第18話 殺してみよう・3
「……上の階と、あんまり変わらないね」
うん、と双葉さんが短い返事だけをくれる。その表情は優れず、俯いているに違いないと、僕は振り返らなくても分かる。
そんな、ちょっとギクシャクした気まずい雰囲気のまま、僕らはすっかり見慣れた石の通路を進んでいる。
睡眠を含めた休息を終えて、あまり希望の見えないダンジョン探索へと気乗りはしないが、それでも出発することとした。
双葉さんは眠りから覚めても、元気のない落ち込んだ様子に変化は見られなかった。一応、僕としても赤犬不殺の一件について、気にしていない、仕方なかった、という旨の意見と、精神スキルについての説明をセットで話して、最大限のフォローをしたつもりである。
でもまぁ、そんな言葉だけで女の子が元気になってくれるはずもないワケで……とりあえず「次のチャンスを待とう」という曖昧な方向性で、僕らは相変わらずおっかなびっくりダンジョンを進んでいるというワケだ。
それにしても、もう一時間近くは歩いているような気がする。長い石の通路を何本も抜け、十字路を右に左に、時には例の森林ドームを突っ切って、歩き続けている。
その間、一度も魔物と遭遇していないのは、一体どうしたことだろう。牙鼠の影さえ見当たらない。委員長パーティとか、先行したクラスメイトがいて、道中の魔物を殲滅しながら進んで行ってくれているのだろうか。
でもまぁ、森林ドームではカラスみたいな鳥の鳴き声も聞こえたし、この階層に生物が全く存在していないというワケでもなさそうだ。
単純に運が良いだけなんだろうか。もしツキが回り始めてきているのなら、是非ともこの機会に、素敵なレベルアップのチャンスも恵んでくれると助かるのだが――
「あっ」
僕がその声を上げたのは、ちょうど通路の曲がり角に差し掛かった時だ。通路を曲がり、その先の視界が開けた瞬間、目に入った『モノ』から逃れるように、曲がり角まで身を引いた。
「止まって」
ビクン、と大きく体を震わせながらも、悲鳴を抑えた双葉さんが指示通りに立ち止まる。僕は後ろ手で「待て」のハンドサインを出しながら、そろりそろりと、曲がり角を覗き込んだ。
「……ゴーマだ」
あのゴキブリみたいな汚らしい黒い体は、間違いない。
この細い通路を曲がった先にあるのは、二車線道路くらいの広さがある大きな通路である。両脇には森林ドームに生い茂っていた緑の木々が並木のように両サイドに生えている。もっとも、手入れも何もなく、伸びたい放題になっているので、奇妙に捻じれながら長くなった枝が、かなりのスペースを支配していた。そのまま通れるのは、道のど真ん中一メートルほどの幅くらい。
そんなモッサリ並木道の向こう側、目測で三十メートルほどだろうか、そこに、一体のゴーマがいたのだ。
「エッ、グェエエ……ゲァアアア!」
「ひいっ!?」
と、双葉さんが悲鳴を漏らすのがすぐ後ろから聞こえた。まぁ、僕も通路の向こう側から響いてきたゴーマの叫びに、心臓が止まりそうになったけど。
「大丈夫、双葉さん、落ち着いて。あのゴーマは、襲ってこない」
「え、ええ……何で、分かるの?」
「倒れてる」
そう、あのゴーマはうつ伏せになって、バッタリと行き倒れていたのだ。
もう一度、覗き込んで確認してみるが、やはり、力なく倒れたまま。声を上げたことから、まだ生きていることは間違いないけれど……よくよく見れば、ゴーマの周囲には血溜まりが広がっているように見えた。
「多分、大怪我をしてて、もう動けないんだ」
そろりそろりと双葉さんも角を覗き込み、状況を確認している。僕はまだ眼鏡のお世話になるほど視力は落ちていないし、双葉さんも別に眼鏡っ娘属性はない。ゴーマの負傷を見違えることはないだろう。
そこまではっきり認識し、僕は緊張と不安を覚えながらも、歪な微笑みを浮かべてつぶやく。
「これは、二度目のチャンスだ」
