第294話 共同潜入作戦(2)
いやぁ、マジで夏川さんが仲間に加わって良かったよ。まさか、こうも簡単に王宮まで侵入できるとは。
現在、僕らは六つの石板がある大広間、その天井裏にあたる場所に隠れ潜んでいる。ここはゴーマも把握していない、ダクトみたいな狭い隠し通路だ。
王宮に潜入できたのは、夏川さんが早くも隠し通路を発見してくれたからで、このダクトも彼女が見つけてくれたものだ。
曰く、この遺跡はかなり機能が生きているようで、他の場所とは段違いに様々な仕掛けがあるのを感じるという。お陰で、かなりの数の隠し通路・扉の発見に至っている。
これらを駆使すれば、そこら中に兵が配置されて警戒が厳重な王宮内も安全に探索ができるというものだ。奴らの知らない隠れ場所が、幾つもあるなんてヌルゲーもいいとこだよね。
「桃川君、あの並んでる石板から、何か情報とれそう?」
「アクセスできれば、間違いなく何かしらあるだろうね。あんな配置の石板は初めてだし、もしかしたらサーバールームみたいな————」
などと天井の隠し扉を開いた隙間から、無人の広間を観察していると、門の方から大きな足音と声が響いてきた。息を殺して、僕らは広間の観察を続行する。
最初に現れたのは、白い髭を生やした皺のあるゴーヴと、派手な鎧兜を纏ったゴーヴであった。オーマ以外にもああいうジジイみたいなのがいるのか。鎧の方は、まぁ普通の感じだけど。
両者ともゴーヴに見えるが、ここの門番を務めているゴグマから明らかに敬礼みたいな動作をされているので、位が高いのは明確だ。横道討伐戦でMPKした時のゴーヴ将みたいな感じだろうか。
そんな偉そうな雰囲気を漂わせる二体は、迷わず広間を進み……石板に座っちゃったよ。
流石はゴーマ。古代の情報端末を椅子として認識するとは。野蛮人と呼ぶのもおこがましい低能ぶりである。
そんな僕の感想をよそに、二体のゴーヴは石板椅子の上で偉そうにふんぞり返りながら、ぽつぽつとお喋りをしていた。
相変わらずゴーマ語は分からないけれど……
「あのヒゲ生えたジジイみたいなのが、ジジゴーゴ。鎧の方がバンドン、って名前らしい」
「えっ、桃川君、ゴーマの喋ってること分かるの!?」
「そんなの分かるワケないじゃん」
今回の潜入で、僕はかなりゴーマ共の日常会話をリスニングしている。
ただ聞き流すだけのナントカラーニングではなく、割と真面目に分析とかしているのだけれど……どう考えてもコイツら、同じ意味の言葉を全く別の発音で喋っているのだ。
市場を少しばかり張り込んだ時、物々交換の交渉など低能なゴーマなら必ずどいつもこいつも同じような内容、少なくとも売り買いに関する単語は頻出になるはず。だというのに、単純な発音の言葉だけでは類似性がほとんど見られなかった。
つまり、ゴーマの店主が商品の毛皮を指して、「ガバァ」や「ゲバァ」と言ったり、「ゾンガラ」とか「ブザドー」とか、他にも色々な呼び方をしているのだ。マジで意味が分からん。毛皮を意味する単語がそんなに大量にあるとは思えないし、他のモノに関しても同様だ。
恐らく、ゴーマ語の発音そのものには意味がないのだろう。奴らは音程とか音域とか、きっと人間には聞き分けられない部分で言葉を理解しているのではないだろうか。
なので、どんなに奴らの言葉を書き起こして、発音と意味を照らし合わせようとしても無駄になる。僕ら人間が聞き取る限りにおいては、奴らの発音に意味などないのだから。
「でも、何故か名前だけは分かるんだよね」
そう、ゴーマにつけられた名前に関してのみは例外だ。だから明らかにお互いを指して、「ジジゴーゴ」、「バンドン」と呼び合っているのを僕は聞き取り、それが二体の名前だと理解できた。
そして名前を持つ者というのは限られる。コイツらはゴグマが頭を下げるほどの地位にある、特別なネームド個体。
ならば、コイツらこそがザガンと同じくギラ・ゴグマという可能性が高い。
「あっ、また別のが来たよ」
夏川さんの言う通り、さらに新たなゴーヴが三体、広間へと現れた。
