第290話 目安箱再び
時は江戸。八代将軍徳川吉宗が、政治経済から日常の問題まで様々な意見を集めるために設置した、意見投書用の箱が目安箱と呼ばれるものの代表例である。享保の改革の一環に数えられ、町医者の意見を採用して小石川養生所を作った例もあるので、単なる庶民の声も聞いてますよアピールだけではなかったようだ。
と、この辺までは日本史の授業で習うレベルの知識なのだが……
「まさか、まだ目安箱制度を利用する人がいるとは」
「いや、お前が始めたことじゃねーかよ!」
至極もっともな返しを上田からされてしまった。
夕食も終えて、後は寝るまでの間は自由といった時間帯。僕はわざわざ上田と二人連れだって、適当な空き部屋へとやって来た。
「勿論、話は真面目に聞くから安心してよ」
「頼むぞ、おい」
目安箱、すなわち個人面談式の相談受付制度は、僕が学園塔時代に実施したものだ。でもあんな状況になってしまったので、僕自身、すでに忘れかけていた存在だが、どうやら一応の本拠点を得たことで、個人的な相談を持ち掛けるくらいの与裕は出来てきたようだ。
うんうん、人間は衣食住が満ちればそれだけで幸せにはなれないからね。どんな恵まれた環境でも、悩み事ってのが出てくるわけで。
「それで、相談内容は?」
「あー、なんだ、その先に一個確認しときたいんだが……」
自分から持ち掛けたくせに、やけに言いよどむ上田である。うーん、この雰囲気はアレだな。
「恋愛禁止ルールって、まだ生きてんのか?」
「ごめんなさい。僕にはもう心に決めた人がいるので」
「なんで俺が告ったみてぇになってんだよ!? 勝手に話先回りすんのやめろや!」
いやだって、ねぇ? この期に及んで恋愛相談なんて持ち掛けられた日には、ふざけた返事もしたくなるもんだよ。
「僕としては、まだ守って欲しいとは思うよ。恋愛には面倒事が付き物だから————でも、恋愛禁止ルールの最大の目的は蒼真ハーレムの牽制だし、今はそこまで固く守る必要も、ないといえばないんだよね」
「そもそも恋愛禁止とか言い出したの、お前が蘭堂さんと双葉さんの間で修羅場ったからだろが」
「上田君、クラスみんなで脱出しようと思うのなら、触れない方がいい問題があるっていうこと、分かるよね?」
「悪ぃ、別に解決しちゃいねぇんだもんな、この問題は」
まったく、僕がどれだけ我慢していると思っているんだか。でも葉山君と即合流できなかったら、杏子ルート突入だったのは間違いないけれど。
「ともかく、僕の言いたいことは分かってくれているとは思うよ。その上で恋愛相談とやら、聞かせてよ」
「いや別に、俺が誰を好きかなんてことまで相談するつもりねーよ。ただ、お前はリーダーだからよ、勝手な真似はしねぇようにあらかじめ————」
「まぁ、僕としても上田君と芳崎さんがくっつことに否やはないんだけどねぇ」
「なっ、お前、知ってんのかよ!?」
「ってことは、アタリ?」
「くそっ、カマかけやがったな!」
いやだねぇ。恋愛ごとになると、人ってのはすぐに冷静さを欠いちゃうよ。
カマかけの意味は半分もない。状況と消去法で考えて行けば、上田が思いを寄せる異性といえば、芳崎博愛くらいしか候補がいない。
万が一、姫野に本気になったというなら、もうとっくにヤってるでしょ。いくら人目を忍んだところで致そうとも、この拠点に居る限りは決して僕の目からは逃れられない。戦闘能力を求めず、ただ見聞きするだけに徹させれば、レムは相当数の分身を制御できるのだから。
「小鳥遊に追放されて、僕らと合流するまでの間は随分と苦労したようだしね」
「まぁな。他の三人も一緒にやってきたけどよ……なんつーか、その、分かるだろ?」
「そりゃ芳崎さんか姫野さんかと言われたら、断然芳崎さんの方が美人だしね」
