第365話 白き霊獣(3)
「はぁ……ようやく捕まったよ」
溜め込んだ緊張と疲労を一気に吐き出すように、杏子は大きな溜息をついた。
「まだ油断はしない方がいいわよ、蘭堂さん」
「つっても、委員長も限界じゃないの」
「……そうね。もう、ほとんど魔力が残っていないわ」
滝のような汗を流しながら、涼子も構えていた杖を下げた。
「みんなー、お疲れ様ぁー」
二人の方へ駆け寄ってくる美波も、フルマラソンを走り終えたような消耗ぶりである。
「キナコ……」
そしてリライトは、霊獣化が切れてボロボロになりながらも駆け戻って来たベニヲを労わるように撫でながら、ついに沈黙したキナコを見上げた。
突き立つ巨大な石と氷の柱に半身を飲みこまれ、さらにコンクリと氷漬けにされて全身が覆い尽くされている。唯一、鼻の先だけが呼吸できるよう開けられており、その他は一切の隙間はない。
さらにその外側には、拘束を補強するように、杏子と涼子が詠唱し、美波とリライトで儀式準備した上で、それぞれの上級範囲防御魔法を発動させ、岩と氷の二重の檻を形成させていた。
最終的には巨大なキューブ状の岩と氷の混合物の内側に、押し固められたような状況となっている。想定されたキナコの捕獲としては、ほぼ完成形だ。
小太郎の指揮とサポートもなく、さらには芽衣子と龍一のエース級も欠いた、僅か四人でここまで成し遂げたのは、奇跡的な快挙と言っていいだろう。
その代償として、四人の力は限界まで消耗していた。
「みんな、マジでありがとな……」
「おい葉山ぁ、この借りは高くつくかんなー」
「私はスイーツでいいよ。一年分くらいで」
「もう、まだ戦いは終わっていないのよ。今の内にポーションでも飲んで、少しでも回復しておかないと」
気だるそうに体を起こしながら、涼子はポーチに入れていた魔力回復用のMPポーションを配る。飲んだところで即座に全快するわけではないが、あるとないとでは大違い。その効果は、ヤマタノオロチ戦で実証されている。
キナコを首尾よく生け捕ることに成功したが、最も警戒すべき『勇者』蒼真悠斗と、黒幕たる『賢者』小鳥遊小鳥は健在だ。
「で、こっからどうすんの? 葉山、すぐキナコを元に戻せんのか?」
「……正直、どうすりゃいいか全然わからねぇ」
「この戦いが終わるまでは、あのまま置いておくしかないわよ。今すぐどうこうできるものじゃないし、後で何とかするために、ああして固く拘束しているのだから」
「にはは、大丈夫だよ。桃川君もいるし、後でゆっくりやれば、絶対にいい方法が見つかるよ!」
楽観的な美波の台詞だが、その笑顔はこういう時には一緒に気持ちも明るくさせてくれる。リライトも微笑みを浮かべて、そうだよな、と呟いた。
「ともかく、この状況で新しいボスモンスターでも現れれば危険だわ。ここは一旦、階段の方まで引きましょう」
「つっても、キナコ見えるくらいの位置にはいないと、壊されるかもだぞ」
「ええ、降りてすぐのところにまで下がるのが、精々でしょうね」
そうして、一時的に撤退しようとした、その矢先であった。
光が灯った。眩しく輝く青白い閃光。
その発信源は、岩と氷の牢獄だ。
「なっ、なんだよ、アレは……」
振り返ったリライトは、はっきりと見た。
透き通った氷の向こうにある霊獣キナコの顔。その額から、まるで第三の眼が開くかのように、眩い輝きを発する結晶が現れた。
青みがかったクリスタルのような結晶からは、その強烈な光と共に、リライトでもはっきりと肌で感じるほどに、莫大な魔力が迸っていることが感じられた。思わず全身が総毛立ち、足が震えてくるほどに。
「はっ、ウッソだろおい……」
引きつった杏子の呟きは、ビキリ、と走った音にかき消された。
堅固に築かれた牢獄に、一筋の亀裂が走る。閉ざされたキナコの真正面、縦一文字に割れてゆく。
「いけない、拘束が————」
先に破られたのは、正面ではなく背後であった。
大爆発が起きたかのように、激しい閃光と共に大岩と氷塊が諸共に吹き飛ばされる。そこから突き破って出てきたのは————光り輝く、白い翼。
「キナコに、羽が……」
青白い光を纏った翼が、今にも天へと飛び立たんばかりの勢いで羽ばたけば、ビキビキと盛大な音を立てて牢獄が崩壊してゆく。
そして額の結晶を輝かせながら、ついに正面の亀裂は門が開くように左右へと分かたれてゆく。同時に、両腕を封じる最も堅固な岩と氷の巨大な柱も、轟音を立てて崩れた。
プゴォァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!