「えっ、それって……もしかして……」
「あのゴーマを殺す」
そうそう廻って来ないだろうと思われた、弱った単独の魔物、という絶好の相手が目の前にいるのだ。逃す手はない。
「大丈夫、赤犬の時と同じようにやれば、必ず上手くいく」
「で、でも……私……」
またしても目じりに涙を浮かべて、大きな体を震わせるのは、まぁ、仕方ないだろう。精神的な問題はまだ何も解決してはいないのだから。さっきと全く同じ方法で挑戦してみも、絶対に彼女は槍を止めるだろう。
それに僕も、まだ画期的な「双葉さんでも刺せるトドメの刺し方!」なんていう方法は何も思いついていない。
「じゃあ、今度は二人で一緒に刺そう」
お二人の初めての共同作業です、名付けて、ケーキカット型刺突法。いくら適当な思いつきにしたって、もう少しマシな案は出てこなかったのかよ、僕。
「う、うん……分かったよ! 私、桃川くんが一緒なら、今度こそ頑張れるから!」
え、マジで、本当にこんな馬鹿馬鹿しい方法でヤル気になってくれてるの? 自分で言い出しといて何だが……まぁ、双葉さんは言葉通り、本気で次こそは、と闘志を燃やしているようだから、良しとしよう。
さて、気持ちが冷めない内に、一気に行こう。もしかしたら、この戦いを終えれば、全ての悩みが解決する素敵なレベルアップが起こるかもしれないし。
まずは、さっきの赤犬の時にはすっかり失念していた、パワーシードの服用をしておく。
赤い小さな木の実は、噛まずにそのまま飲み込むことをオススメする。果肉が物凄く酸っぱいからだ。
「――っ!? っつ!」
双葉さんが案の定、酸っぱい顔をしているのは、気づかなかったことにしよう。注意は前もってしていたけれど、緊張のあまり、ガリっとやってしまったのは想像に難くない。
ともかく、これで準備万端。
「よし、今だ、行こう!」
右を見て、左を見て、もう一度右を見て、他に敵がいないことを確認。僕と双葉さんは同時に通路へ飛び出し、血塗れで倒れるゴーマへ駆け出す。
体の底から湧き上がる熱は、早くもパワーシードの効果が表れたことを示している。決して病的な熱っぽさではなく、ほどよくウォーミングアップをして体が温まったというような、あんな感覚である。
お蔭で、ここまで散々、歩き通しの疲労があっても、石畳を駆ける足取りはどこまでも軽い。
「オオッ! ゲブレアァッ!?」
「きゃあーっ!」
気配を隠すなんて、どこの暗殺者ですかというような技能などない僕ら二人は、そのまま堂々と通路を走るが故に、即座にゴーマにも捕捉される。濁った黄色い目でこちらを睨み、ただの鳴き声なのか言語なのか不明な、耳障りの悪い声を叫ぶ。
双葉さんが悲鳴を上げたのは、そんな威嚇染みたゴーマの反応を恐れたからか。それとも、僕の倍は横幅のある豊満な体に、木の枝が引っかかったからか。
何にせよ、身動きの取れないゴーマには叫ぶ以外にできることはなく、僕らは何に妨害されることなく、すぐに槍が届く間合いへとたどり着くことができた。
「――『黒髪縛り』っ!」
走ってる最中に、すでに呪文詠唱は完了させておいた。そしてちょうどこの瞬間に、拘束用呪術を発動。一度使っているためか、最初の時よりも明確に効果をイメージでき、よりスムーズにできた気がする。
『黒髪縛り』:黒髪の触手を相手に絡ませる。髪は、乙女の命。
頭に浮かぶ効果説明は、こんな適当な文章だし、やっぱり実戦で使うのが習熟するのに一番役立つ。たでさえ短い説明文のくせに、意味不明なフレイバーテキストみたいなのが付随してるのが、かえって腹立たしい。
そんなケチはさておき、成功の実感を証明するように『黒髪縛り』は赤犬の時よりも確かに大きな効果となって現れてくれた。
ゴーマが倒れる血溜まりから、フワリと黒髪の束が生えだし、全身に絡みつく。特に両手は重点的に、しっかり地面に固定させる。薄汚い黒茶色の肌に、艶やかな黒い髪がギリギリと締め付ける。