「お前なぁ」
「分かってるって。上田君は今じゃ芳崎さんとコンビで戦うことが多いから。学園塔に居た頃よりも、お互い距離が縮まることは当然だと思うよ」
そう、これまではダンジョン攻略での経験上、上田は中井と、芳崎さんは野々宮さんと、それぞれ一緒に戦い続けてきた親友を相棒として組んでいた。僕もわざわざ、すでに連携が確立しているコンビを解消させる必要性はないと思い、離すような真似はしなかった。
けれど、ザガンによって『戦士』中井、『騎士』野々宮、の二人は戦死。上田と芳崎さんは、それぞれ相方を失った状態だ。
前衛組みとして『剣士』と『戦士』が肩を並べることになるのは当然の結果である。
追放五人組の構成を見ても、『重戦士』山田はタンクとして二人よりも前へ、『魔法剣士』中嶋は後衛の護衛兼、魔法での攻撃で援護するため中衛になるし、『淫魔』姫野はお荷物なので後ろで邪魔をしないことがお仕事だ。
戦闘での新しい相方として、芳崎さんを恋愛的な意味を抜きにしても意識することは避けられないことだったろう。
「バレてんならしょうがねぇ……桃川、頼む、なんとか協力してくれないか」
「今の僕にできることは、邪魔しないことくらいかな」
「そんなぁ、固いこと言うなって」
「僕の立場を利用すれば、二人をあえて引き離すような振り分けだってできるんだよ? そこを、邪魔しないで自然に一緒にいさせてあげるような配慮をするんだ。むしろ、不自然にならない範囲で最大限の応援をしているってことを、分かって欲しいんだけど」
「うっ、まぁ、なるほどな、そう言われると……そうかもな……」
本心としては、やはり今の段階で余計な恋愛問題は避けたいので、気持ちは抑えておいて欲しい。けれど、それを無理強いしても良いことはない。
なにせ僕らは高校生。別にいい大人だって、恋愛に関してはイカれちまうことだって多々ある。
だから、邪魔はしない、応援はしているよ、というスタンスが外野としては一番ちょうどいい塩梅なのだ。まぁ、この辺は学園塔の頃からさほど変わりはない対応だけどね。
「でも、もし芳崎さんが僕に、上田が色目つかってウザいんだけど、なんて相談を持ち掛けられたら……どうする、僕の方から伝えようか?」
「うわっ、それはやめ————いや、ダメだ、やっぱそん時は言ってくれぇ……」
「そんな状況は僕としても心苦しいんだから、ひとまずは急なアプローチは控えて、普通に仲良くする関係性に留めて欲しいかな」
「わ、分かってるよ……俺だって、今すぐどうこうなりてぇって思っちゃいねぇからな」
「ちゃんと毎日シコって寝てね。溜めてると、いつ性欲暴走してもおかしくないんだから」
「うるせーよ」
もう、心からのアドバイスなのに、真面目に聞いてよね。
この広い本拠点には、空き部屋は沢山ある。単純な面積でいえば確実に学園塔を上回っており、その上ここを利用する人数はあの頃の半分程度。正に部屋は選り取り見取り。
「プゥー、プガァ……」
よって、体育館ほどの広さを誇る大きなホールを、キナコの寝床としても問題はないのである。
ホールのど真ん中には、せっせと外からキナコが自分で運び込んだ大量の枯れ草を積んだ寝床が形成されており、腹を天に向けた無防備極まる仰向けで寝ころび、呑気な寝息を立てていた。その周囲にはコユキが勝手にウロウロ歩き回り、それを心配そうにベニヲがついて回っている。
このホールはキナコ達の寝床として定着し、結果的にリライトもまたここを自室代わりとすることになっていた。
「で、なんでお前らがここにいんの?」
「えっ、別にいいじゃん」
「アタシはキナコと遊びに来たし」
家主であるリライトが問えば、杏子はなんの悪びれもなく応え、マリはすでにして眠るキナコの無防備な腹をサワサワしている。
