第212話 修行の成果(1)
さて、修行を始めて早三日。蒼真道場は今日も元気に門下生達の元気な掛け声が響いている。
「ぐはぁ、痛ってぇ!?」
「ぐ、うぉおお……化け物かよぉ……」
乾いた荒野にゴロゴロと派手に転がされたのは、上田と中井のコンビ。
「えー、酷いなぁ」
そして、二人まとめてブッ飛ばしたのは、我らが狂戦士メイちゃんである。
「ふはは、圧倒的ではないかメイちゃんは」
「うーん、あの二人も凄い早さで強くなっているんだけどなぁ……」
蒼真流を習って僅か三日で、上田と中井はその腕前を上げたことを蒼真師匠は認めている。元から才能に溢れていた、というよりは大いに天職の補正があるからだろう。
実際、他の門下生である山田や夏川さんなんかも、普通に実力を伸ばしている。
ちなみに、今は二人はいない。
山田は飼育委員として、無人島エリアでジャージャの世話をしに。
夏川さんは新たなハチミツ探しの散策に出ている。
修行も大事だけど、生活水準を維持するためのお仕事は必要だからね。
ともかく、蒼真流の技を実戦レベルで身に着けつつあるみんなは、三日前より確実に強くなっている。
だが、特にこれといって蒼真流の技を使っていないメイちゃんによって、あえなく転がされるところを目の当たりにすると、師匠としては複雑な気分であるようだ。
「やはり狂戦士の力は別格か」
「メイちゃんから技を引き出すほどにも達してない、って感じじゃないの?」
「ああ、それが恐ろしいところだ」
伊達にメイちゃんも一緒に修行を受けていたワケではない。
蒼真流の基礎というか、武術全般に通じるほどの基礎みたいなところから、みんなは教えを受けた。剣の握り方から、体の動かし方、呼吸の整え方まで、色々と。
この辺の教えは、流石に長い歴史を重ねて研鑽されてきた技術だけある。今までは天職に頼って、自然のままに動いていたけれど、基礎を意識すると、それだけで動きのキレが増している。
まだたったの三日だが、メイちゃんは今のところ蒼真師匠から教えられた技は全て習得できている。その上で、上田と中井の二人相手の組手で一つも技を使わなかったのは、そういうことなのだ。
「まぁ、双葉さんは元々強かったからな。彼女の強さは別格だとしても、他のみんなだって確実に強くなっている」
「うんうん、成果がすぐ目に見えて現れるのって、本当にいいことだよね」
「ああ、特に成長が著しいのは――」
「――双葉さん、お相手よろしくお願いします!」
「うん? いいよ」
ジャージ姿で、専用に作った大剣サイズの木刀を構えもせずに持ったままのメイちゃん。彼女に相対するのは、通常の木刀だが、それを二刀携えた中嶋陽真である。
「中嶋との対決か、面白い」
「少しは勝負になりそうだね」
蒼真君が門下生の中でイチオシの成長率を見せたのが、この『魔法剣士』中嶋である。
「おー、ちょっと剣崎っぽい」
「もう何年も続けたように、様になっている。凄い才能だ」
地味に二刀流だった中嶋を見て、蒼真君が選んだのは自分の蒼真流ではなく、剣崎明日那の剣崎流剣術であった。
蒼真流に負けず劣らず、なかなか有名だったという剣崎流。強くなるなら、どちらを習得しても間違いはない。あとは、個人の資質で向き不向きといった感じだろう。
そして、蒼真君の見立て通り、中嶋陽真は剣崎流に向いていた。
「ハアっ!」
鋭い掛け声と共に、俊足で間合いを詰める中嶋。
一方のメイちゃんは、ロクな構えもとらず――けれど、気が付けば凄まじい早さで大剣木刀を横薙ぎに振るっていた。
