第195話 学園塔の夜
「はぁ……」
と、熱い湯に体を沈めると溜息を漏らしてしまうのは、日本人の性であろうか。
蒼真悠斗は、風呂に入ったのはいつぶりだったろうと、しみじみ思ってしまった。
「本当に、完璧な露天風呂だな」
温泉宿にも負けないほど広い湯船は、今ここに集った男子全員が入っても尚、十分な余裕がある。クラスメイトと一緒に風呂に入るのは修学旅行を思い出させるが、煙る湯気の向こうに広がる殺風景な荒野が、嫌でもこの場所が非日常のただ中であるという現実を突きつける。
だが、それでもこの久しぶりに入った風呂は、素直に気持ちよいとしみじみ感じ入ってしまう。
「よう、随分と腑抜けた面してるじゃねぇか」
「龍一、お前もな」
「へっ、言いやがる」
天道龍一は一人でヤマタノオロチに挑み、ほぼぶっ通しで戦い続けていたという。それほど強くはない食用の魔物を狩って来ただけの悠斗達に比べれば、その疲労感も大きい。そして、そういう時ほど、風呂は身に染みるものだ。
悠斗と龍一は、周囲ではしゃぐ上中下トリオの声をBGMに、二人で肩を並べて黙って湯につかり続けた。
「こんなことをしていて、いいんだろうか」
「おいおい、こんなどっぷり風呂はいっておいて今更かよ」
ポツリとつぶやくような悠斗の声に、龍一は心底呆れたように言う。
「ああ、全くだよ……すっかり、桃川に乗せられた気分だ」
相変わらず否定的な台詞。だが、今の悠斗の表情は、むしろ自分の方が折れてしまったことを認めるように、覇気のない顔であった。
「ここまでさりゃあ、ケチの一つも出てこねぇか」
この素敵な露天風呂だけではない。入浴の前には、狩って来たばかりの獲物をふんだんにつぎ込んだご馳走と呼ぶべき料理も腹いっぱいに食べてしまっている。
肉汁滴るワイルドな肉料理の数々は、何種類ものハーブや香辛料でしっかり味付けされている手の込みよう。
大鍋には魚醤ベースのスープが沸き、大皿には生野菜のサラダが盛られ、小鉢には漬物まで入っている。
そして、極めつけは食後のデザート。フルーツのハチミツ漬けが、僅かながら、それでも確かに18人全員に配られた。
悠斗は、芽衣子が離脱して以降、クルミだけで凌いでいた食生活を今更になって恥じた。このダンジョンには、食べられるものがこんなにあったのに。いくら必要な栄養が補給できるとはいえ、クルミだけを食し続けるなど、原始人以下の食生活である。
もっとも、原始人と同等なサバイバル生活をしていた上中下トリオも、最早フルコースと呼んでも過言ではない料理の数々に絶句していたので、多少の努力で用意できる代物ではないのは確かだった。
そんな贅沢なご馳走に舌鼓を打ってから、この露天風呂である。
さらに、この後は妖精広場の芝生ではない、柔らかい寝床で就寝できるという。
至れり尽くせりとはこのことか。まして、ここがダンジョンのど真ん中だと思えば、夢か幻でも見ているかのような環境である。
しかし、桃川小太郎はそれを実現してみせた。
この風呂は、彼の『魔女の釜』という呪術によって作られている。釜のように煮炊きするだけでなく、冷凍や乾燥など、様々な効果をその中で発生させることができるという。
その能力を応用して、杏子の土魔法で巨大な釜を作り出し、下川の水魔法で湯船を満たし、釜本来の効果で給湯する。三人の力を合わせることで、この巨大な露天風呂は短時間で、男湯と女湯の二つを作り上げてみせたのだ。
料理の方も、この『魔女の釜』によって成り立っている。
双葉芽衣子は料理部であり、元から料理の腕前は高かったらしいと悠斗は聞いたことがある。本人の技術に加え、加熱も冷凍も自由自在の万能な調理器具として『魔女の釜』を用いることで、大幅に調理の手間を短縮できている。
もっとも、それらに加えて、すでに彼女が桃川と共にダンジョン生活の中で現地の食材を使って料理し続けてきた経験もあってこそだが。
「認めざるを得ないさ。俺じゃあ、いや、俺達じゃここまではできなかった」
小太郎よりも遥かに優れた錬成術を使える『賢者』小鳥遊小鳥に、『王』の力で他に幾らでも補える天道龍一。衣食住の充実を最初から目標として掲げていれば、この二人も不可能ではないだろう。
だが、現実として二人はそれをせず、小太郎だけがこれを成した。
