第307話 恋愛禁止ブレイカー
あっという間に二週間が過ぎ去った。
装備製作は急ピッチで進められ、狩りによる素材調達もギリギリまで行われた。そうして完成した新装備の実戦試験、作戦の綿密な打ち合わせと練習。
小太郎は何日か徹夜した日があった。杏子は夜食を作って差し入れしたし、リライトはあまり役に立たずとも手伝いを買って出た。姫野は強制的に徹夜に付き合わされた。
そうして、どうにかこうにか、二週間で作戦実行までの目途が立つ。美波に伝言を頼み、王国攻略の日時と、当日の具体的な行動計画と指示が涼子へと送られる。彼女へ連絡をした以上、もう後戻りはできない。
そんな作戦前夜。
戦勝祈願の祝杯を挙げ、出来る限りの豪華な料理を平らげた後のこと。広い本拠点の一角に、二人の男女の影がある。
「まぁ、座れよ芳崎」
「はぁ……なんでアンタと二人で二次会しなきゃいけないのよ」
一本の酒瓶を手にする上田と、渋々といった様子で座り込む芳崎。
「いいじゃねぇかよ、まだもう少し飲みてぇ気分なんだ」
「二日酔いでつぶれたりしたら、ぶった切るぞお前」
言いながら、彼女もまた飲みたい気持ちもあったのだろう。大人しくグラスを差し出し、上田の注ぐがままにする。
赤ワインのような透き通った赤紫色の液体が満たされ、二人のグラスが合わさる。乾杯。
「つーか、この酒はどっから持ってきたのよ」
「安心しろよ、ちゃんと桃川から貰って来たやつだから」
「ホントかぁ? アタシを共犯にするんじゃねぇぞ」
「いやマジで大丈夫だって。どんだけ信用ねーんだよ俺ぇ」
酒の管理は小太郎がしている。こんな状況下では、双葉酒造の味には敵わない桃川製密造酒でも、大切な嗜好品。酒を造れるのは小太郎だけで、その配分も平等に。些細なことだが、だからこそ小さな不満の積み重ねが大きな不和を招くことを、彼はよく知っている。
そして、杓子定規に公平な配分のみを実行するだけでも不満になるということもまた、小太郎は理解している。
故に、この酒は小太郎が上田の気持ちを汲んで託した一本なのだ。コイツをくれてやるから、それで芳崎博愛を誘って来いよと。
そして今、二人きりで飲むに至る。
酒の勢いもあり、二人の間に気まずさなどは一切ない。
平和な学園生活の頃は、多少の話をする程度の関係性。学園塔で合流してからは、仲間の一人として。そして小鳥遊によって締め出され、五人で限界ギリギリの放浪生活に、再び小太郎と組んで————この短い間で、随分と仲が深まったものだ。お互い、本気で命を預け合ってきているのだから、当然と言えば当然でもある。
だが頼れる戦友という、それ以上の感情を持つに至るのもまた、ごく自然なことであろう。それが男女というものだ。
「————おい、ボトル空いちまったぞ」
「ん、おお、そうだな」
今や懐かしい学園生活の思い出話とバカ話に花を咲かせていれば、あっという間に一本空いてしまった。小太郎から貰えたのは、この一本だけ。
二本目も三本目もない。この一本でケリをつけてこい。上田はそう言われた気がした。
「いいのかよ、このまま解散しちゃって」
「……いや、よくねぇ」
よくねぇよ。そう、上田は小さく呟く。
しばしの沈黙。だが、男、上田洋平。意を決して、口を開く。
「芳崎、今夜は俺の部屋に来いよ」
「ぶふっ」
渾身の誘い文句は、嘲笑と共に一蹴された。
「ちょっ、なに笑ってんだよ! 俺は本気だっての!?」
「いや、ギャグで言ったらセクハラだし」
皮肉気な笑みを浮かべる芳崎に、上田は「くそぉ」と悔しそうに呟いた。どうやら、脈は全くなかったらしい。
「やっぱ天道かよ」
「それもあるけど、なくても今アンタとどうこうするつもりはないから」
「ぐっ……そ、そこまで俺には魅力がねぇかよ」
「ああ、ゴメンって、男として自信なくすほどじゃあないのは保障したげるから、泣くなよ」
「そんな微妙なフォローされても、泣きたくなるっての。ったく、こんだけあっさりフラれるなんざ、マジで俺バカみてぇじゃねぇーか」
「あはは、だから拗ねんなって」
笑いながらも、芳崎は上田をそこまで悪くは思っていないと語る。
顔は人並み、身長も人並み、頭も運動神経も、そして性格も、上田はこれといって突出したものがない、実に平均的な男子高校生と言えよう。それは正しくどこにでもいるような、けれど特に欠点やコンプレックスなどもない、十分に恵まれたスペックとも言える。