一拍遅れて、ヴォオオン! とか凄い音が聞こえてくる。これ、頭に当たったら即死級の威力だよね。
「ぐっ、ううっ!?」
メイちゃんがただ無造作に振るった一撃を、中嶋は必死の形相で受ける。
そう、受けたのだ。
「凄い、メイちゃんの一撃を真正面から受けきった!」
「あれは剣崎流の『重ね受け』か。まだ習ったばかりだろうに、見事なものだ」
中嶋は二刀流を交差するようにして、メイちゃんの攻撃を凌いでみせた。ただ木刀を軌道に合わせて防いだだけではない。それだったらパワー負けして、上田や中井のようにあえなくふっとばされているところだ。
恐らく、威力を受け流すような防御法なのだろう。
太刀と小太刀の二刀流とかって、小太刀で防御するのが基本とか聞いたことある。二刀流といえば素早い連続攻撃というアクションゲームでお馴染みなイメージがあるけれど、現実的には意外と防御重視のスタイルなのかもしれない。
「でも、流石に防ぎきれなかったみたいだね」
「それを言うのは酷だろう。一撃、凌いでみせただけで大したものだ」
本来なら『重ね受け』とかいう剣崎流のガード技で相手の攻撃を凌いでから、反撃に転じる流れなのだろう。
しかし、中嶋は木刀を交差させた体勢を維持しているだけで精一杯といった様子。メイちゃんの一撃を見事に防ぎきることには成功しているが、とても反撃に映れるような状態ではなさそうだった。
「くっ」
一拍の隙を晒してから、中嶋は慌てて歩を引いた。
その間に、メイちゃんなら追撃を加えて楽にブッ飛ばせただろうけれど、あえて見逃したようだ。 まぁ、これは実戦じゃなくて組手だし。なるべく相手の力を引き出してあげる方が、お互いのためになるだろう。
「桁違いのパワーだ……これが『狂戦士』の力なのか」
「凄いね、中嶋君。まさか受け止められるとは思わなかったよ」
「はは、少しは修行の成果が出せたかな」
「次は、もう少し強めで行くね」
などと気軽に言いながら、メイちゃんはゆっくりと、木刀を上段に振り上げた。
「双葉さんが構えた」
「中嶋君、大丈夫かな。受け損ねたら死ぬよ」
その危険性は、狂戦士と相対している彼自身が一番分かっているようだ。
片腕ながらも、確かに剣を振り上げたメイちゃんを見て、一瞬、中嶋の表情は青ざめていた。
「だが、ヤル気だ」
「みたいだね」
死の危険を意識した、明らかな怯えの表情。だが、次の瞬間には覚悟を決めた、剣士の眼を中嶋はしていた。
「どう攻めるつもりなんだろう」
「流石に、もう一度受けようとはしないはずだ。恐らく、上段振り下ろしを回避してから、一撃を叩きこむつもりだろう」
剣を真っ直ぐ上に振り上げる上段の構えは、そのまま剣を振り下ろす以外に攻撃方法はない。相手の次の手が分かり切っている以上、相手にとっては読みやすい構えでもある。
しかし、剣を振り上げた者にとっては、必殺の意思を込めた構えだ。絶対に初太刀で仕留める、って薩摩の示現流だっけ? 薩摩隼人ってリアルで狂戦士らしいし。
「ふぅ……フッ!」
僅かな睨み合いの中、鋭い呼気と共に中嶋が動く。
素早い踏み込み。残像すら見えるほどだ。
対して、メイちゃんの一撃はすでに振り下ろされている。
「ッ!?」
避けた!
真っ直ぐ振り下ろされたメイちゃんの木刀は、ただ虚空を切るのみ。
中嶋は――体が大きく傾き、体勢が崩れながらも、確かに一撃を避けきっていた。
すでに攻撃を振り切ったメイちゃん。対して、中嶋は体が傾きながらも、ちょうど剣を振りかぶった状態でいる。
中嶋が勢いのまま倒れ込むよりも前に、メイちゃんの体へ二連撃を叩きこむのは十分に間に合うだろう。
中嶋、勝った!?
