第345話 タワー攻略前夜(1)
隠し砦に籠り始めて、おおよそ一ヶ月が経った。
「ようやく、準備が整った」
食堂に集った一同の前で、僕はブリーフィングを行う。
「セントラルタワー攻略は、明後日に始める。明日はお休みだから」
この一ヶ月ほどの準備期間、特に後半はかつかつだった。途中で行き詰まりを迎えて、メイちゃんの膝枕でふて寝した時もあったけれど、欠けていたピースが無事に集まったことで、そこからはかなり詰めて作業を行った。
僕の頑張りに応じて、工房では中嶋も頑張り過ぎて倒れたり、姫野が倒れたフリしたのを叩き起こしたり。葉山君が地味に『簡易錬成陣』を習得して、新たにデスマーチに加わってくれたり、工房の生産能力が上がったことで、なんとかこの期間で仕上がったといったところである。
お陰様で、最終決戦に相応しい最高品質の装備が揃った。
「今更、作戦の目的を説明したりはしない。けれど、これだけは言っておこうと思う————僕も、みんなも、仲間の命を優先して欲しい」
今作戦において最大の難関は、囚われた仲間を生け捕りにしなければならない点だ。
そのために、天道君から提供された隔離区域のボスから採取した麻痺毒をメインとした、捕獲用装備を作ったが……その効力も、絶対的とは言い切れない。
「蒼真君を捕まえる時、矢面に立つのは天道君と桜ちゃんだ。でも、いざという時、僕は二人の命を優先して、蒼真君を殺してしまうこともありうる」
「ふん、今更そんなこと気にしてんじゃねぇよ。悠斗の尻ぬぐいをお前らにさせちまってんだからな。いざって時の覚悟くらい、できてるさ」
「絶対に、私がそんなことはさせません。だから桃川、余計な手出しは無用ですよ」
良くも悪くも、生きたまま取り戻したい、と思う気持ちの強さは人それぞれである。
僕個人の感情で言えば、キナコ大なり、蒼真君大なり、越えられない壁、明日那、といった順序になる。恐らく、メイちゃんならばキナコでさえも、僕の命の危険とあれば容赦なく殺せるだろう。
みんな仲間で、絶対に全員を取り戻す、そのために命を賭けて協力するんだ————と、綺麗事を言うのは簡単だ。蒼真君だったら絶対にそんな感じの事を言うだろう。
でも僕は、そんな非現実的な理想論を無責任に口にはしない。僕に出来ることは、誰もが望む未来を掴み取るための可能性を示すことだけだ。
だから蒼真君を生きて取り戻したいと最も強く願う者が、その矢面に立ってもらう。そして、僕らはそれを支える。それ以外の人が前に立てば、勢いで殺してしまうからね。
「葉山君もいいかい? いざという時の覚悟だけは決めておいて欲しい。僕はキナコに、仲間を殺させる真似だけは絶対に許さない」
「ああ、分かってる……だから、俺が必ずキナコを取り戻す!」
「うん、頑張ろう。そのために、出来る限りの準備もしたからね」
僕としても、蒼真君はこの際諦めはついても、キナコだけは何としても取り戻したい。
何といっても、彼は二年七組のクラスメイトではない。ただ純粋に葉山理月と出会って、彼のために行動を共にしてくれたのだ。
そんな君を、見捨てることはしたくない。あのクソ賢者なんぞに利用されるのを、絶対に許しはしない。
「中嶋君、正直に言って剣崎の優先度は最も低くなる。僕もフォローはしきれないかもしれない。それでも、君はあの女を助ける可能性に賭けるんだね」
「勿論だよ。桃川君、僕にチャンスを与えたくれたこと、本当にありがたく思っている」
「明日那は私にとっても、大切な友人です。そう簡単に見捨てたりなんてしませんからね」
でも蒼真君と剣崎だったら、悩む余地なく蒼真君を取るでしょ? あんまり威勢のいいこと、言わない方がいいと思うけどな、桜ちゃん。
「殺すべきは、『賢者』小鳥遊小鳥だ。あの裏切り者を倒して、僕らは今度こそこのダンジョンから脱し、外の世界へと旅立つ————」
本当なら、もっと楽にタワー攻略ができるはずだったのに。
最後の最後まで、小鳥遊小鳥、アイツには苦しめられることになってしまった。
けれど、これで最後だ。この戦いで、全てにケリをつけ、僕らは自由を手に入れる。
「————最後のダンジョン攻略だ。気合を入れて行こう」
