第373話 天送門の先(1)
「くそっ……」
と、悪態を吐く以外に今の僕に出来ることはなかった。
ついに葉山君が、蒼真悠斗の前に敗れ去ってしまった。そして、倒れた彼を案じるベニヲ達を止める手段も、僕にはない。彼らに言葉をもって意思疎通が図れるのは『精霊術士』たる葉山君だけだ。
だから僕には、無謀にも蒼真悠斗に立ち向かおうとしたベニヲを責める気はないし、むしろ葉山君を助けることもできなかった無力を謝りたい。
けれど、今の僕には彼らに謝っているような時間も精神的余裕すらもない。葉山君達が倒れたことで、状況は再び最悪へと傾いた。
「ダメだ桜ちゃん、動かないで」
「葉山君がやられてしまったのですよ! 私達は何もできずに……こんなの、彼を見捨てたことに代わりがないじゃないですかっ!!」
だからといって、やられた後に動いても意味ないじゃん。葉山君だって、やられる前に助けてくれよって言うさ。
「今、桜ちゃんが動けばここにいる全員が同じ末路を辿ることになる。一人見捨てるのと、全滅するの、どっちがいいか考えてよ」
「そうよ、動いたところで小鳥の首が獲れるワケでもない。貴女がここで守ってくれているから、私達はまだ生きていられるの」
「くっ、涼子……」
桜ちゃんの気持ちは分からないでもないさ。でも所詮、それはただの気持ちで感情でしかない。
仲間がやられた後に攻めていいのは、勝算がある場合と、覚醒した時だけだ。悪いけど、『聖女』としてチート覚醒に成功したようには見えない今の桜ちゃんが怒りのままに特攻をかけたところで、小鳥遊とその手下の天使共によってあえなく御用となるのが目に見えている。
けれど、葉山君の始末を完了した勇者が、こちらへ来れば桜ちゃんガードも限界になるだろうけど……
「すまない。待たせてしまったね、小鳥遊さん」
「蒼真君が無事で良かったよ。なんだか葉山君がとても邪悪な闇の力で暴走していたから……小鳥、ちょっと怖かったの」
「大丈夫だ、俺は『勇者』だから。あんな闇の力には負けないし、仲間だって犠牲にはさせない」
小鳥遊とそんな茶番を繰り広げながら、いよいよ『勇者』蒼真悠斗が僕らの前までやって来た。
急いで駆け付けるでもなく、優雅に歩いて来たのは、小鳥遊と天使によって完全に僕らを抑え込めていると確信できているからだ。全くもってその通りだから困るよ。
逆に言えば、小鳥遊がどれだけ僕らを殺したがっていても、そう簡単に蒼真悠斗の目の前でクラスメイトを殺害することができないということでもある。殺しても問題ないのは全ての恨みを一身に受ける僕だけで、他のみんなは邪悪な呪術師によって操られた哀れな被害者という認識なのだから。
その辺を小鳥遊がいまだに気遣って行動しているということは、蒼真悠斗の洗脳も完璧ではないということ。桜ちゃんを害されたりすると、制御しきれず暴走しかねない、といったところだろう。
やはり桜ちゃんは勇者に対する最強の盾だな。ここからどこまで粘れるかは分からないが、桜ちゃんには『聖天結界』という物理的な盾と、勇者の最愛の妹という精神的な盾として、一秒でも長く時間を稼げるよう頑張ってもらわなければ。
「さぁ、今度こそ決着をつけようか、桃川」
「もう諦めて、大人しくみんなを解放して!」
うっせぇ小鳥遊、テメぇは黙ってろやこのダボが。わざとらしい演技してんじゃねぇぞ。
「兄さん、やはり正気には戻ってくれないのですね」
「おかしいのは桜、お前の方だ。けど、それもすぐに元通りだ。小鳥遊さんが必ず、お前も、みんなも、洗脳を解いてくれるからな」
だから桜ちゃんさぁ、そういうのはもういいんだって。あるでしょ、他に言うことが。
ほら、ちゃんと言って。
「……どうして、葉山君を殺したのですか」
「何を言っているんだ? 殺してなんかいない。ちゃんと助けたさ」
「確かに、その刃で斬り捨ててはいませんが……彼を天送門で、どこに飛ばしたのです」
