第357話 妖精の森(4)
「も、もしかしてコイツ……デスストーカーってヤツか!?」
初めて見るモンスターだが、デカいサソリという分かりやすい姿から、俺はすぐにそう察した。何より、コイツのヤバさを桃川から聞いていたからな。
砂漠エリアのボスで、超強力な毒を持つヤベー奴。そもそも毒なくても、このデカさに分厚い甲殻、おまけに巨大な鋏という武器まで持っているのだから、弱い要素がどこにもない。
天道が倒して素材を持って来てくれたことがあるだとか、どうやってか知らんが横道もコイツを倒したらしい、と桃川は言っていた。今の俺達ならば、パーティで組めば決して倒せない相手ではないが、どうしても素材が入用でもない限りは、安易に戦うことは許可できない危険なボスだとも。
でもよ桃川、俺は別にサソリ素材が欲しいワケでも何でもないんだが、向こうの方から絡まれた時はどうすんだよ……
「シュルルル、シャァアアアア!」
なんか蜘蛛みたいな横に開くタイプの凶悪デザインの顎をギチギチさせながら、明らかに猛毒だろっていう紫色の涎を垂らして俺を睨む巨大サソリ。その昆虫染みた無機質な複眼からは、純粋な殺意だけが放たれているように感じてならない。
オレ、オマエ、コロス。あっ、コイツ話が通じないタイプだな。と直感的に理解できてしまう。
「グルルルルゥ……ワンワン!」
デスストーカーの威圧感に完全にビビってしまったところに、俺を庇うように前へと出たベニヲが強く吠える。
「ゴシュジン、ボクガ、マモル! ウォオオオオオン!!」
「ベニヲ、お前……」
そうだ、俺にはコイツらがついているじゃないか。デカいサソリにビビって固まっている場合じゃねぇ!
「よ、よし、やってやるぜ……おいベニヲ、お前はちょっと下がれ。相手は毒持ちのヤベー奴だ、不用意に飛び込むなよ」
「デモ、ゴシュジン」
「心配すんな、ちゃんとお前の出番はあるからよ」
言いながら、恐怖と緊張で汗が滲んだ掌を鞄に突っ込んで中を漁る。
キナコがいなくなっちまった現状、俺が最も頼れる仲間はベニヲだ。何せ『霊獣化』ができる。
けれど、霊獣は俺にとっても、みんなにとっても切り札である。
化け物となった横道と戦った時も、ゴーマ王国でザガンが復活してきた時も、ここぞという土壇場で霊獣という切り札を出せたからこそ、あの窮地を切り抜けることができた。
そして何より、そんな大事な切り札である霊獣を使うタイミングは、桃川は俺に任せると言ってくれたのだ。今までもそうだった。だから今回も俺に託すと、土壇場の大ピンチで俺の判断を信じると。
今まで上手くいったのは、きっとただの偶然。運が良かっただけで、一番頑張ったのは実際に霊獣化して戦ったキナコとベニヲなんだ。俺はただ、アイツらを信じて魔力を振り絞るだけの電池役に過ぎない。決して、俺が状況判断やら、窮地で天才的な機転を利かせるだとか、そんな優れた能力があったからではない。
本当は、霊獣化を使うタイミングだって、桃川が決めて欲しかった。アイツの言うことなら信じられるから。命を賭けられるから。
けれど、そんなアイツが俺に任せると言ったのなら————やるぜ、俺は。
「だからよぉ、ただのボスでしかねぇお前なんぞに、切り札なんか切ってやれるかっ!」
この力は自分のピンチを助けるためのものじゃねぇ。みんなのピンチを救う時のための力なんだ。
ドス黒い腹の中を曝け出した小鳥遊小鳥を倒そうってんだ。絶対にこんなところで、霊獣の力をつぎ込んだりはしない。
「頼む、来てくれっ————ゴーレム召喚っ!!」
そうして俺は祈るような叫びを上げて、鞄から取り出した二つの光石を投げる。
握り込んだ光石はピンポン玉サイズで、それぞれ淡い水色と濃いオレンジに薄っすらと輝きを発している。
コイツはただの光石じゃねぇ。結局、あんまり中級以上の精霊召喚魔法が上手くできなかった俺のために、桃川が用意してくれた召喚用光石なのだ。
