第260話 凍てつく水の底から
相変わらずな吹雪の最中、僕らはボス部屋目指して出発した。
でも一番酷い猛吹雪ではないので、視界もホワイトアウトするほどでもない。このエリアで天気の良い日など待っていたら、永遠に出発できないし。
カイロのお陰で極寒の中でも快適だし、索敵用のレムも充実しているので、ルート選択も万全だ。すでに前日までの偵察で、ボス部屋と思しき建物も発見できている。
しかし、そこまでの道中に危険が全くないワケでもない。
「ここから先には、ゴーマの根城がある」
森での狩りの時に見かけたゴグマ部隊を、僕は鳥の偵察隊が完成したら、すぐに奴らの捜索を命じた。
ゴーマはただ狩りだけでなく、宝箱を探して家探しもする。この町中で遭遇する危険性が非常に高く、人間を強烈に敵視する奴らは、僕らを見つければ確実に襲う。
ボスモンスターじゃないけど、ボス並みの強さでフィールドをウロつく厄介な敵とか、たまにゲームであるよね。ゴグマ部隊はちょうどそんな感じの奴らなので、上手く避けて動かなければいけない。
「レム、奴らの動きは?」
「……たてものに、いる。でてきてない」
ゴーマもこの吹雪の中じゃ動きたくないのか。僕らにとっては朗報だ。
奴らがまとめて拠点に籠ってくれているなら、安心して近くも通り抜けられる。
「いつ気が変わって出張って来るか分からないから、さっさとここは抜けよう」
何事もなく、僕らは無事に通過することに成功。この辺まで来れば、奴らに感づかれることもないだろう。
「なんか、家もまばらになってきたな」
「うん、この辺はもう町はずれになるね」
目に見えて建物が減り、周囲は閑散とした雪景色へと変わっていく。
元々は畑でも広がっていたのか、遠目に森が見えるだけで、周囲一帯は見晴らしのいい雪原と化している。
深い雪をザクザクと踏みしめながら、僕らは一列になって進んでいく。
「おっ、小太郎、なんか見えてきたぞ」
完全に家屋もなくなり、見渡す限りの雪原となった頃、遠くの方にぼんやりと、大きな箱型の建物が見えてきた。
「あそこにボス部屋があると思うんだよね」
周囲には敵影もなく、僕らは建物へ向かって歩く。実際にそこへ接近すると、僕の想像が当たりであることが確信できた。
「うおっ、なんだ、急に寒くなってきたな……っていうか、なんだよあそこ、冷気が出てんのか?」
「上空から見ると、あそこはどうやら湖っぽいんだよね」
綺麗な丸い円をした湖だと、レムは言っていた。
地上を歩く僕らから見ると、濛々と真っ白い湯気が上がっているだけにしか思えないけれど。
「アレって温泉とかじゃねーの? 湯気みたいにも見えるけど」
「葉山君の言う通り、あの湯気は冷気で間違いないんだよね」
「けど、あの湖って凍ってなくね?」
「うん。湖は水じゃなくて、不凍液……いや、氷の魔力を含んだ特別な液体っぽいんだよ」
雪原を突き進んでいる内に、冷気を吹き出す湖面もはっきりと見えるようになった。
妙に青く透き通った水面は綺麗ではあるが、この極寒でも凍り付くどころか、むしろ全てを凍てつかせる強烈な冷気を発しているせいで、恐ろしくも不気味に見える。
「小太郎さ、前にこの町が凍ってんのって、なんか事故って冷えたんじゃねって言ってたけど」
「見た目通りなら、この湖がエリアを冷やす原因っぽいよね」
故意なのか事故なのか、それともダンジョンの演出に過ぎないのかは分からない。けれど、このエリアで最も低い気温を記録するのはここである。
まぁ、湖そのものが原因というより、あのボス部屋の施設が湖を冷却する機能を暴走させてるような感じもするけど……どうせここも通過点だし、そんな原因を究明する気まではない。
「とりあえず、落ちたりしないでよね。あの水、マイナス何度になってんのか分からないし」
「さ、流石に火精霊の力を借りても、ここは泳げそうにねーわ」
ひとまず、凍てつく湖からモンスターが現れる気配もなかったので、僕らは建物へと真っ直ぐ向かう————その時だった。
「プガァ!」
「グガァ!」
キナコの咆哮と、黒騎士レムの唸りが同時に上がった。
直後、ブワァッ! と降り積もった雪原の雪をど派手に噴き上げながら、大きな影が飛び掛かってきた。
キナコは葉山君のすぐ後ろの後衛に、レムは先頭を進んでいる。両者が反応したということは、すなわち、現れたモンスターは前衛と後衛を同時に襲ったということ。
コイツら、二体いるのか!