「ぐわぁああーっ!」
次の瞬間、中嶋はぶっ飛んだ。
というか、地面が爆ぜていた。
「蒼真流って、剣を地面に叩きつけて衝撃波を出す技とかあるんだ」
「そんな技はない……ないのだが、天職の力はそれも可能にするからなぁ」
参った、といったような表情の蒼真師匠である。
僕も、まさかメイちゃんが振り下ろした木刀が地面を叩いた衝撃で、中嶋を吹っ飛ばすとは思わなかった。
「衝撃波を出す武技とかあったよね」
「いや、彼女は武技を使っていない。ただのパワーだけで、アレを発生させたんだ」
力技も極まると、立派なものだ。
多分、メイちゃんは初めから中嶋に剣を当てる気はなかったんだろう。衝撃波だけで、男子一人分の体重を吹き飛ばせると思ったから、ただ思い切り地面に叩きつけたのだ。回避するとか、そういう相手の動きは関係なかったのだ。
「く、うぅ……参った、俺の負けだよ」
「えーと、ありがとうございました?」
一応、組手を終えた礼をして、メイちゃんが僕らの方へ戻ってくる。
「小太郎くん、勝ったよー」
「うーん、やっぱ実力差がありすぎると、あんまり練習にならないね」
「ええぇー、そんなぁ、私頑張ったのに」
メイちゃんは強いし頑張ったのも認めるけれど、優先されるのはどっちかというと他のみんなの実力向上だから。
しかしながら、ヤバい怪我もなかったので、これはこれで良い経験になったかもしれない。
僕としては、中嶋の意外な才能開花も喜ばしいことだが、剣崎の指導力もなかなかのものじゃないかと見なおしたり。
元々、剣崎は蒼真君と同じくらい長く剣術やってるワケだし、後輩に剣を教えることも慣れているのだろう。
見れば、組手を終えた中嶋の元に剣崎がやって来て、その健闘を讃えるように肩を叩いている。僕にはゴミを見るような目を向けていたけれど、今の剣崎は純粋に弟子の成長を見守る師匠の目をしている。ああしていると、本当に凛々しい美少女なんだよね。
だからといって、そうあからさまに頬を赤らめて意識しまくってるのは、どうなんだろうね中嶋君。恋愛禁止だよ? 君は姫野さん相手で満足しておくべきなんじゃないのかな。
「小太郎くーん」
「あー、分かったよ、メイちゃん強くて僕嬉しいよー」
構って欲しかったのか、中嶋の方を注視していた僕をゆさゆさしてくる。なんだろう、この大型犬に物凄いじゃれつかれているような感覚。
「それじゃあ、僕もそろそろ組手しようかな」
「俺が相手をしようか?」
「組手で殺意ぶつけるような人はちょっと」
昨日、試しに一回やってみたら、一撃で『双影』が消滅したよね。
「済まないな、まだ自分の心を完全に御することはできないようだ」
「言う割に反省の色は見られないんですけどー?」
蒼真流の極意的には、怒りや憎しみなどに心を囚われず、常に冷静でいることをよしとするらしいが、流石の蒼真君でも無理っぽい。レイナ殺しの罪は重い。
それでも、表向きには割と普通に会話できるようになっただけ、随分と関係が改善されたのではないかと思う。
「お、桃川がやんのか? じゃあ俺が相手んなってやるぜ」
「上田君か。ふふん、いいよ」
メイちゃんにボロ負けしていた剣士上田だが、早くも復活を果たしている。今度は楽勝で勝てる相手と思って、勇んで参戦を表明した。
「流石に桃川にゃ負けねーぞ」
「それはどうかな」
と、僕は両手に握った小太刀を構える。この蒼真道場で、僕だけが小太刀二刀流のスタイルを許されている。
だが、これは二刀流であって、二刀流にあらず。
そう、この小太刀は『黒髪縛り』で操るのに、最も適したサイズの武器なのだ。
「桃川飛刀流の力、見せてやる!」
『呪術師』桃川と『剣士』上田の組手を、離れた位置からぼんやりと中嶋陽真は眺めていた。
「桃川君は、変わった技を使うよね。なんか、鎖鎌みたいな感じ?」
「器用に動かすことはできるようだが、大道芸と大差はないな。あまりに単調な攻撃だ。上田もそろそろ見切る頃だろう」