そんな普通な上田は『剣士』という普通の天職を獲得し、普通に強くなった。今の彼の実力ならば、ゴグマと一対一で戦っても危なげなく制することができる。
「なんだかんだで、ここまで付き合ってきてんだ。アンタのことは結構、信頼してるし、認めてっからさ」
「でも男としては見れねぇと」
「そうでもないよ。今のアンタは、結構いい男になってる」
「だったら————」
「悪いけど、アタシこう見えて男と付き合うのは慎重な性格なんだよね。だから、こういう勢いで、みたいなのはちょっと」
ここには、限られた人数の男女しかいない。ただでさえ命がけのダンジョンサバイバルで、その上、ゴーマ王国攻略という大きな戦いを前日に控え、さらには小鳥遊という裏切り者をなんとかしなければならない。
追い詰められた状況。だが決して絶望的ではない。僅かな可能性に、希望に賭けて全力で戦い、道を切り開く————なんて時に、男女の関係を持ちたいとは、芳崎博愛は思わなかったのだ。
「こっちに飛ばされる前はさ、アタシも普通に彼氏いたんだけど」
「ああ、知ってる。なんか大学生の奴だろ?」
「そっ、大学生の男と付き合ってるなんてチャラすぎる、みたいに言われることもあったけどさ、あれでちゃんと真面目にお付き合いしてたのよ」
その大学生の彼氏君は、実は子供の頃の幼馴染であった。少し年上の、かっこいいお兄さん。初恋するにはちょうどいい相手。
お互い転校で離れたけれど、芳崎は白嶺学園に合格し実家を離れて通うようになった時、そこでまさかの再会。芳崎が一年の時、彼は三年生でまだ学園にいたのだ。
それから、幼い頃の思い出が二人の仲を自然に後押しし、一年間は友達付き合いを続けた。そして彼が卒業する時に告白され————と、そんな流れである。
「彼のことはちゃんと好きだった。優しくて、いい人だった。アンタよりもイケメンだったしね」
「うるせぇ、昔の男自慢なんか聞きたくねーっての」
そんな自慢の彼氏がいても、この異世界に飛ばされれば何の意味もない。彼は傍にはいない。ここにいるのは、二年七組のクラスメイトだけだから。
「そんなとこで天道君と会ったんだぞ」
「付き合うのは慎重じゃあなかったのかよ?」
「価値観変わるくらいだったってこと」
ちょっと頼れる男が現れたくらいで、簡単に好き好き言い出すような軽薄な性格ではないと思っている。
だが、このダンジョンサバイバルの極限状況下では、天道龍一の存在はあまりにも圧倒的に過ぎた。彼氏のように細やかな気遣いができるワケではない。自分だけを見つめてくれるわけでもない。
それでも、天道はこんなクソみたいな最悪の状況でも、恐れず、迷わず、堂々と前へと進んで行ける男だ。強い男だ。
そして、そんな強い男は気遣いの一つもしてくれることはないけれど、芳崎達を守ってくれた。傷ひとつつくこと許さず。嫌な思いもさせてこなかった。
これで女として、惚れなければ嘘だ。
だから杏子はとんでもない恩知らずだと思っている。一番お荷物だったくせに、よく平気な顔で天道に守り続けてもらったものだと。
でも桃川にあそこまで入れ込むほどのショタコンだったなら仕方がない。性癖は十人十色。芳崎は友達の性的嗜好には理解のある女性なのだ。
「天道君のことは今でも本気で好き。だから、アンタくらいしか男の選択肢がない状況でも、それだけで選びたくはないの」
「そ、そうかよ……」
「ねぇ、ここを出られたらさ、どんな世界が広がってると思う? もしかしたら、この世界の人間ってすっごいイケメンや美女ばっかかもしれないじゃん」
「なんだそれ、考えたこともねぇよ」
しかし、モンスターのいる剣と魔法の異世界である。小太郎と違って特に詳しくもなんともないが、エルフやらドワーフやら、有名なファンタジー設定くらいは知っている。
もしも美男美女揃いと有名なエルフなんて種族が実在するならば……確かに、目移りしてしまうことだろう。
「そんな奴らがいっぱいいる中でも、アタシを選べるってんなら————そん時は考えてあげる」
「考えるだけかよぉ」
「当たり前じゃん」
どこまでも残念な表情を浮かべる上田を笑いながら、芳崎は席を立った。
「じゃ、ここを出るまではお預けってことで。大人しく桃川の恋愛禁止ルール守っとけよ」
