第282話 頭と右腕(1)
ブスブスと黒い煙を上げる『魔女の釜』の底に、頭蓋骨がゴロっと転がっているのを見て、僕はようやくその場に倒れ込んだ。
「はぁ……つ、疲れたぁ……」
ただひたすらに、重苦しい疲労感だけが残っていた。勝利の喜びよりも、ただ辛く苦しい戦いがようやく終わってくれたのだという安堵が広がり、体中から力が抜けていく。
もうこのまま何もかも忘れて眠りたいところだけれど……そういうワケにもいかないのが、一人だけ素面でいることの辛いところである。
「ゴーマの薬キメて、メイちゃん運んだ時よりはマシか」
狂戦士に覚醒してゴーマを血祭りにあげた後に、ぶっ倒れた彼女を即席の担架に乗せて引きずりながら、最寄りの妖精広場まで運んだのはかなり苦しい思い出の一つである。
仲間達が力尽きてそこら辺に倒れているので、今回も僕が回収しなければならないわけだ。次の瞬間に、血の匂いに惹かれて雪灰狼あたりが襲ってくる可能性はあるからね。
折角、一人の犠牲者も出さずに横道という大ボスを倒し切ったのだから、こんなところで野良モンスターの餌食にされては悔やんでも悔やみきれない。
「うぐっ、痛った……そういえば、噛まれてたっけ」
立ち上がろうとして、鋭い痛みが走る。生首ムカデな横道に、左足の脛をがっつりと噛み付かれたのだ。
トドメを刺すまではあまりに必死過ぎて都合よく痛みを忘れられていたけれど、もうアドレナリンのサービスタイムは終了のようだった。
まずは自分の治療からだ。
破れたズボンを脱いで、リポーションを傷口にかける。ついでに、奴の汚らしい舌が太ももまで嘗め回してくれたので、そこも洗い流しておく。
それから、お馴染みの傷薬Aを塗りたくり、それから痛み止めも併用する。
奴の牙は骨まで届いているから、一応、添え木してから包帯を巻いておこう。
「おぉ、やっぱり痛み止めは作っておいて良かったな。痛い、ってだけで行動不能になっちゃうし」
薬が効いてきたお陰で、左足からの痛みはひとまず引いていく。痛み止めと言う名の麻痺で痛覚を誤魔化しているだけだけど。それでも今すぐ行動をしなければならないという時に、痛みを止めてくれるのは本当にありがたい効果だ。
そうして、僕はズボンを履き直す。ボロボロだけど、コイツは学園塔で強化した学ランだからね。
学ランに付与した数々の強化魔法の恩恵がなければ、横道を釜に叩き込むまでの行動はできなかっただろう。というか、足の負傷があっても動き回れるのは、この学ランの恩恵が一番大きい。
「それじゃあ、まずは……レムからだな」
転移自爆作戦、やってしまったからな。果たして、レムは無事に復活できるのか。それとも、アレが特別な一体で替えは効かないのか。
生死の確認ができないレムの復活を、まずは試さなければ。
肉体的、精神的には疲労の限界だけど、魔力そのものは余裕がある。呪術を発動させるには十分だろう。
「泥の器。屍の杯。汚濁と怨嗟を血肉に変えて、空白の意思は揺蕩う。無垢なる魂よ、案ずるな。惑うな。疑うな。ただ傍に在れ。汝は、主の後ろを歩む者————『隷属の影人形』」
初めて『隷属の影人形』の詠唱をした。だって、気づいたら鎧の中で勝手に幼女になってからね。
半分以上の不安を抱えながらも試してみれば————むっ、この魔力がゴッソリと減っていく感じは、発動には成功している!
