第270話 最下層へ(2)
「————なぁ、上田、中井、お前らさ、どう思う?」
転移に必要なコアを狩るために、無人島エリアへとやってきた、その帰り際である。
下川は、最も信頼すべき友人二人に、そう問いかけた。
「どう思うって」
「何がだよ」
「全部だよ。今ここには、俺らしかいねぇ、だから話してんだ」
小太郎裏切りの衝撃から、委員長と悠斗がトップに立ち、これからどうするべきかの方針をひとまずは示した。それを全員が了承しているから、三人もこうして狩りに参加している。
だが、心の底から現状を受け入れ、納得できているかどうかは話が別である。
それは下川自身もそうであるし、上田と中井も同じはずだと思っている。ぶっちゃけ、蒼真派閥以外の奴らは、大なり小なり、不満を抱えているだろう。
しかし、それら全てを正直に打ち明けることは戸惑われた。
小太郎が裏切り、龍一と杏子もいなくなった今、クラスの多数派は蒼真派閥となっている。下手なことを言えば、何をされるか分からない。
元々、小太郎がいたからこそ、上中下トリオと山田、姫野と中嶋、ジュリマリコンビ、と蒼真派閥以外の面子がある程度の纏まりをみせて、対抗勢力足りえた。過半数確保という影響力があるからこそ、公平な意見を述べ、それを反映させる余地がある。
そういう状況の認識度に個人差はあれど、誰もが意識的、無意識的にも感じているところだ。だから蒼真達、全員が揃っている学園塔では、好き勝手なお喋りを控える雰囲気が自然と形成されていた。
「ぶっちゃけ、小鳥遊怪しくね?」
「下川、お前……」
「えぇ、今更ソレ言うのかよぉ……」
そう、つまるところ、最も口に出してはいけないタブーとなっているのが、『賢者』小鳥遊小鳥への疑惑である。
転移に必要なコアを狩って集めよう、という方針が決定された時の学級会で、あえて言及はされなかった。小太郎の言葉を真に受けて、小鳥を疑うのはやめよう。今はみんなで一致団結すべきだ、という話をわざわざしなかったのは……恐らくは、それを言えばかえって疑いを深める危険性があると、涼子も悠斗も思ったのではないかと、下川は推測している。
事実、悠斗が何も言わずとも、クラスで小鳥遊黒幕説を口に出す者は誰もいない。疑惑を追及すべき、という意見など、以ての外。
良くも悪くも、みんな空気を読んでいた。
「ホントはもっと早く言いたかったけどよ、なかなか機会がなくてな」
下川の小鳥遊への疑惑は、一晩寝て頭が落ち着いた翌朝になってのことだった。
だが、それを言い出す状況にないとの判断から、上田と中井の二人に内緒話をする機会をずっと探っていた。今日は偶然、三人だけで無人島エリアに居残れるタイミングが巡ってきたから、話を持ち掛けたのだ。
今回のパーティでリーダーを務める涼子は、美波と共に一足先に学園塔へと帰還済み。山田は、中嶋を連れて海へ釣りに出ている。しばらくは戻って来ない。
そして、上中下トリオ三人は、適当に近くで採取してから戻ると言って、ここへ残ったのだ。込み入った話をする時間は、十分にとれている。
「けど、毒盛られたのは事実じゃねぇかよ」
「流石にアレはヤベーだろ」
「お前らさ、あん時、桃川が叫んでた内容、覚えてるか?」
「そりゃ小鳥遊が黒幕だーってやつだろ」
「勇者がどうとか言ってたよな」
「そう、それだよそれ。いいか、冷静になって考えてみろよ、もし桃川の言ったことがマジだったら、フツーに筋が通るんだよ」
それは、小鳥遊自身にクラスメイトを毒殺するに足る動機があったということ。そして、それを実行できる能力を隠し持っていたこと。
少なくとも、矛盾はない。
「あん時はみんなテンパってたから、アイツの話を真に受ける余裕はなかったけどよ、後になって考えると、ありえない話でもねーと思うんだよ、俺は」
「うーん、それは……そうなのか?」
「桃川は頭いいからな。それっぽい言い訳も、土壇場で思いつきそうじゃね?」
中井の言い分は一理ある。小太郎が追い詰められた時の爆発力は、十分に知っている。
「それによぉ、アイツがレイナちゃん殺したのもマジだし」
「ああ、桃川が本気になれば、ガチで人殺しもできるからな」
