第372話 白の秘石(2)
「————これでも、まだ立ち上がるか」
卓越した連撃武技『無双剣舞』がフルヒットして吹き飛んだリライトだったが、それでも尚、俊敏な身のこなしで起き上がり、衰えることのない殺意と共に拳を構えた。
リライトの繰り出す闇の力による数々の遠距離攻撃や範囲攻撃を、これまで習得した魔法で対応し、単純ながらも凄まじいパワーとスピードでもって襲い掛かって来るリライト本体を研ぎ澄まされた蒼真流の剣技で迎え撃つ。
輝く光を暗闇で塗りつぶさんと襲い掛かる怒涛の攻めを続けるリライトだが、実質的に有効打を加えているのは後の先をとっている悠斗の方だ。これがただのボスモンスターであれば、とっくに斬り倒しているところだが、リライトはその身から迸る闇のオーラと共に何度でも立ち上がって来た。
「これ以上は、危険だな」
自分にとっても、リライトにとっても、である。
攻撃を受けたリライトはただ無尽蔵の体力によって耐えているのではなく、明らかに闇のオーラによって戦闘を継続している。その身に宿す闇の力は、間違いなく戦闘開始時点よりも大きく、強く、濃くなっていた。
これほどの力を行使するにあたり、生身の人間であるリライトが何の影響も受けずにいられるとは考え難い。下手をすれば、このまま闇属性の魔人と化し、二度と人間に戻ることができなくなるのではないか。そんな想像を抱かせるほどに、戦い続けるリライトは人間離れをしていた。
そして今は優勢に戦いを進めている自分も、このまま闇の力が上昇し続けたリライトと戦えば、パワーで押し切られてしまう段階が来るかもしれないという懸念も覚える。あるいは、無尽蔵に湧き上がる闇の力に対し、自分の光の魔力が先に尽きてしまうことも。
リライトは我を忘れて力のままに戦っているが、悠斗は自分の力というものを把握した上で戦っている。
純粋に力でリライトに上回られてしまう危険性を僅かでも感じた以上は、このまま同じような戦いを続けるべきではないと悠斗は考えた、ちょうどそんな時である。
「蒼真くん、小鳥が力を貸してあげる! 行くよっ、『女神様が見ている』」
唯一残った、最後の味方である小鳥遊小鳥の健気な声が、悠斗の耳に届く。
彼女が桃川の方へ対応すべくやって来たことは承知しており、リライトという予想外の強敵を相手している以上、任せるより他はないと割り切っている。
そして『賢者』に相応しい聡明さでもって、こちらが危うい戦況に陥っているのを察してくれたのだ。
そのサポートに応えるため、悠斗は左手に握っていた『聖火蒼雷』を収納し、無手となった掌を掲げた。
「ありがとう、小鳥遊さん————第三固有スキル解放、『白の秘石』」
第三固有スキル
『白の秘石』:白き女神の秘技を宿す、神秘の宝玉。
これが新たに手に入れた、勇者の力。『光の聖剣』、『天の星盾』に続く、三つ目の固有スキルだ。
正確には、自力で完全習得できたワケではない。本来は死闘の果てに自ら見出さねばならないスキルだが、自分と小鳥の僅か二人きりしか残らぬ絶体絶命の状況下にあっては、最早なりふり構ってはいられない。
小鳥遊小鳥の持つ『賢者』の力によって、勇者としての力を引き上げる専用強化魔法『女神様が見ている』があって、初めて発動することができる。
この期に及んでは『勇者』の力に賭けるより他はない。一刻も早く桜を、みんなを助けに行きたいという焦燥を押し殺し、悠斗は小鳥と共に厳しい修行に打ち込み……あまりの厳しさ故か、その時のことは霞がかかったように判然としないが……それでも、確かに今の自分には、かつての自分では持ちえなかった勇者の新たなる力が宿っている。
そしてそれを成し遂げたのは、己の信念と、小鳥遊小鳥の献身があってこそ。
「ちいっ、新しいチート装備に、チートスキルかよ……」
神々しく輝く勇者の力を前に、苦々し気に桃川が何か言っていた。
この溢れ出す聖なる力のままに、邪悪な呪術師を滅してしまいたくなるが、今はリライトに集中しなければならないと、努めて気にしないこととした。さらに激しく闇の力を暴走させるリライトは、この新たな力があっても尚、油断できない強力な相手なのだから。
「葉山、これで終わりにしよう」
「ソーマァ……ユートォオオオオオオオオオオオッ!!」
背後に無数の怨霊を浮かべ、さらに広げた両手にブラックホールのように黒々と渦巻く巨大な球状の闇を形成し、リライトが何度目になるか分からない突撃を仕掛けて来る。これまでにないほど莫大な闇の魔力の気配を振り撒きながら、底知れぬ憎悪と殺意をもって駆け出す。
しかし悠斗は恐れない。この手にはすでに、リライトの闇を祓うに足る、奇跡の力が宿っているのだから。
「————『刹那一閃』」
