第358話 妖精の森(5)
「ど、どうする……どうする……どうすんだよコレぇええええっ!」
情けない俺の悲鳴をかき消すように、背後から不気味な唸り声が轟く。
閃光玉と煙玉を投げつけて、急いで逃げ出した俺達だが、やはりあの程度の目くらましだけじゃあ足りないようで、今もデスストーカーに追い回されている真っ最中である。
無我夢中に森の中を走り回っている内に、木々もまばらとなり、代わりとばかりに円柱がそこかしこ並ぶ遺跡みたいな場所に出てしまった。
小さな祠や崩れた外壁などが広がり、砕け散った妖精さん像が至る所に転がっているのが不気味な雰囲気だが、デスストーカーが真後ろに迫っているこの状況で気にしてはいられない。
「くそっ、どっか入って避難できねぇのかよ!」
頑丈な建物があれば逃げ込めそうだが、そんな都合のいいものは見当たらない。
というか、デスストーカーはさっきから柱だろうが石壁だろうが、勢いのままぶち当たっては蹴散らしているので、建物に入ったところで壁を破って侵入されそうだが。
狭い洞窟かトンネルのような場所でもなければ、逃げ込めそうもない……
「ちくしょう、やっぱり霊獣化を使うしかねぇのか」
今まで何とか逃げ続けていられるが、このままではジリ貧だ。
デスストーカーに遠距離攻撃がないこと。俺自身も装備したマジックアイテムのお陰で脚力とスタミナが上がっているので、長く走り続けていられること。
それから、隙を見てベニヲが炎を噴いて攪乱することで、デスストーカーに追いつかれることなく何とか逃走できている。
だがこのまま逃げ続けたところで、引き離せるとも思えないし、何かの拍子でこっちの足が止まったり、地形に追い詰められればお終いだ。単純にこっちが先に息切れしちまうかもしれないし。
「ゴシュジン!」
「すまねぇ、ベニヲ……結局、お前に頼っちまうな」
並走してきたベニヲも、やっぱ俺と同じ考えに行きついたのだろう。覚悟を秘めた力強い眼差しで、俺を見上げて来る。
まったく、あんな啖呵を切ったのに結局このザマとは、情けないといったらないぜ。
せめて、後に支障が出ないよう霊獣化の時間は出来るだけ短く————
「葉山君、こっち!」
その時、鋭い呼び声と共に、すぐ背後で爆発が巻き起こる。
どうやら、背後に迫るデスストーカーに攻撃を与えたようだ。
「その声は、夏川かっ!」
「そのまま走って、こっちに来て!」
瓦礫の山の上に立った夏川は、その手に何本もの投げナイフを握りながら俺を呼んでいた。
「夏川、お前だけか? 大丈夫なのかよ」
「いいから、このままあそこまで走って。アイツをそこまで誘導して!」
「なるほど……了解だぜ!」
悠長に説明している暇はない、とばかりの口ぶりの夏川だったが、俺も『精霊術士』の端くれ。お前の作戦、しっかりと意図は察したぜ。
「ベニヲ、俺に合わせてくれよ」
「ワンワン!」
夏川の示した方向に、俺はベニヲと共に駆け込んでいく。
一方の夏川は、投げナイフ、といっても命中したら爆発する火属性のナイフを使って、デスストーカーの注意を引きつけている。
『盗賊』はイメージ通りに素早い脚力を持っている。速さだけなら、クラスの中でもピカ一。流石、陸上部のエースは伊達じゃねぇ。というワケで、アイツの逃げ足の心配はしなくていい。
俺に代わって上手くデスストーカーを引き付けて、目的地まで誘導するのだろう。
「よし、この辺だな」
大きく開けた、元から広場だったような場所である。綺麗な石畳はすっかり荒れ果て、ゴロゴロと石が転がるせいで足場は良くないが、見通しは良い。
「夏川ぁ!」
「ここで止めるよ!」
デスストーカーを引き連れて、すぐに広場へ夏川が駆け込んでくる。
妖精広場の噴水跡だろうか。崩れた円形の噴水らしき残骸が残る辺りで、夏川はデスストーカーと切り結んだ。
奴の両手の大鋏が、左右に薙ぎ払われる。ゴーレムを一撃で粉砕したのだから、小柄な夏川がちょっとでも当たればただじゃ済まないだろう。
さらにデスストーカーは、こちらが本命とばかりに尾の毒針を凄まじい速度で繰り出す。ヒュンヒュンと音を響かせて、目にも留まらぬ速さの連続突き。
「やぁっ!」
しかし、夏川は一撃必殺の毒針の猛攻を見事に凌ぐ。両手に握ったやたら凶悪なデザインのナイフを振るい、槍の穂先みたいにデカい毒針を弾く。
同時に、鋏の薙ぎ払い攻撃も危なげなく軽やかなステップで回避。その舞うような立ち回りに、接近戦能力が皆無な俺は少しばかり嫉妬しちまう。俺もあんな風にカッコよく武器を握って戦いたかったぜ。
