第353話 凍結処理
「————『氷山城壁』」
委員長が発動させた氷属性の上級範囲防御魔法は、トンネルのように大きな直線通路を端から端まで、完全に氷結させた。
フル詠唱に加えて、儀式用の供物も配置した、通常戦闘では行えない入念な準備の末に放った結果がコレだ。
通路の床、壁、天井。全てが凍り付いている。より正確に言えば、均等な厚さの氷によって、綺麗に覆い尽くされている。
バジリスクはこの通路を囲うように配置されており、頑強な魔法建築であるタワーの壁そのものが奴らを守る盾と化している。そこにいると分かっているが、バジリスクを直接叩くことはできない。
逆に言えば、奴らも通路まで本体が出てくることはないのだ。
ここを猛毒ガスで満たすトラップとして運用するのに必要な構造は、バジリスクのブレスを流し込むダクトだけ。通路のあらゆる場所から同時にガスが噴き出る様は、僕も夏川さんも見た通り。
だから、通路全部を塞げば、ブレスは流れ込まない。
「桃川君、本当にこれで大丈夫なの?」
「バジリスクの毒ブレスは、物理的な威力はないからね。純粋な毒ダメージ100%の攻撃だから、委員長の氷を破れるほどの破壊力はないよ」
薄氷のように見えても、上級範囲防御魔法。それ相応の威力を発揮しなければ、砕くことはできない。一息で破ろうと思えば、それこそサラマンダーが火を噴いてくれないと。
「それに、防毒装備に解毒薬も用意しているんだ。万が一、ガスが充満しても突っ切れるから」
バジリスク丸ごとトラップに活用するのは想定外ではあったけど、毒ガス系の罠や攻撃が起きる可能性は見越している。
こういう毒ガスを吹き付ける、あるいは充満している場所を行くなら、防毒装備の一種として作っておいた、風属性の下級防御魔法『風盾』を身に纏って、外気を遮断するマジックアイテムだけで十分、対応できる。
ゴーマ王国攻略で耐火装備を作った時に、酸素ボンベ代わりに風属性魔法で空気を供給するアイテムを作ったが、今回はそれの発展形みたいなモノだ。
でもほら、やっぱり毒ガスなんて浴びないに越したことはないからね。風の結界は保険として、まずは毒ガス封じる方が確実だろう。
「————ほら、大丈夫だったでしょ?」
「こういう時の度胸は流石ね、桃川君」
幼女レムと手を繋いで、散歩でもするようにトコトコ歩いて、僕は通路を無事に渡り切る。
紫色の毒ガスは、全く漏れ出ることもなく、通路の様子に変わりはなかった。
そうして凍り付いた通路を渡り切った本体の僕がドヤ顔で安全を証明すれば、委員長が半ば呆れ顔でそんなことを言った。
まぁ、僕は『孤毒の器』でバジリスクの毒ブレスも無効化できることを、身をもって体験しているから、誰よりも安全が保障されているだけのことなんだけどね。だからメイちゃん、そんなに心配そうな顔で僕を見守らなくても、良かったんだよ。
杏子は平気そうな顔で見ていたのは、僕なら大丈夫だろうという信頼感の現れ……と思いたい。
「じゃあ、順番に渡って来てね」
一番最初に通路を渡り切った僕は、新たにスケルトンを召喚して、ここの先から階段のある場所まで巡回させて、ボスモンスターやらの邪魔が入らないよう警戒態勢を敷く。
向こう側に残っているメンバーは、夏川さんを殿にして後方警戒だ。
ここの毒トラップも注意しなきゃいけないけど、こういうところで乱入されるのもまた厄介だ。
「小太郎くん」
「どうしたの、メイちゃん」
続く二番手として出発したメイちゃんは、一瞬で通路を駆け抜けて僕の元へ辿り着くなり、真剣な表情で周囲を警戒するように見渡しながら囁いた。
「なんだか、嫌な予感がするの。何か、仕掛けて来そうな……」
「それ、直感的なやつ?」
