第277話 ドン底の結束
「はっ、え……嘘でしょ、ちょっと————」
ゴウゥンッ! と音を響かせて扉は閉ざされた。
姫野愛莉は自分の身に何が起こったのか理解できず、というよりも、あまりにも辛い現実を受け入れられず、その場で座り込んだまま呆然としていた。
「おい、ふざけんな、開けろぉ!」
「なに締め出してくれてんのよ!?」
姫野を追い越し走り込んできた上田とマリは、閉ざされた扉を叩きながら叫ぶ。
「そ、そんな……俺達は、見捨てられたのか……?」
「……なんだよお前ら、別に俺を待っててくれたワケじゃねぇんだな」
扉の前で立ち尽くして悲壮に呟く中嶋の隣に、一足遅れてようやく山田が到着した。
「な、なんなのよ、これ……」
愕然としたまま、姫野はつぶやく。安全地帯に入れていたと思ったら、一転して絶望的な状況。
姫野、上田、マリ、中嶋、山田。実に五人ものクラスメイトが、この扉によって一気に分断されてしまった。
「なぁ、この扉、すぐ開くよな?」
「……無理でしょ。アンタも見たでしょ、姫野が剣崎に突き飛ばされるとこ」
閉まり行く扉に向かって必死で走っているのだ。その瞬間が、見えていないはずがない。
急いで、と声援を送るだけだった姫野の後ろに、明日那が立ったと思ったら、その背を思いきり蹴り飛ばしたのだった。
強力な『双剣士』の明日那が本気で蹴り込めば姫野の背骨ごと折れるだろうから、あくまで外へ押し出すだけの力加減はしたと思われる。結果的に殺害を狙う意図がある以上、自らの足で蹴り殺そうが、扉の外に押し出そうが、さほど変わりはないだろうが。
「あ、あれは、何かの間違いじゃあ」
「おい中嶋、流石にあれを擁護するのは無理あるんじゃねぇのか」
惚れた弱みとでも言うべきか、中嶋は信じられないと明日那の行動を言うが、山田の言う通り故意の犯行であることは明らかだった。
「あんな真似したんだから、もうアイツらにアタシらを助けようなんて気はないでしょ」
「いやでも、あれは剣崎の独断なんじゃねーのかよ! 委員長や蒼真が、こんなこと許すはず————」
「許すよ。つーか、許すしかないでしょ。ここで開けたら、殺し合いじゃん」
明日那が姫野を蹴り飛ばした理由は、考えるまでもない。
開閉の操作が効きそうもない遺跡の扉が閉まろうとする瞬間を、眷属『淫魔』としてゴーマと通じている疑惑のある姫野を排除する好機と捉えたのだ。やはり、直接その手にかけるのには抵抗はあるのだろう。
だが、こうして分断を狙って突き飛ばす程度なら、彼女はできる。桃川小太郎を転移魔法陣から突き飛ばした前科もあるので、尚更であった。
「ふざけんなよ、俺らは姫野の巻き添えで締め出されてるってのか」
「さぁ、アタシらが間に合わなかったのも事実だし」
「俺は完全に間に合わないと思って、走ってる途中でもう諦めてたぞ」
「おい山田ぁ、お前俺らが一緒に締め出されてちょっと安心してんじゃねーのか!?」
「すまん、ちょっとそう思ってる」
正直な申告であった。
クソ、と悪態をつくも、上田にはそれ以上、山田を責める理由もない。姫野が突き飛ばされようがされまいが、結果的に扉が閉まるまでに中へと滑り込むことはできなかったのだから。
「とりあえず、これからどうしようか?」
沈黙に包まれる中で、中嶋がポツリと言い出す。
どうするべきか。その問いに答えたのは、ここにいる誰でもなく、洞窟の入り口から響いてきたゴーマの叫び声であった。
「そうだ、ゴーマ! アイツらが来るぞ!」
「ど、どうすんのよ……もう、ここには逃げ場もないじゃん」
「今から入口から出て、洞窟の別れ道に入るとか」
「さっきの声、かなり近くまで来てるぞ。分かれ道に戻るより前に、奴らとかち合うだろ」
「じゃあどうすんだよ!? あのザガンとかいう奴が来たら、マジで俺らじゃ勝ち目ねーぞぉ!」
「そんなの知らないわよ!」
「えっと、じゃあ、その辺に隠れてやり過ごすとか」
「そんなんで奴らの目を誤魔化せたら、俺らここまで追い込まれてねぇだろ」
どうするべきか。答えなど、誰にも出せなかった。
この状況は、あまりにも絶望的すぎた。
閉ざされた扉はウンともスンとも言わず、再び開く気配はない。そもそも、向こうにこちらを助ける気があったとしても、操作ができないのではどうしようもない。
閉まる寸前の時に、小鳥遊が自分でも扉を制御できていないと叫んでいたようなことは、なんとなく耳に残っていた。
ウギョガァアアアアアアアアアアアアアアッ!
