第279話 大戦士
グォオオオオオオオオオオオオオ!
と割れんばかりの歓声が、王国へ帰還した大戦士ザガンを迎えた。
「ザガン様万歳!」
「大戦士長ザガン!」
「ニンゲン殺しの大英雄だ!」
老若男女を問わず、通りに立ち並んだ同胞たちが賞賛と祝福の言葉を叫ぶ。
それらの声に、大戦士長ザガンは大きく手を振って返す。その様は堂々としており、浮かれた様子などは欠片もない。
それは正に、民からの歓声を受けるのに慣れた、大戦士として相応しい貫禄であった。
「見ろ、ニンゲンだぞ!」
「ニンゲンの死体だ!」
「なんておぞましい姿なんだ!」
先頭を行くザガンから少し置いて、大きな木の板が掲げられている。そこには、一人のニンゲンの死体が磔にされており、上下真っ二つとなった壮絶な死に様を、集った群衆に晒していた。
「王国の同胞達よ、見るがいい! 我らが大戦士長ザガン様によって討ち取られたニンゲンを!」
「邪悪なニンゲン共も、大戦士にかかればこの有様よ!」
死体の両脇に立つゴーヴ戦士が高らかに宣言すると、より一層、大きな歓声で通りは湧いた。
この熱狂は宿敵たるニンゲンを討ち取ったというだけでなく、強力な力を宿したニンゲンの集団が、王国の近くに出現した、というお触れが出たことで、民が震撼したことも大きいだろう。
王国を統べるゴーマ王オーマは、いち早くニンゲンの出現を察知し、王国にお触れを出した。そして速やかに討伐の軍を派遣し————大戦士長ザガンは、見事にニンゲンを討ち果たして帰還したのだ。
これほどの朗報はない。王国は安泰だ。この国には大戦士長ザガンという守護神がついている。如何に邪悪な神の加護を授かりし凶悪なニンゲン軍団が現れようとも、王国は決して負けたりはしない。
そうして熱狂的なパレードは続き、ザガンはそのまま王の元へと向かった。
そこは王国の中心に突き立つ、巨大な塔。『試練の塔』と呼ばれる古の遺跡周辺に建造された、ゴーマ神を祀る大神殿に、ゴーマ王オーマはいる。
オーマは、ただ強い力を持つだけのボスではない。偉大なる支配者にして、ゴーマ神の加護を最も大きく授かった、王の中の王。正しく選ばれし存在である。
王国最強のゴーマであるザガンも、最大の敬意と忠誠をもって、王の前にひれ伏した。
「大戦士長ザガン、ただいま帰還いたしました」
精悍なザガンの声が、朗々と玉座の間に響き渡る。
スルスルと広間を仕切っていた薄絹の幕が引かれてゆくと、その奥に、血の様に真っ赤な色をした玉座に座る、王の姿が現れた。
オーマ王は大きな体躯をしてはいない。痩せ細った老齢のゴーヴといった外見であるが、老人と侮る者は一人としていない。特徴的な真っ白い長い髪と髭を持つのは、王国ではオーマのみ。力を至上とするゴーマにあっても、その神秘的な外見は十分すぎるほどの畏怖を与えるだろう。
そんな神々しい王の両脇には、絹の衣装に色とりどりの装飾品を身に着けた、特大の腹部を持つ王国選りすぐりの美女が何人も侍っていた。
さらにその脇には不動の姿勢で武器を構えた、王の護衛である最精鋭の戦士が4名も控えている。その内の一人もまた、ザガンと同じく大戦士であった。
最高の女と最強の戦士を傍に置くのは、何よりも分かりやすい王の証。並みのゴーマでは直視するにも耐えられず平伏するより他はないが、大戦士長ザガンは、この王国においてはオーマ王に次ぐナンバー2といっても過言ではない。
その態度は玉座の間にあっても、なんら萎縮することなく堂々たる態度であった。
「うむ、よくぞ戻った、ザガンよ」
機嫌の良さそうな声。ザガンの威風堂々とした姿に、王は満足を覚えている。
「して、あのニンゲン共は、如何ほどであった」
オーマだけが持つ、真っ白い長い髭を撫でながら、ザガンへと問いかける。
「いずれも、油断ならぬ力の持ち主と見受けられました。私が確認したニンゲンは、全て邪神の加護持ちです。戦闘に参加していなかった弱き者を含めても、何かしらの力を持っていると見て間違いありません」
「ふむ……奴らの大将とは、見えたか?」
