第258話 氷の町(2)
「ああぁー、生き返るぅー」
しみじみと呟きながら、僕は熱い湯舟に体を沈める。
体力ギリギリのところで運よく辿り着けた妖精広場で、僕らが真っ先にやったのは風呂の製作である。僕が指示しなくても、みんな荷物を放り投げて黙々と作業開始だった。
杏子が釜を形成、僕が『魔女の釜』発動、そして葉山君が水の精霊の力を借りて湯舟を満たす。
僕らの完璧な連携プレイによって、あっという間にお風呂の完成だ。
「小太郎、一緒に入る?」
「今そういうのいいから、早く入ってよね!」
なけなしのフェミニズムを振り絞って杏子を先に風呂に入れて、僕らはしばしの順番待ち。
その間に、ざっとこの妖精広場を擁する教会風建築の中を見て回った。
ここは町の中では大きな建物ではあるが、二階建てだ。真ん中に突き立つ鐘のついた塔は除くけど。
一階部分は広々とした妖精広場で占められている。奥には二階へと続く階段があり、登ると居住スペースといった部屋が幾つかあった。
やはり、ここも民家と同じように生活感が残っている。食器類や衣服、本棚には本も詰まっていた。貴重な古代の書物、と見るべきか。二階部分までは妖精広場の効力が及ばないのか、他の建物と同じように凍り付いた状態だ。
しかし、この教会で重要なのは二階でも塔でもなく、一階である。
光り輝く暖かな妖精広場に僕らは一目散に駆け込んだけれど、その前に走り抜けた石造りのエントランス部分。ここが大切なのだ。
そう、このエントランスは学園塔と同じく、転移魔法陣が設置されていたのである。
さぁて、ここはどこに繋がっているのかな、というところで、風呂が空いたのでひとまず後回しに。
「ほーらお前ら、ちゃんと髪乾かさないと風邪ひくぞー」
などと言いながら、風呂上がりの僕らの髪を温風で乾かしてくれるのは、葉山君である。
手にしたジッポから火を出しつつも、上手く温風を発するように制御していた。地味に精霊を操る能力も向上しつつあるようだ。
「とりあえず、今日は疲れたから早くご飯食べて寝よう」
「んほぉー、寒い時はやっぱ鍋だよなぁー」
「むっ、この味は珍しくスパイス使ってんな、小太郎」
「こういう時に使わないとね」
手持ちの香辛料は心許ないが、冷えた時こそ体が温まるような辛さのある料理が食べたいよね。
僕も気に入っている、この唐辛子風のスパイスは惜しみなく使ったし、凍らせて保存していた肉もいい部位のを使っている。普段よりもちょっと豪華な夕食だった。
その日は、そうしてお腹いっぱいになった後は広場でそのまま寝た。蜘蛛糸でハンモック作る元気すらなかったので、毛皮製の寝袋を敷いて就寝だ。地面が柔らかい芝生な分だけ、山越えで寝た時よりもずっと上等な寝心地だった。
さて、翌朝。
みんなで朝食をつつきながら、僕は本日の予定を語る。
「とりあえず、このエリアの寒さに耐えられる装備を作らないといけないね」
現状の毛皮装備だけでは耐寒性能には限界がある。というか、ただ厚着だけで防ぐのも限度ってものがあるだろう。
「そこで、今回は葉山君に全面的に協力してもらおうと思う」
「えっ、俺が? でも錬成とかいう魔法、俺使えねーぞ」
「最初はみんなも使えなかったから。錬成の練習もしてもらうけど、本命としては、精霊の力を装備品に上手く宿せないかってとこだよ」
今このエリアで一番活躍しているアイテムは何かといえば、火精霊のジッポライターである。
これは葉山君が焚火に火をつけたいと強く願ったところで、火の精霊が力を貸し、その後もジッポに住み着き、結果として魔法のアイテムと化しているのだ。
葉山君が狙って作ったモノではないけれど、似たようなアイテムを意図的に作れるようになれば、装備品の品質や種類も選択肢が格段に上がる。
火精霊による携帯式の暖房器具でもできれば、快適にこのエリアで行動できるし、レッドランスのような魔法付きの武器の威力をさらに上げることもできる。実際、葉山君はレッドランスを自前の火精霊によって強化されているし。こういう精霊による強化の恩恵を僕と杏子も受けられるならば、大幅な戦力アップに繋がるだろう。
「んー、つっても、そんなに上手くいくかぁ?」
「とりあえずやってみないと分からないけど、葉山君なら大丈夫じゃないかな」
自覚はなさそうだけれど、彼の精霊術士としての能力はこれまでの道中で少しずつ、けれど確実に磨かれていると僕は思っている。すでに道具に精霊を宿すことはできているのだから、十分に成功の可能性はある。
「じゃあさ、ウチは何してればいいの?」
「杏子は金属を錬成して下ごしらえするくらいだけど、今のところそんなに量はないし、やればすぐ終わっちゃうよね」
