第276話 崩壊(2)
「ち、違う! これは違うの、蒼真君!」
違う、と言われても、姫野さんの頭部から角が生えているのは紛れもない事実であった。
「おい、どうしたんだよ」
「敵はいないのかい?」
少し遅れて、山田や中嶋もやって来る。流石に騒ぎが気になったか、元気のない顔で黙っているが、上田もついて来てるようだった。
結局、今は偵察に出た夏川さんを除く全員がここへ集まり……角が生える、という異変が生じた姫野さんを囲むことになってしまった。
「待って、これは何でもないの! っていうか、私も何でこんなになってるのか分かんないし!?」
「落ち着いてくれ、姫野さん、分かったから」
「ダメ、蒼真くん!」
ひとまず、なだめるように言いながら姫野さんへ近づこうとした俺を、叫んで止めたのは小鳥遊さんだった。
「近づいちゃダメ……姫野さんは、多分、もう人間じゃないから……」
「ちょっと!?」
「な、なんだって……?」
小鳥遊さんが姫野さんを見る目は、もう仲間に対してのものではなく、モンスターに向けるそれであった。つまりは、純粋な恐怖の目。
「————眷属『淫魔』。私の『真贋の瞳』には、そう見えるの」
「なっ!?」
なんのことだか、すぐには分からない。だが、絶句したような表情の姫野さんを見れば、どうにも真実を言い当てたらしいと思えるが……
「本当なのか、姫野さん。眷属の『淫魔』とは、なんなんだ」
「し、知らないわよ、私、そんなの……」
明らかに動揺しているのは、濡れ衣を着せられているからか、それとも、隠し通していたことを見破られたからなのか。
「私は天職『治癒術士』で、ほら、ちゃんと治癒魔法だって使えるし!」
確かに、その通りではある。治癒魔法の腕は桜には及ばないものの、きちんと効果を現わしている。ヤマタノオロチ討伐戦でも、みんなの負傷を治すのに役立ってくれた。
「……うん、天職『治癒術士』って見えたけど、角が生えた今は、眷属『淫魔』って見えるの」
「正体を現した、ということなのか?」
「違うわよ! こんな角が生えるなんて私、知らない、私のせいじゃない!」
「黙れ、姫野。さては貴様、今まで私達を騙していたな」
叫ぶ姫野さんに、明日那は腰の刀に手をかけて言った。すでに、その体からは殺気が発せられている。
「待って、明日那、早まった真似はしないで!」
「いいや、委員長、仲間を騙す裏切り者は絶対に許せない……姫野、お前は私達に取り入って何を企んでいた! 言え!」
「ま、待って、私なにもしてない……みんなを騙すなんて、するわけないじゃない……」
両手を上げ、涙目の怯えた表情で姫野さんは言う。
その様子は正に、身に覚えのない罪で責められている女子の姿そのものだが……俺には、判断がつかない。騙す者は、巧妙だ。そう、桃川のように、ソレと全く悟られず行動できる。だからこそ、恐ろしい。
その恐怖心が故、だろうか。
俺はそれ以上、すぐに姫野さんを庇うようなことを言えなかった。
「姫野さん、まさか貴女のせいで、ゴーマが襲ってきたのではないでしょうね」
「は、はぁ!? そんなワケないじゃない! 私だって襲われてるのよ!」
「小鳥、眷属というのは、天職とは全くの別物ですね。けれど天職と同じように、何かしらの力を得るものではあるのでしょう」
「うん、そうだよ。天職は神様から力を授かっているけど、眷属は、多分……魔物の神から、力を授かってるんだと思う」
「おい、それじゃあ……」
「本当に、姫野さんがゴーマを呼び寄せたんじゃあ……」
「違う、違う! 私そんなことしてない! するわけないじゃない!」
「魔物の神の手下だというなら、私達の命をずっと狙っていたんだろう! お前も桃川と同じ、卑劣な裏切り者だっ!」
ついに明日那が刀を抜いた。ギラつく白刃の切っ先を、躊躇なく姫野さんへと向ける。
その凶行を咄嗟に止めに入れなかったのは、俺もまた、彼女を疑っているからに他ならない。このまま放置すれば、また桃川の毒殺事件のようなことが起こるのではないかと。
けれど一瞬の逡巡の後に、考えを改める。
ダメだ、疑わしいと、それだけの理由で仲間を手にかけることなど、あってはならない。何を迷っている。俺は仲間を守らなければならないんだ。そこには、この姫野さんだって含まれている。
そして何より、ついさっき仲間を失ったばかりだ。これ以上はもう御免、絶対に許容できない。
「————やめて」
しかし俺が迷いを振り切るよりも先に、彼女は動いていた。
刀を手にした明日那の前に、両手を広げて堂々と立ち、その背に姫野さんを庇う。
「やめて、姫ちゃんをいじめないで」
