第280話 追放者達
「本当に、ここは恵まれているな」
テーブルに並ぶ美味しそうな料理の数々。しかも、それらは実に見慣れた和食であった。
茶碗に盛られた白米と、湯気を上げる味噌汁。脂ののった鮭のような焼き魚に、卵焼き、漬物……自分が夢でも見ているのではないかと思えるメニューだ。
けれど、これは全て現実のもの。双葉さんが俺達のために作った、本日の朝食である。
「ああ、涙が出るほど美味しかった」
「大袈裟ですよ、とは言えませんね。私もこの味を食べてしまえば、涙が滲むような気持ちでしたよ、兄さん」
もう二度と口にできないのでは、と思っていた懐かしき日本の味に感動したのは、全員だった。
「食糧庫には、まだいーっぱいあるから、明日も食べられるよ!」
小鳥遊さんが弾けるような笑顔で言う。
この砦で発見した食糧庫には、宝箱と同じように長期間、というよりも完全に時間の影響を受けずに保存できる機能が働いているらしい。
お陰で、米をはじめとした食材は、そのまま食べることができるのだ。
以前に桃川が暗黒街の隅にある砦で小麦粉を発見していたので、パンが主食の文化圏だと思っていたが、まさか米まであるとは。
しかし、現代文明もかくやというほど優れた古代文明なら、世界中から様々な食材を集めることもできるだろう。実際、食糧庫には見たこともない謎の食品も多々あった。
食糧庫は結構な大きさがあり、ほぼ満杯まで詰め込まれているので、俺達8人だけなら、年単位で食いつなぐことができるだろう。
流石にそこまで長い間、ここにいるつもりはないが……ゴーマに隠れながら外で狩りをする必要がないのは、手間が省けて助かる。
「うぅ……私、もうずっとここに住んでていいかも」
「馬鹿なこと言わないの。一生住めるほどの物資はないんだから」
デザートのブルーベリーヨーグルトを食べながら言う夏川さんは、割と本気っぽい。委員長の言う通りではあるが、実際にこんな恵まれた食事ができているだけで、そう思ってしまう気持ちも分かる。
「とにかく、安全と衣食住の心配はここにいる限りは大丈夫。あとは、どうやってゴーマの王国を突破するかね」
「そうだな。もし姫野さん達を見つけられても、先に進む方法がなければ、結局は詰みだ」
安全な拠点と安定した生活を得て、俺達もようやく落ち着いて物事を考えられるようになったと思う。
この砦に辿り着けたのは奇跡のようなものだ。そして砦を使えているのは、小鳥遊さんの『賢者』の力があるから。彼女がいなければ、食糧庫も解放できず、水道や風呂も自由に使えなかった。機能が生きていても、扱う手段がなければ他の廃墟も同然である。
本当に、小鳥遊さんには感謝しないといけない。この絶望的な状況で、希望を持てる場所にいられるのは、彼女のお陰なのだから……
「……ねぇ、これホントに食えんの?」
本日の狩りの成果をみんなで囲って眺める中、マリがうんざりしたように言う。
「食えるかどうかじゃねぇだろ。コイツを食わなきゃ、今日の飯はナシになっちまうぞ」
「とりあえず、焼いて食ってみるしかないだろ」
よし、やるか、と上田と山田は頷き合って、獲物の解体に取り掛かる。
その獲物は、一見すると豚のような獣である。牙はなく、それほど大きくもないので、猪ではなく豚の方が近い。
しかしこの豚、背中からデカいキノコのようなモノが生えている。背中とキノコの生え際あたりからは、ニョロニョロと蠢く不気味な触手が4本も生え出していた。
そういうモンスターなのか、それともモンスターキノコに寄生された豚なのか。コレを食べたら、自分達もキノコに寄生されたりしはないのか、などなど、大いに不安が過る。
しかし、食べなければ飢えてしまう。保存食はまだ多少なりとも残っているが、これらは本当にいざという時のために温存しておきたい。