手元にあるのは、昨日の家探しで少々持ち出してきた金属製の食器や工具みたいな道具類が少々。杏子の手にかかれば、まとめて金属と不純物とに分離できるだろう。
「だから、近場の家から使えそうなもの集めてきて欲しいかな」
「蘭堂一人で大丈夫かよ?」
「この教会の両隣と、正面のアパートみたいなとこくらいなら大丈夫じゃないかな」
護衛はレムもキナコもいるし、グリムゴア二頭もついている。
この戦力で瞬殺されるような相手に出くわしたなら、フルメンバーでも余裕で全滅だし。
「そんくらいならヨユーだって。ちょっとはウチを信じろよな」
「ヤベー時は、ちゃんと叫んで助けを呼べよ」
「僕の分身もつけるから、杏子の様子はここからでも分かるし。ピンチの時は叫ぶ必要もないんだけどね」
意外に心配性な葉山君である。でも、その慎重さはダンジョン攻略では大事だよ。マトモに戦闘系の天職を授かってると、つい強さに任せて注意を怠りがちだ。
気を付けていたところで、小鳥遊の裏切りは防げなかっただろうけど。
「でもさー、こんなフツーに人が住んでたようなとこ探したって、大したモン出てこないと思うけど」
「いや、食料品を回収するだけでも、楽ができるよ」
「昨日もとってきたけどさ、アレ本当に食えるのかよー?」
「あんまり美味しくないけど、ちゃんと食べれてるでしょ」
「……おい桃川、今日の朝飯さぁ、なんかいつもと違う料理だなって思ってたんだけど、もしかして」
「それ、昨日の家から回収してきたのを、『魔女の釜』で解凍したやつ」
ブゥーッ! と流石に吹き出すことはしなかったけれど、マジで今にも吐きそうな表情を葉山君はしていた。
「酷ぇ、ウチらを騙したん!?」
「ちゃんと最初に毒見はしたから、大丈夫だよ」
僕が分身でね。
回収した食料品は、すべて完全に氷漬けになっていた。ここは天然の冷凍庫状態だ。とても雑菌が繁殖できる状態にはない。
アイスに賞味期限がないのと同じように、ずっと凍り付いていたならば、食べられる可能性は十分にある。
「肉は狩りでなんとかなりそうだけど、野菜類は収穫できそうもないからね。ここの冷凍モノが食べられれば、食料のことは気にしなくて大丈夫になる」
流石に僕も出来合いのモノを食べる勇気はなかったよ。
食べたのは、ジャガイモみたいな芋とか、大豆みたいな豆類、ニンジンみたいな緑黄色野菜に、レタスとキャベツの中間みたいな葉野菜など。全てしっかり氷に閉ざされていたものを選んだ。
当たり前だけど、とれたてみたいな新鮮さは皆無だったけれど、こうして朝食を食べているように、違和感なく口にできるくらいの味にはなった。
「んー、あんま気が乗らねーけど、食べ物もとってくるわ、一応」
「頼むよ、杏子」
そんなワケで、ひとまず教会の妖精広場を拠点としての、エリア攻略の準備が始まった。
僕は早速、葉山君に精霊を宿してもらうアイテムの準備に取り掛かった。
まず最優先で制作するのは、ジッポライターのように火精霊を宿し、程よい熱を発する携帯用暖房である。
熱を発する燃料は精霊なので、ガスでもオイルでもエレクトリシティでもなく、魔力があればOKのはず。そして魔力というのは、僕も杏子も魔術師クラスに準ずるので、保有魔力量はそれなりのものだと自負している。特に杏子はクラスでも随一の魔力量を誇っていると思う。
しかしながら、ただ火を出すだけでなく、ほどよく温めたいという絶妙な調整を必要とするものだ。そう簡単に上手くはいかないだろうけど。そこは時間をかけて試行錯誤して、
「————おっ、出来たぞ、桃川! こんな感じでいいんじゃね?」
「うわ、マジで完璧だよコレ」
精霊式暖房マジックアイテムは、驚くほど簡単に完成した。
赤々と輝く小さな火光石の欠片は、外の吹雪に晒されても快適な温度で持ち主を包んでくれるのだった。
「葉山君、普通に天才なのでは?」
制作風景は、大きな焚火の傍で火光石に向かって話しかけるだけで、かなりアレな感じだったけど、こうして結果がついてきたのなら、認めざるを得ない。
「はっはっは、よせよ桃川、素材がいいから、火精霊達も満足してくれただけだっての」
そんな上等な素材を用意したワケでもないんだけれど。
僕がとりあえずで準備したのは、火精霊を宿す本体となる、光度3の火光石だ。学園塔から逃げる時に、持ち出してきた素材の一つである。僕らにとっては希少な素材だが、この世界では最上級というほどでもない。
ジッポに火精霊が宿るなら、そりゃあやっぱり火に関するモノが良い。純粋な火属性魔力の結晶である火光石しか選択肢はないだろう。
「俺より、桃川が刻んだ術式ってーの? そっちのが凄ぇだろ。本物の魔法使いだぜ」
覚えておいたゴーマ式魔術回路が役に立った。
求める効果は暖房。温められた空気が所有者の体の周囲に滞留する状態が望ましい。源となる火光石を起点として、熱を拡散させるのと、温度の上昇をセーブするように回路を組んだ……つもりだ。
