第238話 ヤマタノオロチ討伐戦・最終段階(2)
「――外殻の突破に成功した! 撃てぇーっ、桜ぁーっ!」
アラクネレムが引くロープによって縦穴を飛び出した僕は、とりあえず声の限りに叫んだ。
「小太郎くん、やったんだね!」
「桃川、やったのか!?」
帰還した僕へ最初に声をかけてくれたのは、メイちゃんと蘭堂さんだった。
でも、見るからに二人とも防衛戦で手いっぱいという感じで、喜び勇んで駆け寄って来れるほどの余裕はない。
あー、オロチ頭がやっぱりこっちまで来ちゃってるよ。
メイちゃん前衛、蘭堂さん後衛のコンビで、やけに白いオロチ頭を相手取っている。
他のみんなは、もうすっかり防壁としての役割を果たしていない、穴だらけの壁から押し寄せてくるガーゴイル軍団の相手。
これは本当に、あと3分もつかどうかも分からないほどに追い込まれた状況だったな。
「なにやってんだ桜、早くしろぉーっ!」
「今準備しています、急かさないでください桃川!」
ヒステリックに叫んでいるから、まだまだ桜ちゃんは元気そうだ。少なくとも、トドメの一発を放てるだけの魔力は残っているだろう。
「トドメは任せた。外すなよ、絶対に外すなよ」
「外すワケないでしょう、こんな一直線の縦穴を」
そんなことを言い合いながら、僕は桜とすれ違いポジションをスイッチする。
「さっき散々使ったけれど、もう一回ぶちまけてやる――『腐り沼』ぁ!」
蘭堂さんがオロチ頭の攻撃に専念しているから、防壁をカバーできるのはささやかな水属性防御魔法を使える下川のみ。ケルピーの杖で多少はマシになったとはいえ、この状況で防ぎきれるだけの防御力はとても望めない。
だから、桜ちゃんと入れ替わりで後衛に戻った僕は、『腐り沼』を見える範囲の目いっぱいに展開して、少しでもガーゴイル軍団の足を鈍らせること。
「こんだけ群れてたら、どこ撃ってもフルヒットだ」
僕はエアランチャーで群れているガーゴイルに向かってグレネードをぶち込む。ここまでくれば、もう出し惜しみする必要はない。
ドーンドーンと火柱を上げてガーゴイルをブッ飛ばしながら、左手で握った『呪術師の髑髏』を装填した愚者の杖で『毒』を乱れ撃ち。
おまけに、黒髪縛りで味方前衛が戦っている奴らにちょっかいもかける。
ひたすら押し寄せるだけの敵を相手に防戦するなら、僕も指示を飛ばす必要はないから、戦闘だけに専念できる。
それも、あとは桜ちゃんがトドメの一撃を放つまでの、僅かな時間だ。
あともう少しだけ、最後の瞬間まで、気を抜かずに戦いきれば、それで勝利を掴みとれる。
「これで、終わりです――『閃光白矢』」
そして、ついにその時は訪れる。
僕らの輝かしい勝利を象徴するかのように、眩しく光り輝く魔法の巨大な矢が、ヤマタノオロチに穿たれた縦穴へと撃ち込まれる。
この足元の岩盤も、自慢の鎧たる外殻も、すでに存在しない。
残るはただ分厚いだけの肉体のみ。
桜とて伊達に『聖女』なんていう大仰な天職を授かってはいない。どうやら、彼女が放つ光属性魔法には、大きく威力補正がかかるようだ。
そうして放たれた上級攻撃魔法『閃光白矢』は、ヤマタノオロチの巨躯を貫き、その無限の力を維持する心臓部たるコアへと届く――
ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!
桜が攻撃を放った直後、真っ赤な輝きが、不気味な重低音と共に縦穴から発せられた。
あの赤い光は、コアが砕けて発する輝きなのか。
そして、この鳴り響く音は、ヤマタノオロチの断末魔の声か。
ゴゴゴゴゴゴゴッ!
