第383話 クラスメイトVS勇者(1)
「クソッ! これ以上はもうもたない! 撤退だ! 総員、撤退ぃーっ!!」
広大な空間に高らかに響き渡る小太郎の撤退命令に、思わず悠斗はそちらへ視線を向けた。
かなり距離を置いて戦っているので遠目となるが、そちらの戦況は拮抗しているように思える。
無敵の結界に守られた小鳥を、さらに強力な守護天使の軍団が守っている。だが対する小太郎も、自身を強靭なモンスターへと変化させ、さらにはアンデッド軍団をゾロゾロと呼び出し、おまけに桜の掩護もあった。状況としては、むしろ小太郎側の方がやや押しているほど。
「見切りが早い……いや、大守護天使を警戒したか」
恐らく、小太郎に撤退を決断させたのは、小鳥が満を持して呼び出そうとしている大守護天使の召喚を察知したからだろう。
小鳥は事前に、悠斗が安心して戦えるよう、自身の護衛となる守護天使について説明はしてある。その中でも特別な申請を要する大守護天使は、小鳥の守りを任せても大丈夫だと思えるほど、非常に強力な古代兵器だ。
小太郎であれば、大守護天使というこちらの切り札となりうる戦力についても、あの手この手で情報を入手していてもおかしくはない。その強さを理解しているからこそ、ソレが投入されれば戦況がひっくり返されると見て撤退を選ぶのは合理的な判断だろう。
「だが、お前を逃がしはしない————吹き散らせ、大風聖霊」
サークレットに嵌められた七つの宝玉の一つ、風を司るエメラルドの宝玉が輝き、悠斗の周囲に嵐が吹き荒れる。
撤退命令が響くと同時に、龍一と芽衣子も即座に反応して、それぞれ煙幕を投げ込んで来た。瞬く間に濃密な煙が満ちて視界を閉ざして行くが、それを易々と見逃すほど勇者は甘くない。
煙幕は小太郎が学園塔時代から使っていたアイテムだ。狡猾な呪術師は、こういうモノの使い方が上手い。
単純に逃げ出すための目くらましとして利用するだけでなく、煙幕を活かして去り際に不意打ちの一撃を繰り出して来てもおかしくはない。まして、相手は龍一と芽衣子。背中を向けて逃げ去る瞬間でも、決して油断はできない。
よって、悠斗はまず立ち込める煙幕を掃うべく、風の大聖霊を使役した。
「させるかよ————『黒嵐城壁』」
成長スキル
『デスブラスト』:闇の魔力に轟く黒き風。
捕食スキル
『エール・スペリオルマギア』:風属性の上級魔法を全て行使できる。
勇者が発する淡い緑の風に対抗するのは、黒き風。
闇の魔力によってのみ吹き荒れる『デスブラスト』を、『エール・スペリオルマギア』で上級魔法として行使する。
悠斗が大風聖霊によって自身の周囲に立ち込める煙幕を一掃したところに、黒々と吹き荒れる風の範囲防御魔法が渦巻く。
結果、悠斗の半径数メートルまでの煙幕は晴らしたが、その外側には黒い竜巻と化して龍一の『黒嵐城壁』が立ち塞がった。轟々と激しく吹き荒れる黒風の先を見通すことはできない。
いまだ、勇者の視界は閉ざされていた。
「ならば、嵐を切り裂くまで!」
このまま大風聖霊をぶつけたところで、『黒嵐城壁』の相殺はできないと判断。更なる力を持っての突破を選んだ。
黒い台風の目に立っているかのような状態で、悠斗は高々と『光の聖剣』を振り上げる。
「はああっ!」
裂帛の気合と共に振り下ろされた巨大な光剣。それは暗黒を晴らす神々しい輝きとなって、激しく渦巻く黒い嵐を切り裂いた。
青白い燐光が視界を閉ざす黒き風を相殺し、消滅させてゆく。
「なっ、なんだアレは————」
そして再び取り戻した視界に映った光景に、悠斗は驚愕に目を見開いた。
ドズゥウウウウウウンンッ!!
