プロローグ・桃川小太郎
九月十九日、敬老の日。私立白嶺学園に通う二年生である僕、桃川小太郎も当然、この国民の祝日にあやかって休日を満喫している。具体的に言うと、街の中心部まで赴いてゲームやら漫画やらライトノベルやらを漁っているのだ。
もっとも、文芸部に所属しているだけで、親から頂く月々のお小遣いのみでやりくりしている典型的な学生である僕にとっては、一度の買い物でつぎ込める資金はそれほど多くない。ちょっとオタクの入った学生としては、まぁ分相応というやつではないだろうか。元々ケチなところがあるし、今の経済状態に不満はない。
「そろそろ、帰るかな」
今月発売のラノベを一冊だけ購入し大型書店を出ると、すでに陽は山の向こうに傾き始め、晴れ渡った初秋の空を茜色に染めている。
一人で買い物に来ているせいか、その夕焼け空に少しばかりの無常観を覚えたような気がする、などと下らない思考をボンヤリしながら道をとぼとぼ歩き始めたその時だった。
「ちょっと、触んないでよっ!」
そんな、絹を裂くようなとは言えないまでも、ニュアンス的には悲鳴に近い女性の声が聞こえてきた。
気がつけば、僕は好奇心のままにその声が聞こえた路地を覗き込んでいた。
「え、ウソ……」
そこには、二人の少女を四人の男が取り囲んでいるという、半ば予想通りだが、それでも驚愕に値する光景が広がっていた。
二人の少女はイマドキ古風なセーラー服。あれは紛れもなく、僕も通っている白嶺学園の制服だ。片方はセミロングの快活そうな、可愛らしい顔立ちの少女、もう片方は取り立てて目立つところのない地味なメガネの少女。
声を挙げたのは前者だろう。メガネの方は完全に腰が引けて顔面蒼白といった様子なのが、この距離からでも分かった。
「おいおい、そんなに嫌わなくたっていいだろ、俺らこう見えて結構紳士だぜ?」
そんなことをのたまっているのは、少女二人に全力で絡んでいる男の内の一人。こう見えて紳士、などと言っているが、彼らの姿はどうみてもヤンキーかチンピラ。なんだよ、そのダボダボのヒップホッパーが着てるようなパーカーとか、どこで売ってるんだよ。
だが、いかにステレオタイプな不良少年達であるとはいえ、実際に目の前にしたら馬鹿にはできない。彼らは僕と同じく高校生、それも恐らく悪名高い黒河工業高校、通称黒校の生徒だろう。
「いや、無理ゲーだろどう考えても」
そんな筋金入りのヤンキー四人組を相手に、同じ学校の生徒というだけで、顔の見覚えもない少女を助けに入ろうだなどと、少しでも考えた僕は完全にゲーム脳だ。
この身長百五十二センチ、体重四十五キロの貧弱坊やな僕に、どうやってあのガタイの良いヤンキー軍団に立ち向かえというのだろうか。勿論、僕にはこう見えてもナントカ流武術の達人だとか、そういう設定は一切ない。見た目通りの貧弱スペックである。
「ちくしょう、見なかった、何も見なかったことにしよう……」
だから、僕がここで逃げの一手を打つことを、一体誰が咎められようか。
見てみろ、この状況に気づいているのは何も僕一人だけじゃない。さっきからそこそこに行き交っている人々は、一瞬だけこの路地へ視線を向けるものの、そのまま何事もなかったかのように通り過ぎて行っている。