「決まっている、脱出先のシグルーンという街だ」
「嘘です。今このセントラルタワーでは、あらゆる転移が使えないよう、龍一の軍令によって封じられているのです」
「そうなのか? 小鳥遊さん」
「違うよ、小鳥が頑張ったから、みんなを天送門でシグルーンまで脱出できるようにしたんだもん!」
ほう、なるほど、そういう設定なのか。
脱出人数三人制限を、なかったことにしたと。だから蒼真悠斗は何の躊躇もなく葉山君を天送門で飛ばすことができた。だって全員送れるなら、メンバーを厳選する必要性がないから。
三人制限を覚えているならば、必ず小鳥遊と桜ちゃんの二人を最優先にして、あと一人を誰にするか悩むだろうからね。
「頑張って何とかなるようでしたら、どうぞ転移を使って軍令を破ったことを証明してくださいよ。兄さん、小鳥遊小鳥は嘘をついている。全員を安全に脱出させることなど、できはしないのです!」
よしよし、いいぞ桜ちゃん。ちゃんと僕の教えた通りに、言えてるね。
蒼真悠斗にとって、最早僕の言葉など悪魔の声と同義。それがどれだけ筋が通った正論だろうと、頭から否定するだろう。
けれど、桜ちゃんが言えばどうだ。正論は正論のまま通る。君らはいつも、身内の言葉には熱心に耳を傾けるからねぇ?
「そんなの、ただの言いがかりだよ! 桜ちゃんは操られているんだから、蒼真くんを惑わすようなことを言わされているだけだよ絶対!」
「いいえ、その天送門はどこにも繋がっていない。あるいは……正常に目的地が設定できないまま開いただけの、ランダム転移になっているのでしょう」
このお喋りは、ただの時間稼ぎだけが目的ではない。小鳥遊の嘘を暴いて蒼真悠斗を少しでも揺らがせることができれば儲けもの。
それから、葉山君が飛ばされた天送門がどういう状態にあるのか、を僅かでも探るための質疑応答でもある。
万に一つくらいは、小鳥遊の『賢者』が覚醒して、本当に天道君の軍令を無効化して自由自在に転移解禁した、ということもありえなくもない。だが小鳥遊の様子からして、この可能性はやはり真っ先に潰えた。
本当にそれが出来たならば、もっとドヤ顔でアピールしてくるからね。実際に転移して見せるデモンストレーションだって見せてくれるだろう。
ソレがないということは、つまりそういうことだ。軍令はいまだ有効で、小鳥遊は逃げ場が塞がれた状態のまま変わりはない。
ならば、葉山君は一体どこへ消えたのか。
あの白く輝く天送門の中が、ただ単に高濃度の魔力が渦巻いているだけで、放り込まれれば人間など容易く消滅してしまうような状態なのであれば、本当に最悪の想像だが葉山君は跡形も残らず死んでしまったこととなる。
けれど希望的観測、とは言い切れないほどには可能性があると思うのは、アレがランダム転移状態である、という仮説だ。
蒼真悠斗のボケはまんまと小鳥遊なんぞに洗脳されやがったが、『勇者』として魔法や魔力を見抜く眼力に衰えはない。葉山君を天送門に放り込んで、転移以外の現象が発生していれば、誤魔化し切れない可能性が出て来る。
そして小鳥遊はこと蒼真悠斗を騙すことにおいては、一切妥協をしない女だ。下手な嘘で塗り固めるような安易な真似はせず、慎重に嘘を真に見せかけられるよう努力は厭わない。
つまり、本当に転移はしているが、シグルーンに送られるかどうかは分からない、という状態が小鳥遊にとってベストな選択なはず。
「違う! 違うもん、小鳥は本当に天送門を使えるようにしたんだから!」
「そうですか。ならば、どうぞお先に自分が脱出してください」
うわっ、桜ちゃんの表情クッソ腹立つドヤ顔だわ……
もう、本当に桜ちゃんは自分の方が優勢だとすぐ調子に乗るんだから。そういうところ、絶対にレムが真似しないよう気を付けないと。
「小鳥遊さん、桜の言っていることは本当なのか?」
