第359話 狂戦士VS双剣士(1)
「剣崎流————『乱れ裂き・椿』っ!」
輝く二刀から繰り出される連撃が、芽衣子に襲い掛かる。
剣崎流の術理と、武技に昇華されたことによる強大な威力上昇は、無数にも思える連続斬撃の全てに及ぶ。このダンジョンでの戦いにおいては、大型の魔物やボスといったタフな相手に大きなダメージを与えるために使っていた技だったが……魔物などという化け物は存在しない元の世界において、剣術が想定する相手は常に人間だ。
双葉芽衣子という人間を相手に放つことで、武技となった『乱れ裂き・椿』は本来の力を最大限に発揮する。
咲き誇る花のように描き出された華麗な剣閃は、その一つ一つが明確な意図を持って放たれている。決して、美しく派手な見せるだけの技ではない。流れるような連撃は詰将棋のように一撃ごとに相手を追い込んで行く。
その精密かつ苛烈な連撃は、蒼真悠斗でも凌ぎきるのは難しかった。女であるが故に劣るフィジカル、そして粘り強く耐えきる悠斗のスタミナに及ばず、その守りを突き崩すまで攻め切ることができなかったのが、元の世界において二人の戦いの勝敗を分けていた。
だが『双剣士』として加護の力を得た今、そのような人間の女としての限界はとっくに超えている。
剣崎流が理想とする、それ以上の超人的な力をもって放たれる『乱れ裂き・椿』は、完成された技として今まさに敵を襲っているが、
「ダメだ、崩れない……」
言葉にこそ出さないが、心中ではそう認めざるを得ない。
正に不動。芽衣子の守りは揺らがない。
「くっ、本当に全てを見切っているというのか、私の剣を!」
そうだとしか思えない。力と速さに任せ、反応してから防いでいるだけでは決して凌ぎ切ることはできない。
この武技を芽衣子の前で使ったことは何度かある。実戦での使用を見られてはいるが、それだけ。まして彼女は剣術の素人。深淵な剣の術理を理解するには、あまりにも知識も経験も足りてはいないはず……だが、目の前で完璧に『乱れ裂き・椿』を捌く様は、この技の全てを見切っているとしか考えられない。
「ならば————『乱れ裂き・菖蒲』」
まだ見せていない技ならどうだ。
命を賭けた真剣勝負の世界では、初見かどうかは大きな、あまりにも大きな差となる。タネが割れれば大したことはない。だが命を落とせば、次はないのだ。
秘技、奥義、などと呼ばれる技には、その術を相手に知られるリスクを減らすという、情報保護の観点も含まれている。
見ただけで読み切ることはできないと思ったが、一度見ただけでも見切って来るほどの天才だと想定するべきだ。そういう相手となれば、出し惜しみはしない。元より、底知れぬ力を発揮する狂戦士を相手に、加減する余地などどこにもありはしなかった。
「んっ」
初めて見る技だと、芽衣子も即座に悟ったのだろう。ピクりと眉が跳ねあがると、一歩引いた。
同じ『乱れ裂き』と名の付く連撃技は、その最中で自然に切り替えることができる。『椿』から『菖蒲』へと変わったその一太刀目で反応したのは、流石の勘の良さだと明日那も認める。
だが、その対応が間合いの外へ一歩逃げ出すという消極策をとったことに、自身の優勢を確信した。
「ハァアアアアアアアアッ!」
裂帛の気合と共に、さらに鋭さを増した連撃武技『菖蒲』が芽衣子を襲う。
さらに一歩、後退する芽衣子の体には、新たに刻まれた切り傷が浮かぶ。まだまだ浅いかすり傷。だが、先よりも着実に刃がその身に届いている。
初見の技をこれ以上は凌ぎきれないと思ったか、芽衣子はさらに大きく一歩を退く。