「ニンゲンの醜悪な顔の見分けはつきませぬが、一体、とても強い力の持ち主がおりました。僅かな間ながら、『巨大化』を使った私と、たった一体で対等に渡り合ったほどです」
「巨大化したお前と一対一で生き残るか。その者は、白かったか? 黒かったか?」
「眩いほどの、白い輝きを放っておりました」
「そうか……白き狂神の加護を受けた『光の御子』が出るとはな……」
オーマは考え込む様に目を瞑る。
ザガンには、王の深謀遠慮を推し量ることもできないため、ただ静かに伏せて次の言葉を待っていた。
「やはり現れたのは、恐るべき加護持ちのニンゲン共であったな。しかし、ザガン、お前の敵ではあるまい?」
「恐れながら、油断のできる相手とは言えませぬ。次に戦う機会を与えてくださるならば、万全を期して挑む所存にございます」
「ふっ、ザガンよ、お前は少々、慎重に過ぎるな。大戦士長たる者、もっと尊大に構えても良いのではないか?」
「申し訳ありませぬ。これが、生来の気質であるが故」
「ああ、そうだ、そうだとも。だから余はお前を気に入っておる。お前を置いて、大戦士の長を任せられる者はおらぬ」
ゴーマは武力を至上とする、実力主義の社会だ。必要以上に自らの力を誇示する者が多いし、ゴーマの男なら、常に力を示すチャンスを狙っている。謙虚などという概念は存在しない。
だからこそ、どんな相手も油断せず、冷静に観察し、戦力差と能力を分析できる頭脳を持つザガンは、ゴーマの中でも稀な存在である。
そんな冷静沈着な頭脳の持ち主が、祝福の子として誕生し、エリートとして育て上げられ、王国最強の大戦士となったのだ。ザガンは正に、オーマの右腕と言っても良い特別な存在であった。
「ここ最近、大遺跡の各地に送った同胞が次々と討ち取られていた。その中には、余の娘をくれてやった男の開拓村もある」
「まず間違いなく、あのニンゲン共の仕業でしょう」
「然り。奴らは遥か地上から、この広大な大遺跡を潜り抜け、ついに余の王国領まで侵攻してきおった。これは由々しき事態である」
「はっ、全てのニンゲンを始末するまでは、王国に安寧はありませぬ」
うむ、とオーマは大きく頷いてから、ザガンへと問いかけた。
「奴らは、大戦士抜きで討てるものか?」
「難しいでしょう。最低でもゴグマ三人がいなければ、確実に殺し切れるとは言えませぬ」
「ふむ、そうか……若い奴らに、競わせたのは失敗であったかもしれんのう」
ザガン率いる討伐隊は、早さを重視してすぐに集まった者だけを連れて行った、いわば偵察隊のようなものだ。本来は大戦士長であるザガンが出るまでもない規模の部隊編成であったが、自らニンゲンの力を確かめたいと、指揮をかって出た。
そして、ザガンだからこそ少数の手勢であることを承知し、ニンゲンというゴーマにとって最悪の宿敵と見えても、深追いせずに帰還という判断も下せたのだった。
その一方で、オーマはザガン隊から逃げたというニンゲンの追撃を命じた。
これには普段から血気盛んで、戦功を求める大戦士未満の若い者を中心に部隊編成をさせ、ニンゲン討伐の栄誉をかけて繰り出した。
ゴーマにとって最大の栄光、そしてニンゲンを喰らうことで得られる力のために、彼らは我先にと飛び出して行ったが————ザガンの見立て通りであれば、百人隊一つ程度では、ニンゲンの集団を殺し切ることは不可能であろう。
「多少は戦わせておかねば、納得できぬ者も多いでしょう。たとえ敵わずとも、挑む機会はあってもよろしいかと」
「まったく、若い者は無茶ばかりしよるものよ。少しはお前を見習う者がいればよいのだが、皆、お前の武勇しか見えんようだ」
「力を示すのも、大戦士の長としての役目であります故」
「そうとも、ザガンよ。此度のニンゲン討伐は、お前の力を示さねばならぬであろう」
「大戦士団の、出撃許可をいただけるのでしょうか」
「なに、そう逸るでない。お前には、あのニンゲン共が何を目指しているか、分かるか?」
「……上からここまで来た、ということは、大遺跡の最深部を目指しているのではないかと」
オーマは、ザガンの答えに満足そうに笑いながら頷いた。