「お願いだ、帰って来い、レム!」
目の前には、お馴染みの混沌みたいな黒い沼のようなものが広がり、不気味に波打つ。僕の魔力は確かにそこへ注がれて……ほどなく、真っ黒い水面から、小さな白い人影が浮かび上がって来た。
「れぇーむぅー」
「やった、復活した!」
素っ裸の幼女レムが、そこに現れた。おめでとうございます。元気な女の子です。
僕は急いで駆け寄ってレムを抱き上げる。
「レム、大丈夫か? ちゃんと覚えてる?」
「あるじ……だいじょうぶ、おぼえてる」
円らな目をパチクリさせてから、レムははっきりと答えた。
どうやら、きちんと記憶も継承した上で、復活できているようだ。
ということは、レムの魂というか、自我と記憶を宿す核のような存在は、術者である僕の中にあると考えるべきか。この辺は泥人形の頃と変わらずといったところだ。完全独立型に仕様変更されなくて良かったよマジで。
「ああ、良かった。本当に良かった……」
ギュっと抱きしめて、しばし感慨に耽る。なんだかんだで、人型となり、お喋りもできるようになったレムにはこれまで以上の愛着が、いや、愛情が湧いている。こんなところで、失われるなんて許せるはずがない。
レムがいなければ、杏子も葉山君も悲しむ。きっと、キナコとベニヲも。レムはもう、立派なパーティの一員だから。
「ともかく、これで全員生き残れたワケだ。さぁ、レム、みんなを回収するから手伝って」
「はい、あるじ」
「その前に、着替えて来ていいよ」
流石に全裸のまま手伝わせるわけにはいかないからね。
幸い、荷物を満載したロイロプスは、横道にぶっ飛ばされて転がっていただけなので、まだ消滅してはいない。物資も無事である。
手早く着替えを済ませたレムと一緒に、僕はまず杏子を運び、次に葉山君とベニヲを運び、それから気合を入れてパーティ一番の巨躯を誇るキナコを妖精広場へと運び込んだ。
流石に普通の熊サイズのキナコは、人間なんぞより遥かに重量がある。レムが黒騎士に変身できなければ、動かすことはできなかっただろう。
「ひとまず、これで安心だな」
杏子は雷ブレスの余波を受けて気絶状態。だが呼吸、脈拍、共に正常で命に別状はない。
葉山君とキナコとベニヲは、揃って仲良く魔力欠乏で倒れているだけ。辛いことは辛いけど、そのまま眠っていれば治るから大丈夫。経験則である。
全員を妖精広場に収容が完了し、これでようやく僕も休めるというものだ。
「ごめん、レム、ちょっと見張りお願いね。少し、僕も寝かせてよ」
「あるじ、おやすみなさい」
「おやすみー」
「————我が信徒、桃川小太郎」
おお、まさかもうお呼ばれするとは。光栄であります、ルインヒルデ様。
「悪食貪食の獣、すでにそなたの手には余る————しかし、己が力のみが、勝利を掴む術ではない。精霊の御子、よくぞ導いた」
「はい、今回は仲間に助けられました。霊獣の力がなければ、全く太刀打ちできませんでしたね」
そう、本来あった僕らの現有戦力だけでは、『完全変態』を使う前の横道を相手するだけで精一杯だった。奴が最初から本気を出していれば、僕らはあっという間に全滅するくらいの戦力差である。
「神は柱、そこに自ら立つ者。されど、そなたら人は群れ、集い、寄り添い合う者達。孤高は人の道に非ず。手を取れ、共に歩むは、王道にも外道にも通ず」
まさかルインヒルデ様から、仲間の大切さを説かれるとはね。意外と少年漫画的に熱血なところもあったり?