運よく、ゴーマに見つからずに狩ることに成功したこのキノコ豚一頭を食料とできれば、少なくとも明日、明後日までは飢えずに済むだろう。
食えるかどうか怪しい獲物であっても、手をつけなければ。意を決して、メンバー達は捌きにかかる————
「うわぁっ!? なんか緑の血とか出てるんだけど!」
「臭っさぁ! なんでこんな臭ぇんだよコイツ!」
「これ、食べるのやっぱり無理なんじゃあ……」
「豚はダメでも、キノコのところが意外とイケるかもしれないじゃない!」
「むっ……お前ら離れろ! このキノコ、毒あるぞ!」
うわー、と緑の毒胞子を撒き散らし出す豚キノコから、5人は慌てて逃げだした。
結論、コイツは食べられない。
原因は寄生キノコが有害すぎること。豚そのものは食べられそうだが、寄生されるとキノコの有害成分と交じり合い、食用不可となってしまう。
また一つ、異世界の魔物の知識が増えた。そして、彼らが得られたのは、それだけだった。
「今日のご飯、どうすんのよ……」
「……みんな、ちょっと静かに」
キノコ豚を放置して意気消沈としている中、中嶋がいつになく鋭い声で注意を発した。
戦闘もサバイバルも素人ではないメンバーは、すぐに黙って警戒態勢をとる。
中嶋が指で示した方向には、一羽の鳥が呑気に地面を突いていた。
新しい獲物キターっ! みんなの心は、一つになる。
「俺に任せて。ここから魔法で仕留めるよ」
固唾をのんで、4人は中嶋を見守る。
獲物の鳥は、灰色と茶色の入り混じった目立たない色合いで、ニワトリのようなサイズと姿。
だが、ニワトリよりも丸々とした大きな体をしている。というか、本当に真ん丸だ。ボールにニワトリの頭と足を生やしたような丸い鳥は、一体どれだけの肉付きなのかと、期待せずにはいられない。
見たところ丸鳥は魔物ではなく、ただの動物。変なキノコに寄生されていることもない。まず間違いなく、食える奴だ。
「————『氷矢』」
中嶋の魔法剣『クールカトラス』より放たれた氷の矢は、果たして、丸鳥に命中した。
クワー、と間抜けな声をあげて、丸鳥は倒れる。見事、狩猟成功。
「よっしゃあ、よくやった中嶋!」
「陽真くんすごぉーい! 愛してるぅ!」
「やめて、キスはホントやめて」
姫野に絡まれる中嶋を差し置いて、他3人はさっさと丸鳥を回収。首を切り落とし、血抜きをする。
そうして、これで今日は食えるな、と和気あいあいと話しながら、丸鳥の羽を毟り始めると————それが、新たなる絶望の幕あけであった。
「な、なによコレ……全然、肉がついてないじゃない!」
羽を毟った丸鳥は、痩せた悲しい姿を晒している。
さながら、鶴のような細くシャープな体格。余計な肉は一切ついていない。
要するに丸鳥が丸いのは、大量の羽毛で膨れ上がっているだけだったのだ。羽がなくなれば、ぱっと見でニワトリの半分、いや、下手すると三分の一以下のサイズ感である。
「おい、今日の飯、どうすんだよ……?」
どうしようもすることなく、5人は痩せ細ったニセ丸鳥を細切れにして分け合って、その日の食事を終えたのだった。
この砦にあるのは、充実した食糧だけではない。古代の武器や装備品らしきモノも、多数、保管されていた。
「それじゃあ、小鳥遊さん、頼むよ」
「うん、小鳥に任せてよ!」
頑張るぞ、と腕まくりをして気合を入れる小鳥遊さんには、これから俺達の装備の強化を行ってもらう。
ヤマタノオロチ討伐戦に向けて、俺達の装備は学園塔で出来る範囲で最高のものに仕上げている。よほど品質の良い魔物の素材や、大きなコア、光度の高い光石などが運よく手に入らない限りは、そうそう強化できるほどではないほどの品質となっている。
そして、ここにある古代の遺物には、当時の技術力の結晶である様々な物質によって作られている。たとえ武器そのものの機能が停止していても、形成している物質に変化はない。少なくとも、錆やひび割れなどの劣化は見当たらない。