水色の方が、委員長が氷属性の魔力を込めて強化した光石。
オレンジの方は蘭堂が、同じように土属性魔力を込めたものだ。
どちらも原石と比べて内包する魔力は大きく上昇しており、さらには桃川が召喚術の魔法陣と、後なんか呪印だかいうのも刻み込んである。
魔法の呪文だとか術式だとか、そういうのがマジでさっぱり理解できない俺でも、とりあえず魔力を込めて使えば召喚術そのものは100%成功する、正に初心者救済用アイテムだ。
そう、召喚そのものは絶対に成功するのだが……果たして、魔力に見合った強さの精霊が現れるかどうか。そこからは完全に博打となってしまう。
だから俺は祈る。どうか、中級以上でお願いしますと。
「グゴゴゴゴ!」
「コォオオオオ……」
果たして、投げた光石が弾けて描き出された召喚陣から現れたのは、二つの大きな人影。
一方は荒々しい岩塊で、もう一方は透き通った氷で、そのずんぐりした人型の体を形成している。
「よっしゃあ、中級精霊のゴーレムだっ!」
このデカさと魔力の気配は、間違いなく中級。満足に中級精霊を呼び出せない俺からすれば、十分すぎるほどのアタリである。
二個使って、片方が中級になればいいやくらいの気持ちだったが、両方とも当たるとは。
「来てる、これは確実に来てるぜ! 行けぇ、アイス&ロックゴーレム! サソリ野郎をぶっ飛ばせ!!」
俺の指示を受けて、二体のゴーレムは唸りを上げてデスストーカーへと突進してゆく。
ヤツの猛毒は強力だが、そもそも生物ではないゴーレムには効果がない。デスストーカーの毒は神経毒だから、桃川の『腐り沼』のように強烈な酸で溶かすような性質はないのだ。
それに万が一、何かしらの効果があったとしても、痛みを感じないゴーレムは止まらず戦い続け、そこに籠められた魔力がある限りは精霊が顕現し続けてくれる。ゴーレムがやられても、それを構成している精霊が死ぬとか消滅するとか、全くそういうことはないので、倒される前提で戦わせるのには何も気にする必要がないのだ。
人間でも動物でも、怪我をすれば一大事。たとえベニヲが霊獣になったとしても、おいそれと危険は冒せない。
桃川が召喚術のスケルトンやハイゾンビを多用する気持ちが、今の俺には良く分かる。負傷も死亡も気にすることなく、敵を食い止められる捨て駒がいるからこそ、仲間を危険に晒さずに済むのだ。
「グゴゴォオオオオ!」
「コォアアアアアア!」
正に岩そのものである硬い拳を振り上げたロックゴーレムが右から。
全身から冷気を噴き出して、タックルするように肩から突っ込んでいくアイスゴーレムは左から。
それぞれがデスストーカーへと勇ましく立ち向かい、
メキメキメキ、バキィ! グシャァアアアアアアアアアッ!!
などと、ド派手な音を立てて砕け散った。
「……えっ」
デスストーカーが振るった両の鋏には、それぞれアイス&ロックゴーレムが挟まれている。いや、挟まれていた、と言うべきだよな。
突っ込んで来たゴーレム二体に対して、デスストーカーは目にも留まらぬ俊敏さでその大きく凶悪な鋏を動かし、その胴体を見事に挟み込んだ。
そして次の瞬間、野太いゴーレムの胴体をバッキバキにへし折った。
「ギシャァアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
勝ち誇るように両手の鋏を大きく振り上げて、デスストーカーが雄叫びを上げる。
ガキン、ガキン! と硬質な音を立てる鋏からは、それぞれ砕け散った岩と氷の破片が舞い散っている。
胴体を大鋏によってあっけなく粉砕、両断されたゴーレムは、どちらも形態維持の限界を迎えてキラキラ輝く微精霊となって儚く消え去って行くのだった。
「……ゴシュジン」
クゥーン、と耳と尻尾を垂らして、物凄く気を使ったような声音でベニヲが俺を呼んだ。
「ふっ、ベニヲ、こうなったからには仕方がない。最終手段を使う」