「ちっ、分かったよ。もう二度とこんなこと言わねぇ……ここを出るまでは、な」
上田の思いがどこまで本気なのか。知ってか知らずか、芳崎は軽く手を振って部屋を出て行った。
「くっそ、やっぱもう一本、桃川に貰っとけばよかったぜ」
空になったグラスを恨めしそうに眺めながら、上田はその場で突っ伏すようにして不貞寝することにした。
一方の芳崎は、自室に戻らずキナコの下へ向かい、静かに寝息を立てる巨大なモフモフを目いっぱいに堪能しながら、眠ることにした。
また別の一角では、二人の男が話し合っていた。
「おい、中嶋」
「なにかな、山田君」
山田元気と中嶋陽真。かつては共に『淫魔』の毒牙にかかっていた二人であるが、姫野のパーティに加入した時期はちょうど入れ違いなので、この二人の間にはこれといって確執はない。クラスでのほどほどな関係性と、後は学園塔からの付き合いとなる。
だからこそ、二人は気兼ねなく話せるようになっていた。
山田はいつもの仏頂面で、けれどいつも以上に真剣な色を宿した目で、中嶋を見つめて言った。
「お前、まだ剣崎のこと好きなのか」
「えっ、それは……」
あからさまに言いよどむ中嶋。しかし、山田相手に隠すようなことでもないと割り切ったのか、素直に白状した。
「好きだよ。剣崎さんは、僕にとっては憧れの人だから」
「悪いことは言わん。あの女のことは忘れろ」
「別に……山田君には関係のないことでしょ」
「アイツと関係ない奴なんか、ここには誰もいない。俺のような男が言えた義理ではないかもしれんが、剣崎は許されないことをした」
あの砦に駆けこむ時、足の遅い山田はみんなの最後尾を走っていたが、それでも姫野の凶行ははっきりと目にしている。驚きはあった。まさか、あんなことをと。
けれども、すぐに納得もした。剣崎はもうマトモじゃない。あんなことを仕出かしてしまっても、おかしくない。
「お前は剣崎のことが好きでも、アイツはお前のことはなんとも思っちゃいない。桃川と一緒にいるとこ見ただけで、裏切り者の敵だと思って斬りかかって来てもおかしくないだろう」
「そんなことない! 話せば、ちゃんと話せば分かってくれるよ。山田君に、彼女の何が分かるっていうんだ!?」
「分かるさ。アイツは自分が正しいと思い込んで、それに従わない奴らを悪だと断じている。ちょっと前まで、俺も似たようなもんだったからな」
姫野と合流してからは、一番強かった自分が彼女の体を独占していた。自分が一番。万能感と全能感に支配されていた。
女の体で快楽を貪り、他の男達は従わせる。そんな立場にたって、理性を保てる男なんて一体どれだけいるだろうか。山田もまた、ありふれた普通の男子高校生に過ぎない。自らの行いを顧みる、などという立派な心掛けをもつことなど、できるはずもなかった。
「俺は、それがどれだけ馬鹿な考えだったかを思い知ったんだ。ヤマジュンが死んだ、あの時にな……けど、剣崎は変わらなかった。最初は桃川を突き飛ばし、今度は姫野を蹴り飛ばした。罪ばっかり重ねて行っちまって、もう取り返しがつかねぇ。だから尚更、意固地になって自分の正義にしがみつくしかねぇんだよ」
「そんな分かったような口を利かないでよ。そんなの全部、山田君の一方的な感想じゃないか」
「まぁ、そうかもな……だが、これだけは覚えておいて欲しいんだ。いざとなれば、剣崎はお前を斬るのに何の躊躇もねぇ奴だ。俺はもう、誰にも死んでほしくねぇ……仲間が死ぬのを、見るのは絶対に御免なんだ」
ここまで言われれば、中嶋も安易な反論は言えなかった。
山田の言葉は、全て中嶋を思ってのこと。ただ、彼の身の安全を願っての忠告なのだ。
「……心配してくれるのは、ありがたいよ。山田君はあの時も迷わず、ゴグマを止めて僕達を逃がしてくれから」
「あんなの、大した意味なかったけどな。桃川が来なけりゃ全滅だった」
「でも、僕には山田君と同じ真似はできない。僕は、弱いんだ……」
悩んでばかりで、何も解決できない自分が心の底から嫌になる。
姫野を上中下トリオにとられて、モヤモヤした気持ちのまま逃げ出した。結局、再び姫野と出会って、また同じような関係性に戻った。学園塔では、決められるがままに戦った。そして今は、裏切り者と罵った桃川に助けられ、彼の仲間として迎えられている。