その時、急激に足元が揺れ動いた。
「うわわっ!?」
「な、なんだよオイ、地震かぁ!?」
とても立ってはいられない、激しい揺れ。地震大国日本に住んでいても、まず体験することはない凄まじい揺れであるが、これはただの地震ではない。
「小太郎くん、危ない!」
聞こえてきたメイちゃんの声と同時に、僕は目の前の地面がビキビキと割れていくのを見た。
地割れだ。
地面がではなく、きっと、この岩山そのものが割れようとしているのだ。
「うおおお、や、やばい、コレは……」
これほどグラグラする中で、僕は立ち上がることもできず無様にハイハイするくらいが精々だ。
まずい、地割れの亀裂がかなり近くまで走って来ている。
岩盤が丸ごと割れたとするならば、その高さは10メートル以上になる。落ちれば普通に死ねる高さだ。
「シャアアア!」
「アラクネ! よくやった!」
この面子の中で唯一の四足歩行という安定した形態をとるアラクネレムが、近くに突き立つ岩の柱にしがみつきながら、今にも亀裂が開いて落っこちそうな僕を糸で捕まえてくれる。
とりあえず命綱は繋がった。
「蘭堂さんと下川も!」
「キシャアア!」
優先すべきは、自由落下すれば命の保証がない後衛組みだ。
メイちゃんは高いところから落ちても大丈夫だろうし、山田も防御スキルがあるから耐えられるだろうし、桜は結界あるからほっといても問題ない。
蘭堂さんと下川だけが、落ちれば致命傷を負う危険性が高いメンバーである。ほんと、こういう時に魔術士クラスは割を食うよね。
「おおお、この糸はレムちんか!」
「あ、あぶねぇ、助かったべ……」
無事にアラクネレムは二人を捕まえてくれたようだ。
そうこうしている内に、どんどん揺れは激しくなりながら、いよいよ巨大な亀裂が広がり――
「――岩山が真っ二つに割れた」
ちょうど僕らの掘削地点から、左右に岩山は別たれていた。
広がった亀裂は岩山の東西に向かって伸び、見える限りでは両端まで届いているようだ。
亀裂の幅は10メートル近くあり、最早これは谷といった方がいい地形へと変化している。
大規模な岩山の地形変動が起こったせいか、あれほどひしめいていたガーゴイル軍団が山を下りるように逃げて行ったのは幸いだが、新たな問題が目に見えて現れた。
「なんだ……アレがコアなのか……」
腹にぐるぐる巻きになったアラクネ糸を握りつつ、僕は谷底を覗き込む。
そこには、深い谷間の底から発せられる、眩い赤い輝きが見える。
岩盤の谷間の先に、灰白色の外殻と思われる層も見える。そして、僕があれほど苦労して穴を開けたというのに、その外殻は谷間と共に、貝殻のように開かれていた。
二枚貝が隙間を開いたように展開された外殻の先には、巨大な、ちょっと思っていたよりもずっと巨大なコアが露出していた。
真紅の宝石が埋め込まれたような状態だ。半径5メートルほどの半球が晒されており、僕が見た限りでは……傷一つついちゃいない。
「桜ちゃん、もしかして外した?」
「間違いなく命中しましたよ! けど、手ごたえがまるで感じられなかった……このコアは、物凄く硬いのです!」
と、桜ちゃんは僕がいる亀裂の反対側から叫んでくれた。
見苦しい言い訳、とは言うまい。
申告通り、攻撃は確かにコアにまで命中した。その結果、この地割れ現象というか、地割れ形態へと移行したと。
ヤマタノオロチにとって、唯一にして絶対の弱点たるコアを自ら殻を開いて敵の前に晒すとは……なるほど、見せたとしても問題ないほどの防御力を誇っていると考えてもいい。
「ちくしょう、コアが硬いとか想定外すぎる」
弱点部位だと思ったら攻撃弾かれる系の頑強部位だったとは。
「桜ちゃん、もう一度だ。蘭堂さん、下川君、合わせて撃って!」
「分かりました」
「おっけー」
「一発ぶちこんでやるべ!」
今こそ後衛魔術士クラスの本領発揮、と言わんばかりに総攻撃だ。
ガーゴイルは逃げ出したし、さっきまでこっちを狙っていたオロチ頭もどこかへ引っ込んだようだ。
気兼ねなく全力攻撃をぶち込める。
「撃てぇーっ!」
「『閃光白矢』」
「『破岩長槍』」
「『激流砲』」
光と土の上級攻撃魔法と、水の中級範囲攻撃魔法が大きなコアへ放たれる。
僕はエアランチャーでグレネードを撃ち込みつつ、黒角弓を引いた黒騎士レムに、グレネードと同じ構造で爆発する矢を撃たせている。
このメンバーでできる最大の遠距離攻撃だ。
誰にも何にも邪魔されず、僕らの攻撃はコアへと届くが――
「……やっぱり無傷か」
爆煙の晴れた向こう側から現れたのは、変わらず輝き続けるコアだった。
「おい、桃川、どうすんのコレ」
「どうしよう……」
蘭堂さんの問いかけに、即答することはできなかった。
完全に想定外だ。まさかコアが割れないとは。
いや、まだ可能性はある。
今のはあくまで、この場にいる面子での最大火力であって、ウチのクラスの最大火力ではないのだから。
「ガーゴイルも退いて、何故かオロチの八つ首も引っ込んでる。今なら、蒼真君と天道君もここまで来れるはずだ!」
「そうだ、桃川天才! 電話!」
「ちょっと待って、今かけるから――」
と、慌ててポケットの携帯を取り出すと、
ジリリリリリ!