いよいよ、大きくゴーマの声が響き渡ってきた。かなり近い。もう奴らの集団がここへ雪崩れ込んでくるのは時間の問題である。
「俺ら、死ぬのか……」
「冗談じゃないわよ、こんなところで」
「嫌だ、死にたくない……俺は、俺はまだ自分の気持ちだって伝えてないのに……」
「……流石に、これはもうダメかもな」
目前に迫る敵。断たれた退路。望めぬ救援。
士気が最低にまで落ち込むのは、当然の状況だった。最早、武器を握る気力すらも失ってしまいそうなほど、陰鬱な空気が場を支配していく。
「————ブンガ、ゼブ、グバァ!」
「グゼブブガ、ンバ! ンバ!」
その時、ついに洞窟の入り口からゴーマが姿を現した。
ゴーヴ一体と、それに付き従う複数のゴーマ。その全員がしっかりと武装している。野良ではなく、間違いなくあの王国から繰り出されたゴーマ兵である。
最も先行して来た小隊であろう。彼らは一日かけて追い詰めた獲物にとうとう追いつき、歓喜の声のような叫びを上げながら、この地下空間へと躍り出る。
自慢の武器を振り上げ、我先にと士気の挫かれた人間目掛けて迫り————
「————『光矢』ぁ!」
先頭を走るゴーマの頭部に、光り輝く魔法の矢が直撃した。
「『光矢』! 『光矢』! 『光矢』ぁああああっ! うわぁあああ、死ねぇえええええええええええっ!」
やけくその様に連射される『光矢』。
姫野愛莉は絶叫を上げて、迫り来るゴーマに自分が使える唯一の攻撃魔法を叩き込んだ。
「なにやってんだ、戦えよお前らぁ!」
光矢のゴリ押しでゴーヴさえハチの巣にして倒し切り、小隊を全滅させてから、姫野は叫んだ。
「ひ、姫野、お前……」
「どうだ、私でもゴーマくらいぶっ殺せるんだよ! 何が裏切り者だよ、ちょっと角生えたくらいで大騒ぎしやがってよぉ————『光矢』ぁ!」
さらに入口から顔を覗かせたゴーマの頭を、正確無比に光の矢が射抜く。
「こんなところでぇ、死んで堪るかよぉ! おい、上田ぁ、山田ぁ、それから陽真ぁ! お前らここで生き残ったら好きなだけヤラせてやっから死ぬ気で戦えよコラぁ!」
「ちょっ、おま!?」
「今更、そういうこと言われてもな」
「や、やめてくれ、あれは気の迷いで————」
「うわー、アンタら、そういうアレだったの」
過去の関係について明言されたワケではないが、全てをお察しするマリであった。
「グズグズ言ってんじゃねぇぞこのボンクラ男共が! ここでクソッタレゴーマ共に食い殺されるか、生き残って私とヤルか選べこの野郎!」
「く、くそ、分かったよ……俺だって、こんなとこで死にたくねぇからな」
「そうだな、戦うしかねぇよな。でもやるのはいい。今はそういうのいいから」
「……俺も、戦うよ。こんな中途半端な気持ちのまま、死ねないよ」
「おい姫野ぉ、女のアタシにはなんにもメリットないんだけどー?」
「芳崎さんはごめんなさい。流石に女性を相手にするのはちょっと」
「はぁ!? こっちだってお前みたいなブサイク金貰っても無理だっての! なにが淫魔だよ、その顔で笑わせんな」
「ちょっとソレは流石に酷くない!?」
ははは、と誰ともなく、笑いだしてしまった。
この地獄のドン底みたいな場所で、教室の昼休みでバカなお喋りをしているような感覚だ。
けれど、それだけで、不思議と武器を握る力が戻ってきた。
ムゴォオオ、グガァアアアアアアアアアアアッ!
