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呪術師は勇者になれない  作者: 菱影代理
第14章:学園塔生活
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第206話 惨劇

「ふぅー、この村もようやくカタチになってきたな」

 小さいながらも活気に満ちる村を眺めて、俺はしみじみとそう呟く。

 最初は僅か十数人だったのに、今ではこんなにも人々で溢れている。男達は誰も彼も勇敢で、精力的に働いている。女達は笑顔で、家を、村を、そして子供達を守り、育てている。

 この村は、俺達のような若い奴らが集まって切り開いた、初めての開拓村だ。思っていた通り、この森は豊かな恵みに加え、大きな遺跡もある。とても可能性に満ちた土地だ。

 そんな場所を、俺のような男に任されたのは、当然、理由がある。

「ありがとう、全てお前のお陰だよ」

「何を言っているの、アナタ。全部、アナタが頑張ってきたからじゃない」

 そんなことを微笑んで行ってくれる彼女は、本当に最高の嫁だ。

 彼女は見ての通り、俺なんかには不釣り合いなほどの美人で、おまけに腹もとんでもなく大きい。この大きく膨らんだ腹を揺らしながら歩く彼女の姿は、今も昔も、男達の視線を独り占めだ。

 でも、今はもう俺の嫁だ。手を出した奴はぶっ殺してブタガエルの餌にしてやる。

 まったく、都一番の美人と名高い女を嫁にもらうと、色々と気苦労が絶えない。

「いいや、俺だけじゃない、俺達全員が頑張ったから、こうして村は上手くいっているんだ」

 開拓は順調だ。

 森が豊かなことに加えて、この辺にはさほど強い獣や竜や魔族がいないことは大きい。ただ、海辺の方はジーラ族の縄張りらしいが……まぁ、奴らとかち合うのは俺達が森を支配した後のことだ。今はまだ海にまで進出しないので、ジーラとの戦いについて考えるのは、もっと先でいい。

 大切なのは、今この時の幸せを喜ぶことだ。

「ふふふ、そうやってみんなを導くのが、長に求められる力なのよ」

「オーマ様の娘にそう言ってもらえると、自信が出るよ」

 何を隠そう、彼女はこの国を支配するゴーマの王、オーマ様の実の娘だ。まぁ、この美貌と、体から発せられる気品溢れるオーラは、やんごとなき身分であることは隠しきれないのだが。

 俺は都の王城に務めるしがない戦士でしかなかったが、なんの因果か彼女と付き合うようになり……本当に色々とあったが、こうしてオーマ様は娘を俺に下さり、この新領地の開拓を命じられた。

「今はまだ小さな縄張りの首領でしかないが、必ずこの森を支配して大首領になってみせる」

「ええ、アナタなら必ずできるわ」

 俺を信じてくれる、彼女の気持ちが何よりも嬉しい。

 華やかな都での生活を捨て、こんな不自由ばかりの開拓村での生活になったというのに、彼女は文句一つなく働いてくれている。こんなに出来た女は、この世にはいないだろう。

「愛しているよ」

「私も愛しているわ」

 くうー、これはもう我慢できん。今夜も彼女のでっかい腹に卵を仕込んでやるしかない!

「ちょっとー、なに二人だけで盛り上がってんのよぉ」

「げっ、お前も来たのか」

 いい雰囲気になったところで、二人目の妻が現れてしまった。

「なによ、来ちゃ悪い?」

「いや、悪いとは言ってないが……」

「ふん、沢山卵を産むのが女の役目なんだから、アンタはどんどん仕込めばいいのよ」

「ったく、風情も何もあったもんじゃないなぁお前は」

 コイツは家が隣の幼馴染で、腐れ縁というやつだ。俺の兄弟達の半分は成人する前にブタガエルの餌になり、もう半分は獣にやられたり、他の部族との戦いで死んだ。だから、幼いころからの付き合いがある奴は、コイツだけ。

 それにしたって、まさか開拓村にまでついて来るとは思わなかったが。けど、コイツが二人目の嫁となってくれて、俺みたいな成り上がり者でも多少の箔がついたことはありがたい。