ここが攻め時だ。あと数手を残す『乱れ裂き・菖蒲』を、放ち切る内に仕留めてみせると決めて、明日那は逃げる芽衣子を追って翼の羽ばたきと共に踏み込み————直後、一切の思考をすっ飛ばした反射で、その身を横へと投げ出していた。
「————『撃震』」
長大な刀身と化した『ザガンズ・プライド』が真上から振り下ろされる。
反撃など許さぬ連撃だった。事実、ここで大振りの武技を差し込まれるだけの隙などありはしなかった。
だが、芽衣子は十全に力を込めた『撃震』を繰り出し、明日那がそれをなりふり構わず回避に移った結果となったのは……炸裂した『撃震』が荒れた石畳を粉砕した後になって、ようやく思考が追いついた明日那は理解する。
「あ、あの時と同じだ……」
決闘で自分が負けたのと同じ原理だ。殺してもいないのに、勝った、と決めつけてしまった心理的な隙。
今回は、連撃の一つでも直撃すれば殺せる、という決めつけだ。
そう、剣崎流は人間相手の剣術。ただの人間が、達人の振るう一撃を貰って生きていられるはずがない、という前提が存在する。
もしも明日那が逃げずに『乱れ裂き・菖蒲』を続けていれば、先に斬られていたのは芽衣子の方だ。回避も防御もせず攻めに転じた以上、この上ないクリーンヒットを許す。
そうなれば、哀れ反撃に転じた体勢のまま体は上下に泣き別れ。普通の人間なら、そうなる。
しかし、双葉芽衣子は『狂戦士』である。本当に、その一撃で止まるのか。殺せるのか。
否。絶対に否だ。
重大なダメージは与えられる。芽衣子も無事では済まない。だがしかし、殺せない。殺し切れない。死んでいないから、止まらない。
芽衣子が攻撃に転じるその瞬間に、明日那は幼少より修業を重ねた上に、ダンジョン攻略という実戦を通して大きく成長した剣士としての勘によって、反射的に動くことができた。
普通だったらこれで勝ったと思って振るったはずの剣を止めて、回避を選ぶことができたのだ。
一撃で死んでくれない人間、という想定外が、剣崎流の術理を覆したのだった。
「『破断』っ!」
「くっ!?」
肉を切らせて骨を断つ芽衣子の反撃を辛くも逃れた明日那であったが、当然、その一撃だけで終わるはずがない。
無理に回避をしたせいで、すでに武技は打ち止め。自分が二の太刀を振るうよりも先に、芽衣子の次なる武技が飛んでくる。
攻撃どころではない。体勢が悪かった。翼の制動力があるから、構えをとったまま何とか立っていることができているといった状態。
「まずい、コイツの武技をまともに受ければ————」
押し切られる。力では、狂戦士には絶対に敵わない。
あの決闘の敗北によって刻み込まれた劣等感はしかし、直後に冷静な思考で覆される。
「————いいや、今の私には『聖天結界』の守りがある!」
無敵の光の結界が、自身をあらゆる攻撃から守ってくれるのだ。
剣士として、あえて頼って隙など晒すまいと戒めてはいたが、今こそこの守りの力に頼る時である。
どの道、ここでさらに無理を重ねて完全な回避を選べば、次で詰む。
ここで芽衣子の武技を受けるしかない。ただ受けるだけではダメだ。そのままパワーで押し込まれてしまっては意味がない。
この一撃の後に、間髪入れずに反撃を、必殺の一撃と呼べるほどの反撃を繰り出せなければ形成をひっくり返されてしまう。
そのためには、『聖天結界』だけで受ける。そして、自らは武技を放った直後の芽衣子を斬るために構える。
「私を守ってくれ、小鳥!」
親友を信じ抜く、その純粋な気持ちでもって自らの命を明日那は賭けた。
両手にした『天命剣・聖鳥羽撃』は、次の一手で確実に狂戦士を斬り殺すべく大きく振り上げる。
そうしてがら空きとなった明日那の胴体へと、横薙ぎに大きく振るわれた『破断』が襲い掛かり、
キィイイイイイイイイイイイインッ!