だから、獰猛な咆哮を目いっぱいに響かせながら、一体のゴグマが現れても、心は折れなかった。
「私ができるだけ雑魚を片付けるから、なんとかあのデカいのを倒しなさいよね、アンタ達」
「分かってるっての。ただのゴグマぐらいなら、なんとかしてやるよ!」
「俺がアイツを止めるから、攻撃は任せるぞ」
「任せなよ。こん中じゃあ、アタシの武技が一番威力あるから」
「俺も、戦いながら魔法で出来る限り掩護するよ。ゴグマの方も、ゴーマの方も」
「さぁ、行くわよ! 死ぬ気で戦えぇーっ!」
「みんなー、生きてるぅ……?」
疲れ切った姫野の声が、ぼんやりと木霊する。
「生きてるぞー」
「なんとかな」
「あー、マジもう無理、死ぬ……」
「や、やった……俺達、勝ったんだ……」
絶体絶命を背水の陣に変えて、正しく死兵と化してゴーマ軍団と真正面から戦い、五人は全員、生き残った。あるいは、途中で一人でも欠ければ、そのまま押し切られて全滅は免れなかったであろう。
それほどの激戦。それほどまでに、勝ち目の薄いギリギリの戦いであった。
「おい姫野、早く回復してくれ。痛くて堪んねぇよ」
「無理、もう魔力尽きてるから動きたくないの」
「とか言いながら自分には回復かけてるじゃねーか!?」
「これが最後の治癒魔法なのー」
半ば事実でもあった。姫野はこれほどまで魔力を消耗したことは、過去に一度もない。
「いやぁ、やればなんとかなるもんね……姫野、やるじゃん」
「ただヤケになっただけよ。もう自分を取り繕ったって、どうしようもないし」
マリの問い替えに、姫野は苦笑を浮かべながら素直に答えた。
この期に及んで、もう隠し立てするようなことなど、何もない。媚びを売りたい男もいない。ここに残っている男子は、三人が三人とも、かつては自分の体に夢中になったくせに、今では見向きもしない薄情な奴らである。
かといって、それを蒸し返して責めようとは思わなかった。最初の学級会で、黙秘を貫くことを選んだから、というだけではない。単純に、もう何の未練もないというだけのこと。
きっと、それもまた一つの成長だった。
「……あのさ、桃川君の言ってたこと、やっぱり本当だったのよ。黒幕は小鳥遊小鳥だわ」
「おいおい、なに言いだしてんだよ急に」
「上田、ちょっと黙ってな。話しなよ姫野、聞いてやるからさ」
「ありがとう、芳崎さん。正直に言えば、私は確かに、眷属『淫魔』なの————」
最初は、本当に『治癒術士』であった。
けれど中嶋陽真に体を使って取り入った頃に、眷属『淫魔』と化した。
治癒術士としての能力は失われなかったので、今の今まで、小鳥遊が盛大に暴露するまでは秘密にするのに問題はなかった。
「だから、アンタらトリオと出会った頃には、私はもう淫魔だったの」
「ま、マジかよ……道理で、学園にいた頃とキャラ変わってると思ったぜ」
「別に淫魔になってなくても、同じことしたけどね。強い男に取り入るのは、女として当たり前の————って、痛ったぁ!? なにすんの芳崎さん!?」
「や、なんかムカついたから」
こちとら天道龍一に体で取り入ることも叶わず、健気に『戦士』として戦ってきたのだ。女の武器を使ったことを悪いとは言わないが、それが当然、賢い選択、と開き直れられるとイラつくのも事実であった。ちょっと、足くらい出る。
「それで、トリオと山田も取り込んで、上手くやってたって? あっ、もしかしてアンタ、桃川ともヤったことあんの!?」
「え、いや、桃川君がトリオと山田に合流した頃は、もう私が出て行った後だから」
「あっそう。ちぇっ、アイツの弱み握れると思ったのになぁ」
「桃川君はウチのクラスで一番気合の入った性癖だから、双葉ちゃんか蘭堂さんくらいのアレじゃないと絶対、堕ちないわ」
「あー、杏子とか双葉くらいのアレかぁ」
心から納得したマリである。最初に合流した時から、小太郎の視線はいつも杏子の胸元の揺れに集中しており、ジュリマリの二人にそういう目が向けられたことは一度もなかった。
ルックスにはそれなり以上の自信を誇る二人だったが……龍一に続いて、小太郎にさえまるで異性としての目を向けられていないことに、地味にショックというか危機感を覚えたりもした頃だった。
「つーか、なんで出て行ったん?」
「……淫魔の力といってもね、どんな男も魅了できるほど万能じゃないってことよ。というか、全然、大した力なんてないし」
「俺らがみんなレイナちゃんに夢中になってたから、発狂して飛び出してったんだよ」
「ぶふっ、なにそれ、超ウケるんですけど!」
「そこ笑うとこじゃなくて同情するとこじゃないの!? あの時も私だけ悪者にされて責められたんだから!」
「あ、あれはもう過ぎたことだろ?」
「正直、今はすまんかったと思ってる」
