第376話 ヤマタノオロチ再討伐(2)
「手を貸してくれと頼んだ俺が言うのも何だが……本当にそれでいいのか、双葉」
流石の龍一も少々バツが悪そうに、同じくリベルタの背に乗る芽衣子へと問いかけた。
「うん、いいよ。だって、それが一番早いと思うから」
対する芽衣子は、いつもの穏やかな表情で何てことないように答える。どうやら、その決意に揺らぎはないようだった。
「そうか、なら頼んだ。お前の力なら、必ずやり遂げるだろう」
「天道君がフォローしてくれるなら、大丈夫だよ。あっ、タイミングは上手く合わせてね?」
「任せろ」
「うーん、流石は料理長。ご主人様にここまで素直に気遣われる人は初めて見ました」
「おい、俺だって世話んなる相手に礼儀を尽くすくらいはするっての」
珍しい龍一の態度に茶々を入れる桃子がデコピンを喰らう。そんな様子を、仲良しだなぁ、と微笑ましく芽衣子は眺めていた。
そんなやり取りを黒竜の背の上で繰り広げていたが、ほどなく巨大な咆哮が響き渡って来る。
煙幕はとうに晴れ、見失った獲物を再び捕捉したヤマタノオロチが、五つ首を全てこちらへ向けて待ち構えていた。
「一気に突っ込む、振り落とされんなよ————行け、リベルタ。全速だ」
「ふふん、承知!」
自信気なリベルタの返事と共に、轟っ! と音の壁を越えようかと言うほどに急加速をかける。瞬く間にヤマタノオロチとの距離は縮まり、まずはブレスの射程圏に突入。
ゴォオオオアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!
高らかな咆哮と共に、五本ものブレスが放たれる。莫大な破壊力を秘めた各属性魔力の奔流が迫り来るが、その内の二本は左右の空間を薙ぎ払うように通り過ぎてゆく。
あらぬ方向に撃ったように見えるが、先の戦闘では素早い旋回機動での回避を中心に立ち回っていたので、相手が左右どちらかへと回避行動に移るだろうとの予測に基づいた、逃げ場潰しだと思われる。
だがしかし、今回はただ真っ直ぐ本体外殻へ向けて突っ込んで行く。回避は最低限の紙一重。
五本中の三本だけとはいえ、いずれも巨大竜巻が如く大きく渦巻くブレスの間隙を、トップスピードに乗りながら縫うように飛びぬけてゆく。
直撃すれば一瞬で消し炭になれる破壊力が飛び交う場所を、超高速で飛行するのは正気の沙汰ではないが、この程度で悲鳴を上げるような精神を持つ者は一人もいない。
「双葉、そろそろだ」
「それじゃあ、行ってくるね」
買い物にでも出かけるような気軽さで、芽衣子はリベルタの背から飛び降り、その身を宙へと躍らせた。
両手に握りしめる『黒嵐剣斧ギラストーム』。ギラ・ゴグマの老将が愛用した二振りの雷剣を、一つの剣斧へと鍛え直された刃からは、俄かに赤黒いスパークが迸る。
弾ける雷光は加速度的にその威力を増してゆき、けたたましい音を立てて一直線に落ちてゆく芽衣子の姿は、さながら赤い落雷と化し————
「————『轟撃震』ッ!!」
雷が落ちる、それ以上の破滅的な衝撃が着地点に叩き込まれた。
大上段の振り上げから、さらに力を溜めることで発動を可能とする、武技『撃震』の上位武技『轟撃震』。習得して間もなく、まだ練度も低いことから、決まった動作と溜めを要するのでまだまだ実戦的な使い方は難しいが……動きもしない巨大な的を相手にすれば、その発動に難はない。
空中から十分な体勢と力を込めて、自由落下の速度にハルバードの膨大な雷属性も加え、芽衣子の『轟撃震』が炸裂した。
その破壊力が叩き込まれたのは勿論、すでにリベルタの攻撃によってヤマタノオロチの外殻に刻まれたクレーター、その中心部である。岩山の如き巨体を揺るがすほどの衝撃が駆け抜け、
「あっ、思ったより柔らかいかも」
呑気な感想を芽衣子が呟くと同時、砕けた外殻の破片ごと衝撃波が駆け抜けて行った。