「騙されないで、蒼真君! 小鳥を疑わせるようなことを言って、時間を稼いでいるんだよ」
「おい、僕のせいにして論点ずらししてんじゃねぇぞ」
「そうです、明らかに小鳥遊は嘘をついているのですから、騙されているのは兄さんの方なんですよ!」
「う、嘘なんかついてないもん! 蒼真くん、あんな言葉に耳を貸さないで、早くみんなを助けないと、また桃川が何か仕掛けてきちゃうよ!」
「ああ、それもそうだな……まずは、みんなを助け出してから、何が本当のことか考えればいい」
ちっ、やっぱ小鳥遊の言うことをより強く聞くようになっているな。こんなあからさまな論点ズラしを真に受けて、こちらの言い分を聞かないとは。まぁ、素面でも君は人の言うこと聞かなそうだけどね。
「兄さん! しっかり自分の頭で考えて、小鳥遊なんかに惑わされないで!!」
「桜、そこを退くんだ。たとえ今のお前が操られているのだとしても、手荒な真似はしたくない」
いよいよ実力行使に踏み切ることを決断した蒼真悠斗は、もう桜ちゃんの呼びかけにも応えようとはしない。
「これ以上はもう、口先で止められそうもないね」
「本当に、洗脳とは恐ろしく、おぞましい力です。これほどまでに、まともな言葉が通じなくなるとは」
「桜ちゃん、頭にブーメラン刺さってるよ」
「ふんっ! 後は私に任せて、そこで大人しく待っていなさい!」
いつものようにビンタをかまして、桜ちゃんは凛々しく『桜花繚乱』を構えた。
「退く気はないんだな、桜」
「はい、兄さんが誤った道を進む以上、私はそれを止めなければなりませんから」
ここでダンジョンサバイバル始まって以来、初の蒼真兄妹の対決と相成った。
「小鳥遊さん、手出しは無用だ。何があっても、守護天使には撃たせないでくれ」
「うん、分かったよ」
小鳥遊がさっと手を翳せば、ハンドサインに反応したように天使共は銃を下ろした。一時的にでも銃口が逸れたのはありがたいが……蒼真悠斗は奴らの力など借りなくとも、余裕で僕らを制圧できると確信している。
僕としても『聖女』が『勇者』とタイマン張って勝つのは無理だと分かり切っているが、さて、どこまで粘れるか……
「来るなら来なさい。私は一歩も、ここを退く気はありませんよ」
「ああ、そうだろうな。こういう時、お前は頑固だからな」
対峙する兄と妹。
十全に光の魔力を巡らせた、輝く刀身を向ける桜ちゃんに対して、蒼真悠斗は剣も盾もない、無手のままゆっくりと歩みを進める。殺すのではなく生け捕りにしなければならない以上、武器は不要ということか。
しかし、丸腰とはいえ相手は『勇者』だ。桜ちゃんも覚悟が決まっているのか、一歩、二歩、と間合いへと蒼真悠斗が踏み込んで来た瞬間、躊躇なく『桜花繚乱』を振るった。
「やあっ!」
裂帛の気合と共に振り下ろされた刃は、甲高い音を立てて弾かれた。
どうやら蒼真悠斗は素手でそのまま、刃の腹を打って逸らしたらしい。振り下ろされた薙刀が、大きく横へと軌道が逸れたことで、がら空きとなった間合いへとさらに踏み込み、掌底を繰り出した。
ただの打撃ではない。青白い雷光がバチバチと弾ける掌は、ベニヲ達を無力化したように雷属性を宿している。触れれば卒倒するに違いない電撃掌底だが、
「無駄です、その程度の攻撃では!」
無防備に晒された桜ちゃんの脇腹に突き刺さるはずだった掌底は、寸前で白く輝く壁によって止められる。
勿論それはすでに展開していた『聖天結界』である。その青い雷撃が純粋な雷属性だろうと、特別な勇者スキルであろうと、光の結界を蝕む弱点属性でなければ、どちらだって問題ない。
蒼雷の掌底は難なく結界に阻まれ、そこで威力の全てを止められた。
そして結界の防御を確信していた桜ちゃんは、あえて隙を晒すこととなっても、全力で反撃の態勢を整えていた。
「蒼真流————『荒れ逆波』っ!」
逸らされた薙刀が素早く切り返され、再び蒼真悠斗を襲う。
