第215話 個人面談
ここは学園塔最上階となる5階。例によって特に何もない広間と空き部屋があるだけの寂しいフロアだけれど、内緒話をするには都合がいい。
「というワケで、モノは相談なんだが下川君」
「はぁ、あんまいい予感はしねーべ」
明日那夜這い事件を穏便な解決に導くための、厳罰化を望む人に対する説得フェーズ。一人目は、下川だ。先にコイツを籠絡しておけば、妙なところで横やりが入るのは防げるはず。
そんな僕の思いを知ってか知らずか、朝っぱらから一人で呼び出しを食らった彼の表情は、とてもじゃないが明るいものとは言い難い。
そんなに邪険にしなくてもいいんじゃない。これは君にもメリットのある話だと思うから。
「これから聞くことに、正直に答えて欲しい。安心して、今ここには僕しかいないから」
「そんなの質問によるべや。大体、別にそこまで盗聴とか気にしてねーし」
とりあえず、嫌々ながらも話はちゃんと聞いてくれる姿勢だ。よろしい。
「最近、溜まってない?」
「……はぁ?」
「ほら、エロい意味で」
呆れたたような目を向けられてしまった。なんだよ、どうせ図星のくせにさー。
「真面目な話、男だけのパーティだった時より、綺麗どころが集まった今の方が、辛いところあるんじゃないの?」
「そりゃあ、まぁ、そうだけどよぉ」
僕と別れてから、ここに転移するまでの間は、下川達は野郎だけでサバイバル生活をエンジョイしていた模様。足りないところも多かったみたいだけど、概ね順調に進んでいたのは、人間関係の和を乱す女の存在がいない部分も大きいだろう。
「こっちは色々と我慢してるのに、蒼真君ときたら」
「俺は中井ほどじゃあねぇけどさ、でも流石にこの状況で女と寝たって言われたらよぉ、フツーはキレんべ?」
「うんうん、男としては実に正しい感情だよ」
「その割に、お前はあんまだよな」
「今の僕は男子委員長だからね。感情に流されるような真似は」
「嘘つけ絶対、剣崎くらいのおっぱいじゃ足りねーんだべや」
「てへへ」
おのれヤマジュン、僕の性癖は筒抜けだよ。
「今後はこういうことは許さないから、そこは安心していいよ」
「けど、それで全部許すかどうかは別物だべ?」
「勿論。だから、今回の事を水に流してくれるなら、それなりの見返りってのを、ね?」
「おいおい、いいのかよ委員長様がよぉー?」
「いやいや、クラスの不祥事は委員長の管理責任にもなるからねぇ。だから、これは僕なりの誠意だよ」
そう、ただ許すだけでは、剣崎サイドに甘すぎる。今後しない、と誓ったところで、添い寝した利益は確実に享受しているのだから。
だから、下川達のように『何もなかった』側の奴らにとっては、自分も何か良い思いの一つでもしないと、嫉妬やら何やらで収まりもつかないのである。
当然ながら、このダンジョン内において日本円の価値は文字通り紙切れ同然。金銭による解決という、シンプルながら絶対的な解決法はとれない。
だから、金がないならエロを売るしかない。エロにはエロをもって報いるのだ。
「パンツ一枚で手を打って欲しい」
「なん、だと……」
「下川君には、小鳥遊さんのでいい?」
「まさか、できるのか!?」
「最低限、本人のモノというのは保証しよう。ただし、脱ぎたてとなると流石に厳しいから、それなりに清潔な状態になっているのは理解して欲しい」
「も、桃川、お前……なんてぇ男だ……」
「勿論、このことが明るみに出れば、途轍もないスキャンダルになる。使用と管理は厳重にすることは約束してもらう。絶対に自室以外では使わない、持ち出さないこと」
「桃川……本当に、いいんだな?」
「これは今の君達に必要なモノだし、受け取る権利があると僕は思う」
「分かった、俺は乗ったぜ、桃川」
「ありがとう、下川君なら、必ず分かってくれると思ったよ」
交渉成立により、がっしりと固い握手を交わす。
流石は下川、利益には聡い男である。
「それじゃあ、次は上田君を呼ぶから、一緒に説得お願いね」
「おう、任せとけ」
先に二人を引きこんでおけば、明日那に惚れているせいで今回最大のショックを受けた中井も、なんとか説得できるだろう。
「しっかしよぉ、そんなヤベぇモンどうやって調達すんだ?」
「そこまでは教えられないなぁー」
流石の僕でも生パンツの入手は不可能だ。けれど、間違いなく本人着用済みのパンツならば、持っている。
それは、試作品である。
今や生活必需品と化している、僕とアラクネによる蜘蛛糸インナーは、男女問わず全員分を作ってある。細かいサイズ調整こそ、女性のみの個人情報保護により、小鳥遊が担当することとなっていたのだが……その前段階として、僕は試作品をみんなに試してもらっている。