かつてヤマタノオロチの岩山を掘削した時、芽衣子は無力であった。如何に狂戦士の怪力といえども、地層を掘り返すことはできない。事実、当時の芽衣子がどれだけ武技で地面を叩いたところで、大して掘削の助けにはならなかっただろう。
だがしかし、土砂というもっとも原始的な装甲が存在しなければ、殻にヒビを入れるくらいの力はある。
すなわち、芽衣子が直接乗り込んで外殻を破壊し、コアにまで攻撃が届くようにする、という作戦とも呼べない力業だ。流石の龍一も、この脳筋としか言いようのない方法を言い出した芽衣子には、頭が下がる思いであった。
「よし、これなら行けそう!」
弾むような声と共に、再びハルバードを構える芽衣子。
このヤマタノオロチの外殻も、大きさこそ以前の個体とそこまで違いはない。芽衣子もその外殻の硬さは攻略情報の一種として、よく覚えている。それと比べれば、こちらの外殻は明らかに柔らかく、脆い。『轟撃震』が砕いた外殻の厚さは、芽衣子の想定を上回っていた。
恐らくはこの準備期間となった一ヶ月ほどの間に急造されたが故のことであろう。首の数も少なく、さらには外殻も脆い。以前の個体と比べれば明確に下位互換と呼べる性能ではあるが……規格外の超巨大モンスターであることに変わりはない。
自らの体に取り付いた、虫のように小さな、けれど最も頑丈な甲殻を砕くほどの力の持ち主を認識したヤマタノオロチは、五つの首の内の一つを、その排除へと差し向けた。
「んっ!」
開かれた巨大な大蛇の口腔より、青白い火炎放射が放たれる。
そこにどれほどの灼熱と破壊力を秘めているのか。着弾した外殻が僅かながらも融解し、爆ぜて行った。自らの鎧を傷つける行いだが、敵と定めた者の排除に躊躇はないようだ。
その程度で敵を始末できるなら安いもの……というのは、仕留められればの話である。
「ありがとね、天道君」
オロチ頭の攻撃を察知して、武技を中断して回避に移った矢先、青白い火炎ブレスを吐き出す頭部に、火球が連続的に着弾し、強制的に遮った。
素早く着弾点から逃れた芽衣子を追って放射し続けるはずだった炎が途切れた時には、すでに黒竜の影は頭上を過ぎ去っている。
芽衣子は殻を壊す自分に攻撃が向けられるのも承知の上。頭の一つくらいは受け持ちながら、攻撃を続ける気であった。龍一とリベルタのコンビが首四本を受け持ってくれれば、それで十分。
そのつもりだったが、どうやら龍一はそこまで芽衣子に負担をかける気はないようだ。
これまでよりも激しい空中機動と攻撃でもって、五つの首をほとんど引き付け、芽衣子への攻撃を阻止していた。
「お陰で、思ったよりも早く破れそうだよ————『裂破断』ッ!」
そうして、芽衣子はさらなる武技を叩きつけ、ヤマタノオロチの外殻破壊に集中した。
ガァン! ギィン! と甲殻の岩山から断続的に轟音が響き続けている。それに混じって、互いのブレスが炸裂する爆音が轟き、激戦の狂想曲が奏でられているが、その実態はどこまでも地道な掘削作業であった。
「ようやく破れそうだな」
五本ものオロチ首のヘイトを引き付け、その攻撃を一身に集めながらも反撃を続けていた龍一は、少々疲れたように呟いた。
綱渡りのような作戦だった。途中で何度か、こちらへの攻撃を完全に放棄して、五本首全てが芽衣子狙いに切り替えたりもしたり、ヒヤリとした場面もそれなりにあった。
だがそんないざという時も、狂戦士の実力で押し通し、切り抜け……ついに外殻を突破できそうなところまで、破壊が進んだ。灰白色の巨大甲殻、その表面に穿たれた浅いクレーターの中心部に、芽衣子が抉った亀裂が深々と刻まれている。
これでやっとトドメが刺せるか————そう思った矢先、もう何度目になるか分からない地響きが起こる。
「ちっ、六本目かよ」