それはきっと、単なる能力の差異ではない。本人の資質であろう。
「まぁ、マメな奴だよな。こんなもんまで拵えてやがる」
と、龍一は湯船の淵に置いた、白いタオルの入った桶を軽く叩く。
タオルの白い繊維はアラクネの吐き出す蜘蛛糸で、桶は山田にジャングルから切り出してこさせた木材を『簡易錬成陣』にかけて作ったものだ。
さらに露天風呂の一角には、通称『石鹸の実』と呼ばれる広場で採取できる汚れ落としの木の実を材料として、成分を分離圧縮したより本物に近い石鹸が用意されている。
入浴に必要となる小物まで人数分、きっちり用意しているのは、小太郎なりのこだわりなのか、あるいは、自分の能力のアピールなのか。
そんな小太郎は現在、風呂は最後でいいと後回しにして、狩られたモンスター素材の選別と、それを利用した錬成による工作に今も勤しんでいる。
「まさかアイツ、ここに定住する気じゃないよな」
「それはねーよ、アイツはビビりだ。いつまでもこんなところに居座る気はねぇだろ」
「龍一は、桃川と一緒だったことがあるんだろ。もしかして、仲良くなったのか?」
「なんだソレ、裏切りでも警戒してんのか。それとも、男の嫉妬か?」
小馬鹿にしたような龍一の問い返しに、悠斗は呆れたように溜息をつくだけだった。このテの挑発にいちいち乗るようでは、龍一の幼馴染はやっていられない。
「それで、どうなんだよ」
「別に、何もねぇな。タバコを交換したくらいで、あとはアイツが一人でバタバタやってて、そんで勝手に蜘蛛野郎に捕まって、それきりだ」
「その割には、随分と桃川のことはかっているように見えるけどな」
「当然だろ。天道くん係、なんて舐めた真似しやがって」
「真面目に聞いているんだ。桃川は、お前が警戒するほど、強いのか?」
「弱ぇに決まってんだろ。アイツは見た目通りの貧弱なチビだ」
だがしかし、それでも桃川小太郎は、蒼真悠斗も天道龍一も押し退けて、今やこの二年七組の中心となっている。
何故、どうして。理由を上げれば、当事者である蒼真悠斗自身、納得のいくものは幾つも上げることができるだろう。学級会で、あれほど話し合ったのだ。今更、不満のつけようはない。
「だからこそ、アイツは不気味なんだ。レイナを殺したのは桃川だ。けど、こうしてクラスの中心になっているのも、桃川だ」
まるで、掌で踊らされているような錯覚さえ感じる。
現に、今日は奴の言うことに素直に従って、狩りをしてきた始末だ。
しかし、その行動も結果も、全て納得済みなのだから、余計に分からなくなる。
「バーカ、くだらねぇことでグチャグチャ悩みやがって、恋する乙女かテメーは」
「なんだと」
「人から聞いた噂話でソイツを判断するのは女のやることだ。女々しいことやってねぇで、分からねぇなら本人に聞け。強さの底が知りてぇなら、喧嘩の一つでも売ってこい。幼馴染のよしみだ、優等生のお前には、喧嘩の売り方くらいは教えてやるぜ」
「あー、分かった、俺が馬鹿だったよ。お前に聞いた俺がな」
「うるせーよ」
だが、龍一の言う通りだと思った。
桃川小太郎がレイナを殺した犯人であることに違いはない。その恨みが晴れることは生涯ないであろう。それでも、今はクラスメイトの一人として、彼も含めて全員で一致団結することを決めた。
ならばその上で、桃川小太郎が仲間として信頼に足る男かどうか。自分の目で確かめていかなければいけないだろう。
「はぁ……いい湯、だな」
とりあえず、風呂を作ったことは素直に評価しなければならないだろうと、蒼真悠斗は月を見上げて思うのだった。
「はぁ……」
と、湯船に沈みながら姫野愛莉は、絶望のどん底に沈みきったような表情で、目の前の光景を眺めていた。
「やはり、お風呂は良いものですね」
「これは流石に、桃川君に感謝するわ」
「ああぁー、気持ちぃー」
「小鳥も早く来ればいいのに」
順に、蒼真桜、如月涼子、夏川美波、剣崎明日那、の蒼真ハーレムを形成する美少女達である。そう、彼女達は白嶺学園では知らぬ者はいない、それぞれの魅力に輝く美少女なのだ。
そんな彼女達は今、一糸まとわぬ全裸となってこの露天風呂でくつろいでいる。
「この風呂作ったらさー、なんか新しい魔法覚えたんだよねー」
「へぇー、やったじゃん」
「やっぱ普段と違うことした方が、新技とか覚えやすいのかぁ」