勿論、品質向上という本来の目的も嘘ではないが、いざって時の男子に対する餌として、僕はこの試作品パンツを厳重に保管していたのである。宝箱に入れたよ。
まさか、本当にこの手札を切る時がくるとは思わなかったが……まぁ、何事も備えておくに越したことはないってワケだ。
「……は、話って、何かな桃川君」
と、若干キョドっているのは、思えばサシで話し合うのは初めてとなる、中嶋陽真君である。
初手で下川の抱き込みに成功したので、その後、上田、中井、と順調に籠絡できたし、山田もついでにパンツ契約については了承済みである。
面談者の5人目となる中嶋だけれど、彼に関してはまた別の説得方法が必要だと僕は踏んでいる。
「中嶋君さ、剣崎さんのこと好きでしょ」
「えっ!?」
そこまで分かりやすい反応しなくても。逆にブラフかと疑ってしまう。
「え、いや、別に、そんなことは……」
「隠さなくていいよ。恋愛禁止ではあるけれど、誰かを好きになる気持ちまでは否定していないから」
いわゆる内心の自由というヤツである。だから、僕が毎晩、メイちゃんと蘭堂さんの二人をどんなあられもない姿で妄想しようとも、何の罪にもならない。ただし、蘭堂さん進呈の本物パンツについては、見つかり次第ギルティではある。
「やっぱ剣崎さんは美人だし、スタイルも抜群だし――まぁ、姫野さんとは比べ物にならないよね?」
美人ってのは凄いよね。姫野が体を売ってまで取り入っても、そのお綺麗な顔一つで、簡単に男をなびかせることができるのだから。
恋愛的には手を出したなら最後まで責任をとるのが筋だけど、本能的には新しい女を求めてしまうもの。まして、美人とくれば尚更。
「それは、まぁ、そうかもしれないけど……」
なかなかに煮え切らない返答である。
でも、こういうのはなかなか素直には言い出しにくいよね。特に、今回の件をわざと表ざたにした嫉妬心という後ろ暗い気持ちもあるだろうし。
「中嶋君、もし君が本気で剣崎さんを好きだというのなら、僕はそれに協力できる立場にある」
「……」
だんまり、である。でもビビりとは思わないよ。君は慎重な性格だ。自分に自信がないからね。僕も同じだよ。
「でも、そうじゃないと言うのなら――僕はこの機会に、蒼真君と剣崎さんを正式にくっつけようかなと思ってるんだよね」
「そんなっ!? 恋愛は禁止のはずでしょ!」
おっと、劇的な反応だね。
メリットに飛びつくのは思い切りがつかなくても、明確なデメリットを前にしては動かざるを得ない。
僕にはこれっぽっちも蒼真×剣崎のカップリングを成立させる気なんかないけれど、それができる、できるかもしれない、と中嶋が思えばハッタリとしては十分なんだよね。
「こじれそうだから恋愛は禁止にしているけれど、気持ちが固まっているなら、素直にカップル誕生を容認する方が良い、と僕は考えている」
愛の力は凄い。僕はそれを、桜井君と杉野を見て思い知らされている。二人の生き様は、正に己の愛を貫いていた。
「それに元々、あの二人は一年の頃の決闘騒動のお蔭で、婚約してるとかしてないとか、そういう話もあるし。蒼真君としても、剣崎さんが相手なら満更じゃあないし、はっきり立場が決まれば、覚悟も固まると思うんだよね」
あんなに添い寝しててもいまだに手を出さない蒼真君は、剣崎に対しては理性が溶けるほどの性的魅力は覚えていないとの見方もあるが、僕としては、常人には計り知れないほどの強固な理性があるからこそだと思っている。
でもそんな蒼真君でも、本当に剣崎を生涯の伴侶となることが決まれば……その固い遺志の力は、剣崎一人に捧げられることだろう。
「でも、もし中嶋君が真剣に剣崎さんのことが好きだというのなら、蒼真君とくっつける案は君の気持ちを強く傷つけるものになる。僕は、誰か一人に大きな犠牲を強いるようなことはしたくないんだ」
だから聞いているんだよ、中嶋。
今この瞬間が、剣崎をモノにできるか、永遠に手に入らないかの、分水嶺。
事ここに及んでもビビってだんまりを決め込むならば、所詮、君の欲望はその程度ということになる。
そういう半端な欲望は一番困る。手を出す勇気もないけど、諦めきることもできない。結果、本人にはただ不満だけが残るわけで、そういう負の感情は安定した生活環境に悪影響を及ぼす。
だから、ここは賭けだ。
中嶋が覚悟を決めて剣崎を手に入れたいと思ってくれるか。彼女を取られるくらいなら、自分のモノにするんだと、それほどの決意を抱いてくれるか。
頼むぞ剣崎、お前の魅力で中嶋にフラグを立てろ!