「くっ、双葉……」
双葉さんであった。
桃川の裏切りにあい、心を失っていたはずの彼女は、友人の危機を前に動いたのだ。その姿を見て、俺は強く自分を恥じた。一瞬でも、裏切りの恐怖に負けて迷ってしまった、自分の弱い心を。
「やめるんだ明日那、刀を納めろ」
「そうよ、ここで姫野さんを斬って解決なんてしないわ。落ち着きなさい」
俺と委員長、二人で明日那を止める。
「だが、コイツは……」
「大丈夫だ、明日那。俺を信じろ」
刀を握りしめる彼女の手を、俺はそっと握った。震えている。
その震えは、俺と同じ迷いが故か。それとも、あまりにも堂々と立ち塞がる双葉さんに気圧されているからか。
どちらにせよ、ここで明日那に剣を振るわせるわけにはいかない。俺はそのまま、ゆっくりと納刀させた。
「みんな、聞いてちょうだい、姫野さんのことは————」
「————大変だよ! ゴーマが来てる!」
その時、夏川さんが戻ってきた。
ゴーマが来る。たった一言で、再び緊張感が全員の間に走る。
「みんな、落ち着け! 夏川さん、ゴーマはどれくらいの距離まで迫ってる」
「あと五分くらい! 多分、私達が洞窟に隠れていることを知ってるんだよ。真っ直ぐこっちに向かってるから!」
「それは、やはり姫野さんのせいでは」
「桜、それを言うことは俺が許さない」
最悪のタイミングだ。桜の言う通り、やっぱり姫野さんがゴーマをここへ呼び寄せている裏切り者ではないかと思わざるを得ない。
けど、それでも……ここで彼女を切り捨てるなんて真似はできないし、他の誰にもさせられないんだ。
「急いで逃げよう。夏川さん、先導を頼む」
「待って、蒼真くん。外に逃げるよりも、このまま洞窟を進んだ方がいいと思う」
「そうなのか?」
「『盗賊』の勘だよ。この洞窟はかなり深いし、奥の方にはきっと『何か』があるって」
「美波の言う通りにしましょう。どの道、外に逃げても大した有利はないもの」
「そうだな、夏川さんを信じよう」
反対意見は出なかった。間近にゴーマ軍団が迫っている中、真夜中の森を進みたい者もいないだろう。
この洞窟の先に何があるかは分からないが、それでも僅かでも希望があると信じて進むしかない。
「う、うぅ……双葉ちゃーん……」
「姫ちゃん、大丈夫だよ、泣かないで」
姫野さんは、双葉さんに抱きしめられて大泣きしていた。大きな胸に顔を埋めて涙する友人の頭を、双葉さんは子供をあやすように優しく撫でている。
彼女が撫でている姫野さんの頭には、いつの間にか、疑惑の発端となった角は、跡形もなく消え去っていた。
俺達は洞窟を奥へと進む。夜でなくても、天然の洞窟である以上は光源などあるはずもなく、桜が召喚した光精霊だけが、暗闇を照らし出す。
どれだけの時間が経っただろうか。時折、後方から響いてくるゴーマの鳴き声のような音を聞きながら、俺達は神経をすり減らすように前へと進み続けた。
「本当に、ここはただの洞窟ではなかったようね」
「ああ、こんな遺跡が埋もれているとはな」
洞窟には、ちらほらと明らかに人工物と思しき、柱や壁面などが現れ始めた。
元から地下施設だったのか、それとも最下層エリアの地形変動などで埋もれてしまったのかは分からない。
「兄さん、ここの遺跡は今までのダンジョンとは造りが違うように見えますね」
「鉄、ではないようだが……この光沢は明らかに金属製だな」
岩肌から覗く遺跡の残骸は、今までのある意味ではファンタジーのダンジョンらしい石造りとは異なり、鈍い金属光沢を放つ謎の建材によって作られていた。
どれほど長い時間ここに埋もれていたのかは知らないが、柱や壁は降り積もった砂埃などで薄汚れてはいるものの、赤茶けた錆は全く見当たらない。恐らく魔法の金属である光鉄、それもかなり高度に錬成されたものではないかと思う。
「きっと、これがダンジョンの本当の建物なんだよ。天送門のある場所も、こんな風になってるはず」
「なんだか、SFのようだな」
「転移魔法でもワープでも、一瞬で移動できるなら、どっちでもいいんじゃない?」
「確かにな。どちらであっても、私達の人知の及ぶものではなさそうだ」
そんなことを、明日那と小鳥遊さんは手を繋ぎながら話していた。
敵襲を警戒するなら、前衛である明日那が手を繋いでいるのは良い体勢ではないが、姫野さんの『眷属』を見破りショックを受けていた小鳥遊さんが落ち着くなら、この方が良い。
普通にお喋り出来ているところを見ると、もう大分、落ち着いてくれたようには思える。
「みんな、注意して。この先、凄く広い場所に出るみたい」
先行する夏川さんの報告に頷き、俺達は一列縦隊から、突入できる体勢へと変更する。