 コイツは男と変わらんほどガサツな性格だが、腹のデカさだけは彼女に匹敵するからな。この大きな腹の女を2人侍らせているだけで、俺に首領としての格を認めてくれる奴も多い。

 いや、たとえコイツが小腹の残念な女だったとしても、俺は嫁にもらっていただろう。俺の隣にコイツがいない生活など考えられないし、他の男の隣にいるのも我慢がならない。

「アナタ、一番は私ですよ?」

「ふん、卵産んだ数は私の方が上なんだから!」

 などと言い争いながら、彼女達は両側から俺の腕をとり、その魅惑の大きな腹を押し付けてくる。

「まったく、しょうがない奴らだな」

 やれやれ、今夜は二人とも寝かせてくれそうもないな、と覚悟を決めながら、俺が二人を抱き寄せた――その時だった。

「て、敵襲ぅーっ!」

「敵襲だぁーっ!」

 けたたましい叫び声が響く。

「なんだと! こんな時に限って!」

 俺はすぐさま武器を手に取る。二人の妻もこういう非常時の心得はある。傍らに置いてあった俺の鎧を手に、素早く装着させてくれる。

「お前ら、子供達を連れて逃げる準備をしろ」

「はい」

「それじゃあ、行ってくる」

 それだけ言い残し、俺はテントを飛び出した。

「おのれ、火を放ったのか!」

 外に出ると、夜とは思えない明るさで、すぐに気づいた。あちこちのテントから火の手が上がり、すでに炎に巻かれた絶叫が響いてくる。

「なんてことだ、祭壇塔にまで火の手が!」

 村の中心であり、最重要施設である祭壇塔の入り口辺りにも、轟々と炎が燃え盛っていた。石で作られた堅固な遺跡の塔は、火で焼け落ちることはないものの、あれではとても中に避難できそうもない。

「おい、敵はどこだ!」

「首領!」

「向こうです!」

 近くにいた奴らが、俺を見つけて集まってくる。

 どうやら、正門付近ですでに戦闘が始まっている模様。激しい怒号に加え、何より、強力な気配が漂っている。

 俺は手近な部下を引き連れ、真っ直ぐに現場へと急行する。

 果たして、そこにいた敵の正体は――

「ブゲゲゲゲ! ゴーマビガゴブルァ!(あはははは! ゴーマは皆殺しだぁ!)」

「アレは、に、ニンゲンだと……」

 言語にならない凶悪な雄たけびを上げているのは、一体のニンゲンだった。

 ニンゲンをこの目で見るのは初めてだが、あの醜く邪悪な容貌をした人型の魔物は、間違いない。見ているだけで、本能的な怒りが湧きあがってくる。

 だが、俺はもう未熟なゴーマではなく、ゴーヴの戦士となって久しい。こういう時も、冷静に対処できるだけの理性がある。

 まず、あのニンゲンは、かなり小柄のメスだ。しかし、両手に握ったナイフを繰り出すたびに、俺の仲間達から激しい血飛沫が舞う。

 は、速い、なんというナイフ捌き。この俺でも、奴と一対一で勝てるかどうか分からん。

「バジギル、ゴボゼゼェア! (ハチミツ寄越せぇーっ!)」

 狂った獣のような咆哮を上げて、両ナイフのメスは疾風のように駆け抜け――まずい、俺を狙っている!

「おのれ、邪悪なニンゲンめ!」

「オバァーグルガァァ! (お前がボスかぁ!)」

 辛うじて、剣で防ぐことに成功する。流石は鎧兜の魔族から手に入れた剣だけある。鋭い奴のナイフも難なく弾ける。

 コイツにあまりパワーは感じない。だが、恐るべきスピードを誇り、その素早さであれば容易く急所を切り裂くだろう。

 ニンゲンの戦士は強い、と聞いてはいたが、まさかこれほどとは……いや、魔族の中でもとびきり邪悪なニンゲンの中には、おぞましい混沌の神から力を授かる特別な奴もいると、王城で聞いたことがある。

 だとすれば、この両ナイフのメスが、ソレだというのか。

「しかし、だからこそ喰らい甲斐がある!」

 ニンゲンを食えば、ゴーマは大いなる力を得ることができる。これほど強いニンゲンを喰らえば、俺は一気にゴグマにまで進化できるだろう。

 ならば、これは俺にとって神が与えた試練かもしれない。これを乗り越えれば、俺は強大な大首領となれる!