つまり、古代の武器を直して使うのではなく、素材として利用するのだ。
ようやく『簡易錬成陣』が使えるようになった俺と、多少なりとも桃川から錬成作業をさせられていた桜と委員長、合わせて三人が、小鳥遊さんの手伝いに入る。
具体的には、小鳥遊さんが見繕った武器を、出来る限り分解することだ。素材として再利用するにも、武器丸ごと錬成にかけるのと、同じ素材のパーツに分別されているのとでは、錬成の精度も大きく違ってくる。
さらには、砦であるためか、武器の整備などを行うための設備も整っている。俺達にはそれらをどう使うのか、どういう機能があるのか、全く分からないが、その内の幾つかは小鳥遊さんには分かるそうだ。より高度な錬成を行える機能としては、妖精広場の噴水を超えるという。流石は本物の設備といったところだろうか。
素材と設備が揃い、小鳥遊さんも気合十分に装備強化に取り組み始めた。
一方、錬成に参加しない夏川さんと明日那は、外に出て、5人のクラスメイトの捜索に出ている。
無論、ゴーマの軍勢に注意しなければいけないので、あまり捜索ははかどらないだろうが、それでもやらないワケにはいかない。せめて野営の跡など、彼らが生き残っているという証拠を発見できるだけでも十分だ。
そうして、俺達は一週間ほどの時間を砦で過ごし、小鳥遊さんの装備強化もおおよそ完了した。
『聖騎士の神鉄剣』:古代の武器の中でも、特に貴重な『神鉄』という希少金属を集めて、俺の剣につぎ込んだものだ。完成した刃はオリハルコン合金となっているようで、これまでにもまして、神秘的な薄い輝きを発している。
切れ味、耐久、は勿論のこと、魔力の通りも抜群。刃を通して魔法を使えば、威力はかなり増大するようだ。魔剣と呼んでもいいほどの能力である。
この剣で『光の聖剣』を使えば、今まで以上の威力を発揮するだろう。コイツなら、あのザガンも斬れるかもしれない。
『聖女の大和弓』:元々は桜が弓道部で使っていた弓。原型は残っているものの、よく見れば細かな魔法陣のような文様が刻み込まれている。それらは全て、桜が光魔法を使う専用になっているようで、通常の強化よりも高い効果が得られるのだとか。
また、この弓そのものに秘められる光の魔力は相当なもので、俺の剣と同様に薄っすらとした輝きを放っている。
『スノウホワイト・ブルーム』:委員長愛用の氷の杖の強化版。青い杖が全体的に白くなり、正に雪のようなイメージとなった。勿論、単なるカラーチェンジに留まらず、氷魔法を強化する効果はさらに高まっている。
単純な威力増大だけでなく、効果範囲を拡大したり、発動速度と発動数を増やすといった部分も伸びているようだ。
『エンシェントヴィランズ』:古の悪しき者共。遥かなる古代、今よりもずっと進んだ平和な文明社会の中にあっても、奴らは必ず刃を手にする。平穏こそが、恐怖をより深化させる。ただ一振りの刃が、何千、何万もの人々を震撼させるのだ。
その刃は正に、恐怖の象徴。鮮血を啜れ。断末魔を聞かせろ。
遥か古の狂刃が、今まさに現代へと蘇る。
という、非常に不穏な説明文が浮かんだらしい、夏川さんのナイフである。強化する度に、いつもコレだ。なので、不服な彼女が製作者を追いかけまわすのも、恒例行事と化している。
『清浄の古太刀』:明日那は罪を犯したが、それを罰するのは今ではない。俺達には彼女の力が必要で、少しでも償いをするためにも、みんなのために戦うより他はないだろう。
このオリハルコン合金の刃となった太刀で、俺達の進む道を切り開いて行こう。
以上、全員の武器を大幅に強化ができた。俺や明日那の魔法剣など、サブとして持っている武器も強化を施すが、素材の関係で、これらほどの強化はできそうもないようだ。それでも、何もしないよりはマシなので、出来る限りの強化は続けていく方針だ。