超重量の巨躯が大地に落ち、途轍もない轟音と衝撃が駆け抜ける。
悠斗が見たのは、ザガンのような巨人がうつ伏せで宙から降って来て、叩きつけられる正にその瞬間であった。
「はっ、小鳥遊さんは!?」
一拍遅れて、巨人が叩きつけられた場所が、小鳥の立ち位置であったことを悠斗は思い出し、戦慄した。
「さぁな、そのまま潰れてくれりゃあ楽なんだが」
「退けっ、龍一!」
「おいおい、そう焦るなよ悠斗。こっから先は、お前が主役だぜ?」
先までの劣勢によって体中に傷を負った龍一は、不敵に笑う。
そして、その隣には静かに狂戦士が佇む。
共に傷だらけだが、立ち塞がる二人を容易に突破することは難しい。
どう切り抜けるべきか。考え始めた悠斗がその解答を導き出すよりも前に、その思考は中断させられた。
「————兄さん」
「桜っ!」
王と狂戦士が立つ後ろから、ユニコーンのような白馬に跨った桜が現れた。
「小鳥遊のことなんか、気にしている場合じゃあないよ、蒼真悠斗。ここで、君を仕留める」
「桃川っ、小太郎ぉ……」
冷めた表情で桜の後ろから顔を覗かせた小太郎に、悠斗は憎悪に顔を歪めた。
「桜から離れろっ、この外道が!」
「心外だね、この僕が好きで桜ちゃんにくっついているみたいな言い方は」
よっこいしょ、と馬からピョンと飛び降りる小太郎。桜も華麗に身を翻して鞍から降り、綺麗な着地を決める。
右手には『聖女の和弓』を握り、空いた左手が馬の鼻先を一撫ですると、役目はもう終えたとばかりにユニコーンは自らの影に沈み込む様に消えて行った。
「この期に及んでは、説得の言葉もありません。兄さん、お覚悟を」
「悪いが桜、今度はさっきのように楽に気絶させてやることは、できそうにないぞ」
「でも、命を奪うほどの覚悟はないでしょ、悠斗君」
「ごめんね、蒼真君。私もやるよ」
「委員長と夏川さんまで来たか……」
多少は魔力が回復したといったところか。顔色は若干蒼褪めているものの、確かな覚悟を決めた凛とした表情で、氷の杖を握りしめた涼子が、悠斗の背後へと立った。
そしてすぐ隣には、親友たる夏川美波も堂に入った構えで二本のナイフを握る。
「トチ狂った君を、クラスみんなで止めて上げようって言うんだ。この借りは一生モノになるよ、蒼真悠斗」
「よくも、クラスのみんなを手駒に……許さない。桃川小太郎、お前だけは、絶対に許さない!」
すでに正気なのは自分と小鳥の二人だけ、ということは分かり切っていたこと。だがしかし、いざこうして小太郎がクラスメイトを率いて襲い掛かって来れば、そのあまりにも残酷な現実に、激しい怒りが湧き上がって来る。
そしてその正義の怒りに呼応して、勇者の力は更に高まって行く。
すでに相当な魔力を消費して龍一と芽衣子のタッグを相手に戦ったが、胸の奥底から無尽蔵に力が湧き上がって来る感覚と共に、悠斗は邪悪な呪術師を睨みつけた。
「ファイナルラウンドだ。ケリをつけよう、蒼真悠斗————」
冷酷な眼差しで悠斗を射抜く小太郎が杖を振るう、その寸前にはすでに先手は打たれていた。
「————『閃光白矢』」
「————『薄氷矢』」
先んじて飛来する、光の大槍と氷の矢。
前からは桜が放った『閃光白矢』が、後ろからは涼子の放つ『薄氷矢』が、悠斗を挟み撃ちにするように迫る。
「無駄だ、この程度で今の俺は止められないぞ」
勇者が『聖火蒼雷』を一振りすれば、一筋の青白い雷撃が飛び出し、背後には燃え盛る炎の壁が立ち昇る。
大きな白い光の槍と化している『閃光白矢』は、その鋭い先端に吸い寄せられるように雷撃が炸裂。閃光と雷光が眩い輝きとなって爆ぜる。
後ろに燃える炎の壁は、儚い氷の矢など何本飛んできても容易く消滅させた。
涼子はやはり事前の戦いでほとんど魔力を使い果たしてしまっているようだ。回復しても微々たるもの。こんな下級攻撃魔法を撃つので精一杯。
ほとんど戦力としては役に立たない。氷の矢など目くらましにでもなれば上等といったところか。後は、最後の力を振り絞って、隙を突いて上級を一発撃ち込めれば、といったところだろう。
明らかに魔力に劣る涼子の様子から、悠斗は彼女の攻撃は無視するのがベストだと判断を下す。一瞬でも涼子の方に意識を割く方が危険。
「はっ、まだまだ勇者様は余裕ってか!」
スーパーエースたる龍一と芽衣子の二人は、多少の手傷こそ負っているモノの、その戦闘能力は全く損なわれていない。