「頂点に立とうと、人は人。その身、神に非ずんば、全知全能は永久に能わず。人とは、個にして群を求むる者。両の足が如く、一つを失えば容易く倒れよう————否、そなたには過ぎた小言よ。惑うな、己が道を信じて進め」
「ありがとうございます」
要するに、個人主義も全体主義も過ぎればアカンってことでしょ。権力の頂点に立とうとも、所詮、人間は人間。神のように全知全能となれるはずもない。
けれど、神様から加護という特殊能力まで与えられる、この魔法の異世界。『勇者』蒼真君のように、圧倒的に隔絶した能力の持ち主というのは存在する。
普通の人間でも人に寄っての能力差というのは凄まじいが、この異世界ではそれ以上の差が生まれる。蒼真君がもっと強く、さらに大きな力を授かるようになれば、それこそ神にでも近い能力を得ることができるのかもしれない。
そうなると、彼は人間だと呼べるのか。人を超越した力の持ち主が、人の頂点に立ったなら、その時は一体、どんな集団となるのか————あんまり、いい予感はしないよね。
「新たな呪術を授ける」
「ありがとうございます」
横道討伐の報酬である。コイツ一人倒すだけで新呪術獲得なのだから、やっぱり規格外の相手だったよなぁ……
「目は真実のみを映すに非ず。瞳の鏡に映るは、実も影も、虚も幻も別はなく。なればこそ、惑わすならば、まずは眼より始めよ————」
なんですか、その隗より始めよ的な言い方は。
もしかして、今回の呪術は幻術的な————
「おお?」
突如、視界がボヤけて、目の前に立つルインヒルデ様の姿が歪む。
これが新たな幻術の効果……じゃない。これは、視界が歪んでいるんじゃない。
「僕が、歪んでる、の、かぁ……」
気づいた時には、もう遅い。
自分の体がグニャグニャになりながら、景色に溶け込んでいくように消えて行っているのを実感した。まるで、自分自身が絵具で描かれただけの存在であるかのように。自分が、新たな絵具を塗りたくられて、消えて行くような。
こ、これはまた、新感覚の死にざまですねルインヒルデ様ぁ……
半日ほどが過ぎて、無事にみんなも目を覚ました。
最初は杏子。目覚めるなり、飛び起きて魔法を発動させようとしていたので、意識が戻った瞬間に戦闘中だったことを思い出したのだろう。それですぐさま攻撃態勢に入れるんだから、ベテラン兵士みたいだよね。
僕はルインヒルデ様のありがたーい加護を授かって先に目覚めていたから、すぐ杏子に戦いが終わったこと、みんな無事なことを知らせ————ようとした瞬間に押し倒された。
いや、アレな意味じゃなくて。僕はかなりアレな感じだったけれど……泣きながら僕の無事を喜ぶ彼女の反応を見ると、そういう雰囲気もなくなるよね。
で、そのまましばらくベタベタしつつ、いい加減に我慢するのも厳しくなってきた辺りで、葉山君が目覚めてくれた。うん、君は本当にタイミングのいい男だよ。
それから、キナコとベニヲも目覚めて、晴れて全員が復活できたのだった。
「————というワケで、横道を何とか倒せたよ」
ひとしきり激戦を制したことと、全員の無事を喜び合った後に、横道との壮絶な決着までを語って聞かせた。
「ごめん、小太郎……ウチ、全然役に立てなくて」
「ううん、ブレスで消し炭にならなかっただけで十分だよ」
「そうだぜ蘭堂、気にすんなよ。たまには、俺に大活躍させてくれたっていいだろ」
「葉山君は文句ナシのMVPだったよ。霊獣化能力に覚醒しなかったら、あの横道はどうにもならなかった……キナコとベニヲも、ありがとね」
「プガガ!」
「ワンワン!」
「っていうか、実際に戦ったのはキナコとベニヲだから、葉山君は別に大したことしてないんじゃあ?」
「桃川、お前ソレ言っちゃうの? 俺はほら、発動中は魔力ガンガン減って行って、二人に力を送る的な役割で精一杯っていうか」
「大丈夫、分かってるよ。霊獣化は、葉山君の魔力が持つ限りっていう制限付きっぽいからね」
いわゆる電池ってやつ? よくあるよね、力を送る役と、その送られた力で戦う役が別々っていうスタイル。
ああいうの、電池役って実質何もしていないも同然だと思っていたけれど……葉山君とキナコとベニヲの関係性を考えると、あれがベストな形じゃないかと思えるね。