シギャアアアアアアアアアアアアッ!
獣とは異なる不気味な声を上げて飛び込んでくるモンスターは、サメによく似た姿をしていた。
鋭角的な頭部に、丸い小さな目と、ぽっかり開いたような大きな口。そして、大口に並ぶ鋭い牙の列。白と灰色の虎縞模様の体は、さながら冬季迷彩のようだ。
サイズはロイロプスやグリムゴアと同じ程度。立派な中型モンスターである。
「グガ、ゴガァアアアアア!」
そんなサメ型モンスターを、黒騎士レムは大剣を振り上げ真正面から迎え撃った。
飛び込んでくるサメの大口をかがむ様に避けながらも、鋭い斬撃を見舞う。しかし、反撃を察したサメの方も器用に宙で身をよじり、振り下ろされた大剣から逃れた。刃は真っ白い腹部に辺りはしたものの、ほんの先っぽだけ。ゴムのように分厚い腹の皮を、僅かに切り裂いたに留まった。
「レム、よくやった!」
何とか奇襲の初撃を捌いた。こういうのは、最初の一撃で誰か一人倒されたりするから大変なんだよね。
サメはレムの攻撃を回避したまま、僕らの隊列からは逸れるように雪原へと着地していった。そして、雪煙を撒き散らしながら再び降り積もった雪原へと身を潜めていく。
その僅かな間に、僕はサメ型モンスターの全貌を捉えた。
どうやら、頭こそサメのような形だが、全体的にはトドみたいな体型をしていた。泳ぎも得意だが、地上を這うように進むこともできる、海獣型のモンスターといったところか。ここ湖しかないけど。
手足のような四本の鰭が生えている。しかしながら、大きな背ビレがあったりと、サメっぽい部分もあった。
雪原から背ビレを覗かせながら、スイスイと動く様は、正に海面を泳ぐサメそのものだ。
「うわぁあああーっ!?」
「プガガ、グガァ!」
葉山君の情けない叫び声と、キナコの獰猛な鳴き声が聞こえて、チラりと後方を確認。
どうやら、キナコもレムと同じく飛び出してきたサメの奇襲を体を張って止めてくれたようだ。
戦獣鎧を着込んでいるお陰で、より安心して敵に当たっていけるということか。鋭い爪を振るって、サメの首筋の辺りを切り裂いて反撃もしている。
だが、こちらも皮を切るだけにとどまったようで、サメは身を翻して雪原へと潜っていった。
「撤退する。ロイロプスを先頭にして、真っ直ぐ来た道を戻って」
「お、おい、いいのかよ、ここまで来て!」
「相手の有利な状況に付き合ってやる必要はないよ。葉山君とベニヲは、サメのいそうな方向に適当に炎を撒いて牽制して。突撃してきたら、レムとゴア二号で止めて」
「分かった、行くぜベニヲ!」
「ワンワン、ボァアアアアアアアアアア!」
「杏子は、確実に当てられる時だけ撃てばいいよ。こっちはレムとゴア一号が防いでくれる」
「りょーかい。っつーか、マジで見えねぇ、あんなデカいサメなのに」
二匹のサメが僕らの周囲をグルグルと回って雪煙を立てるものだから、どこを泳いでいるのか全く見えない。元々、吹雪いている視界不良の上にこれだから、どうしようもない。
姿が全く見えなければ、『毒』の一発も当てられないよ。
「落ち着いて後退していこう。奴らそのまま食い掛ってきたから、ブレス攻撃はないはずだ」
あったとしても、奇襲の一発目に使おうとは思わないほど、必殺の威力や拘束力があるわけではないのだろう。
向こうは恐らく、アカハゲタカと同じように僕らの中で慌てて隊列から離れて逃げる奴が出ないかを待っているのだ。だが、奴らほど臆病なワケでもないようだ。
不用意に飛び掛かってはこないものの、つかず離れず、撤退する僕らの背後にピタリとついて追跡してきた。
結局、雪原を抜けて町の外れまで戻って来ることに成功はしたけれど、サメにロクなダメージを与えることもできなかった。
いやぁ、参ったね、ボス部屋のある建物の前に、あんな中ボスみたいな奴が潜んでいるなんて。
地上で待ち伏せされていたら、レム鳥の空中偵察だけじゃあ見つけることは出来ない。分身を送っての地上調査までしなかった、僕の怠慢だな。
仕方ない、今回は大人しく出直すとしよう。奇襲を受けても、誰一人として失うことも、重症を負うこともなく凌げたのだから、それだけで大成功だと思うことにした。
それから二日後。
雪原で僕らは再び、二匹の双子サメと対峙していた。
「今だ、葉山君!」
「よっしゃあ、一発デケぇのをブチかましてやるぜ————『招雷』っ!」
葉山君が高々と掲げた右手に握りしめられたスマホが、ピカピカと眩い紫色の輝きを放つ。
すると次の瞬間には、雪原の上で僕の『黒髪縛り』によって絡め捕られてもがいているサメに向かって、ドォン! 雷が落ちた。
ジィイイギャアアアアアアアアアアアアアアッ!