「おいマリ、キナコはもう寝てんだから、起こすなよ」
「大丈夫だって、ちょっとモフモフさせてくれればさぁー、うへへー」
フッサフサのキナコの毛皮に、ご満悦な表情で頬ずりするマリ。彼女のモフモフに対する執着は、合流を果たしたここ数日の内にとっくに発覚している。リライトからすれば、キナコの毛並みの素晴らしさを知れば、当然の反応だろうという手前味噌な気持ちもある。
ともかく、大した理由はないが何となくのノリで三人はキナコを中心に集まって座り、他愛のない雑談にしばしの間、興じた。
妖精広場を復旧し、ひとまずの安全地帯を確保したことで、三人ともに表情は明るい。学園の休み時間にお喋りするのと同じような雰囲気だったせいか、普段は口に出さないような話題も、つい口をついて出てしまうことも。
「つーかさ、杏子はもう桃川とヤったの?」
「……」
キナコのお腹の上で、どこまでもだらしなく寝そべっているマリが、率直な問いかけをぶつけてしまった。
これには蘭堂杏子、だんまりである。
ついでに、俺の前でそういうぶっちゃけトークいきなりするのかよ……とリライトは若干気まずい気持ちに。戻って来たコユキを膝の上にのせて撫でながら、とりあえず聞こえないフリ。
「駆け落ち同然で逃げてったのに……なにやってたんだよ杏子」
「いやだって……全然、そんな暇なかったっていうかぁ」
「あの状況だぞ? 一晩ありゃ十分じゃん」
「……一晩も経つ前に、葉山と会っちゃったし」
「はぁ?」
「つーか、飛んだ先にもう葉山がいたっつーか」
「マジかよ、葉山お前なにやってんの!?」
「えっ、俺に飛び火すんの!」
いきなりマリに一喝されて、不当だと叫ぶリライトだったが、聞く耳は持ってもらえなかったようだ。
「即合流ってなんだよ。一日くらい待てなかったのよお前は、どんだけ邪魔したか分かってんの?」
「急に出て来たのは桃川達の方だろ!?」
一体、俺のどこに落ち度があったんだよと。完全に難癖をつけられている状態ではあるのだが、マリの視線は厳しく、ついでに杏子の目もどこか恨みがましい色が混じっていた。
「ちょっと待てよ、俺マジで何にも悪くないよな?」
「うん、まぁ……悪くはない、けどぉ」
「でもお前が一緒になったせいで、杏子が桃川に迫るタイミング失ったのは事実やろがい」
リライトは決してあのタイミングを狙って合流したワケではないし、小太郎も狙ってあの時、あの場へ転移したワケではない。全ては運命の巡り合わせ。
だが転移直後に葉山が合流した結果、小太郎は濡れ衣着せられ命からがら逃亡した精神的な不安や混乱が立て直されたことは間違いない。そして、杏子自身もアプローチをかけられる状態ではなくなったことも確か。
駆け落ち同然に逃げた先で二人きり。互いに意識しあう男女が、誰にも邪魔されず二人だけの空間となってしまえば……如何に小太郎が自分を律しようと、あの瞬間に蘭堂杏子という魅力あふれる女子に迫られれば、決して断り切ることはできなかったに違いない。
二人が結ばれる必然を覆したのが、この葉山理月という男である。
「葉山さぁ……」
「お、俺は悪くねぇ! 俺は悪くねぇ!!」
必死に潔白を叫ぶ。
けれど、二人の仲を邪魔というか、第三者として自分の目を気にしている節があるというのは察していた。小太郎の杏子に向ける目は、共に死線を潜り抜けてきた信頼できる仲間に対するものでもあり、魅力的な女性へ向ける熱っぽいものでもあった。
そして杏子も小太郎に対しては、他の男子とは明確に違う色が含まれている。いや、視線などという不確かなものだけではない。クラスで多少の付き合いがあったリライトは知っているのだ。
