第265話 精霊術士VS食人鬼
死んだ、と思った。
ぶっちゃけ、ちょっと後悔してる。あのまま芝生の上で寝てればよかったなと。
けど、それでも……仲間のピンチを、ちょっと怪我したくらいで見過ごすワケにはいかねぇだろうがよ。
分かってる、俺が出張ったところで、何ができるワケでもねぇ。桃川が段取りして、みんなで総攻撃をかけて、それでも横道はピンピンしてんだ。今更、俺一人が加わってどうにかなる状況じゃないのも分かっている。
「ああ、ちくしょう……俺の力なんて、こんなもんかよぉ……」
とんでもなくデカくてキモい豚の化け物となった横道が猛突進してくるのを前に、俺はそんなことしか呟けない。
足が震える。声も震えている。
怖い、死ぬのは怖い。右腕を失う大怪我して、死の実感は嫌と言うほど刻み込まれている。
けれど、どうしてだろうな……何にもできない自分が、一番怖かった。
だから、俺は悔しい。このピンチにのこのこ顔を出したくせに、大して役にも立たずに死ぬことが。悪い、桃川、俺じゃあ横道相手に今この瞬間だけ注意を引くくらいしかできねぇんだ。
俺が死ぬだけの、意味のない数秒間かもしれない。
でも、頼むよ桃川……蘭堂も、キナコもベニヲも、レムちゃんだって、お前が何とかしてくれよ。この最悪の窮地から脱してくれ。
そうじゃないと、俺は……死んでも死にきれねぇじゃねぇか!
『————諦めないで』
声が聞こえた。
目の前には、狂暴にして醜悪な豚面がある。けど、横道の声ではない。
『諦めないで。信じるんだ、仲間の力を』
信じているさ。だから、こんな真似してんだろうが。
『大丈夫、君にはもう、十分な絆が結ばれている。ほら、耳を澄ませて聞いてごらん————』
聞こえるかよ。何も聞こえない。
次の瞬間には横道に轢き殺されて、終わるだけ。
なぁ、今この瞬間がやけにゆっくり、スーパースローモーションみてぇな感じに見えてるのって、これマジで最期の瞬間だからなんだろ?
『————八つの精霊は、全て君を祝福してくれている』
その時、確かに聞こえたし、見えた。
精霊。そう俺が呼んでいる、小さい棒人間みたいな奴ら。
いつの間にか、目の前に浮かび上がっている。
ジッポライターの火精霊。水筒の水精霊。スマホの雷精霊。
それから、ああ、桃川が俺に作ってくれたアクセサリーのお陰か、緑の風と、オレンジ色の土、透き通った水晶みたいな氷、それぞれの精霊も一緒にいる。
火、水、雷、風、土、氷。六色の精霊が円を描くようにクルクルと回りながら、その中心で、さらに二つの精霊が瞬いた。
真っ白い輝きを放つのは、光の精霊。桜ちゃんのカンテラに住んでる奴らだ。
そして、その光に照らされても黒々とした不気味な靄を纏う影のような人型は、桃川が呪術を使う時に沢山見える、闇の精霊だ。
『さぁ、手を伸ばして、呼んで。君の仲間は、必ず応えてくれるから————』
ワケが分からん。
分からん、けど……俺は手を伸ばす。八つの精霊達が舞い踊る不思議な円環に向かって。
そして、叫ぶ。
俺が信じる、仲間の名を。
「————来いっ! キナコぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
光が輝いた。俺の視界も、叫びも、全部塗りつぶすような眩しい光。
けれど、それは温かくも力強い、数多の精霊が発する輝きなのだと全身で理解する。
そうして、その光の中から、それは現れた。
ウォオガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!
