第208話 酒(1)
「お酒、造ってみようと思うんだよね」
「お酒かぁ……うん、いいと思うよ」
密会部屋にて、特に内密の話はないけど単なる雑談の中で言ってみたら、メイちゃんは笑顔で賛成してくれた。
古代文字の解読が上手くいかないので、気分転換も兼ねている。
「前から興味はあったんだけど」
無人島エリアについたばかりの頃とか、ちょっとばかりのんびりして攻略に関係ないこともやって遊んでたりはしたけれど、流石に醸造にまで手出しはしなかった。ハチミツレモンをはじめ、果実を材料としたジュースを作る程度に留まっている。
「人も増えたし、需要はあるかなと」
「そうだね、高校生になればお酒を嗜む人もちらほら出てくるから」
大人が聞けば激怒するか規制してきそうな台詞だけれど、じゃあお前らは学生の頃に一滴もアルコール飲まなかったのかと。どうせ飲んでただろう、麦のジュースとか言ってさぁ。
「恥ずかしながら、僕ってお酒飲んだこと一回もないんだよね」
無駄に真面目なところもあったから。特に興味も憧れもなかったという方が大きいけれど。酒を買う金があったら、ラノベの新刊でも買ってたよ。
まぁ、買おうと思っても確実にレジでストップだけど。今って「おつかいです」の言い訳とか通用しないんでしょ?
「そうなんだ、偉いね、小太郎くん」
言うほど偉くはないけど。メイちゃんの褒めるハードル低すぎて、ダメになりそうだよ。
「そう言うメイちゃんはどうなの?」
「私は、その……少しだけ」
「ああー、ダメなんだーっ!」
「ち、違うの、どうしても美味しそうなお酒とかもあるし、あと、お酒と一緒じゃないと真の美味しさが分からない食べ物とかも沢山あって!」
オツマミとか? あとなんだっけ、マリアージュ? ワイン関係の単語って気取ったものが多いよね。
「と言うことは、お酒の味も分かるんだ」
美味しいとか不味いとか、そもそも飲んだことのない僕には判断のしようがない。そもそも、酒の美味さが理解不能な子供舌である可能性が高い。
「私なんて全然だよ。お酒の世界は奥が深いから」
高校生でその奥深い世界にドップリだったらいかんでしょ。流石に限度越えてるよ。
「でも僕より遥かに知識も経験もありそうだから、お酒造りはメイちゃん主導でやってみよう」
「うーん、でも、流石に私もお酒を造った経験はないから、ちゃんとできるか自信はないよ」
と、自信なさげにメイちゃんが言っていた、二時間後。
「――できてるよ。これ完全にお酒だよ」
カップに注がれた赤紫色の液体。
果実としての甘さよりも、明確に感じる苦味。それも、ただ苦いだけでなく、渋味や酸味といった味わいが入り混じった独特の風味である。
正直、あんま美味しくはない。
それが初めて飲んだワインの感想であった。
「ワインってこんな簡単にできるもんだっけ」
麦も米もないので、酒の原料とするなら現状では果物くらいだ。大体、どんな果物でも果実酒にできるらしいけど、やはり果物原料のお酒で代表的なのは、カシスオレンジ……ではなく、ワインである。
無人島エリアで採取できるブドウみたいな果実を元にした。メイちゃんがヤマブドウと呼んでいたので、とりあえずヤマブドウということにしている。
「やっぱり『魔女の釜』は便利だよね」
だが術者本人である僕は、メイちゃんに言われるがままに操作しただけなので、同じ真似はできそうもない。使えることと、使いこなすことは、また別の問題なのだ。
「魚醤を作った時に覚えた、発酵のコントロールが凄く役に立ったよ」
「なにその使い方、僕知らないんだけど……」
発酵って、確か酵母がないと起こらない現象のはずだけど……目的とする酵母だけを活性化させて、発酵を促進させる使い方もできるのか。僕にはどんな設定をすればその機能にできるのか、よく分らないんだけど。
この辺は発酵食品に関しての理解力やイメージ力の差が僕とメイちゃんとで大きな開きがあるからだろう。何となくでも分かっていないと、上手く求める効果を発揮させることができない。それは多分、他の魔法でも同じだろうけど。