蘭堂杏子という女子は、その派手な見た目と大雑把な性格から誤解されやすいが、実は彼女、異性に対するボディタッチは驚くほど少ない。明確に、意識的に避けている。
女子が羨む、あるいは妬む、外人モデル級のグラマラスボディの持ち主だが、当然、ある日突然この体型となったわけではない。杏子は小学生の時点で、それなりのサイズのブラを必要とするほどであった。
故に体験的に知っている。自分の体が男子を、男をどれだけ狂わせるものであるかを。
だから、意図して男に触れることは避けていた。けれど彼女の性格からして、男子との接触を断つような振舞いまではしない。気安く友達付き合いくらいはするが、その身に触れる、触れさせることは意識して回避し続けた。
それが杏子の男子に対する付き合い方であり、線引きであることをリライトは何となく察している。
もっとも、体に触れないからといって、男子の勘違いを防げるワケではない。リライトは男子バスケ部員から、先輩後輩も問わず、お前と同じクラスの蘭堂を紹介してくれ! と頼まれたことは何度かある。杏子の顔と体であれば、男が放っておくはずがない。
ただリライトはその都度、蘭堂は樋口っていうヤンキーともう付き合っているらしいから、と真意の定かではない情報を伝えることで、部員達のフラグをへし折って来た。男を紹介するほどの仲ではないし、半端な関係性で恋愛関係を取り持つなんてトラブルの元にしかならん、と思っての行動であったが……やはり正解だったなと、今になってリライトは思う。
このダンジョンで合流した時の蘭堂は、クラスにいた時には歯牙にもかけていない、桃川小太郎という小さな男子にベッタリとなっていたのだから。
彼女の物理的な距離感の近さを見ただけで、杏子の本気具合というのをリライトは自ずと理解したのであった。
「でも杏子の気持ちに気づいてんならさぁ、もっとこうあるだろ」
「これでも俺めっちゃ気ぃ回してたんだぞ」
「はぁ……もういいよ。葉山は邪魔だったけど、小太郎もその気にならなかったのもマジだし」
「蘭堂はもっと俺の気遣い評価しろよ!」
リライトとしては、ここに至るまで上手くやって来れたという自負はある。無論、それは自分の気遣いなんて些細なものではなく、小太郎の強力なリーダーシップと実行力、そして杏子の土魔法と小太郎への信頼。この二人がまだまだダンジョンサバイバル初心者に過ぎなかった自分を引っ張って行ってくれからこそ、一人の犠牲も出さずに来たのだと。
そして、その上手くやって来れた要因の一つとして、小太郎が杏子との関係をこれ以上進展させるのを抑えた、ということもあるのだろうかとも思う。
「ともかく、マジな話、こんな状況であんまり惚れた腫れたの話ってのは控えるべきじゃねぇのかよ?」
ダンジョン攻略のスタンスとして、小太郎の恋愛関係は避ける方針をリライトは支持している。もしも、小太郎と杏子のカップル成立で、自分の目も憚らず四六時中イチャつかれたら、ちょっと不満に思うだろうことは容易に想像がつく。
「それに……なんだ、その、桃川は双葉さんと何かあるんだろ? ただの仲間って以上に、特別な関係っぽいしよ」
小太郎のダンジョン攻略模様は、一通り聞かされてはいる。とても戦闘には向かない、特に能力が限られている序盤ではただ生き残ることさえ難しい『呪術師』である小太郎は、その最も厳しい期間を双葉芽衣子と共に乗り越えてきたのだと。
実際、二人がどこまで関係を深めたのかは聞いていないが、女性としても意識しているだろうことは、小太郎の話しぶりからでも何となく察せた。同時に、蘭堂杏子を越えるバストサイズの持ち主は、彼女しかいないことを考えても、小太郎の歪んだストライクゾーンに入ることは明らかだ。