洞窟を抜けて広い空間に出たなら、どんな魔物が根城にしているか分かったものではないからな。
「よし、行くぞ」
朝からゴーマに追い回され、仲間までも失い、挙句に姫野さんの疑惑と、俺達はもう全員、心身ともに疲労困憊だ。ここでボス戦のような激しい戦闘となれば、耐えられるかどうか分からない。
出来る限り戦闘は避けられるよう、俺達はゆっくりと慎重に先へと進んだ。
「……何もいないな」
「うん、私も魔物の気配は感じられないよ」
幸いにも、広々とした地下空間は静かなもので、雄たけびを上げて巨大モンスターが飛び出してくるといったことはなかった。遠くの方から、水滴がポタリと滴っている音だけがここには響いている。
広大な空間を桜の光精霊が照らすと、殺風景な岩肌だけが浮かび上がるが————ちょうど前方の一角だけは、例の金属質な遺跡の壁面が大きく見えた。
「見て、あの遺跡の壁、ドアみたいなのがついてるよ!」
「ええ、大きなシャッターのようになっているわね。あそこを開けて中に入ることができれば、今度こそゴーマの追撃も振り切れるかもしれないわ」
「うん、分かったよ。小鳥が見てくるね!」
「こら、小鳥、一人で行くな、危ないぞ」
見渡したところ、どうやらこの場所で洞窟は行き止まりになっているようだ。
小鳥遊さんが遺跡の扉の開放に成功すればみんな助かりそうだが、もしダメだったら……その時は、覚悟を決めてここで追撃部隊を迎え撃つしかないな。
「俺達はここの入り口を固めよう。いつゴーマが来るか分からないからな」
ここに至るまで、多少の分かれ道はあったが、それだけで奴らをまけるとは思えない。俺達のすぐ後ろをゴーマは追いかけ続けているはず。
そう時間はかからず、奴らはここへと雪崩れ込んでくるだろう。
「頼むぞ、小鳥遊さん……」
今は彼女の『賢者』としての力に賭けるしかない。
祈るような気持ちで、俺はゴーマの襲来に備え元来た洞窟を注視した、ちょうどその時であった。
ゴゴゴゴゴ————
地の底から地響きを立てて、大きな揺れが襲ってきた。
「地震だっ!」
「嘘でしょ、こんなところで!?」
震度は3か4といったところか。はっきりと揺れを感じるが、立っていられないほどではない。
しかし、ここは洞窟の中だ。カラカラと頭上から幾つもの小石が降り注ぎ、最悪の展開を予想させた。
「みんなぁー、早く逃げて! 扉は開いたよぉーっ!」
見れば、小鳥遊さんが大声で叫んでいる。
彼女は白い灯りの灯った、扉の開いた先の部屋へとすでに入っており、非戦闘員として一緒にいた双葉さんと姫野さん、それから素早い警戒のための夏川さん、合わせて四人がいる。
「急いで遺跡に避難するぞ! ここは崩れる!」
俺が叫ぶと同時に、ドゴン、と巨大な岩の破片が轟音を立ててすぐ傍に降り注いだ。天井が崩落しなくても、大きな岩があの高い天井から降り注ぐだけでも危険だ。まるで範囲攻撃魔法である。
「きゃあああああっ!」
降ってきた石の破片が、狙いすましたかのように桜の頭上に迫る。だが、寸前で輝く光の結界が、石を防いだ。
『聖天結界』があって良かった。直撃してれば、そのまま昏倒してもおかしくない。
だが万能な防御魔法があっても、崩落に巻き込まれれば一溜りもないだろう。
「桜、来い!」
「兄さん!」
ハッとした様子で駆け寄ってきた桜を俺は抱き上げる。移動系武技を持つ俺が、抱えて走った方が早い。
「委員長も来るんだ」
「えっ、ちょっと、私は————」
「いいから早く!」
問答無用で委員長も担ぎあげる。両肩に桜と委員長をそれぞれ抱え、俺は『千里疾駆』と『縮地』を同時発動させて走り出す。
洞窟入り口に陣取った面子の中では、桜と委員長が最も非力だ。だから、一番速く動ける俺が二人担いで行くのが一番だろう。
天職の力があれば、特に武技や魔法がなくたって、女子二人を担ぎ上げるのも苦じゃない程度のパワーは得られる。
十分な速さでもって、俺は次々と大岩の降り注ぐ洞窟を駆け抜ける。
「無事か、蒼真!」
「ああ、桜も委員長も大丈夫だ」
「馬鹿、お前のこともだ」
「そんなの、見ての通りだよ」
入り口から最も早く扉を潜り抜けたのは、夏川さんに次いで移動系武技に優れる明日那だった。全力疾走なら俺の方が速いはずだが、二人抱えるとやはり速度は劣ってしまうな。
「すみません、兄さん。お手数をおかけしてしまって」
「余計なお世話、と文句は言えないわね。正直、助かったわ、悠斗君。ありがとう」
「礼を言うのはまだ早いぞ。二人は防御魔法で、みんなの援護を————」
ヴィイイイイイイイイイイイイイイイッ!