「うん、何となくの予感だから、どういうものかは分からないけれど」
うん、そいつは良くない。非常によろしくない。
「……ここ渡るの、止めた方がいい?」
「でも、先へ進むにはこの道しかないんだよね? 出来るだけ早く渡り切るしかないんじゃないのかな」
困ったことに、そういう構造なのだ。だからこそ、バジリスクの罠を敷いたとも言えるが。
だが、ここで焦って残り全員を渡らせれば、それこそ一網打尽にされる危険性がある。
「二人一組で渡って来て! ここには、まだ何か仕掛けられているかもしれない!」
「お、おう、分かったぜ!」
「じゃあ、行くか葉山」
緊張の面持ちで、コユキとアオイを両手で抱きしめた葉山君と杏子のコンビが渡り始める。
杏子は恐れ知らずのようにズンズンと進む。白嶺学園の廊下を、我が物顔で歩いていたのと同じくらい堂々とした歩みである。
一方の葉山君は、めちゃくちゃ警戒しながら慎重に足を進め、
「うおっ、あっ、あぶねっ!? 危ねって!?」
凍った床で足が滑って転びそうになり、結局、堪えきれずにコケていた。
葉山君が完全にバランスを崩したその瞬間を見計らったように、コユキは腕の中から脱し、猫らしい機敏な身体制御によって、シュタっと華麗な着地を決める。アオイも羽をバタつかせて、ゆっくりと氷の床に降り立ち、そのすぐ後ろで間抜けな大股開きに転倒するご主人様がいた。
「なにやってんだよ葉山ぁ」
「な、なにやってんだろな、俺……」
どこまでも呆れた目を向ける杏子の視線に耐えかねたように、大の字に転がった葉山君が半泣きでそんなことを言っていた。
「あんな隙だらけの姿を見せても、何も起きない、か……」
結局、そのまま杏子と葉山君のコンビは無事にこちら側へと通路を渡り終えた。
何か仕掛けるなら絶好のタイミングかと思って、ギャグみたいに転んだ葉山君を見た瞬間、僕もメイちゃんも厳戒態勢に入ったのだが、何事もなかった。
ほっとした半面、いまだ何の動きも見せないことに、不気味さも覚える。メイちゃんがわざわざ警告を発するくらいだ。絶対に何かあるはずだ。
「はい、じゃあ次の人」
「では、私が行きます」
「えっ、桜ちゃん一人ぃ!? 僕、二人組作ってって言ったよね? まさかのぼっち! あの蒼真桜がぼっち!!」
タッタッタッタッ————パァン!
と、軽快な足音に続いて、僕の頬が叩かれる音が響いた。
こ、この女、僕に即ビンタするためだけに、武技で移動強化して駆け抜けて来やがった。
「ふんっ!!」
僕と同じく頬を赤くした桜ちゃんが、お手本のような不機嫌ぶりを露わにした。
こんな気軽にパンパンされてる、僕の方がキレそうなんですけどぉ?
「やっぱり蒼真さん、一発叩いておく?」
「ふっ、今はいいよ、メイちゃん……アイツは絶対、後で分からせてやるからな……」
恨みは僕の手ずから晴らさせてもらおう。この屈辱、忘れんぞ蒼真桜!
「それじゃあ次の人、桜ちゃんみたいに速やかに渡ってねー」
「おい、行くぞ涼子」
「ええ」
「ちょっと待ったぁ! ご主人様と二人一組を作るならば、この桃子をおいて他にはおりません。というか、メガネには絶対譲りませぇん!」
「さっさと行くぞ」
やかましい桃子の自己主張にウンザリした顔を浮かべた天道君が、そのまま小脇に抱えて歩き始めた。
「ご主人様、抱えるならせめてお姫様抱っこで————あっ、こら、メガネ、なに杖でグリグリしてるですか! グリグリやめるですぅーっ!」
隣を歩く委員長が素知らぬ顔で、杖で桃子の頬を突いているせいで、尚更にうるさく喚いている。
まったく、ただ通路を渡るだけで、何故こんなにも騒がしくなるのか————なんてため息交じりに眺めていた、その時であった。
ヴィイイイイイイイイイイイイイイイイイイッ!!
