第267話 呪術師VS食人鬼(2)
退くか、挑むか。最後の瞬間まで僕は迷った。
けれど、レムの一言が僕に決断を下させた。
「あるじ……レムがとんで、ばくはつ、する」
煙幕を炊いて広場へ退いた時に、レムは黒騎士状態を解除した、幼女の姿でそう言った。
いつの間に回収したのか、その小さな胸に、ヤマタノオロチ戦で使わなかったコア爆弾を抱えて。
「……本当に、戻って来れるんだな?」
「もどる。レムは、あるじと、いっしょ。ずっと」
『影人形』へと進化したレムは、その本体と言うべき幼女形態が破壊されたらどうなるのか。結局、今の今まで一度も試したことはない。試せるはずもない。もしダメだったら僕は大切な相棒を失うことになるのだから。
けれど、この横道を倒し切る千載一遇の好機にして、仲間全員が倒れた窮地においては……やるしかない。
どの道、倒れた葉山君とキナコとベニヲまで回収して転移で逃げるだけの余裕はない。杏子を連れていくだけでもギリギリといったところ。
自分の身の安全だけを考えるなら、このまま転移でどこぞへ飛んだ方が確実だろう。
けれど、それはダメだ。所詮、僕は最弱の『呪術師』だ。仲間がいなければ、生きてはいけない。
だから覚悟を決めるしかない。仲間を見捨てて一人で死ぬか、仲間を助けてみんなで生き残るか。どっちを選ぶかなど、考えるまでもないよね。
「レム、頼んだ」
レムを失うリスクはとりたくない。だが、自ら「やる」と言い出したなら、信じよう。ご主人様として、相棒として。
「横道を転移まで誘導するなら、囮がいる。でも『双影』は見破られるし、僕自身が上手くやるしかないか……」
「だいじょうぶ————」
すると、レムは影を纏い変身してゆく。
一瞬の後に現れたのは、大きな黒騎士の鎧ではなく————僕だった。
「僕の姿にも変身できるのか」
「————うん、レムは主のこと、ずっと見ていたから。実は結構前から、できたんだよね」
「うわー、喋りも僕ソックリにできんのか」
ってことはレムってすでに普通に喋れたりするの? 幼女レムの拙い発音は演技なの?
「そんなことより、早くやろうよ。横道は、もうすぐそこまで来ている」
レムの僕演技が完璧すぎて怖い。如何にも僕が言いそうな台詞で、作戦の決行を求めてくる。
「それじゃあ、始めよう」
詳しい説明は必要ない。レムなら、僕の作戦の全てが頭に入っている。
今回の横道討伐戦は、決戦も逃亡もどっちも選べるようにしておいた。時間もない、準備も足りない、だからこその臨機応変。どっちつかず、とも言えるが。
杏子と葉山君にはわざわざ全部説明はしていないけれど、レムには話している。分身を囮に時間稼ぎしている間、ここで準備をしている際に僕を直接手伝うのはレムだし、作戦実行の時も僕をサポートするのはレムである。
だから、僕はこれをこういう考えで配置しているんだ、っていうのはレムにだけは一緒に準備しながら聞かせているので、今回の転移爆破作戦の意図もすでに理解している。
横道討伐の本命は落とし穴だった。
だが、それを破られた時にどうするか。逃げるにしても、倒すにしても、重要な手札は3つ。
1つ目は、転移魔法陣。
これを使えれば100%逃走は成功する、唯一無二の脱出路。だが同時に、横道だけを乗せて飛ばすこともできる。倒し切れなくても、横道を転移で飛ばせれば、次善の勝利とも言える。
2つ目は、コア爆弾。
桜ちゃんの裏切り対策として、ヤマタノオロチのトドメ用に準備しておいた貴重な爆弾だ。切り札になりえる破壊力を秘めるが、それ故に近くで爆発はさせられない。けれど、よほどの窮地になれば、イチかバチかで使うこともやぶさかではない。『完全変態』形態で、コイツを喰わせて爆破させることができれば、それだけで勝てたかもしれないね。
3つ目は、レム。
レムだけでなく、ロイロプスとグリムゴアの屍人形も含めている。レムがコアを消費して作り出す分身と屍人形は、幾らでも替えの利く便利な捨て駒だ。逃走する際には、横道の足止めとして残ってもらうし、戦うにしても捨て身の攻撃や防御にも使える。