「数はこちらが上だ! 奴を囲め! 走らせるな!」

「ドヴァ、ウンバァッ!(退け、雑魚がぁ!)」

 日頃の狩りで鍛えた連携力でもって、仲間達がナイフニンゲンを包囲するよう動き始める。かなりの犠牲は出るだろうが、何としてでもコイツはここで倒す――

「ぎゃあああっ!」

「うわあっ! ま、魔法だぁーっ!」

 左右に展開していた仲間達へ、光と氷の矢が降り注いだ。

 柵の向こう側から、山なりに魔法の矢が飛んできている。

「くっ、何てことだ、魔術士クラスのニンゲンもいるのか!」

 まずい、光と氷ということは、それを操る者が2体いるということ。ナイフ一体だけでも手一杯だというのに、魔術士の援護も込みとなれば、とてもこの村の戦力では太刀打ちできない。

「――ダグバ、ゾルバドゥギ(夏川さん、一人で前に出るのは危ないよ)」

 撤退しなければ、と思った矢先に、さらに新たなニンゲンが現れる。

 ソイツは眩しく輝く光の剣を振るい、こともなげに仲間達を一太刀で何人も切り捨てている。

 驚異的な斬撃力。だが、それでいて光の剣のニンゲンはまるで本気じゃない。

 コイツは、化け物だ。

 都の精鋭ゴーヴが、いや、ゴグマ将でも勝てるかどうか分からない。いまだゴーヴでしかない俺には、到底、力の底が計り知れない。

「ンバ、ゾーマ(あっ、蒼真君)」

「バジュ、ゾグバ、モモ、デゴールガ(ハチミツは桃川が確保しているから、焦らないで)」

 圧倒的強者であるが故の余裕か、光る剣の奴はナイフの奴と何やら呑気にお喋りしている。俺の方には、最早、殺意すら向けていない。

 く、くそぉ、どこまでも舐めやがって、おぞましい邪悪たるニンゲンがぁ……

「おい首領、今がチャンスだ、逃げろ」

 俺が怒りに沸いて一歩を踏み出しかけた時、その前に一人のゴーヴが立ちはだかる。

 コイツは俺と一緒に都で戦士をやっていた同僚であり、友人でもある。幼馴染を除けば、次に付き合いの長い奴だ。

 実質、この村においては副首領の地位にある。

「なんだと、この俺が、首領が我先に逃げられるか!」

「首領だからこそだろうが! それに、お前にはオーマ様の娘もいるだろ」

「くっ」

「何としても、あの方を守り切れ。それがお前の使命だろ」

「だが、それではお前達が……」

「なぁに、心配すんな。適当に時間を稼いだら、俺達もすぐ後を追う」

 馬鹿野郎、俺がそんな嘘に騙されるワケないだろうが。なにカッコつけてんだ、お前の手、震えてるじゃねぇかよ!

「……すまない、俺達は必ず生き延びて、この村の再起を図る」

「ああ、頼んだぜ相棒」

 俺は涙がこみ上げそうになるのを堪えて、走り出す。

「ブガ、ボグドラァ! (あっ、ボスみたいなのが逃げるよ!)」

「ベドゥダ、モモ、ゾガラ(別にいいんじゃないか。桃川に任せておけば)」

 つまらなそうなニンゲン共の声に反し、決死の覚悟で雄たけびをあげて戦いを挑む仲間達の声が聞こえてくる。だが、振り返らない。俺にはまだ、果たすべき使命があるのだから。首領として、いや、一人の男として、彼らの犠牲は決して無駄にはしない。