「――桃川君、本当に協力してくれるのかい」
「できる範囲でね。たとえば、剣崎と君をパーティとして組ませてあげられるし、蒼真君とは組ませないようにすることもできる」
恋愛なんぞ、所詮は一緒にいた者勝ちである。遠距離恋愛なんて、ただのキープでしょ?
「僕はあくまで、出来る限り君と剣崎さんを一緒になるように仕組めるくらいだ。チャンスを活かせるかどうかは、君次第だよ」
最悪、剣崎は脅せばどうこうするのも不可能ではなさそうだけど、中嶋のためにそこまでリスクのある行動はできないし、してやる義理はない。まぁ、パンツくらいは進呈してあげられるけど。
「どうかな。もし君にその気がないなら、僕はこの後、すぐ蒼真君と剣崎さんを呼んで――」
「好きだ」
唐突に告白である。
でも、主語を省くのはやめてくれないかな。メイちゃんに見られて勘違いされたら困るぅー。
「俺は剣崎さんのことが好きだ。本気なんだ」
「蒼真君に嫉妬して、部屋に入ったの暴露しちゃうくらい?」
「ああ、そうだよ、その通りだよ。下川君に話せば、すぐ表沙汰にしてくれると思ったから、最初に話した」
でもまさか、その場ですぐ叫ぶとは思わなかったよね。
「正直、男としては最低な真似だってのは分かってる……でも、それでも、こうでもしないと気持ちが抑えられない」
今にも泣き出しそうな、感極まった表情の中嶋である。
ただでさえ抑圧された環境下で芽生えてしまった下心、もとい恋心。そんな中で意中の人が、別な男の部屋に……とんでもないNTR展開である。僕だったら即死かも。
「うんうん、分かるよ、そうだよね」
「俺は、好きなんだ……それくらい、本気で、好きになったんだよ……」
「分かったよ、ありがとう、よく打ち明けてくれた」
さて、これで中嶋はクリアだな。
一番こじれそうな気持を抱えていた奴の説得に成功できたので、今回の件は最早、解決といっていいだろう。
「――それじゃあ、今回の件に関しては全員の合意が得られたので、特別に剣崎明日那被告は不起訴処分としまーす」
その日の学級会で、僕は早々に問題終結を宣言した。
クラスメイトみんなで話し合う学級会だけれど、開く前から結論は決まっている。所詮、政治など出来レース。事前の根回しと利害調整で、大抵の事は着地点ってのは見えているものだろう。
「この判決は、みんなが広ぉーい心で許してくれたからこそだから。剣崎さんは、重々、反省するように」
「……ああ」
なに浮かない顔してんのさ剣崎。悲劇のヒロインぶってんじゃねぇぞ、オメーが起こした問題だろうが。
まぁいい、剣崎明日那は心に深い傷を負った、精神的な病人であるともいえる。そんな人物に真っ当な反省など促せるはずもない。どうせ悪いことした自覚もないんでしょ?