ビリビリと腹の底から震え上がるような激しい咆哮。
モンスターだ。
横道に匹敵する巨躯を備えた、大きなモンスター。
そんなデカい奴が、いきなり俺の目の前に現れ、突撃してくる横道の前に堂々と立ちはだかる。まるで、俺を守るかのように。
二足で立ち上がったデッカい背中は、薄っすらと青白い輝きを発する毛皮に包まれている。大きく広げた両腕はどこまでも太く逞しく、そして指先から生える爪は鋭利でありながら、水晶の様に美しく煌めく。
そして、真っ白い鬣のような毛の上に覗く頭部からは、天を突くように真っ直ぐ伸びたウサギのような耳。
初めて見た大きなモンスター。けれど、コイツは、間違いない。
「はあああああぁっ!? なんだよテメぇ————ぇええがぁああああああああっ!」
衝突。
すでに眼前まで迫っていた横道は、突如として現れたモンスターと正面衝突を派手にぶちかまし————吹っ飛んだ。
豚の怪獣みたいな巨躯がゴロゴロと転がって行く。どんだけ重たいんだ、ズンズンという衝撃がこっちにまで伝わってくる。
けど、俺は横道の行く末よりも、コイツの正体を確認せずにはいられなかった。
「お、お前……キナコ、なのか……?」
「プググ……グァアアアアアアアアアッ!」
獰猛な鳴き声。とても人の言葉には聞こえない。
俺へと振り向いたモンスターの顔は、狼のようにシャープな顔立ちで、とてもあのキグルミみたいに愛嬌抜群の丸顔とは似ても似つかない。
「そうか、キナコなんだな」
けど、俺は理解する。姿が変わっても、言葉が通じなくなっていても。
精霊術士の神、ってヤツなのか。ソイツが授けてくれた新しい力が、キナコの姿を変えたのだと俺に教えてくれる。
『八精霊の祝福』:始まりの渦から分かれたのは、光と闇。それから、火、土、雷、氷、風、水、合わせて六つの原色が世界を彩った。だから、それは世界の祝福。君は一つ目の資格を得た。
『種族を越えた絆』:それは一番大切で、けれど一番難しい。従属してはいけない。使役してはいけない。ただ、共に歩む。それだけでいい。人と、人ならざる者との絆を紡ぐ。君は二つ目の資格を得た。
『霊獣召喚』:二つの資格を揃えた精霊術士よ、今こそ霊獣を呼べ。その絆が本物ならば、どんな時でも、どんな場所でも、必ず応えてくれるから。
いつの間にか勝手に脳内に刻まれている、精霊術士の力の説明文だ。ちゃんと読めた気はしないし、その意味も正確に理解できたワケでもない。
「けど、要するに……俺達の絆が、このピンチで覚醒してキナコが大変身したってことだろ!」
「プガァアアアアアアアアアアアァ!」
キナコも「そうだそうだ」と言っている。言っているに違いない。
「ははっ、気が利くじゃねぇかよ精霊術士の神様よぉ。コイツは今までで最高の能力だぜ」
霊獣、とやらに変身したキナコは、めっちゃ強ぇ。
桃川も言っていた、精霊術士が行使する霊獣はボスモンスターも余裕で倒せるスゲー奴だって。
今のキナコがその霊獣になったってんなら、微塵も容赦する必要はねぇだろ。
「行けぇ、キナコ! 横道をぶっ飛ばせぇええええええ!」
「————なんだかよく分からないけど、これはチャンスだ」
耳をつんざく咆哮が轟き、二体の大型モンスターが怪獣決戦さながらにぶつかり合う。
片方は豚の巨獣と化した『完全変態』横道。
もう片方は、熊の霊獣となったらしいキナコ。
元々の姿とは大きくかけ離れた凛々しく逞しい霊獣キナコは、本気モードの横道と真正面からやり合っている。
マジか、この土壇場で精霊術士の力が覚醒するとか、葉山君も神様に選ばれし特別な存在なのだろうか。まぁ、そんなことはどうでもいい。ピンチで覚醒とかのご都合主義は、自分の身に起こるなら大歓迎だ。
「しかし、これはもう僕が手を出せる状況じゃあないな」
霊獣キナコVS巨獣横道は、この教会前広場狭しと大暴れとなっている。
キナコが張り手みたいにして横道を突き飛ばせば、吹き飛んだ巨体が近隣の民家に突っ込みガラガラと崩落する。
すかさず、そこから起き上がって飛び出た横道が、体当たりをかましてキナコをぶっ飛ばす。
同じように民家を粉砕して倒れたキナコへ追撃をしようと横道が走り出せば、復活したキナコはどこにあったのかデッカいタンクみたいなのを担いで投げつける。
ガツーンとけたたましい音を立ててタンクは横道に直撃し、思わず足が止まったその隙にキナコは再び肉薄し、鋭い爪で襲い掛かった。
そんな感じで、とにかくデカい奴らが真っ向からぶつかり合っていると、上手い感じで援護もしにくいのだ。下手に近づけば、吹っ飛んだり転がったりした巨体に圧し潰されそう。