大きく振り上げた『光の聖剣』が、巨大な光の刀身を伸ばす。
これまでカウンターに終始していた悠斗が、ついに先手を打って大技を繰り出す。十数メートルにも及ぶ巨大な光刃と化した聖剣を、真っ直ぐに突っ込んでくるリライトへと躊躇いなく振り下ろす。
直撃すれば人間は勿論、タフな魔物であっても塵一つ残らず消滅させるほどの威力を叩き出す、悠斗が誇る最強の魔法剣技。
しかしとうに人間も魔物も超越した闇の魔人と化しつつあるリライトにとっては、一撃必殺までには至らない。
「シィイイイ、ネェァアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
たとえ理性を失っていたとしても、自身に迫る強大な光の刃には気づいているだろう。それでもリライトは自分の身よりも、ただ目の前にある仇敵を討つことだけを求めた。
瞬間、防御も回避もせず、リライトがとった行動は攻撃のみ。
左右の手にありったけの闇の力を凝縮して形成した巨大な黒球を、聖剣を振り下ろす悠斗に向けて放った。
直後、リライトに巨大な光刃が直撃し————それでも、すでに放たれた憎悪の一撃は止まらない。
「無駄だ。この『白の秘石』は、あらゆる邪悪を封じる」
悠斗が左手を翳すと、ネックレスのように白い鎖に繋がれた蒼白の宝玉が眩い輝きを放つ。
目前まで迫り来るリライトの黒球が、今にもその内に秘めた破壊力を解き放たんとした寸前、リィン、リィン、と鈴の音のように澄んだ音が響く。
やけに耳に残る音色と共に、輝く宝玉から一挙に噴き出すように現れたのは、光の帯だった。
ただの光属性攻撃魔法ではない。それは直線的に閃く光線などではなく、本物の布を広げたかのように緩やかな波を描いて伸びて行く。
その光の帯に描かれるのは華やかな図柄ではなく、どこまでも精緻に記された古代の、否、遥かなる神代の術式だ。
放たれた二筋の帯が目の前で炸裂する寸前だった黒球をまず受け止めるように衝突し、そのまま全体を包み込んで行く。
深い憎悪と莫大な魔力で形成された黒い滅びの球は、瞬く間に聖なる輝きに覆い尽くされ————そして、次の瞬間には宝玉へと吸い込まれるように消えて行った。光も闇も、どちらも残らず消え去って。
何事もなかったかのように、ただ悠斗の左手の先で『白の秘石』が静かに揺れていた。
「途轍もない魔力量だな。三発目があれば、止めきれなかったかもしれない」
悠斗の左手にある宝玉の煌めきが、薄く靄がかかったように黒ずんで見える。
それは闇の力を全て吸収した反動に他ならず、たった二発の攻撃で『白の秘石』をここまで曇らせたことに、悠斗は改めて脅威を覚えた。
「やはり使い切るしかないか……だが葉山、お前にならば惜しくはない」
「グウッ……ウウウゥ……」
苦し気な呻き声を上げるリライトは、ついに立ち上がることができなくなった。
その身を覆う濃密な闇のオーラは根こそぎ吹き飛ばされ、その漆黒に染まった体には青白く輝く斬撃の跡が大きく刻み込まれている。
流石に『刹那一閃』の直撃を受け、大きなダメージを受けたようだ。少なくとも、今までのように即座にオーラで回復して立ち上がることはできない。
それでも抱いた憎悪は僅かほども薄れていない。リライトは正気を失った、いっそ純粋なまでに殺意に塗れた真紅の眼光を真っ直ぐ悠斗を向けながら、そのまま這い出す。
立ち上がれないならば、這ってでも向かってゆく。この手でお前を殺す。言葉はなく、ただ行動でその意思をリライトは示していた。
そうして、生者を襲うゾンビのように、悠斗に向けてその手を伸ばし、
「聖なる女神の宝玉よ、どうか邪悪なる闇を封じ給え————」
殺意に伸ばされたリライトの手に、悠斗は自ら手を差し伸べる。
その伸ばした左手の先に絡んでいた白い鎖が、一人でに解けて行くと————まるで蛇が獲物に食いつくかの如く、リライトの腕へと伸びていった。
「グゥウウォオオオァアアアアアアアアアッ!?」
これまでにない絶叫が轟く。
リライトの左腕に、悠斗の左手から移った『白の秘石』が絡みつき、聖なる力を解放するかのように激しく明滅する。
一体、どれほどの苦痛がその身を襲っているのか。ついに悠斗へ殺意を向けるどころではなくなったリライトは、全身に火が付いたかのように激しくその場で悶え、のたうち回る。
「ォオオオオオオ……ガァアアアアアアアアアア……」
どれだけの間、苦しみに転がり回っていただろうか。左腕で聖なる宝玉の輝きが治まると、リライトの動きも止まった。
「————封印、成功だ」
微笑みを浮かべる悠斗が見下ろす先には、体が元通りとなったリライトの姿がある。