武器の他にも、防具関係も更新することができている。
『パワーインナー』:古代の兵士が着用していた戦闘服、らしきものから採取した特殊な布地を利用して作ったインナーだ。魔力の宿る特殊な繊維で編まれた布地は、非常に高い耐久性と、炎や雷などのあらゆる属性にも耐性を示す。さらには、桜の『聖天結界』のように、本人の魔力に反応して微弱ながらもバリアを全身に展開するようだ。
布切れ一枚で途轍もない防御力を発揮するが、肝心の特殊魔力繊維がオリハルコン同様、僅かしか採取できないので、なんとか下着として仕上げるのみが限界だった。
『アサシンスーツ』:より多くの特殊魔力繊維で編まれた強化服、とでもいうべき装備だ。これは俺達でも、小鳥遊さんでも錬成で上手く分解できなかったので、素材として利用できないと諦めかけていたところ……なんと夏川さんがそのまま着用できたので、彼女のものとすることになった。
ちなみに、スーツは競泳水着のような形状で、夏川さん以外の人が着ても防御機能を発揮しないようだった。着用者を選ぶスーツである。天職による適合基準でもあるのだろうか。
『シールドプロテクター』:光鉄素材の装甲に、オリハルコンを少量含む合金と特殊魔力繊維で仕上げた、手甲と脚甲。防具としての頑強さもさることながら、最大の特徴は、魔力を込めれば、全身を覆う光の防御魔法を瞬時に発動できるという効果だ。
俺には『天の星盾』があるので、防御面で不安のある明日那に装備してもらうことにした。
『ダイアモンドダスター』:委員長の氷属性魔力を用いて、自動的に防御魔法を展開する機能を付与した、白いケープ。魔力を通すと、キラキラ輝くダイアモンドダストのように氷属性魔力の微細な結晶が霧のように撒き散らされ、散布範囲内に入った攻撃を、瞬時に氷の盾を形成して防ぐ。
武技などの強力な一撃は防ぎきれないが、流れ矢や下級攻撃魔法程度ならば問題なく防げる。ゴーマは圧倒的多数なので、四方からの遠距離攻撃に晒されることも想定されるので、こうした防御力の強化は、委員長のような魔術師には重要だ。
このように、防具も以前よりかなり強化できた。
小鳥遊さんのお陰で充実した装備へと更新できたが……それでも、やはりゴーマの王国は脅威である。少なくとも、正面突破するのは装備強化した今でも自殺行為だ。
ひとまず、錬成作業も落ち着いたので、俺もクラスメイトの捜索と、王国の偵察に明日から出よう。何としても、突破口を見つけなければ。
貧相な鳥を5人で分け合い、空きっ腹で迎えた翌日の朝。
崩れた廃墟の片隅で、ゴーマから隠れるように静かに寄り集まり、新たな問題について話し合っていた。
「やべぇな、武器が限界に近いぞ」
塔の襲撃から始まり、取り残された洞窟で死に物狂いで戦い、その後の逃亡生活でも、多少のゴーマと、野生の魔物と戦い続け……頑丈に錬成された刃も、刃こぼれが目立つようになってきた。
「姫野の錬成でなんとかならねぇか?」
「なるわけないでしょ……私が下手に武器を弄ったら、そのまま壊れちゃうかもしれないのよ」
「そうだね。小鳥遊さんも、最初の頃は錬成に失敗して武器を壊してしまった、という話を聞いたことあるし」
「ちゃんと直すなら、小鳥遊か桃川いないと無理でしょ」
「砥石があるだけ、まだマシだと思うぜ」
上田はガッカリしたような顔で、愛剣である『銀鉄の剣』の刃を眺める。
ピカピカだった刀身は、今や刃こぼれが浮かび、色合いもくすんでいる。さらには、刻まれた『鋭利』の魔法陣も、すり減って近いうちに効果を失いそうであった。
これまでは錬成を専門に行えるメンバーがいたからこそ、常に武器も最高の状態に整備できていた。