膨大な質量の牢獄を吹き飛ばし、霊獣キナコは解き放たれる。
いや、すでにその姿は霊獣と言えるかどうかも分からない。
「えっ、なんか……大っきくなってない……?」
震える声の美波に、誰もが同意するが、認めたくはなかった。
けれど、認めるより他はない。解放されたキナコの体は、とても気のせいでは済まないほどに巨大化していた。
「まさか、ヤマタノオロチのように、キナコも強化されているの」
「だからって、これはデカくなりすぎだろ」
青白いオーラに包み込まれたキナコは、見る見るうちに体が膨れ上がるように大きくなり————ついには、元の霊獣から倍するほどの巨躯へと成長を果たしていた。
逞しい二足で立ち上がったその身の丈は、10メートルは超えている。その巨大さは正しく、ザガン並みと言っていい。
いいや、その背に翻る大きな翼のせいで、さらに大きく見えた。
そうして遥か頭上にある高みから、蘇ったキナコは変わらぬ敵意と殺意でギラつく視線で、眼下の人間達を見下ろした。
「逃げるわよっ! これ以上はもうどうしようもないわ!」
「逃げるったって————」
涼子の即断に、全員が応じる。
悪態を吐きながらも、杏子はすでにリボルバーを手に、目くらましの土魔法を放つ構え。同じく涼子も杖を、美波もダガーを抜いて、とにかく何でもいいからキナコの足止めができそうな手段を選ぶ。
リライトに出来たことは、霊獣化で疲弊しきったベニヲを抱えて走ることだけ。
「コォオオオオ……」
だがしかし、果敢な抵抗を嘲笑うかのように、開かれたキナコの口腔の奥に破滅の光が灯る。ただ光の矢を連続で撃ちだすだけの攻撃とは、一線を画す絶大な魔力が込められている。
飛来する土と氷、そして炸裂するダガーの威力にものともせず、キナコは正確に狙いを定め続けた。あるいは、大して狙いをつける必要性もないのかもしれない。
「————プガァアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
口から吐き出された青白い光の奔流は、正にドラゴンブレスが如き威力でもって放たれる。巨大な竜巻のように渦巻く輝きは、僅か四人の人間など容易く飲み込む。
ブレスに晒された人間など、一息でその身は跡形も残らず消滅してゆく————はずだった。
「————『聖天結界』っ、全開っ!!」
刹那、更なる白い輝きが、青いブレスを遮った。
ドドド、と音を立てて洪水のような勢いで迸るブレスに対して、どれほど増水しても決して流されぬ大岩の如く、大きな球状に展開された『聖天結界』が真っ白に輝いて抗う。
莫大な魔力量が反応し合い、目が眩むほどに激しく明滅を繰り返し————ついに、ブレスの脅威は過ぎ去った。
「……さ、桜」
「何とか、間に合ったようですね」
驚愕の表情を浮かべる涼子に対して、蒼真桜は美しい黒髪を翻し、優雅に微笑んだ。
「桃川、アナタがグズグズしているから、これほどの窮地に陥ってしまったのではないですか!」
「ええぇー、間に合ったんだからいいじゃん」
微笑んだ直後に、瞬時に不機嫌な表情で、すぐ隣に寄り添うように立っている小太郎へとケチを飛ばした。
対する小太郎も、桜のお小言などすっかり慣れたとばかりに、ふてぶてしい顔のままで応えている。
「ひとまず、みんなが無事なようで何よりだよ。どうやら————ふがぁ」
