第339話 外法の先(3)
「やぁ、中嶋君。なんだか、浮かない顔しているねぇ?」
「ええっ、桃川君、どうして……」
その日の晩、僕は中嶋の部屋を訪れた。
メイちゃんや杏子、葉山君とは違い、プライベートで特別に仲が良いワケではない自分の下に、こんな時間に僕がやって来たのは驚きだったのだろう。
驚きだよね? 露骨に嫌そうな表情ではないよね、その顔は。
「ちょっと中嶋君に話があってさ。ああ、悪い話じゃあないから、気楽に聞いてよ。ほら、お酒でも飲みながらさぁ」
「僕に話、か……分かったよ、上がって」
「ありがとね」
中嶋も覚悟が決まったのか、素直に僕を部屋へと招き入れた。
僕は手土産のつまみを。そしてボトルを抱えたレムが続いて入る。
備え付けのテーブルの上に、サラミとチーズと煎り豆などをちょこちょこ小皿に開けて、レムが小さな両手で抱え込むボトルを、僕らのグラスに注いでくれる。
「この酒は食糧庫にあったやつなんだけど、結構イケるんだよね。何千年モノか分からないけど」
「今更、そんなの気にしないから大丈夫だよ」
食糧庫の食材はもう普通に食べてるからね。酒がどうしたって話だよ。
ともかく、準備が整い、僕は中嶋とグラスを合わせた。
「今日はお疲れ様。マトモに戦ったのは、王国攻略戦以来だよね」
「それだって、まだ一週間も経ってないけど」
「腕は鈍っていなかったね。初日から、沢山狩ってきてくれて助かったよ」
「いやぁ、あれはほとんど双葉さんがやったようなモノだから……僕らは随分と楽をさせてもらったよ」
風属性のケルベロス素材を筆頭に、他にもボス級素材を幾つかと、本来の目標だった普通のコアもかなりの個数を集めて来てくれた。初日の狩りの成果としては上々どころか最上といったところ。
この近辺の目ぼしい奴らは、すでに狩り尽くしてしまったのでは。
「中嶋君は、明日は工房の方に入ってもらうから、よろしくね」
「そっちの方が大変そうだなぁ」
「姫野さんと二人で、まったりやってくれればいいよ」
「はは……」
「なにその苦笑い」
と、仕事の話を中心に、それなりに会話を弾ませている内に、互いのグラスが空になる。
再びレムが、背伸びしながらグラスに二杯目を注いでくれたのを見届けてから、中嶋は改めて切り出した。
「それで、僕に話というのは何かな」
「剣崎について」
ピクリ、と彼の眉が僅かに跳ねる。
「それは……殺す、つもりなのかい」
一拍の間を置いて、真剣な表情でそう問うてくる。
おや、意外と冷静な反応。流石に、あの黒幕暴露した小鳥遊に自らついていった裏切りムーブを見れば、惚れた弱みの中嶋でもギルティー判定やむなし、と覚悟していたか。
「剣崎をどうするか。それは、中嶋君次第だよ」
「どういう意味なの……脅し、なのか」
「僕は大切な仲間を、脅して動かそうなんて真似は絶対にしないよ。そこは信用して欲しいなぁ」
「……確かに、そうだよね。だから桃川君は、こうしてみんなの支持を得ている」
「嬉しいね、自分の働きを認めてくれるのは。頑張った甲斐があるというものだよ」
「それで、剣崎さんのことが僕次第というのは」
「そのままの意味だよ。剣崎を殺すか救うか、中嶋君が決めていいんだ」
「どうして、僕にそんなことを……桃川君の思う通りに、すればいいじゃないか」
「中嶋君、僕はちゃんと、君が剣崎に惚れている気持ちを忘れてはいないよ。君の思いを蔑ろにして、自分の復讐心を優先しちゃうと、君に恨まれてしまうじゃあないか」
呪術師は敵に恨まれてナンボだけれど、仲間に恨まれるのは困るのだ。
だから僕は、仲間である君の気持ちを出来うる限り尊重するよ。蒼真君とは違ってね。
「そんな、僕の気持ちなんて……」
「今更、恥じ入ることは何一つないよ。君の気持ち、僕には正直に話して欲しいな。今でも剣崎に惚れているにしても、小鳥遊についたことでもう見限っていたとしても、君の思いを否定したりはしない」
「僕は……僕は今でも、剣崎さんのことは好きだよ。助けたいと思っているし、絶対に死んで欲しくはない……でも、彼女は小鳥遊に……」
「いいんだ、中嶋君。あの女が愚かにも小鳥遊についていったことなんて、君が気に病む必要はない。大切なのは君の気持ちだ。だから、僕はその思いに沿うようにすると約束するよ」