しかし、この状況下では錬成による手入れはできず、山田の言う通り、砥石を使うくらいしか、切れ味を回復させる手段はない。
「このまま使い続けたら、マジで使いもんにならなくなんぞ」
「もうすでに怪しい感じだしね。でも他に武器なんてないし」
「新しく武器を作って、ただのゴーマや弱い魔物相手にする時はそれを使うとか?」
「作るったって、俺らで作れるのなんて石器だけだろ。それなら、ゴーマから武器奪った方がずっとマシだ」
「……ねぇ、誰か倒したゴーマから武器って拾った?」
「無茶言うなや、奴らが攻めてきた時は逃げるだけで必死だろうが」
ここで現れるゴーマは、これまで散々倒してきた奴らとは立場が異なる。
ダンジョンのどこにでも現れるゴーマは、所詮は少数で徘徊しているだけの存在だ。しかし、ここはゴーマ王国のお膝元。ゴーマ一体いれば、その後ろには何百もの仲間が続いてもおかしくない。
速やかに殲滅できる小隊規模でもない限り、ゴーマを見つけてもこちらから手出しはしていない。
「まぁ、次にゴーマとやりあった時、できるだけ拾ってみるしかねぇな」
そんな場当たり的な解決策しか出ずに、話は終わる。
いつまでも話し込んでいる暇はない。なにせ、腹が空いているのだ。なんとしても、今日はマトモな獲物を狩らなければ。ゴーマに殺されるのは御免だが、飢え死にするのも絶対に御免である。
そうして各々、武器を手に一晩の塒である廃墟から出た時であった。
ヒュウン、という風切り音が響き、
「ちいっ、敵襲だ!」
バラバラと幾つもの矢が雨となって降り注いで来た。
ゴーマ軍団の襲撃である。どうやら自分たちの居場所はとっくにバレており、敵は出待ちをしていたようである。
「ザブアッ、ゲバァーッ!」
2階建ての廃墟屋上に陣取ったゴーマの射手隊に、リーダーのゴーヴが攻撃指示を叫んでいる。
再び頭上から矢の雨が降り、一旦、屋根のある廃墟まで後退する。
「俺が先頭で突破口を開く!」
「姫野と中嶋は射手を黙らせてよね」
「射手は何か所にも陣取っていたから、全部は無理だけど、半分は抑えるよ」
「姫野、遅れんなよ」
「死ぬ気で走るわよ!」
素早く対応策を決めた5人は、意を決して外へと飛び出す。
鎧兜に盾を持つ山田を先頭に、両脇を上田とマリが固める。
その後ろに姫野と中嶋が続き、廃墟から出ると同時に魔法を放つ。
「んんー、目いっぱいに弾けろぉ、『光矢』ぁ!」
「————『氷砲』」
姫野が放った『光矢』は、屋上に並ぶゴーマ射手を貫くよりも前に、眩い閃光を発して弾けた。
本人は『光矢』のつもりだが、実際には立派に『閃光』の魔法である。十分な光量を撒き散らし、射手の視界を塞ぐ。
さらに別な場所へ陣取る射手には、中嶋の『氷砲』が炸裂する。範囲攻撃魔法だが、ダメージに期待したものではなく、姫野の閃光と同じく視界を閉ざすことが目的だった。真っ白い冷気が濛々と煙り、ゴーマの周辺に滞留する。
これで、二か所の射手隊は一時的に攻撃を中断させることができたが、ゴーマはまだまだ沢山、配置されている。
別な場所から降り注ぐ矢に加え、木を尖らせただけの粗末な投槍も入り混じり、攻撃密度が上がっていく。
「痛っ、くそ、掠った!」
「『応急回復』!」
「カスリ傷は後回しでいい、撃ち続けろ姫野!」
「じゃあ矢が刺さるまでは回復しないからね!」
矢が肩を掠めていったマリに、すかさず治癒魔法を飛ばした姫野だったが、今は『光矢』で射手を潰し続けた方が良い。多少のダメージは覚悟しなければ、この窮地は切り抜けられない。
「ンバ、ブゲラ!」
「ガァーバ、ゾン、ダグドラァ!」
廃墟の立ち並ぶ通りを100メートルほど駆け抜けると、いよいよゴーマの歩兵部隊が立ち塞がった。自分たちの圧倒的優位を確信しているのだろう。いつにもまして、奴らの士気は高いように見えた。
「突っ込むぞ、続け!」