そこが桃川小太郎の恐ろしいところであると、三人は思っている。なにせ、あの樋口すら殺しているのだから。
学園塔で本人を目の前にしていると、そういう気持ちは湧かないのだが。いざ敵に回ったかと思うと、急に怖くもなってくる。
「俺も、アイツが本気でやろうと思えば、クラス全員毒殺くらいやってのけるとは思う。でもよ、理由が足りねぇと俺は思うんだよな」
「そんなもん、一人で抜けるためだろ?」
「そうだぜ、十分すぎる理由じゃねぇか」
「いや、桃川が『一人だけ』で抜けるのはありえねぇべ」
あの時の状況を、小太郎がそのまま真犯人だと想定して考えてみる。
前提条件として、次に転移した先が脱出できる天送門のあるエリアだと、小太郎は確信している。そこにはボス戦もない。それがあれば、ここでボス攻略に必要な戦力を捨てるわけにはいかないから。
もう一切の戦力はいらずに脱出できる手前まで来たからこそ、このタイミングでの毒殺だ。
そうしてクラスに毒を盛ったが、桜の力が覚醒し、全員が解毒され形勢逆転。
クラスのみんなを殺してまで、一人で脱出したかった小太郎だが、這う這うの体でどこかへと転移で逃げるしかなくなった。
「あの時、桃川は完全に追い詰められた状態だった」
「おう」
「転移なけりゃあ、あのまま勢いでぶっ殺されただろうな」
「そう、アイツは逃げたんだよ。ここで踏ん張らなきゃ、一番の目的である一人脱出ができねぇってのに」
「でも逃げるだろ」
「完全に囲んでたしな」
「そうだよ、桃川は俺らに囲まれたら、それを突破できる力はねぇんだよ。あれ以上、なんかスゲー秘密の能力を隠していねぇってことだ」
ヤマタノオロチにトドメを刺した謎の呪術という存在はあるが、あの追い詰められた場面で使わなかったということは、何かしらの制限か限定的な効果でしかないのだろう。
他にも何か能力を隠している、と仮定したとしても……クラス全員を敵に回しても一発逆転できる切り札を、小太郎が持っていないことは明白だ。切り札を切らねばならない状況でも、切らなかった。それはすなわち、元からそんなものが存在しないことの証となる。
「あれが桃川の力の限界だ。たかだか十数人に囲まれただけで、詰んじまうような能力ってことだよ」
「いやでも、蒼真含め、俺ら全員強ぇからな」
「どうにもならねぇのがフツーだろ」
「お前ら、これから異世界のワケ分からん王国に出ていくってのに、そんな程度の強さで一人で行くか?」
「うーん……」
「でも、ここからすぐ出て行けるってんなら、アリじゃね?」
「普通はそう考えてもおかしくない。おかしくないけど、あの桃川だぞ。そんな短絡的な判断を下すか? アイツなら、絶対に自分の戦力を最大にした上で王国に行きたいはずだべ」
「あっ」
「なるほどな」
「いいか、アイツが双葉さんを『切った』時点でおかしいんだよ」
双葉芽衣子の強さ、そして忠誠心は周知の事実である。恋愛禁止制度のせいで不純な異性交遊はないものの、それがなければいつ子供が出来てもおかしくない二人の距離感だと、大体みんなは思っている。
「桃川は呪術師だ。やっぱり、アイツ一人じゃ強くねぇ。仲間がいる。強くて、信頼できる仲間だ」
それを自分で分かっているからこそ、小太郎は上手く味方を作るよう立ち回ってきた。下川達と合流した時も上手く取り入ったし、学園塔ではついにクラスを率いるほどにまでなった。
しかし、それは決して容易なことではない。簡単お手軽に、相手を洗脳するような呪術などがないからこそ、小太郎はあの手この手で味方を増やすしかないのだ。
「アイツにとって双葉さん以上の仲間はいねぇ。脱出しようってんなら、必ず連れていく」
「あー、確かに、そうかもしれねぇな」
「そうだな、あの桃川が双葉さんの爆乳を諦めるわけねぇよな」
「おう、それも割とマジであると思う」
小太郎の巨乳好きは、フリではなくガチだと、同じ男同士だからこそ理解している。
剣崎明日那や小鳥遊小鳥も女子高生としては巨乳の部類に入るが、小太郎は彼女らを目の前にしてもマネキン人形でも見るかのような無関心ぶりだ。
一方、双葉、蘭堂、の巨乳を越えた爆乳クラスになると、お前それ以上はちょっと怒られるんじゃないのというほど露骨に視線を向ける。最早、隠す気すらない真剣そのものな目つきは、男としてはむしろ尊敬に値する。
