよ、小太郎くん」
ここで応えなきゃ、女が廃る。
命と希望、全てを自分に託してくれた小太郎の言葉に覚悟を決めて、杏子は一歩を踏み出した。
「ありがとな、葉山。お前のお陰で、やっとウチにも分かったよ」
杏子は『精霊傀儡』を習得できなかった。
小鳥の凶悪なスキル『神聖言語』への対策に必要な、精霊を介して自らを操る魔法。習得できたのは思いついた小太郎自身と、桜だけ。精霊術士当人であるリライトも上手くできなかった。
杏子もイマイチ感覚が掴めず、自分にはセンスがないと諦め、攻撃に転用する土精霊の使い方の方が上手くいっていたため、そっちを伸ばす訓練へと比重を傾けていた。
けれど杏子はリライトが闇の魔人と化し、勇者へと挑んだ姿を目にして、気が付いたのだ。精霊の本当の扱い方を。
「ウチの体、全部くれてやる————」
目を閉じ、全てを受け入れるかのように大きく両手を広げる。
杏子の声に、いや、意志に応えて土精霊が彼女の周囲からマグマのようなオレンジ色に輝く光を纏って現れる。
発光する微精霊は靄のように浮かび上がり、それは徐々に色濃く、より強い土属性魔力を伴って増大してゆく。
やがてそれは、眩いほどの光となって輝き、杏子の一身に集中し、
「————『魔人化・土精霊』」