翌日。休息日となった本日は、クラスメイト達は思い思いに過ごしている。
双葉芽衣子は給食係の長として、今日の夕飯は腕によりをかけた豪勢なものにしようと、朝の内から厨房に入っていた。
朝と昼は軽めのものを用意し、ディナーに向けての下拵えも早々に進めてゆく。
ほとんど一日がかりの作業となるが、それを苦に感じることはない。これが自分の一番好きな事である。武器を振るって戦うよりも、よほど楽しい。
そうして鼻歌交じりに調理を始めた芽衣子の下にやって来たのは、意外な人物であった。
「あっ、葉山君。どうしたの?」
当番でもないのに現れたリライトに、芽衣子は朗らかな笑みを浮かべて問いかける。
いまだに奇跡のダイエット大成功で爆乳美女と化した芽衣子の姿を慣れていないリライトは、思わず視線を逸らしつつ、正直に答えた。
「あー、ちょっと、キッチン貸して貰ってもいいか? 隅っこの方でいいから」
「ここは広いから、どこでも好きに使っていいよ。でも、何か作って欲しいモノがあるなら、私が作るけど?」
と、芽衣子はリライトの抱える、大きな肉————鶏型モンスターであるコッコの腿肉だ、と食材を一目で見抜きながら言った。
モンスターサイズらしい鶏足一本で、巨大なフライドチキンでも作りたいのだろうか。通常の大きさを越えたサイズで調理をするには、それ相応の技術が必要である。少なくとも、料理はほとんど素人のリライトが、一人で上手に作るのは難しいのではないかという、芽衣子の親切心からの言葉だ。
「いや、双葉さんは大変そうだから、俺が自分でやるよ」
「ううん、そんなこと全然、気にしなくてもいいよ」
「ホントにいいんだ。俺が作りたい……作ってやりたいんだ」
真剣な表情で言いながら、リライトは大きな腿肉をキッチンの一角へ置いた。
腕をまくり、まずは手洗いから始め、やる気は十分のようだ。
「何を作るの?」
「唐揚げ。キナコの、好物なんだ」
この異世界に落とされた、最初の日の夜に食べた、弁当箱に入っていた唐揚げ。1パック298円で売っている単なる冷凍食品だが、火の精霊で点火した焚火で炙って、二人で分け合って食べた友情の唐揚げである。
ウマイ、ウマイ、と喜んで食べていたキナコの姿が、今でも鮮明に思い出せる。
小太郎と合流したことで、リライトのサバイバル食事事情は大幅に向上したけれど、キナコの大好物はやはり唐揚げなのである。
「きっと、腹空かせてると思うんだよ。だからアイツを助け出した時は、すぐに好きなもんを食わせてやりてぇんだ」
「うん、そっか。それじゃあ、いっぱい作らないとね」
リライトの目にジワリと滲む涙を見ないフリをして、芽衣子はヒマワリのような笑顔でそう言った。
「お、おうよ! でも、作り方にはあんま自信ねぇから、ちょっと教えてくれると助かる」
「勿論だよ」
白嶺学園の料理部エースによる、最高に美味しい唐揚げの作り方講座が始まった。
「————いよいよ、明日ね」
ヤマタノオロチ討伐戦前夜に振舞われた以上に、贅を凝らしたディナーを終えた後。涼子はワイングラスを片手に、しみじみと呟いた。
「うん。大丈夫、絶対なんとかなるよ」
不安を吹き飛ばすような明るい笑みを浮かべながら、テーブルに並べられたスイーツに美波が手を伸ばす。
「それにしても、よくお酒なんて飲めますね、涼子」
同じく不安は抱えているだろう桜だが、あえては触れずに、涼子が口にしている赤ワインに胡乱な目を向けた。
「私、意外とアルコールには強いみたいだから。明日の作戦に障りはないわ」
「私はワインはあんまりだなー。果実酒かハチミツだよ!」
「いえ、そういう意味で言っているのではなくてですね……」
「なによ、桜。貴女はまだ、毒を盛られた時のことを気にしているの?」
「当たり前です。あの時、私が偶然にも解毒の魔法を授かったから良かったものの……今思い出しても、ゾッとする出来事です」
「でも、ソレは桃川君のせいではないと分かったでしょう」
「ええ、それは分かっています。ですが、だからといってあの忌まわしい記憶がなくなるワケではありませんから」