「ならば、わざわざこちら側から出向く理由もなかろう」
「では、奴らは『試練の塔』へ来ると」
「必ず来る。邪神の導きによってな」
確信をもって、オーマはそう言った。
ザガンをしても、ニンゲンの崇める邪神について、詳しいことは知らない。
かの邪神はゴーマの神と敵対する永遠の宿敵であり、ゴーマとニンゲンの対立もまた同様である、という基本的な神話である。
そして邪神は加護をニンゲンに授け、強い力を与えるとも。神聖なるゴーマの民を滅ぼすための、邪悪な力を。
ザガンは長く戦士として戦ってきた経験上、ニンゲンを倒して喰らったことも、過去何度かあった。いずれも、邪神の加護を持つ強大な敵であり、その経験から加護の力がどれほどのものか身を以って知っている。
逆に言えば、そういった経験則しか分からない。
ゴーマの神に選ばれしオーマ王は、自分の知らない神の叡智も授かっているが故に、ニンゲンと邪神についてもより深い理解があるのだろう。
「大戦士団は王国の守りにつけ。逃げたニンゲン共には、余の『目』がついておる。合わせて、監視部隊も派遣する。何なら、奴らを追いかけまわし、疲弊したところを討っても構わぬ」
「はっ、オーマ様の仰せのままに」
跪き、深々と頭を垂れるザガンを前に、オーマは手にしていた長い錫杖で、コンコンと軽く床を叩いた。
合図を受けて、ザガンの後ろから複数のゴーマが現れた。王の従者である彼らは、神輿のように大仰な台を担いでやって来る。
「ザガン、先に褒美をとらせよう。こればかりは、早い方が良いであろう」
「いえ、全てオーマ様に捧げる所存です」
「良いのだ。まずは一体、ニンゲンを血祭りにあげたことを余と共に祝おうではないか————大戦士長ザガン、お前には討伐したニンゲンの心臓と半分の肉を与える」
ザガンの隣にそっと置かれた台座には、鮮血の滴る血肉が皿に盛られている。大雑把に切り分けられた何枚もの肉片と、それぞれ腕と足と思われる太い骨付き肉。
そして中心に置かれた極採色の皿には、赤黒い血に塗れた拳大の肉の塊。すなわち、心臓が置かれていた。
「もう半分の肉は、お前の方から戦功を認める者に分け与えよ」
「はっ、ありがたき幸せ。我が配下も、寛大なるオーマ王の褒賞に喜ぶでしょう」
うむ、とオーマが鷹揚に頷くと共に、従者が別な台座を設置してゆく。
王の前に置かれた台には、大皿が一つきり。
「頭は余がいただかせてもらおう」
大皿にかけられた赤い布が取り払われると、そこに現れたのは世にもおぞましいニンゲンの生首だ。
見開かれた両目から血涙が滴り、鼻の穴と口の端からも血の跡が残る。
その死相は、憎きニンゲンを討ち果たしたという、ゴーマとしてこの上ない征服感と達成感を感じさせてくれる。
そして、頭に生える気味の悪い黒い毛と、その下にある頭蓋を取り除き、露出させた脳みそ。死後半日しか経過していない、新鮮なニンゲンの頭脳は————最上の美味であると、オーマは大層、気に入っている。
「ふはは、ニンゲンの脳を口にするのは何十年ぶりか!」
そうしてしばしの間、玉座には仕留めた怨敵の血肉を貪る音が響き渡った————
遺跡の扉から締め出しを喰らい、ゴーマの追撃部隊を蹴散らし、命からがら洞窟を後にした、姫野達5人。
あれから数日が経過した。5人はまだ、生き残っている。
「あぁー、疲れたぁ……お風呂入りたぁーい」
「おい、姫野、お前の錬成でなんとか風呂とか作れねぇーのかよ?」
「風呂みたいなデカいの作れるワケでないしょ。アンタこそ男らしくサバイバル能力で風呂くらい用意しなさいよねぇ」
「馬鹿野郎、生き残るのための力がサバイバル能力で、大自然の中でノンビリ風呂入れるような贅沢できる魔法の力じゃねぇんだよ」
「桃川君はやってたじゃない!」
「あんなのアイツがおかしいんだって!」
「お前ら、元気だな……」
はぁ、とオッサン臭いくたびれた溜息を山田はついた。そういえば、自分の名前は『元気』なのだが、今はもう子供のようにはしゃぎ回れる気持ちなど、どこからも湧いてこないような気がした。