「ねぇ、ホントに横道って死んでるの? アイツ、なんか死体になっても蘇りそうな嫌な感じするんだけど」
「その心配は分かるよ」
事実、奴は生首になっても襲い続けてきたくらいだからね。今まで戦ったどんなモンスターよりも、化け物じみた奴だった。
「でも、流石に頭蓋骨だけになると、復活は無理っぽいよ。コレ、完全にアイテム扱いで『直感薬学』が反応して、説明文が思い浮かぶんだよね」
『食人鬼の頭蓋骨』:眷属『食人鬼』の頭蓋骨。それは忌まわしき鬼の首。人喰い鬼を討った証にして、悪食と貪食の残滓。汝、欲に溺れることなかれ。この首は今もまだ、飽くなき飢えに囚われている。
と、僕は釜の底から取り出した、横道の頭蓋骨を掲げる。
「うげぇ……気持ち悪ぃ」
「うわ、ソレ完全に人間の頭蓋骨してねぇな」
ドン引き、といった感じの二人である。けど、それも当然だろう。
葉山君の言う通り、この頭蓋骨は人間のモノとは異なる形状をしている。その最も特異な部分は、やはり口だ。
大顎、と呼ぶべき鋭く大きな牙の並んだ形。それでいて、人間本来の歯列も綺麗に残っている。さらに外側には、あのギチギチいってた鋏角も備わっており、見るだけで横道の大口を思い出す形をしている。
もう一つ個人的に気になる点は、額の辺りに穴が開いていることだ。僕がナイフで滅多刺しにして空けたものではない。何というか、そこにもう一つ眼があったかのような開き方をしている。
横道は化け物だったが、額に第三の目が開眼していたようには見えなかった。
見えなかったが……もしかすれば、あともう少しで開眼でもしたのかもしれない。そうなると、奴はさらに強力な怪物へと進化していたのだろうか。
「コレが気持ち悪いのは確かだけど、強力なモンスターからとれた貴重な素材だからね。精々、有効活用させてもらうよ」
「うん、まぁ、やっぱそうなるよね」
「桃川、お前ホントそういうとこドライだよな」
「もうとっくに他のクラスメイトの頭蓋骨を何個も使ってるんだから。今更、横道のが一個増えたからってなんなのさ」
今の僕にとって、みんなの頭蓋骨はなくてはならない重要装備と化している。あ、雛菊さんには、特にお世話になっています。次点で東君か。
「それに、あれだけの戦いをしたんだ。こんなモノでも収穫があったと思わないとね。せめて、本体からコアでも獲れれば良かったんだけど」
「レムちんが爆弾でぶっ飛ばしたんだっけ?」
「そうそう。虎の子のコア爆弾だったのに……ああ、爆弾も横道本体ももったいないことしたな」
「ある」
ボソっと、僕の隣で行儀よく座り込んでいるレムが言った。
「えっ、あるって……もしかして!」
「首、逃げた。だから、ばくだん、使わなかった」
そうか、レムも転移で飛んだ後に、もう本体から横道が生首で離脱していたことに気が付いたんだ。
ここで爆発させても、横道を殺し切ることはできないと踏んで、あえての放置。素晴らしい判断だ。
「よくやった、レム! よーし、早速、取りに行こう! みんな、手伝って!」
「えー、もうちょっと休んでからでよくなーい?」
「っていうか俺、怪我人なんですけどー?」
おっと、つい欲が先走ってしまった。
横道、生きていた頃はあんなにも疎ましかったのに、死体となった途端に魅力的に映って仕方がない。いやだって、アイツの体は魔物素材の宝庫である。
霊獣キナコ&ベニヲとの大決戦でそこら辺に散った奴の部位だって、立派な素材として役立ちそうだ。本体ともなれば、コアは勿論、他にも使えそうな素材がありそう。
けれど、二人の言うことも尤もである。
転移先は妖精広場なのだし、少しくらい放置していても魔物が寄ってくることもないし。
「それもそうだよね。じゃあ取りに行くのは明日にするとして……その前に、葉山君の怪我の方は、なんとかしないと」
「なんとかつったって、これ以上はどうしようもなくねぇか?」
流石の葉山君も、眉根を寄せて失った右腕を見やる。
ちょうど肘から先の部分が欠落している。僕の応急処置のままではあるけれど、ひとまず痛みは止まっているようだ。
けれど確かにこれ以上は、薬を塗ったところで腕が新しく生えてくるわけでもない。精々、義手を用意するくらいだろう。
「一つだけ、試してみたいことがあるんだよね」
「えっ、なんだよ、何かいい方法あんのか!?」
「僕の右腕を移植する」




