第209話 酒(2)
「――そこまでよ、桃川君!」
「やべぇ、サツが来た! みんな逃げろ!」
「馬鹿なこと言ってないで、事情は説明してくれるわね?」
突如として委員長が踏み込んできたものだから、つい。
「この匂いは、酒か。まったく、隠れて飲酒とは困った奴らだな」
おっと、蒼真君もいたのか。マジでサツが来ちゃったじゃないかよ。
「別に隠していたワケじゃないよ? 明日にでもお酒のことは発表しようかなと思っていたところだし」
メイちゃんが数日で完成させてくれたからね。甘味に続く、新たな嗜好品として支給しようと思っていたのは本当のことだ。決して、隠れて僕らだけ飲むつもりはない。
「少しは相談してくれても良かったんじゃないかしら」
「相談したら開発段階で止められそうだったから」
「よく分かっているじゃない。それで、他に言うことは?」
「ごめんね」
独断で進めたことに関しては、謝罪する余地もあるとは思っているよ。
「でも、お酒くらいはあってもいいんじゃないの?」
実際、すでに需要は確立している。僕と委員長の交渉を高みの見物しながら、面白そうにワインを飲んでいるトリオの姿がある。あ、蒼真君、ソイツらしょっぴいてもいいよ。
「それは飲みたい人はいるでしょう。でも、私達はまだ未成年よ、飲酒が許されるべきではないわ」
「俺も反対だ。こんな状況だからこそ、酒に酔えばトラブルの元にもなりかねない」
「おっと蒼真君、それは酒のトラブル経験済みみたいな口ぶりだね」
もしかしなくても、飲んだ事あるでしょ?
「……まぁ、俺だって龍一と付き合いはあるかなら。色々あったんだ」
「え、ちょっと何よソレ、私、聞いてないわよそんなこと!」
「お、落ち着いてくれ委員長、昔の話だから――桃川も止めろよ! 飲んでる場合か!」
いやぁ、なかなかどうして、他人がトラブってるところを見物しながら飲む酒は美味しいもので。メイちゃんのハチミツ酒は絶品だよ。
「とにかく、飲酒を認めるわけにはいかないわ。美波も、早くカップを置きなさい」
「うぅー、でもぉ、これ美味しそうだよぉ」
結局、一口もハチミツ酒を飲めなかった夏川さんは、実に未練たらたらな表情でカップを手離し、テーブルに置いた。
「まったく、貴女まで飲もうとするなんて」
「まぁまぁ、夏川さんは僕らを止めてたんだよ。最初は隠れて飲むつもりなんて全然なかったんだから」
「でも、桃川君の口車に乗せられてあえなく、というワケね」
「そんな、酷いよ涼子ちゃん、私を詐欺被害者みたいな!」
そうだよ、僕が詐欺師みたいな言い方はやめてよね。
「貴方達もいつまで飲んでいるの、早くやめなさい!」
観客気分で調子に乗って飲んでたトリオにも、委員長のお叱りの矛先が向く。
「い、いいじゃねぇかよこれくらい……」
「俺らには癒しが必要なんだよ」
「そうだべ、酒くらい飲まなきゃやってられねーべ」
反抗的なこと言うくせに、カップは大人しく置いているあたり、委員長の圧の強さがうかがい知れる。
「疲れやストレスがあるのは、みんなだって同じよ。安易にお酒なんかに頼るべきじゃないわ」
「ここに歯止めをかける奴は誰もいないからな。自分で自分を律するしかない。酒を飲めば、それが乱れる危険に繋がるぞ」
委員長と蒼真君は、明確に飲酒反対の立場をとっている。
さて、勝負はここからだ。
しかし、参ったな。もっとしっかり飲酒賛成派を増やしてから、学級会にかけようと思っていたのだけれど……なんとかここで二人を説得するしかないか。
この二人なら、まだ話し合えばイケる可能性もある。
委員長、桜ちゃんをこの場に連れてこなかったのは英断だよ。
「でも、需要は確実にあるし、すでにお酒が造れる、ってことも知ってしまった。あると分かっていて我慢するのは、耐えがたいものだよ」