台詞を遮るように、けたたましいサイレンの音が鳴り響いた。
「な、なんだ!?」
「ああっ、そんなぁ、扉がっ!」
小鳥遊さんの悲鳴で、何が起こったのか理解できてしまった。
開かれた扉、巨大なシャッターが左右から、再び閉じようと動き始めていたのだ。
「小鳥遊さん、止められないのか!?」
「と、止まんないよ! この扉だって、小鳥なにもしてないのに勝手に開いただけで……」
くそ、都合よく開いたと思ったけど、制御できていたワケじゃないのか!
「みんな急いで! 扉が閉まるわ!」
事ここに及んでは、急げと叫ぶことしかできない。
だが、間に合うか————いや、無理だ。
上田、中嶋、芳崎さんはギリギリで間に合いそうな速力が出ている。だが、『重戦士』の山田はこれといって素早さが上がる技などは持たない。パワーと防御は人一倍だが、素早さに欠けるのは天職の特性として仕方がないことだった。
「ダメ、兄さん!」
「桜、離せ! 俺が行くしかないんだ!」
覚悟を決めて踏み出そうとしたその時、桜が俺の手を掴んで引き留めた。
「兄さんでも、無理です。もう間に合いません」
「行かせてくれ。じゃないと俺は————」
問答している時間も惜しい。
巨大で分厚い金属製の扉は、かなりの勢いで閉じかけている。もう一秒の猶予もない。
俺は桜の手を強引に振り払い、駆けだそうとしたその瞬間、誰かが俺を追いこして飛び出していった。
「えっ」
という間抜けな声を置き去りにして、彼女は勢いよく閉まりかけの扉から外へと飛び出す。
いいや、違う。俺の様に自らの意思で、仲間を助けるために出て行ったのではない。
突き飛ばされたのだ。
姫野さんが、突き飛ばされて扉の外へと放り出された。
「いぎゃぁ!? いっ、痛ったぁ……」
結構な距離を吹っ飛ばされた姫野さんが、受け身もとれずに無様に地面へと転がった。
痛い痛いと泣き言をいいながら、よろよろ立ち上がった時には、もう全てが手遅れだ。
「はっ、え……嘘でしょ、ちょっと————」
ゴウゥンッ!
無慈悲な衝突音を立てて、巨大な遺跡の扉が完全に閉ざされた。
もう、外の揺れも感じなければ、轟音もサイレンの音も聞こえてこない。勿論、姫野さんと、取り残された仲間達の声も。
「……明日那」
「わ、私は……するべきことを、した」
なら、どうして、そんなに冷や汗を流して、震えているんだ。
本当は分かっている。いいや、思い知らされたんじゃなかったのか。いくら怪しくても、恐ろしくても、それをするのは許されざると。
明日那、お前はまた、仲間を————
2020年12月25日
今年最後の更新となります。次回はいつも通りに一週間後、1日元旦となります。
今年は大変な年となりましたが、この作品としては大きく話が動き、とても盛り上がったかなと思います。ヤマタノオロチ討伐から小鳥遊の黒幕発覚、リライトとの合流を経て横道を倒し、そして学級崩壊へ・・・正直、今回の章は御覧の通り主人公不在の章となっておりますが、感想欄は大変賑わい、好評をいただいているのは想定外の喜びです。
私としては、単にここで小太郎が抜けたクラスがどうなるか、を描かねばならないストーリー構成の必要性と、クラスメイトのキャラも十分に立っているとの判断で、思い切って主人公不在で丸ごと一章描こうと決意しました。主人公不在の話の不評ぶりはなろう作品では恒例ですし、かつて私も経験したことですが、こんなに盛り上がるとは本当に予想外でした。
これはきっと、最近流行りの追放後にパーティとか組織とかが崩壊してざまぁ感を見せる楽しみ方と、偶然にも今の流れが一致したのではないかと思います。
ただ、実は有能だった主人公を追放したせいで大変なことになってざまぁ! 今更もう遅い! をするだけで終わるお話ではありませんので、学級崩壊の行く末に、小太郎がどうするのか、是非楽しみにしていただきたいと思います。
それでは、来年も『呪術師は勇者になれない』をよろしくお願いします!