だからこそ、小太郎が「これ結構美味しいよ」とオススメしていたワインボトルを、平然と受け取って飲んでいる涼子の対応が信じられないのだ。
事実、毒を盛ったのが小太郎ではなかったとしても、彼の手によって配られた酒で倒れたというイメージまで払拭することはできない。もっとも、桜にとっては毒を煽ったことへの純粋な恐怖心よりも、小太郎に対する悪印象と敵愾心が強過ぎるが故のことであるが。
「蒼真君がいなくなっても、貴女は相変わらずね」
「むっ、どういう意味ですか」
「意地を張り過ぎよ。みんな、桃川君のお世話になってる。私も貴女も、あの龍一でさえもね。あまり彼に対してケチをつけるのは、親にワガママをいう子供のようにみっともないわよ」
「意地になってるのは桃川の方ですよ! 私がどれだけ、酷い扱いを受けたか……あんな人体実験のような真似、決して許されません……絶対に許さない……」
小太郎がクラスメイト達に対して、保護者同然に生活環境を保障しているのは学園塔の頃から変わらぬ事実だ。今ならば、もし彼にこの隠し砦から叩き出されれば、龍一以外は誰もが衣食住に困ることになる。
当たり前のように快適な環境で生活し、狩猟や修行、装備生産などの活動に集中できるのは、小太郎が過不足なく整えているからに他ならない。
だがその一方で、蒼真桜に対する『聖天結界』破りの実験が過酷を極めたのも、また事実であった。
「それはまぁ、そうねぇ……同情はするわ」
「同情するなら、ちゃんと助けてくださいよ」
「にはは、それはちょっと無理かなぁー」
「美波も、少し桃川に絆されすぎではないですか?」
「そんなことないよ。これは正当な取引……ビジネスパートナーってやつだから」
「多分、彼と良い関係を築くなら、それが一番よ」
学園塔の頃も、そしてゴーマ王国で偶然の再会を果たした時から、小太郎が甘味で美波を釣って様々な便宜を図ってもらう関係性は続いている。芽衣子が小太郎の下に戻った現状となっては、舌の肥えた現代っ子である美波を満足させるスイーツを作れる唯一のパティシエを抱えていることになるので、二人の関係性はより盤石なものとなるだろう。
「涼子だって、あまり体よく桃川などに利用されてはいけませんよ。全く、面倒事ばかり丸投げして」
「いいのよ、委員長になった時から、この苦労性は定めだから————そもそも、私を労うつもりがあるなら、桜もあまりワガママを言わないでちょうだいね」
「私はワガママなんて……いえ、私にそんなつもりはなくても、涼子に余計な苦労をかけてしまった、ということですね」
桜は涼子のことを大切な友人だと思っているが、彼女の方は全幅の信頼を寄せているとは言い難い。その最たる例が、ゴーマ王国攻略に際して、小太郎と密かに通じていたことである。
当時の立場としては実質的な裏切り行為だが————結果的に小鳥遊小鳥が黒幕だったために、涼子と美波の二人が小太郎と結託したのは、再びクラスがまとまるための最善手であった。
事情は話せないが信じて欲しい、と悠斗を抱き込み、表向きは全て美波が潜入して石板を操作することで破壊工作をした、という都合の良いカバーストーリーを桜と明日那は馬鹿正直に信じていたのだ。
あの時点で、涼子はもう自分には全てを打ち明けてはくれない関係性であった、何よりの証であろう。事実、正直に小太郎から持ち掛けられた王国攻略作戦とその協力の打診を涼子から打ち明けられていれば、桜は確実に反対していたし、最悪、独断でも小太郎の作戦の妨害もしたかもしれない。
結局、自分が正しいと信じた心のままに行動することが、最悪の事態を招く可能性をまざまざと突き付けられた結果となった。
「裏切り者、と罵倒されなくて良かったわ」
「小鳥遊が本性現わしたから、桜ちゃんとは微妙な関係性にならずに済んだよね」
「そう、ですね……もしも、あのまま桃川の言う通りにタワー攻略が始まっていれば、私はきっと貴女達を裏切り者だと軽蔑したでしょう」
信じたいものを信じただけで、騙されているのは自分の方だった。
小鳥遊小鳥が全ての黒幕であったことよりも、桜にとっては、本当はそちらの方が衝撃を受けているのかもしれない。