気絶している、あるいは死んだように眠っているだけか。大の字で仰向けに転がったリライトは、その右腕だけはいまだ漆黒に染まりきっていて、けれど左腕には『白の秘石』が微かな輝きを灯していた。
「これでもう、お前が闇の力に狂わされることはないだろう。安心して眠れ、葉山」
そんなことを言いながら、悠斗は倒れたリライトの体を抱き起すと、そのまま肩へと担ぎ上げる。
「本当にありがとう、小鳥遊さん。君のお陰で、まずは一人、助けることができたよ」
「うん、やったね蒼真君!」
弾けるような小鳥の声音に、悠斗は満足げに頷く。
気絶したリライトを担ぎながら、小鳥の方へ、いいや、正確には白い輝きによって開門した天送門へと歩みを進めてゆく。
「でも、油断しちゃダメだよ。追い詰めたけど、桃川は絶対にまだ諦めていないから」
「ああ、勿論だ」
自分が葉山の相手をしている間に、小鳥が守護天使の召喚獣を呼び出し、小太郎に横槍を入れさせないよう抑え込んでいることは、重々承知である。
強力な古代の武器で武装した十人もの守護天使を前に、随分と消耗したらしい小太郎達は成す術がないようだ。桜が『聖天結界』を展開し仲間を庇うように立って、睨み合っているのが限界である。
最愛の妹が忌まわしい洗脳によって、小太郎を必死に守ろうとしている姿はそれだけで腸が煮えくり返るような思いを抱かせるが、今はクラスメイトの命が最優先だ。
なぜなら、自分こそが『勇者』であり、みんなを救う使命を果たさなければならないのだから。
「まずは先に、葉山を送るよ。それから、俺が桜を説得してみんなを解放させよう————」
と、有利な状況を活かして仲間達の救助を語る悠斗の声を、獰猛な咆哮が遮った。
「ウォオオオオオオオオオオオオオオオンッ!」
「フシャァアアアアアアアアアア!」
「キョワァアアアアアアアッ!」
天送門の前に、一頭の赤い狼が立ち塞がる。鋭い牙を覗かせながら唸る口元からは火の粉が漏れ、燃え盛る炎のようなオーラをその身に纏っていた。
大型ではないものの、さながらボスモンスターのような気配と迫力を放っている。
そしてその傍らには、実に愛らしい純白の毛皮の子猫が、毛を逆立たせながら牙を剥き、さらに反対側には、青い鱗の子竜が目いっぱいに小さな翼を広げて威嚇するように甲高い鳴き声で吠えていた。
「なんだこの魔物は……使い魔か?」
明確に敵意を見せる三匹だが、先ほどのリライトと比べれば全く脅威とはならない。赤い狼だけがまともに戦いが出来そうなくらいで、子猫と子竜など考えるまでもないだろう。
あるいは、見た目に反して凶悪な能力、あるいは初見殺しの猛毒のような力があるのかと油断せずに悠斗は一応の警戒をしたが……言葉の通じぬ魔物だからこそ、だろうか。悠斗はすぐに三匹の意図に気づいた。
「ああ、そうか、お前達は葉山の使い魔なのか」
ただ人間を相手に殺意を向けているのではない。大切な者を守ろうと、取り戻そうと立ち向かうその気高い意思を、悠斗は確かに感じた。
「安心しろ、ちゃんとお前達も一緒に連れて行ってやる。だから今は、大人しくしていてくれないか————『蒼雷』」
再び取り出した『聖火蒼雷』の切先を、威嚇する三匹へと向けた瞬間、青く輝く雷光が閃く。
「ンナァッ!?」
「キャウゥウウウウウウウン!」
刀身から発せられた青い雷撃は、前方に広くスパークを散らして迸り子猫と子竜を容赦なく打ち据えた。叩きつけられた電撃によってその小さな体は一瞬で硬直し、子猫はその場で倒れ、子竜もまたあえなく床へと落ちる。
「ォオオオオオオオオオオオオオオオオン!」
だが、赤い狼だけは素早く跳躍し、雷撃を回避。そのまま飛び越しながら、真っ直ぐに悠斗の喉笛を食い千切られんと突っ込んで来た。
しかしそれは悪手である。悠斗にとっては、何の抵抗も出来ずに倒れ伏した子猫も、果敢に飛び掛かって来る狼も、相手にするには大した差はなかった。
「峰打ちだ。多少の痛みは我慢してくれ」
目にも留まらぬ速さで振るわれた『聖火蒼雷』が、その身が宙にあってこれ以上の動き様がない赤い狼を、高らかに響く雷鳴と共に斬る。否、叩いた。
火と雷の力を宿す鋭い刃先とは反対側、正に言葉通りの峰で打ったのだ。
骨まで切り裂く鋭利な斬撃ではなくとも、首筋に打ち込まれた峰はその衝撃と雷撃によって、有無を言わさず狼を沈黙させる。
「グゥウウウ……」
宙で峰内を叩き込まれた狼は、そのまま弾き返されるように転がって、子猫と子竜と同じ場所で倒れ込んだ。
今度こそ静かになったことで、『聖火蒼雷』を空間魔法へ納刀した悠斗が再び歩みを進め————
「それじゃあ、葉山。使い魔と一緒に、先にこのダンジョンから脱出するといい」
リライトの体は、天送門の白い輝きに飲まれて消えて行った。