僕は悪くないし、彼らだって悪いとは思わない。人には出来ることと出来ないことがあるのだ。
そうだ、彼らだって如何に不良だなんだと言われても、平気で殺人やら強姦やらができる凶悪犯罪者ではない。悪名高い黒校といったって、所詮は喧嘩沙汰を度々起こして警察のお世話になるというだけのこと。あの少女二人だって、少しばかり怖い思いをするだろうが、適当なところで解放されるだろう。
そうして、僕はようやくこの場を離れる覚悟を決めて、ともすれば溢れ出そうになる自己嫌悪を抑えるように硬く目を瞑って踵を返した。
「おい、お前さっきからなぁに見てんだ?」
「はっ!?」
突然かけられた待ったのお声に、思わず振り返る。少女二人に絡むのに夢中だったはずの四人組の視線が、一斉に僕の方へと向いていた。
「いや、あの、僕は――」
「あ、なに、この娘のツレなわけ?」
僕の懸命な弁解をあっさりと遮って、彼らは好き勝手に言葉を続けた。
「へぇ、可愛いじゃん、俺こっちの娘の方が良いんだけど」
「バッカ、お前、アレどう見ても男だろ」
「は、マジで? ちょっと男っぽい服なだけでしょ」
「え? は? くっそフザけんな、俺もどっちか自信なくなってきただろうが」
フザけてるのはお前らだろう、僕はどこからどうみても男だ――と、言えないところが苦しい。
僕の顔立ちは中性的、と言えば聞こえは良いだろうけど、だからといって紅顔の美少年というワケではない。
目は大きいが、目つきの悪い野良猫のようなジト目。眉もやや太めで、あまり可愛げがない童顔だ。美少女では決してない、けれど、クラスに一人はこういう微妙な娘いるよね、くらいのレベル。
これでもう少し身長があれば、まだ男と判断される可能性もあるが、残念ながら発育不全としか思えない小柄で華奢な体つき。肩幅も狭くどこか丸みを帯びているせいで、シルエットだけ見ても男女の別がイマイチつかなくなっている。髪をやや長めにしてあるのも、性別を紛らわしくする一因だろう。変えるつもりはないけど。短いとガキっぽくなりすぎる。
ついでに今の服装だって、ただのジーンズにやや大き目な白いパーカーと、取り立てて男性的魅力を引き立てるファッションでもないし。
だが、とりあえず今の状況に必要なのは、僕の本当の性別を訴えかけることではなく、この場を切り抜ける対応だ。
恐らく、このまま走って逃げても、彼らは興味本位で追いかけてくるだろう。ここはどうにか穏便に、この場が収まるように立ち回らなければ。
「あ、あの! その二人は僕の友達で、これからクラスの皆と遊びに良く予定だったんです!」
名づけて、僕のバックには一クラス分仲間が待機しているんだぜ作戦。イチかバチかで「お巡りさんこっちです」作戦よりかは、まだ現実的だと思うのだが、どうだろう。
「あ、そう? 悪いね、そっちの予定はキャンセルしてくれよ」
ダメだった。
「え、いや、それは……困ります」
「いいって、君もこの二人と友達なんでしょ? 俺らと一緒に来なよ、男でも女でも可愛がってあげるからさぁ」
その、最初に僕を女認定した茶髪ロン毛な男の台詞に、背筋が凍りつく。コイツ、どっちもイケるクチか!
