第371話 白の秘石(1)
「ソーマァアアアアアアアアアアアッ!!」
闇のオーラを纏い、漆黒に染まったリライトが怨嗟の叫びを上げる。
強大な憎悪の発露に呼応するように、全身から迸るオーラが密度を増してゆき、一つ、二つ、三つ、と渦を巻いて凝縮されていった。
そうして闇のオーラが渦巻き押し固まると、そこには黒い炎に包まれた髑髏が形成された。
「ォオオオオ……」
「ハァアアアア……」
喉もないのに呻き声のような音を漏らしながら、闇の力で作り出された髑髏は、黒炎の尾を引いて飛び出した。
向かう先は勿論、光り輝く勇者。自ら意思を持つかのように、明確に勇者を狙って飛んで行く。
「怨霊を呼び出しているのか? 何という、忌まわしい力だ」
幾つもの黒々と燃え盛る髑髏が自分目掛けて殺到してくる光景を前にしても、勇者はむしろ憐みの色をその目に映し、光り輝く聖剣を振るう。
怨嗟の唸りを上げて突っ込んでくる先頭の髑髏を切り払うと————ドッ! と轟音を立てて黒い爆炎が炸裂した。
「まるで特攻隊だな」
黒炎の爆発を至近距離で受けながらも、『天の星盾』によって煤けることなく凌いだ悠斗が呟く。
後続が次々と迫りくる中、強化された脚力で床を蹴って後退しながら左手を掲げた。
「『ソードストレージ』解放————『聖火蒼雷』」
武器を収める空間魔法より取り出したのは、一振りの刀。青白く輝く刀身には、それぞれ火属性と雷属性を行使するための術式が、複雑に絡み合って刻印されている。
魔法剣として所持していた『蒼炎の剣』と『蒼雷の剣』だが、すでに正体も力も隠す必要のなくなった小鳥が、セントラルタワーの設備と自身の錬成スキルを駆使して、合体させた双属性の魔法剣である。
一振りで青白く輝く聖なる炎と雷を撒き散らす強力な力を秘めているが、刀身からそれらが噴き出すことはなかった。代わりに、炎と雷の力を利用した魔法行使のために、刻印された術式が眩い輝きを放つ。
「『多重連鎖召喚陣』————出でよ、『火聖霊』、『雷聖霊』」
後光が差すかのように、悠斗の背後に幾つもの小さな円形の魔法陣が浮かび上がる。一拍の明滅を経て、そこから呼び出されるのは、それぞれ青白く輝く炎と雷の球。攻撃魔法としての火球と雷球に見えるが、そこには精霊としての性質も宿している。
それはすなわち、悠斗の命令一つに従い、自ら動き出す自立機能を備えているということ。
「迎え撃て」
同じように自立行動をする攻撃でもって、リライトの怨霊に対応する。
飛び交う怨霊と同数の精霊がぶつかり合い、互いに宿る力が爆ぜた。
互いが互いを喰らい合うように、光と闇が入り混じる爆炎が大きく広がり視界を埋め尽くす中、
「ウォオオオアアアアアアアアアアアアアッ!」
獰猛な獣のような雄叫びを上げて、躊躇なくリライトが突っ込んでくる。
怨霊と精霊が弾ける爆発の余波に揺らぐことなく真っ直ぐ突っ切り、二刀を構える悠斗へと迫る。
「『白影槍』」
悠斗は更なる魔法でリライトの接近に応戦。
ドラキュラのようなボスを倒して習得した『白影槍』は、照らした光から槍を伸ばす攻撃魔法だ。突っ込んでくる相手に対して使えば、足止めか、あるいはそのまま串刺しにすることができるだろう。
本職の魔術師ではなくとも、潤沢な魔力と光属性への適性によって、ズラズラと白い金属質な光沢を宿す槍がファランクスの如く立ち並び、リライトへとその鋭い穂先を向けた。
「ハァアアアアアアアアアッ!」
それでも尚、リライトは止まらない。更なる加速を経て白き槍の戦列に頭から突っ込み————キィンッ! と金属が砕ける甲高い音を立てて、正面突破を果たした。
「なるほど、その身も頑丈になっているのか」
真正面から槍衾をぶち抜き、いよいよ手が届くほどの間合いへと踏み込んで来たリライトへ、勇者の二刀流が振るわれる。
「グァウッ!?」
一瞬の交差。閃光のように瞬いた二筋の剣撃によって、リライトが呻き声を上げて転がる。