まさかの着信アリ。
誰だ、このタイミングで、と慌てて開くと、
「桃川か!」
「蒼真君? ちょうど良かった、今かけようと――」
「今すぐそこから逃げろ」
切羽詰った蒼真君の声音に、嫌な予感が駆け巡る。
「事情詳しく。こっちは全員無事で動ける」
手短に、僕は全員の生存報告だけを伝えて、蒼真君に説明を要求する。
「さっき、小鳥遊さんが魔力解析した結果、コアが爆発しようとしているらしい」
えっ、爆発?
なんだそれ、悪の秘密結社のアジトかよ。
「だから急いで逃げるんだ!」
「……ちょっと待って。その爆発が起こったら、コアは砕けて、ヤマタノオロチは倒せるの?」
ただ最後の最後に残された自爆ギミックだというのなら、一目散に逃げ出してもいいだろう。
だがしかし、これがヤマタノオロチにとってただの攻撃手段の一つに過ぎないのだとすれば……
「――コアの爆発は、攻撃魔法みたいなものだ。コアそのものが砕け散るわけじゃない」
「つまり、あくまでコアは魔法の杖の役割を果たしているだけってこと」
最悪のパターンを引いたか。
コアは大爆発の全体攻撃魔法で、近くにたかった奴らを一掃。
ああ、ガーゴイルが慌てて逃げ出したのは、この最終攻撃手段を知っているからか。
「桃川、今ならまだ逃げて来れるだろう。ガーゴイルも八つ首も、今はいないはずだ」
「うん、そうだね」
「この状況は全く予想できなかったことだ。仕方がない。今ここで退いても、やり直しはきくだろう」
確かに、引き際としては理想的だ。
ここで撤退しても、さほど僕の不手際を責められる謂れはないだろう。
次はこのコア爆発の最終形態も見越して準備を整えて挑めばいい。
うん、それは実に僕らしい判断だ。確実な安全をとりつつ、十分に挽回の可能性もある。
「――いいや、ヤマタノオロチはここで倒す。僕は逃げない。必ずコアをぶち壊す」
「桃川! 何を言っているんだ、今はつまらない意地を張っている場合じゃないぞ!」
「まぁ、落ち着いてよ。僕には張れるほど立派な意地なんて持ってないよ。蒼真君と違ってね」
「だったら!」
「作戦がある。コアは壊せるよ」
「……」
この沈黙が、蒼真君が僕に抱く信頼の限界だろう。
まぁ、二つ返事で信用してもらえるとは思っちゃいないけど。
「安心して。僕以外の全員は今すぐ撤退させるから」
「そういう問題じゃない。桃川、たとえお前一人が残るのだとしても……俺はそんな犠牲を許さないぞ!」
たとえ嘘でも、そういうことを即答できるのが蒼真君の美徳、正義だと思うよ。
いいんだよ、憎いレイナ殺しの犯人が、勝手に一人で死んでくれるなら。オマケにヤマタノオロチも道連れにしてくれるときたもんだ。
こんなに都合のいいことはない、と大喜びしてもいいんだよ。
「とにかく、僕は大丈夫だから。悪いけど、最後の一撃は僕が貰うよ」
「待て、桃川っ――」
そこで僕は通話を切った。
「こ、小太郎くん……今の話……」
おっと、いつの間にやら、メイちゃんが僕のすぐ傍まで戻って来ていた。
信じられない、といった顔で僕のことを見ている。
「聞いた通りだよ。僕が残って、コアにトドメを刺す」
「どうするの」
「コアが大爆発するそうだから、あんまり詳しく説明している暇はないんだけど――」
チラっと谷底のコアに目を向ければ、なるほど、如何にも魔力チャージしてます、というように不気味な明滅をゆっくりと繰り返している。
多分、点滅がチカチカ早くなってきたら、爆発寸前の合図みたいなタイプと見た。