勇者の鎧によって万全の守りを誇っているが、それでもこの二人を相手に隙を晒すのはあまりにも危険に過ぎる。
そして小太郎の狙いは、勇者を殺すに足る二人を最大限に活かすべく、クラスメイト達にサポートさせる布陣であると悠斗は理解している。
だが、分かっていても、この二人を目の前にしては、そう易々と対処はできない。
「さぁ行け、僕のアンデッド軍団。雑魚の意地を勇者に見せつけてやれ!」
小太郎が余裕をもって杖を振るい、召喚陣を次々と展開してゆく。
現れる黒いスケルトン。ハイゾンビ。そしてゴグマのような巨躯を誇るタンク。だが黒騎士はいない。
屍人形。レムと小太郎が呼ぶ、忠実な僕。様々なモンスターの姿に変化し、ついには人間にも化けることのできる、恐るべき呪いの召喚獣だ。
その厄介な性能を悠斗は知っているが、どうやらレムをこちらの戦場に集中させられる状況ではないようだと察した。
恐らくは、小鳥のいた場所へと落ちて来た巨人。よく見れば、その姿は黒騎士と酷似した鎧を纏ったような姿である。あれもレムであり、これほど巨大な姿をとるならば、大半の力をつぎ込んでいると想像するに難くない。
「こんな奴らなど、どれだけの数がいたところで————」
右手に握る『光の聖剣』に力を籠める。光の刃を伸ばして横薙ぎに振るえば、それだけで脆弱なアンデッドモンスターなどまとめて始末できるだろう。
小太郎とて、無尽蔵に召喚できるわけではないし、小鳥との戦いですでに相当量を消費している。学園塔の時と同じように、小太郎は時間の許す限りに準備を整え、リソースを蓄えてきたに違いない。だが、そこには絶対に限界があるし、それが底を突くのもそう遠いものではないという直感もある。
戦いは最終局面。小太郎の方もギリギリだ。だからこそ、ただの雑魚でしかないスケルトンを一掃されるだけでも、苦しい消耗を強いられることとなる。
そうして、呼び出されたばかりのアンデッド軍団を全て切り払うつもりで剣を振るおうとした寸前に、悠斗は気づいた。
「————見えない」
四方から悠斗一人を目掛けて、ワラワラと殺到して来るアンデッド軍団。しかし、この目に映るのは黒い骨のスケルトンに、筋線維剥き出しのハイゾンビばかり。その群れの中に、少ないながらもタンクの巨体が入り混じる。
見えるのは、それだけ。
小太郎をはじめとした、クラスメイトの姿が一人も見えない。
この瞬間に全員が姿を消した、などということはありえない。悠斗の研ぎ澄まされた鋭い直感は、変わらずに自分へ包囲網を敷く彼らの存在を感じている。
一人も姿が見えないタネは、単純そのもの。スケルトンが、ハイゾンビが、タンクが、無駄に数だけはいる雑魚達が動き回る遮蔽物と化して、悠斗の視線を遮っているのだ。
「くっ、そぉ!」
大振りに薙ぎ払うつもりだった『光の聖剣』を素早く反転させ、別方向へと刃を振るった。
同時に、『聖火蒼雷』から炎と雷を噴き散らして一閃。
さらには側面へ『天の星盾』を展開し、後背を翻したマントでカバー。
「————『黒凪』」
最初に飛んで来たのは、狂戦士の黒き武技。
その禍々しい漆黒の一閃は目前まで迫っていたハイゾンビを背中から一刀両断しながら悠斗へと放たれている。
もしも雑魚を一掃するための大振りをそのまま繰り出していれば、防御は間に合わず直撃を許したに違いない。
筋骨隆々で大柄な体格のハイゾンビは、女子としては破格の身長を誇る芽衣子を隠し切るだけのサイズがあった。完全に悠斗の視界には、ハイゾンビの真後ろについて来ていた芽衣子の姿を捉えることはできなかったが、それでも咄嗟に『光の聖剣』を切り返したのが功を奏した。
光の刃が浄化するようにハイゾンビの肉体を消滅させながら、黒凪と真っ向からぶつかり合う。
一瞬の拮抗はしかし、渾身の武技が圧し勝ち、光の刃が弾かれる。
「オラァッ!」
「くっ、ぐうううっ!」
そこへ、同じくハイゾンビに隠れて接近していた龍一の一撃が襲い来る。
芽衣子への対応と同時並行で振るった『聖火蒼雷』は、その鋭い斬撃に加えて炎と雷も撒き散らす範囲攻撃と化していたが、それだけで龍一の攻勢を止めきることはできない。
壁役のハイゾンビが斬られ、焼かれ、消し炭と化してあっけなく倒れた屍を踏みつけて、龍一の王剣が勇者を襲った。
鎧がなければ、負傷は避けられなかっただろう。