「そりゃあ、双葉のことはあるけど、アタシは友達として杏子を推すに決まってるじゃん」
「だから俺にも、ってか?」
「そーだぞ、邪魔した責任ちょっとでも感じてんなら、少しくらい手伝ったってバチあたんねーだろ」
「いやでも、この状況でそういうのはって言っただろ。やっぱ、今はよくねぇって」
「いいや、違うね」
マリはキナコの上で同じような仰向けに転がりながらも、リライトへビシっと指をさして言い切った。
「こんな状況だからこそ、好きな人とはさっさと結ばれるに限るんだよ」
そう言い切られれば、一理ある……という気持ちも湧いた。
明日、死ぬかもしれない過酷な環境に身を置いているという自覚は、こうして安全な拠点を確保しても完全に忘れることはできない。ならばこそ、愛する人を、精一杯に愛することは、それもまた人間として正しい関係性であるかもしれない。
「つーか葉山、お前、童貞だろ」
「どっ、ど、童貞ちゃうわ!?」
童貞だった。
かつて、葉山理月にも彼女がいたこともあった。中学時代、目いっぱいに恰好をつけて。精一杯にアピールして、必死に空回りしながらも告白し、OKを貰った女子がいた。
しかし、幾度目かのデートの末、意を決してキスを————しようとしたら断わられた。普通に断られた。
その一週間後には彼女に、他に好きな人ができたからと別れを告げられた。
特に何かがあったワケではない。あったワケではないけれど、リライトはあえなくフラれたし、童貞卒業どころかキスの一つもしないまま、あまりにもあっけなく初めての彼女を失ったのであった。そもそも、アレは本当に付き合っていたと言えたのか……今となっては、それさえも判然としない。
ともかく、リライトが童貞であることは紛れもない事実である。
疑いようもなく明らかであっても、男には否と言わねばならない時もある。それが今だった。
「多少の経験あるアタシから言えば、初めて、なんて大したもんじゃないよ。結婚してから、なんて馬鹿馬鹿しい。余計に神聖視すんのも、乱れがどうとか言うのも、ホント馬鹿らしい。愛し合ってんなら、ヤリたくなんのは当然じゃん」
「それを言っちゃあ元も子もねぇけど……言いたいことは分かるよ」
「我慢なんかしたって、無駄に未練になるだけだよ。杏子はさ、まだ隣に小太郎がいるんだから」
そう、今のマリには、もう思いをぶつける相手はいなくなってしまった。転移でどこぞへ飛ばされたという天道龍一。あの男がそう簡単に死ぬとは思えないが、再会できるかどうかは分からない。
「マリ……うん、やっぱ、そうだよね」
「そうだよ!」
「お、おいおい、あんまりゴリ押しすなよぉ」
「っつーワケで葉山、お前、いざって時は絶対ぇ手伝えよ」
「ええぇ……」
なんか余計な面倒事に巻き込まれて来たなと、今更になって思うリライトであったが、
「葉山……頼む、割とマジで。ウチだって、後悔はしたくないから」
「うっ」
珍しく真剣な顔の杏子に頼み込まれると、リライトとしても断り切れなかった。
元より、二人の仲は応援しているつもりだ。ただ状況が悪いというだけで、幸せになって欲しいとも思える。
「わ、分かったよ。俺に出来ることがあれば、出来る範囲で協力はする」
結局、リライトはそう答えるより他はなかった。
「しかし、あの蘭堂のライバルが双葉さんになるとはな」
決して女性を容姿のみで差別するわけではない、ないのだが、純然たる事実として、蘭堂杏子と双葉芽衣子、二人の女子が並んでどちらが魅力的かと問われれば……普通は勝負にならない。芽衣子はあまりにも大きすぎる。身長だってリライトを越えているし、体重はさらに上回っているだろう。
杏子と芽衣子、二人の間に挟まる小太郎の姿を想像すると、羨ましいというよりは、潰されそうという心配の方が先に立つ。