「マジ助かったぜ小太郎ぉ!」
押し倒さんばかりの勢いで、杏子が小太郎をその大きな胸に抱きしめる。
窮地にあっても怯まぬ度胸を持つ杏子だが、今回は流石に死を覚悟するほどに肝を冷やしたものだ。いつもの調子で喜びの声をあげているものの、彼女の体は大粒の冷や汗が浮かび上がっていた。
「ありがとー、ホントに助かったよ桜ちゃん」
「遅れてすみませんでした。大きな怪我は負ってはいないようですね」
「ええ、誰も大した負傷はしていないわよ。けれど、霊獣状態のキナコを拘束するために戦って、もう私達の魔力は限界に近い……申し訳ないけれど、あまり戦力にはなれそうもないわ」
まだ小太郎はぬいぐるみが如く抱きしめられて褐色の谷間に封印されている最中なので、桜が代わって涼子に状況を聞いた。
桜もキナコ捕獲作戦の概要は聞いている。
凄まじい巨体を誇るキナコの周辺には、大量の土砂と氷が散らばり、さらに千切れ飛んだ長大な鎖も混じっていることから、この四人だけで作戦通りの拘束を成功させたことは一目で把握できた。
「相手の力は、想像以上だったようですね」
涼子達が死力を尽くしても尚、封じきれなかったのも仕方がない。
目の前に立つキナコは、あまりにも大きすぎる。話に聞いて想像していたよりも、遥かに強大な存在だと感じられる。
ブレスを『聖天結界』で真正面から防ぎきれたのも、光属性の攻撃であったため、特に耐性が高かったからこそ。もしも同じ規模のブレスで、他の属性であれば危険であった。
「そ、蒼真さん……キナコを、止められるのか……?」
リライトは蒼褪めた顔で、そう問いかけた。
入念な準備を重ねた作戦通りの拘束が成功したにも関わらず、こうしてさらなる力を発揮して解放されてしまった。この期に及んでは、とても生け捕りなど余裕のあることは言っていられない。
消耗している以上に、そう宣言される恐ろしさの方が、リライトの顔を青くさせていた。
「大丈夫ですよ、葉山君。そのための準備に、時間がかかってしまったのですから」
その不安な気持ちを汲んだ桜は、持ち前の美貌で正しく女神が如き慈愛の微笑みでもって、リライトの肩に優しく手を置いた。
「それでは、くれぐれも頼みますよ、桃川。ほら、いつまでも蘭堂さんと遊んでないで、さっさとしなさい!」
「————もう、分かってるよ桜ちゃん」
杏子に後ろからハグされて、頭の上に魅惑の爆乳が乗せられたまま、小太郎は自信満々に答える。
「任せてよ葉山君。僕のとっておきの呪術で、覚醒したキナコだって取り押さえてみせるからさ」
そう言い放ち、小太郎はキナコへと向き直る。
更なる巨大化を果たし、翼を生やした怪物となったキナコ。間髪入れずにこちらへ突っ込んでこないのは、どうやら全力でブレスを放った反動があるようだ。あるいは急速に変化を果たしたため、まだ体そのものが馴染み切っていないのか。
ゴフゥ、と大きく呼吸をしながら、両手を地につけて疲れたような体勢をとっているキナコを眺めて、小太郎はそう予想した。
だが、いつまでもこうしてバテてくれているとは思えない。
出し惜しみせず、小太郎は切り札を使う覚悟を決めた。
「来い、レム」
「はい、あるじ」
クラスメイト達を後ろに庇うように敢然と立つ小太郎。その目の前にドロドロとした『屍人形』を生み出す混沌の泥沼が広がり、その内から真っ白い幼女の姿のレムが現れる。