けど、今は自分にできることをやるしかねぇ。
「夏川、足止めする! 上手く離れてくれよ!」
「お願い!」
夏川が返事と共に、毒針を強く弾く。その直後に大きく後ろ————ではなく、前へと飛び込む。
「『回天双烈』っ!」
夏川が駒のように高速回転しながら、デスストーカーのゴツい背中を駆け上るように飛び越えていく。回転する体は横向きになっていて、突き出した両手のナイフによって丸鋸のような斬撃を見舞う。
ギャリギャリと激しい金属音と火花を上げて、デスストーカーの黒と紫の甲殻に、一筋の傷を刻み付けて行った。
なんだその技。超カッコいいんだが……
「葉山君!」
「今だベニヲ!」
夏川の回転攻撃に見惚れそうになった俺は、慌てて魔法を発動。さっきのリベンジだ、しっかり決めるぜ。
「ゴレーム召喚!」
両手を突き出して叫べば、デスストーカーの足元に青とオレンジの召喚陣が輝く。召喚用光石は、すでにあの場所に落として来たのだ。
「グゴゴゴォ」
「コォオオ……」
二度目の召喚となったロック&アイスゴーレムは、一度目の時よりも小さい。中級には届かないサイズ感だ。
けれど、出て来てくれればそれで十分。
二体のゴーレムはすぐ脇に蠢くデスストーカーの脚へと、タックルするように取り付いた。
唸りを上げるデスストーカーは、強烈な一撃をくれた夏川か、それとも足元から湧いた新手か、どちらを先に狙うか一瞬迷うような素振りを見せる。
このタイミングで獲物に迷うのは致命的だぜ。
「ワオォオオオオオオオオオオオオン!」
高らかな遠吠えと共に、ベニヲの口から轟々と激しい火炎放射が噴き出される。
人間が浴びれば一発で消し炭になりそうな炎であるが、デスストーカーにとっては多少の目くらましにしかならない。けれど、今はその目くらましだけで十分だ。
ギシャァアアアアアアアアアアアアアア!
苛立つような声を上げながら、デスストーカーは鋏と尾を振り回す。
偶然か狙ってのことか、鋏が再びゴーレムを捕らえたところで、
「どっせぇえええええええええええい!!」
隕石が降って来たような一撃が、デスストーカーを粉砕した。
「いやぁ、マジ助かったぜ! ありがとな、夏川、蘭堂!」
「ふぅー、何とかなって良かったよ」
「葉山ぁ、やっぱお前は危なっかしいんだよな」
バッチリ作戦がハマって、蘭堂の必殺土魔法『土星砲』をクリティカルヒットさせて見事にデスストーカーの討伐に成功した後、俺達は再会を喜び合う。
「よく俺が追っかけられてるとこが分かったな」
「お前さぁ、絶対、小太郎から渡されたテントウのこと忘れてんだろ」
「テン……トウ……?」
なんだっけ。そういえば、桃川はみんなに色々配っていたような気がするけど、それっていつものことだし、小さいとあんま記憶に残らないっていうか————
「あっ、そういえばなんか小さいテントウムシみたいなレムを貰った気がする!」
「にはは、やっぱりそんなことだろうと思ったよ」
カラカラと笑う夏川の傍を、羽を広げた黒いテントウムシがピューンと飛び回る。
そうだ、このテントウレムがいることで、もしもはぐれてしまってもお互いの位置が分かる&案内できるように、という目的で配られたんだった。
それじゃあ、俺が貰ったテントウレムは、
「あれ、たしかポケットに入れっぱなしだった気がするんだが……」
見当たらない、というか何も入ってないな。間違っても中で砕けて壊れてしまった、ということでもないようだ。
マジで何もない。失くした? いやでも、どっか置き忘れてもレムだから自分で動いてついてきてくれるはずなんだが。
「ゴシュジン……コユキ」
「えっ、ベニヲ、もしかして」
「コユキ、コワシタ」
なるほどね、好奇心旺盛な子猫ちゃんの目の前で、これ見よがしに羽虫がプンプン飛び回っていたら、そりゃあ手が出るってなもんだろう。恐らく、俺が落下の衝撃で目を回している間に、案内に出てきたテントウレムを襲ったのだろう。
いやぁ、ペットが大事なモノをそれと知らずに壊してしまうことなんて、よくあること。まったく、この悪戯好きの子猫ちゃんめ。
「こぉゆぅきぃーっ!」
「ナァーン」
俺が恨めし気な叫びを上げると、怒られると察したコユキは素知らぬ顔で逃げて行った。
ええい、お前、俺がデスストーカーに追われている時も、ちょっと距離を離してついて来ていただろう。最悪、俺が捕食されても、その隙に自分は逃げ出せるような絶妙な距離を!