けたたましいサメの叫びが上がる。落ちた雷は背ビレを黒焦げにし、その背中を穿つように強烈なクリティカルヒット。
だが、まだ死んではいない。叫びながら激しく身をよじって、僕の拘束から脱しようと動き続けている。
「うおおおおっ、もう一発だ!」
さらに落ちる雷に打たれ、サメの体は大きく跳ね上がり……そして、今度こそ動かなくなった。
「ふぅ、これで討伐完了だね」
「しゃあ! やったぜ! おい、見てたか桃川、この俺の大活躍!?」
「ちゃんと見てたって」
子供のようにはしゃぐ葉山君が微笑ましい。
そういえば、中型モンスターをほぼ自分の攻撃だけで倒し切ったのは初めてだったかな。目に見えた成果ってのは、やっぱり嬉しくなるものだよね。
「けど……疲れたぁ……」
「お疲れ様、葉山君」
まさか一発限りの必殺技だと思っていた『招雷』が二発連続で使えるようになっているとは。着々と精霊術士として成長している。
僕の『水流電環』も多少は恩恵があると思いたいけど、どうなんだろうね。
「やっぱ、こんぐらいなら準備すれば楽勝だよねー」
「そりゃあ、ヤマタノオロチに比べたらね」
反対側には、もう一匹のサメが、レムとキナコとゴア二頭にフルボッコされて倒れていた。
杏子にヒレを撃たれて雪上での機動力を失えば、まぁあんなもんだろう。
今回はあっけないほど、事前準備と作戦がハマったお陰で、危なげなく勝利できた。
まず、真っ先に狙われたら困る僕と杏子と葉山君の後衛組みの安全を確保するために、雪原のど真ん中に簡易トーチカを建設した。杏子の手にかかれば、短時間でこれくらいは作れる。昨日の内に、サメを警戒しつつ用意しておいたものだ。
さらに、トーチカ周辺には僕が手ずから魔法陣を描いて、強化した『黒髪縛り』で接近してきたサメを拘束できる罠を設置しておいた。
これで準備は完了。
あとは前回と同じように、ボス部屋目指して歩いていく。アルファに乗った分身の僕が、目立つ囮として召喚したハイゾンビとスケルトン軍団を引き連れて。
こんな見え見えで釣れるか、と若干不安もあったけど、無事にサメは釣れた。突然、雪原から襲い掛かる奇襲攻撃によって、ハイゾンビが数体と、スケルトンが沢山やられていった。正に囮役の面目躍如とばかりの、見事なやられっぷりである。
で、分身の僕は如何にも初めて奇襲を受けて混乱していますとでも言いたげな感じで、適当に叫びながらトーチカの方へと戻っていく。
案の定、囮に食いつき追いかけてきた双子サメを、万全の態勢で待ち伏せていた僕ら本隊が————とまぁ、こんな感じである。
「小太郎、サメどうすんの?」
「コアだけとって、先に進もう。ボスに挑むには、ちょうどいいウォーミングアップになった感じだし」
サメ素材は、欲しいっちゃ欲しいけど、積載量の関係もあるし、どうしても回収しなきゃいけないほどでもない。
もしコレを屍人形にしても、制御力の関係で十全には扱えないし。それをするなら、ゴア二体とトレードになっちゃう。
雪原での奇襲特化に発達した双子サメよりも、信頼と実績のゴアの方が優秀だよね。
というワケで、コアだけいただいて、先へと進もう。
「オッケー」
「俺は後でちょっと休ませてくれよな」
「分かってるよ。ボス部屋の前で休憩はするから」
こうして、僕らはようやく邪魔者を排除して、ボス部屋のある謎の建築物へと向かった。
流石に次なるサメが現れることもなく、建物へと到着する。
箱型の建物はサイズこそ立派だが、完全無欠な豆腐建築だ。真っ白い外観で、真四角。保存状態も良好なせいで、ヒビなども見当たらないので、見事なまでに豆腐である。
僕らは大きなガラス張り、みたいな透明な扉の正面玄関から、堂々と侵入を果たす。
「玄関デカくて助かったわ。グリリン入れねーかと思った」
屋内に潜入する時は、いつもそれが心配だ。今の僕らには、まだグリムゴアとロイロプスはどちらも必要である。
「かなり大型の施設みたいだね」
「なんなんだ、ここは?」
葉山君がキョロキョロと見渡しているが、僕にもここがどういう場所なのは見当がつかない。屋内も割と綺麗ではあるが、特にこれといって目を引くモノがない。
ただ、屋内の作りはかなり広々としている。奥へと続く通路に加え、下の階へと続くのは階段ではなくスロープとなっており、なんだか立体駐車場のようだ。
