第346話 タワー攻略前夜(2)
「……話があるんだ、愛莉。開けてくれないかな」
そう言って中嶋が姫野の部屋を訪れたのは、就寝時間になろうとする頃合いであった。
「ふふ、陽真くんの方から来るなんて、久しぶりだね?」
扉を開けて中嶋を出迎えた姫野の恰好は、凝ったレースの下着とシースルーのネグリジェ。最初から持っていたものではなく、この砦に来てから作ったものだ。小太郎の目を盗んで素材をちょろまかし、夜なべして作った力作であった。
「いいよ、入って」
そんな涙ぐましい努力の結晶たる衣装を身に纏った姫野が、妖しい微笑みを浮かべて中嶋を中へと誘った。
如何にもな恰好をしているせいか。それとも姫野の言う通りに久しぶりだからか。今夜の彼女の姿は妙にそそるものがある。
今となっては、ここに残った女子は何れも異なった魅力を備えた美少女達ばかり。平々凡々な容姿の姫野が並べば、なかなか惨めなことになってしまうが……この部屋ばかりは姫野愛莉、彼女のテリトリーだ。地の利は得ている。
「座って」
「いや、別にこのままでも」
「いいから、座ってよ」
腰かけたベッドで、自分の隣をポンポンと叩いて姫野が呼ぶ。
今更、ベッドの上で彼女と並ぶことに恥じらうような未経験者ではない。中嶋は大人しく従って、姫野の隣に腰を下ろす。
フワっと甘い花のような香りが、鼻を突いた。
「陽真くんが来てくれて、嬉しい。いよいよ明日だし、不安だったの」
わざとらしい上目遣いで言いながら、中嶋の太ももに手を置いて撫でる。
その程度のスキンシップで揺らぐようなことはないが、くすぐったい感触にムズムズしてしまう。
努めて気にしないフリをしながら、中嶋は当たり障りのない返答をした。
そうして、ポツポツと会話が続く。ありきたりな話の内容だ。特に中身のない感情論。
けれど、それでいい。姫野と中嶋、二人の間には色々とあったものの、今は共に戦う仲間であることに変わりはないし、小太郎の工房でこき使われているのも同じ。今の面子の中では、最も気の置けない間柄なのも事実であった。
「————それで、話ってなに?」
小一時間ほどお喋りをしてから、ようやく本題へと入る。
中嶋は僅かに逡巡してから、迷いを振り払うように切り出した。
「愛莉にお願いがあって来た」
「うん、なにかな?」
「剣崎さんを助け出したら、その時は大きな怪我を負うことになる可能性が高い。僕も、彼女も」
「そうなんだ」
「だから……その時は、愛莉に治療を協力して欲しい」
剣崎明日那を取り戻すにあたっての作戦は、決して無傷で確保できるような生易しいものではない。基本的には、彼女を戦闘不能にまで追い込むことが前提となる。真っ向勝負は避けられない。
それしか確実に抑えきる方法がないことは、中嶋とて理解しているし、納得もしている。これ以上を求めれば、流石に小太郎も無理だと断じて明日那を切り捨てる方針に変えるかもしれない。
中嶋だって、小太郎が明日那に対して良い印象を全く抱いてないことは承知の上。それでも自分の恋愛感情を汲んで、そちらを優先するように切り出してくれたのだ。
多少の無茶と危険のある作戦だが、それでも小太郎の理解と協力を得られるベストな選択だと中嶋は思っている。後は、どこまで成功率を上げられるかは、自分の努力次第である。
「ふーん、治療ねぇ……私なんかよりも、『聖女』の蒼真さんに頼んだ方が良いんじゃないの?」
わざとらしく拗ねたような口調で、姫野が答えた。
「勿論、頼みはしたさ。けれど、蒼真さんがいざという時、本当に剣崎さんを治癒してくれるかどうかは……」