蒼真ハーレム組みとは反対側に陣取っているのは、蘭堂杏子とギャル友であるジュリマリの二人。
単純な顔面偏差値では蒼真ハーレムには劣るものの、三人とも高校生としては大人びた綺麗な顔立ちをしている。
ジュリマリコンビはいつだったか読者モデルになったこともあると自慢していたように、スラリとした美しい細身だ。小顔で、足は長く、腰の位置は愛莉よりも明らかに高い。こうして裸体を目の当たりにすると、骨格からして違っているのだと思い知らされてしまう。
だがそんなモデル体型のジュリマリよりもさらに凶悪なのが、女子高生とは思えない日本人離れした褐色の豊満な肉体を誇る蘭堂杏子である。文字通りに桁外れのバストサイズ。ムチムチした暴力的なまでの肉感あふれるその体は、本物の『淫魔』である愛莉よりも、遥かに淫魔らしい。
「はぁ……なにこの楽園」
白目を剥きそうな表情で、愛莉はこの美少女と美女しかいない露天風呂の景色を目の当たりにしている。
眷属『淫魔』と化して、男をたぶらかすためのスキルすら授かった今の自分には、女としてのプライドもある。だからこそ、その顔一つで自分の地位を追い落としたレイナ・A・綾瀬のことは親の仇のように憎い存在だったが……今ここに、レイナ級の美少女軍団が勢ぞろいである。
彼女達には、誰一人として愛莉に対し敵意を抱く者はいない。だが、彼女達がそこにいるだけで、愛莉のプライドはバッキバキにへし折られていくのだ。
彼女達の魅力が、なによりも雄弁に物語る。姫野愛莉が、この中で一番ブサイクだよねと。
「て、底辺……圧倒的底辺……」
虎やライオンに対し、草食動物以下の雑草レベルの底辺階級が今の愛莉である。
そして、蒼真ハーレムとも蘭堂ギャルズとも特に友好関係になかった愛莉は、この中でぼっちでもあった。
「姫ちゃーん」
「あっ、双葉ちゃん……」
孤独と絶望に打ちひしがれている愛莉に気安く声をかけたのは、この面子の中では唯一、学園生活の頃からの友人であった、双葉芽衣子に他ならない。
孤独感からは救われたような気持ちで呼ばれた方へと目を向けるが、煙る湯気の向こうから現れたのは、あの頃とはあまりにも変わり果てた友達の姿であった。
「ねぇ、背中流してくれないかなぁ? 折角、二人いるんだし」
などと、修学旅行の時のように気軽に言う芽衣子は、さながら異世界の食物連鎖の頂点に君臨するドラゴンの如き威容。
顎も頬も肉が落ちて、本来備わっていた美貌が最大限発揮された美少女フェイスは、それだけで蒼真ハーレムに対抗しうる戦力となる。
しかし最も強大な力は、あの蘭堂杏子をすら上回る規格外のバストサイズ。何故、この大きさで垂れていないのか理解不能。異世界特有の魔法の力は、おっぱいの常識すら覆すと言うのか。
女子として抜きん出た長身を誇るその身に、圧倒的な質量兵器を搭載した芽衣子は、巨乳をウリにするグラビアアイドルを虐殺できる過剰戦力であろう。
「おっぱいデケぇ……ケツもデケェ、足長ぇ……くびれぇ……コイツも淫魔かよ」
「姫ちゃん? 大丈夫、のぼせてるの?」
「ううん、何でもない、背中流すよ!」
乙女心の崩壊によって、危うく自我を失うところであったが、すんでのところで理性を取り戻す。
大丈夫、落ち着け。双葉芽衣子は最早、昔のように自分のブスさを隠すためのデブの盾ではなく、立場の弱い自分を守れる立派な防波堤、いや、堅牢な大要塞といえる。
芽衣子は今も変わらず愛莉のことを友達として扱ってくれる。故に、彼女との友情がある限り、この18人に減った二年七組の中でもそう悪くない立場のままでいられる。
この面子でぼっち化したら、確実に死ぬ。心が死ぬ。いつまたレイナの時のように、発狂して逃げ出すか分かったものではない。
「双葉ちゃんも、私の背中流してよ」
「うん、いいよ」
だから、この身も心も生まれ変わったような双葉芽衣子とは、変わらぬ友人関係を続けよう、と固く決意した愛莉だった。
「ふぅー、まぁ、こんなもんかなぁ」
ひとまず、蜘蛛糸生地にコッコの羽毛を詰め込んだ、試作型羽毛布団第一号が完成した。
「ううぅ……じゃあ、小鳥もお風呂行っていいの?」
「小鳥遊さんは18人分、この布団コピーしといてよ。みんなに今夜使ってもらって、レビューを聞いて改良するから」