「おい、見ろ、水場がある。風呂は無理でも、水浴びくらいはできそうだぞ」
5人の先頭を切って、山田が歩いていく。
察知能力に優れた『盗賊』夏川がいない今、先頭を行く役目は山田となっていた。気配の察知能力に関しては『剣士』上田と『戦士』マリがメンバーの中では優れているが、単純に何かあった時、たとえば待ち伏せから先制攻撃を受けた時に、無傷で耐えられるのは『重戦士』の山田である。
盗賊並みの能力がなければ、罠や待ち伏せを先んじて察知することは難しい。ならば、攻撃を受けても問題ない者を先頭に立たせるのが次善の策と言うべきだろう。
「この辺は、どこかで見たような廃墟が並んでいるね」
「フツーにビルとかある感じだな」
周辺警戒をしながら、中嶋とマリが言う。
深い森林に飲まれてはいるものの、ここら一帯にはコンクリート製のビルのような、近代的なデザインの建築物の廃墟が転がっていた。
地下空間の天井まで届くような高層ビルは一つとして残っておらず、精々が5階建て程度の高さまでのものしかない。高層建築は軒並み崩れ去ったのだろうか。後はもう、巨大な瓦礫の山が転々とあるのみだ。
「完全に崩れ去ってるけど、水道は通ってんのかな」
山田が発見した水場は、廃墟の一角から突き出た、赤茶けて錆びついた大きな菅からジャバジャバと水が流れ落ちている場所であった。
妖精広場の噴水が今でも稼働していることから、建物が壊れていても古代遺跡のインフラが生きているというのはおかしな話ではない。
山田は率先して、流れる水を手ですくい、口に入れた。
実は学園塔生活の頃、釣った魚のなかには、フグのような毒をもつ魚を始め、他にも様々な毒持ちが色々といた。別にそれらを食べたワケではないが、毒持ちを見分け、処理している内に『毒耐性』のスキルを獲得していた。
直接的な戦闘に影響せず、デスストーカー級の猛毒となれば耐えきれない、さらにはあらゆる毒が無効化できるらしい小太郎の『蟲毒の器』の下位互換的な性能とあって、あまり重要視してはいない。
しかしながら、こういう時に迷いなく飲食物を口にして試せるのは、地味ながらもありがたい効果のスキルであった。
「……うん、大丈夫だ。コイツは真水だ。飲めるぜ」
「よっしゃあ!」
山田による毒見が済んで、4人は喜び勇んで壊れた水道管から流れる水へと駆け寄った。
妖精広場という安全地帯が存在しない今、無限に飲める綺麗な真水というのも、確保するのは難しい状態であった。
小太郎の全員脱出を見据えたサバイバルセット作りも、完全に終わっているワケではない。故に、小太郎と下川の合作である、綺麗な真水を出す水筒型のマジックアイテムも、奇跡的に姫野が一本、所持していただけだ。
その水の出る魔法の水筒も、幾らでも出せるわけではない。水精霊を宿すことで水を作り出している構造上、一日に精製できる水量には限界がある。
そして、その量は5人の人間が一日に必要とする水分をギリギリで賄える程度であった。
「ああぁー、もうこの際、水浴びでもいいわぁ……男子は後な」
「お前ら、覗くなよ?」
「おい姫野、芳崎の隣に立って言うと馬鹿みてぇだぞ」
蒼真桜のような隔絶した美貌には及ばないものの、芳崎博愛という女子は、かつて読者モデルを務めたことがあるほどには、スタイルも良ければ、顔立ちも整っている。
一方、姫野愛莉は眷属『淫魔』と化しても、容姿には何ら変化はない。
片やモデル体型のマリ。もう片方は、如何にも平均的な日本人の女子高生らしい、平坦な体つきと長くもない手足といった、ギリ標準体型。
並んで立つからこそ際立つ、残酷なまでのスタイル差。
「おい、上田、あんまそういう酷いこと言うなって」
「今のはちょっと可哀想すぎるんじゃないの?」
「はぁ? お前らだってそう思ってるから、酷いとか可哀想とか言うんじゃねぇか」
「————死ねぇ! 『光矢』ぁ!」
慌てて逃げだす三匹の男達。女性として耐えがたい屈辱に猛る姫野に、腹を抱えて大笑いのマリである。
過酷なサバイバル真っただ中の5人だが、それでも今日という日を、彼らは逞しく生き残っていた。