拘束力も、髪の触手の量も明らかに増大している。やはりレベルアップで強くなったというよりは、元々ある呪術としてのスペックを上手く引き出せたという感じだ。
逆に考えれば、これ以上のパワーとボリュームは出せそうもないのだが……まぁ、現状において一番即効性のある呪術なのは間違いない。
ともかく、これで拘束完了。後は刺すだけ。今回は『赤き熱病』を使わなくてもいいだろう。どうせ、使っても使わなくても、大差はないし。
「双葉さん、一応、聞いておくけど、一人で刺せそう?」
「う、うぅ……む、無理ぃ……」
すでに槍を振り上げ、ぶっ殺す気満々な体勢の僕に対し、双葉さんは丸太のような両腕で槍を抱きしめる乙女チックポージングで、ブルブル震えながら硬直している。
す、凄い、そこそこ太い枝の槍が、胸に挟まれた部分だけ完全に埋まって見えなくなっている……
「ドゥンガァアア!」
うわ、すいませんゴーマさん。そんなところに注目している場合じゃないっすよね。
「よし、それじゃあ、ゆっくり、落ち着いて……僕のを握って」
正確には、僕の『槍を』握って、である。わざわざ訂正の台詞を重ねることもなく、僕は振り上げポーズから、スコップで地面を掘るような恰好に槍の持ち方を変更した。
倒れた相手に向かって、一本の槍を二人で握って突き刺す、という動作をするには、この体勢が一番スムーズにできるだろうから。
「う、うん……ぎゅうっ!」
握りしめた効果音を口にするのは何の意味があるんだろうか。気合いを入れるでも勢いでも何となくでも、別に構わない。双葉さんは泣きそうな顔になりながらも、僕の槍を握りしめてくれた。
片手で。
「自分の槍は、一旦置いといていいから」
「あっ、そ、そうだよね!?」
カランカラン、と槍が投げ捨てられた乾いた音が響き渡った。
改めて、両手持ち。僕の細腕と双葉さんの剛腕、合わせて四本の手が、一本の槍を握りしめる。
「フゥー、ウゥー、グブルルゥ……」
ゴーマの荒い息遣いと、意味不明な呻き声が聞こえる。けれど、妙に静まり返ったように感じてならない。
僕と双葉さんは、一緒に槍を握りしめた格好のまま、固まってしまっている。かなりの身長差があるせいで、ちょっと不自然な体勢となってしまっているが、この虫の息のゴーマを刺すのに不具合はない。
あと必要なのは、最後の一押し。いざ、槍を繰り出す覚悟である。
「はっ、はっ……ふぅ……」
チラリと彼女の顔を見上げてみれば、すでに涙が零れ落ちている。だが、それ以上に大粒の汗を流して、マラソン大会のゴール直前みたいな苦しい表情だ。
滝のように流れるほどの発汗作用は、きっとパワーシードの効果だけではないだろう。
「双葉さん、目、閉じて」
「ん……うん……」
ターゲットは、粗削りな穂先から五十センチと離れてはいない。目を瞑っていても、突き出せば100%命中する。
だったら、少しでも抵抗感をなくせるなら、視界は塞いでもいい。
「双葉さん、力、抜いて」
「……うん」
さっきから、僕の腕力なんかじゃビクともしないほど、双葉さんが固く槍を握りしめすぎて、ブルブル震えたまま固まっていたのだ。
これでは、いつまで経っても槍を突き出せない。
今、必要なのは双葉さん自らが魔物を手にかける勇気と行動ではない。ゴーマを刺し殺す槍に、自分も手をかけていた、という事実だけ。
まずは、それだけでいいんだ。次は自分で殺せるような、キッカケにでもなってくれれば。
「そのまま、握ってるだけでいいから」
しばらくの間を置いて、ようやく双葉さんが力を抜いてくれたのが分かった。軽く前後に槍を動かしてみると、双葉さんの腕がプラプラと連動していた。本当に、握っているだけの状態。
よし、これで最後の準備は整った。
僕としても、ゴーマという化け物然とした姿でありながらも、人型、というだけで赤犬の時よりも抵抗感は覚える。