先頭を切って大股で進んでいくのは、金色のネックレスと真っ赤な腰布だけを巻いた半裸スタイルなゴーヴ。筋骨隆々のゴーヴらしいマッチョ体型だが、目を引くのは全身に走る赤い刺青。ただのファッションだとは思わない。間違いなく、あれは何かしらの魔法陣としての機能を持つ文様だ。僅かながら、刻まれたゴーマ文字に、僕が知っているものがあるし。
赤い刺青野郎に続くのは、チンタラ歩く妙に細い奴だ。
ゴーヴらしく筋肉はついているが、引き絞った細マッチョな感じである。前が開いた、ゆったりしたローブを纏っており、もしかすると魔術師クラスなのかも。
最後に歩く三体目は、ゴーヴなのかゴグマなのか判然としない、中途半端にデカい奴だ。パっと見ではゴグマのような力士体型だが、それにしては明らかに小柄である。だがゴーヴとしては頭二つ分ほど大きい。
そんな半端デブは、「ブゥー、ブゥー」と呻きながら、石板を圧し潰すように座り込んだ。なんだろうね、この横道感は。
そうして、新たな三体を加えたゴーヴ連中は、一気に騒がしくなった。
特に、あの赤いヤツがうるさい。言葉は分からないのに、先に来ていたジジイと鎧に対して、全力でイキり倒しているのが分かってしまう。
「あの赤いヤンキーみたいなヤツが、バズズ。ダラけた細いのがギザギンズで、デブがボンだ」
「やっぱりゴーマ語分かるんじゃないの?」
「そこは引いたような顔しないで、素直に褒めて欲しいんだけど」
全く、少しでも有益な情報収集するために、耳障り最悪な汚らしいゴーマ言葉に一生懸命、耳を傾けているというのに。
「あの石板を椅子代わりにしているなら、恐らく、あともう一体」
来るだろう、と思っていれば案の定、最後に一体が広間へと現れた。
「アイツは……」
その立ち姿、正に威風堂々。一目で分かる、ただのゴーヴではないと感じさせる。
見た目こそゴーヴとさして変わりはない。やや大柄か、という程度。
しかし刺青の走る逞しい肉体に纏ったローブと、極彩色の飾り羽に、金と宝石の装飾品を身に着けた姿は、王であるオーマに次ぐ豪華な装いだ。衣装だけでも特別な地位にあると判別するには十分だが……やはり、あのゴーヴそのものに、底知れぬ力強さを感じてならない。
間違いない。アイツがここにいる連中の頭だ。
僕の判断を肯定するように、リーダーゴーヴが最後に残された、一番奥に当たる石板へと腰を下ろした。
そうして、リーダーを中心として奴らの話し合いが始まった。
「————見てよ夏川さん、敵幹部会議だよ」
「敵幹部会議?」
「敵の幹部が集まって、なんか重い感じで話し合ってる会議だよ。漫画とかで見たことない?」
「えっ、私、そんなに詳しくないし、よく分かんないかも……」
「まぁ、いいや。とにかく、これで王国最強の『ギラ・ゴグマ』が六体いることは分かったし……やっぱり、アイツが『ザガン』か」
話している内容は全く分からないが、それでも必死のリスニングと、奴らの雰囲気から分かることはある。
話に聞いた、中井と野々宮さんを殺したザガン。奴らは口々に、リーダーを「ザガン」と確かに呼んでいる。そうでなくても、実際にザガンを夏川さんが見たことあるので、姿を見れば一発で分かったことだけど。
それでも、ここで最も警戒すべきザガンの姿を僕が直接目にできたのは僥倖だ。おまけに、ここにいる他の五体も、全員がギラ・ゴグマであることが分かったのも大きい。
ザガンに対して対等な口を利けているので、同じギラ・ゴグマである可能性は極めて高い。たとえ外れだとしても、弱いに越したことはないし。
ザガンと並び立つような、特別な地位にある奴らが五体いるのだと、分かっただけで十分だ。
「あっ、終わったみたい」
イキり担当のバズズを筆頭に、ヒョロガリのギザギンズと「ねぇ、アイツ食っていい?」とか言ってそうな頭の悪いデブのボンが、広間を出て行った。
残ったザガンとジジゴーゴ、バンドンの三体は、真面目な感じでしばらく会話をしていたが、ほどなくして席を立ち退室していった。
広間の門は閉ざされ、再び無人となる。
「ふぅ、これでようやく石板にアクセスできるよ」
ザガン率いる幹部級を見れたのはラッキーだったけど、元々の目的は石板からの情報収集にある。
「私が先に降りようか?」
「いや、僕だけで行く。ここからは万一の場合があるし、夏川さんはここに隠れていた方がいいよ」
「分かったよ。じゃあ、お願いね?」