蒼真桜は、良くも悪くも潔癖だ。あれほど仲の良い友人であった剣崎明日那であっても、裏切り者となれば容赦なく切り捨てる可能性は高い。
中嶋も実際に桜に対して、明日那を助けた際には治療をと頼みはしたが、「助けるかどうかは、明日那次第です」とあまり色よい返事は得られなかった。恐らく、本当にその時の明日那の態度次第で、桜は生かすか殺すか選ぶのだろう。
なんとしてでも明日那を生かして助け出したい中嶋からすれば、そんな曖昧な桜に頼り切るワケにはいかない。
「それで私に、ってこと」
「うん。愛莉が彼女に恨みがあるっていうことは、よく分かっているつもりだ。ムシのいい話をしている、と自覚もある。でも、それでも僕は————」
「別にいいよ」
「えっ」
と、間抜けな声が漏れた。
土下座して頼み込む覚悟を持ってきたのだが、あまりにもあっけなく了承が得られてしまった。
「い、いいの? 本当に?」
「うん、いいよ。だって、陽真くんの頼みだもん」
にこやかに笑みを浮かべる愛莉。だが、それを正直に受け取れるほど中嶋は純粋ではない。
「そっか、ありがとう……本当に、助かるよ、そう言ってくれて」
「でもぉ」
ほら来た。
タダでこんな頼みを、受け入れるはずがない。中嶋は身構えた。
「やっぱり私の治癒魔法って、蒼真さんのに比べたら、効果はかなり劣るじゃない? だから、あんまり大怪我されると、治せる自信ないんだよね」
「それは、仕方のないことだと思うけど」
中嶋とて、完璧な治癒などハナから望んではいない。愛莉の治癒魔法で命だけでつなぎ留められれば、それだけで良い。
しかし、そのようなことを言うつもりはないのだと、愛莉が肩へしな垂れかかって来たことで察する。
「でも、私ってホントは『淫魔』じゃない?」
「そ、そうだね……」
「だからぁ、陽真くんが協力してくれたら、いつもよりも力が発揮されるんだよね。ほら、魔力を吸収しちゃう的な?」
きゃはは、とわざとらしい笑い声を上げながら、太ももを撫でていた手が股間近くまで伸びてゆく。
愛莉が何を求めているのか、それ以上を問うほど中嶋は野暮な男ではなかった。
「……分かったよ」
中嶋は愛莉の華奢な肩に手を回し、自分の方へと引き寄せる。
一気に密着した二人の体。至近距離、円らではないが潤んだ瞳で愛莉が上目遣いで見つめながら言った。
「じゃあ、約束して。剣崎を助けた後も、ずーっと私に『協力』してくれるって」
「いいよ、約束する。それで彼女を救えるなら————」
それ以上の言葉はいらない、とばかりに、二つの影は一つに重なり合った。
「……ふぅ」
吐き出した紫煙が、偽りの夜空に消えていく。
タワー攻略作戦の前夜。天道龍一は一人で、外で愛用の煙草を嗜んでいた。
「主様よ、よいのか」
「あ? 何がだ」
正確には、一人と一匹。煙るタバコの副流煙を全く気にせず、肩に留まったリベルタが問いかけた。
「大きな戦いを控えた晩じゃぞ。こんなところで、一人でおって良いのかと聞いておる」
「他に何しろってんだよ」
「ふむ、幼子でもあるまいに。あの眼鏡の女子を放っておいて良いのか?」
「アイツとは、そういうんじゃねぇよ」
「向こうは、そうは思っておらぬじゃろう」
「ふん、古代の生物兵器は人様の色恋に口を挟む機能もあるのかよ」
「主様の恋路を叶えてやりたいという、純粋な好意じゃぞ」
「余計なお世話ってんだよ、そういうのは。覚えておけ」
眉間に皺を寄せて、煙草の煙を思う様に吸い込む。不機嫌そうな表情極まるが、本気で嫌悪感を発していないことは、リベルタには分かった。