「うるせぇ、黙れロリコン共」
「アンタ、よくそんなんで生き残れたわね。一人になった瞬間、死ぬんじゃない?」
「ええ、その通り。そんな時に私の前に現れたのが————」
「……あの時、見なかったフリするのが正解だったのかな」
「陽真くん酷ぉーい! あんなに愛し合ったのにぃ?」
「あれは違う、違うんだ……」
男運が良いのか悪いのか、ともかく、そうして姫野は再び中嶋と組んだことで、生き残ったのだった。
それからはマリも知っての通り、二人揃って学園塔まで合流することとなる。
「なるほど、アンタがこれまで何してきたのかは、よく分かったわ。それで?」
「要するに、淫魔といっても大した力もないし、私は特に悪いことはしてないわ。ゴーマと通じるなんて、ありえないし」
実際、先の死闘では姫野に対してもゴーマは普通に攻撃してきた。そのせいで、多少の傷も負っている。
もし共謀していたのだとしても、あのゴーマが演技で内通者にそれっぽく攻撃する、なんて器用な真似ができるとは到底思えない。そもそも、あの状況下でそんな演技など必要のない段階であった。
「さっきの角が生えたのだって、多分、私のせいじゃないと思う」
「あれも小鳥遊のせいだって?」
「私には何の自覚もなかったわ。というか、角生えるくらいの変化が起こるなら、淫魔の女神様から、新しい力とか授かってるはずだし」
あんなタイミングで、唐突に角が生えるという異常事態が起こり、姫野の眷属『淫魔』がバレてしまう、というのは不自然な出来事である。
淫魔であることを隠していた姫野ではあるが、彼女としては完全にハメられた気分だ。
「私が淫魔ってことで騒ぎになって、誰が一番得するのかって思えば……蒼真くん以外のクラスメイトを排除したい、小鳥遊ってことにならない?」
「……なるほどな。確かに、アタシらが見捨てられたこの状況も、思惑通りってことね」
小太郎があの時に叫んだように、小鳥遊が黒幕であれば、その狙いはクラスメイトを犠牲にして『勇者』の覚醒を促すこと。
最終的には覚醒した勇者と、自分の二人きりで脱出するのが目的であり、そのためには、他の全員はダンジョンで死ななければならない。
「都合よく私達だけ、この遺跡の扉で締め出したのよ。そして今も扉は閉じたままで、私達を助けに来ることもない。こんなの、完全に小鳥遊の狙い通りの状況じゃない」
あるいは、ゴーマと戦っている最中に扉が開いて助けにでも現れてくれれば、小鳥遊黒幕説を確信するほどではなかっただろう。本当に遺跡の扉を制御できずに分断されてしまっただけなのだと、不幸な事故だったのだと納得もできよう。
しかし結果が全てだというのなら、5人ものクラスメイトを一気に犠牲とするような状況を単なる不幸の一言で片づけるよりは、黒幕としての思惑が働いた、と見るべきだろう。
なにより、この遺跡の扉の制御を小鳥遊が出来るのか、出来ないのか。それは遺跡を操る術を他に誰も持たないために、証明することもできないのだ。
小鳥遊が黒幕であり、『賢者』として様々な能力を隠し持っているのだとすれば、今回のような細工なども十分に可能である。
「で、マジで小鳥遊さんが黒幕だったとしてよぉ……これからどうすんだよ」
「姫野、お前、復讐でもするつもりなのか」
「できるもんなら剣崎諸共あのロリ顔に『光矢』ぶちこんでやりたいけど、そんなことしてられる余裕ないでしょ。とにかく、生き残るだけで精一杯よ」
「どの道、もうアイツらのとこには戻れそうもないし……いっそ、桃川でも探す?」
「桃川君がこの最下層まで来ると思う?」
姫野の問いかけに、一同、やや沈黙。
「……俺は、アイツなら来そうな気がする」
「俺も桃川は来ると思う。少なくとも、小鳥遊さんを殺して、双葉さんを取り戻しには絶対に来るはずだ」
「ど、どうだろう、いくら桃川君でもそんなに上手くは……でも、這ってでも最下層までやってきそうではあるよね」
「杏子がついてっから、絶対、何とかして戻って来るでしょ、アイツは」
4人の解答は、小太郎の裏切りの疑惑がかなり晴れた、という分を差し引いたとしても、随分と前向きなものだった。
ここまで来るのに、ヤマタノオロチという強大なボスまで倒した。もう一度、ダンジョンの途中から攻略をやり直せと言われたら、間違いなく心が折れる自信がある。
それでも桃川小太郎なら、と不思議と誰もが思えた。
「ひとまず、ここから逃げる手段を探そうよ。小鳥遊の言う通り、この最下層が本当に閉ざされたエリアなら……その時は、桃川君が助けに現れるのに、賭けるしかないわ」
2021年1月1日
新年、あけましておめでとうございます!
お正月ですが通常通りの更新でお送りしています。
それでは、どうぞ今年もよろしくお願いいたします。