任せろよ相棒、とばかりに親指を立てたハンドサインを返してから、僕は『黒髪縛り』で形成した縄梯子を伝って、そっと広間へと降り立った。
奴らが日常的にここを会議室として利用しているので、罠などはない。夏川さんもそこはサーチ済みである。
僕はソロソロと歩みを進めて、まずはザガンが腰かけていた石板へと触れる。
「さーて、どんなお宝情報があるのかなー」
「————いやぁ、本当にありがとね、夏川さん」
「ううん、私も桃川君のお陰で石板の情報とか仕入れられたし」
実に三日間に及ぶ王宮と要塞の潜入調査を、ようやく満足いくだけの情報収集が出来て終わりを迎えることとなった。
夏川さんには、本当に助けられた。隠し通路の発見は勿論、単純に気配察知の精度と、敵の目を掻い潜る隙を見つけるのが神懸かり的である。これなら、どんな場所にでも忍び込める『盗賊』になれるだろう。絶対に敵に回したくないな。
「これで、後は無事に夏川さんを帰してあげるだけなんだけど……」
「困ったなぁ、流石に警備が厳しすぎるよ」
現在、僕らは要塞の一角に発見した隠し小部屋に引き篭もっている。五階建てほどの高さに位置しており、隠し窓の隙間から要塞内と外に広がる町並みを一望できる穴場スポットである。
そして、眼下の光景は三日前とは比べ物にならないほどの数と頻度で巡回している、ゴーマ兵達の姿が。
「やっぱりあの敵幹部会議は、僕らの出現を警戒して王国の警備を強めることを決めてたんだろうね」
「そうだね、私達のことはとっくにバレてるし……」
警備体制の増強は、どう考えても僕ら対策である。この潜入こそバレてはいないが、オーマは圧倒的に少数な僕らを甘く見ることなく、襲撃に備えて厳戒態勢を敷くことを決めたのだ。
ここは大いに舐めて、余裕ぶっこいて欲しかったんだけど。防備を固めるとは、ゴーマの大将の癖に堅実な策を取りやがって。
「みんな、大丈夫かな」
「大丈夫でしょ、小鳥遊が選んだ隠し砦なんだし」
夏川さんに聞けば、なんでも五人を締め出して入り込んだ古代の砦は随分と快適だそうじゃあないか。衣食住の充実ぶりは、僕らが苦心して作り上げた学園塔を凌ぐほど……おのれ小鳥遊、やはり生かしておけん。妬ましくて嫉妬心がメラメラだよ。
しかし、安全の保障された閉鎖環境にあるなら、ひとまずメイちゃんも小鳥遊に手出しされることはなく現状維持のはずだ。奴が排除に動くなら、やはり砦を出て攻略を始めた時になる。
「とりあえず、今は無事にここから脱する方法を考えるのが先だね」
「王宮は隠し通路が沢山あるからいいけど、要塞の方はちょっと警備の数が多すぎるよ。あれじゃあどこを通っても、絶対に誰かしらの目があるから」
如何に夏川さんといえども、隙がなければどうしようもない。狩猟大好きエイリアンのようなステルス迷彩でもなければ、肉眼による目視という絶対的な監視から逃れることはできない。
「邪魔な奴を始末するのも、限界あるしね」
三体くらいまでなら、僕と夏川さんの連携があれば悲鳴も上げさせずに始末できる。けれど、それくらいの少数単位で行動している奴らは少数派である。
それに、要塞内ではブタガエルの川で死体の処理もできないし、その辺に隠すのもゴーヴのデカい体を数体分は苦労する。それに巡回が密だから、隠蔽工作に手間取ると、次の奴らに発見という本末転倒なことになるかもしれないし。
「桃川君、何かいい方法ないかな?」
「もう、すぐそうやって作戦を僕に丸投げするんだからー」
でも頼られるのは嫌な気分じゃないよ。やれやれ、僕がいないとやっぱりダメなんだよね。ドヤァ。
「まぁ、こうなると陽動作戦しかないよね。適当に騒ぎを起こして、混乱すればどっかしらに穴は出来るでしょ」
「そんな簡単に行くかなぁ?」
「行くよ、ゴーマはバカだし。騒ぎが起こったら絶対みんな、何も考えずにワラワラ集まって来るね」
ゴーマ軍が突発的なアクシデントに対して、全く隙を作らずに対処できるとは思えない。何かが発生すれば、誰もがそちらに注目する。そんな時に、ウチの奴らもそっちに出張ったらここに警備の穴が出て危険だ、と判断して持ち場に踏みとどまるように指示を出せる上官が、一体どれだけいるだろうね?
