第271話 最下層へ(3)
ついに、俺達が最下層への転移を決行する日が来た。
コアは転移に必要な分に加え、小鳥遊さんが錬成に使う分も確保してある。武器防具は勿論、サバイバルに必要なアイテムや、水と食料も各自で持っている。
今の二年七組の計画は、桃川が語った通り、脱出した三人による救助隊の編成と、残りは徒歩での脱出を図ること。
アイツにとっては、俺達を油断させるためのもっともらしい嘘に過ぎなかったが、クラス全員が助かる方法として、現状で最も可能性があるのも事実だ。勿論、以前に選出した救助隊メンバーの編成は、大幅な変更を余儀なくされたが。
だから最下層の天送門を起動できたとしても、それで全て終わりではなく、むしろ長い脱出行の始まりである。そのための準備も、学園塔にいる内にしっかりと整えた。
お陰で、負担が小鳥遊さん一人に圧し掛かることになったのは、申し訳なかったが。でも、彼女は泣き言一つ言わず、懸命に取り組んでくれた。
俺はなんとか『簡易錬成陣』は習得できたが、やはり相性が悪いのか、より上位の術式はさっぱり出来そうもない。俺にできることは、姫野さんと中嶋と一緒に必要な材料の一次加工という地味な下ごしらえだけだった。
姫野さんはやけに嬉しそうだったけど。きっと、こういう作業が好きなのだろう。
錬成作業に関しては、ここでも桃川と、さらに蘭堂さんが抜けたことの影響を強く感じさせたが……それでも小鳥遊さんの頑張りと、みんなの協力もあって、無事に準備も完了できた。
この学園塔でできることは、もう何もないだろう。
今となっては、少々名残惜しくもあるが……俺達は、もう二度とここには戻らないと誓って、学園塔を後にした。
「————それじゃあ、みんな、行くよ!」
ヤマタノオロチという大ボスは消え、あの大量のガーゴイルも荒野へと散り散りになり、もうここに俺達を阻むモノはなにもない。
クラス全員で大きな転移魔法陣に乗り、小鳥遊さんがコアを消費して術式を発動させる。
俺には小鳥遊さんのように魔法陣の解析などはできないが……それでも、今までよりも多くの魔力を消費して、この転移が機能していることを感じられた。
そうして、眩い光に包まれて、俺達は転移を果たし————
「————ここは」
視界が戻ってくると、大きく開けた景色が目に入った。
ジャングルのような新緑に覆われた深い森。その中に、転々と石造りの遺跡が顔を覗かせている。
以前にも、こことよく似たエリアを通ってきたことがある。まさか、戻されたワケではないよな……?
「小鳥遊さん、ここは本当に最下層なのか?」
「……」
「小鳥遊さん」
「あっ、ご、ごめんね、蒼真君! 私も、ちょっと思ってたところと違って、ビックリしちゃって。でもね、転移は成功してるよ! ここは間違いなく最下層だよ!」
と、小鳥遊さんはやや呆然としていたものの、すぐにそう断言してくれた。とりあえず、前のエリアに戻される、なんていう最悪な状況ではなくて良かった。
鬱蒼と生い茂る緑がまず目に入るが、よく観察すれば……ここの空が、巨大な岩肌に覆い尽くされていることに気づくだろう。
どれだけの高さがあるのか、ちょっと分からないほどの巨大で広大な地下空間である。
恐らく、あの岩肌には元々、古代の技術によって青空が映し出されていたことだろう。今まで通ってきたエリアには、空模様を映している場所も多くあったから。
けど、あそこまで剥き出しの岩肌が頭上を覆っているのは初めて見る。空を映す機能だけでなく、天井の構造そのものが剥がれ落ちてしまっているのではないだろうか。
だとすると、この最下層はダンジョンの中でも最も破損と劣化が著しい場所なのかもしれない。天送門は大丈夫なのだろうか……
「しかし、妖精広場じゃないところに放り出されたのは、初めてだな」
「兄さん、見てください。どうやらここは、妖精広場だったようです」
桜が指さす方向には、緑の蔦に覆われた大岩……のように見えたが、よく観察すれば、それが妖精広場の象徴でもある、噴水だと分かった。