「私も一緒に残るよ」
「僕一人だけしか、生き残れない作戦だ。メイちゃん、『生命の雫』を僕に渡して」
それが、ここでコアを破壊するためのキーアイテムだ。
「小太郎くん、まさか」
「コレは保険だ。本命は、いざって時のために用意した爆弾だから」
空気を読んで、アラクネが背負った貨物の中から、僕が秘密裏に準備しておいた爆弾を取り出す。
この爆弾の構造はグレネードと同じ。コアと火光石を目いっぱいに錬成で融合した。
けど、コイツに使ったのは大型のコア。
封印槍を作るために大型コアを探索部隊には調達してもらったけど、僕は一個だけ内緒でこの爆弾に使わせてもらった。
なんでこんなのあるかって?
土壇場で桜が裏切っても、コア破壊の手段を確保しておくためだよ。
実際は作戦通りに桜ちゃんは『閃光白矢』撃ってくれたので、僕の心配は単なる杞憂で終わったけど……まさか、こんなことになるとはね。
「大丈夫、僕は死ぬつもりなんて微塵もないよ。だから、信じて欲しい」
「うん……分かった……分かったよ」
全然納得していない表情。でも、メイちゃんは頷いた。
これまで一緒にやってきたが故の信頼、ってやつかな。
別に僕の作戦は常に想定通りに進んでパーフェクトな成果を上げてきたワケじゃない。それでも、気合いと機転と幸運とで、なんとか成功まで導いてきた。
だから、今回も同じだ。成功の保証なんてないけれど、そのための最善は尽くす。
「みんな、時間がない! 早くここから逃げるんだ!」
コアが爆発するぞー、と叫べば、みんな事情は察したようだった。
「おい桃川、アンタ一人だけ残るつもり!」
「僕は大丈夫だから、心配しないで。アルファ、蘭堂さんを頼むよ」
「クアアーッ!」
これまで何度も学園塔からこの岩山まで、蘭堂さんはアルファに乗って来たからね。乗るのには慣れている。
意外とドンくさい蘭堂さんは、こういう急いで逃げる系のイベントでは、アルファに乗せた方が吉である。
「待てよ、桃川っ!」
ウチは全然納得してねーぞー、と言いたげな表情だったけれど、強引にアルファの背に担がれて、そのまま発進。一目散に岩山を駆け下りて行く。
他のみんなも、それに続いて走っていった。
「小太郎くん、私、待ってるから」
「うん、すぐ戻るよ」
今にも泣き出しそうな表情のメイちゃんに、僕は精一杯、安心させられるような微笑みで応えた。
そして、意を決したようにメイちゃんもみんなの後を追って駆け出し……一歩目で踵を返して、僕の方へと急接近。
えっ、なに、と思う間もなく、ぶつかる。
顔が、じゃない。唇が触れた。
「――待ってるから、必ず帰ってきて、私の小太郎くん」
僕が何か返事をするよりも前に、メイちゃんは今度こそ走り去っていった。
「はぁ……本当に、死ぬつもりはないんだけどな」
この見事に積み重なった死亡フラグが、逆に生存フラグになる。
とか何とか、そんな馬鹿みたいなこと考えないと、胸がドキドキしてどうしようもなくなるよ。
それなりにメイちゃんとは二人きりの期間もあったけれど、こういうことは一度もなかった。
初めてキスしたよ。
いざやられると、なんだろう、こう、感動というか、心が揺れ動くというか、思考が溶けるというか……本当に、恋愛禁止とか止めとけばよかったよ。
メイちゃんにキスを決断させるほど、心配させてしまったんだ。
さっさと終わらせて、帰るとしよう。
「往生際の悪いレイドボスに、トドメの一撃を喰らわせてやる」