雄たけびを上げて、鎧と盾に守られた『重戦士』山田が真正面からゴーマに突っ込む。その突進は、小学生の群れに車が突っ込んだように、小柄なゴーマを次々と撥ね飛ばしていく。
「退けよ、オラァ!」
「ぶっ飛べや、うらぁーっ!」
突進により開いた穴を、上田とマリがそれぞれ武技を振るってさらに広げる。後続の姫野と中嶋も遅れずに続き、魔法で随時掩護しながら、襲い来るゴーマ歩兵を越えていく。
二つ、三つ、とゴーマを薙ぎ払い突き進んだ先で、いよいよ真打が登場する。
「グバァーッッハッハッハ!」
大きなハンマーを担いだ、ゴグマである。周囲には完全武装のゴーヴ戦士が控えており、この襲撃部隊を率いる主力だと思われる。
流石に、ゴグマ含むゴーヴ部隊が相手となれば、ゴーマのように軽く蹴散らして突破するのは難しい。
「俺がゴグマを止める……その隙に、お前らは行け」
「なっ!? おい山田、それって」
「馬鹿、アンタ一人で止める気なの!」
「それしかねぇだろ————うぉおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
止める言葉もなく、山田は余裕の高笑いを上げるゴグマに向かって突撃して行った。
「山田ぁーっ!」
「そんなっ、山田くーん!」
「行けぇ、お前らぁ! 早く行けぇええええええええええっ!」
ガツンガツンとゴグマの振るうハンマーと打ち合いながら、山田は叫ぶ。自分の犠牲を顧みず、仲間を逃がすために。
何故、こうもあっさりと自分の身を投げ打つような真似ができるのか。それは誰にも分からなかったが、彼の覚悟を無駄にするつもりだけはない。
「行くぞぉ!」
ゴグマ相手に大立ち回りする山田を置いて、上田とマリが立ち塞がるゴーヴに斬りかかる。
死に物狂いで、ゴーヴを次々と切り伏せる。追い詰められた状況が、体の限界を超えて力を発揮する。
上田もマリも、中嶋も、これまでにないほど冴えわたる感覚と、湧き上がる力によって、ゴーヴを倒し、押し退け、ついに主力部隊の包囲を突破する————
「グブ、フフフ!」
「バハハハハハァーッ!」
そして、その先には二体のゴグマと、百を超えるゴーヴを引き連れた、本当の主力部隊が立ち塞がっていた。
「は、はは……マジかよ……」
「どんだけいるのよ、コイツら……」
山田が命を捨ててゴグマ一体を食い止めた。ならば、ここで上田とマリも一体ずつ、ゴグマの相手をすればいい。なんて、簡単に考えられるものではない。
「そんな……こんなの、もうお終いだ……」
「あっ、あ、諦めないでよ! なんとかなる、まだ何とかなるわよぉ!」
姫野の叫びも、今回ばかりは虚しく響いた。
体力と気力も、いい加減にもう限界だ。何日、奴らに追い掛け回された。奇襲に怯えて安心して眠れず、食事さえもロクに食えない。
今ここまで、ゴーマ部隊を乗り越えてきただけでも奇跡だ。
しかし、だがしかし、目の前に立ち塞がる二体のゴグマとゴーヴ軍団は、これ以上ないほどの絶望感を与えてくれる。
ヤマタノオロチとは、比べるべくもなく弱い存在ではあるが……多くの仲間を失い、僅か5人となってしまった彼らには、太刀打ちする術はどこにも残されてはいなかった。
「ちくしょう……ちくしょぉ……」
上田は剣を握る手を振るわせながら、とうとう涙が溢れてきた。それは、他の4人も同じだった。
一体、何のために戦ってきたのか。何のために、こんなに苦しい思いをしてきたのか。
俺達は、私達は、こんなところで終わるために————どうしようもない絶望感に打ちひしがれる彼らを、嘲笑うように、ゴグマはゆっくりと包囲を縮めていった。
そうして、ついにゴグマの握る巨大な得物が振り上げられ、
ゴォオアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!