「おい、お前達! 無事かっ!」

「アナタ!」

「ちょっと、外はどうなってるの? 敵は倒したの?」

 テントに戻ると、子供達を抱えた妻2人が、不安げな様子で待っていた。最低限の荷物は身に着けており、いつでも逃げ出せる格好にはなっている。

「恐ろしく強いニンゲン共が襲ってきた。とても勝てない、逃げるぞ」

「えっ、ニンゲンが!?」

「で、でも、逃げるって言っても、どこに」

「どこでもいい、とにかく今は村から出て森に入るんだ!」

 悩んでいる時間すら惜しい。

 だが、これだけは置いていけないと、つい先日オーマ様より賜った砂糖壺を腰にしっかりと括り付ける。よし、これさえ持てば、後はどうとでもなる。

「よし、行くぞ!」

 俺達はテントを飛び出し、まずは村から脱出するためのルートを探す。

 正門はアイツらが決死の覚悟で足止めしてくれている。村には他に、入り口が二か所ある。

 まずは近い方へ向かうが、

「ドゥバ! ゴルゼェア! (おらっ、死ねやぁ!)」

「ビグ、ザバラーグァ! (一匹も逃がさねーぜ!)」

「ゴルギャバラ、モモ、ジャンドガ (これもう虐殺だべ、桃川は容赦ねーな)」

 剣と斧、それから水魔法を使うニンゲンが、二つ目の入り口付近から侵入していた。奴らの周りには、武器を持ったオスの惨殺死体と……さらには、逃げようとしたのだろう、女子供の死体までゴロゴロと転がっていた。

「くっ、ニンゲン共め、まだあんなにいたのか」

「ああ、何てこと……」

 俺は新たに三体ものニンゲンが侵入してきたことに焦るが、妻や子供達は、目の前の惨状こそを恐れている。

 当然だ、こんな酷い光景など、想像もしたことがない。あんなに平和だった村が、一瞬で凄惨な殺戮現場と化しているのだから。

「いいか、なるべく声は出すな。静かに、奴らに見つからないよう走るんだ」

 妻達は涙を浮かべながらも、健気に頷く。子供達も、流石は俺の子だ、ギュっと口元を引き締めて、声が漏れないようにしている。

「裏口へ回る。行くぞ」

 あとはもう、普段はあまり利用しない小さな裏口しか残っていない。

 俺は家族を連れて、とにかくそこを目指して走る。

「ぎゃああああああっ!」

「助けてくれ! いやだっ、死にたくないーっ!」

「あああ、お願い、やめて! 子供だけはぁああああ!」

 村の中は地獄絵図だ。どこまかしこも悲鳴と絶叫が響き、気が狂いそうになる。

 ニンゲン共は他にも沢山の仲間がいるらしく、見たことのない奴らを何体も見かけた。ソイツらは都の精鋭達のような上品質の武器を手に、目につく限りのゴーマを殺し尽くしていく。

 戦いを挑むオスも、逃げ惑うメスも、そして、何の罪もない無垢な子供も。慈悲の欠片もなく、ただ淡々と殺していく。

「よし、やったぞ、裏口にニンゲンはいない!」

 裏口はブタガエルの飼育沼の裏手に設置してある。近くには誰のテントもないから、ここへ逃げてきた者はいなかったのだろう。あるいは、逃げようとしたが、辿り着けなかったのか。

