第355話 妖精の森(2)
「ここは……」
「まるで闘技場のようだろう、双葉?」
バサッとこれ見よがしに輝く白翼を翻し、空から剣崎明日那が降り立つ。
ここはグラウンドのような土の地面が円形に広がり、そこを囲うように石壁と円柱が立ち並ぶ構造となっている。柱の上にはガーゴイル像が飾られるが如く、妖精像が見慣れた万歳ポーズで設置されており、随所に草花をあしらった装飾が見受けられた。
そこかしこが砕け、ひび割れ、荒れた遺跡といったこの場は、恐らく神殿だったのだろうと思われるが、互いに戦意と殺意を燃やす者同士が武器を握りしめて向かい合えば、確かにこの場は闘技場と呼ぶ方が正しい表現となるのであった。
「いつかの続きでも、やるつもり?」
芽衣子が律儀に答えたのは、それとなく周囲を伺い他の仲間が近くにいないかを探すためだ。もっとも、探知魔法や使い魔を飛ばすといった手段を『狂戦士』が持っているはずもない。
超人的な視力と聴覚、そして第六感で気配を探るくらいが精々だが、少なくとも自分が感知で
きる程度の範囲には誰もいないと早々に判断を下した。
再び忍ばせているテントウが僅かに反応したので、小太郎の無事だけは分かりひとまずは安
心もできた。
「最初に桃川を始末してやるつもりだったが……やはり、お前を先に倒さねば、それは叶わぬようだな」
「性懲りもなく、よくも私の前で小太郎くんを襲えたね」
「当然だろう、あの男が全ての元凶なのだ。双葉、お前もいい加減に目を覚ませ。皆、あの邪悪な呪術師にいいように使われているだけだと、何故気づけない」
「剣崎さんって、話が通じない人だと思っていたけれど、ここまでくるといっそ哀れだよ」
果たして、今の剣崎明日那は小鳥遊によって操られているのか。それとも、何もされずとも自身の過ちを認めることができずに、とっくに壊れてしまっているのか。
少なくとも芽衣子には、今までと同じ平気な顔と態度を堂々と貫いている彼女の心中など、推し量ることはできないし、するつもりもなかった。
明日那はとっくに、一線を越えてしまっているのだから。
「今度こそ、ここで殺す」
もう邪魔は入らない。愛しの勇者は助けに来ないし、小太郎が慈悲をかけることもない。これが『狂戦士』である自分の使命なのだと、自然に納得できた。
「そうだ、かかって来い、双葉芽衣子。お前に負けた屈辱は、片時も忘れたことはない————今日ここでお前を倒し、私はようやく前へ進むことができるのだ」
「地獄で小太郎くんに詫び続けろ、剣崎明日那————」
最早、言葉はいらない。合図すら必要ない。
先に動いたのは芽衣子。左手に握った『ザガンズ・プライド』を最大化させて一閃。
お喋りに興じている間に、この刃が届くギリギリの間合いまではすでに詰め終えている。一歩踏み込み、巨人の剣が明日那を両断せんと迫る。
「ふん、無駄だ」
キィン! と澄んだ音と共に一条の光が瞬く。
明日那は右手に握った刀を一振りするだけで、軽々と芽衣子の一撃を弾いてみせた。
「神鉄の刀に、『聖天結界』か」
「流石、ご明察だな」
不敵に微笑む明日那が、淡く輝く刀身を見せつけるように構える。
このダンジョンで長らく愛用してきた『清めの古太刀』と同じ拵え。だがその刃は希少金属である神鉄製。それも拠点に籠っている間に表向きに強化してやった刀とは違い、小鳥遊が本気になって作り出した一品だ。
尋常ではない切れ味と耐久性に、数々の付加。そして何より、この刀は『聖天結界』を刀身に発生させる出力機能を有する。
攻撃が当たるまで動かぬ結界ではなく、刀として自ら振るって能動的な防御にも、その絶大な防御能力を発揮することができるのだ。今や圧倒的なほどパワーに差が付けられた明日那でも、軽く狂戦士の一撃を弾くことができる。