でも、それはあくまで感じるというだけ。もう、僕には魔物如きの殺生を躊躇う、繊細な精神性は、無い。
「……行くよ、双葉さん」
「うん、桃川くん……ごめんね」
彼女の優しさが、心に沁みた。
あやまらないでよ。別にいいから。だって僕の行動は、ただ、君も一緒に汚そうというだけのことだから。
俺が守る。そう言えれば、男としては最高にカッコいいんだけどな。
でも、それは無理だから。僕の人格的にも、能力的にも。
だから、これで、いいんだ。
「やぁああああっ!」
ささやかな自己嫌悪を振り払うように突き出した一撃は、思いのほか、軽い手ごたえだった。
「――モギャァアアアアアアアアアアアアアアアアアっ!」
ダンジョン中に聞こえるんじゃないかというほど、とんでもない大声量の絶叫が響き渡る。石の通路は音をよく響かせるが、それ以上に、身動きの取れないゴーマが振り絞る最後の生命力の発露が、断末魔だけに集中したんじゃないかと思う。
頬まで裂けるような、ただでさえデカい大口が、限界まで開いて、あらん限りの声を上げていた。
槍の穂先は、かなり深く脇腹へブッスリいっている。あんなカッターナイフで適当に削り上げただけの粗末な槍でも、確かにゴーマの皮膚を破り、肉を貫いてくれた。
どこか拍子抜けするほどあっさりとした貫通の感触だったのは、ゴーマの体が柔らかいのか、それとも、パワーシードの腕力強化のお蔭か。今は、冷静に分析できる余裕は持てなかった。
「もう一回だ!」
槍を引き抜くと、当然のことながら、開いた傷口から鮮血が噴いた。真紅、という色合いからは程遠い、赤黒く濁った血飛沫。けれど、人間の血もこんなもんかもしれない。
散った血液が、この一日のダンジョン歩きですっかり薄汚れてしまった上靴と、泥や土の跳ねた制服ズボンの裾にかかった。汚れるのは今更だけれど、溢れ出る血の他に、傷口から妙にドロリとした気持ちの悪いゲル状の何か、が漏れているのを見て、どうしようもない嫌悪感を覚えてしまう。
ああ、気持ち悪い、気持ち悪い。キモい、もう嫌だ、僕はどうして、こんなところで、こんなことしなきゃいけないんだよ――
不意に溢れ出る不満を、ゲロを飲み込むような気持ちで無理やりに抑え込みながら、僕は完全にゴーマの息の根を止めるために、槍を刺し続ける。
もう一回、もう一回。二回、三回……何度でも。一心不乱に、刺す。
「ギッ! ィイイゲェエァア!」
脇腹、腹、胸、目につく大きな部位に向かって、粗末な槍で滅多刺し。力の限り、槍を繰り出す度に、ゴーマが絶叫を上げながら身悶えする。しかし、呪いの束縛が、寝返り一つ打つことさえ許さない。
そんな哀れなゴーマの叫びに混じって、双葉さんの悲鳴も聞こえるような気がする。何かを泣き叫んでいるような、そんな、気がする。
もしかしたら、僕も叫んでたかもしれない。
「はぁ……はぁ……」
赤犬を刺し殺した時よりも、疲れた。
そんな感想を抱いた時には、見るも無残な惨殺死体が足元に転がっていた。赤黒く穢れきった、血と肉のズダ袋。もう、刺したところで、呻き声一つ上げることはない。
「うっ、うぅ……も、桃川くん……終わったの? ねぇ、もう……終わったの?」
グラウンドの四百メートルトラックを全力疾走したような息切れと疲労感に、一拍、いや、たっぷり三拍は置いてから、僕は双葉さんの涙ながらの質問に答えた。
「終わった……ゴーマは、死んだよ」
見れば、双葉さんは律儀にも固く目を瞑ったままでいる。目は閉じていても、涙って流れるものなんだな。そんな、やけに呑気な感想が頭を過った。
「目は、まだ開けない方がいいよ」
「……うん」
「このままゆっくり、後ろに下がって」
「うん……うん……」
死体なんて、見るもんじゃない。自分で手にかけたものなら、尚更。
そんな現実逃避的な配慮をしつつも、こうして、僕と双葉さんは、ゴーマ殺しに成功したのだった。