「この感じなら、熟成も上手くできるかも!」
「凄いよメイちゃん、僕よりも釜を使いこなしているよ」
予想以上にお酒造りが順調に進んだので、メイちゃんもヤル気が上がって来たようだ。決して、試飲したワインで酔っているワケではない。
「次は甘口と辛口の両方で……白ワインも同時並行で……リンゴモドキでシードルも……」
早くも酒造職人と化したメイちゃんのために、僕はせっせと新たな釜作り。僕にできることは、最早これしかない。双葉酒造、営業開始である。
その日の晩、早速、試飲会である。
「飲酒三銃士を連れて来たよ!」
「飲酒三銃士?」
「自他ともに認める学園一のヤンキー、タバコもやるなら酒もやるに違いない、天道龍一!」
「おい、うるせーぞ桃川」
物凄いウンザリした顔だけど、ちゃっかり席にはついている天道君である。
「学園唯一の黒ギャル、このルックスでお酒を飲んでいないワケがない、蘭堂杏子!」
「えっ、なんなのこのノリは? もう酔っ払ってんの桃川?」
「酔ってないよ。僕には『蠱毒の器』という毒無効スキルあるからね。残念でしたー、泥酔できませーん!」
「うわウザっ、確実に酔ってるわコイツ」
あっ、蘭堂さん、揺らさないで。頭がフラフラするの。
多分、本当に『蠱毒の器』で多量のアルコールは無効化してくれるんだろうけど、ホロ酔いくらいにはなれるらしい。ワインって意外とアルコール度数高いんだよね。
今夜の試飲会に出すための試作品はメイちゃんと一緒に全部味見はしているから、合計するとそれなりの量は飲んでる計算になる。
「そして、大学生の彼氏がいるなら、当然お酒の付き合いもあるんでしょ、ジュリマリ!」
「お前、今そういうこと言うなや!」
「分かってて言ってんだろ!」
えっ、今更、天道君を前にして男の人とは一度もお付き合いなんてしたことありませんわアテクシ、みたいな清純アピールしたかったの?
「なんだよその目は」
「舐めんなよ、桃川のくせにー」
僕の真実だけど失礼でもある感想を敏感に察したか、蘭堂さんに代わり、ジュリマリコンビが僕を挟んでグラグラ揺らしてくる刑罰が、あっ、フラフラする、っていうか、フワフワする。
「あー、お客様おやめください、あー、おやめください、あー、お客様あー」
「うるせー」
「この酔っ払いが」
「そろそろ離してやんなよ、吐かれたら誰が介抱すると思ってんだ」
安心してよ、初めての飲酒で吐くとか、そんな無様は晒さないよ。今ちょっとヤバかった気がするけど、そんなの絶対気のせいだから。
「――というワケで、飲酒三銃士をお呼びしました」
「三銃士なのに四人いるけど」
「えっ、三銃士って何故か四人いなかったっけ?」
「ダルタニヤンは主人公で三銃士ではないんだよ」
そ、そうだったんだ……なんか子供の頃に見た映画のあやふやな記憶のせいで恥ずかしい勘違いを。でも五人揃って四天王という現象は現実でも稀によくあることだから。
ともかく、今回お呼びした四人は天道ヤンキーチームの面々だ。
短い間だけれど、僕としても大変お世話になったし、これからも良好な関係を維持したいと思い、最初の提供者として選んだ。
「この桃川を見る限り、確かに酒はできてるみてぇだな。とりあえず生」
「じゃあカシスオレンジで」
「アタシはファジーネーブル」
「メイちゃん、赤ワイン4つオーダー入りましたー」
お客様の注文ガン無視で、さっさと試飲してもらおう。
すでに準備は万端なので、最初に完成したヤマブドウ原料の赤ワインを四人の三銃士に振る舞う。
ちなみに、ここは食堂ではなく学園塔五階の密会部屋である。まだお酒造りは秘密だからね。風紀委員もうるさそうだし。副委員長が飲酒三銃士に含まれているけど。
「まだ試作品だから、味の方はあんまり期待はしないねで」
最低限の注意だけしてから、四人はそれぞれカップに注がれたワインに口をつけた。
あっ、天道君だけ飲む前にちゃんと匂いを嗅いでいる。