術式を刻んだのは、昨日の道中で倒してきた雪灰狼の毛皮。何体かはロイロプスに積んで持ってきていたから。
その雪灰狼から毛皮を剥いで、袋状にして、その内側に刻み込んである。
それから、同じ雪灰狼から取り出したコアも一緒に『呪導錬成陣』にかけることで、毛皮袋そのものにもある程度の魔力を帯びさせている。これで、より火光石から精霊の力を引き出しやすくなっている……はずである。
今回は結果的に上手くはいっているものの、僕はそもそも魔術回路というものの原理を根本的に理解しているワケではない。刻めば、実際にそういう効果が見られるから、使っているだけで。
なので、何かの拍子に不具合とか出たら、ごめんね。
「とりあえずコレが完成しただけで、僕らもここで行動できるよ。あー、名前つけとく?」
「コイツは俺と桃川の共同開発だからな。どっちがいい名前つけられるか、コンペと行こうじゃねぇか」
「いいね、僕こういうの得意なんだよ。文芸部だし」
「俺のネーミングセンスは天性のもんだ。お堅い文芸部員とはユーモアが違うぜ?」
お互い、しばしの睨み合い。しかし、脳内ではこの新開発のマジックアイテムの命名を己のセンス全開で検討中。
そして、特に合図もなく、僕らは同時に口火を切った。
「『温風結界・焔日和』」
「『ぽかぽか袋』」
「……いや、ぽかぽか袋はないでしょ」
「ホムラなんちゃらとか大袈裟すぎだろ」
「コイツは火精霊を組み込んだ上に、温度制御に無駄のない効果範囲で、マジックアイテムとしては高度な一品だよ。結界としてきちんと名前をつけられるべきだと思うんだけど」
「こういうのは使ってなんぼだろ? 普段使いするモンなら、愛嬌のある名前の方が断然いいんだって」
「でもそのネーミングはあんまりにも————」
「桃川のだって拗らせた中二センスじゃあ————」
「————おーい、戻ったぞー。てか、なに揉めてんのアンタら?」
互いのセンスとプライドをかけた討論が白熱してきたところで、杏子が帰還した。
そういえば、そこそこの物資を集めて、一旦、戻ってきたのだった。
「あっ、なにソレ、もしかしてカイロ完成したん?」
「……カイロ」
「カイロ、かぁ……」
「おおー、カイロ温ったけぇーっ! もうこれ使っていいっしょ、てか使う、外マジ寒ぃーし」
と、僕らが大して説明してなくても、完成したばかりのカイロを手にして、暖を取る杏子であった。
「懐炉でいいか」
「おう、カイロでいいな」
晴れて名前も決まったことで、雪エリア攻略用の携帯用暖房器具、精霊式カイロは完成したのだった。
「一狩り行こうぜ!」
元気よく叫ぶ葉山君に賛成し、翌日、僕らは狩りに出ることにした。
連日の猛吹雪が止んだこと、そろそろ本格的に食料を補充したいこと、装備を整えるなら魔物素材とコアが必要なこと。色々な理由が重なって、ちょうどよい機会である。
「カイロの性能は素晴らしいね」
「マジで快適すぎる。作ってよかったわ」
僕と葉山君は装備したカイロの温かさに満足しながら、雪の町を歩く。
魔力の消費もささやかなもので、全く気になるほどではない。火精霊自身が、自ら魔力を集めることができるから、完全に所有者の魔力依存ではないのも大きいのだろう。
「で、小太郎、今日の狙い目は?」
「とりあえず食料になりそうなヤツと、偵察用に鳥が欲しいかな」
今やレムは立派に言葉を喋れる賢い子へと進化を果たした。鳥の目を利用した空中偵察の結果を、正確に伝えられるようになった現状では、以前よりも価値が上がっている。
できれば偵察用の鳥は、常に確保しておきたい。
「それじゃあ、森の方に行ってみる?」
「そうだね。レム、先行して偵察だ」
「ルルル、ガウ!」
レムの返答は狼の鳴き声。コイツは昨日の内に用意しておいた、雪灰狼の屍人形だ。レム本体は僕らの前衛に残し、狼の方はレムに操作させて偵察に出向かせる。
黒毛に染まった雪灰狼が、疾風の如く雪上を走り出す。
「ワンワン!」
「なんだよベニヲ、お前も行きたいのか? しょうがねぇなぁ、無茶だけはすんなよ」
葉山君の許可が出て、ベニヲはレム狼の後を、嬉しそうに尻尾を振りながら追いかけて行った。
「へへ、アイツ、同じ犬の仲間が出来て喜んでるみたいだぜ」
「動く死体は苦手なんじゃなかったっけ?」
「さぁな、もしかしたら、スゲーあの子がタイプなのかもな」
それはまた、ベニヲが性癖拗らせちゃったらゴメンね。
しかし、赤犬と雪灰狼では犬と狼という以上に種族間の差があると思ったのだが、そうでもないのかも。普通に交配できるのかな。
そんなことを考えながら、僕らはのんびり、町の外側に広がっている森の方へと向かっていった。