どの道、半端な遠距離攻撃を撃つ程度では、今の横道には通用しないだろうし。
「このままキナコが勝てればいいけど、万一に備えて撤収準備だけはしておくべきかな」
そうでなくても、杏子は早く回収しなければ。
激しい戦闘音が轟く片隅で、僕はこそこそと杏子が倒れた教会横まで移動する。
そうして、僕がちょうど杏子の元にたどり着いた時には、黒騎士レムも駆け付けてくれた。
「レム、ひとまず杏子を中に運んでおいて」
「グガガ……あ、あー、あるじ、は」
「黒騎士状態でも喋れたんだ」
「しゃべれる。なかにいる」
なるほど、最初の登場時みたいに幼女レム形態が鎧の中に入っているのか。
僕としては、むしろ誰もいない伽藍堂の方が、貫通ダメージ受けた時とかでも安心なんだけど。でも、わざわざ中にいるってことは、大したデメリットはないのだろう。確認は必要だが、それは今じゃなくてもいい。
「僕は葉山君の元に行く。レムは、コア持って準備しておいて。霊獣との戦いの行方によって、撤退するか、横道を倒し切れるかが決まるからね」
「はい、あるじ」
とりあえずリポーションぶっかけて応急処置をした杏子の救急搬送をレムに任せ、僕は葉山君のところへと移動する。
「いいぞ、キナコ! そこだぁーっ!」
「葉山君、盛り上がってるところ悪いんだけど」
「おおっ、桃川、無事だったか!」
「お陰様でね」
実際に戦闘しているのはキナコだけなので、ぶっちゃけ葉山君は特に何もしていない。霊獣を召喚したら、後は棒立ちなの、レイナと一緒だね。
「キナコが霊獣になったみたいだけど、どんな感じ? というか、あれ絶対いつまでもあのままじゃないよね」
「お前から話聞いてたから、俺も霊獣になったってのはすぐ分かったけど……正直、詳しいことは全然分からねぇ。ただ、キナコを霊獣にするための能力はちゃんと授かってるみてぇだ」
と、葉山君は自分の身に起こったことをざっと話してくれた。
なるほど、『八精霊の祝福』と『種族を越えた絆』ってのが『霊獣召喚』を解放するための条件スキルってワケだ。必要なスキルを取得してからじゃないと、上位のスキルを獲得できないというのはゲームでもお馴染みのスキルシステムである。
葉山君は運よく、すでに条件を満たしていたって感じだ。
「今、使ってみた感じだけどよ……なんかスゲー勢いで俺の魔力がなくなってるような気がするんだよ」
「それ絶対、霊獣の変身時間って術者の魔力依存じゃん!」
そうなると、思った以上にキナコはもたないかもしれない。
葉山君の魔力量は決して少なくはないようだが、杏子ほどではないと、これまでの付き合いから分析している。
「ああ、俺の魔力が尽きたら、多分キナコは元に戻っちまうだろうな。けど、もうひと踏ん張りしねぇといけないみたいだぜ」
グゥオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!
何度目になるか分からない、巨大な咆哮が轟く。
だが、それは今までにも増して大きい……というより、吠える数が増えたように感じた。
そして、それは実際にその通り。獰猛な声を上げる頭が、増えたのだ。
「うぉおおおおお……俺の力はぁ……まだまだこんなもんじゃあ、ねぇんだよぉおおおおっ!」
横道の気合の雄叫びと共に、背中から幾つもの頭部が生え出した。
それは鋭い牙を剥き出しにするオルトロスの頭であったり、ガチガチと大アギトを鳴らすムカデの頭部であったり、大きな前歯に紫電を散らす黄色いネズミであったり。
他にも、背中だけでなく脇腹辺りからも、ボコボコと大きく瘤のように肉が隆起してゆき、新たな頭、あるいは腕などが生え出ようとしていた。
喰らった獲物を生やす歪なキメラと化して、それらの能力を横道は解放した。
「プグゥ、プンガァアアアッ!」
キナコが思わず、といったように叫びを上げていた。
オルトロス頭とネズミ頭が、それぞれ炎と雷のブレスを吐きかけたのだ。さらには、横道のいる豚頭は、ゲロみたいな毒液らしきモノも吐き掛けて、キナコを襲う。
一気にブレス攻撃が直撃し、キナコは膝をつく。まだ致命傷には至らない。だが、それなりのダメージは入ったようだ。
まずい、このままでは一気に押し切られてしまう。
「くそっ、やっぱやるしかねぇ————応えろ、ベニヲッ! お前の力が必要だ!」
「ワンワン!」
葉山君の渾身の叫びに呼応して、ベニヲは真っ直ぐに横道に向かって駆けてゆく。
「行けぇ! 『霊獣召喚』っ!」
ウォオオオオオオオオオオオオオオオオン!