「そう言ってくれるのはありがたい、けど……これで剣崎さんは、明確に僕達と敵対することになってしまったじゃないか。『双剣士』としての力は本物だよ。殺さずに済ませるのは、簡単なことではないでしょ」
なるほど、中嶋なりに現実的なことも考えているワケか。だからこそ、悩みもするのだろう。
蒼真君ならどんなに難しくても、自分の力を信じて何とかなる、何とかしてやる、と前向きな気持ちだけで挑めるのだろうけど。その自信も、最後の学級会でかなり折れてしまったようだけどね。
まったく、ようやく上手く話と関係がまとまりそうだったというのに、小鳥遊のバカがあんな土壇場で本性現わしやがったせいで……
「安心してよ。剣崎のことがなくても、僕らはどの道、蒼真君とキナコを無事に助けなければならないんだ。あの二人も小鳥遊の手に落ちた以上、黙って檻に放り込まれているだけ、とは考えられない。洗脳か催眠か、何かしらの手段を用いて、僕らを殺しにかかってくるだろう」
「それを止める手段が、桃川君にはあるの?」
「今はないよ。でも、そのためにこうして準備をしているんだ。だから中嶋君、もし剣崎も助けたいと思うなら、これからも頑張って協力して欲しい」
「その、蒼真君でも止められる手段が用意できれば、それを剣崎さんにも使ってくれると?」
「君が望むならば、約束しよう」
「お願いだ、桃川君。どうか、剣崎さんを殺さないで、助けて欲しい!」
躊躇なく頭を下げたか。
どうやら、いまだに剣崎には心底惚れているらしい。
うん、やっぱり、このタイミングで話に来て正解だった。下手に中嶋の不安を知らんぷりで放置していれば、彼が剣崎欲しさに小鳥遊に寝返る危険性すらあった。
けれど、今や二年七組を率いる僕が剣崎を助けると明言すれば、安心してついて来てくれる。本当に助かるかどうかは別としても、戦いに臨むその時までは、僕を信じるしかないわけだ。
「勿論だよ、中嶋君。そこまで君の気持ちが固まっているならば、僕はそれに協力しよう————剣崎は殺さないと、約束するよ」
ただし五体満足で、とは言っていない。
手足の一本くらいは当然として、達磨になる覚悟くらいはしておいてよね。頭の方だって、どこまで正気のままでいられるのかも、保証はできかねるし。
「ありがとう、桃川君……僕はまだ、彼女に自分の気持ちも伝えられていないから……」
「ねぇ、中嶋君。気持ちを伝えられれば、それで満足なの?」
「当たり前だよ。僕の気持ちと、それに剣崎さんが応えてくれるかどうかは、また別の問題だから」
「真面目だねぇ。告白される女性の気持ちを尊重する、実に誠実な解答だ————でも、本当にそれでいいの?」
「えっ……?」
「たとえ断られても、剣崎を君のモノにできる方法があるとすれば……どうする?」
「なっ、そ、そんなこと、許されるはずがないよ! それって、洗脳とか、脅迫とか、そういう真っ当な手段じゃないだろう!?」
全く、即座にそんな言葉が出て来るなんて、中嶋君は僕のことを何だと思っているんだか。
僕は『呪術師』だよ? 真っ当な手段じゃない外道のやり方こそが正道と、神様から直々に説かれているのだ————君の見解は、実に正しい。
「今回の戦い、君の尽力のお陰で、全て上手くいったとしよう。そして、最後に君は剣崎に告白するワケだ。その結果————」
「すまない中嶋、お前の気持ちは嬉しいが、私には蒼真しかいない。私は蒼真を愛しているのだ」
と、今まで黙って僕の後ろに立っていたレムが、剣崎ボイス完全再現で喋る。
レムはガチれば僕の姿と言動を再現できるのだ。剣崎の、というかクラスメイトの声真似くらい、実は出来たりする。
「ぐわぁあああああああああああああああああああ!」
そして、中嶋への効果は抜群だ。
この悲しい結末は、君だって当然、想像したことだろう。何度も想像した、ほぼ確定の未来といってもいい。だからこそ、それを覆したくて悩みに悩んで、それでも剣崎を振り向かせるに足る確証も自信も得られなかったのだ。
効かないはずがない。本気で惚れれば惚れるほど、コイツは効く。
「僕はね、ここまで悩んで努力を重ねた君の行動を、こんな風に無にしたくはないんだよ」
「う、ううぅ……でも、僕は……剣崎さんの、気持ちは……」