一糸纏わぬ白い裸体を晒すレムは、ただ一つ髑髏だけをその手に持ち、頭上へ掲げていた。大きな黒染めの髑髏には、びっしりと鮮血でしたためたような文字と陣が記されている。
如何にも怪しい黒髑髏だが、そこから発せられる異様な気配は見た目のせいだけではないだろう。仲間であるクラスメイト達でさえ、その髑髏を目にした瞬間、思わず眉をひそめるほどに負の感情が自然と湧いた。
だが、それでいい。そうでなければならない。
なぜならば、この髑髏は仲間殺しの仇敵にして、自分達の前に立ちはだかった、文字通りに強大な恐ろしい敵であったのだから。
『巨人の兜』:王国を守る最強の大戦士ザガンの頭蓋骨。王国の頂点に立った偉大な戦士の骨は、ただそれだけで鋼鉄を越える強度を誇る。だがそこに秘める最も強大な力は、自らを巨人と化す奥義。そして宿命の戦いに敗れ去った怨念は、屍と化してもその力を解き放つ時を待ちわびている。もしも再び王命が下されれば、必ずや大戦士長ザガンは応えるであろう。
衰えぬ呪いが如き威圧感を発し続ける『巨人の兜』を掲げるレムの傍ら、小太郎は学生鞄から一本の杖を取り出す。
その杖はこれまでに作ったどの杖よりも、大きく、長い。パワーアシスト付きの強化学ランの力でもって、一息に鞄から抜き放ち、堂々と構える。
その杖はただ大きく長いだけでなく、奇妙で不気味な形をしていた。
小太郎の握る柄は、ゴーマ王オーマが手にしていた黄金と多様な宝玉によって彩られた豪奢な杖。王錫と言うべき象徴的な杖であると同時に、実際にオーマが様々な術を使用するのにも使った魔法武器でもある。
ほぼ手を加えられることなく煌びやかな王錫のままであるが、その先端から繋がる先は異様に過ぎた。
そこにあるのは、骨。横道の背骨ごと杖とした『無道一式』と同様に、王錫の先につなげられているのはオーマの背骨であった。
いや、背骨だけではない。腰から上の上半身の骨格が丸ごと残されており、両手の骨は真横に広がっている。さながら磔刑に処されたかのような有様。
だが貼り付けられているのは木の十字架などではなく、黒々とした金属光沢を持つ触手としか言いようのない異形であった。タコのような吸盤のついたものもあれば、ミミズのようなものあるし、中には明確に人の手と酷似した形のものもある。そんな様々な黒い鋼の触手がオーマの半身骨格に絡みつき、歪に捻じれた十字を形作っていた。
そして歪んだ白骨十字の先にあるのは、オーマの髑髏。その頭の上には王冠が括りつけられ、今もその王位を虚しく示している。
それは最早、杖というよりも、一国の王を処刑した見せしめの如き忌まわしいオブジェであった。
『亡王錫「業魔逢魔」』:数百年の長きに渡って築き上げた野望の王国。それをたった一日で滅ぼされ、全てを失った哀れなる王の末路そのものを示している。埋葬されることなく、滅亡の屈辱を晒され続ける王の身には、決して褪せることのない呪われた怨念が宿り続け、叶うはずのない復讐の時を願い続ける。もしも滅び去った王国の戦士がいるならば、必ずや偉大なるゴーマ王オーマの命に応えるであろう。
異形の大杖『亡王錫「業魔逢魔」』を、小太郎は高々と掲げて叫んだ。
「いくぞレムっ、巨大化だっ!!」
主の命を受け、レムは頭に『巨人の兜』を被り、応えた。
「ぎーがー」