「これぞ魔を防ぎ、悪を断つ聖なる剣、『天命剣・聖鳥羽撃』だ」
「……ふふっ」
まさかの不意打ちに、思わず吹いてしまった。
聖鳥って、自分のことを示しているのか。小鳥遊小鳥、などという言葉遊びのような名前を、実は物凄く気に入っているのかと、どうでもいいことまで一瞬で想起してしまい、口から漏れる笑いを、すでに戦闘態勢に入っている狂戦士でさえ止めきることができなかった。
何という不覚……だが誇り高き剣崎流剣士は、そのような隙をつく卑劣な真似はしないようであった。
「この剣と翼がある限り、私は何者にも負けぬ最強の剣士となれる」
大言壮語、とは言い切れぬだけの迫力が、光り輝く二刀と翼を備えた明日那の姿にはあった。
だが、それでも芽衣子にとっては、さらなる笑いを誘うことにしかならない。
「奴隷の鎖自慢なんて、聞くに堪えないよ」
「ふんっ、抜かせ!」
翼が羽ばたけば、軽やかな踏み込みとは裏腹に、凄まじい急加速でもって明日那が間合いを詰めて来る。
神々しい光を纏う二刀『天命剣・聖鳥羽撃』は、正しく輝く嵐のように、凄まじい連撃を繰り出す。これぞ二刀流を扱う『双剣士』の極みにして、剣崎流の奥義だとでも言わんばかりに、息つく暇もない連続斬撃が舞い続ける。
正面から、だけではない。強靭な脚力と剣崎流の体捌き、その上さらに古代兵器たる天使の翼による飛行能力まで加わった今の明日那は、三次元的な高機動力を誇る。
怒涛の剣撃を放ちながら、舞い踊るように軽やかに芽衣子の左右、さらには背後まで回り込む動き。翼はただ空を飛ばせるだけでなく、慣性制御の力も働いているようだ。急加速に急制動。人体の限界を超えた切り返しに、芽衣子が反撃で振るった刃はその残像をなぞるだけで終わった。
「どうだ、双葉、この動きにはついてこれまい————」
芽衣子はほぼ防戦一方。明日那が十の斬撃を見舞う合間に、一撃返すだけで精一杯といった有様だ。
だが防御に徹すれば流石に硬く、いまだ致命傷には程遠い。二刀の切先が、翻る髪の先や制服の裾を僅かにかかる程度。
しかし、無尽蔵とも思えるスタミナによって剣の嵐で攻め続けることで、徐々に、だが着実に芽衣子の体に傷がつき始めていた。
腕、肩、胴、足。裂かれた制服と白い柔肌に、ジワりと鮮血が滲む。
「————これで終わりだっ!」
そう叫びが耳に届いた時には、明日那の刃が左右同時に振られていた。右手と左手の二刀、ではない。
右の明日那と左の明日那、まるで分身したように二人分の姿が見える。
しかし、それは目くらましの虚像でしかない。天使の翼が宿す強力な光魔法の力の応用によって、ほんの一瞬の間だけ自分の姿を投影しただけ。些細な効果ではあるが、剣士が斬り合う間合いの内に置いては、瞬き一つほどの間でも致命的な隙となる。
明日那は芽衣子の瞳が、確かに虚像へ向けられているのを確認し、本命の一撃を、自ら放つ。
それは直上。芽衣子の頭の上である。
真っ逆さまになった体勢で、本物の明日那は二刀を振るう。その首を刈り取るように迫った二つの刃は————激しい火花と共に、刃の盾によって防がれた。
「ちいっ、その剣は幅も広げられるのか……」
芽衣子が振り向きもせず、頭上にかざした『ザガンズ・プライド』が明日那の一撃を防いだ。
文字通りに盾とするべく、刀身の幅を大きく広げた状態。
決めると思って放った一撃を防がれた明日那は、そのまま飛び越し一旦間合いを脱して、音もなく地面へと着地した。
「馬鹿力め」
そう明日那は毒づく。驚異的なのは、瞬時に刃を巨大化させる剣の能力ではない。
自身が首を刎ねんと放った二刀を、左手一本で軽く翳した剣によって、微動だにせず受けきったパワーである。
当然のことながら、明日那とて『双剣士』として超人的な膂力を獲得している。さらには小鳥に与えられた種々のマジックアイテムと、天使の翼によるパワーアシスト効果なども加わり、同等の天職持ちと比べても、総合的には頭一つ以上は抜けているはずだ。