激しいブレスの応酬によって焦土と化した大地を割って、六本目のオロチ首が現れる。
けたたましい咆哮を上げて鎌首をもたげるが、そのサイズは明らかに他の首よりも一回りは小さく、また鱗も半ばまでしか覆われておらず、筋線維が剥き出しとなっている箇所もあった。
「お前も死に物狂いってことか」
相当に無理を押して六本目の首を形成したからこそ、不完全な姿となっているに違いない。この様子では再生力もどこまで効果を発揮するか怪しいところ。
だがしかし、この期に及んではもう一発だけ追加でブレスを撃てる、というだけでも十分。龍一をしても首五本の相手が限界。六つ目の砲口を向けられれば、ついに回避の隙間さえ潰されて被弾する可能性は急上昇する。
「だが、遅かったな」
六本目の首が屹立すると同時に、芽衣子が穿った亀裂から濛々と赤い煙幕が吹き上がった。
その赤い発煙筒が焚かれたのは勿論、分かりやすくタイミングを伝えるための合図である。すなわち、トドメを刺せ、という意味の。
「これで最後だ。出し惜しむなよ、リベルタ」
「うむ、我が真なる力、とくと見せてくれようぞ」
ヤマタノオロチが構えた六つの砲口。その射程圏へとリベルタは加速して自ら突っ込んで行く。
この位置、この距離、六つ首が一斉にブレスを放てば確実に避け切れない。だがそのリスクを無視して、リベルタは決死の空間を飛翔する。
相手は六発ものブレスを放つ巨大な怪物だが、こちらは人造なれども竜である。魔物の頂点に立つドラゴンは、一歩も引かぬと気迫を叫ぶ代わりに、その口腔にブレスの輝きを発した。
それは舞い散る火の粉ではない。すなわち、これまで何十何百と喰わらせてきた火球、ファイアーブレスとは明確に異なる。
そこに光るのは紫電。いいや、雷光よりも暗く、黒く、禍々しい輝き。その黒紫の光は力を集約する口だけでなく、リベルタの角から背筋へ、尻尾の先まで輝かせてゆく。さらには、大きく広げた翼膜に、同じ黒紫の輝きで魔法陣のような文様が光った。
「さぁ、存分に喰らうが良い。これが本物のドラゴンブレスよ」
リベルタの口腔で眩い光が爆ぜる。炎でも雷でもない、黒紫に輝く一筋の閃光が伸びる。
その行く先を遮るのは、大口から今にも巨大な火炎放射を発しようとした一つのオロチ首。開かれた口の中へと飛び込んだ閃光は、強大なファイアーブレスを吐ける高い耐熱性を持つはずの口腔を僅かな間に溶かし、頭蓋を貫き外へと飛び出す。
ただ頭一つを貫いただけでは終わらない。ドラゴンブレスはそのままゆっくり横へと薙いでゆけば、オロチの頭を半ばから両断して、隣の頭へと襲い掛かる。
今度は頭ではなく、その首を斬った。硬い鱗と甲殻、そして膨大な筋肉量と骨に支えられた巨大にして頑強な首が、これもまたドラゴンブレスの発する灼熱の威力にあえなく屈し、溶断された。
そこから先は同じことの繰り返し。右端から順に、左へ向かって薙ぎ払われたドラゴンブレスの射線上に伸びる六つの首が、次々と落ちる。これで飛竜を撃墜するはずだった、六つの大砲は完全に沈黙。
だがそれでもまだ足りぬとばかりに、最後には赤い煙幕が示す地点へと照射され————黒と紫の破滅的な色彩に彩られた爆炎が爆ぜた。
「おい、双葉死んでないだろうな」
「だ、大丈夫じゃろ……多分……」
あまりにも大きな爆発が巻き起こったために、流石に不安になってしまうが……ヤマタノオロチの強みは、無限の再生力による圧倒的なタフネスである。たとえ全ての首を落としたとしても、それも一時的なものに過ぎない。
そしてこのドラゴンブレスによって稼いだ、一切の抵抗を相手に許さない特大のダウンで、トドメを刺し切るのだ。今更、動きは変えられない。行くしかない。
「あっ! あそこに料理長がいるですよ!」
目ざとく見つけた桃子が示した先には、遥か上空にその身を躍らせる芽衣子の姿が確かにあった。