「ゴ、ゴシュジン! ボク、ガンバル!!」
「よし、ベニヲ————逃げるぞっ!!」
勝てるか、こんな化け物。
俺は桃川印の閃光玉と煙玉を投げつけて、一目散に駆け出した。
「————『光砲』!」
馬上から放たれた光の奔流が、ブラスターを撃ちかけながら並走してきた敵の騎兵を吹き飛ばす。
「キリがありませんね、これは」
そんなことをぼやきながらも、桜ちゃんは『聖女の和弓』に何本もまとめて番えた光の矢を一挙に解き放つ。
本来はただの光属性の下級攻撃魔法『光矢』でしかないが、なんだかんだで『聖女』としてレベルアップはしているらしい彼女が使えば、単純な威力の上昇に精度、射程の向上に加え、複数同時発射も可能とする。
そしてさらに、放たれた光の矢はそれぞれ別の軌道をとって、宙に弧を描きながらターゲットへと飛んで行く。一本ずつ、誘導性能も付与できるようだ。
狙い違わず、放たれた光の矢はロックオンしていた敵を射抜くが————森の奥から、次々と増援が現れて来る。
「ボスが出てこないだけ、マシだと思うしかないね————行けっ、ハイゾンビ」
相棒が桜ちゃんなのは大いに不安が残る編成だ。この相性最悪コンビで、ボスモンスターになんぞ挑みたくはない。
桜ちゃんから騎手として手綱を与った僕だけれど、そもそも跨っているニセコーンは野生の馬ではなくレムである。別に意識的に操作などしなくても、お任せしていれば勝手にいい感じで走って避けてくれるのだ。
というワケで、僕は『愚者の杖』を握りしめて前方の攻撃担当。
こちらの進路を遮るように回り込もうとしていた奴へ、ハイゾンビをけしかけてやる。
今のところ襲ってくる敵はブラスター装備の魔導人形のみ。
ただ馬に乗って逃げる僕らを追撃するためか、先ほどからラプターに跨った騎兵仕様の奴らもゾロゾロと現れるようになった。
進んだ魔法文明をお持ちのアルビオンなら、乗り物なんて幾らでもあるだろうに、わざわざラプターに乗せているのは小鳥遊の手持ちにはないからだろう。SFチックなホバーバイクにでも乗って来てくれれば、喜んで奪い取れたのに。
ともかく、苦肉の策と思われるボットのラプター騎兵に対しては、ハイゾンビ一体突っ込ませるだけで、簡単に無力化できる。ラプターの足でも、乗っているボットにでも、どっちかに筋骨たくましいハイゾンビがぶち当たれば、落馬は避けられないのだから。
そうして、けしかけたハイゾンビによって無様にラプターの背から転げ落ちたボットを、ニセコーンは容赦なく撥ね飛ばし、先へと進んで行く。
ウォオオオオオオオオオオオオオオン!
「桃川、ケルベロスが来ましたよ」
「ちいっ、とうとうボスのお出ましか」
けたたましい三重の咆哮を上げて、後方から赤い毛並みの巨躯が猛追してくる。
ボット騎兵と連携を取れているわけではないのだろう。自分の駆ける進路にいる邪魔な奴らを容赦なく撥ね飛ばしながら、僕らの方へと迫って来る。
ケルベロスは結構な大きさを誇る。いくら『聖天結界』に守られているとはいえ、あの前脚でぶん殴られれば、それだけで馬ごと吹っ飛ばされそうだ。
こんなところで足を止めるのはまずい。かといって、桜ちゃんにメイちゃんが如く一瞬で仕留めてくれ、などとは流石に望めないね。
「僕が動きを止めるから、頭三つ撃ち抜いて」
「はぁ、こんな状況で貴方がどうやってケルベロスを止められると言うのです」
「十秒後だ。詠唱しとくなら今の内だよ」
こういう時にいちいち疑ってくんのがホントに桜ちゃんなんだよなぁ。メイちゃんや杏子だったら、何も言わなくても察してチャンスを活かしてくれるという信頼があるけれど。
まぁ、彼女だって戦いは素人じゃない。実際にケルベロスの動きが封じられるところを見れば、ちゃんと攻撃してくるだろう。
頼むよ桜ちゃん、下手な野良パーティみたいにチャンスを棒に振るような真似はしないでよね。
グルァアアアアアアアアアアアアアアッ!