「貴女達と信じるものは同じ、と思っていたはずなのですけれど……どうして、こうも違ってしまったのか……何故、桃川の言うことを信じられたのですか」
「私は別に、桜ほど潔癖ではないから。まさか、貴女と桃川君の関係性に決定的な亀裂が入ったキッカケの事件、忘れたとは言わせないわよ」
ある日の晩、呪術用の素材として、男性由来の特定成分の採取に勤しんだ後の小太郎を、運悪く————もしかすれば、あの一件からして小鳥遊が起こしたのかもしれないが————明日那が目撃をしてしまい、問答無用で取り押さえて騒動に発展したのだ。
小太郎の行動に生理的な嫌悪感をもって桜と明日那は非難轟々。対して小太郎を庇う双葉芽衣子は、彼を傷つけるならクラスメイトでも容赦はしないとばかりの強硬論を主張。
涼子は委員長として、ここでパーティ間の対立は何としてでも避けなければと、気が気ではなかった。彼女の気持ちを察して、積極的な桃川バッシングに参加しなかったのは美波だけである。本当の親友とは、このレベルで通じ合うものなのだ。
「あの時から、桜と桃川君との対立は始まったし……綾瀬さんのことで、悠斗君とも決定的に相容れない関係になってしまった」
「……レイナのことも、もしかして小鳥遊小鳥が」
「直接、彼女を手にかけたのは桃川君であることに、違いはないでしょう。けれど、悠斗君と引き離して排除する思惑が働いた可能性は高いわね」
小太郎がレイナを刺し殺した、正にその直後に悠斗達は転移をしてきたのだ。
あのタイミングは、小鳥が狙ったとしか思えない。少なくとも絶好のタイミングだと察して、転移先をあの場に指定するくらいのことはできるだろう。
レイナ・A・綾瀬は、蒼真悠斗の幼馴染であり、妹の桜を除けば最も彼に近しい女子でもあった。悠斗を手に入れることを目的としている以上、レイナの存在が小鳥にとって邪魔なのは明白である。
「小鳥の気分次第で、貴女と綾瀬さんの立場は逆になっていたかもしれないわね」
「それは、兄さんの覚醒とやらを促すための、悲劇の犠牲役として、ということですか」
「ええ。間違いなく、勇者の力を覚醒させる最後の鍵は、最も親しい人の死でしょうから」
小鳥がこれまで、悠斗と桜をダンジョン攻略開始時点からずっと一緒にいるのを許した理由は、そこにあるとしか考えられない。
逆に言えば、最後にして最大の犠牲は、妹の桜一人だけでよい。レイナという二人目はいらなかったのだ。
「あの女の思い通りになどは、決してさせません。兄さんは、私が必ず救い出します」
「そうね、悠斗君を助けるには、私達が一番頑張らないといけないわ」
最悪、小太郎は悠斗を見捨てる選択肢も取れる、と涼子は理解している。
その人を助けるのに背負えるリスクと払える犠牲は、関係性によって異なるのは当然だ。桜は自分の命すら省みずに悠斗を助けたいほど愛しているだろうが、小太郎にそこまでの気持ちはない。逆に、芽衣子が囚われているならば小太郎はどんな苦労を負ってでも助けようとするが、桜はそんなことに命を賭けるのは絶対に御免だと思うだろう。
そのことをあえて明言こそしてはいないが、今回の救出が必要な者に対しては、基本的にその人を助けたいと一番思っている人がメインで担当するよう配置されている。
蒼真悠斗は桜が。キナコはリライトが。そして剣崎明日那は中嶋が。それぞれ、最も危険で重要な役割を担うこととなっている。
その担当者が無理、あるいは死ぬと判断した段階で、小太郎の指示で救出作戦を断念し相手の殺害も辞さない————そう、作戦会議で決められた。
誰かを助けるために、誰かを犠牲にするのは絶対に許さない。仲間の命を最優先に。それは小太郎が定めた、今作戦におけるルールであり、全員の同意を得て承認されたものだ。
「絶対、大丈夫だよ。桜ちゃんも、涼子ちゃんも、私だって、いっぱい練習して、しっかり準備もしたんだから! それにほら、天道君もいるし、何とかなるよ!」
「ええ、そうですね、美波。必ず私達で兄さんを取り戻しましょう」
激戦を乗り越えてきたが、それでも大きな戦いの前夜は不安になるものだ。だからこそ、美波の底抜けの明るさが、何よりもありがたいと感じられた。