「あ? もしかして葉山、今の双葉がどうなってのか知らないの?」
「そりゃ知らないしょ。見たことないんだし」
「えっ、なになに、双葉さんってそんなにイメチェンしたの?」
リライトは小太郎から芽衣子の活躍ぶりを聞いてはいるが、容姿についての言及は特になかった。なので、今でも思い浮かべるのは、クラスであの大きな体を縮こまらせていた、内気な姿だけである。
あんな彼女でも、恋したせいでそんなに変わったというのか。急に気になって来る。
「確か何枚か写真が……お、あった。ほら」
スマホを慣れた手つきで弄って、学園塔生活の頃に撮影した一枚をマリは示した。
そこに大きく映り込んでいる、『狂戦士』双葉芽衣子の姿を見て、
「えっ、なにコレっ、エッッ!」
イメチェンってレベルじゃねぇぞ。
あまりにも変わった芽衣子の姿を見て、これは蘭堂でも勝てないかもしれねぇ……と、恋敵の強大さをリライトは思い知るのであった。
上田の恋愛相談の翌日のことである。
目安箱制度が今でも有効と聞いたのか、本日、相談にやって来たのは山田であった。
「それで、どうしたの? 悪いけど、今はまだ釣りに行かせるわけにはいかないから、もう少し我慢してもらえれば」
山田は釣りがしたい、釣り道具一式が欲しい、という相談を受けていた。
今回もその関係かと思っていたが、
「いや、釣りの方は、今はいい……」
めちゃくちゃ神妙な顔で、そんなことを言うもんだから、僕も思わず身構えてしまうよね。
うん、コイツは相当にヘヴィな相談内容だぞと。
「そう、分かった。聞かせてよ」
シンと静まり返った空き部屋で、山田は酷く暗い、というより辛そうな表情で、どう切り出すべきか言葉を探しているようだった。
僕はそれを、大人しく待つ。
そうして、幾ばくかの静寂の後。
「……レムを、俺に近づけさせないでくれないか」
「はい?」
「頼む、鎧兜かラプターとか、そういうのじゃないと……俺は、自分で自分を抑えきれるかどうかわからねぇ!」
本人は凄い必死な言い方しているけれど、ごめん、ちょっと何言ってるか分かんない。
いや、違う。僕はただ、分かりたくなかっただけなんだ。
「うん、まぁ……幼女レムは可愛いから」
「頼む桃川ぁ! 頼むぅ……」
山田、仲間のために捨て身でゴグマに迷わず挑める立派な『重戦士』となったが————コイツは重度のロリコンなのだ。雲野郎の淫夢罠にかかれば、女子小学生と乱交しちゃうのを夢見るような奴なのだ。
「ごめんね、僕の配慮が足りなかったよ」
でも僕が今一番謝りたいのはレムだから。
レムが幼女形態となり『隷属の影人形』となったことは、再合流をした五人にはすでに説明はしてある。元々、レムは色んな魔物の姿に変化できることは知られていたし、学園塔の頃かの付き合いもあり、幼女の姿となってもみんなは普通に受け入れてくれた。むしろ、この小さく愛らしい姿のお陰で、以前よりも可愛がられている。
だが、僕は失念していた。山田がロリコンであったことを。
「今更な話だがよ……俺は、ヤマジュンが死んで、急に自分が恥ずかしくなったんだ」
ロリコンなこと? と茶化せる雰囲気は山田にはない。
ヤマジュンの死を口にした以上は、今の彼の言葉は真剣そのもの。本来なら、口に出すのも辛い本心の部分であろう。
「ヤマジュンが死んだのは、レイナのせいで、山田君には何の落ち度もないよ」
「違う、そのことだけじゃねぇんだ。ヤマジュンがいなくなって、俺は今までどれだけ自分勝手だったのか、ようやく気付けたんだよ……」
失って初めてその大切さに気付く、なんて安っぽいバラードの歌詞そのものだけれど、それはきっと万人に共通することでもあるのだろう。山田の場合は、失ったモノがあまりにも大きすぎたというだけで。
