第343話 双子トリック
「はぁ……」
重苦しい溜息を吐きながら、あからさまに肩を落として砦の通路をとぼとぼ歩くのは、リライトである。
今日の精霊召喚訓練も芳しくなかった。焦りからか、ついつい力が入り過ぎてしまい、失敗に失敗を重ねた上に、早々に魔力が尽きてしまい、まだ日も高い内から戻って休息をとらなくてはいけない始末。
遊びたい盛りの元気いっぱいなコユキとアオイ、それから狩りに出ていないせいで力が有り余っているベニヲも、美波に預けてきた。彼女と一緒なら、縦横無尽に森を駆け回って、日が暮れるまで遊んでくれるだろう。
そういうワケで、リライトは一人寂しく戻って来たのだった。
「ダメだな、全然上手くいかねぇ……なんか、俺だけなんにも成長してないし、みんなに貢献もできてねぇ気がする」
砦での生活は、これまでで最も充実したものとなっており、仲間内での不和も抱えておらず、平穏そのもの。
しかし、それが永遠に続くことはない。この平穏は今だけの仮初のもの。誰もが分かっている、来るべき最後の攻略に向けて、一歩ずつ前進しているのだと。
だからこそ成長も成果もなく、ただ足踏みしているだけのような自分が、もどかしくて仕方がなかった。
「蘭堂も委員長も、どんどん召喚上手くなってるし。蒼真さんは、なんか桃川から特別任務とか任されてるし」
現状、リライトに求められているのは精霊魔法の特訓と、呼ばれた時に工房で精霊を付与するお手伝いレベルの仕事である。
残念ながら、いまだ簡易錬成陣さえ習得できていないリライトは、錬成作業において姫野は勿論、本職ではない中嶋にも及ばない。多少、精霊を扱えるというだけのアドバンテージであり、それだって氷と土に限って言えば、今では涼子と杏子にはとても敵わない。
「なぁ、キナコ……やっぱり俺、お前がいないと何もできねぇダメな男だよ」
こんな無力感は、キナコと出会ったばかりでサバイバルすら覚束ない、最初の頃以来である。そして今は、自分を支えてくれた一番の相棒を失い……思わず涙が出そうになって、リライトは咄嗟に上を向いた。
「やぁ、葉山君」
「うおっ!? も、桃川!」
一人勝手にしんみりしているところに、不意打ちのように声をかけられてちょっと焦った。
慌てて見れば、そこには桃川小太郎が。
見慣れた学ラン姿であるが、どこか不敵な微笑みを浮かべている小太郎は、いつもと雰囲気が違うように感じた。いつもはもっとこう、他人の膝の上でもここが俺様の縄張りだと言わんばかりに堂々と居座る猫のような存在感だ。
しかし今日の小太郎はどこか、同じ猫でも獲物を弄ぶ時のように残酷な好奇心が映る、妖しい目をしている。
「こんなところで、どうしたんだい」
「あ、いや、俺はちょっと魔力切れで休みに……っていうか、桃川の方こそ。忙しいんだろ、色々と」
「うーん、僕もちょっと休憩かな。だから、一緒に休もっか、葉山君」
「ぬおっ!?」
スルリと自然な動きで距離を詰められたと思ったら、小太郎に手をとられている。しかも、指を絡ませる恋人繋ぎだ。
思わず大袈裟に声を上げてしまったのは、突拍子もない行動に驚いただけか。それとも、やけに温かくて柔らかい手の感触によるものか。
「ほらほら、こっちで休憩しよ」
「お、おい桃川、なんで手ぇ繋いだぁ!?」
「ふふふ、繋ぎたかったんだもーん」
「はぁ? お前、なんかキャラ違うくない? 酔ってんのかぁ?」
「そうかもね」
振り回されるように、小太郎に適当な空き部屋へ連れ込まれる。元は兵舎の一室らしく、備え付けのベッドの上に二人は腰かけた。
「いやなんか近いって」
「別に普通だよ」
広々としたベッドだが、わざわざ密着するように隣へ座り込む小太郎。
肩が触れ合うような距離感。身長差から、下から見上げるような形で上目遣いで見つめられると、何故だかやけにドキっとさせられる。
中性的な容姿と、何より妖しい輝きを発するように感じる猫目に、同性であることを忘れてしまいそうになる。
落ち着け、俺は一体なにを意識しているんだ————そう冷静さを保とうと努めているリライトの心中を見抜いているかのように、悪戯な笑みを浮かべて小太郎が追撃を仕掛けた。
「葉山君、膝枕してあげよっか?」
「はっ、いやいいよ、ってか男同士でありえんだろ!」
「いいからいいから、疲れてるんでしょ?」
「いやっ、ちょっ、ちょぉおおおお!?」
やけに強引に体を倒される。魔力不足で体に力が入らないから、などという言い訳が脳裏に過るが、次の瞬間に側頭部へ伝わる柔らかな感触に思考が停止させられる。
「どう、結構気持ちいでしょ。僕、膝枕には自信あるんだよね」