そのまま首でも落とすつもりかというほど鋭い横薙ぎの一閃に、それ以上は間合いに留まることは流石に無理だと断じたか、蒼真悠斗は後退を選んだ。
その足が床を蹴る寸前、さらにもう一撃放っていたが、やはりそれも『聖天結界』に塞がれた。
そうして桜ちゃんの反撃を下がって避けた蒼真悠斗だが、その頬には一筋の創傷が薄っすらと刻まれていた。
「疾く、鋭く、いい一撃だ。やっぱり桜は、薙刀が一番上手だな」
「次はかすり傷では済みませんよ」
直撃すれば本当に死にかねない、全力の攻撃を受けても尚、蒼真悠斗の表情に陰りはない。そこには純粋に妹の腕前を賞賛する笑みが浮かんでいる。
「どうやら、そのようだ。ならば俺も、少し本気を出すしかない————その『聖天結界』は、やはり厄介だからな」
万能バリアの防御力と、桜ちゃんの本気の薙刀術を前に、素手で挑みかかるのは手間だと理解したようだ。
随分と自信満々だが、幾ら何でも僕らのように弱点の闇属性を使うとは考え難い。果たして、どんな手段で『聖天結界』を突破してくるのか。その方法次第では、こっちも利用できる。見逃せないな。
「さぁ、行くぞ————『天の星盾』」
構えたのは、光の盾。勇者の第二固有スキルだ。
こいつは『聖天結界』とはまた別に、強力な防御力を発揮する。それこそヤマタノオロチのブレスを真正面から受けきるほどに。
その強固な光の盾を両手で構えるように前面へ展開し、そのまま真っ直ぐ突っ込んで来た! なんだ、シールドバッシュか、と思った瞬間には、『聖天結界』と『天の星盾』が激突し、
ガシャァアアアアアアアアアアアン!!
「そ、そんなっ、私の『聖天結界』が一撃でっ!?」
たったの一撃で、光の結界は砕け散った。
「くそっ、相殺できるのか!」
砕けたのは『聖天結界』だけではなく、衝突させた『天の星盾』も同様。すでに蒼真悠斗の手に、光の盾は消え去っている。
共に強力な光属性の防御魔法だ。それを、まさか正面からぶつけるだけで相殺、消滅させることができるとは……いや、そんな単純な原理のはずがない。同じ属性でぶつける、なんて当たり前の発想を検証したに決まってるだろう。
やはり勇者の固有スキルだけあって、ただの光属性魔法なんかじゃないということだ。何かしら魔法に干渉する特殊能力も備えていると見るべきだろう。
ああ、なんだよチクショウめ、結局チートスキルが強いだけのことじゃねぇか!
「これで終わりだ、桜」
「ま、まだです! 蒼真流、『引き白波』ぃ!!」
これぞ鍛錬の賜物か。結界がたった一撃で崩れ去っても、それでも桜ちゃんは反撃の武技を繰り出した。薙刀らしい、脛を狙った技だ。
「得意技だからな。必ずそれを使うと思ったよ」
妹のことを知り尽くし、何より自らも蒼真流を修めるからこそ、対処は容易だったのだろう。
足を斬り飛ばす勢いで振るわれた薙刀を軽々と飛び越え、さらにそのまま桜ちゃんの頭上を飛び越し、蒼真悠斗はその背後へと着地を決めた。
「次に目覚めた時には、全て元通りだ。安心して眠れ、桜」
「くっ、兄さ————」
バチィッ! と青白く瞬くスパークによって、桜ちゃんはその場に崩れ落ちた。
背後をとられ、今度こそその身に蒼真悠斗の繰り出す昏倒必至の雷撃が炸裂したのだ。掌底でもなく、そのまま優しく肩に触れて放電。
どれだけの電撃が桜ちゃんの身を襲ったのか。けたたましい雷鳴を一瞬だけ響かせて、彼女の意識は完全に刈り取られた。
つまり僕らを守る壁は、これで完全に消え去ったということ。
「桃川」
「っ!?」
僕が何かを言うよりも前に、輝く刃が通り過ぎる。
首はまだ繋がっている。けれど、頬を斬られた。
そして蒼真悠斗の頬には、桜ちゃんが斬り付けた傷しかない。
「やはり分身だったか」
返す刀で、今度こそ僕の首は落ちて————そこで、この場における僕の視界は完全に潰えてしまった。