噴水は半壊状態で、かろうじて円の原型を留めているといったところ。天辺に鎮座している妖精像は、もう短い両足しか残っておらず、それに絡みついた茨が、バラのような花を咲かせていた。
「なんとか転移はできたみたいだけど……ここはもう、妖精広場としての機能はなくなっちゃってるみたい」
「この有様じゃ、そうだろうな」
小鳥遊さんが、不安げに言う。
妖精広場は次のエリアに転移した時でも、最初の安全地帯として必ずあった。
だが、ここはもう完全に崩壊していて、魔物避けとしての機能はないだろう。最低限の食料保障となる妖精胡桃の木も、ジャングルの植生に負けて、もう一本も生えてはいなかった。
「ひとまず、先に進みましょう。コンパスはこの先を示しているわ」
委員長は真っ先に、道標たる魔法陣ノートを開いて、方向を確認していた。コンパスが正常に機能しているなら、大丈夫だろう。
「よし、みんな、ここにいても仕方がない。まずは先に進もう」
クラスメイト達も、荒れ果てた妖精広場の様子にざわついていたが、ここで騒いでいてもしょうがないとすぐに思ったようだ。特に反対意見もなく、動き出す。
妖精広場という安全地帯を確保できなかったのは痛いが、それでもサバイバルの用意は万全にしてきた。次の妖精広場が見つからなかったとしても、野営は可能だ。転移して早々の不測事態ではあったが、大丈夫だ、なんとかなる。
そうして、俺達はコンパスの導きに従って歩き始めた。
深い密林は進行速度を妨げる地形だが、ここが猛暑の砂漠や極寒の大地などといった、動植物の全くいない不毛の地じゃないだけマシだろう。
いくら準備をしたといっても、食料には限りがある。水だけは下川がいるので確保できるが。
ざっと歩きながら観察したところ、このジャングルは食料調達に重宝したあの無人島エリアとよく似た植生をしている。
あそこで培った、食用の植物や果実などの知識はここでもそのまま通用する。食肉となる動物も多そうだ。勿論、それだけ魔物もいるだろうし、あのドラゴンのような強力な魔物も生息している可能性は高いけれど。
それでも、ここが目的地に到着するまで何日もかかるような広大なエリアだったとしても、十分に食いつないでいくことができるだろう。
そうして、しばらく進んだ頃、
「あっ、見て! あの塔、なんかちょっとありそうな気がする!」
先頭を進む夏川さんが、緑の向こうに、崩れかけではあるが、他の遺跡に比べて明らかに大きな塔を発見した。
「塔を探索してみよう。妖精広場があるかもしれないし、他にも何か見つかるかもしれない」
「けれど、あそこが目的地ではなさそうね」
「ああ、でも大きくルートを外れているワケでもない。妖精広場がなくても、安全そうなら、今日はあそこを野営地にしてもいいだろう」
「そうね、結構、時間も経っているし。野営地は早めに見繕っておかないと」
委員長と相談して、そう結論付けた俺達は、夏川さんに続いて塔へと向かった。
「なんかここって、密林塔を思い出すべ」
「だよな」
「ちょうどこんな感じだったしな」
「何だか、酷く懐かしく思えるぜ。まだ三か月も経ってねぇはずなのに」
以前、こことよく似たジャングルを踏破してきたという、上中下トリオと山田が、塔を見上げてそんなことを話していた。
その密林塔で過ごした頃に、桃川はレイナと一緒になったはずだ。
思い出す度に、あの時の怒りと後悔が湧き上がってくる。けれど、レイナのせいでヤマジュンも死んだのだと聞かされて、単純に憎悪しきれない、複雑な感情が渦巻く。
けれど、裏切りを働いた桃川のせいで、今は憎しみの気持ちの方が強いと感じる。
「……中に魔物はいないようですね」
「けど、妖精広場もなかったな」
ついでに、宝箱などもなかった。ひとまずの内部の安全は確保できているが、妖精広場がないので絶対的な保証はない。
けれど、今夜の野営地としては最適だ。場合によっては、ここを探索の拠点とするのもいいかもしれない。
「蒼真くん、ちょっと上に来て! 小鳥遊さんが、なんか石板から遺跡の情報が分かるって!」