「だからこそ、今の内に止めるべきよ」
「そうだ、今ならまだ我慢が効く」
「いいや、無理だね。もう我慢できるような不味い酒じゃないんだ。普通に美味しい酒ができてしまった以上、有効活用するべきだよ」
「ダメよ、危険だわ」
「飲み放題をさせるつもりはないよ。泥酔されても困るからね」
「提供量を制限して、か……だが、それも結局、自らの自制心に頼ることになるぞ」
「酒の管理は徹底するよ。せめて一杯くらいでも、僕はみんなに飲ませてあげたい」
「でも――」
一進一退の論戦。委員長の言い分にも、僕の言い分にも、一理以上のものがある。
だからこそ、落としどころを探りながら、ジリジリと互いの意見をすり合わせていく。
「――ねぇ、委員長と蒼真君も、一杯飲んでみたらどうかな」
と、まるで空気を読まないように、メイちゃんが笑顔で言い出した。
「双葉さん、それは本末転倒よ」
「俺達が飲んだら、示しがつかないだろう」
「お酒は毒じゃない。上手く付き合っていくことが大事なの。私、頑張って美味しくなるように造ったから、まずは味見くらいはして欲しいな」
邪気のない、純粋な微笑みである。僕もうそんな顔できないかも。
メイちゃんの、そんな造った者だからこその願いを受けて、流石の委員長と蒼真君も困惑顔である。
二人との議論はやや劣勢。ならば、僕はここでメイちゃんに賭けるとしよう。
「二人とも、飲んで欲しい。その上でやっぱり禁止にするか、許可するか決めてよ。僕はそれに従う」
「桃川君……本当にいいの?」
実質、僕の敗北宣言に聞こえるだろう。
飲んだからなんだというのだ。心の底から「あっ、これ美味しい」と思っても、自分の主張を通すためなら、美味しかろうがなんだろうが禁止にする意見を通せばいいだけだろう。
でも、僕はメイちゃんを信じる。ここ数日の短い間だけれど、それでも彼女はどこまでも真剣に、お酒の品質向上に努め来てたのだ。
必ず通じる。
「分かった、それでいいなら飲もう。いいか、委員長?」
「そうね、これで納得してもらえるなら」
話は決まった。
二人はメイちゃんからワインの入ったカップを受け取り、口をつける。
「――なるほど、これは確かに美味い。大したものだ」
すっかり飲みきり、ホウ、と一つ息を吐いてから、蒼真君はそう言った。
「だが、それでも許可をすることはできない。できたとしても、日常的に飲めるようには絶対にしな――」
「おかわり」
真面目な顔で語る蒼真君を遮って、委員長が空のカップを差し出した。
「……委員長?」
「双葉さん、もう一杯もらえるかしら」
「おい、委員長、何を言ってるんだ」
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
そして、今度はゴクゴクと豪快に喉を鳴らして委員長が飲む。さながら、風呂上りにキンキンに冷えたビールを飲むオッサンの如く。これビールじゃなくてワインなんだけど。
「――ぷはぁ、美味ぇ!」
叫んだ委員長の顔は、赤かった。
これ完全に酔ってるよ。委員長、アルコールこんなに弱かったのか。
「もう一杯!」
「委員長、それ以上はやめるんだ。酔っているぞ」
「ああん? うるせぇぞ悠斗ぉ、固いこと言ってんじゃねぇぞコラ!」
「っ!?」
委員長の豹変ぶりに、流石の蒼真君も絶句である。
僕も同じで、正直、あまりのキャラの代わりぶりに、何も言えなかった。
「はい、どうぞ」
笑顔でおわかりを渡すメイちゃんだけが、この場にあってただ一人、動揺も驚愕もしていないのだった。なんでそんな落ち着いてられんの……
「おい桃川ぁ!」
「はい!」
やべぇ、絡まれちまった。