輝く斬撃の跡が、闇のオーラを切り裂き黒い肉体に刻み込まれている。攻撃のために突きだした右腕に一太刀。そして胴体を袈裟懸けに二の太刀が入っていた。
ほとんど直撃を受けていたが、出血はない。転がりながらも、勢いをつけて猫のように俊敏に立ち上がったリライトの体には、すでに濃密な闇のオーラが傷跡に漂う。刻み付けられた斬撃の煌めきを、再び黒一色へと染め直しかき消してゆく。
「完璧に弾いたと思ったのだが……これでも威力が届くのか。本当に厄介な闇の力だな」
蒼真流の剣術により、真正面から右腕を振りかぶって飛び込んでくるだけの愚直な攻撃など、容易く悠斗は捌いてみせた。
まずは攻撃の起点となる右腕を『光の聖剣』で、腕ごと斬り飛ばす勢いで弾き、続いて胴体を『聖火蒼雷』で一閃。どちらも確かな手ごたえを覚えたが、見ての通りリライトに致命的なダメージは通っておらず、与えた損傷も即座に修復されつつある。
一方的に攻撃を与えたはずの悠斗だが、右腕から肩にかけて濛々と黒煙のような闇のオーラが纏わりつく。それはジワジワと皮膚を突き刺すような痛みを伴い、まるで自分の肉体が邪悪な存在に浸食されているかのようなおぞましい錯覚を覚えた。
直撃は避け、かすりもしなかったが、それでもリライトの右腕に渦巻いたオーラが悠斗へと届いたのだろう。そして、ただそれだけで猛毒の如き効果を発揮し、右腕を蝕んでいる。
通常の感覚で弾いたり避けたりするだけでは、闇のオーラを受けてしまうということ。怒り狂った獣のように、真っ直ぐ飛び掛かって来るだけの単純な行動ながらも、この効果によって対応の難度は跳ね上がった。
「『加速回復』————いや、ここは『蒼功波動』の方が良さそうだな」
「グォオオァアアアアアアアッ!」
体勢を立て直したリライトが再び躍りかかって来るのを、今度は大きく飛んで避けながら、悠斗は右腕の回復に努めた。
選んだ回復手段は治癒魔法ではなく、本来はより強力な攻撃をするための魔力オーラを生み出す『蒼功波動』だ。
勇者の生命力と聖なる光の力を混合させた青白く輝くオーラが右腕に迸ると、邪悪な闇が祓われたかのように霧散する。闇の力はただ肉体を治癒するよりも、光の力で浄化する方が効果的であることが示された。
「来い、葉山。お前の闇を、俺が全て祓ってやろう」
「ウォオオオアアアアアアアアアアアアアッ!!」
そうして加速してゆく光と闇の激突の傍らで、ついに黒幕たる『賢者』小鳥遊小鳥は、小太郎達の前へと降り立った。
「相変わらず、バカな『賢者』だなぁ。お前が姿を現した時点で、もうすでにチャンス到来なんだよ」
正直、小鳥遊にどっか司令室みたいな場所に引き篭もられるのが、一番困るのだ。
転移封じによって逃亡こそ阻止しているものの、厳重に閉ざされた分厚い扉を開くことは今の僕らには出来ない。あるいは、あの妖精広場のように完璧な迎撃装置が備わっている可能性もありえる。
そうなればもう、千日手ってやつだ。
まぁ、コイツのことだから『勇者』蒼真悠斗を失って一人きりになった時、助かるアテのない籠城をやり遂げる精神性はないだろう。目的としても戦力的にも、必ず小鳥遊は蒼真悠斗を繰り出さなければならない。戦略的な勝ち筋は十分に確保できているからこそ、こうして攻略にも乗り出してきたけど……小鳥遊に引き籠られて困るのに変わりはないので、のこのこ僕らの前に顔を出したのは、本当に絶好のチャンス到来と言わざるを得ない。
「はぁ? 分身を出せるのはアンタだけじゃないの。学園塔の時のこと、もう忘れたの?」
ああ、間抜けにもまんまと僕の逃亡を許し、自ら黒幕であることをゲロった最大のやらかし案件である、毒殺未遂事件の時のことか。勿論、覚えているに決まっているじゃあないか。
「お前、本物じゃん。あの時と同じ、『投影術』じゃあないね」
「気持ちの悪い触手で、確かめなくても分かるの?」