「そういえば、小鳥は以前にも石板を動かして、地図情報を手に入れていましたね」
「あの時と同じだというなら、助かるな」
俺達は夏川さんの声に応えて、すぐに最上階へと上がった。
そこでは、委員長と明日那がすでにいて、小鳥遊さんはうんうん唸りながら、壁に両手をついていた。
以前は祭壇型のようなものだったが、今回は壁に設置されたスクリーン型なのだろうか。
俺には、ただの石壁にしか見えないが、小鳥遊さんには見分けがつくのだろう。
ほどなくして、彼女はふぅーと息を吐きながら、壁から手を離した。
「小鳥遊さん、何か分かった?」
「うん、あのね、蒼真くん————」
「————くそっ、なんだよここは!?」
と、崩れ去った妖精広場に転移した小鳥は、内心で叫んだ。
本来なら、すぐにでも天送門へと続く最下層中枢部『セントラルタワー』へと出るはずだった。
しかし、どうしてこんな最下層の外縁部に飛ばされたのか。転移の設定を間違えたとは思えない。
「タワーの転移に異常が? でも、それならもっと近くに再設定されてもおかしくない……ああ、もう、どうしてこんな面倒なことばかり」
崩れた妖精広場と一面のジャングルを見て、小鳥は思い通りにいかない展開に、俄かに苛立ちを募らせる。
「小鳥遊さん、ここは本当に最下層なのか?」
そのせいで、悠斗からかけられた声に応えるのが、一拍遅れてしまった。
「小鳥遊さん」
「あっ、ご、ごめんね、蒼真君! 私も、ちょっと思ってたところと違って、ビックリしちゃって。でもね、転移は成功してるよ! ここは間違いなく最下層だよ!」
慌てて取り繕いながら言った。
そうだ、たとえ目的地からかなり遠い外縁部に飛ばされようとも、無事に最下層へついたことは事実だ。
ならば手間はかかるものの、大人しくジャングルを進めば良い。幸いというべきか、サバイバルの準備は万全だ。
もっとも、演技のためとはいえ、クラス全員分の装備を用意する作業は、腸が煮えくり返るような思いで成し遂げたのだが。毒殺が成功していれば、こんな面倒くさいことをせずに済んだというのに。改めて、あの生意気な呪術師の顔に怒りが湧いてくる。
「あっ、見て! あの塔、なんかちょっとありそうな気がする!」
壊れた妖精広場から出発して、しばらく経ち、美波が塔を発見した。
小鳥の感知によれば、その塔にはまだ機能が僅かながら生きている。最下層の構造は、すでに把握しているが……ここにアクセスしたことで、初めてソレを知った、という風に悠斗へ説明すればいいだろう。
どの道、クラスメイトはまだ沢山、生き残っている。
脱出する前に、女神エルシオンが望むだけ、勇者の覚醒を促さなければならない。少なくとも、あと一回は覚醒させ、第三固有スキルまでは絶対に発現させなければ。
そのためには、是が非でも最下層のボスに挑んでもらわなければならない。
「小鳥遊さん、何か分かった?」
「うん、あのね、蒼真くん————」
天送門は、この最下層エリアの中央にある、巨大な塔を降りた空間に設置されている。
『セントラルタワー』と呼ばれるその塔は、ダンジョンという巨大施設の最深部に位置し、ここを管理する中枢部である。
もっとも、このセントラルタワーは、今では天送門の前に立ちはだかる、最後のボス部屋としての機能しか残されていないが。
「————大丈夫だよ、まだもう少し距離はあるけれど、天送門のタワーは間違いなくこの先にあるよ!」
「そうか、良かった」
ラスボス、と呼ぶべき最後に立ちはだかる強力なボスがいる、とは悠斗には伝えない。
ヤマタノオロチほどではないが、確実に犠牲者が出るほどの強さを、ラスボスは持っている。
だが、それを今伝えてしまうのは悪手だ。最悪、悠斗が天送門の使用を諦め、全員での徒歩脱出を提案するかもしれない。
天送門で全員が送れる可能性は低いと見ている以上、犠牲を覚悟してまで、そこに至るほどの理由はない。タワーに入る前に、諦めてしまっては使命を果たす機会が失われる。
もっとも、いざとなればこの最下層からの転移を全て封鎖し、完全に退路を断つこともできるが……今はまだ、余計な手を回すことも、情報を与えることもしない方がいいだろう。