中嶋陽真という男は、こんなダンジョンに落とされ、『魔法剣士』という力を得ても、何一つ自分で決めてことなかった。唯一自発的にやったのは、姫野パーティから逃げ出したことだけ。
何も決断できず、何も成していない。
けれど、だからこそ剣崎明日那の姿は眩しく映った。
彼女に剣を教わって、よくやったと褒められることが、何よりも嬉しかった。
堂々とした態度、美しく凛々しい姿。そんな女性に自分が、こんな自分が認められたというだけで、天にも昇るような気持ちになった。
それこそ姫野の体をつかった快楽さえも、全く魅力的に思わなくなるほどに。
「中嶋、お前はよくやってるさ。俺らは誰が欠けても、生き残って来れなかったんだ」
「山田君は吹っ切れたからいいよ。でも僕は、剣崎さんのことが忘れられないし、だからといって彼女を救って、振り向かせられるような方法も考えつかないし、それができる魅力も実力もないことも、分かってるんだ」
「なぁ、そう悩むな。今は戦いに、俺達が生き残ることに集中しろ。桃川の計画は聞いているだろ」
「うん……」
「なら、俺達はそれを実行するしかねぇ。実際、それしか俺ら全員が無事に生き残れる未来はねぇからな」
「うん、そうだよね……」
「剣崎のことは、全て丸く収まってから考えりゃいいだろ。この状況を脱しなきゃ、惚れた腫れたもねぇんだからな」
「……山田君は、本当に桃川君が剣崎さんを生かしておくと思う?」
「アイツを信じろ。桃川は俺達クラスメイトの気持ちを踏みにじったことは、一度もねぇ」
山田はすでに、覚悟を決めている。桃川小太郎を信じると。
次はたとえ、毒を盛られたとしても、甘んじて倒れよう。それが最善の方法だと彼が信じて実行したならば、自分はそれに殉じてやろう。
しかし、中嶋にはとてもじゃないが、それほどの覚悟など望めるはずもなく————
「ああぁー、陽真くぅん、ここにいたぁーっ!」
重い沈黙をぶち壊す、能天気で甘ったるい甲高い声が響き渡る。
「げえっ、姫野さん」
「なんだよ、まだ起きてたのか」
「ちょっと酔っちゃったから、涼んで酔いを醒ましていただけぇ」
などと言いながら、すかさず中嶋の隣にピッタリと寄り添うように着席する姫野。
反射的に距離をとろうと尻を浮かす中嶋だったが、すでに姫野に腕を絡め捕られて無駄に終わった。
「おい、俺はもう寝るからよ……姫野、中嶋のこと頼んだ」
「うん、ありがとう山田君。おやすみぃー」
「えっ、ちょっと、山田君!? 僕を見捨てるの!」
「明日は大変だからな、お前らもほどほどにしておけよ」
「そんな、友達だろ!?」
中嶋の泣き言をまるで聞こえないように、山田は「じゃあな」とだけ言い残してその場を後にした。
部屋の外に出てから、山田はポツりと呟く。
「俺の友達は、ヤマジュンだけだ……ヤマジュンだけ、だったんだよ……」
重い足取りで暗い通路を歩き、自室に向かっていた山田だったが、
「ひゃっはぁ、ここから先は通さねぇぜ」
「……葉山? お前なにやってんだ、こんなところで」
わざとらしいほど両手を広げて、通路を通せんぼするように現れたのは、葉山理月であった。
彼の足元にはベニヲとコユキが寄り添っている。キナコはもう寝たようだ。
「悪いけど、今夜はこっから先には行かねぇでくれよ」
あっちにちゃんと寝床用意しといたからさ、と葉山が指さす。
「まぁ、別に何でもいいけど。どういうアレなんだよ?」
「ああ、今夜が蘭堂の勝負だからな。邪魔が入んねぇように、俺は気遣ってやってるってワケ」
「ったく、どいつもこいつも……」
呆れたように大きな溜息を吐く山田。
上田が芳崎を誘ったことは知っている。中嶋を狙って姫野がすり寄って来たのも、今さっき見てきた通り。
けれど、まさか桃川を狙って蘭堂までが動いているとは思わなかった。
しかし、考えてみれば彼女の思いもまた本物だ。ヤマタノオロチ討伐戦に匹敵する大戦を前に、そういうことをしてしまうのも理解できる。
なにせ蘭堂杏子は、あの毒殺疑惑のただ中で、桃川を信じてついていった唯一の人物だ。その思い、その覚悟、紛れもなく本物だ。
「しょうがねぇな」
「悪いな、山田。お詫びに、今夜はコユキを抱っこして寝てもいいぞ」
んなぁ、と眠たい声をあげるコユキをリライトは差し出す。
「……ったく、しょうがねぇなぁ」
言いつつも、頬を緩ませて山田は可愛い子猫ちゃんを抱いて寝床へ向かうのだった。
 