この3つの手札をどう使うかで、逃げるか、倒すか、どちらかが達成できる。
そして、レムの決意を聞いた結果、僕が最後に選んだ作戦は、レムを囮に横道を転移で飛ばしてコア爆弾で吹き飛ばす、転移爆破作戦だ。
万全の横道相手には、まず通用しない作戦。転移の気配を察した瞬間に確実に逃げられる。十全な力を発揮する横道を、転移発動までの数十秒間止めるだけの手段が僕らにはない。
だがしかし、落とし穴作戦とダブル霊獣覚醒によって、横道は限界ギリギリまで消耗している。
戦いの趨勢によって、横道が消耗していれば、黒髪触手と鎖の合わせ技の拘束で止められる可能性は十分にある。そう思って、あらかじめ転移魔法陣の周りに、拘束用の鎖や革ベルト、縄などあるだけバラ撒いた。
ロイロプスは沢山荷物を積めるから、ベルトや縄はそれなりに用意していた。鎖はあまり量はなかったけれど、金属素材を放出して僕がこの場で急いで錬成した。
まさか、姫野さんとやったヤマタノオロチ拘束用の鎖と銛のセットを大量生産する作業が活きるとは。錬成で素早く鎖を作るコツ、習得しておいて良かったよ。
そうして、条件は全て揃った。
僕へと変身したレムは、コア爆弾の入ったカバンを背負って転移魔法陣に立つ。追い詰められた最後の抵抗という雰囲気をアピールするために、剣も持たせた。
レムは『双影』と同じく姿も声も匂いも僕の再現率100%だが、それに加えて本体だからこそ持ち得る高い魔力量も備えている。横道は自ら、分身を指して「水で薄めたカルピスみたい」と言って、『双影』が本物と比べて魔力が薄いから判別できるのだと語った。
蒼真君や天道君でも『双影』は完璧に見破れないのに、横道の感知能力は相当なものだと思われる。レムの擬態は『双影』よりも高いとはいえ、やはり本物の僕がいては偽物だとバレるだろう。
だから、僕自身がどこかへと隠れる必要があった。それも、匂いと魔力が漏れないような場所へ。
いやぁ、宝箱が僕が入れるくらいのサイズがあって良かったよ。
『盗賊』である夏川さんでも、宝箱の中身は開けなければ分からないと言っていた。つまり、宝箱には高度に魔力を遮断する機能も含まれているのだ。まぁ、そうじゃなければモノを長期間保存もできないだろう。
そういうワケで、僕は宝箱に潜みながら、横道がレムに食いつく瞬間を待った。
そして、その時はすぐに訪れる。
「来いよ、横道」
時間稼ぎのアルファを退け、煙幕から進み出る横道は、相変わらず気持ち悪いことを全力で叫び、レムへと喰らい付いた。
「ち、違う……コレはっ、小太郎きゅんじゃないぃいいいいいいいいいいっ!?」
今だ。
僕は宝箱を開け放ち、外へと出る。
「誰だよテメぇはぁあああああああああっ!」
「レム、よくやった————『黒髪縛り』」
発狂する横道を、全力で縛り上げる。
やはり、力の限界を迎えているのだろう。ギチギチと鉄の鎖は大きく軋むが、それでも決して砕けはしない。
横道は僕の方を向いて、その大口を虚しく開いただけだった。
「これで終わりだ、横道————転移魔法陣起動」
眩い輝きに照らされて、怪物横道は浄化されていくかのように、白い光の向こうへと姿を消していった。
直後、起爆。
どこか遠いダンジョンの片隅で、コア爆弾が炸裂したのだろう。僕と繋がっているレムの反応が、ぶっつりと途切れた。
「や、やった……」
はぁー、と深々とため息を吐く。
危ない、マジでギリギリだった。ヤマタノオロチとは別な方向性で綱渡りの激戦である。
「いや、今回は、完全に仲間に助けられただけだ」
今回のMVPは葉山君だ。あの土壇場で霊獣召喚を使えるように覚醒しなければ、『完全変態』形態の横道には手も足も出なかった。あんな化け物を前にしては、逃げることもできなかっただろう。
とりあえず、反省会は後回しだ。
「まずは、倒れたみんなを介抱しないと」
なんだろう、この飲み会でみんな潰れちゃったから、素面の自分が面倒見なきゃいけない的な雰囲気。最後まで横道の相手をした僕が一番疲れてるんですけどー?