「こ、小鳥もお風呂、入りたいよぅ……」
小鳥遊さんは全てを諦めたような表情で天を仰ぐと、その円らな目からツーっと涙が一筋零れ落ちた。
あーあ、泣いちゃったよ。参ったな、こういうところ蒼真君に見られたらまた誤解するじゃん。
「はぁ、しょうがないなぁ。今日はもうここまででいいから、上がっていいよ」
「えっ、ホントぉ!?」
「なんか元気みたいだし、やっぱもうちょっと頑張ろうか」
「無理ぃーっ! 小鳥もう無理なのぉーっ!」
「あ、逃げた」
おいおい、勤務初日で職場放棄かよ小鳥遊小鳥。
確かに、みんなが風呂に入っている間に、僕に付き合わせて錬成作業させるのは残業以外の何ものでもないけれど、これは必要なことだし、出来る人間が僕らしかいないんだから、やらざるをえないだろう。だから、決してブラック経営ではないよ。
「しょうがない、今日はこの辺にしておくか」
小鳥遊が僕の残業指示に泣きながら逃亡してしまったので、もう試作羽毛布団をコピーで増やすことはできなくなってしまった。仕方がないので、コイツは今夜僕が使って、寝心地を試すことにしよう。
「それにしても、出来ることが増えたから、やりたいことが沢山できちゃうなー」
コピーの魔法である『小型複製陣』もさることながら、『簡易錬成陣』の上位互換である『基礎錬成陣』を使えるのはかなりデカい。単に錬成だけでなく、『古代語解読』との合わせ技で、妖精広場の噴水を高機能な錬成陣として使用できるし、彼女の錬成能力はぶっちぎりだ。伊達に魔法の武器の製造に着手していない、ってことか。
「でも本人がヤル気ないのは、宝の持ち腐れ感が」
こんなに凄い錬成能力あるというのに、小鳥遊さんのこれまでの成果といえば武器の生産強化とスマホの復活くらいである。
僕が同じ能力持っていたら、最低でも着替えや野営装備一式、照明具、罠も作る。そして何より、
「なんで防具を作らなかったし」
これが目下のところ、最優先の生産計画である。
じゃあなんで布団なんて贅沢品を作っているのかといえば、今日はまだ手元にある素材が狩られてきた食用モンスしかないからだ。
それに、この学園塔に長期滞在するなら、寝具を整えたっていいじゃない。桜井君も寝袋を作っていたし、ここを去った後のことも考えて、上質な寝袋も用意しておきたいな。
「それじゃ、僕も風呂入って寝るかー」
しかし、好き勝手に魔物素材を散らかした妖精広場の噴水周辺を片付けるのに思ったより時間がかかってしまった。
あの小鳥遊とか言う新人、上司に後片付け押し付けて一人だけ定時上がりとかありえないよねー、的な愚痴を思い描きながら、一通りの掃除を終える。
「ありがとね、レムがいなかったら片付けだけで徹夜だったよ」
「グガガ!」
やはり持つべきものは、忠実なシモベである。ちなみに、護衛も兼ねてここに置いているのは勿論、信頼と実績の一号機こと黒騎士レムだ。
アルファは外で待機、というか、念のために学園塔周辺の警備をさせている。ここにガーゴイル以外のモンスターがいないとは限らないしね。
そうして今日の仕事を全て片付けて、僕はすっかりみんなが上がった後の露天風呂に一人でやってくる。
僕は別に小鳥遊さんみたいに、みんなと一緒がいい、みたいな馴れ合い根性は持ち合わせてはいないし、むしろ単独行動スキル持ちなくらいだし、一人で風呂とか全然気にならないけれど、こうしてクラスメイトが入った露天風呂を眺めると、少々、寂しい感じもする。修学旅行の入浴時間にすっかり出遅れた的な?
どうでもいい感傷か、と思いながら、簡易的な脱衣所として壁だけ建てた一角で服を脱ぎ、ちゃんと個人用に割り振った桶を手に――ん、なんだ、僕の桶の中に、タオルとは別なモノが入っている。
手にしてみると、ソレは掌におさまるような布地で、黒いパンツらしい。
おいおいマジかよ、なにこれイジメ? 誰だよパンツを僕の桶にぶちこんだ野郎は、と思いきや、そのパンツに包まれる様に、一枚の紙切れがあった。
『桃川、お疲れ様! こっそり使えよ 杏子』
「ヤバい、涙が出るほど嬉しいよ……ありがとう蘭堂さん」
自分のためを思ってくれる誰かの心遣いって、こんなにも温かいものなんだね。ありがたく、使わせていだたきます。
2019年6月7日
次回で第13章は完結です。それでは、お楽しみに。