三つの頭が牙を剥き出しに吠えながら、その口腔の奥に赤く炎を輝かせる。お前の火炎放射の射程に、そろそろ入るからね。まずは炎くらい吐きかけてくるだろうことは予想できている。
だから、仕掛けるならここだ。
大丈夫、タインミングよく敵に落として、なんてギミックは色んなゲームで経験済み。こっちはお決まりのパターンに飽き飽きするほどだ。
「ぶっ潰せ、タンク」
振り向きながら杖を掲げれば、ケルベロスの頭上に描かれる血色の召喚陣。
この『召喚術士の髑髏』による召喚術は、僕もかなりお世話になっている。だからこそ、より上手く、より効果的な使い方を模索するのは当然のこと。
そんな当たり前の試行錯誤の最中に発見した、あるいは熟練度が上がって習得したのか、どちらにせよ、僕はこれができるようになった。
つまり、召喚陣を目に見える範囲の好きな場所に展開させられる、というテクニックだ。別に、必ずしも召喚獣を地面から生やさないといけない道理はないだろう。
というワケで、今の僕が召喚できる最大にして最重量を誇るタンクを、ケルベロスの頭の上から呼び出してやった。
空中に現れたタンクは、その後どうなるのか。
決まっている。召喚された直後に、重力に引かれて落下する。
そして、タンクの野太い足の真下に、ちょうどケルベロスが走っていて、
ギャウゥウウウウウウウンッ!?
悲痛な悲鳴を上げて、ケルベロスがタンクの巨躯に踏み潰された。
ボスモンスターに相応しい巨躯を備えているが、それでもタンクの大きさと重さに圧し掛かられるのは堪えるだろう。
想定外の重量と衝撃が加わったことで、ケルベロスの三つの頭はどれも間抜けに舌を垂らしながら、その動きを止めていた。
「————『閃光白矢』」
大きな光の矢、いいや長大な馬上槍みたいな形状の上級攻撃魔法が桜ちゃんの弓から放たれる。
流石に、ここまで大きな隙を見逃すほど素人ではない。
見事にケルベロスの三つ首を、上級攻撃魔法の三連射で射抜き仕留めてくれた。
「よくやった、桜ちゃん。褒めて遣わす」
「いちいち人の神経を逆撫でしないと、気が済まないのですか」
「素直に褒めてあげてるのに————おっ、森を抜けるみたいだよ」
ケルベロスの死骸を後に駆けて行けば、視界の先が大きく開けてくる。
木々が疎らとなったと思えば、すぐにそんな林を抜けて、広々とした場所に出た。
「草原と……小高い丘になっているようですね」
「ちょっとヤだなぁ、こんなに開けていると、小鳥遊にも丸見えじゃないか」
桜ちゃんの感想通り、青々とした草むらが広がる草原となっており、なだらかな起伏を描く小さな丘がその先に形成されている。まるでデスクトップの壁紙にでもなりそうな、多くの人が思い描く緑の丘、といった景色なのは、やはり人工的に作られた庭園だからなのだろう。
「ですが、敵は退いたようですね」
「どういうつもりだ……数に任せて襲うなら、ここの方が有利のはずなんだけど」
ちょうど森を抜けた辺りで、ボット騎兵達の追撃がぱったりと止まった。
彼らの行動範囲が明確に定められていて、管轄外だから出てこれないとか、そういう制約があるのだろうか。
いや、そんな都合の悪さを小鳥遊が認めるとは思えない。
ということは、もうアイツらみたいな雑魚に任せる必要がなくなったということか————なんて結論に思い至った時だ。
オォオオオオオオオオオオオオ……
腹の底から響くような、いいや、事実ここまで大地を揺るがす重低音が響き渡って来る。
大きく開けた草原の遥か向こう側。そこに、天に向かって突き立つように生えてくる巨大な塔が————
「いや、あれは、まさか……」
大きな白い塔が、空に向けて真っ直ぐ伸びていくように見える。
だが、その塔は左右にユラユラと揺れたかと思うと、グニャリと曲がってゆるやかな弧を描く。
そんなのが、一、二、三、合計四本も生え出すと、広大なフロア全域に届かんばかりの咆哮を轟かせた。
「……ヤマタノオロチ」
おい小鳥遊、ボスラッシュでレイドボス持ってくるの、反則だろうが。