「それじゃあ、今後は剣崎さんのことは、よく面倒を見てくれるようお願いするよ」
「ええ、二度とこんなことは起こらないよう注意するわ」
「ふん、言われなくてもそうします」
剣崎の反省になど僕は1ミリグラムも期待なんざしちゃいないから、今後のことはお友達に丸投げしておく。またいつ剣崎の女郎がムラムラきて夜這いに来るか分かったもんじゃないからね、しっかり監視しといてよ。蒼真ハーレムには、連帯責任ってやつを負ってもらおう。
「一応、睡眠薬を処方しておくから。またやらかしそうな時は飲ませて寝かせておいてよね」
「そんな怪しい薬いりません」
「ありがとう、桃川君。使わせてもらうわ」
まーた桜ちゃんが意味もなくケチをつけているけれど、委員長は睡眠薬を素直に受け取ってくれた。
この睡眠薬は、妖精広場の花壇にある薄紫色の花が原料となっている。
使った瞬間に昏睡状態でぶっ倒れる、みたいな即効性は全くないけど、ゆるやかな睡眠導入くらいの効果は望める。というか、そんな強烈な速攻性があったらとっくに実用化しているよ。戦闘面では使えそうもないし、僕も不眠症で悩んだこともなかったので、今まであえては作らなかった。
こんな形で役に立つとは思わなかったけど。とりあえず、いざって時はコイツを一服盛っておけば、剣崎は大人しくできる。
「それと、こっちは胃薬だから。辛くなったら飲んで」
「ありがとう、桃川君。使わせてもらうわ————ゴクッ」
委員長、その場でガブ飲み。
胃薬は、ついこの間、ようやく開発に成功したものだ。
夏川さんが見つけてきてくれたレアな薬草を原料に、下川の『水分錬成陣』による成分分離機能を駆使して、完成した一品だ。
原料がちょっとしかないので少量生産だけど、どうせ一人しか使わないからいいだろう。
委員長、その胃薬は一日一錠だから。用法用量は守ってね。
「さて、これでこの事件は解決だけれど……一応、聞くけどさ、他に何か問題あったりする?」
すでに結論ありきで開かれた学級会なので、スムーズに判決まで進み、時間は微妙に残ってる。昨日と同じく夕食後に開いて、あとは就寝時間を待つだけなのだけれど、折角みんな集まってる学級会だし、ちょっとした意見でも聞いてみようか。
「はい、小太郎くん」
「メイちゃん、どうぞー」
意外にも、手を挙げたのはメイちゃんであった。
これは仕込みではない。僕は今日の学級会に関しては、特にメイちゃんに何かを頼んではいない。
ということは、これは純粋な意見表明ということになるけれど、果たしてそれは何だろうか。思い当たる節が全くない。
「ハチミツが減ってるの。多分、誰かがこっそりつまみ食いしていると思うんだけど」
「メイちゃん自分で舐めてないよね?」
「ええぇー、小太郎くん酷ぉーい!」
冗談だよ。メイちゃんがつまみ食いする分は、最初から在庫分に計上されていないからね。必要経費は控除されます的な。
「はい、それじゃあみんな目を瞑ってー。先生、怒らないから、ハチミツつまみ食いした人は手を上げてくださーい」
無論、誰も手を上げないし、目すら瞑っちゃいねぇ。
こんなもん、小学生のガキだって騙されるワケないからね。問いただされて素直に白状するようなら、最初っからやらないし、何かやらかすような奴は素直に罪を認める心根なんざとっくに失っているだろう。
「仕方ない。素直に罪を認めれば多少の減刑もありえたんだけど……夏川さんだけ残して、他のみんなは解散して」
「ちょっ、ちょっと待って!? なんで私だけ!」
「なんでだろうね」
その控えめの胸に手をあてて聞いてみればいいんじゃない。
「違うよ、私は犯人じゃないよ!?」
「夏川さん、詳しい話は署で聞かせてもらうから」
「ほ、ホントに私じゃないんだってーっ!」
それから、僕とメイちゃんと委員長だけ残り、夏川さんの取り調べをした結果。
「ご、ごめんなさい……出来心だったんですぅ……」
やっぱりお前だったんじゃねーか!
割とイチかバチかでカマかけてみたんだけど、まさか本当に当たるとは。
「ごめんなさい、美波は小さい頃から甘いモノには目がなくて」
ウチの娘がご迷惑をおかけして、というような表情で委員長が謝っている。
完全に万引き現行犯でしょっ引かれた娘を迎えに来た母親の顔だよ。
「さて、この落とし前どうつけてくれようか」
「ヒエっ!」
「食べてしまったハチミツは、その分だけ今後は控えさせるから」
「そんなっ、酷いよ涼子ちゃん! そんなことしたら私、死んじゃう!」
「委員長、夏川さんに反省の色が見られないんだけど」
「ごめんなさい、何とか言い聞かせるから!」
いやぁ、それはちょっと無理だと思うけどな。
傍から見ていても、夏川さんが甘いモノ好きなんだーってのは分かったけれど、ここまで依存しているとは。無理に断てば禁断症状が出かねない。
きっと、僕が大きいおっぱいを求めるのと同じように、夏川さんも甘いモノを求めてしまうのだろう。それは最早、本能、あるいはアイデンティティと言っても良い。
「それじゃあ夏川さん、委員長の言う通りにハチミツ我慢するか、僕と司法取引してみんなよりも大目にハチミツを食べられるようにするか、選んでよ」
「なっ!? だ、ダメよ美波、それは絶対、悪魔の契約だわ!」
「……桃川君、それ、本当なの」
「少なくとも、もうつまみ食いする必要ないくらいは、夏川さんに甘いモノを供給するよ」
「美波! 耳を貸してはダメ!」
「契約します」
「ありがとう、交渉成立だね」
あああーっ! って頭を抱えている委員長を傍らに、僕は夏川さんと固い握手を交わした。
思わぬところで、思わぬ協力者が出来たものだ。