なんてふざけたことを思えるのも、みんなが無事だからこそ。この疲れた体で、仲間の墓穴を掘るなんて重労働は絶対に御免だよ。
勿論、レムも『影人形』で再召喚しないと。早く無事を確かめないと、僕も安心できな————
「くぅ……うぇええ……」
それは、呻き声だった。あまりの苦痛にもだえるような、苦し気な声音。
たとえ、どれほど小さかろうと、聞こえるはずがない声。聞こえてはならない声だった。
「いぃ……痛ぇ……痛ぇよぉ……」
「う、嘘だろ……」
横道の首だった。
痛い、痛い、と涙ながらに苦悶に喘いでいるのは、千切れた横道の生首だ。そう、生首という絶対の死を連想させる状態にありながらも、コイツはまだ瞬きをし、呼吸をし、言葉を喋っている。
幽霊、などでは断じてない。生きているのだ。こんな状態になっても、まだ、コイツは生きているんだ。
「くそっ、寸前で転移から首だけ飛び出したのか!?」
それしか考えられない。
転移魔法陣はあの光で遮られた内側だけが転移される。その魔法陣の境界線を遮るようにモノを置くとどうなるか。僕は学園塔にいた頃、魔物の死骸を使って実験したことがあった。
結果は、切断される、というものだ。転移魔法陣に入っている部分は転送され、外側の部分は残される。
この転移による切断力があらゆるものを断ち切るのかどうかまでは分からないが、決して生半可なものではない。少なくとも、リビングアーマーの装甲は真っ二つになった。
だが、横道はあの瞬間、たとえ体がぶった斬られようが、転移から逃れることを選んだ。恐らく、コア爆弾のことも奴の魔力感知能力ならお察しだったろう。
だから逃げた。その代償は、首から下を全て失うこと。普通はそれを成功とは言わない。ギロチンで首を落とされたも同然の末路。
でも、横道は化け物だった。
首を落とされても死にはしない。それも、ただ、死なないというだけではない。
頭が残っているということは、口があるということ。横道はまだ、僕を喰らうことを諦めてはいない。
「痛ってぇ、けどぉ……小太郎きゅんを喰えればぁ、全部チャラだよねぇえええええっ!」
横道の生首が、襲い掛かってくる。
首だけでどうやって動いてんだよと思えば、奴の首からは50センチほど背骨が繋がっていた。いや、それはきっと本物の背骨ではない。白く節のある形状は背骨に似ているが、それはムカデのような体だった。
足が生えているのだ。左右から伸びる棘のような足が、シャカシャカ動いて歩く。生首ムカデという、最後の最後まで想像を絶するおぞましい姿となって、奴は僕へと飛び掛かってきた。
「うわぁあああああああああああっ!」
あまりにも衝撃的にして、咄嗟のことだったせいで、僕はロクな反撃がとれなかった。
僕に出来たことは、反射的に身を傾げただけ。
ガチィンッ! と耳元で横道のオオアギトが閉じる音が響く。間一髪で、回避は成功していた。
しかし、無理な体勢で避けたせいで、足をもつれさせて転んでしまう。それは、この状況下ではあまりにも致命的な隙となる。
「食う、喰うっ! 小太郎きゅん食べりゅぅうううううううううううううっ!」
絶叫する横道の生首が、地を這って迫る。再び開かれた大口。剥き出しの牙が喰らい付いたのは、僕の左足だった。
「ぐぅうあぁああああああああああああああああっ!?」
左足、脛の辺りに噛み付かれた。一瞬で食い込む牙と歯は、容易く肉を裂き、骨にまで達する。
絶望的な痛苦が駆け抜ける。あまりの痛みとショックに、目の前にスパークが弾けたようだ。
「うううぅ……んっんまぁああああっ! 美味ぃやああああああああああああああっ!!」
僕の悲鳴と横道の歓声が広間一杯に響く。
くそ、この野郎、泣きたいのは僕の方だってのに、横道は滂沱の涙を流して感動極まる表情を浮かべていた。
「んまぁい、美ぅ味ぁいぃぞぉおおお……ああ、これだよ、これっ! 俺はこの味を求めていたんだぁあああ、ンベロベロベロベロォオオオオオオオオオっ!」
ヒルの化け物みたいに長い舌が、傷口を執拗に嘗め回していく。体が穢されている気分だ。
蠢く舌は脛の傷だけに飽き足らず、破れたズボンの裾から足を這い、太ももの方まで伸びてくる。放っておけば、さらに先の部分までベロベロしてきそう。
途轍もない生理的嫌悪感に背筋が震えるが————これでいい。