眩い光が弾ける。
甲高い音を立てて散ってゆく青白い光の粒子と火花、そして巨人の剣が纏った真紅のオーラが交じり合い、爆発するように衝撃波の華を咲かせた。
「ぐっ、おおおぉ……」
苦し気なうめき声を上げる明日那。途轍もない斬撃が通り過ぎてゆくのを確かに感じた。
だが、倒れない。狂戦士の刃は、この身に届いてはいない。
『聖天結界』は、見事に芽衣子の一撃を凌ぎきったのだ。
「行ける! 武技が直撃しても、この程度の衝撃で済むのなら————」
今にも破れそうなほど結界に大きな負荷がかかっていた。だが、破れずに耐えきったという確かな結果がここに示された。
芽衣子が放った渾身の武技を、直撃しても耐えきったというのなら、それはすなわち、もう彼女に『聖天結界』を破る手段は存在しないという、
「————『黒凪』」
黒い斬撃が閃く。
見たことはある。呪いの刃が、黒い魔力を纏って繰り出される武技だ。
無論、ただ斬り付けるよりも遥かに強力な威力を発揮する、立派な武技であることは承知していたが……明日那には、シンプルな斬撃強化の『破断』との違いが分からなかった。
恐らく、一撃の威力を高めると言う効果は同じで、武技を発動するプロセスやコストに違いがあるのだろう、と分析していた。
だが、それは大きな間違いだということを、今この瞬間に身をもって思い知ることとなった。
「なっ、あ……結界、が……」
攻撃を防ぐ際に散る青白い燐光は、撒き散らされた漆黒のオーラに飲まれて消えてゆく。訪れた夜の帳に、か弱い光が溶けていくかのように。
『聖天結界』が、破れていた。
芽衣子の右手に逆手で握られた呪いを宿す剣『八つ裂き・牛魔刀』は、その漆黒の一閃で横一文字に結界を黒く切り裂いた。
「ぐわぁああああああああああああああっ!」
馬鹿な、と思うよりも前に、ついに生身へと届いた狂戦士の一撃が、明日那の体を吹き飛ばした。
気が付けば、この闘技場染みた円形広場を囲う太い円柱に背中から激突し、半ば埋まるような状態。無様に吹き飛ばされたが、発生した衝撃を受けて勢いよく後ろに飛んだことで芽衣子の追撃から逃れたことは幸いであった。
もっとも、今の明日那にとって良い結果はその程度のことしかなく、
「ぐううぅ……そんな、馬鹿な……き、斬られただとぉ……」
腹部へ真横に刻まれた傷跡から、鮮血が湧き上がる。
内蔵にまで届いてこそいないが、しなやかに鍛えられた腹筋が鋭利な断面でもって切り裂かれ、止めどない出血を強いていた。
だが、気にするべきは致命には至っていない自身の手傷よりも、いまだ目の前で燻っている黒々とした闇だ。
「なんだコレは……結界を浸食、しているのか……?」
神聖な光の結界を、闇色の猛毒が蝕んでいるかのようだ。
青い白い光が破れた箇所を再び覆い尽くそうと輝きを発しているが、そこに靄のように黒いオーラが残留し、修復が遅々として進まない。結果、いまだに黒い亀裂が結界に刻まれたままとなっていた。
『聖天結界』は攻撃を受けた際に光が散るように、そこに張られた魔力は消耗している。連続で攻撃を受け続ければ結界を維持する魔力は底を突き、結界は消えるということにはなるが……結界には即座に魔力が補給されるため、悠長に敵の攻撃を連続で受けることはない。
供給される魔力が尽きない限り、結界は無限に再生される。多少の魔力を散らされたとしても、一瞬で結界は修復され、敵の攻撃は無に帰す。故に、無敵の防御結界となるのだが————今、明日那の目の前で起こっている現象は、明らかに結界の再生力を阻害していた。
「うん、『聖天結界』は無敵なんかじゃないよ」
手傷を負い、結界が直らずに驚愕の表情を浮かべる明日那へと、呪いの刃を順手に持ち替えて、切先についた鮮血を振るい飛ばす芽衣子が声をかけた。
その表情には無敵の結界を破ったという喜びなどはなく、起こって当然の結果を眺めるだけの平坦なものだ。
「くそっ、何故だ! どうして結界が直らない! なんなんだ、この黒い力は!」
「さぁ? 私も良く分からないけど、斬れるならそれでいいんじゃないのかな」
可愛らしく小首を傾げながら、真紅のオーラを纏う『ザガンズ・プライド』と禍々しい闇を纏う『八つ裂き・牛魔刀』、二振りの極悪な剣を構えて、芽衣子は言い放つ。