「あんまりこうは思いたくねぇけど、桃川が誘えば、多分、双葉さんってクラス全員毒殺すんのも止めないんじゃねぇかなと」
「あるある!」
「マジで笑えねぇけどな」
傍から見ている上中下トリオでも、それくらいの認識を持っている。このクラスで誰よりも人の機微に敏い小太郎が、芽衣子の感情を利用しないはずはない。
双葉芽衣子は、桃川小太郎にとって都合が良すぎるほどのパーフェクトな手駒。これを捨てるほどのメリットが、あの毒殺による一人脱出計画には見当たらない。
「そもそもだ、毒殺なんて大それた真似しなくたってよぉ……桃川なら、口先だけで三人の脱出枠に入れるだろ」
「そうだよな、元から脱出はするはずだったし、それらしい適当な理由でっちあげるくらい、アイツならできるわ」
「つーか、分身送るつもりで本物と入れ替わっても、気づかねぇしな」
小太郎の立場と能力からして、クラスメイトを殺さなくても天送門で脱出できる可能性は非常に高かった。
ここにもまた、毒殺を図るメリットがない。
「考えれば考えるほど、桃川がやったとは思えねぇんだべ。だからよ、あの証拠動画撮ったっていうガラケーもよ、マジだったんじゃねぇのかな」
「ハッタリじゃなかったって? でもあれぶっ壊したの桜ちゃんだろ」
「おい、ってことは桜ちゃんも小鳥遊の裏切りに加担してたのか!?」
「いや、桜ちゃんはフツーに桃川にキレて撃ったんだろ」
小太郎と桜、この二人の険悪な仲も、クラスでは周知の事実である。あの流れで桜が弓を放ったこと自体は、そう不自然ではない。
「おい、それじゃあマジで裏切り者は小鳥遊なのか?」
「それヤベーだろ。まだ俺らの命が狙われるってことじゃねぇか」
「まぁ、待てよお前ら。桃川が犯人じゃない可能性はあるけど、まだ証拠もない。で、小鳥遊が真犯人っていう証拠もねぇんだ。騒いだところで、蒼真達から余計に疑われるだけになる」
毒殺の犯人は小太郎か、小鳥遊か、あるいは全く別の黒幕がいるのか。今の段階では、どれも可能性の話に過ぎず、真実を示せるほどの物的証拠がない。
ここでやっぱり小鳥遊が怪しい、と騒ぎ立てたところで、それを信じるわけにはいかない蒼真派閥と対立するだけの結果となるだろう。
「いいか、このことは蒼真達には秘密だ。蒼真悠斗、桜、委員長、夏川、剣崎、そして勿論、小鳥遊本人にもだ。コイツらに俺らが疑いの目を持ってると思われると、絶対に面倒くせぇことになる」
「まぁ、言い出した瞬間、小鳥遊が泣きわめいて俺らが悪者にされるだけだろうしな」
「けどよ、これを知ったからって、どうなるもんでもねぇんじゃねぇのか?」
「いや、そうでもねぇさ。いいか、桃川がいなくなったせいで、蒼真派閥以外はバラバラになった感じだろ。そこを、小鳥遊疑惑で一つにまとめんだよ」
「……下川、お前なんか桃川みてぇなこと考えてんな」
「俺だって好きでやってんじゃねーよ! けどよ、そうでもしねぇと、俺らの立場は多分、どんどん悪くなるだけだべ」
「それも、そうかもしれぇな……今じゃ俺ら、ただ蒼真の命令に従ってるだけだしよ」
学級会は、もう機能していないと言ってもいいだろう。
このボス狩りによるコア集めも、裏切りのショックが冷めない内に、ほとんど一方的に通達されただけだ。無論、先に進むことを考えればこれしか方法はないので、強く反対する理由もないのだが……なんとなくの流れで、トップを決められてしまったような雰囲気はあるだろう。
今は非常時ということで、多少の不満はあっても、それを抑えて協力はする。
だがしかし、このまま黙って今の状態を続けるだけでは、その内にただの言いなりになりそうだと、下川は危機感を抱いた。
「いいか、俺らは蒼真の手下じゃねぇ。アイツらの言いなりなるだけじゃあ、いつか絶対に割を食うことになる。それに何よりも、桃川の言う通り小鳥遊が真犯人だったら、俺らだけでもアイツに警戒しなきゃいけねぇ」
もう、毒を盛られるのは絶対に御免である。
そのためには、隙を見せないこと。団結のために小鳥遊を疑うような真似はやめよう。そう主張したいのは蒼真派閥だけであり、下川達にとっては、限りなく黒に近いグレーである。