一体どこで培った自信なのかは分からないが、正直に言えば、不思議なほどに心地よかった。
なんだこの状況とか、男相手にとか、そんなことどうでもよくなりそうな感触。魔力を失い疲労しきった肉体に、ジンワリと染み込むようだ。
ただ腿の上に頭を乗せているだけで、どうしてここまで気持ちが良いのか。
よしよし、と優しい手つきで頭を撫でて来る小太郎の行動を、自然と受け入れてしまうほど、ぼんやりと夢見心地な気分になっていた。
そんなリライトの反応に満足するかのように、いや、さらなる悪戯を思いついたように、小太郎の口角が釣り上がる。
「ねぇ、葉山君」
「……なんだ」
「実は僕、女の子なんだよね、って言ったらどうする?」
「……は?」
唐突な爆弾発言に、目が覚めるような衝撃走る。
絶対ありえない。確かめたこともあった気がする。一緒に男湯入ったこと何度もあるのだから。
しかし。だがしかし、である。
乗せられた膝の上から見上げた小太郎の顔は、どうにも男とは思えなくなっていた。いくら小さく華奢で中性的といっても、高校二年生の男子がここまでなるか。
ジェンダーフリー。性と体の不一致。聞いたことあるけど詳しくは知らんそれっぽい言葉がリライトの頭に勝手に湧き上がるが、思わず納得しそうになった。
逆に考えるんだ。こんなに可愛い子が男のはずがないだろう。
「ま、マジで……??」
「ふふ、確かめてみる?」
これが淫魔か、なんて錯覚してしまいそうなほどに艶やかな笑み。ギラつく瞳は、魅了の魔眼か。
とっくに男同士などという大前提が破壊されてしまい、リライトはいまだかつてないほどに胸の鼓動が高まったのを感じた。
「なんて、冗談だよ」
あっ、と思わず間抜けに声を漏らした時には、スルっと抜け出すように小太郎は立ち上がっていた。
柔らかくはあるが、無味乾燥なマットレスの感触が虚しくリライトの頭に当たる。
「じゃあ、僕は仕事に戻るとするよ。葉山君はそのままそこで休んでていいよ」
じゃあね、とやたらと決まったチャーミングなウインクをして、小太郎は出て行った。
「な、なんだったんだ、今の桃川は……」
白昼夢でも見ていたのか、と疑ってしまいそうなほどに現実感がない。だが、悔しいほどにドキドキさせられた胸の内は本当で。
どう感情を処理すればいいのか悶々としてしながら、しばらくベッドの上で悶えていると、
「————葉山君っ!」
「うおっ!?」
バァーン! とけたたましく扉を開いて現れたのは、ロングスカートを翻す小さなメイド。
「あー、桃子ちゃん?」
「今ここに、僕が来なかった!」
「いや、まぁ、桃川ならさっきまでいたけど……?」
よほど急いで駆け付けたのか、息を荒げて鬼気迫る表情の桃子。あまりの迫力に、思わず反射的にありのままを答えたリライトに、
「バッカもーん! ソイツが桃子だぁあああああああああああああああああ!」
「————もう許しませんよ、オリジナル!」
桃子は憤慨していた。
ご主人様たる天道龍一が許したこととはいえ、ここ最近はずーっと司令室に情報収集で缶詰の毎日。芽衣子の料理の手伝いをすることだけが、メイドらしいお仕事と料理のスキルアップとして、唯一の楽しみとなっている。
「桃子はご主人様のメイドであって、オリジナルの手下などでは、断じてありません!」
何よりも許しがたく、耐えがたいのは、ご主人様へのご奉仕が激減したこと。曲がりなりにも『従者・侍女』として召喚された身としては、その存在意義が根底から揺らぎかねない、由々しき事態である。
「まったく、ご主人様もあのキチガイメガネの世話ばかり……もっと桃子に構うですぅ!」
などと、内心で散々に不平不満と愚痴をぶちまけるが————不意に、桃子の顔に邪悪な笑みが浮かぶ。
「くふふ、オリジナルめぇ、今こそ報いを受けるがいいです」
笑う桃子の眼下には、持ち込んだソファの上に無防備に寝転がって仮眠をとるオリジナルこと、桃川小太郎本体の姿があった。
つい先日までは、共に情報収集に勤しむ仲間として幼女レムもいたのだが、新たな任務を受けて今は蒼真桜と共に行動をしている。つまり、この司令室には桃子と小太郎の二人きり。
「桃子流奉仕術、瞬身衣替え!」
謎のポージングと共に、メイド服のロングスカートを軽やかに翻し宙へ舞う桃子。
再び降り立った時には、桃子の姿はメイド服から、白嶺学園の男子制服へとその衣装を変えていた。
そしてスヤスヤ眠る小太郎は、桃子と同じクラシックスタイルのメイド服へと着替えさせられていたのだった。
「さぁて、オリジナルのフリして、人間関係メチャクチャにしてやりますかっ!」
かくして、小太郎に変装した桃子が司令室より解き放たれる。