「爆風に合わせて飛んだのか。とんでもねぇな、アイツ……」
そのまま消し炭になってもおかしくないほどの爆発が近くで炸裂したというのに、吹き飛ばされるどころか、その爆風を利用してさらに自分の体を空高くへと跳躍させたようだ。
いくら事前に、ドラゴンブレスも亀裂へ当てて可能な限りの甲殻破壊をする、と示し合わせていたとはいえ、ぶっつけ本番で想像以上の破壊力を発揮した爆発に合わせた動きは、見事というより神業と言うべきだろう。
完璧な空中エスケープを実行した芽衣子の下へ、リベルタは一直線へと飛んで迎えに行く。
「ふぅ、ただいま」
一汗かいた、みたいな爽やかな笑みを浮かべて、リベルタの背中に着地した芽衣子。そこには過酷な視線を潜り抜けた疲労も、想定外の大爆発を引き起こした仲間への文句もないようだった。
「流石は料理長、完璧な仕事ぶりでしたね!」
「ふふ、そうかな、ありがとう桃子ちゃん」
尊敬の眼差しで見上げる桃子を、芽衣子は嬉しそうに頭を撫でる。
「おい桃子、さっさとトドメを刺してこい」
「お任せくださいご主人様。この桃子による華麗なラストアタックを、とくとご照覧あれ。ヤマタノオロチにトドメを刺すのは、桃子、ご主人様の桃子でございます!」
「いいから早く行け」
「それじゃあ、桃子ちゃんも頑張ってね」
「はーい! 桃子、行きまーす!」
元気に呑気な返事を上げて、桃子がリベルタの背よりダイブする。
桃子の手に武器はない。いつもと変わらぬメイド服であるが、決定的に異なる装備をしていた。
それは宝箱。
厳重に封がされ、表にはデカデカと放射能の危険を示すハザードマークが記されていた。小柄な体に不釣り合いなサイズの宝箱を背負って、桃子は空中を落下してゆく。
「むっ、軌道がちょっとズレてますねぇ……ブースターパニエ点火ぁ!」
桃子が叫ぶと、ロングスカートの中から突風が吹き荒れる。別にジェットエンジンなど搭載しておらず、ただスカートから風魔法を発しているだけのこと。
しかしこれによって空中機動を可能とする推進力を得たのも事実。桃子はバタバタとロングスカートをはためかせながら、更なる加速を持って軌道修正しつつ、目的地へと真っ逆さまに飛び込んで行く。
そこは勿論、濛々と赤い煙幕とブレスの余波の黒煙が吹き上がる爆心地。芽衣子が穿った、ヤマタノオロチの外殻亀裂である。
「オリジナルに託されたこの秘密兵器『レクイエムハート』を見るがいい! えーっと、起爆コードは確か————」
『レクイエムハート・スマートガイ』:特大のコア爆弾。小鳥遊の行動次第では、セントラルタワーの設備を破壊しなければならない、あるいは強大なボスモンスターへの備えとして、純粋な破壊力だけを追求して作られた。宝箱はそれ単体で非常に高度な保管容器であり、誘爆などの不慮の事故への備えになると同時に、より爆発の威力を高めるための術式と仕掛けを仕込むのに、最も適した箱である。複数用意された『レクイエムハート』には、それぞれ中核となるメインコアに応じて、異なる仕掛けが施されている。この『スマートガイ』のメインコアはギラ・ゴグマ、ギザギンズのコアが使用されている。強力な炎魔法を操る彼のコアは、正に地獄の業火と化して爆ぜるだろう。
「————フォーエバー、ゴーマキングダム!」
ゴーマ王国よ永遠なれ。小太郎が設定した起爆コードと共に、桃子が流した魔力によって『レクイエムハート』が起動する。
ギラ・ゴグマの莫大な魔力を宿す超高純度コアが、宝箱の内側一杯に施された術式を瞬時に巡り、加速。そしてその行き場もないまま、循環する魔力量だけが瞬間的に増大し、限界を超えて暴走————そうして、ついに外殻の亀裂の奥、ヤマタノオロチ本体の肉体へ桃子が衝突しようかという寸前、
「爆☆散っ!!」
最高の笑顔を桃子が浮かべ、『レクイエムハート』はそこに秘めた全ての力を解き放った。