「なるほど。だから、捨て身で戦うような真似もするようになったと」
「ああ……ヤマジュンは、俺が自分勝手なままでも、ずっと付き合ってくれてた。嫌な顔なんか一度もしないで、俺が勝手なこと言い出しても、ちょっと困ったように笑って……クソッ、俺は、アイツの気持ちなんて全然考えたこともなくて……」
とうとう、山田は涙をボロボロ零して泣き出してしまった。
思わず、僕ももらい泣きしてしまいそうなほどだけれど、きっと、今の僕に必要な役目は、一緒に泣いて悲しんであげることではない。
大泣きに泣きながら、自分の気持ちを、ヤマジュンという大切な友人を失ったことで初めて気づいたことを、途切れ途切れに懺悔するのを、僕は全て聞き届ける。
「そうだね。ヤマジュンは山田君をありのままに受け入れて、付き合ってくれていた。あんなに懐の深い人は、他にはいないよ」
「だから、だから俺はぁ……アイツの友達として、恥ずかしくない男に、なりてぇんだよぉ……」
学園塔の頃から、山田が妙に協力的だったり、文句の一つも言わずにやってきたのは、きっとそういうことなんだろう。
山田を本当に支えていたのは、姫野の体でも、レイナの顔でもなく、ヤマジュンの友情だったんだ。自分がグループで一番強いからと調子に乗って女に現を抜かしている間も、ヤマジュンは変わらず傍にい続けた。
無論、ヤマジュンはあの頃の山田の態度がこのままではまずいと感じて、険悪にならない範囲で注意はしていた。けれど、当時の山田は聞く耳など持つはずもなく、結果的には僕が加入したことで、諭すのではなく利害関係の調整によって立場をコントロールしていくことになったわけだ。
ヤマジュンのやり方では甘かった。あの頃の山田の心を変えることはできなかった。けれど、やりたい放題だったあの山田を、決して一方的に悪く言うこともなく、純粋に友達として案じ続けたその心根は、何よりも尊い。
山田はそれに気づいたのだ。あんなどうしようもない自分に寄り添ってくれた彼が、どれだけかけがえのない存在だったか。そして、あの頃の彼にどれほど心配をかけていたかを。
「戦いには、もう慣れた。痛ぇのも、死にそうになんのも、平気になった。俺は仲間を守るためなら、命張って戦える『重戦士』だ。けど、それだけじゃダメなんだ……」
「誘惑にも負けないようになりたいと?」
「そうだ、俺は自分の性癖が恥ずべきものだという自覚はある……だが、そう思っていても、抑えきれねぇのも、恥ずかしい限りだが事実だ……」
学園塔の頃では、克服できたと思っていたようだ。
レイナに続く二年七組代表ロリである小鳥遊小鳥の姿を目にしても、彼女に夢中になることもなかった。意図的に見ないようにしてはいたようだが。
ともかく、山田は寡黙に戦い続けるストイックな『重戦士』となれていたのだが————幼女レムの出現により、それが揺らいでしまったのだ。
「俺はまだまだ、自分を律する精神力も根性も足りてねぇんだ。だから、レムのあの姿はまずい……頼む桃川、俺のためを思って、どうか目につかないようにしてくれ」
「分かったよ、山田君。どこまで真剣に思っているなら、こっちも全力で協力するよ」
「悪ぃな」
「いいんだよ。僕だって、ヤマジュンに恥ずかしい姿は見せたくないからね」
見ているかい、ヤマジュン。君の友達は、男として立派な成長をしているよ。
あの山田をここまで改心させるなんて……本当に、頭が上がらないね。
2021年4月2日
ここ最近、連続してレビューをいただきました。本当にありがとうございます。
これまでいただいたどのレビューも、作品の魅力を語っていただき、感謝の念に堪えません。期待に応えられるよう、これからも書き続けていきたいと思います。