天に届かんばかりに高らかな遠吠えが響くと共に、疾走するベニヲの体が眩い赤色の輝きに包まれる。
そして次の瞬間には、あのオルトロスよりもさらに巨大な真っ赤な毛並みの狼と化して、舞い散る炎と共に現れる。
あの毛並み、そして炎を纏う姿は、さながら炎獅子エンガルドのよう。あるいは、今のベニヲはそれ以上の炎の力を宿した霊獣となっているのかもしれない。
「ああんっ!? な、なんだよクソっ、また新しい奴がぁ————」
「グルルル、ギャァウッ!」
獰猛な唸り声をあげ、横道へと飛び掛かって行く霊獣ベニヲ。
轟々と火炎を発する牙と爪をもって、肥えた豚の巨躯を焼き切って行く。
「ぐぅううあぁああああああああああっ! こんのぉ、クソ犬がぁあああ、舐めやがってぇ!」
などと怒声を上げる横道だが、流石に霊獣二体を相手どることとなり、一気に劣勢へと陥る。
追撃を免れたキナコはすかさず立ち上がり、そのまま横道へと向かってゆく。
すでにベニヲに喰らい付かれている横道は、逃げることも防ぐことも叶わず、そのままキナコからの猛攻にも晒される。
「うがぁああっ! く、クソがっ、この俺がぁ押されてるだとぉ、こんなクソモンス共にぃいいいっ!」
霊獣キナコ&ベニヲによって、凄まじい勢いで横道の体は傷を負ってゆく。
キナコが火を噴くオルトロス頭を強引に掴んでは、そのまま引き抜くように力任せに千切って行く。
ベニヲはスパークを散らすネズミ頭を、丸齧りした上にゼロ距離で火炎放射をぶっ放す。
対する横道も他の頭を二人へけしかけるが、たとえムカデの顎に挟まれても、獣の牙に噛み付かれても、それでも猛攻撃は緩まない。
横道も次々と生やす頭や腕で応戦するが、キナコとベニヲによって、一つ、また一つと、強引に引き剥がされていった。
「ぬぁあああああああああああっ、許さねぇ、もうマジ本気の全力でぶっ殺すぅ————『爆熱筋肉』ぉ! 『熱血炎気』ぃ! そしてぇ、『腕力強化』だオラぁあああああああああああっ!」
その瞬間、真っ赤なオーラと輝きを放ちながら、豚の巨躯がボコボコと膨れ上がる。
それは『炎魔術師』大山ご自慢の三重強化。
元々、魔術師クラスで身体能力強化の恩恵がない大山であっても、これを使えばデカいモンスターも殴り飛ばせるだろうスーパーパワーを得られる。そんな超絶強化を、怪物となった横道が使えばどれほどのものになるか。
それこそ、キナコとベニヲ、霊獣二体を相手にしても引けを取らないパワーを発揮するだろう。
恐ろしいほどの強化能力。土壇場で繰り出すに相応しい奥の手————だから、僕はここに残っているんだよ。
「みっ、漲るぅ、力が漲るぞぉ! 見ろぉ、これが全てをねじ伏せる、俺の最強形態ぃ! 力こそパワーだぁ、ブハハハハハハッ! 」
「やまない熱に病みながら、その身を呪え――『赤き熱病』」
唱えたその瞬間、凄まじいまでのオーラを噴き出し、ムッキムキにパンプアップを果たした横道の巨体が、急速に萎んでいった。
急激な力の増加に「これはヤバい!?」みたいな表情になってたキナコとベニヲも、その凄い力は気のせいだったかのような消失ぶりに、「んん?」と小首を傾げていた。
「ハハハハハ————はぁ? えっ、なに……この……はぁああああああああああっ!?」
だが、最も顔色が変わったのは、横道だろう。
うん、気持ちは分かる。僕も、そんな馬鹿な、と思ったもん。
でも残念ながら、この元祖クソ呪術業界不動のナンバーワンエースこと『赤き熱病』は、信じがたいことに、相手の強化を打ち消すという、超絶特化性能を誇っているのだ。
大山の三重強化も、この『赤き熱病』様の前では、瞬時に効力を失う。
「ち、力が……俺の最強の力がぁあああああああああああっ!」
絶望の表情を浮かべて絶叫する横道に、トドメを刺さんとキナコとベニヲが唸りを上げて牙を突き立てる。
ついに、横道には対抗しきるだけの能力が尽きた。
勝負あり。これで僕らの勝ち————
「す、すまねぇ、桃川……もう、限界だ……」
それだけ言い残して、葉山君はばったりと倒れた。
倒れて、しまった……