「コユキのせいにすんなって。どうせ忘れてたんだからさ」
「それはそうだけどよぉ……ちゃんと出て来てくれりゃあ俺だって」
「そんなことより、早くみんなとの合流を目指そうよ」
俺の釈明をバッサリと斬り捨てて、夏川が実に真っ当な意見を言う。
確かに、今は呑気にお喋りしている場合じゃあねぇからな。
「他のみんなは近いのか?」
「結構、離れてるっぽい。ウチらから一番近かったのが葉山だったから」
「急いだ方がいいよ」
「確かに、こんなバラバラにされちまったのは、明らかに小鳥遊の罠だからな」
「ううん、それだけじゃなくて……なんだか、すごーくイヤな予感がするの」
「ソレ、盗賊の勘ってヤツ?」
「うん、そうなんだけど……さっき落とされてきたフロアみたいに、この場所全体的に感じるんだよねぇ……」
そんな不吉な予感を夏川が申告した、ちょうどその時だ。
オォオオオオオオオオオオオオ……
途轍もない重低音の唸り声と共に、地震のように揺れが走る。
「うおおっ、な、なんだよ!?」
反射的に身をかがめて、明らかな異変に叫んでしまう。
なんだよ、と口にしはしたが、次の瞬間には本当に何だかわからんものが、いいや、理解を越えたモノが現れていた。
「なんだよ、アレ……」
それは、白くくねった巨大な塔だ。そう、塔でなければならない。
じゃなきゃあ、あんな、あんなデカいモンスターがいて堪るかよ。
「うっそだろオイ……ヤマタノオロチじゃねーかよアレ」
「あ、アイツが潜んでいたから、この場所全部から嫌な予感してたんだ……」
いつも飄々とした蘭堂も、空元気でも明るく振舞える夏川も、どっちも戦慄を隠し切れないように呟いていた。
「なぁ、ヤマタノオロチって」
「ウチら全員で挑んで、なんとか倒した超デカいボスな」
「あんなのもう一回、倒せる気がしないよぉ!?」
やはりそうか。アイツがそうなのか。
桃川と蘭堂から、よく聞いていたダンジョン一ヤバい超巨大ボス『ヤマタノオロチ』。
こんな遠くからでもハッキリ見えるほどの、凄まじい巨躯。何百メートルあるか分からんデカさのくせに、ニョロニョロと蛇らしい動きを見せているのが、全く現実味が湧かない。
お前ら、よくあんなのに挑もうと思ったな。
「どうすんだよコレ」
「っていうか、アレさぁ……」
「あわわわわ、絶対私達を狙ってるよぉ!」
デカすぎて距離感狂うが、出現した何本かの頭の内、最も俺達に近いだろう一匹が、実に蛇らしく鎌首をもたげてこっちを睨んでいた。おいおい、こんなカエルよりも小物の俺達のことなんて、無視しておいてくれよ。
「ちいっ、来るぞっ!!」
蘭堂が黄金リボルバーを連発しながら叫んだ。
オロチ頭は大きな口を開きながらこちらへ迫ってきている。その口の奥には、激しいスパークがバチバチと散っていて、俺達へ噛み付くよりも前に、雷をぶっ放してきそうな雰囲気満点だ。
そういえばヤマタノオロチって、色んな属性のブレスを撃つんだっけ? 正直、何属性でもあんなデッカい口から放たれれば大砲に決まってる。直撃すれば死ぬ。即死だ。
そして俺達のいる場所は、点々と遺跡の残骸が残る程度の開けた地形。こんな平地で、逃げ場なんてあるのかよ。
「遅れんなよ葉山ぁ、さっさと飛び込め!」
「うおおおっ、なんだよこの落とし穴!?」
「流石蘭堂さん! 一瞬で塹壕掘れたよ!」
蘭堂がぶっ放したのはオロチに対してではなく、俺達の進行方向であったようだ。地面に着弾した土魔法によって、デカい穴を掘った。
そう、壁ではなく、穴だ。俺達全員が入れる広さと深さの大穴に、蘭堂の言うがままに飛び込んだ次の瞬間だ。
ズゴォオオオオオオオ————
眩い閃光と炸裂音が頭上を通過していく。