「いいか、しっかり手を繋げ。これから森の獣道を走ることになる。絶対にはぐれるんじゃないぞ」

 首尾よく裏口を抜けて、地獄と化した村を脱した俺達は、暗闇が支配する森の中へと分け入った。

 都の戦士を辞める時に貰った、魔法のカンテラだけを頼りに、真っ暗な夜の森を進む。

 森の中は不気味なほどの静寂に包まれ、さっきまでの騒々しさが嘘のようである。

 どうせなら、これがただの悪夢であれば、どれほど良かったか――

「アァー、グギガ(あ、来た)」

「ッ!?」

 ソレは獣道の先に、幽霊のように佇んでいた。

 小さなニンゲンだ。まだ子供なのだろう。村を襲ってきた奴らに比べれば、明らかに小柄である。

 アイツらは誰も彼も尋常ではない気配を放っていたが、この子供ニンゲンからはまるで力を感じない。

「ギャバ、ゴンゲルア(やっぱり、こっちに逃げてくる奴がいると思ったよ)」

「俺があのニンゲンを殺す。切り捨てたら、全力で道を真っ直ぐ走れ」

 ここにはあのチビ一匹だけ。一気に殺してすぐに離脱すれば、奴の仲間が駆けつける前に逃げ切れるかもしれない。

 大丈夫だ、落ち着け、まだ希望はある。

「あ、アナタ……」

「安心しろ、いくら相手がニンゲンでも、あんなチビにこの俺が負けるはずないだろう」

 カンテラを腰に固定し、剣を抜く。

 対して、チビは髑髏のついた杖を握っているだけで、構えようともしない。

 舐めやがって。村の奇襲が成功し、もう勝った気分なのだろうか。その油断が命取りだ。

「ハァアアアアアアアアッ!」

 一気に駆け出し、間合いを詰める。

 剣を高々と振り上げ、力と、そして魔力を込める。

 裂帛の声と共に、俺は渾身の武技を振り下ろ――

「ァアアッ!?」

 足、足だ……足が何かに引っかかった!

 気づいた瞬間には、全力疾走の勢いがついた体は完全に俺の制御を離れ、地面へ真っ直ぐ倒れ込んでゆく。勿論、発動しかけていた武技はその瞬間に効果を失う。

「グウウっ!」

 ドっと前のめりに地面へと倒れ込むと同時に、俺は悟る。奴め、最初からこの暗い夜道に罠を張っていたのだ。

 俺の足首には、黒く細長い、奴らニンゲンの髪の毛のような気持ちの悪い毛が絡みついてた。

「クソっ、こんなモノでっ!」

「プギャー (プギャー)」

 瞬時に体勢を立て直し、体を跳ね上げたところで、指を指して俺を嘲笑うチビの顔が見えた。

 そして、次の瞬間には、天地が逆になる。

「なにっ、これは、ぬわぁああああああああああああああっ!」

 再び自分の制御を離れる肉体。転倒とは違う。これは、地に足がついていない――俺は、吊り上げられているのかっ!?

「なにぃ、あ、アラクネだとぉ……」

 宙に逆さ吊りになって停止してから、俺はようやく気が付いた。

 俺の全身に絡みついているのは、白く丈夫な蜘蛛の糸。そして、その糸の主は高い樹上に陣取った、人型の上半身と蜘蛛の下半身を持つ魔族。アラクネである。

「くっ、放せ!」

 よりによって、どうしてこんな時にアラクネが。いや、この森にアラクネは生息していない。いるとしても遺跡の方に――違う、そうじゃない。

 このアラクネは、使い魔だ。

 そうか、このチビはただの子供ではなく、魔物使いだったのか!