ここが使命を果たす最後のチャンスだ。絶対に、失敗はできない。
「ひとまず、今日はここで休もう。ちゃんとゴールがあるってことが分かったし、焦らず行こう」
「そうね、みんなを集めてこのことを伝えるわ」
そうして、その日は塔で野営することが決まった。
ジャングルに出たことで、やや不安をクラスメイト達は覚えていたが、天送門が確実にこの先にあるとの情報が伝えられ、どこか安心した雰囲気となった。
今日のところは、せいぜい呑気に寝ていればいい。勇者のための生贄に捧げられる日は近い。
翌日、塔を出発した。
ちょうど丸一日かけて歩けば、タワーまで到着するくらいの距離だと小鳥は見ている。特に強力な魔物が襲ってくることもなく、昨日も含めて、出現したのはジャングルに適応した自然の魔物のみであった。
それも当然だ。この最下層は他のエリアと違って、魔物を出現させる難易度調整を行っていない。
この場所は放棄された時から、自然に任されるがまま。ジャングルが生い茂り、そこで新たな生態系が作り上げられただけの空間に過ぎない。
重要なのは、天送門のあるセントラルタワーだけ。この内部だけ、機能が生きていれば問題ない。
そうして順調にジャングルを進み、半日が過ぎようかという時、それは現れた。
「な、なんだアレは……」
不意に、ジャングルが開けた。そのこと自体は、そうおかしなことではない。構造的には、ちょうどこの辺からがタワーの管轄エリアとなる。ジャングルの浸食を防ぐ働きがあってもおかしくない。
だから、何もなくなっているならいい。
問題は、あってはならないモノが、そこにあることだ。
「なんて巨大な城壁……」
桜が息を呑んで、そう呟く。
そう、そこにあったのは壁だ。石を積んで作られた、日本の城のような石垣である。
小鳥の目には、それが魔法で作られた壁ではなく。自然の石を積んで作った本物であることと、ダンジョンの構造物ではないこと、そして石垣の高さが30メートルと、日本一の高さを誇る大阪城に匹敵する数値情報が表示された。
ここに大きな石垣があるなど、小鳥は知らなかった。
昨日、塔で確認した情報にも、そんな地形・構造物のデータは見当たらなかった。このタワー周辺には元から、何もない平地でしかない。今あるとするなら、この最下層を席巻するジャングルの木々だけのはず。
しかし、明らかに人工物の石垣と、ジャングルを切り開いて作られた周辺の空き地。
この状況を見れば『賢者』でなくたって、簡単に推測できる。
ここに誰かが、それも大勢が住んでいて、この城壁を建築したのだと。
ならば、それは何者なのか————答えは、すぐ目の前に現れた。
「あれは、ゴーマか」
石垣の上を、武装したゴーマの集団が歩いているのが見えた。
先頭を行くのは戦士階級のゴーヴであり、その後ろにノーマルのゴーマが続く。珍しくもない編成だが、ゴーヴは鋼鉄の槍と鎧兜を着込み、ただのゴーマでも、革の軽鎧と綺麗な鉄の武器を持っていた。
「ただの狩猟部隊じゃない、明らかに城壁を守る兵士ね、アレは」
「小鳥の言っていたセントラルタワーというのは、あの壁の向こうに見える高い塔のことでしょう?」
「ここはタワーを中心にした城塞都市、といったところか」
ゴーマは、野生の魔物だ。ダンジョンの管理下にある魔物ではないからこそ、彼らの行動は遺跡の機能で把握できない。
そう、タワー周辺に巨大な集落を形成したとしても、遺跡の情報検索では決して分からないのだ。
「そういえば、無人島エリアで私たちが襲ったゴーマの集落。あそこは、オーマと呼ばれるゴーマの王様のような者に貢物をしていた、と桃川君は言っていたわね」
「そうか、じゃあここがそのオーマのいる」
「ええ、恐らくは、ゴーマの王国よ」
ふざけんなよ、クソ共が。小鳥は内心でそう毒づいた。
神の使命を帯びた『賢者』の前に立ち塞がった新たなイレギュラーは、野生に生きるただのモンスターであり、序盤から終盤までずっと戦い続けてきたゴーマなのであった。