魂で結びついた契約を果たした恩恵。それがなくとも、互いの機嫌を察するくらいの間柄には、この短い期間でなっていた。
基本的に人と馴れ合うことは避けがちな龍一だが、リベルタが人間ではないが故に、気の置けない関係になれたのかもしれない。
「戻るか」
そう一言だけ呟いて、龍一は踵を返した。
わざわざ地下通路を抜けて、隠し砦へと戻り、割り当てられた自室に入る。
リベルタがバサっと羽ばたき肩から離陸すると、枕元へと降り立つ。羽を畳み、尻尾を丸め、一足先にお休みの体勢。
そして龍一もベッドにかけられた布団をまくると、
「お待ちしておりました、ご主人様ぁ」
語尾にハートがつく甘ったるい声で、布団の下から桃子が現れた。
「今夜は誠心誠意、この桃子がご奉仕いたしまぁーっす!」
と高らかに宣言する桃子の姿は、普段のメイド衣装ではない。
白い肌に際立つ黒い下着と、シースルーのネグリジェ。頭にはいつものホワイトブリムではなく、黒い猫耳カチューシャが。
フワフワの黒い毛皮の手袋とソックス、おまけに細長い猫の尻尾も生えている。クネクネと動く尻尾は、一体どういう原理が働いているのか。
下着も黒猫装備も、桃子が工房に手伝いに出た際、姫野愛莉と一緒に作ったものである。彼女の仕事を手伝えば、喜んで協力してくれる同志になってくれたものだ。ただし、オリジナル桃川への愚痴は絶えなかったが。
ともかく、桃子はそんな魅惑の黒猫ファッションで、ご主人様を誘惑すべく待ち伏せしていたのだった。
「さぁ、ご主人様、いざ桃子とめくるめく快楽の世界へ————」
「送還」
龍一が一言そう唱えれば、桃子の小さな体が黄金に輝く粒子となって消え去っていく。
静かになった部屋の中で、龍一は一際大きな溜息を吐いてから、ベッドへと入る。桃子の体温が残る、妙に温かいベッドの中へ。
「————チェンジなんて酷いじゃないですか、ご主人様ぁ!」
枕元に黄金の魔法陣が眩く輝き、猫耳桃子がニュっと顔を出して怒りの抗議が炸裂する。
「うるせぇ、チェンジもクソもあるか。さっさと寝ろ」
「むぅ、仕方ないですねぇ……今夜は添い寝だけで我慢してあげます」
「なにサラっと潜り込もうとしてんだ、テメーのベッドはソッチだろが」
めげずに同衾しようとする桃子をつまみ出し、反対側にあるベッドへと放る。
龍一がこの部屋を自室に選んだのは、他でもない、ここがツインベッドだったからである。
「ううぅ……一人寝は寂しいですよう、ご主人様ぁ……」
「黙れ。これ以上、面倒な誤解を招くのは御免なんだよ」
扇情的な恰好をした桃子との同衾がバレた場合、今度こそ涼子の心は木端微塵に砕け散ってしまうかもしれない。
同じ部屋で寝泊まりするのは許すが、同じベッドに入るのは許さない。それが龍一と桃子の、今の距離感であった。
少なくとも、涼子よりは近しい関係にあるのは事実なのだが……そのことは、どちらにとっても言及して良いことはないので、暗黙の了解ということになるのだった。
中嶋は愛莉と結ばれ、桃子は龍一と離れ、とそれぞれが過ごす攻略前夜。
双葉芽衣子と蘭堂杏子の二人は、真正面から向かい合っていた。
「……」
「……」
互いに無言。
小太郎の部屋の前で、二人はお互いの姿を確認し合う。
どちらも、太ももの半ばまで裾が届く、大きなサイズのシャツを着ている。ダンジョンを進むにつれて得られる新素材と、成長する錬成能力とによって、下着類の日用品の品質も進化し続けている。