けたたましい警報が鳴り響く。
同時に、通路全体を白く照らし出していた光が、俄かに赤く変わる。これ以上ないほど、目に明らかな異変が起こった。
この反応は、恐らくセントラルタワーに元からある非常警報を作動させたようだが……そう察するのとほぼ同じタイミングで、例のシステム音声が響いた。
『当フロアは、これより全面凍結処理を行います。至急、職員の方は退避してください』
「くそっ、このフロア全部が罠だったんだ!?」
後悔先に立たずとはこのことか。
端的なアナウンスを聞いただけで、こんなの事情はすぐにお察しである。
夏川さんの勘を惑わずほどに大量のトラップ。最も注意を向けるよう用意された、分かりやすいバジリスクトラップ。そしてメイちゃんの直感は、この事態を示していたに違いない。
くそっ、小鳥遊のくせに、上手く本命の罠を隠しやがったな。
「全員、早く集まれ————」
僕がそう叫ぶまでもなく、すでに全員が、まだ通路を渡る途中にいる天道君と委員長、そして向こう側に残っている姫野・中嶋カップルと、殿の夏川さんも、駆け出し始めていた。
『凍結処理の開始は、一時間……30分……10分……5分……5秒後に、行われます』
だが、先にフロアの変化は始まった。
ふざけんなよ、まだ5秒も経ってないじゃないかよ! カウントダウンタイマーもロクに働いてねぇのか、このポンコツシステムがっ!!
「うわぁっ!? な、なんだコレ、消えてる————床が消えてるぞぉ!!」
ぼんやりとした青白い輝きが屋内全てから発せられると共に、動転した葉山君の絶叫が響いた。
ああ、正に君の言う通り、床が消え始めている。
フロアの全面凍結処理とは、委員長がこの通路にやったように、氷漬けにすることではない。このフロアを丸ごと消す、すなわち、空間魔法の内部へと一時的に収納することだ。
古代の魔法文明が、この僕らが生きる三次元空間そのものに干渉し、拡張したり、別な亜空間とでも呼ぶべき新たな場所を作り出すことができるというのは、すでに周知の事実。蒼真君や剣崎も、ストレージ系とでも言うべき、武器を収納する専用の空間魔法を習得していたし、天道君の『宝物庫』なんかはもっと分かりやすい万能な亜空間収納機能を持っている。
そしてダンジョンそのもの、このセントラルタワーもまた、空間魔法技術の恩恵を大いに費やした構造となっている。タワーだけでも、外観の見かけ以上の広さを誇るフロアが幾つも存在している。
逆に言えば、フロアの面積を狭めることもできるのだろうし、不要となれば、フロアを丸ごと別な亜空間へと収納して消すこともできるのだ。
つまり、今まさに消えるように見えているのは、その部分がすでに収納されたというだけのこと。
幸いというべきか、亜空間に収納されるのはあらかじめ設定されているであろうフロア構造のみ。人間である僕らには、何の影響も及ぼさないようだ。
だからといって、床も壁も天井も消えてしまえば、そこに残される人がどうなるかなど考えるまでもない。僕らはすでに、このクソッタレなダンジョンサバイバルの始まりである教室崩壊で、ソレを経験しているからね。
青白い光に包まれて消えた床の先には、ぞっとするほどの高さにあるタワーの階下が見えた。
「————落ちるぞっ!!」
言わなくても、このどんどん消えていく様子を見れば誰でも分かる。
ああ、こうやって床がどんどん抜け落ちていくのを、最後の一人が残るまで続けられる、みたいなミニゲームってあるよね。
けれど、これは勝者を決めるためのゲームじゃない。一人残らず叩き落すための、小鳥遊の狡猾な罠でしかない。
「エアクッションを使え! エアクッションを使うんだっ!!」
今の僕に出来たことは、このまま階下へと何百メートルも自由落下を決めたとしても無事に着地するための手段を忘れず行使できるよう、叫ぶことだけだ。
今ここに残っているのは歴戦のメンバーだが、僕や姫野は勿論、葉山君や委員長といった純粋魔術師などは、とかく打たれ弱い。
こんな風に下へ落とされるとは想定外だったが……それでも、高所から落下する際に備えたマジックアイテムは全員に持たせてある。大丈夫だ、絶対に巨大落とし穴で落下死、なんて間抜けな犠牲者は出させない。
「ちっ、やっぱりこういうの、僕が最初に落ちるのか」