「へへっ、いいじゃねぇか、酒……美味い、これ美味いよ桃川、よくやったオメー」
三杯目のワインを飲みながら、据わった目にすっかり赤くなった顔で、委員長は僕の頭を撫でまわしながら言う。
飲酒に賛成してくれたことは僕の希望通りではあるのだけれど……これはない。流石にこれはないだろう。
「それはどうも」
「でもオメーはいっつも余計なひと言が多いんだよ! 分かってんだろ、テメー分かって言ってんだろ!」
「はい、すいませんでした!」
「煽ってんじゃねぇよ! 誰が後始末すると思ってんだああん!?」
「すいません! すいません!」
「ふざけんじゃねぇぞ、桃川がもっと穏便に事を運んでくれたらよぉ、私は余計な苦労せずにすんだんじゃねぇのか! 胃薬さっさと作れやオラァ!」
「お、おい、委員長、少し落ち着け! どうかしているぞ!」
暴走する委員長を見かねて、ようやく蒼真君が介入してくる。
僕の髪をグッシャグシャにしながら日頃の不平不満を叫ぶ委員長に、蒼真君はその手を止めるように握った。
「ああん、悠斗ぉ、どの口が言ってやがる! テメーのせいでこんな苦労してんじゃねぇかよ!」
「ええっ、俺!?」
「あたりめぇだろが、とぼけてんじゃねぇこの無自覚ハーレム野郎ぉ!」
「ま、待ってくれ、委員長、俺は別に――」
「言い訳すんなぁ! 勇者のくせに恥ずかしくねぇのか!」
よし、いい感じにタゲが蒼真君に移ったことで、僕は脱出を――
「逃げんな桃川ぁ!」
しまった、捕まった!
がっしりと襟首を掴まれて、離脱不能となる。
ちくしょう、この暴走委員長めちゃくちゃやりやがる。
「夏川さん、急いで天道君と桜ちゃんを呼んできて!」
「ハッ!?」
親友の豹変振りに呆然としていた夏川さんに向けて、僕は叫んだ。
「早く行くんだ広報委員! この委員長を止められるのは二人しかいない!」
「あっ、そ、そうよだね、分かったよ!」
流石の俊足で、夏川さんは密会部屋を飛び出していく。
今の戦力では、委員長を止めることはできない。僕と蒼真君では、足止めが精々である。
チラっと見ると、蒼真君も頷いてくれる。まさか君と、こんなに心が通じ合える時がくるなんてね。
「分かった、俺が悪かったから、委員長」
「いつも苦労をかけてごめんね、委員長」
「うるせぇ口だけならどうとでも言えるわボケぇ!」
だ、ダメだ、これはそんなに長く持ちそうもない、早く助けて!
「おかわり!」
「はい、どうぞ」
メイちゃん止めて! ホント止めて! 今僕らピンチなの!
「おいおい、何の騒ぎだよコイツは」
そこで、いつもの気だるそうな感じで、天道君が姿を現した。
よし、来た、メイン盾来た、これで勝つる!
「桃川! まったく、貴方はまた勝手なことをして、許しませんよ!」
そして、すぐ後ろに桜ちゃんも続いて登場。
ねぇ、この状況を見て真っ先に僕に対して文句をつけるなんて、一周回って僕のこと好きなんじゃないかと思えてくる。こんな地雷女、絶対御免だけど。
「蒼真君、天道君、二人で委員長を抑えるんだ!」
「龍一、早くしろ!」
「お前らマジでなにやってんだよ……」
必死な僕と蒼真君の呼びかけに、天道君は心底呆れたような顔つき。いいから早くして、やれやれしている場合じゃないんだってマジで。
「桜ちゃんは解毒魔法をかけて!」
「は、はぁ? どうして私が桃川の言うことを聞かねば――」
「いいから、今は桃川の言う通りにするんだ、桜!」
「おい、そうだぞ桜テメー、いつまでもつまんねぇ意地張って反発ばっかしやがってよぉ、いい加減にしろやこのヒス女が!」
「なっ!?」
予想外の人物から予想外の罵倒が飛んできて、桜ちゃんも絶句である。