「――確かに、言うだけあってあんま美味くはねぇな。けど、ここでこれだけのモンができりゃあ上出来じゃねぇか?」
天道君から出たお褒めの言葉に、ほっと一安心する。
どうやら、嗜好品として飲めるレベルにはあるようだ。
「まぁまぁイケんじゃない?」
「あー、このアルコール飲んでる感は久しぶりだわぁ」
ジュリマリコンビからも、ワインの評価は上々だ。
というか、本当にこの人ら普通に酒飲んでるよ。
「……うぇー、なにこれまっずぅーい」
「ごめんね、蘭堂さんのお口には合わなかったかな」
「ウチ、初めて酒飲んだんだけど」
「いや、いいよ、いくら風紀委員になったからって、今更そんなとってつけたような真面目アピールしなくても」
「ホントに初めて飲んだんだっての!」
ごめんなさい、黒ギャルだから絶対飲酒もしてるとか思いこんでてごめんなさい。人は見かけによらず……でも見かけ通りにガブガブ飲み始めた三人がここにいるんだよなぁ。
「甘く作ったやつとかもあるから、一口だけでも試してみてよ」
お酒といっても幅広いからね。苦手な人でも、これだけは飲めるんだよね、とかそういうお気に入りがあったりすることも。
折角だから、蘭堂さんにも口に合うお酒があればと思う。現状、選択肢が少なすぎるけど。
「あ、これ美味しい。好きかも」
「アタシはこれかな。ワインは辛口の方が好きなんだよね」
ジュリマリコンビは次々と試飲して、早くも自分のお気に入りの味を見つけていたようだった。
二人は身長もあるし大人びた風貌だから、学校指定ジャージ姿じゃなかったら普通に大学生か、さもなくばOLにでも見えただろう。
「天道君ならコレもいけるかな?」
「コイツはブランデーか。こんなもんまで用意するとは、やるな双葉」
ワインだけじゃ物足りなさそうな天道君に、メイちゃんはちょっと蒸留しすぎて度数が跳ね上がった試作ブランデーを提供していた。マジか、アレいっちゃうのか。
ブランデーはワインを蒸留して造られる。だから、ベースになるワインがあるなら、釜で蒸留機能さえ再現できれば、造れるのは当たり前。メイちゃんは熟成までこだわってやりたそうだけど、その辺はまだまだ試行錯誤は必要っぽい。
メイちゃんの説明によると、ブランデーはアルコール度数が40から50%ほどもある。僕は一口含んだらむせたよ。
「……美味い。久しぶりに、酒を飲んだ気分になれた」
カップに揺れる琥珀色のブランデーを眺めながら、天道君はこころなしか微笑んでいるように見えた。
どうやら、お気に召してもらえたようだ。
「メイちゃん、みんな満足してもらえたようだし、お酒造りは大成功だよ」
「うん、こんなに上手くいくとは思わなかったよ」
「桃川ぁー、ウチやっぱ酒はダメなんだけどー」
「蘭堂さん、このハチミツレモンは僕のおごりだから」
アルコールがダメな人は、素直にノンアルコールを飲もう。
それから三日後。
メイちゃんは給食係の傍ら、新たな酒造レシピを次々と実用化。急速にアルコール飲料の充実が進んでいる。
やはり『魔女の釜』があると、製造速度が桁違い。本来、どうしても時間がかかるような部分も、何故かゼロまで短縮できたりするらしいので、物凄くはかどるそうだ。
というワケで、今夜も新商品を加えて試飲会を開催である。
「飲酒三銃士を連れて来たよ!」
「飲酒三銃士?」
「ただの上中下トリオだけど」
「おい、トリオとか言うなや」
「俺らをひとまとめにすんのやめてくれる?」
「もっと一人一人の個性を見て欲しいっていうか」
今回も付き合いのあるメンバーからの人選である。山田がいないのは、野球部だし飲酒はしていないだろうと。いや、野球部だからこそ飲酒で不祥事を起こすのか。
ともかく、あんまり沢山集めても仕方がないので、とりあえずこの三人だ。
「小太郎くん、また四人いるけど?」
僕はトリオにしか声をかけていない。それじゃあ、今回のダルタニヤンは誰なんだよ。
「――甘いモノの匂いがする」
「うおっ、夏川!?」
「いつからそこに」
「尾行られたんだべか」