僕がこの王国に潜入してから、どれだけお前らを見てきたと思っている。
人間並みの知恵、思考力、想像力、判断力を持つのは敵幹部ことギラ・ゴグマだけだ。ゴグマは確かに強力な個体だが、アイツらは戦闘力全振りで、どう観察しても知的なところは見られなかった。精々、自分より格上の者に対して忠実に従うくらいなもんだ。
つまりゴーマ軍が的確な判断を下せるタイミングというのは、トップに近い幹部クラスの命令が発せられた時だけだ。その前の段階である、現場の指揮官ゴーヴくらいでは大した判断力はない。
まぁ、外敵なんて野生のモンスターくらいしかいない今までの環境なら、危機に駆け付けたり、逃げずに踏みとどまって戦うことさえできれば十分な対応だっただろう。
けれど、悪意を持った人間が相手を陥れることに知恵を振り絞ればどうなるか……人間様の恐ろしさ、見せてやるぜ下等生物共。
「というワケで、今回狙うのは鍛冶場です」
「鍛冶場? なんで?」
「常に火が絶えないし、灼熱の溶鉄がそこら中で流れてるんだ。事故った時に被害が広がりやすい場所だよ」
それに、一時的にでも奴らの生産設備を停止させられるのはこちらのメリットになる。さらに鍛冶場は奴らの中でも特殊な施設なので、壊れればそう簡単に復旧することはできないだろう。
もしかすれば、一度壊れてしまえば二度と治せない魔法の道具や設備なんかもあるかもしれない。この機会に全部、灰燼に帰してやろう。
「ちょうどこっから鍛冶場は良く見えるし、夏川さんは騒ぎがいい感じに広がったら自分の判断で脱出して。要塞さえ抜ければ、後はどうとでもなるでしょ?」
「うん、ありがとう、桃川君。でも、一人で大丈夫?」
「どうせ分身だし。もし失敗したら、また別の分身を送り込んで破壊工作するから、夏川さんは慌てないでチャンスを待っててよ」
「凄い、テロリストみたいなこと言ってる」
「ゴーマ相手だからね、情け容赦なくテロってやんよ」
「————ありがとうございました」
可憐な微笑みと、丁寧なお辞儀をしてから、彼女は鍛冶場を後にした。
筋骨隆々の大柄なゴーヴ職人と、重労働にヒィヒィ言っているゴーマの下僕が駆け回る、騒がしさと熱気の溢れる鍛冶場にあって、綺麗な白い衣装を纏う小柄なメスゴーマは場違いに見える。
しかし、そんなことに文句をつける者など誰もいない。つけられるはずもない。
何故ならそのメスは、大戦士長ザガンが唯一、娶った妻である。万一、彼女の身に何かがあれば、王国最強の大戦士が飛んでくるだろう。
強いオスなら、メスなど幾らでも。一人に執着する必要などない。しかし、ザガンには彼女ただ一人。その気持ちは誰も理解できていないが、どれほどそのメスを大切にしているかは、要塞にいる者で知らぬ者はいない。
最強の大戦士の寵愛を受けるメスを、ゴーマ達はただ黙って見送るのみ。
「凄い兵士の数……本当にニンゲンの群れが、攻めてくるのかしら」
ザガンから、王国周辺に現れたニンゲン対策のため、王命によって警備の増強がされると聞いてはいた。ここ三日ほどで次々と兵士が投入され、今や要塞内はどこの角にも警備が立っているような有様である。
ニンゲンに対する恐怖はあるものの、少々の息苦しさも感じる。
今日は散歩がてらに、鍛冶場へと注文していたアクセサリーを受け取りにいった。自分のものではない。大戦士長たる夫、ザガンが着飾るための装飾品である。
本人は身分を示すための恰好、というものにあまり頓着していない。戦のための装備さえあれば、という典型的な戦士思考。
王宮に参内するための正装こそオーマ王から賜っているが、細々とした装飾などは妻である自分が用立てしている。取り立てて女性的魅力のない自分が、ザガンの役に立てる数少ない仕事でもあった。