「一度見せた技を、見破れないとでも思ってるのか?」
「得意技のハッタリだね」
「お前如きに、使うまでもない」
残念ながら小鳥遊、今回はマジでハッタリじゃあなくて、ガチ見破りなんだよなぁ。
あの時の僕じゃあ、確かに精巧なホログラム同然の『投影術』は、実際に触れてみるより他に確認する術はなかった。けれど、今の僕にはあの頃にはなかった新呪術があるのだ。
相手が本物か幻か、簡単に見破れる呪術、その名は、
『虚ろ写し』:虚飾の瞳術。人は見たいものを見るならば、見せたいものだけ見せればよい。されど真実なき虚しい飾りは容易く揺らぎ、綻ぶ。それでも尚、偽りの姿を見せたければ、より美しく、精巧に、飾り立てればよい。誰も彼も、上辺を眺めて真理を悟る。
ゴーマ王国攻略において、多大な貢献を果たしてくれた瞳術だ。敵の目を欺くためには、それ相応に見た目に気を遣ったモノを用意するのがベストという、地味に準備が大切な呪術なのだが……実はこの呪術には穴がある。正確には、効果対象が明確に定められている、というべきか。
要するに、実体のないモノには術をかけられない、という制約だ。
最初に気づいたキッカケは、隠し砦の司令室に引き籠っては画面と睨めっこして情報収集していた時のことである。あんまり作業が捗らず、集中力を欠いていたその時、たまたま監視映像に映っていたのがメイちゃんだった。
何のことはない、いつもの通りに厨房で料理をしている彼女の姿を見て、僕は思いついてしまった。
ここに映ってるメイちゃんに『虚ろ写し』かけたら裸に見えるんじゃね?
完全に出来心である。ムラムラしてやった。今も反省していない。
世界中にインターネッツが普及したが如く、性欲というのは凄まじい発想力と原動力になるものだ。仮に成功したとしても、所詮は僕の想像力を反映させたものになるので、本物の裸体ではない。だがそれでいい。ただそれっぽく見えれば、それだけで満足なのだ。
そんな下心全開で実行した検証だったが……画面の中のメイちゃんをどれだけ見つめ続けても、裸に見えることはなかった。すなわち『虚ろ写し』が不発になっていることに、僕は気づいたのだ。
その後、適当に投影できるホログラム機能を利用してさらに検証した結果、『虚ろ写し』は物理的に存在している実体にしかかけることはできない、ということが判明した。
つまり、僕の目に一瞬とはいえ全裸の小鳥遊が映った時点で、目の前で浮遊しているコイツが本物の肉体を持っていることは証明されているのだ。僕の想像力と広大なネットの海から収集され蓄積した情報量によって、お前を裸に剥くアイコラくらい余裕だよ。
「そもそも、ただお喋りしに出てきたワケじゃないだろう。お前自身が出張って来なきゃいけないほどの状況に陥っているってことだ」
「ふん、葉山がちょっと暴れているだけで、調子に乗るなよ桃川。私の蒼真君が葉山如きにどうにかなるわけねぇだろが」
「あっさり見破られたからって、何ちょっと不機嫌になってんのさ」
余裕ぶって登場したくせに、そうやってすぐ顔に出るところが浅はかなんだよ。全てを支配する黒幕を気取るなら、ポーカーフェイスくらい出来るようになってからにしろ。
「小鳥遊小鳥! 貴女の悪事もここまでです。大人しく兄さんを返して、降伏するなら命だけは助けましょう」
「はぁ、桜ちゃんさぁ……」
「ぷっ、くくっ、あははは! バァーッカじゃないのぉ、蒼真桜ぁ、アンタってホント、バカ!」
今ばかりは小鳥遊に同意である。幾らなんでも、それはないんじゃないの。
単純に「よくも兄貴をたぶらかしやがって、ぶっ殺してやるこのクソビッチが!」くらいドストレートにキレ散らかす方が、まだずっと常識的な対応だったと思うよ。
「蒼真君が庇ってくれないアンタなんて、ただちょっと顔がいいだけの女でしかないって、まだ分からないの? ああ、もしかして不便な生活に耐えられなくて、桃川に股でも開いたのかな。そしたら今まで通りのお姫様扱いしてもらえるよねぇ」