「いっつも綺麗ごとのワガママばっか言いやがってぇ、こっちは命かけて戦ってんだぞ! 余計な揉め事増やすんじゃねェ、ギスギスさせてんじゃねぇよ! 大体桃川の言う通りじゃねーかよクソぉ!」
「涼子、そ、そんな、何を言っているのですか貴女は」
「落ち着け、桜。委員長は今、酔って正気を失っているんだ!」
いやぁ、でも割と本心だと思うよ? こういう時に、普段は押し隠している感情が漏れたりするもんだし。
「桃川、分かっていてもそれ以上、余計なことは言うんじゃないぞ」
「それを言うってことは、蒼真君も分かってるってことなんじゃあ」
「龍一、桜、早くしろ! 委員長を救えるのはお前らだけなんだ!」
あっ、今ちょっと勇者っぽい台詞だね。
まるでピンチのヒロインを助けるようなシチュに聞こえるけれど、暴れてんのは本人なんだよね。
「はぁ、流石にコレは見ちゃいられねぇな」
「仕方ありませんね、こうなってしまっては……」
渋々というか、本当にこれはもうどうしようもない、といった感じで配置につく二人。
「うぉい、龍一ぃ、たまにはお前が酌しろぉ、いつも世話焼いてやってんだろー」
「いいから黙れ、涼子。お前、後で絶対に後悔するぞ」
どこか憐みの視線を向けながら、絡んでくる委員長の腕をとって、動きを止める天道君。もう片方は蒼真君がさりげなく止めている。
「今だ桜ちゃん!」
「القضاء على الفرز الصحيح――『解毒』」
発動した解毒魔法が委員長にクリティカルヒットする。
うすぼんやりとした聖なる輝きっぽいのが発せられて、委員長の体がピカピカと光った。
よし、よくやった桜ちゃん。もう君の出番は終わった、帰っていいよ。
「う、うぅーん……」
みんなが固唾を飲んで見守る中、顔の赤みが引いた委員長が目をパチパチさせながら、周囲を見渡す。
すでに両腕は解放され、フリーになっているが、果たして。
「あれ、私……お酒を飲んだような気がするのだけれど」
「涼子、今日はもう部屋に戻って寝ろ」
「えっ、龍一? いつからそこに……というか、まだそういうワケには」
「いいから来い」
「あっ、ちょっと、いきなり何するのよ!」
とか反抗的な台詞を口にしているものの、声音そのものは嬉しそうだ。天道君が委員長を問答無用でお姫様抱っこをかましたせいだ。
ああ、こうして見ると、実に様になっている。僕じゃこうはいかないよ。
「下ろしなさいって、龍一!」
「うるせぇ、いいから黙って担がれてろ」
そんな甘酸っぱい言い合いをしながら、天道君は委員長を連れて去って行った。
「……桃川、これはどういうことか、ちゃんと説明してもらいますよ」
ひと騒動終わって、キっと桜ちゃんが僕を睨みつけてくる。
僕はそのすでにして見慣れた聖女のガン飛ばしを真っ向から見つめ返して、言う。
「ありがとう、桜ちゃん。流石は『聖女』の力だ」
素直に感謝しよう。
今回は相当ヤバかった。それくらい僕も追い詰められた。
「ああ、桜、本当に助かった、ありがとう」
「ありがとう、桜ちゃん! 涼子ちゃんを助けてくれて!」
「蒼真さん、ありがとう」
共に死線を潜り抜けた蒼真君に続いて、涙ながらに言う夏川さん。そして、多分僕が言うからそのまま乗っかっただけのメイちゃん。
「ありがとう」
「ありがとう」
「ありがとーっ!」
そしてついでに上中下トリオも叫んでいる。
今、この場に集った全員が、聖女に感謝の言葉を捧げたのだった。みんなで桜ちゃんを囲んで、パチパチ拍手する。
「な、な、なんなんですかこれは……」
謎の雰囲気に包まれて困惑する桜ちゃんを眺めながら、僕は決めた。
お酒は原則禁止。僕が裏でひっそりと、必要な人を選んで提供しようと。
酒癖の悪い人、って本当にいるんだね。今回の失敗を経て、僕は一つ、大人になったような気がした。