まったく、警戒心が薄いぞ上中下トリオ。そんなんじゃ過酷なサバイバル生活を楽しく快適に生き残れないぞ。
「もしかして、本当に探知されたのかな」
「桃川君、こんなところに隠れてなにやってるの? 甘いモノがあるなら私にもちょうだい!」
うーん、図々しいこの盗賊。
どうやらマジで夏川さんは甘味探知でここへやって来たようだ。
「デザートの試食とかじゃないけど、まぁ、折角来たんだし、夏川さんも参加していく?」
「なんか怪しいなぁ。内容次第で涼子ちゃんには報告させてもらうからね」
警戒しているくせに帰る素振りは見られない。
そりゃ自分の探知力によって、ここには確実に甘いモノがあるぜと思って来ているのだから、ソイツを口にしない限り、引き下がる気はないのだろう。
実際、甘いお酒も用意してあるからね今回は。
「それじゃあ、まずは定番の――」
栄えある試作品一号である赤ワインから。
最初に造ったからこそ、改良も重ねられている。メイちゃんの凄いところは開発力よりも、むしろ改良を重ねてより美味しさを追求していく、その美味に対する執念だと思う。
「どう?」
「うーん、ワインかぁ」
「ワインの味はあんまよくわかんねーな」
「俺らビールしか飲んだことないしな」
そんなところだろうと思ったよ。天道君とメイちゃんは知識も味も詳しいけど、この二人を基準にしてはいけない。僕ら余裕の未成年だからね。
「なんかイマイチな反応だけど、カップは空いたみたいだね」
「めっちゃ美味いって感じではねぇんだけど……」
「なんというか、こう、疲れた体に沁みる的な?」
「アルコールってすげぇな」
なるほど、体が求めていると。伊達に有史以来人類との付き合いがある嗜好品ではないようだ。
なんだかんだで、トリオもほぼ毎日命がけで魔物と戦う日々である。いくらダンジョン生活にも慣れたとはいえ、無意識にもストレスは溜まっているものだろう。
そういう時にこそ、お酒は効くのだ。
「っていうか、これお酒じゃん! ダメだよお酒なんて!」
おっと、普通に飲む流れの中で、待ったの声をあげる奴がいるとは。
意外と常識人なのか、盗賊なのに。
「まぁまぁ、落ち着いてよ夏川さん」
「だって、私達、未成年なんだよ!」
「それはそうなんだけど、見てよあの三人の顔を」
そこには、爆乳美女であるメイちゃんが笑顔を浮かべて注いだおかわりを、デレデレした顔で杯を呷る実に幸せそうなトリオの姿が。
まぁ、メイちゃん並みの女の子がお酌してくれるお店なんて日本中探したってないからね。ここが頂点といっていい……ではなく、大事なのは女の子ではなくお酒そのもの。
「心も体も疲れている僕らに、お酒の癒しは必要だと思うんだよね」
「なんかだらしない顔してるけど」
「もう酔いが回ってきたんじゃないかな」
アイツら、タダ酒だと思ってどんどん飲んでいるぞ。あくまで試飲会であって、飲み放題じゃあないからな。酔いが一発で冷めるくらいの請求書をくれてやろうか。
「夏川さんも、一杯どう?」
「むぅー」
スっとワインを差し出すも、渋い顔で受け取ろうとはしない。なかなか頑固だな。
「夏川さん、ワインはダメそう? それじゃあ、こっちはどうかな」
と、僕の後ろからメイちゃんが差し出したのは、赤紫でも琥珀色でもない、見慣れた透き通るような黄色い液体で満ちたカップだった。
一見すると、僕も愛飲しているハチミツレモンに見えるけれど……
「ハチミツ酒だよ」
「は、ハチミツ酒!?」
一気に興味が向いたな。まぁ、夏川さんは恐らくこのハチミツ酒を探知してやってきただろうから。
コイツは子供舌の僕でも美味しく飲めるくらい、甘いお酒だ。
「う、うーん、折角、双葉さんが作ってくれたものだし、味見くらいはいいかなぁ」
落ちたな。
甘いモノ好きの夏川さんが、拒否できるはずがない。
「はい、どうぞ」
「い、いただきます!」
期待と不安とが入り混じった表情で、夏川さんがハチミツ酒入りのカップを口につけた、その瞬間だった。
「――そこまでよ、桃川君!」