すでに体勢を維持するのを放棄し、悠斗は勢いに任せて転がりながら回避へと繋げた。
その最中、側面に展開していた『天の星盾』を、光の大槍が強烈に叩いた。
タンクの巨躯でカバーに入っていた桜が放った上級攻撃魔法は、スケルトンとハイゾンビの遮蔽物二枚をぶち抜き悠斗へと届いたのであった。
さらにダメ押しのように、真後ろからは嫌がらせのように射かけられた涼子の氷の矢と、美波の投げナイフが爆ぜた。
「なんて連携だ……厄介だな、これは」
爆破ナイフの爆風に背を押される勢いに乗って素早くローリングから立ち上がって、悠斗は疾走する。
これまで王と狂戦士の二人を相手に、その場に構えて迎え撃っていた悠斗が、ついに自ら動いて回避を意識して動く。
勇者の鎧により防備は万全だが、それでもクラスメイト達の隙の無い波状攻撃は非常に厳しい。その場で立ち止まって受けられる限界を超える攻勢だ。
「だが、連携の要は桃川、お前だろう」
一対多数の戦いに臨む心得も、蒼真流を修める悠斗はよく知っている。龍一と共に挑んだ喧嘩の日々でその技は磨かれ、このダンジョンサバイバルで本物の殺し合いを通じてさらに昇華されている。
相手が多数、統制のとれた群れである場合、それを率いる頭を叩く、というのはセオリーの一つだ。大将が最も強い者であれば、そう易々と行かない場合もあるが……呪術師は生粋の後衛職。貧弱、軟弱。とても打たれ弱い。
その悪知恵と独特な呪術を駆使して相手を翻弄し、配下を駒として的確に動かす小太郎は、真っ先に倒すべきタイプの大将だ。
あるいは、一息に殺すことに成功すればみんなの洗脳もそれで解けるかもしれない————脳裏を過る希望は、都合の良い願望だと瞬時に割り切って捨て去る。
悠斗は『痛み返し』を忘れていない。
そして今ここで戦っている小太郎は、恐らくは本物。後先考えずに切り捨てれば、自分も血の海に沈むこととなるだろう。勇者の鎧でその忌まわしい呪いを防げるかどうか、とても試してみる気にはならなかった。
「俺の前に姿を現したのは失敗だったな」
「小太郎くん!」
持ちえる移動系武技を総動員して加速した悠斗が向かう先を、いち早く察した芽衣子がその名を叫ぶ。
立ち位置、速度、どちらをとっても小太郎との間に割って入れる余裕はない。悠斗の前に立ち塞がるのはアンデッドの雑魚と、最愛の妹のみ。
「ここは通しませんよ、兄さん!」
「ああ、通る必要はない、ここでいい————閉ざせ、『大土聖霊』」
桜が放った上級範囲攻撃魔法を垂直に高く飛んでかわした悠斗は、聖剣の切先をただ向けて、命を下した。
それは攻撃ではない。故に小太郎を傷つけることはない。
だが、その動きを完全に封じるには十分すぎる効果を発揮した。
「うわわっ!?」
小太郎の慌てた声は、その足元から瞬時に突き立った青白く輝く水晶の柱によってかき消された。
サークレットの輝きによって力を増した地の聖霊が、悪しき呪術師を閉じ込める水晶の牢獄を作り上げたのだ。
牢と言っても、そこには座り込めるほどのスペースさえ存在しない。立っているその場から一歩も身動きが取れないように、ピッタリと体に沿うように幾本もの水晶柱が突きあがり、小太郎を閉じ込めた。
これでは杖を振るうどころか、戦況を見ることすら敵わない。小太郎の呪術が基本的に視覚で対象を確定させている、ということも悠斗は知っている。視界を奪うメリットは十分。
それでいて体には傷付けず、ただ水晶が身動きの邪魔になるよう生えているだけなので、『痛み返し』も一切反応しない。
自分なりに考えた、『呪術師』桃川小太郎を無力化するための技であった。
「————馬鹿だなぁ、蒼真悠斗。僕が学園塔で何人分の働きをしていたか、忘れたのかい?」
水晶の隙間から僅かに覗く、杖を握った小太郎の手が溶ける。黒々とした粒子と化して、消滅していく。
「もう分身してるに決まってるじゃん」
振り向けば、数多のアンデッドが蠢く向こう側に、いつもの生意気な笑みを浮かべた小太郎の姿が映った。
その数は三人。同じ顔、同じ格好、同じ装備。
分身しても三人までは同時に働けるんだよね、と学園塔時代に自慢気に語っていた小太郎の言葉を悠斗は思い出した。
「……」
幻影に翻弄された勇者は、ただ殺意の籠った視線をどれが本物か分からない呪術師へと向けることしかできなかった。