と、鋭い返答をするのは、中嶋の師匠となっている剣崎明日那である。
隣に立つ彼女の姿は、惚れ惚れするほどに凛々しい。切れ長の涼やかな目は、桃川と上田の組手を真っ直ぐに見つめ、そして正確に分析している。
事実、黒い触手で振り回される二本の小太刀を前に、上田は一気に前へ出る。
桃川の攻撃を見切った。迫りくる小太刀を弾き、避け、あっという間に間合いを詰めた。
「あっ!?」
という間の抜けた声と共に、桃川は上田の一撃によって地面へと転がった。勝負アリ。
「凄い、剣崎さん。本当にその通りになった」
上田が勝つ、という結果は中嶋にも分かり切っていた。だが、どのタイミングで上田が攻撃を見切って仕掛けるか、ということまでは分からない。
「こういう観察眼も経験がモノを言うからな。しかし中嶋、お前には才能がある。これくらいなら、すぐに分かるようになるだろう」
「そ、そうだといいんだけど」
照れ隠しのような――いいや、事実、中嶋は照れてしまう。
剣の才能がある、と褒められることではない。
剣崎明日那という美少女に、そこまで言ってもらえることに、どうしようもなく頬が紅潮してしまう。
自分とて、青臭い童貞ではなくなったつもりだったのだが……姫野愛莉と剣崎明日那とでは、同じ女でもあまりに格が違いすぎる。残酷なまでに、美しさ、というのは人の心に与える影響が大きい。大きすぎる。
「ハァ……」
などと、わざとらしいほどの溜息を吐きながら、ドキドキしてくる胸を落ち着かせる。
「どうした、中嶋?」
「い、いやっ、別に何でも――それより、もう十分に休めたから、また稽古をつけてもらいたいんだけど!」
「あの双葉を相手にしたのだ、無理はするな」
やや明日那の顔に陰りが見えるように感じるのは、気のせいではないだろう。
双葉芽衣子と剣崎明日那の決闘騒動のことは、中嶋も話は聞いている。『狂戦士』の力を前に惨敗を喫した明日那は、それ以来、彼女に対するトラウマを負っているらしい、とも。
もっとも、当時その場にいなかった部外者の中嶋からすると、こうして話を聞いてもあまり実感はできない。
芽衣子は別人かと思うほど痩せて爆乳美女と化したが、その温和な雰囲気はクラスで見かけた時とそう変わりはない。いつもにこやかだし、彼女の作る料理は最高だ。『狂戦士』の凄まじい力を理解はできるものの、彼女の凶暴な姿は想像できない。
明日那に対しては、さらに思うところは大きい。
天職『双剣士』として、いや、それ以上に剣崎流の剣士として、彼女の強さを実感している。傍から見ているだけでは分からない。師匠として、教えを乞う立場になっているからこそ、より正確にその強さを体感できるのだ。
強さだけではない。明日那の語る言葉の一つ一つが、強い覚悟と信念に基づいていると感じられる。
そんな彼女と、トラウマを負うという弱々しい姿が、あまり結びつかない。
しかしながら、双葉芽衣子とは明らかに距離を置いていること、彼女とは絶対に組手をしないこと、などなど、明日那が自ら避けているのは紛れもない事実であった。
「俺は全然、大丈夫だよ。怪我しているワケでもないし」
怪我はしていないが、あまり大丈夫ではなかった。
最初に『重ね受け』で芽衣子の一撃を止めた時、両腕が痺れた。剣を手離さなかったのは奇跡に近い。
こうして話している最中に、ようやくその痺れも抜けてきたところである。
「俺はもっと強くならないといけないから。剣崎さんには、まだまだ教えてもらわないといけないことが沢山ありそうだし、これくらいで休んでなんていらないよ」
「そうか……そうだな」
ここまで熱意のあることを言われては、師匠として止めるワケにもいくまい。明日那は快く頷いた。
「双葉に負けたあの時から、私の心には迷いが生まれた。けれど、お前に剣を教えることで、初心というものを思い出せた気がする。ありがとう」
「えっ、いや、そんな、礼を言うのは俺の方だし!?」
「ひたむきに剣崎流を学んでくれる、お前の姿にも救われるところがあるんだ」