天を衝き、大地を揺るがすほどの巨大な咆哮。
絶対的優位に湧いていた全てのゴーマ達も、ゴグマでさえも一瞬、身を竦ませた獰猛な叫びが轟く。
なんだ、と思うまでもなく、ソレは現れた。
崩れかけたビルの上から、巨大な影が降ってくる。
「行けぇええええええええええっ、キナコぉおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
そんな少年の叫びに応えるように、現れた巨大な魔獣が、ゴグマへとい襲い掛かる。
「プンガァアアアアアアアアアアアアアアッ!」
「ブゲッ、ンブァアアアアアアアアッ!?」
猛る雄叫びと共に繰り出される魔獣の巨大な拳が、巨躯を誇るはずのゴグマを易々と殴り飛ばす。
強烈にボディを打ち付けられたゴグマは踏ん張ることもなく、そのまま地面を二転三転しながら吹き飛び、後方に位置していたゴーヴの集団を巻き込んで盛大にクラッシュした。
「ベニヲ、火炎放射で炎の壁だ! みんなを守れ!」
さらに続けて少年の声が響くと同時に、今度は真っ赤なオルトロス、いいや、ケルベロス並みの巨躯と火力を放つ狼が疾走してくる。
「ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!」
高らかに響く遠吠えと共に、轟々と渦巻く火炎が迸り、もう一体のゴグマに直撃。
炎の熱と勢いで、崩れかけの廃墟の壁をぶち破って押し込むと、そのままさらに炎を周囲に巻き散らし、そこら中にいるゴーヴ達を焼いていく。
広範囲に渡って立ち上る炎の壁を前に、流石のゴーヴ戦士達も慌てて距離をとり、逃げ惑った。
「よーっし、行っけーっ! クリムゾングリリーン!」
今度は、炎の壁を割って、真紅の甲殻を纏う恐竜が現れる。
なんなんだ、と思う間もなく、大きく開かれた口腔と、その背に跨る者から、
「————『岩山崩落』ぉおおお!」
土砂崩れのような、膨大な質量と勢いをもって、土属性の上級範囲攻撃魔法が放たれた。
凄まじい量の土砂によって、広範囲を薙ぎ払い、無数のゴーヴ戦士が水に流されるアリのように、あっけなく飲み込まれていく。
瞬く間にゴグマ率いる主力部隊は総崩れとなり、最早、人間を狩るどころではない。
一体、何が起こったのか。それを理解できたのは、彼らの前に、一人の小さな少年が降り立ってからとなる。
「————やぁ、みんな、久しぶりだね」
魔獣と狼と恐竜が暴れ回る阿鼻叫喚の乱闘バトルの最中にあって、その少年は悠々と赤いラプターの背に乗り、漆黒の騎士を引き連れて、4人の前にやって来た。
「とりあえず、このリポーションは僕の奢りだから、まずは飲んで落ち着いて欲しい」
能天気に言いながら、両手に持った回復薬を差し出す。
それは夢でも、幻でもない。なぜなら、コイツなら、こんなことも出来るだろうと、誰もが思っているのだから。
「もっ、も、桃川ぁああああああああああああっ!」
かくして、桃川小太郎は、クラスメイトの窮地に何とか駆け付けることができたのだった。