「剣崎の気持ちなんて、どうでもいいじゃないか」
「……えっ?」
「裏切り者のあんなクソ女の気持ちなんて、君が慮る必要なんて欠片もない。いいかい中嶋君、君のように誠実で真面目な男が、ここまで心を痛めて剣崎のことを思っているんだ————なら、剣崎は君のモノになるべきだろう?」
「も、桃川君……何を、言って……」
「尊重すべきは剣崎の気持ちではなく、君の気持ちだ。あんな女の言うことを真面目に聞いて、再びアイツを蒼真ハーレムに参加させて、それで君は満足するのかい? 蒼真君と結ばれるワケでもなく、ただ侍らせて曖昧な関係性のままに戻して、それで君は本当に納得できるの?」
「そんなの……そんなの、満足も納得も、できるワケないじゃないかっ!」
「うんうん、そうだよね。その通りだよ。蒼真君はどうせ、剣崎だけを選ぶことはしない。君の諦めがつくほどに、幸せの形で治まることは決してありえない」
だから、剣崎は中嶋のモノになっちゃえばいいんだよ。
というか、僕がもう剣崎を蒼真君に近づかせる気はないのだ。『双剣士』としての強さ。そしてここ一番で垣間見えてしまう心の弱さ。黒幕小鳥遊に自らつくという、決定的なまでの裏切り行為。
あんな女を抱え込んでいて、マトモにやっていけるワケがない。
これはダンジョンを出た後の話である。アストリア王国とかいう人間の国で、僕ら全員が無事に辿り着いたとして、それからどうするかと仮定した場合だ。
平和な王国で、剣崎が再び蒼真ハーレムに戻ったとしよう。そうすれば、あの女は確実に僕への復讐を画策するはずだ。
そこに正統性もクソもない。ただ自分がこれだけ嫌な思いをした、その元凶が全て桃川小太郎にある、と奴自身が思い込んでいるのだから仕方がない。
たとえアストリア王国まで無事に逃れられたとしても、そこでこんな危険思想のクソ女を野放しには絶対にしたくはない。
本当は小鳥遊諸共、殺すのが手っ取り早いけれど……中嶋と蒼真君、二人の心象のために、ひとまずは剣崎も生かす方向性で行く。なんか上手いこと、僕の責任にならない範囲で事故死とかしてくれれば万々歳だけどね。
ともかく、そういうワケで悪運強く剣崎が最後の最後まで生き残った場合、コイツを封印する最善の手段が、中嶋なのだ。
「僕はね、こんなにも思い悩み、苦しみ、そして僕らに惜しみない協力をして戦ってくれる君の気持ちが敗れるなんて、とても納得できない。剣崎は絶対に、君と結ばれるべきなんだ」
「そこまで、僕のことを思ってくれているなんて……で、でも、やっぱり剣崎さん自身の気持ちを、裏切るようなことは……」
「ところで中嶋君、孫悟空の頭の輪っか、知ってる?」
「え? なに、孫悟空?」
「あと、バトルロイヤルで定番の、爆弾首輪とか。異世界ファンタジーの奴隷エルフがつけている隷属の首輪とか」
「いや、うん、何となく分かるけど……いきなり、何の話?」
「実は僕、この度、呪神ルインヒルデ様より新しい呪術を授かって」
「そ、そうなんだ」
「『禁呪解法』という、錬成能力をさらに強化するような呪術なのだけれど————これで、相手を隷属させられる呪いのアイテムが作れるとしたら、どう思う?」
そして翌日。早朝。
「桃川君、僕はやるよ! 何でも言ってくれ!」
僕のエントランス工房に、ヤル気溢れる社員の声が響き渡る。
「ありがとう、中嶋君。こんな朝早くから、悪いねぇ」
「いや、当然だよ。桃川君には、僕のワガママを聞いてもらっているワケだし、協力は惜しまない」
覚悟を決めた強い眼差しで、中嶋はそう宣言する。
エントランス工房の始業時間は朝食を終えた後の8時30分からなのだけれど、特に夜更かしするような生活をすっかりしなくなった今の僕は割と早起きで、そうなると工房で作業するのが一番の時間潰しとなる。
基本的に朝から仕事してんのは、好きでやってる僕くらいだけれど、今日からは中嶋も一緒になるようだ。
「それじゃあ、とりあえずそこに山積みになってる武器の分解からお願いね」
「分かったよ!」
意気揚々と錬成作業に取り掛かる中嶋の背中は、いつもの頼りない雰囲気は消え失せ、覇気に満ち溢れている。
やはりモチベーションが上がると、全く違ってくるよね。
頑張れ、中嶋君。剣崎明日那を淫乱肉奴隷にできるかどうかは、君の頑張りにかかっているぞ!