降った雨がそこかしこに水溜まりを作るように、不規則な個所が消え始めては円形に拡大していく。刻一刻と広がって行く消滅領域の範囲は、早々に僕の立ち位置を追い詰めた。
他のみんなは、消えゆく床から逃れるように動いてまだちょっと粘ったり、出来る限り仲間同士で近づこうとしている最中だ。
でも僕の足元にはもう、前後左右どこにも逃げ場はなく、スーっと音もなく広がって来る床の消滅を待つだけとなる。
「小太郎くん!」
「大丈夫、一足先に、レムと下で待ってるから」
言い出しっぺたる僕は、しっかりと『エアクッション』である淡い緑に輝く大きなビー玉のようなマジックアイテムを握りしめて、虚空へと一歩を踏み出す。
まだ何か言いたげに、心配そうな表情を浮かべているメイちゃんだったが、
「狙われてるっ!」
その呼びかけと、武器を抜く彼女の姿を頭上で見送って、僕は初めて気が付いた。
「————死ね、桃川小太郎」
眩しいほどに煌めくのは、二振りの白刃。
重力の軛に囚われ、自由落下を始めた僕の方へと輝く二刀を携え飛んでくる————そう、文字通りに、飛行して急接近してきたのは、
「剣崎っ!?」
剣崎明日那は、静かに殺意を燃やす冷たい瞳を浮かべて、僕へと斬りかかって来た。
その背に生えるのは、一対の白い翼。天使のような、なんてのは陳腐な形容だが、あの時の小鳥遊とよく似たその翼を羽ばたかせる姿には、そう表現するより他はない。
剣崎め、このフロア消失による落下を見越して、あらかじめ下に待機していたのだろう。
刀を抜いて「死ね」とはまた、随分とストレートなアプローチで来たものだ。僕の『痛み返し』の存在を忘れているのか。それとも小鳥遊にいいように使われる捨て駒として、構わず相打ちにさせようとされているのか。全く、『痛み返し』無視して僕にダイレクトアタックかますような間抜けは、桜ちゃんだけで十分だってのに。
けれど、そんな悪態が脳裏を過るだけで、自由自在に空を飛べるらしい羽付き剣崎が突っ込んでくるのを、今の僕にはとても対応しきれない。
「あるじを、守ります————グガァアアアアアアアアアアアアッ!!」
「レムっ!」
手を繋いで一緒に落ちていた幼女レムが、その手を振り解くと僕を庇うように前へと出る。
同時に、瞬時にその姿を大柄な鎧兜の黒騎士形態へと移行し、文字通りに我が身を盾に剣崎の前へと立ち塞がった。
「無駄だっ、そのような木偶で、この私を止められるものかっ!」
空飛ぶ翼を手に入れてイキりやがって。
だが、残念ながら声高に剣崎が叫ぶだけあるようで、その手にした新たな二本の刀も相当な性能があるようだ。白く光り輝く刀身は、僕程度の目ではとても追えない速さで繰り出され、大剣と大盾を構えた黒騎士レムを、瞬く間に切り刻む。
嵐のような斬撃が、漆黒の装甲を刻む火花と魔力光を激しく散らす。
それでも頑強な黒騎士レムは消滅することなく耐え凌いだが、叩き込まれた勢いであらぬ方向へと弾き飛ばされた。
地上であれば踏ん張って耐えられただろうが、空中ではその身に受けた衝撃のまま体は流されて行ってしまう。
ギィンッ! と強烈な音を立てると同時に、僕を守る黒騎士という盾は剥がされた。
後に残るのは、貧弱な呪術師の本体だけで、
「これで終わりだっ、桃川小太郎ぉおおおおおおおお!」
「剣崎ぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!!」
鋭い殺気を向ける剣崎よりも、さらに倍するほどの途轍もない殺意の塊が、僕を守るために降って来る。
ありがとう、レム。救援を求めるための、時間は十分に稼いでくれたね。
「ぐぅうううっ、ふ、双葉ぁあああああああっ!」
激烈な赤いオーラを纏い、呪われた刃と誇り高き剣を抜いた狂戦士が、直上から墜落する隕石が如き勢いでもって剣崎へと襲い掛かった。
ふん、なんだかんだで自分の命はまだ惜しいと見える。あともう少しで僕に届くはずだった二刀を咄嗟に、自分の防御へと切り替えた。
交差させて二刀を構え直したところで、メイちゃんが激突。
広大な空間に、凄まじい金属音と衝撃を轟かせて、ぶつかり合った勢いのまま真下へと急加速して落ちていく。
メイちゃんの発する真紅のオーラの輝きと、剣崎の羽が纏う純白の光。紅白二色の光が交じり合うことなく相反するような二重螺旋を描きながら、遥かなる階下へと消えていくのを、僕は見送るより他はなかった。