お陰で、グリムゴアとロイロプスを伴って、そのまま階下へと行くこともできる。
「ボス部屋はこの下みたいだ」
コンパスの導きに従って、僕らは下を目指す。
何となく、みんな無言となって進むから、それとなく緊張感が増していく。
けれど、途中で魔物が出てくることはなかった。施設内は不気味なほどに静まり返っており、魔物がここに巣食っているような気配は感じられない。
雑魚にちょっかいをかけられず、ボスまで直行できるなら楽でいいけれど、本当にそれだけで済むだろうか。
不意に湧き上がる嫌な予感を覚えながら、僕らはついに最下層へと辿り着いた。
「おい、この扉、閉まってるけど開くのか?」
「ここの施設はまだ生きてるみたいだ。多分、魔力で開くはず」
宝箱を開けるのと同じように、僕がサっと手を翳せば、それだけで真っ白い扉は機械的にスライドして開かれた。
その先に広がるのは、ボス部屋と見て間違いないだろう。
広い円形のホールに、ど真ん中にはよく見慣れた転移の魔法陣が刻まれている。
「おおー、スゲーな、水族館みたいじゃね?」
「全面水槽じゃん!」
楽しそうな声を葉山君と杏子が上げる。僕としても、見事に四方の壁が透明で、湖の水底を映し出しているホールの様子は、なかなか圧巻だと感じられる。
実はここが、本当にただの水族館だったと言われても信じられそうだ。
けれど、かつてはどうだか知らないが、今ここはダンジョンとして機能している。ならば、絶対にいるはずなのだ。
「————ボスがいない」
だから、このホールのどこにもボスモンスターの姿が見えないのは、おかしい。
ホール内に遮蔽物はなく、隠れられる場所は存在しない。誰もいないし、何もないのは一目瞭然。
けれど、ホール中央の床に刻まれた転移魔法陣へ、コンパスが間違いなくその針を指し示していることから、ここがボス部屋であることも間違いない。
「ボスはもう倒されてる、のか?」
ここにはゴグマ部隊がやって来ている。もしかすれば、奴らがボスを倒した可能性もありえなくはない。
いや、ボスがいないと考えるのは早計だ。何かしらのギミックが働いて、召喚されるシステムかもしれない。
「とりあえず、中を調べてみよう」
「調べるってもさー、マジでなんにもなくない?」
「だよな、ただの全面水槽で、別になにも————おおっ! 今、なんかいたぞ!?」
葉山君が声をあげながら、ホールへと走っていく。
「何かいたって?」
「おう、水の中でなんか動いてたぞ。もしかして、またあのサメかぁ?」
なるほど、水槽の向こう、湖の中のことか。そりゃあ、湖を泳ぐ魚がいれば、この水槽ホールから観賞できるだろう。
しかし、ただの水じゃない、凍らない謎の液体で満ちた湖を泳ぐヤツとなれば、厄介そうなモンスターだ。単にあの双子サメの進化系みたいな奴でも、十分に脅威となる。
でも、このボス部屋の中にいないならば、ソイツはあくまで湖に生息する野生の魔物であり、ボスモンスターではない。ここはあくまで水槽で外が見えるというだけで、湖からモンスターを引き込む様な作りにはなっていない……なってないよな?
「あっ、マジで何かいた! ウチも今チラっと見えたぞ!」
「あっちの方に泳いでたぞ!」
「もう、二人とも、いくらボスがいないからって————」
水族館気分ではしゃぎすぎだろう、と僕が呆れた視線を二人へ向けると、
「なっ、あ、あぁ……」
「こ、小太郎ぉ……」
二人には楽しそうな笑顔はどこにもなく、まるでおぞましい化け物でも目撃したかのような戦慄の表情を浮かべていた。
葉山君なんて今にも腰抜かしそうな顔と恰好でなんかガクガクしているし。
杏子の方は、表情は凍り付きながらも、震える手で、ショットガンを構えようとしていた。
まさか、僕を撃とうというのではあるまい。それくらい分かる。
だって、恐怖に慄く視線を向けているのは、僕にではなく、その後ろ、
ゴボッ! ゴポポッ!
分厚い水槽越しにでも、水中で吐く大きな吐息を感じた。
鈍い僕でも察するにあまりある、途轍もない存在感を覚え、僕が真後ろの水槽の方へと振り返れば————ソイツはいた。
「————小太郎きゅーん、見ぃーつけだぁああ」
 