しかしそれでも尚、『狂戦士』が誇る圧倒的なパワーに追いつけていない。
「だが、速さでは圧倒的に私の方が上回っている」
「うん、凄い速さだね」
背中を向けたままの芽衣子が、肯定の返事を寄越したことに明日那はやや驚いた。聞こえていたのか、というより、どういう意図かを計りかねて。
「ちゃんと覚えていなかったら、そのまま斬られちゃってたよ」
「……覚えて、だと?」
何のことだ、怪訝に思いながらも、ゆっくりと振り返る芽衣子の姿を注視する。
「なんだかんだで、剣崎さんとは結構長く、一緒にいたよね」
わだかまりなどないかのように、穏やかな表情で芽衣子が言う。それはまるで、卒業式の日にクラスメイトと思い出を語り合うかのよう。
事実、このダンジョンサバイバルにおいて、芽衣子は明日那と共にいる時間そのものは長かった。小太郎と離れてしまった時は、蒼真パーティと常に一緒であったため、当然といえば当然である。
無論、だからといって今更そこに、慈悲や情けをかける理由になどなりはしないが、そんなことは明日那とて分かり切っていることだ。
「私、剣なんて握ったこと一度もなかったし、殴り合うような喧嘩をしたことだって、小さい子供の時以来なかったよ」
「何が言いたい」
「素人だから、私」
「お前のような狂戦士が、今更なにを」
「力は強くなったけど、強さはそれだけじゃあないでしょ? 格闘技とか剣術とか、そういう技術って沢山あるし、とても大事だよね」
当たり前の話すぎて、ますます明日那は眉をひそめた。
実際、こうして今の明日那が芽衣子を圧しているのは、結果的には剣崎流という剣術を治めているからこそ。装備によって大幅に強化されても尚、追いつけない圧倒的な力を誇る狂戦士に対して、優勢を保てるのは剣術という力が、技術があるからだ。
何よりこの剣崎流剣術という存在そのものが、明日那にとっての力の根幹であり、誇りでもあり、信仰でもあった。
「だからね、私、戦うのは嫌いだし怖いし、苦手だけれど、少しは頑張ったんだよ」
「ふん、下らん戯言を抜かす」
「学園塔では蒼真君から蒼真流も習ったし。でも私はね、剣崎さん、貴女のことを見ていたよ」
「何だと」
「あの決闘の後からずっと、私は貴女を見ていた」
「一体、どういう意味————はっ、まさか、お前……」
双葉芽衣子と剣崎明日那、二人の最初にして最大の因縁となった決闘事件。
気絶し顔が変形するほどに無残な敗北を喫したことは、当人だけでなくあの場にいた誰の記憶にも鮮烈に刻まれているが————その時の誰もが、決闘の相手たる明日那本人さえ、忘れていたことがある。
あの決闘は、決して一方的な戦いではなかった。明日那の惨敗はあくまで結果論。
そう、芽衣子は忘れていない。あの時の勝利は、明日那が木刀という非殺傷武器を用い、ただ有効打を入れれば勝ちになるという試合ルールを想定していたという、心理的な隙をついての奇襲による、いわば単なる不意打ちで勝ちを拾っただけだということを。
もしもあの時、明日那が本気の殺意を抱き、真剣でもって切り付けてくれば、死んでいたのは自分だった。当時の自分では、とても明日那の一撃を防ぐことは敵わない。
決闘の勝者である芽衣子だけが、あの一戦を正確に分析し、そして何より————以後の教訓としたのだ。
「私の、剣崎流を……」
「大体の動きは、見て覚えた。だからほら、今もこの程度で済んだよ」
観察されていた。ずっと、この女は、いつか自分を殺すために。
一度、散々に叩きのめして圧倒的勝利を得たにも関わらず、微塵の油断も隙もなく、剣崎流剣術という技術のアドバンテージまで埋めるために————見られていたのか、今までの私の戦いを!