「旦那様、喜んでくれるといいな」
受け取った装飾品の入った革袋をギュッと胸に抱き、最強で最愛の夫の笑顔を思い浮かべて、彼女は笑みを浮かべた。そんな時である。
「……」
不意に姿を現したのは、見慣れない姿をしたゴーマだった。
薄汚れた布地を頭まで被った格好。鎧の類はなく、どう見ても兵士ではない。かといって、魔術師や神官ほど上等な衣装でもない。
下僕や荷物持ちなど、兵士以外のゴーマも要塞内にはいる。特に慣れてない者はうっかり奥まで迷い込んでしまうこともあるだろう。
このゴーマも、たまにいる間抜けな一人に過ぎない————と興味を失いかけた瞬間、彼女は気が付いた。
厳戒態勢となっている今において、迷いゴーマなどありえない。
自分が歩いているここは、鍛冶場から大戦士用居住区画まで向かう道だ。近道として施設の裏手にあたる小道ではあるが、この道に入る前後には警備の兵士が立っている。恰好からして明らかに一般ゴーマと分かる者を、兵士が通すはずがない。
ならば、この者は一体どこから現れた。
そう気づいた瞬間には、すれ違ったばかりの不審者へと反射的に振り返る。
「————っ!?」
キィン、と甲高い小さな音が響くと共に、彼女はよろめいた。
何が起こったのか。戦士ではない彼女には、すぐ理解することはできなかった。
足をもつれさせながらも、何とか踏み留まって顔を上げる。目に映ったのは、手に短剣のような鋭い凶器を握ったゴーマの姿。
そこでようやく、理解した。自分は今、襲われたのだと。
「きっ————」
湧き上がる恐怖心から、メスとしての本能に従って高らかな悲鳴を上げ————ようとして、声は詰まった。
吸い込んだはずの息が、すぐそこにいる兵士達へ知らせる危機の悲鳴となって出るはずが、喉元でせき止められる。どうして声が、という疑問をかき消す息苦しさが、答えである。
首が、絞められていた。細い紐のようなものが首に絡みつき、ギリギリときつく締めあげる。
「————アブラカダブラ(黒髪縛り)」
「カッ————ハッ、アッ————っ!?」
声が出せず、息を止められた恐ろしい混乱の中で、彼女は確かにその言葉を聞いた。
それはオーマ王の操る神聖な魔法とは対極に当たる、邪悪な響きの呪文であった。
「フゥー、ギグ、ゴブラズガ(ふぅー、悲鳴は困るんだよね)」
被った布の奥から聞こえる耳障りな言葉は、ゴーマの言語とは明確に異なる。
この期に及んで、彼女はようやく気が付いた。今、目の前にいるのはゴーマではないと。
「ニン、ゲ————ぐあっ!」
首を絞める拘束の魔法が、さらに彼女の手足も奪う。見れば、それは長い長い、黒い毛。ニンゲンの頭部に生えているという、気味の悪い黒毛であった。
それは蛇のようにうねりながら体中に絡みついてゆき、非力な彼女を石の壁に磔にした。積み重ねられた石垣の隙間から生え出る黒毛によって、声も身動きも完全に封じられる。
「ゾラ、グルジ、ンダバギズバッガ(それにしても、何で刺さらなかったんだろ)」
手にした凶器をクルクル回しながら、捕まった自分の前でニンゲンがブツブツと呟いている。
改めて間近でその姿を見て、本当にニンゲンがゴーマの皮を被って化けているのだと分かった。一体、どんな思考をしていれば、そんな世にもおぞましい発想が浮かぶのか。
その異常性だけで、ニンゲンが如何に邪悪な存在であるか思い知らされる。
そして今、ゴーマ最大最悪の天敵であるニンゲンは、か弱い乙女である自分の体を弄ぼうと————
「ンマァ、ジガギブゼドーガ(まぁ、死ぬまで刺せばいっか)」
弄ぶ間もなく、凶器はあっけなくその身に突き立てられるのだった。