ヤバい、これはもう後先考えずにダッシュで逃げた方が良い。向かいに見えるあのコンビニに転がり込んで「助けて!」と絶叫すれば、無様ではあるがなんとかなる。最悪、警察くらいは呼んでくれるかもしれない。
そして、行動の方針も体も百八十度反転させて、わき目も振らず一気に駆け出す。
「ふぎゃっ!」
だが、決死のエスケープはなんと一歩目で障害にぶち当たって、情けないダメージボイスを上げながら僕の体は冷たい路上に転がった。痛い。
「あれ、君、もしかして桃川か?」
うわ、転んだ拍子についた手が擦りむけちゃってるよ、と半分涙目になってる僕の頭上から爽やかなテノールボイスがかかる。反射的に視線を上げてみると、そこにはよく見知った顔が二つ。
「あ、蒼真君と、天道君」
「大丈夫? 派手に転んだようだけど」
「放っとけよ、そのまま逃がしてやるのが情けってもんだぜ」
陳腐な表現だが、とんでもないイケメンがそこに立っている。
僕を心配するような台詞を言うのは、蒼真悠斗。
スラリとした長身にそこらのアイドル顔負けの甘いマスクは、男でも惚れ惚れするほど。女の子なら確実に惚れる。
対して、やや辛辣ながらも的を射たことを言うのは、蒼真君とはまた違った魅力を持つ大柄な少年。
名前は天道龍一。
百九十センチを越える背丈に、がっしりと筋肉がついた一回り大きな体つきをしている。そのクセ、顔はゴリラのようではなく、染めた金髪すら似合ってしまうような、鋭い目つきのワイルド系イケメンである。
二人は着こなしこそ違うものの同じ学ランに身を包んでおり、それを見れば二人の少女と同じく白嶺学園の生徒であると判別できる。もっとも、この二人は学校内でも有名なので、顔を知らない生徒はそうそういない。なにより僕自身、彼らとはクラスメイトであるので、私服姿だったとしても見間違えることはないだろう。
「あ、うん、僕のことはいいから、あっちの二人を助けてあげて」
そそくさと立ち上がって、合計六人の男女がたむろする路地を示す。今がどういう状況であるかは一目瞭然だろう。
「ちっ、黒校のヤツらか」
「そうみたいだね」
ほらね、分かってくれた。
蒼真君は男女問わずに不良に絡まれている白嶺の生徒を何度も助けたという武勇伝を持っているし、天道君は一人で十人の不良をブッ飛ばした伝説を持っている。この神様が二物も三物も与えまくったチートステータスな二人がいれば、ヤンキー四人組など、どうとでもなるだろう。
「じゃあ、僕はこれで」
「ったく、また面倒臭ぇとこに出くわしたもんだぜ。悠斗、お前といるといつもこれだ」
「そう言うなよ、龍一。ウチの生徒が絡まれているんだ、早く助けないと」
どうやら、僕のことはもう二人の眼中にないようだ。幸いにも、あまりに目立つイケメン二人組みが颯爽と登場したお陰で、ヤンキー四人組の皆様も、僕のことを忘れつつある。
いや、あの茶髪ロン毛だけは、去り行く僕の方へ名残惜しそうな視線を向けている。うわっ、気持ち悪い……
なにはともあれ、僕はこうして窮地を脱したのである。
ああ、どこまでも情けないな僕は、あの二人に比べると何て卑小な存在なんだろうか。そんな自己嫌悪が思わず湧き上がりそうになる。けれどそれは、嫌悪でも後悔でもなく、ただの勘違いだ。
僕と彼らは違う。顔も頭も、肉体的な強さも精神的な強さも。きっと、幸運さえも。
けど、それを悲観することはない。この世の大多数は彼らのような何もかも優れた人物ではないのだ。彼らが特別すぎるだけのこと。
それを近くで見ているから、少しばかり目に眩しく映ってしまうだけであって、それが当たり前なのではない。
僕は僕、これまでも、これからも、自分の能力に見合った、分相応の人生を送れば良い。その分相応な人生の中には、不良に絡まれている女の子を華麗に助ける、なんて素敵なイベントはあり得ない。
今回の一件は、そうだ、結果的に僕は一発のパンチも受けることもなく、無事にあの場を脱することができたのだ。おまけに二人のヒーローの助けが入って、女の子は助かる、不良は成敗される、完璧なハッピーエンド。
僕はただ、あの場にたまたま居合わせたモブキャラ、男子生徒A。そして、その役どころに不満なんて、あるわけない。あってはいけないのだ。
彼らのように、ヒーローだとか勇者だとか、そういう役目は、僕には決してできないのだから。
初めまして、または、『黒の魔王』でお馴染みの方、菱影代理です。最初の投稿ということで、プロローグに続き、第一話も連続投稿いたします。引き続きお楽しみください。
それでは、『呪術師は勇者になれない』をどうぞよろしくお願いいたします。ご感想、ご意見、誤字脱字報告、お待ちしています。