ようやくありついた僕の血の味に感動しているせいか、横道は一息に僕の足を食い千切らなかった。その咬筋力があれば、僕の細っこい足など容易く食い千切れる。葉山君の右腕を喰らったように。
横道は僕をこれから時間をかけてたっぷりと、嬲るようにして喰らっていくつもりなのだろう。
だが、そのお陰で、僕は一発で行動不能になるほどのダメージは負っていない。僕はまだ動ける。そして、今ここが横道を殺す最後のチャンスだ。
「いつまで舐め回してんだ、汚らわしいんだよ、このクソブタ野郎がっ!」
罵倒と共に、抜刀。
抜き放ったのは、樋口のバタフライナイフだ。
ああ、コイツを握る時は、いつもギリギリまで追い込まれた時だよね。いい思い出など一つもない樋口の形見。けれど、コレが最後の最後で僕を救ってきた。
ギラギラとアイツの狂暴性を残しているかのように輝く白刃を、怒りを込めて横道の顔面に叩き込む。
「んぎぃぃいいいいいいいいいいあああああああああああああああああああ!」
耳をつんざく絶叫。流石に痛いかよ。生首になって喰らう一撃は。
けど、こんなもんじゃあないぞ。蒼真道場で修行した桃川飛刀流は、一刀じゃなくて、二刀流なのだ。
「コイツも食らいやがれぇーっ!」
さらに左手で引き抜くのは、レッドナイフだ。バタフライナイフより長く僕と一緒にいる、ダンジョンサバイバルの相棒。元は小鳥遊製で縁起が悪いけど、今は僕が自分でカスタム錬成してるんだ。その火力を喰らうがいい。
「んごぉおぁあああああああああああっ!」
ジュウジュウと音を立てて、灼熱の赤刃が横道の顔に突き立つ。
二本目のナイフを喰らって、ついに横道は僕から口を離す。ちいっ、まだ舌がへばりついてるだろうが。さっさと離しやがれってんだ!
「死ねっ、死ねぇえええええええっ!」
「んぁあああああっ! やっ、やめろぉおお、やべてぇええええええええええっ!」
刺す、刺す、刺しまくる。
二本のナイフを逆手に握りしめ、横道の顔面を滅多刺しにしてゆく。
しかし、奴の生命力も凄まじい。こんだけ刺しまくってるってのに、まだギャアギャア騒いで抵抗してくる。
ガチガチと顎を慣らし、ムカデ状の骨をくねらせて、再び僕へと食いつこうと必死にもがく。
倒せるのか、このままで。本当にコイツを刺してるだけで殺し切れるのか。そうだとしても、この猛攻状態はそう長く続くとも思えない。
生首だけとなり、滅多刺しにされても尚、横道は今にも僕をひっくり返しそうなほどの力強さを感じる。
もう一押しいる。コイツを殺すには、あと、もう一押しが……
その時、僕の視界の隅に、あるものが目に入った。それは、今ではもうすっかり馴染みのある道具。いや、正確には呪術だ。
料理に風呂の生活面から、錬成による生産作業まで。習得以来、幅広く僕をサポートし続けたくれた万能便利な呪術、『魔女の釜』だ。
「ああ、ちょうどいい……ここは僕の工房だぞ。そのままぶち込んで、加工してやるよ!」
ナイフ二本を横道の側頭部に突き刺したまま、ズルズルと引きずって行く。
空っぽになっている黒い『魔女の釜』は、ちょうどコイツの頭がすっぽりおさまるようなサイズだ。まるで、こうなることを見越したかのように。
「い、ぃいやだぁ……喰いたいぃ……もっとぉ、小太郎ぉおををををを……」
「焼き尽くせっ!」
生首をぶち込み、火力全開。
炎の代わりに、釜底が瞬く間に赤熱化し、鉄をも溶かす高熱を発する。
「んごぉおおおおっ、をををぉおお————」
もう言葉にもならない呻きを上げて、横道はもがく。最大火力を発する『魔女の釜』に焙られて、ジワジワと焼け爛れてゆく。
熱い。そりゃあ熱いさ、ナイフを握って頭を押さえつける僕の両手も。けど、力は緩めない。これで、本当に、最後だから……
「死ねぇっ、横道ぃいいいいいいいいいいいいいいいっ!」
あまりの熱さに、僕の両手が焼け落ちるかと思った。
でも、良かった。ああ、本当に良かった。
もう、この手に感じる力はない。
横道の顔は、その大口から鼻にかけてまで黒焦げとなって、ピクリとも動かなくなった。
僕はそこで手を離して……後は、ただその頭が全て焼け落ちていくまで、黙って見守っているのだった。
『食人鬼の頭蓋骨』:眷属『食人鬼』の頭蓋骨。それは忌まわしき鬼の首。人喰い鬼を討った証にして、暴食と貪食の残滓。汝、欲に溺れることなかれ。この首は今もまだ、飽くなき飢えに囚われている。