多分、俺も「うわぁあああああ!」とか叫んでいるんだろうけど、耳に聞こえないほどの轟音が響き渡る。
オロチのサンダーブレスが炸裂、しているのだろう。
どれだけの間、放射されていたのか。俺はただただベニヲ達と抱き合いながら、恐れ戦くだけ。時間間隔を失うほどに生きた心地がしなかったが、気が付けば光と音は止んでいた。
「ど、どうなった……」
デコボコした穴の壁面をよじ登り、そっと外を伺う。
「うわっ、コレはヤベェぞ」
さっきまで俺達が立っていた広場は、赤々と煮え滾る火山のような有様となっていた。瓦礫は吹き飛び、デスストーカーの硬く大きな死骸すらも消え去っている。
濛々と煙る蒸気の向こう側に、口から白い煙を吐いているオロチ頭のシルエットがぼんやりと浮かび上がっていた。
「た、助かったぜ蘭堂」
「アイツのブレスは壁じゃ防げねーからな。地面に潜らなきゃ凌げねんだわ」
これが実戦経験者の貫禄か。オロチ登場とブレス発射を察して、真っ先に穴掘っての回避に動ける蘭堂は、マジで歴戦の土魔術師だよ。所詮、俺など素人精霊術士ってことか。
「それより、ここからどうしよう。多分、まだ私達を狙ってるよ」
そんなことは勘の鋭い夏川じゃなくてもお察しである。
あんな怪獣と戦うなど論外。問題は、如何に逃げ切るかだが、
「おっ、何とかなりそうだぞ」
「はぁ?」
俺に続いて上の様子を伺っていた蘭堂がお気楽な台詞を言い放つ。
何だよ、この状況下で何とかなりそうな要素が、一体どこに、
ズドォオオオオオオオオオオオン!
と、新たな爆音が轟く。
オロチの次なる攻撃が始まったのかと思いきや、
「おいおい、何だよアレ、何か飛んでね?」
「ああっ、もしかしてアレ、天道君じゃない!?」
俺と夏川も蘭堂に続き、三人揃って穴から小動物のように顔を出して空を見上げる。
そこには、巨大なオロチ頭の周囲を飛び交いながら、次々と火球を放つドラゴンの姿があった。
ドン、ドンッ! と激しい爆発音を上げて、真っ赤な爆炎に包まれたオロチが怯んでいる。すげぇ、あのデカブツに攻撃が通ってるよ。
あまりにも格の違う戦いを眺めていると、黒いドラゴンは一転、一気にこっちへと飛来してきた。
「————よう、無事かお前ら?」
「おわっぷ! 風圧強っよ!?」
颯爽と現れた天道だったが、ガチの黒竜と化しているリベルタちゃんがバサバサとホバリングしているため、とんでもない風圧に叩きつけられて、返事をするどころじゃない。
「美波!」
「あっ、涼子ちゃん!?」
目やら口やらに砂埃が入ってペッペッとしている間に、どうやら天道と一緒だったらしい委員長が降りて来て、夏川と感動の再会を果たしていた。
「涼子、そいつらを連れてさっさと下へ行ってろ」
「龍一、アンタ一人で、本当に大丈夫なのね?」
「アレを仕留めるなら、リベルタが本気出さなきゃならねぇからな。お前らが周りにいると邪魔になる」
「そうです、メガネは邪魔だからさっさと行くがいいですぅ」
「この駄メイドが」
「黙ってろ桃子」
黒竜に跨る天道の後ろに、ちゃっかり座っているメイド桃子が、相変わらず委員長を煽っていた。こんな時でも言い合えるとは、流石に余裕が違うな天道組は。
「他の奴らとは下で合流しろ。派手に暴れるからな、ここら一帯はすぐ火の海になるぞ」
「分かった、頼んだぞ天道」
「ああ、お前らも死ぬんじゃねぇぞ」
それだけ言い残して、天道は黒竜リベルタを駆って再び空へと舞い上がり、四本もの巨大な首を現わしたオロチへと立ち向かっていった————
「キュゥウウン……」
「そんな目で見るなよアオイ。お前がもう少し大きくなったら、俺も頑張ってああいうことできるようになるからさ」