「ゾォルブ、レム、ヅダバヴァ(レム、そのままソイツは捕まえておいてね)」

「シャアアア」

 チビが何事かを木の上のアラクネに言うと、律儀に返事をしていた。やはり、このアラクネを完全に操っている。

 まずい、こうして蜘蛛糸に捕まってしまえば、俺一人ではもうどうにもならない。手足は頑丈に絡め取られ、とても拘束は破れない。

 それでいて、地面は頭のすぐ先にある。地面に足さえつけば、まだ動きようもあるというのに……

「お前達ぃー、逃げろ! 逃げるんだぁーっ!」

「くっそぉー、父ちゃんを離しやがれ、このニンゲン野郎ぉーっ!」

 その時、動いたのは、俺の息子だった。

 幼馴染のアイツとの間に生まれた、一番最初の子供である。

 低く吊るされた俺の姿を見て、まだ助け出せると思ったのだろうか。あるいは、ニンゲンを前にして怒りが迸るゴーマの本能故か。

 息子は雄たけびを上げながら、俺がプレゼントしたナイフを手に、真っ直ぐ駆け出し――

「死ねぇっ、ニンゲ――ぶげっ!?」

 息子は、壁にぶつかって転んでしまった。突如として目の前に現れた黒い壁。

 いいや、それは斧だ。とても大きな黒い斧の刃。息子はソレにぶつかったのだった。

「モモ、バザブゲルダ(小太郎くん、やっぱり危ないよ)」

 な、なんだアイツは……黒い斧の持ち主は、大柄なニンゲンだった。ゴーヴ戦士のような逞しさ、だが、その身から迸る強烈な気配はゴグマ将に匹敵する。

 あの光る剣のニンゲンと同じような、化け物ということだ。

 こんな奴までチビのすぐ傍に潜んでいたとは……罠を張るだけじゃない。これはどこまでも周到に準備された待ち伏せだったというのか。

「アー、ゾンゴロバギド(あー、ソイツは子供だから殺しちゃっていいよ)」

「うぅ、痛てて、なんだこ――ぉおおがぁあああああああっ!?」

 黒い斧のニンゲンは、地面を這う虫でも踏みつけるように、俺の息子を潰した。その足で、頭を踏みにじる。

 グチャリ、という音と共に、息子の悲鳴は途切れた。当然だ、もう頭は残っていないのだから。

「いぃやぁああああああああああああああっ!」

 俺は叫んだ、愛息子のあまりに無残な、それでいてあっけない死を前にして。

 けれど、俺の叫びをかき消して、森に響き渡る絶叫を上げたのは、アイツだった。母親なのだ、叫ぶのは当たり前だろう。

「ぁあああああ! ウソォ、こんなのウソよぉおおおおおっ!」

 泣き叫びながら、頭が地面の染みと化した息子の亡骸にアイツは駆け寄って、

「グバ、ゾルダギア(メスもいらないから、殺していいよ)」

 そして、息子の下へ辿りつくより前に、彼女は黒い斧によって両断された。

 刀身の腹にぶつかったのではなく、切れ味鋭い、それでいて途轍もない重量を誇るだろう、黒い鋼鉄の刃にかかって、頭から真っ二つになってしまった。

「なっ、あ、あぁ……」

 もう言葉も出ない。ほんの一瞬の内に、俺は妻子を失った。

 まるで、悪い夢でも見ているかのように、いっそ現実感すらない。

 けれど、綺麗に真っ二つになった愛する妻の体から、転がり落ちるモノに俺は気付いてしまう。ソレは体内から零れ落ちた赤黒い臓腑に混じった、丸い――

「ブゲェ、ダバグギズドォ(うげー、気持ち悪い、卵かよ)」

 それは紛れもなく、俺と彼女の愛の結晶。これから生まれるはずだった、新たな命である。

 彼女が腹に抱えていた卵まで、切断面から転がり出たのだった。

「ン、ゾバビゴ……ギルダ(ん? これだけ人型……胎児になってるのか?)」

 冷たい奴の目が、彼女の血だまりの中で蠢く小さな肉塊を見つめていた。

 ま、まさか、アレは、いや、あの子は……祝福の子だ!

 卵の殻を持たずに生まれる祝福の子は、生まれながらのゴーヴである。あの都でも年に一人生まれるかどうかといった、希少な存在。そして、生まれた時からゴーヴであるため、並みのゴーマとは比べ物にならない成長率を誇る。黙っていても、成人すればゴグマに進化するほどだ。