事前に砦内の監視映像から、クラスメイトのおおよその配置を頭に入れていた桃子は、とりあえず最も近くを歩いている者をターゲットに定めた。
「やぁ、葉山君」
「うおっ!? も、桃川!」
こうして、桃子はリライトを見事に騙したのであった。
「ふふーん、傷心の童貞ボーイなんてチョロチョロですぅ。これは性癖歪んじゃったかもですね」
純情なリライトを弄んだ外道メイドは、実に幸先の良いスタートを切って気分が上がって来た。
スキップするように軽やかな足取りで次に向かった先は、
「はぁああああ……終わんねぇ……」
亡者のような嘆きを上げながら、錬成陣四つ同時にフル回転させている姫野愛莉が働く、エントランス工房であった。
作業場所はすでにエントランスではなく、砦内の武器庫に併設されている専用設備の揃った広間なのだが、小太郎はエントランス工房と呼び続けている。
本体はいまだ仮眠中のようで、工房にいる小太郎の分身二号も今は機能停止している。今日のところは他に作業員はおらず、姫野のワンオペ状態であった。
これなら行ける、と確信して桃子は堂々と姫野の前へ姿を現した。
「姫野さん」
「あっ、やっと起きたの桃川君。さっさと作業に戻って————ってあれ、まだ寝てる? え、なに、本体?」
「本体だよ」
自分と転がっている分身二号を交互に見比べて、不思議そうな顔をしながらも、本体だけ起きてきたのか、と勝手に納得した姫野は、それ以上の追求は特にしなかった。
「新しい仕事は勘弁してよ。見ての通り、詰まりに詰まってんだからね」
「いや、仕事はもういいよ」
「はぁ?」
「今日はもう上がっていいから」
「えっ、今日は私、お仕事しなくていいのっ!?」
「ああ、しっかり休め。明日も休んでいいぞ」
腕を組んで偉そうに言い放つ小太郎の姿に、姫野は目を見開いて驚愕の表情を向ける。あまりの衝撃発言に、言葉が出ないようだ。
「……」
「遠慮するな。今までの分休め」
姫野の衝撃に理解を示すように「うんうん」とやはり偉そうに頷くが、そんな態度にケチをつけるどころか、彼女は満面の笑みを浮かべて答えた。
「ありがとう桃川君! じゃあ私もう帰るから、じゃあね、バイバーイ!」
錬成陣にかけられ半分分解された銃器をそのままに、素早い身のこなしでさっさと職場を後にする姫野を、小太郎は、いや、桃子は笑顔で見送った。
「ふぅ、あんなに喜んでもらえるとは。やっぱり、良いことをすると気分がいいですね!」
分身だけが残る工房を後に、桃子の進撃は続く。その足取りに迷いはない。すでに、次なる行き先は決まっているようだ。
「この時間なら、そろそろですね」
普段の自分なら、ちょうど厨房へと赴いている頃である。料理長が夕食の仕込みを始める時間帯————すなわち、桃子の次なる狙いは芽衣子であった。
通いなれた厨房を覗き込めば、そこには後ろ姿だけでも抜群のプロポーションが分かる、芽衣子の背中がすぐに目に入った。
彼女こそが本命と意気込んで、桃子はオリジナルと寸分たがわぬだらしない笑顔の仮面を被って、一歩を踏み出した。
「メイちゃーん」
タタタ、と小走りに駆け寄ると、すぐに気配を察した芽衣子が振り向く。
桃子は速度を落とすことなく、そのまま勢いのままに芽衣子の大きな体へと飛び込んだ。
「わっ」
と声を上げながらも、しっかりと小さな体を正面から抱きとめる芽衣子。
最大級の胸に顔が埋まるこの体勢、本物であれば即座に理性が溶け始める非常事態宣言だが、桃子の攻撃はここから始まるのだ。
「ううぅーん、メイちゃん、好き!」
などと言いながら、思う様にその巨大な谷間に挟まり、自らの両手で掴み取る。掌いっぱいに溢れても尚足りない、大きすぎる魅惑の弾力を揉みに揉む。
セクハラの一言で済まないレベルの濃厚接触。だが、相手は小太郎のためなら己の命も他人の命も惜しまない、忠実無比な狂戦士である。その一方で、小太郎は決して一線を越えぬよう自ら律してギリギリのところを踏みとどまっている……という二人の関係性を、桃子は正確に把握していた。
だからこその、ストレートなセクハラ攻撃を敢行した。ここまでやれば、きっと一線を越えて取り返しがつかないことになるだろう。
料理長、どうぞお幸せに。オリジナルはもっと女心に応えてどうぞ。まったく、桃子は素敵なキューピッドですね、などと自己正当化を極めながら、桃色の笑顔で胸の谷間から芽衣子を見上げた。
「うん、私も桃子ちゃんのこと、好きだよ」
「えへへ、やっぱり。僕もメイちゃんのこと————あれ、今」
「桃子ちゃん、今日は制服なんだね? 本物の小太郎くんみたいで、可愛いよ」
当たり前のように言う芽衣子の言葉に、桃子は戦慄した。
「な、何故バレたし……」