「————というワケで、中嶋君のためにも、僕も頑張らないとね。レム、準備はいい?」
「おーけー」
と言って、素っ裸でゴローンと僕の前にうつ伏せに寝ている幼女レムである。
決して、いかがわしいコトをしようというワケではない。
まぁ、いかがわしいを通り越して、非人道的なコトをすることになるかもだけど。
「痛覚はちゃんと切ってる?」
「だいじょうぶ。いたく、ない」
「よし、それじゃあ行くぞ————『赤髪括り』」
僕の右掌から赤黒い酸性毒液に塗れた髪の触手が伸びる。
その赤髪の先端が、レムの真っ白い背中をなぞる。ジュウウウ! と幼い柔肌を焼き焦がす残酷な音が響く。
作業に集中していた中嶋も、思わず顔を上げてこちらを見るほど。
けれど、今の僕はそれに弁明する余裕もなく、全力で集中してレムの背中を焼く。
初めての挑戦。けれど、成功の確信がある。ルインヒルデ様は間違いなく、この技を使わせるために、僕に『禁呪解法』を授けたのだ。
「……『黒の血脈』」
赤髪の筆となって、レムに焼き痕を刻み込んでいる最中に、空けておいた左掌から、『黒の血脈』で僕の血を垂らす。
適量がまだ分からないから、少し多めに投入。
赤髪括りの強酸と反応し、朱に染まった煙が立ち上り、鼻孔を刺激する。血生臭いような、煙臭いような、得も言われぬ異臭に眉をひそめながらも、僕は目を逸らさず作業に集中。
そうして、時間にすれば30分も経っていないだろう。けれど、レムの綺麗な背中を傷つける行為に、大いに精神力を削られながら、ついに完了する。
「出来た……呪導刻印『猛き獣』」
『呪導刻印』:呪いの印を刻み込むことで、呪術の力を与える刻印術。日常のお呪いから、禁じられた大いなる呪いまで、刻まれた者の力となる。されど忘れることなかれ。そこに刻まれたのは傷跡であり、誓約でもあり、呪いに過ぎない。
『猛き獣』:荒ぶる猛獣を意味する呪印。敵を圧倒する強靭な筋力、獲物を追う素早い脚力、そして鋭い爪と牙をもって相手を八つ裂きにする獰猛さ。この恩恵を受ける者は、自らが人であることを決して忘れてはならない。
大袈裟な警句がついた説明文が、僕の脳内にリフレインする。
『呪導刻印』、通称『呪印』は、『禁呪解法』を習得したことで扱えるようになった『刻印術』という一種の付与魔法だ。
そして、今の僕が刻める呪印の一つが、『猛き獣』である。
牙が並んだ肉食獣のアギトを思わせる、象形文字のような図形を中心に、ゴーマから学んだ術式をその周囲に円形に配置した。
説明文にもある通り、コイツの効果は単純なパワーとスピードを上昇させる。獣の獰猛さ、という精神的な部分がどこまで影響するかは、実戦でなければ図れないけれど。
ともかく、重要なのは呪印を刻むことで、本当にバフ効果を得られるのか。それがどれくらいの効果があるのか、という部分である。
「レム、大丈夫?」
「だいじょうぶ」
と言って、背中の痛みなど全く感じさせない動きで、すっくと立ちあがる。
おっと、可愛い裸が丸見えだ。すぐ傍に用意していたローブをバサっと被せて、お着替え完了。
これからレムには、筋力と脚力の測定を行ってもらう。
素の状態のレムのスペックはすでに記録済み。か弱い幼女姿だけれど、地味に成人男性の平均を確実に上回るだろう身体能力を発揮することは明らかになっている。
「さて、僕の刻印術がどれくらいの効果を発揮するか……確かめさせてもらおう」
これで刻印術がクラス全体の強化に繋がる神呪術となるか、しょっぱい上昇値でクソ呪術界の新エースになるかが判明する。
果たして、その効果や如何に————