「失礼だなぁ、桜ちゃんのバストサイズが二倍にならない限り、僕が揺らぐことはないね」
「よ、よくもそのような侮辱を言えたものですね……どうやら、本当に命が惜しくないようですね、小鳥遊小鳥」
怒りに震える桜ちゃんだが、それでもわざわざ投降を促す台詞を言ったということは、多少は慈悲の心があってのことか。いや、桜ちゃんならナチュラルに自分の手を汚したくないから、都合よく相手が降参してくれないかな、とか期待して言ってそう。
ともかく、小鳥遊の情状酌量の余地ゼロの返答で、桜ちゃんもようやくぶち殺す覚悟も決まったことだろう。
「もしかして桜ちゃん、小鳥と正々堂々、決闘が出来るとでも思ってるの? ヤダなぁ、これだから武術なんてやってる子は野蛮で」
「私の前に姿を現しておきながら、いつまでも傍観者を気取ることはできませんよ」
手にした『桜花繚乱』の鋭い切先を、宙に浮く小鳥遊へ向ける桜ちゃん。
確かに桜ちゃんは、半端な高さで浮遊しているだけの小鳥遊に対して、十分に届くだけの間合いを誇る攻撃手段を持ってはいるけれど……流石に小鳥遊だって、『神聖言語・拒絶の言葉』と『聖天結界』だけに防御を頼って無敵モードと過信してはいないだろう。
「小鳥がわざわざ、アンタみたいな脳筋蛮族女の相手なんてするワケないでしょ。そういうのは、下っ端の奴隷がやるに決まってるんだよ————さぁ、小鳥を守れ、護衛依頼!」
『シンクレアコード認証。タカナシ臨時総督閣下の護衛依頼を受理。至急、『守護天使』を派遣。顕現まで、5,4,3————』
セントラルタワーの機械的なシステムボイスがカウントダウンを始めると同時に、小鳥遊の周囲に幾つもの白い魔法陣が展開される。僅か5秒のカウントで、展開から召喚は完了。
出現したのは正しく『守護天使』の名に相応しい、天使の翼を生やした重厚な鎧兜の騎士達であった。
純白の全身鎧だが、リビングアーマーと違い古代文明らしい輝く魔力ラインが走る若干SFチックなデザインだ。背中の羽も間違いなく、『聖天結界』付きだろう。万能バリアと分厚い装甲の二重防御は、戦う前からウンザリするようなタフネスを連想させた。
そんな奴らが手にする武器は、騎士らしく槍と盾などではなく、ゴッツいマンシンガンみたいなのと、デカいバズーカみたいな古代兵器である。正々堂々の一騎打ちなどクソ喰らえ、一方的に火力で撃ち殺す気満々の武装だ。
「アンタ達じゃあ、一機も落とせないんじゃない?」
未来系シューターゲーからやって来たような守護天使に囲まれた小鳥遊が、ふんぞり返って言い放つ。当然のことながら、現れた守護天使は一体だけではなく、見える限りでは十体並んでいる。それもこの十体で打ち止めかどうかは分からない。コイツが要請すれば、セントラルタワーのシステムはその分だけ増援を寄越すかもしれないのだ。
「くっ、アレが全て『聖天結界』で守られているのですか……」
流石に桜ちゃんも、守護天使の硬さは気になるようだ。少なくとも、奴らの群れに一足飛びに斬りかかるような真似をしようとは思わないだろう。
「その程度の力でここまで来た時点で、アンタらは終わってんの。だから大人しくしていれば、そのままそこで見物させてあげる。私の蒼真くんが、邪悪な精霊術士を成敗するところをね」
なるほど、ここに来た本命はそっちか。
小鳥遊は大きく右手を掲げる。その手に、一本の短杖を握りしめて。
「蒼真くん、小鳥が力を貸してあげる! 行くよっ、『女神様が見ている』」
「ありがとう、小鳥遊さん————」
小鳥遊が振り上げた杖が強い輝きを放つと、それに呼応するように蒼真悠斗の体も光り出す。より眩しく輝く青白い閃光は、左腕に集約してゆき……その先に、白い鎖に繋がれた、蒼白に輝く宝石が現れた。
「————第三固有スキル解放、『白の秘石』」