馬鹿正直に信用すれば、再び毒を盛られるような致命的な隙を、いつか晒すことになるだろう。
「小鳥遊が真犯人なら、桃川に濡れ衣を着せた計画的犯行だ。思い立ってすぐ出来るようなことじゃねぇ。こっちが隙を見せずに警戒し続ければ、そう簡単には行動は起こせねぇべ」
「警戒することで、自分の身を守ることに繋がるってことか」
「そうでなくても、俺らは俺らでまとまることは、いい立場でいるには必要だよな」
「とりあえず、次は山田に声をかけようと思ってる。その次はジュリマリか姫野だな」
「中嶋はどうすんだ?」
「アイツは剣崎に惚れてっからな、言えば絶対ぇチクられるべ」
本人は隠しているつもりだろうが、中嶋が剣崎明日那を意識していることは傍から見れば丸わかりである。気づいていないのは、思いを向けられる当人の明日那と、あとは鈍さに定評のある蒼真悠斗くらいであろう。
自分の思いが、好きな人と、その好きな人が好きな人にだけ伝わらないとは、まるで少女漫画のようなもどかしい状態なのであった。かといって、中嶋の恋路を応援する気はさらさらないが。
「後は、俺らの意見がまとまったら、委員長にも機を見て話そうと思う」
「おい、大丈夫なのか?」
「委員長は、あの後、小鳥遊が解毒薬持ってるかどうか調べたらしいぜ」
「マジかよ! そんなの聞いてねぇぞ」
「この話は、俺が一昨日、夏川さんから聞いたんだよ」
学園塔生活の食を支える狩猟部隊として、下川は美波とそれなりに打ち解けている。仲が深まっていたからこそ、美波もそんな話を零したのだろう。
「委員長は、多少、小鳥遊を疑ってる節はある。まぁ、伊達に委員長じゃねぇからな、俺が思いついたような、桃川犯人がおかしいってくらいは自分で気づいてるだろうよ」
「でも、小鳥遊とも仲いいポジションだから、それも表立って言えねぇと」
「そうだ、下手に言い出せば自分が蒼真達と揉めることになるからな。けどよ、俺らの方も小鳥遊疑ってんだぜ、と意見がまとまってりゃあ、立派な対抗派閥になれるってわけよ」
「……なぁ、それクラスが完全に二分されるんじゃあねぇか?」
「俺もそうなるのはヤベぇだろとは思ったさ。けどよぉ……やっぱ桃川がいねぇんじゃ、もう無理なんだよ。クラスが一つにまとまんのは、絶対に無理だべ」
元々、蒼真悠斗を中心としたハーレム、もとい派閥の結束が硬すぎて、二年七組には彼らに対抗する派閥など存在しえなかった。平和な学園生活の頃なら、それはただ美男美女のハイスペックなトップグループとして憧れるだけの集団であったが……命を賭けたダンジョンサバイバルにおいては、誰にも逆らえない支配力を発揮する強固なグループと化す。
彼らの言いなりにならず、あの頃のように平穏な学園塔での生活を送れたのは、全て桃川小太郎の働きによるものだ。
蒼真派閥以外のグループを全てまとめあげて過半数を確保する対抗派閥を作り上げ、その上で、蒼真派閥と決定的な対立関係にならないよう、常に交渉、折衝をしてきた。
それが出来たのは、小太郎個人の才能であり、そして呪術師としての能力だ。
下川は、小太郎の真似事はできても、全く同じことは出来ないと理解している。才能だけではない。持っている手札が、呪術師と水魔術師では異なるのだから。
「クラスは分裂するかもしれねぇ。でも、一方的に俺らが言いなりになるよりはマシだし、万が一に備えて小鳥遊に警戒すんのも必要だ。もうクラス全員で仲良くはやっていけねぇよ。それでもクラスとして一緒にいなきゃならねぇなら、俺らはアイツらと対等に意見できる立場になるしかねぇだろが————上田、中井、お前らが俺の意見に賛成できねぇってんなら、話はここまでだ。お前らの理解が得られないようじゃ、どうしようもねぇからな」
「おいおい、下川、あんま俺らのこと舐めんじゃねぇぞ?」
「今の今まで、三人一緒に命賭けて戦ってきたんだぜ。俺らはもう、その辺の奴らとはレベルの違うマブダチだろうが」
「お前ら……」
「下川、今日からお前が、桃川に代わって派閥をまとめろ」
「蒼真の言いなりになんかなるかよ。お前が俺らのリーダーだ」
そうして、三人はガッシリと固く握手を交わし、トリオの結束は深まった。