「ふ、ふざけるな……こんな、こんなことで、私は負けたりなどしない!!」
「負けるよ。勝てるわけないじゃない」
「一太刀入れた程度で、調子に乗るなぁ!」
腹部の出血をものともせずに、明日那はめり込んでいた柱から抜け出す。
力んだ拍子に鮮血が傷口から吹き上がるが、まるで蛇口を絞めたかのように急速に収まる。
明日那の腹部には淡い緑色に輝く燐光が灯っている。天使の翼に備わる回復機能が作動し、自動的に患部へと治癒魔法が施されているのだった。
この程度の傷なら、即座に治せる。戦闘継続に何の支障もない。
「結界なんかに頼るから勝てないって、本当に分からないの?」
「なんだと」
「だって剣崎さん、剣を振るしか能がない野蛮ちゃんなんだから。剣以外のものを使おうとしたら、太刀筋が鈍るに決まってるでしょ」
自分のことも分からないのか、と本気で呆れたような表情をした芽衣子に、明日那の怒りに火が付いた。
この女は、昨日今日たまたま力を手に入れただけの剣術素人が、こともあろうか剣崎流を継承する自分に剣を説くのか。
どうしようもなくプライドを刺激された明日那は、結界を破られたという不利など忘れたようにいきり立ち、奮い立った。
「双葉ぁあああああああああああああっ!!」
「ここで終わりにするよ、小太郎くん」
交錯する、光と闇の剣戟。
魔力の輝きを刹那の内に散らし、火花が舞い、金属の悲鳴が轟く。円形広場のど真ん中でぶつかり合う二人の周囲に、斬撃の嵐が吹き荒れる。
その激烈な斬り合いは先の再現とはならず、
「くっ、ぐうっ!?」
明日那は徐々に、押し込まれていく。
すでに見切られている剣崎流の剣。天使の翼を得ても尚、凌駕しきれない身体能力。そして何より、我が身を守る結界が完璧ではないという恐怖と不安が、確かな焦りとなって明日那に圧し掛かる。
何より、一秒毎に手傷が増えていくのは明日那の方だ。
『聖天結界』はいまだ守りの力を失ってはいない。例の『黒凪』とて一撃で容易く破れるワケではない。
だがしかし、一度でも攻撃を受けて結界が薄れた拍子に『黒凪』が叩き込まれれば、耐えきれない。そうして一度破れた箇所は、黒々とした闇の力の残滓によって補修が阻害され塞がらない。
ズタズタとなった結界では、加速度的に激しさを増す狂戦士の猛攻を止めきれない。
必死で剣を振るい続ける明日那だが————ついに、その均衡も崩れる時が来た。
勝負の天秤が、ついに狂戦士へと傾いた。
「————ふんっ!」
その瞬間、飛んで来たのは蹴り。
互いに二刀を携えた激しい斬り合いの中、前蹴りを芽衣子はそこで差し込んだ。
結界破りの『黒凪』を警戒しすぎたあまり、体術への対応は二の次となってしまっていた。その間隙を見抜かれて放たれた芽衣子の蹴りは、すでに切り裂かれた結界へとねじ込まれるように一挙につき込み、強引に隙間を破って明日那を襲う。
「ごふぅ————」
たかが蹴りの一発。だが、狂戦士の蹴りだ。
腹部に叩き込まれた衝撃は、最早蹴りというよりも鉄槌。金属の塊を叩きつけられたかのような重い一撃が炸裂し、明日那は再び地を転がった。
「ぐっ、あ……ああっ!」
飛びかけた意識を繋ぎ留め、咄嗟に顔を跳ね上げると、そこにはすでに呪いの刃を振り上げた芽衣子の姿があった。
致命的な隙を晒す自分を、冷徹な眼差しで見下ろしている。そこには一片の慈悲も容赦もなく、狂戦士が剣を止める理由はもうどこにも存在していなかった。
「————や、やめてくれぇ!!」
だが、次の瞬間に振り下ろされるはずの剣は止まった。
「お願いだぁ、もうやめてくれ、双葉さん!」
「……中嶋君」
現れたのは、中嶋陽真だった。
下手をすれば、剣は止まることなく振り下ろされていたというのに、彼は躊躇なく全力で突っ込み、二人の間へと滑り込んでいた。
「あっ、双葉ちゃん————って、陽真くん何やってんのぉ!?」
一拍遅れて、姫野愛莉が現れる。
どうやら、二人一緒にここまでやって来たようだ。そして、剣崎明日那に必殺の一撃が振り下ろされようとしたその瞬間に、彼女に恋する少年は、間に合ってしまったのだった。