二人が被っている大きなシャツは、シルクのような美しい白色に滑らかな肌触り、そして丈夫かつ柔軟に伸び縮みする、古代産の繊維も用いた一品。おまけに、物理防御と属性耐性も僅かながらつく、実用性も高いエントランス工房が送る最新モデルであった。
だがしかし、二人にとってのガチ装備は、そのシャツの下にある。白い薄手の生地はほんのりと透けて見え、女子高生離れした魅惑の肢体を包む衣装を浮かび上がらせた。
「ふーん、気合の入った恰好してんじゃん」
杏子は、透けて見える芽衣子の体に鋭い視線を向けて言う。
芽衣子が身に着けているのは、白い下着。清楚な純白のレースで彩られたデザインでありながら、その布面積は官能的な小ささ。はち切れんばかりに収まった胸と尻は、緻密に計算され尽くした結果。外国人モデルもかくやという規格外の肉体を誇る芽衣子に合わせて、淫魔の匠、姫野が丹精込めて作り上げた下着である。
最近、エロ可愛い下着を作ってくれると、密かに女子の間で話題になっていた姫野であったが、一番の友人である芽衣子のために拵えたのだ。友の恋路を応援する女の友情の結晶は、一目見ただけで男を前かがみで沈める、強力な誘惑兵器となって完成されていた。
「蘭堂さんこそ」
対する芽衣子も、同じく杏子の体を見つめる。
艶めかしい褐色の肉体を包み込むのは、黒い下着。深い色合いの漆黒の布地が、僅かに局部を包み込んで淫らに飾り立てる。
普通の女子高生ならまず着ない、着こなせない過激なデザインはしかし、芽衣子に負けず劣らずの豊満な体を誇る杏子にとっては、これ以上ない最適装備と化している。
小太郎を攻略するために、自らデザインを起こし、姫野に無理を押して作らせた執念の一品だ。
「……」
「……」
再びの沈黙。
お互い、一世一代の決戦装備に身を包んでいることを確認し合い、静かな膠着が生まれてしまった。
「双葉、アンタが凄いのも、小太郎が特別に思ってるのも、分かってる。でも、ウチは大人しく譲るつもりはないから」
「蘭堂さん、私が戻るまで、小太郎くんと一緒にいてくれて、ありがとう。その間に、何があったとしても……私は気にしないよ」
「それ、どこまで進んでても関係ないって意味?」
「うん。たとえ一線を越えていたとしても、それは私が退く理由にはならないから」
先に告白した方が、先に付き合った方が、先に結ばれた方が————そんな、高校生染みた恋愛観で話しているのではない。
恋愛に早い者勝ちなどない。諦めなければ、幾らでも奪い返すことができる。愛のままに、欲望のままに。
「ちっ、リボルバーも、持ってくれば良かった」
互いに素手でこの距離。力ずくの手段に出られれば、杏子の不利は明らかだった。
気絶した自分が、冷たい通路に転がって一夜を明かす想像が脳裏を過る。
「言ったでしょ、気にしないって。それに、私には蘭堂さんを止める権利はないと思うから」
「なにそれ、どういう意味」
「私一人だけじゃあ、小太郎くんを助けてあげられなかったから。独占欲で、彼を危険に晒したくはないの」
「全然分んない。でも、ウチの邪魔しないなら、別にいいか」
逆に言えば、自分もまた芽衣子を止められるだけの力はない。
一人負けしないだけ、マシだと思うことにした。
「小太郎がウチを選んでも、恨むなよな」
「それでも、私は小太郎くんの傍にいるだけだから」
鋭い目を向ける杏子に、悟ったような微笑みを浮かべて芽衣子は答える。
不毛な睨み合いは早々に打ち切り、二人は同時に部屋のドアへと手をかけた————
「えっ、ちょっ、なんで二人同時に————うわぁっ、レム! 助けてレムぅーっ!」