不意に聞かされた、彼女の本心のような言葉に、中嶋の鼓動は跳ね上がる。
何より、まっすぐ自分を見つめて微笑んでくれる明日那は、あまりにも綺麗で――
「……ハァ、これ完全に惚れてるよ」
その日の夜、ベッドの中で中嶋はしみじみと呟いてしまう。
男子寮と称される、学園塔3階には各自の個室が与えられている。プライベートが保たれる個室の存在は、思った以上に心が休まるものだと、使い始めてすぐに実感したものだ。
愛莉とアレする機会は失われてしまったが、今はそれで良かったと思える。
寝ても覚めても、中嶋の頭に浮かび上がるのは明日那のことばかりである。
意識している、と言われれば、そんなのは最初からだ。あんな美少女がマンツーマンで自分の剣術指導についてくれているのだ。この状況となっただけで、桃川小太郎には絶大な感謝の気持ちである。
勿論、修行を始めてからは浮ついた心を引き締め、真剣に取り組んだ。師匠役たる明日那を前にすれば、心身ともに自然と引き締まるというもの。
その的確な指導で、中嶋は目に見えて強くなった。たった三日の修行でこれだ。才能だと褒めてはくれるが、これが天職『魔法剣士』の力なのだと実感する。
それでも、強くなれることは、修行をする身としては何よりも大きな励みになる。剣について、戦いについて、中嶋の意識は随分と変わった。
それほど真剣に修行に打ち込んでいるにも関わらず、不意に見せる明日那の美しさと色気は、大いに心を惑わせてくれる。
基本的にジャージを着こんでいるので露出こそないが、彼女の玉の肌に浮かぶ汗、艶やかな長い黒髪が振り乱されて漂う香り。愛莉とのだらしない経験程度では、とても抗いきれない魅力ばかりである。それでいて、明日那自身は大して自分が綺麗な女であることを自覚しているような節がない。
剣崎流の弟子、という立場になったからか、彼女が接して来る距離感も随分と近いように思える。こんな風にされて、好きにならないはずがない。
「恋愛禁止、か……この方が良かったかも」
桃川が打ち出した、共同生活を送る上での規則は、理性の面で感情を抑えるのに役立ってくれた。このお題目がなければ、いつトチ狂って告白するか自分でも分からない。
「今はとにかく、強くなって、ヤマタノオロチに勝って、ここを脱出するしかない」
全てはそれからだ。この忌々しいダンジョンを脱することができれば、この気持ちと向き合うこともできるだろう。
だから、それまでは明日那に自分の気持ちを悟られないよう、努力をしよう――そんなことを思いながら、いよいよ眠りの世界へと落ちようかと時だった。
「ん……?」
誰かの気配を感じた。
剣崎流の修行を受けて、剣だけでなく、こういった気配察知も鋭くなっている。
この部屋のすぐ外に、誰かがいる。
トイレにでも起きた奴がいるのだろう。最終的に桃川が作ったトイレは、全員の人数分におよび、清掃管理は個々人の担当ということになっている。なので、用を足す場合は男子トイレにまで向かわなければならない。
「違う、男子じゃない」
これは女子だ。気配だけでも、そう確信できる。
ここは男子寮であり、女人禁制の男の園。非常時ならばいざ知らず、こんな夜中に女子が一人でこっそりと足を踏み入れて良い場所ではない。
「もしかして……愛莉か」
彼女なら、意中の相手を狙って夜這いを仕掛けて来てもおかしくない。
蒼真か天道か、あるいはもっと取り入りやすいところを狙ってくるか。どちらにせよ、良い予感はしない。
最早、彼女が誰と寝ようがさして気にもならないが、その尻軽な行為によって今の共同生活で問題が発生するのは避けたい。
今なら、自分がこっそり注意して事を収めることができるかもしれない。
そんな気持ちで、中嶋は静かに自室の扉を開き、外の廊下を歩く不埒な女子の姿を確認した。
「――っ!?」
そこにいたのは、姫野愛莉ではなく、剣崎明日那。
薄暗闇でも見えた、扇情的なまでに薄着の寝間着姿の彼女は、蒼真悠斗の部屋へと入って行った。