ようやくそう察した瞬間、明日那の背筋に戦慄が走る。
『狂戦士』双葉芽衣子。自身よりもさらに強力な天職を宿し、その凄まじいパワーに頼った戦闘スタイルは、スペックに恵まれた素人らしい。
そう今まで思い込んでいた。いや、侮っていたのだ。
この剣崎流剣術を収めた自分を力だけで倒した者が、その力に溺れないはずがない。力とは、強さとは、それほどの魔性を持つということを明日那はよく知っている。
だからこそ、俄かには信じられなかった。信じたくはなかった。
これほどの力を持つ狂戦士が自分を倒すために————否、確実に殺すために、周到に観察を続けていたことを。
「でも、流石に羽まで生えちゃうと、一筋縄ではいかないね————もうちょっと、頑張らないとダメみたい」
そう苦笑しながら、芽衣子は自然な、実に自然な手つきで、口にクッキーを放り込んだ。
いつの間に取り出したのか。彼女もまた両手で剣を握っているにも関わらず、年頃の少女が当たり前に間食するような気軽さで、クッキーを食べていた。
二枚目、三枚目。茶褐色に焼き上げられた小ぶりのクッキーが、口の中でサクサクと軽快な音を立てる。
「そ、それは……」
「パワーシード、って覚えてないか。気持ち悪がって、誰も食べなかったもんね」
まだ芽衣子が狂戦士に目覚めるよりも前、ただの臆病者だった頃から、口にしていた筋力を上昇させる木の実だ。
天職の力も弱く、まだ一般人の域を脱していない頃、狂暴なモンスター相手にせめて力負けはしないようにと、小太郎と共に服用して戦いに臨んでいたが————魔力消費と大きな空腹という副作用のため、十分な強さを得た狂戦士となってからは普段使いをするようなことはなくなった。
だが『試薬X』から改良を経て『ベルセルクX』となった今も尚、そこに必ず含まれる強力な強化成分として用いられている。
これは、そんなパワーシードを使ったクッキーである。『ベルセルクX』ほどの切り札としてではなく、もう少しパワーが欲しい時など、気軽に使える強化アイテムの一種といった存在。
パワーシードは酸味が強いため、通常よりも甘めにしているのが美味しくクッキーにするコツだ。体内のエネルギーを燃やすため、カロリー摂取という面でも効果的である。
「うん、美味しい」
素直にクッキーの味に頬をほころばせる芽衣子を、明日那は一筋の冷や汗を流しながら睨んだ。
食べた直後だが、芽衣子の体が薄っすらと纏っていた赤いオーラの、密度が増した。
再び武器だけを握りしめた芽衣子が、こちらを見る瞳は、ギラギラと真紅に光り輝き、更なる威圧感を発する。
「よし、これで貴女の速さにも追いつけそう」
ズン、と音が聞こえそうなほどに、力強い一歩を踏み出す。
明日那は思わず、気圧されたようにその場から一歩下がってしまう————が、すぐにその恐れを恥じた。
「む、無駄だっ! どれほど力が増そうとも、この『聖天結界』は破れない!!」
自らの臆病を振り払うように、明日那は声を張り上げて叫んだ。
この聖なる守りの力のみに頼るつもりはない。だが凶悪な狂戦士と渡り合うならば、必要な力でもある。
クッキーを食べただけの相手になど、負けるものかと己を奮い立たせ、明日那は再び翼を広げ、二刀を構えた。
「そう、じゃあ試してみる?」