 そんな、アイツと俺の間に、神によって祝福された子供が生まれていたなんて――ゴーマ一の幸せ者と言われるほどの吉報のはずが、さらに俺を絶望の底へと落とす。

 ニンゲンに母親の腹を裂かれて、その中の子供のことを知るなんて、父親としては最悪の悪夢でしかない。

 しかし、俺は直後に悟る。真の絶望は、これから始まるのだと。

「ダマグラ、ゾア……ギンブルドァ(卵にならない子供もいるのか……気になるなぁ)」

 チビがぶつぶつと何かを喋っている。無論、ニンゲンの言葉など俺達ゴーマに理解できるはずもない。

 けれど、俺は不思議と奴が何を考えているのか分かってしまった。

「――レム (レム)」

 一言、明確な命令の言葉を発した奴の視線は、恐怖で震えあがっている、俺の最愛の妻へと向けられていた。

「や、やめろ……やめろぉ! 彼女にだけは手を出すなぁーっ!」

 その時、彼女の後ろに現れたのは、大きな黒い鎧兜だった。

 遺跡で時折、目撃することができる、恐ろしく強力な鎧兜の魔族である。勿論、たまたまこの場に現れたはずがない。アイツもアラクネと同じく、奴の使い魔なのだ。

「きゃぁああああああああああああああああっ!」

 黒い鎧兜の存在に気が付いた彼女は、耳をつんざく絶叫を上げ――捕まった。

 無骨な鋼鉄の手が、あの美しい彼女の顔を無慈悲に掴む。

「いやぁあああっ! 助けてぇ! アナタぁあああああああああああっ!」

「やめろぉ! やめるぉおおおおおおおおおおっ!」

 どれだけ彼女が助けを求めていても、俺にはただ叫ぶことしかできない。どんなに力を振り絞っても、アラクネの蜘蛛糸は破れない。

 俺は無様に逆さ吊りになったまま、見ていることしかできないのだ。

 そう、鎧兜の腕が、彼女の大きな腹にかかっても。

「ギァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 腹が破かれた。鋼の手が、彼女の腹を力任せに引き裂き、破く。

 耳をつんざく絶叫と共に、大きく裂かれた腹の中から、ボトボトと幾つもの肉塊が零れ落ちる。

 ベチャリ、ベチャリ、と腸が滝のように零れながら、卵も一緒に流れ落ち、地面に落ちては割れた。一つ残らず。俺達の子供は、生まれる前に残らず砕け散ってしまった。

「あ、アァ……私の、赤ちゃん、がぁ……」

 血の泡を吹きながら、そうつぶやいたきり、彼女の目から光が消えた。

 死んだのだ。俺の、最愛の妻が……オーマ様の娘、王国の姫君たる、彼女が……

「グァバ、ゼンダゴブ(コイツは全部、卵だったかー)」

 もう興味はないとばかりに、奴の視線は妻の無残な死体から逸れる。次の瞬間には、鎧兜は彼女の亡骸を暗い木々の向こうへと、ゴミのように放り投げていた。

「モモ、ゴラゲルブー(小太郎くん、子供が逃げてるけど)」

 最後に残った小さな子供達は、事ここに及んでようやく逃げ出してくれた。偶然だが、計ったように皆バラバラの方向へ。

 ああ、そうだ、一人だけでもいい、誰でも良い、頼むから生き残ってくれ――

「ジョバ、ゾングルゼバラ(大丈夫、ハイゾンビに任せるから)」

 チビが髑髏の杖を一振りすると、おぞましい雄たけびを上げて、不浄なる死体の魔族が現れた。

 その数、実に七体。逃げた子供の人数も、ちょうど七人だった。

「キョォアアアアアアアッ!」

「オオォオオアアアアアアアアッ!」

 凄まじい勢いで、亡者の使い魔達は暗い森の中へと走り去って行く。小さな子供の足と、疲れ知らずの亡者とでは、追いかけっこの結末はあまりに目に見えている。

 四方八方からこだましてくる汚らわしい亡者の叫び声に混じって、幼い子供達の悲鳴を、聞いた気がした。

「ザバ、ブグゾンダギア、ガルダ(さて、村の方も片付いたみたいだし、帰ろうか)」

「ジュバ、ゴーヴ、ギズダ(あのゴーヴはどうするの?)」

 あまりに酷い惨劇。

 あまりに深い絶望。

 俺の心はもう、自分で自分が分からない。どうしてこうなった、何が悪かった、一体、俺達に何の罪があってこんなメに遭わなければならないんだ。

 チビとデカいニンゲンが、やけに吊るされた俺を指さして、何事かを話し合っている。

 何でもいい、殺せ。もう、俺を殺してくれ。

「ギヴァ、ドンヴァルゴガ(アイツはしばらく、毒薬の実験体にするから)」

 さぁ、早く殺せ。俺を殺せーっ!

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― 新着の感想 ―
この話何回も戻ってみてるけど、この視点のゴーマが賢いのがよく分かる話なんだよな、周到な罠である事、アラクネを見て何処に分布していて使役されている事を導き出している事 これだけ思考できているのが最新話の…
お互いの認識にノイズでも掛かってるのかってくらい、互いが醜く見えるらしい。
>それは紛れもなく、俺と彼女の愛の結晶。これから生まれるはずだった、新たな命である。 でも、その何個かブタガエルの餌にしますよね?
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